田中真紀子外相の立てこもり、自作辞令事件
田中真紀子外相は10月29日、11月1日に赤坂御苑で行われる「秋の園遊会」の日程や出席予定者について知らされなかったとして激怒。小町恭士官房長を呼び、川島裕前事務次官時代から対立している担当者の斎木昭隆課長の更迭を命じた。
さらに同日午後8時ごろ人事課任用班の部屋に移り、内側からカギをかけ、職員に「パソコン持ってきて辞令を打ちなさい」と人事課長更迭の書類作成を要求した。結局、10時前にあきらめて退庁した。
外相はその際、記者団に「みんなが組織防衛している。無責任体制だ」「官房長から『大臣の(園遊会の出席)枠はない』と言われた」などと語った。
官房長とのやりとりの影響で、外相は同日夕の国際緊急援助隊の感謝状授与式に40分遅刻した。
外相は翌30日の記者会見で、「(外務省の)組織防衛の温床は人事と会計」と、改めて斎木昭隆外務省人事課長の更迭の意向を強調した。席上、更迭は「事務次官と官房長の決裁がいると説明されている」として「(決裁の)書類をください。小町さん、お願いします」と、会見に同席した小町恭士官房長に書類提出を求めた。
その後、外相は、職員にパソコンで作らせた自作の辞令のコピーを秘書官経由で野上次官に渡した。 野上次官らは官邸を訪れ、福田康夫官房長官らと対応を協議、「書式不備」との理由で受理しないことを決めた。野上氏は、外相の自作辞令について「子ども銀行(のお札のよう)だ」と記者団に苦々しげに語った。
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園遊会出席を巡って
10月26日、外相は11月1日の天皇、皇后主催の「園遊会」への出席を斎木課長から打診された。外相によると、8月6日時点で外務省に、外務省分で14人(夫妻で28人)の出席者の枠があると、宮内庁から打診があったが、外相が知った10月26日には全員内定していた、という。外相は、調整のカヤの外に置かれたことを「お手盛り」と怒ったわけだ。
川島裕前事務次官時代に飯村豊前官房長と「反外相」ラインを築いた斎木課長に対して、外相は不信感を持ち再三交代を迫っていた。外相自ら当初は「円満関係」を強調していた野上次官に対しても、米テロ事件をきっかけに「外相外し」の省運営が目立っていただけに、不満がたまっていたようだ。
また、外相は米ニューヨークで開催する国連総会の出席にこだわる一方、11月9日からドーハで開く世界貿易機関(WTO)閣僚会議は「経済産業省の問題」と出席しない意向を10月30日の会見で表明しており、このことが自民党、外務省内で問題視されていた。[毎日新聞10月29日、30日]参照
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