寄稿 Contribution
主は水辺に立った −トリエント典礼について−
増田 洋
4. 日本で現在、トリエント・ミサにあずかれるか?
また、トリエント・ミサを知っている信徒が、心の中では思っても、「トリエント・ミサにあずかりたい。」という希望を出しにくい現実があります。なぜならば、当時、トリエント・ミサを毎日ささげていた司祭たちも、半世紀の間には忘れてしまった方も多く、仮に覚えておられたとしても体がついてゆかないケースは稀ではなく、すでにこの世を去られた神父様方も少なくありません。また、公会議後に叙階された司祭の多くは、神学生時代にトリエント・ミサについての教育を受けていないだけでなく、日本では公会議後のミサもラテン語でささげる必要はないという判断からか、ラテン語を必修科目からはずしてしまった時期もあったと聞きます。こういう状況の中では、単純、素朴な希望ではあっても、「ないものねだり」の「いやがらせ」とも受け取られかねません。
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