ヴェローナ |
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Stay
03/04/17
Verona
・ヴェローナ
・ジュリエットの家
・エルベ広場
・シニョーリ広場
・アレーナ劇場
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ゲーテの「イタリア紀行」にも、その名が見える古都ヴェローナはしっくり落ち着いた町。
この旅行記は面白い。ゲルマンのラテンに対する、皮肉をこめた大げさな賛美がたまらないのだ。これって、やはり、かの文豪ゲーテをして、劣等感を抱かせずにはおかない、おっかな〜い文化が存在してたということなんだろう。
散歩中の犬を見るたび、ユキちゃん、ユッコが愛犬の名を口走る。対するイタリアのワンちゃん、「おれ様はタローじゃなくてトッティ様だ」そんな感じで、見向きもしない。
イタリアでは、犬の散歩につきもののウンコ取りセットを持ち歩く習慣がないらしい。いたるところにワンコのウンコ。足元への気配りだけは欠かせない。
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ジュリエットの家 |
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3日間の恋物語「ロミオとジュリエット」の原作者シェークスピアでさえ、やっぱり映画のイメージには勝てない。
オリビア=ハッセィ扮するジュリエットが、あのバルコニーから身を乗り出して〜♪ なんて夢見ちゃいられないほどの混みよう。そもそも中庭が意外なほどに狭い上、入場制限をしているわけてもないのだ。「スリに気をつけて〜」と、ガイドさんの叫ぶ声。
建物の壁面には、ベタベタと貼りつけられたラブレター。しかも、チューンインガムでね。いったいどういう神経してんだろ。ちょっと違和感、覚えるね。
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シェークスピアの名作「ロミオとジュリエット」の舞台となったことでも知られるベローナ。悲劇のヒロイン、ジュリエットのモデルとなったカプレーティ家を訪れます。
ツタのからまる13世紀の建物で、小さな中庭には、ジュリエット像が立ち、ロミオと愛を交わした大理石のバルコニーは今も残っています。 |
エルベ広場 |
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ヨーロッパには広場が多い。たいてい、そこが街の中心、道路だって放射状に伸びている。わが国では見かけない広場の役割とは、いったい如何なるものであったのだろう。
必然的に人々が集まる街の造りになっているのだから、商売・儀式・政治をはじめ、若い男女の出会いの場にもなっていたかも知れないね。とはいえ、ロミオとジュリエットがお互い見初めたのは、とある屋敷で催された仮面舞踏会。エルベ広場では決してなかった。
市場では、赤・青・黄色の野菜や果物、店頭を飾る。といきたいところが、今は時期ではないんだそうで、屋台の一つも出ちゃいない。
イタリア人は無理をしてまで季節はずれの食材を食べよう、作ろうとはしない。いわゆるスローフードの国なのだ。
一瞬、「面倒くさいから?」と、その国民性を勘ぐるが、この点ばかりは、イタリア人に軍配あがる。日本人が忘れてしまった旬ならではの季節感、ここではまだまだ健在なのだ。
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広場を覆う白いパラソルの下の屋台には果物、野菜、花などが所狭しと並べられ、賑やかな市場が広がっています。ローマ時代にはフォロ・ロマーノと呼ばれ、市民が裁判や政治集会を行なった公共広場だったといいます。
中央には14世紀に造られた「ヴェローナのマドンナ」と呼ばれる愛らしい噴水があり、広場を取り囲む建物はいずれも中世からルネッサンス期にかけて建てられた豪壮な館や塔。 |
シニョーリ広場 |
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香港名物「ニセ物あるよ〜」という店が並んでいるかのような路地を、エルベ広場からすりぬけていくと、シニョーリ広場に出る。つまりは、この2つの広場、お隣さんなのである。
真っ青な空の下、広場中央の女神像の前に立ち、ぐるりとあたりを見回してみる。建物を眺めちゃ、あ〜、ルネッサンスやな〜♪ パラソルの下、バールでお茶する人を見ちゃ、あ〜、イタリアやな〜♪
ヨーロッパの大地を踏みしめている自分に感激。 VIVA ITALIA!
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ルネサンス期の建築物や、14世紀の邸宅を利用した県庁舎など、美しい建物に囲まれています。 |
アレーナ円形劇場 |
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円形闘技場といったらローマのコロッセオ。なんでヴェローナにコロッセオがあるんだか。一瞬、ワタシはローマにいるかと勘違い。
ここアレーナは今でもオペラが上演される。えっ、崩れかかったこんなボロっちいところで?古代ローマ遺跡というから仕方もないが、今度は逆に、温故知新の精神に感心しきり。「木の文化」と「石の文化」の違いだろうが、こうした例をジャポネーゼたるワタシは知らない。
オペラシーズンには、有名なオペラ歌手が毎回出演するという。今年のプログラムを紹介している立派な看板ながめるだけで、観た気、聴いた気になった。
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毎年7・8月のオペラシーズンになると野外オペラも行われる円形の劇場。
築造されたのは1世紀末、44段の階段席をもち、およそ25000人を収容できるその大きさは、古代ローマ時代に造られたものとしては最大の規模といえます。 |