イタリア紀行 Viva Italia
 ポンペイ観光に切替


ポンペイ Stay
03/04/21

Pompeii
ポンペイ
ポンペイ遺跡

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 石黒耀氏の話題作「死都日本」はベスビオ火山の噴火で始まる。ちょうど読み終えたところだったので、ポンペイ、この地が楽しみだった。
 ちなみに、ワタシはず〜っと昔、この先生ご夫妻と何度か一緒に旅行や飲み食いしたことがある。小学生の時分から、ダンナの悪ガキ仲間だったのだ。

 ミラノからローマまでは毎日晴天だったのに、ポンペイでは雨に降られる。足の痛みもピークに達し、踏んだり蹴ったり・・・
 できるわけないッしょ!

ピッツァ 観光地のレストラン、200人は大丈夫という広さ。イタリアまで来て5日目にして、はじめてのピッツァ。
 弥生時代、わが国にも銅鐸・銅矛文化圏があったがごとく、イタリアにもピッツァ・パスタ文化圏というのがあるのかも知れない。
 トマトとモッツァレラチーズにバジリコの葉が載ったピッツァ・マルゲリータだ。これがピッツァの基本だという。

 火山灰に埋もれて固まってしまった犬や人の姿を見たばかりだというのに、食事となると忘れてしまう。
一人一枚のピザ、その直径は20cmはあるだろう。しかし、生地がバリッと薄く、ワイン飲み飲みペロリといただく。
 その食欲に大阪のおじさん、唖然。「よかったら、私のもどうぞ」と差し出されたが、その頃、パンツのボタンは弾け飛びそう。
 もちろん、お昼がピザだけなんてことはなく、タコのマリネがついてくる。食はナポリと同じだ。いやいや、日本とおんなじだ。

ポンペイ遺跡

 発掘場所を全部まわるとなると、またもや時間がないのである。ガイドさんのあとを、ひたすら歩く。

 海の男たちが通ったという「娼婦の館」。一部屋、一部屋は狭く、おまけに石のベッドだよ。さぞかし、痛かったことだろう。
 壁には枕絵が飾られていて、新婚さんたち、うれし恥ずかし、うつむくが、おばさんたちは、背伸びして、ドレドレドレときたもんだ。

 お金持ちが集まったという浴場には、タイル貼りの長方形の浴槽がある。木枠でないのが残念なのだが、思わず一っ風呂といきたいところだ。床暖房の設備もあって、その豪華さがうかがえる。
 火山のふもとの町だもの、きっといい火山性温泉が湧いたはずだが、習い性とは恐ろしいもの。ふと、その泉質に思いを馳せる。

 足の痛いところを、ずいぶん歩かされた。同行の大柄の3人、大きなストライドでスイスイ歩き、ワタシはあとからビッコ引き引き全速力で追いかける。「おいおい、身障者を置いてくなよ〜!」
 国際的にも有名な遺跡なんだから、ハンディキャッパー優先は徹底しているはず。「車椅子を借りようか?」「そしたら、私たちも並ばずに済むしね〜」と、3人寄れば文殊の知恵。危うく話がまとまりかけた。
 残念ながらポンペイは古代の遺跡、バリアフリーじゃないんだね。至るところで段差が踊る。

はるか昔には人口16,000を数え、商業都市として繁栄したポンペイ。紀元79年のベスビオ火山の大噴火により、またたく間に火山灰の下に埋もれた悲劇の都です。
遺跡として発掘が始められたのは長い歳月を経た16世紀末。あまりにリアルに残された1900年前の人々の生活の様子には驚くばかり。発掘は現在も続いています。
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カンパーニア州>ナポリ県>ポンペイ市
緯度
 N.40.28(青森 N.40.49)
平均気温4月 度
降水量4月 mm
面積 km2
人口 3万人(留萌 2.9万人)
サッカーセリエA
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歴史 古代ローマ時代に商業都市として繁栄するも、79年、ヴェスーヴィオ火山の大噴火で火山灰の下に眠る。
ガイド 賑やかなナポリから20分、ポンペイ新市街の宿は静か。

ユネスコ世界遺産
ポンペイ、エルコラーノおよびトッレ・アヌンツィアータの遺跡(1997)