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White elephant

Christmasの時期になると、苦い思い出に苛まれる。

子供の時のわがままなことばではあるが、母を深く傷つけてしまった。
子供ごころに覚えていた訳ではない。しばらく海馬の白質の奥に閉じ込められていた。
ある時期(とき)ふとこどもの頃の記憶が甦り、以来こころのわだかまりとして残っているからだ。

こどもはある意味正直だから、利己的で残虐だ。決して自己弁護しようと思っているのではない。無知なだけなのだ。悪気があるわけではないけど、配慮に欠けるだけなのだ。

幼稚園前後の頃だったように思う。
他の子と同様にChristmasを楽しみにしていた。Santa Clauseが来てpresentを運んでくれることを。
その頃は夕張という町に住んでいた。いまでは財政破綻の方が有名であるが、当時は斜陽ではあったが、まだ石炭の町だった。山奥の雪深い町だった。暖房は当然石炭ストーブ。雪は石炭の煤でいつも灰色だった。黒い雪(すす)が降ってくることもあった。鼻くそもいつも黒かった。

Santa Clauseが煙突から入ってくると知って、煤でサンタさんの真っ赤な衣装が真っ黒になるのではないかとか、火傷をしてしまうのではないかなどと心配していた。大丈夫、夜はストーブの火は消しておくから、お父さんに煙突のすす払いもしてもらいましょうという母の説明に納得していた。
昭和30-40年当時は白黒テレビや冷蔵庫が中流家庭のstatusであった。
うちではもう少しあとになって購入したように覚えてはいるが、決して裕福ではなかったこともこどもごころに覚えている。

Santa Clauseのpresentは自分の望んだものを届けてくれるのだと思っていた。
希望は「サンダーバードの秘密基地」。当時の子供にというより、親にとっては値段がはるものであったのかもしれない。
ひと月以上前から、楽しみにしていた。希望の絵を描いて毎日布団の下に潜り込ませておいた。12月26日の朝、母はSanta Clauseが寝ている間に来てくれたとおこしてくれた。
僕は「秘密基地」を探した。しかし、母が手にしているのは紙袋。
ずいぶん小さいなと思いつつ、あけると中から出てきたものはノートと鉛筆であった。僕はこんなものいらないと投げ出してしまった。
幼いながらも困惑した母の表情が脳裏に残っていた。
「せっかくサンタさんが持ってきてくれたものをそんなに粗末にするもんじゃあありません」と窘められたが、怒られたわけではなかった。哀しそうな声だった。投げ出して怒られるかもしれないと思っていたのに、怒られなかったという違和感があって、あとになってもこころに焼き付いていたのかもしれない。

その後、うちにはサンタさんは来るのだけれど、願いをかなえてくれるわけではないのだと思うようになり、大人になった。

子供ができて、Santa Clauseの気持ちがわかるようになったとき、はたと海馬に沈んでいた子供の記憶が解放された。ことの顛末を理解し呆然として涙が止まらなくなった。取り返しのつかないことをしてしまっていたのだと。あの時の母の気持ちは如何ばかりだったろうか?Presentを用意する時の気持ちはどうだったのだろうかと。
裕福ではなかったうちの経済事情をこどもが知る術はない。きっと、おかむらデパートのおもちゃ売り場で目にした「秘密基地」をほしいと言っていたのだろう。しかし、高価なおもちゃで、だめと窘められたはずだ。サンタさんなら夢をかなえてくれるのではという期待が膨らんでいて、その期待が裏切られた。子供だからしかたがないかもしれないが、なんという取り返しのつかないことをしてしまったのだろう。それ以来、良心の呵責に苛まれ続けている。

あれから40年以上たってから、あるときそのことを母に問うてみた。「そんなこともあったかねぇ、覚えていないよ」と。きっと覚えてはいたのだろう。でもきっと母の中でもそれは哀しすぎる出来事で、すでにこころの中で悲しい気持ちを昇華させて、そのことは心の奥に封印してしまっていたのだと思う。置き場所は覚えているが、蓋をあけるつもりはないのだと。それでもそのとき、あらためてこころから母に詫びた。子供の頃のこととはいえ、母のこころを傷つけてしまったに違いないことを。「こどもだから仕方がない。あの頃は食べていくだけで精一杯だったからねぇ」ということばがすべてを表していた。

先のことばは日本ではなじみが薄いが、欧米ではChristmasの時期に使われることがあるSeasonal wordsのひとつ(もしかしたらアメリカの富裕層だけかも)。無用の長物の意味である。
Christmas presentにWhite elephantをもらったら・・・、珍しいかもしれないが、もらっても手を余すという意味から、もらってうれしくないものをいうことらしい。
僕にとって文房具はある意味White elephantであった。
そして、大人になってことを知って、traumaとなり、いまだにこころに引きずっている。

Christmas treeも我が家には、飾られることはなかった。
子供ができて、我が家には僕の背丈ほどのChristmas treeを据えた。
見上げるようなChristmas tree、というのが僕の夢だったからだ。子供たちが大人になっても「大きなChristmas treeがうちにはあった」と覚えていられるように。

子供たちがSanta Clauseがわかるようになったときには、presentは開ける楽しみを持てるような大きな箱を用意した、子供が無邪気に包装を破くのを見ることがSanta Clauseの楽しみであった。

かようにいつしかChristmasは僕にとって大きなこころの傷を再認識する贖罪の季節になってしまったのだ。子供の頃に叶えられなかった期待や希望を、子供に対して、そして「こどもごころを持ったすべての人々」に少しでも楽しんでほしい。
そのために僕は毎年この時期にilluminationを飾るのだ。
僕自身のためにも。
こころの涙を汗に変えて。

 

 
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