わたしの体



    十二指腸癌 ステージ3B

      退院後の生活記録



      --- 癌が見つかった経緯 ---

    2024/11/08 朝、血便が出たため驚き、かかりつけの医院に電話した。
  症状を話し、近くにある大学病院への紹介状をお願いした。
  11日、朝早く受付時間前であるが紹介状を受け取った。(うれしい、ありがとう)
    受け取ったその足、車で大学病院へ向かった。
    1Fで10年以上前に使用した診察券を見せると、大丈夫ですよ、新しくしますからと。
  消化器内科と紙に印刷された番号を受取、ファイルに紹介状を挟み込み
  2Fの受付に出した。
  受付の上部にはモニターがあり番号が表示されている。

  診察室で問診を受けその後、採血、CT撮影。
  2024/11/13 上部消化管を詳しく調べるため内視鏡による検査と組織の採取を
  した。
  2024/11/27 2週間後 胃がんの診断結果が出た。
   
   診断結果の会話内容を忘れないために I Cレコーダーに録音して良いかと聞いたら
  担当医は語気強く駄目だと。

  手術は地域医療連携の静岡がんセンターで行うこととし手続きをしてもらった。

 











  2024/11/29 大学病院で受け取ったデータを持ち静岡がんセンターに行く。
 胃外科での診療となつた
 ここでは、会話内容を忘れないために I Cレコーダーに録音することはOKである。
 胃外科での検査始まった。
 2024/12/06 通常内視鏡、エコー・下肢静脈
 2024/12/09 胸部から骨盤部CT(造影
 2024/12/13 胃十二指腸造影(バリウム
 これまでの検査から胃がんは無く肝胆膵外科にバトンされた。
 肝胆膵外科の担当医師からこれまでの検査から十二指腸癌と説明を受けた。

 入院、手術の日程打ち合わせ担当医師と行い
 2024/12/18 入院
 2024/12/20 手術 
 と決めた。

 入院した18日から絶食となり点滴水分の補給だけOKであった。
 手術後の事を考慮してい個室とした。

 
2024/12/18  8 F東病棟 個室


 手術室は3 Fにありそこで行う。

  2024/12/20 手術着に着替え午前8時30分からの手術に備え手術室に移動した。
  これから行う手術はどのようなものかと訪ねられ、覚えている手順等を答えたら
 すごいと質問者が感心していた。

 背骨に麻酔をするため−−麻酔が効いてからの記憶がない。
 目が覚めたら、GICUにいた。隔離された。
 手術は10時間ほどかかった。


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        隔離された経緯 私の考え

    手術中に、私の右の首に腫れがあり、これを結核ではないかと推定した。

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     右の首に腫れについては大学病院の耳鼻科で組織検査をし良性の
     腫瘍と診断が出ていたため、何を疑っているのかという思いがあった。
     隔離された理由を聞いていないためだ。

          数日たった後隔離部屋から入院した2024/12/18  8 F東病棟 個室
     に戻った。
     隔離されていた理由は分からないままだ 
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  腕には点滴、したまま 8 F東病棟を歩く。

       歩行訓練、呼吸訓練  日課のことだ。

  病室の移動打診があり静かな場所、個室へ移った。806。

 
  8 F東病棟 806個室



 

 2024/12/24 夕食に手作りのクリスマスカード すてきだ。

 2025/01/01 新年を病院で迎えた。
 
 2025/01/01 806窓ガラス越しの初日の出を見た


  点滴をしている時は辛い時間だ。
 

 病院は年末年始の休み中、体調が悪い。
 水便が続いていることを、やっと重く受け止めたのか、あれこれと体への対応、
 処置がされた。


 排液バッグ体から3本の管でつながっている
 



 排液バッグ 1個となった。
 

 日にちが過ぎこれも無くなった。嬉しい限りである。

 だが、食事が半分も食べられなくなり点滴の再開となってしまった。
 メニューを三食、食べられるパン食に変更した。
 これで半分以上の食欲を維持した。

 医師からはなにを食べてもいいよ、コンビニで買ってきたものでもいいよと。
 1Fコンビニがあるがインフルエンザの猛威の中人混みはごめんと思い一度も
 行かなかった。

 退院の日が決まった。2025/01/14に。


 退院日の最後の朝食
 

 取り除かれた名前 プレートだけとなった。
 


 退院するに当たり担当医師と話をする場が設けられた。
 
  病名 十二指腸癌 ステージ3B
 
      腹水は陰性を示していたが最終陽性となった。
   この話の場で私は初めて知った。
   がん細胞が散らばっていることを示す

   癌を取り切れたと思っていたこれまでの時間は何だっただろう。
   早く真実を伝えろと思った。全て運命だから。

   支払いを済ませ、NONE の助手席に座り自宅に向かった。
   久しぶりに見る景色であった
   自宅に到着。出かけたときと変わらない塗装改修工事の足場ネットが
   目に入る。
   10日後の通院をおもいスタートする。









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