わがまま温泉日記 お風呂の科学

当世レジオネラ考
源泉かけ流しと循環

泉源から湯船まで
温泉法 vs 公衆浴場法


源泉かけ流しのお湯を塩素消毒
塩素消毒
論理命題

命題・我思う故に我あり
というのは観念論で有名なデカルトの命題。
・我あり故に我思う
という命題は唯物論というんだそうだ。

では、完全一致する命題といえば
命題・私は私である
実にエゴイスティックなようでいて、一面の真理を突いているかも知れないな。中島みゆきの歌に「かもめはかもめ」なんてのも。




人数が多いから塩素消毒?

しばらく、温泉とは離れていたので、随分、そちらの情報にも疎くなっている。
先日来、いろんな情報を集めてみるに、こりゃ、驚いた。

外界から人間様が持ち込むレジオネラ菌はお湯の中では増殖しないはずだから、湯船の中でのコロニー数は人数に比例すると考えてよい。
しかるに、バイオフィルムの中では幾何級数的に増殖が繰り返される。そして、事故の起きそうな施設でのコロニー数は指数レベルであることを忘れてはならない。

そもそも、源泉かけ流したるもの、換水率が高ければ、レジオネラ菌だってお湯と一緒に掛け流し。

 とうとう道後温泉本館にも塩素が投入されたやに聞く。道後温泉といえば有馬・白浜と並び立つわが国三大古湯の一つ。草津はどうだ、玉川は? ということになるのだろうが、如何せん、大和朝廷創世紀のその頃は、残念ながら蝦夷地であったにちがいない。なにしろ、ことの記述は奈良時代の日本書紀にあるというから。
 由緒正しき温泉に塩素が投入されたからといって騒ぐのではない。機械文明の進んだ当世だからこそ、こんな悩みも抱えてしまう。すなわち、温泉の浴槽内での利用法につき、大きく分けて次なる2種が厳然として存在するにも関わらず、双方に同じ処方で立ち向かおうという動きがあるのだ。

   掛け流し→
   ←循環

 あなたがゴクラクゴクラクと浸かっているお湯が、ひょっとしたらワタシにとってのクワバラクワバラなのである。しかし、ワタシがそれほどの源泉かけ流しオタクでないことくらい、次なる論理命題の展開からして明らかである。

    [命題] 温泉 ならば 源泉かけ流し
  [ 逆 ]源泉かけ流し ならば 温泉
  [ 裏 ]温泉でない ならば 源泉かけ流しではない
  [対偶]源泉かけ流しではない ならば 温泉ではない


 普通、命題が正しければ対偶も正しくなるはずなのだが、ワタシにとって、世俗的用語に従って経験的に正しいと思えるものは一つとしてない。すなわち、「温泉ならば源泉かけ流し」という命題にこそ問題があると言わざるを得ない矛盾をかかえているのだ。さもなくば、用語の定義が世間の常識とずれているとしか思えない。
 もちろん、論理的用法を無視するならば、逆もまた真であり、友人は機能的かつ近代的な浴場と、そこにあるシャワーを好み、ワタシもそれに異を唱えるつもりなど、さらさらないのだ。

 それはさておき、詳しくは、前の2編「当世レジオネラ考」と「源泉かけ流しと循環のハザマにて」なるページで、予備知識を仕込んでおいてね。 どうですか? お分かりいただけたでしょうか?
 毎日換水、毎日清掃、これ基本。バイオフィルム(生物膜)だって、循環構造では難しいけれど、掛け流し浴槽では簡単に清掃除去できる。つまり、清掃の手間と、その間の身入りを惜しむな! ということなんだね。だとすると、掛け流しの温泉に、塩素消毒は要らない。
 では、「掛け流しの霊泉寺温泉共同浴場にてレジオネラが検出されたのはなぜなんだ」と問詰されることだろう。足を運んだ方ならお分かりだろうが、タイル貼りの浴槽上縁部に、直径5ミリくらいの穴が開き、浴槽から流れ出したお湯が洗い場を温めてくれる造りになっているのだ。おそらくは、その穴にバイオフィルムが形成され、レジオネラが潜んでいたに違いない。長野の冬を温める、せっかくの凝った造りが災いをもたらしたということなんじゃないのかな。

 長野県は、レジオネラ対策の点においては対応素早く、先進県の一つに数えられることだろう。しかし、塩素投入せよとの条例は未だ成立していない。
 一方、道後温泉本館に対する塩素投入の実施は、愛媛県条例に基づく措置である。もちろん、愛媛県独自でかような基準を設けたわけでもなくて、厚生労働省のガイドラインに沿ったものとなっている。
 なぜ、そういうことになるのやら、毎度のことながら、うがった見方に傾くのは承知の上で、少し探ってみることにした。

法の網
公共の福祉

法律書なんぞ読んでみると学説あれこれ、かしましい。
・外在的制約説
・二元説
・内在的制約説


距離制限

経済的自由の侵害ということで、薬局・酒屋・銭湯と、憲法判断も多数なされているようだ。

A.消極目的規制
B.積極目的規制

と二分した上で憲法判断がなされるというのが単純な理解。銭湯のユニークなところといったら、AからBへとカテゴリーが移ったことだろう。
お風呂は時代を映す鏡なのだ。

 わが国は世界に冠たる法治国家を誇るだけに、許認可のあまりの多さに規制緩和の外圧すらかかるありさま。そして、許認可を得るということは、行政機関の指導監督に服さなくてはならないことを意味するが、補助金も貰ってないのにナゼじゃ〜という悲痛な叫びが聞こえて来るのも頷ける。
 憲法のあちらこちらに散りばめられた「公共の福祉」というのが、その根源。憲法25条2項によると、「公衆衛生」というのは、社会福祉国家としての憲法上の要請でもある。近所の銭湯、日帰り温泉施設、温泉旅館、あげくの果てはソープランドに至るまで、衛生上の観点から法の網がかかっているのだ。

適用法 分類 例示
公衆浴場法 普通公衆浴場 銭湯
特殊公衆浴場 日帰り温泉施設・ソープランド
旅館業法 (4分類) ○○旅館・××ホテル

 しかし、これらの施設が1本の法の枠に収まっているはずもなく、一応の分類なんていうのは成されてはいる。まずは、公衆浴場と、旅館の2つに大別できる。前者が公衆浴場法、後者が旅館業法の規制を受ける。公衆浴場は、さらに2つに枝分かれする。
 公衆浴場が2つに分類されたのにはワケがある。どこが違うか分かるよね。利用料金と、日常生活における必需性。戦後間もなく施行された公衆浴場法が対象としたのはもちろん銭湯。内風呂の少なかった時代背景もあり、公衆衛生の根幹をなす準公共施設であったのだ。
 そこで、銭湯が乱立しては競争激化による衛生環境の劣悪化が懸念され、距離制限がなされたという。つまりは、公衆浴場法たるもの、衛生基準を定めることはもちろんのこと、その経済的側面にもスポットが当てられていた。

温泉関連法令

 まずは、温泉に関する現行法令を調べ得る限りで調べてみると、次の通り数は少ない。もちろん、民法の分野では、信義則・公序良俗と並ぶ一般原則、なにしろ民法1条権利濫用にまつわる「宇奈月温泉事件」が判例として確固たる地位を占めてはいるが。

法令名 公布日 法令種別
温泉法 昭和23年7月10日 法律
温泉法施行令 昭和59年3月9日 政令
温泉法施行規則 昭和23年8月9日 環境省令
旅館業法 昭和23年07月12日 法律第138号
旅館業法施行令 昭和32年06月21日 政令第152号
旅館業法施行規則 昭和23年07月24日 厚生省令第28号
・旅館業の振興指針 昭和59年08月28日 厚生省告示第141号
公衆浴場法 昭和23年07月12日 法律第139号
公衆浴場法施行規則 昭和23年07月24日 厚生省令第27号
・公衆浴場入浴料金の統制額の指定等に関する省令 昭和32年09月12日 厚生省令第38号
・浴場業の振興指針 平成02年08月27日 厚生省告示第164号

 以上の法令、どこをどう読んだところで、「温泉に塩素を投入しなさい」なんてこと、これっぽっちも書いてはいない。ましてや、日本国憲法に「温泉」の文字を見つけることなど到底できない。ということは、法体系が命ずるところ、温泉に浸かるなんていう些細なことは、どんどん下位の法規に命令委任しておけばよいという認識でしかない。こりゃ、条例レベルにまで、下りていかなきゃならないな。
 ちょっと待てよ〜。レジオネラは感染症なのだから、疫学的見地からのアプローチだって、当然あってしかるべし。

●感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律 平成10年 法律第114号
・感染症の予防の総合的な推進を図るための基本的な指針 平成11年 厚生省告示第115号
レジオネラ症を予防するために必要な措置に関する技術上の指針 平成15年07月25日 厚生省告示第264号

 見つかったのはいいけれど、ここでもやはり、法律→告示のお決まりパターン。法律→告示→条例と、どんどん身近に下りてくるはず。そもそも、都道府県ごとに対応が異なるということは、やっぱり条例レベルの問題。さっそく、調べてみなくちゃならない。

条例
自由権の侵害

本来、自由であったはずの行為を法で縛るということは、人権の制約に直結しかねない。だからこそ、内容として謙抑的、形式として民主的な手続きを経なけりゃならない。
しかし、民主的な条例が行政機関の下位に位置するこの不思議。


条例の位置付け

これにも学説いろいろあるが、法令以下という点では一致している。しかし、法令の範囲をどう捉えるかで結果が変わる。
面白いのは、国家の法体系と地方の法体系は次元が異なり、上下の差なんてつけられないという説。
いろんな人がいるんだね〜。

 ワタシの暮らす地域には「ポイ捨て禁止条例」なるものがある。歩きタバコはしないから、全く無縁の条例だけど、唯一これ以外には馴染みの条例なんか知らないんだね。
 そもそも、個人の行動を制約したり、個々の施設に衛生基準を押しつける条例って一体何よ? というところから始めてみよう。

憲法 国家の最高法規
法律 国会による立法
政令 内閣の出す命令
省令 各省の出す命令
告示 各省の出す指針等
条例 地方議会による自主立法
訓令等 いわゆる通達

 条例というのが、地方議会がつくった自主的法規であることくらいはワタシだって知っている。だから、その地理的適用範囲は当該自治体に限られる。この限りではアメリカの州法と同じだ。しかし、その条例がわが国の法体系の上で、いかなる位置付けを得ているものやら分からない。調べてみると、右のような序列になっているみたい。

 条例は、ちゃんと憲法94条に確固たる地位を占めていた。「地方公共団体は・・・法律の範囲内で条例を制定することができる」。ということは、法律のすぐ下に位置付けられなくてはならないはずなのに、もっと下に位置しているのが不思議。
 同じく憲法92条には、こんなことも書いてある。「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は・・・法律でこれを定める」。この条文を受けて、定められた地方自治法14条1項には、「普通地方公共団体は・・・法令に違反しない限りにおいて・・・条例を制定することができる」とある。
 法令というのは「法律+命令」とのこと、命令とは行政機関の発する規律。ということで、あわれなことに、条例は政令や省令以下の格付けでしかない。連邦国家アメリカから乗り込んで来たマッカーサーの意図としては法律の次、ところが、地方自治法制定の折、内務官僚たちが自らの権限を手放すまいと、「法律」を「法令」と差し替え、こっそり条文に忍ばせたとか。 

問題の所在
参考文献

元厚生官僚 宮本政於氏による暴露本(講談社)
・お役所の掟
・お役所のご法度


違憲訴訟

憲法13条に基づいた幸福追求権の一つとして、有名なのが環境権やら知る権利。
源泉かけ流し温泉に浸かる権利などという新たな権利を、基本的人権として主張するなんてのは愚の骨頂。法律上の主張に事欠き、最後は憲法上の主張に至る。これって、窮地に陥ったとき、法廷で主張する最後の最後の手段だという。

何でもかんでも権利として主張すればよいものでもないらしい。

 温泉への塩素投入につき、法律上の規制はない。告示にはある。しかし、告示をもって、法的拘束力を備えた法規範と捉えてはならない。なぜなら、告示は一介の行政上の勧告にしか過ぎないのだから。
 たとえば、「源泉かけ流しのお湯においても、すべて一律塩素消毒されるべし」なんていう法律やら条例ができたとしよう。いくら公衆衛生目的のためとはいえ、合理的必要性もないのに、最小限度とはいえない手段でもって規制を行っているとあっては、それこそ、憲法22条・29条で保障された経済的自由権の侵害にだってつながりかねない。将来、もしも、源泉かけ流しのおかげで繁盛していた温泉施設が、条例により塩素消毒を義務付けられた結果、営業に深刻な打撃を受けたとすれば、さきほどの憲法上の論点が、きっと顔をのぞかせるはず。
 これで、お分かりいただけたかな〜? 優秀な頭脳を集めた中央官庁たるもの、憲法違反の疑義あるような強制なんぞは決してしない。あくまで、条例に任せるのである。地域住民の総意に委ねるのである。そして、自分は知らんぷり・・・。

 これで照準定まったでしょ。ワタシたち温泉ファンが見守るべきは、都道府県条例なんだね。そして、その矛先は、「公衆浴場の設置場所の配置及び衛生措置等の基準に関する条例」という長ったらしい名をもつ条例に向く。
 この条例、もともと、あった条例なのだが、平成15年の大臣告示を受けた形で改正が加えられていった模様。

レジオネラ症を予防するために必要な措置に関する技術上の指針 平成15年07月25日 厚生省告示第264号
公衆浴場法第3条第2項並びに旅館業法第4条第2項及び同法施行令第1条に基づく条例等にレジオネラ症発生防止対策を追加する際の指針について 平成14年10月29日 健康局長通達
●公衆浴場の設置場所の配置及び衛生措置等の基準に関する条例 都道府県議会
条例の評価基準
行政指導

法規が多少時代遅れになったにせよ、迅速な措置が取れるというのは行政指導に負うところが大。立法・司法の判断には時間がかかる。さらには、微に入り細を穿ったものとはなり難い。
その限りでは有用性も認めるが、行政指導が実質的な法規となってはかなわないな〜。
だって、行政処分ではないだけに、司法審査の対象にはならないのだからタチ悪い。
文書にせよ、口頭にせよ、「営業許可を取り消すぞ〜」と脅されりゃ、ヤクザだってビビッて帰る。

 それにしても、都道府県の各地において、塩素消毒に対する取り組み方の違いはどこに起因するのだろう。あれこれ、思いつくままに想像をめぐらせてはみたのだが、次の2点に集約されそう。

  ・厚生労働省の出先機関たる保健所による指導
  ・条例の規制内容

 ここでは、条例の内容をチェックしてみたいと思うが、その前に評価基準が必要だ。長さを測るには物差しが必要でしょ。
 そこで、右のグラフを見て欲しい。横軸がお湯の利用形態、すなわち形式面を捉えたもので、放流(掛け流し)式循環式に二分した。縦軸がお湯の実質面を捉えたもので、温泉その他のお湯にこれまた二分。さっそく、代表的な施設を記入してみた。塩素消毒があっても仕方がないなと思える施設はグレーの部分。

 では、いよいよ、この物差しを携えて条例チェックに出かけてみよう。条例で塩素消毒せよと読み取れる部分は、赤で塗るから注目してね。 

愛媛県条例
たわごと

形式面を見るだけでも、条文の出来の悪さは驚くばかり。こんなのが、まかり通っているのかね〜。
法整合性なんてこと、思いも及ばぬことらしい。あら探しをすれば、矛盾はたくさん見つかるだろう。
それより何より問題は、規制条項を追加的に増やしていくと、どんどん県民の自由の幅を狭めているのに気づかないのかな?
しかる後、例外規定で声の大きい議員の利権を守るというパターンに陥らざるを得ないことに気づかないのかな?
やはり、吏員たるもの、プライドもって、きちんとした条例原案を示すべきなのである。


条例の改廃請求

地方自治法74条に定めはあるが、有権者の50分の1もの署名を集めなくてはならない。

 ことの発端は、源泉かけ流しの道後温泉本館の湯に、塩素が投入されたというところにある。こんな動きが日本全国津々浦々にまで広がったのではたまらないから一気に関心が高まったんだろうね。でも、金田誠一議員のせっかくの質問(どこかで見かけたんだけど行方不明)だって、あまり要領を得たものとはいえなかったな〜。向こうもこっちも、どっちもどっち・・・。

公衆浴場設置等の基準等に関する条例(改正平成15年7月18日条例第46号)
第5条 公衆浴場の管理は、次に定めるところによらなければならない。
(13) 浴槽水は、塩素系薬剤を使用して消毒し、浴槽水中の遊離残留塩素濃度を頻繁に測定して、通常1リットル中0.2ミリグラム以上0.4ミリグラム以下とし、かつ、最大1リットル中1.0ミリグラムを超えないよう努めるとともに、当該測定結果を検査の日から3年間保存すること。ただし、浴槽水の性質その他の条件により塩素系薬剤が使用できない場合、浴槽水の水素イオン濃度指数(pH)が高くこの基準を適用することが不適切な場合又は他の消毒方法を使用する場合であつて、他の適切な衛生措置を講ずるときは、この限りでない。
(19) 回収槽(浴槽からあふれ出た湯水を配管により回収するための水槽をいう。以下同じ。)の湯水を浴用に供しないこと。ただし、回収槽の清掃及び消毒を頻繁に行うとともに、レジオネラ属菌その他の病原菌が繁殖しないよう回収槽内の湯水の塩素消毒等を行う場合は、この限りでない。


 第5条本文と組み合わせた上で13項(号?)を読むなら、「公衆浴場における浴槽水の管理には塩素系薬剤を用いなさい」というのが原則だ。但書で除外規定はついてはいるが、お湯の実質に配慮したものであって、放流式・循環式といった形式面への配慮はいささかもない。
 もっと驚いたのが19項但書だ。回収槽の湯水を再使用してよいことが謳われている。よもや、あのおぞましい循環システムのことではあるまいな。

 以上2点とも、別に愛媛県議会が悪いというワケでもない。お上の指示に素直に従っただけのこと。平成14年、「当世レジオネラ考」を書くにあたって、ワタシもこれと同じ文言を厚労省のお達しから得て、批判を込めて記事にまとめておいたのだから。

  ・循環ろ過装置
  ・オーバーフロー環水

東京都条例
条文の読みにくさ

法律の条文も憲法くらいならまだしも、行政法規ともなると、これほどの悪文がこの世にあろうかというくらい、無味乾燥な単語の数々が、又は・且つなどという接続詞により延々続く。
しかし、それも規制の網を場合分けをおこないながら慎重にかけていこうという趣旨。同情こそすれ、長いだの悪文だのと非難する気になれなくなるから不思議だね。
裏を返せば簡略すぎる条文は一網打尽法案なのかも知れないな。


都道府県条例

調べるには、
・都道府県名
・条例集 or 条規集
と打ち込んで、検索してみて下さいな。

 続いて、源泉かけながしとは、ほど遠い雰囲気をもつ東京都による規制はどうかな。さぞや塩素ブチ込み酷たらしいことになっているかに思いきや、あれれ〜! 源泉かけ流しのお湯を塩素消毒せよとはなってはいない。
 まずは、下記条文を静かに読んだ上で、愛媛県の条文と比べられたし。

公衆浴場の設置場所の配置及び衛生措置等の基準に関する条例 (改正平成15年条例五九)
第三条 法第三条第二項の規定による条例で定める措置の基準のうち、普通公衆浴場の営業者が講じなければならない措置の基準は、次のとおりとする。
・八の三 ろ過器等を使用して浴槽水を循環させるときは、次の措置を講じること。
・・ニ 浴槽水は、塩素系薬剤により消毒を行い、遊離残留塩素濃度が一リットルにつき〇・四ミリグラム以上になるように保つこと。ただし、これにより難い場合には、塩素系薬剤による消毒とその他の方法による消毒とを併用し、レジオネラ属菌が検出されない水質を維持すること。

 端的に言えば、放流式あるいは循環式という形式面からの場合分けをなしたところに尽きるのだ。すなわち、第3条8項の3「循環させるときは」と条件をつけ、それを受けた形で、同ニ号「塩素系薬剤」という規制をおこなう形になっている。

  塩素消毒 ∵レジオネラ ∵循環   (∵なぜなら)

という原因究明やら科学的因果関係の判断をも踏まえた上で条文作成、ここいらあたりが功を奏しているんだね。理由も分からず、ただ無定見にお上に従うだけじゃダメっていうこと。
 温泉ファンのみなさんも、地元の条例がどうなっているやら、調べてみると面白い。そして、未だ改正が済んでいないのだとしたら、ぜひとも東京方式を地域住民として支持して欲しいな。

環境省の動き
環境省

環境行政の歩み
1971 公害対策本部を発展的に解消し、総理府の外局として環境庁設置
2000 省庁再編により環境省となる

 温泉法はもとは厚生省の所管であった。なにしろ環境省なんてお役所自体、なかったのだから。そのせいか、条文上は、厚労省と随分きわどく重なる部分があるんだね。秘湯系、すなわち国立公園内に宿をとることの多いのワタシとしては、環境省にその管理を委ねたいところであるが、保健所のような出先機関を張り巡らしてはいないところに、それを望むのは無理っていうもの。
 でも、頑張ってよね! なんたって、温泉は地下水・水道水とは違うんだから。

第6回温泉の保護と利用に関する懇談会
 こんな議事録↑を見つけてしまったのだが、温泉が限りある資源といって、何でもかんでも再利用してよいものなんやら・・・。この感覚は環境省が政策として推し進めているリサイクル。らしくって笑えてしまう。

エピローグ

 ワタシが愛してやまない温泉が「マワシ・ヌルメ・ワカシ」なしの自噴温泉であることは、ホームページの基本姿勢として一貫、貫き通してきたポリシーでもある。せっかくの味わい深い温泉が塩素まみれになってはかなわない。厚労省のお役人のみならず、愛媛県議会の議員の皆さん、ひいてはそうした代表を選んだ県民に至るまで、温泉の「風味」というものをご存知なきやに思えてしまうのが悲しい。

 あえて「風味」というのを強調するのは、ことはただ、単に温泉分析表を彩る化学的数値の問題だけではないからだ。ホモ=サピエンスが、ネズミのような原始哺乳類の頃より引きずっている、嗅覚という原初的知覚器官の存在を無視しているところにあるからなのだ。嗅覚におけるデータを数値化できる指標はまだないという。アロマテラピーやらハーブティー、さらには癒しの温泉なんていうのが流行っているのは、高度に発達した機械文明社会に対する、深層意識よりさらに深奥にある原初形態への回帰を求める個体としての病理の表徴なのだと言えなくもない。
 だからこそ、温泉を単なるお湯と捉えるのではなく、「風味」を大切にしてもらいたいのだ。未だ秘湯と呼ばれる山奥各地に残る温泉の「風味」を守っていって欲しいだけ・・・。

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