03/05/23
温泉と銭湯の違いがよく分からないというメールをいただいたことがあります。
「触覚が一番頼りになるから、指先でこすり合わせてごらんなさいな」と、一言お返事差し上げたところ、よく分かりますと、ニコニコ顔。
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本名ダムの上流、只見川の川幅がようやく狭まってきたところに赤い鉄橋が架かる。R252を折れて、橋を渡ると湯の倉温泉。鶴亀荘ならすぐに見つかる。あと一つ、共同浴場があるはずなのだが、さて、ど〜こだ?
鶴亀荘から引湯パイプをたどっていくと、パイプの繋ぎ目から湯がもれている。もったいない症が顔をのぞかせ、早速、手にする。熱々のお湯を親指と人差し指でこすり合わせて確かめてみる。ぬめり感は、かなり強いが異臭なし。
化学物質の同定においては、視覚・嗅覚・味覚・触覚を働かせるのがその基本。お湯についてもこの原則は生きている。
共同浴場といっても、草津や野沢や蔵王のそれを想像すると、一生かけても見つからない。かろうじて公衆便所に見えないのは、プレハブ造りのおかげであろう。
玉梨八町温泉でも同じ造りの共同浴場であったところからすると、この造形は雪深い奥会津の冬の厳しさ物語る、いわば、グローバルスタンダードならぬ「奥会津スタンダード」なのだ。
外観だけなら、川沿いの木を10本ほど切り倒し、部落の若い衆が二日で造り上げた共同浴場ってところかな? 源泉湧出地はすぐ裏手なので、送湯距離は相当短い。
さっそく一風呂といきたいところが、ここは混浴。お湯を掛ける音と、おじさん達の笑い声が浴室からは漏れてくる。
一日の畑仕事の疲れを癒しに来るというのに、どこの誰だか分からない女性が闖入したときの、おじさん達の困惑の表情を頭に描くと、やはり気の毒。いやいや、目の毒、決して目の保養になんかならないんだから・・・。きっと、浴室は異様な沈黙に包まれること相違ない。
風呂上がり、川原の土手で山菜摘んで、つらっと帰る顔テカテカのバッ様が、「3時からは込むからね。もう少し早くおいで」と教えてくれた。それにしても、バッ様! 近頃はやりのスローライフの典型だね〜。時代の最先端を走っているが、大地にしっかり根を下ろしたところが頼もしい。
指先の感触が忘れられない。翌朝、再度挑戦することにした。
さすが、朝の10時ともなると、地元の方々も勤労にいそしんでいるとみえ、いや、朝風呂を済ませたらしく、人っ子一人いやしない。窓から差し込む朝日がすがしい。
湯色はワタシの苦手な茶褐色。成分表にはなかったが、やはり鉄臭さだけは否めない。新鮮なお湯と、溜め込んだお湯では、かくも違いが出てしまうのだ。温泉のきわめてデリケートな側面を痛感させられた瞬間。
湯溜めの木箱があるわけでもなく、まことに実直な湯船の造りに驚かされる。湯船を田んぼにたとえると、用水路から水を取り込むかたちで湯が注がれる。しかも、その用水路を流れるお湯の勢いたるや、泡立ちながら一直線に只見川へと向かっているのだ。泉温60度、取れたてのお湯なのに、そのほとんどが打ち捨てられる。何ともぜいたくなお湯遣いである。
でもって、湯温の調整は田んぼに切られた堰の開閉にておこなっている。堰の役目を果たすのが、いまや茶色く染まったタオル。おそらく、たったの一日でこうなるだろうが、何年ものかは聞いてみなくちゃ分からない。
もちろん、調子にのって、タオルを取り去り、熱々のお湯を湯船にどんどん導き入れる。浸かっていられないほど熱くなるのに、さして時間はかからない。まさしく、湯量の多さを実感できるひとときである。すっご〜い!
ところで、このお湯、元気のいいばかりが「売り」ではないのだ。含有成分が多いのだろう。打ち捨てられたお湯により、川原は真っ茶。
浴室内の掲示では、つらっと「塩化物泉」とだけ記されているが、金山町のHPによると「弱食塩重曹芒硝泉」となっている。だとすると、「Na-炭酸水素塩・硫酸塩・塩化物泉」という、何とも欲張りな濃いお湯なんだね〜。
いわゆるナトリウム泉ということなので、川原のドームも「石灰ドーム」とは敢えて呼ばないけれど、きっと、湯の沢温泉同様、カルシウムイオンも多く含まれているのだろう。
スローライフに根ざした「湯っ倉」温泉、興味の尽きないお湯である。
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