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10期生off会(同窓会)報告

総合南東北病院消化器センター(福島県郡山市)内科科長 西野徳之(北海道10期)

 

 6月25日(土)東京のHotel Monterey銀座において10kisei MLのoff会(同窓会)が行われました。32名(対象者の31%)の参加者で盛大に執り行われました。10期生同窓会は1995年に開催されて以来2度目です。今回はその開催目的が我らの同期の出世頭をお祝いしようというものです。
 いま旬のクール・ビズスタイルから、きっちりとスーツにネクタイ、昔と変わらずラフなスタイルほぼ三分されましたが、さすがにサンダル姿はいませんでしたね。
 自治医科大学COE(循環器内科)教授 苅尾七臣君、長崎大学熱帯医学研究所教授 国井修君、自治医科大学地域医療学センター助教授 岡山雅信君、国際医療福祉病院心のケア科助教授 恩田浩一君の、就任記念祝賀会です。
 尾島君、土井君、竹川君、三枝君が幹事を勤めてくれました。土井君の司会で始まり、挨拶はMLのopinion leaderである尾崎君の指名が予定されていましたが、間に合わなかったので、一番年上?偉そう?に見える曳野君が指名されました。「僕もみなさんと同じだけしか年をとっていないのですが・・・」ああやはり昔の曳野君と変わっていない。
 「乾杯」のあと会食しながら、めいめい旧交を温めました。
 卒後19年経って・・・、みんなよく見ると学生の頃の面影があるけど、学生時代と比べると隔世の感を抱きます。時間の流れが人を変えてゆくのだなと。何がどう違うのかと考えて、頭(髪型)、体型、服装・・・そう見るとふむふむ。
 参加者の印象ですが、まだ、我々も年をとるといった実感はありませんが、確実に年をくっている年齢相応と思われるのが14名(43.8%)、ちょっと頭が薄くなった?3名(9.4%)、太った3名(9.4%)、一方ほとんど変わっていないまるでtime slipしたような人10名(31.2%)(国井、小林(裕)、恩田、三枝、土井、都倉、古屋、三由、村上、横山)。と書いても個人情報は侵害されないですよね。顔は男の履歴書、40過ぎたら顔は自分で作るものなどといわれますが、みんないい顔していたよ。
 そうこうしているうちに主賓のあいさつ。
 国井:「アフリカで仕事をすることが学生からの夢でした。近々、また海外での仕事に専念したい」と。学生の時の大学・県庁との軋轢から始まり、厚生省への出向、アメリカ留学、国際医療センター、東京大学、外務省、そして現職など様々な仕事の経験を紹介してくれて、国際協力に対する国井君の熱意が徐々に理解されました。いつまでも夢を持っている国井君は、輝いていていつまでも若く見えました。
 苅尾:北淡町の診療所で勤務していた頃の話から、アメリカに留学し、大学に帰ってからの仕事のことなどを話してくれました。今までの仕事の積み重ねから、今の仕事「家庭血圧測定の重要性」にたどりついた。教授になれたことは名誉だとは思うが、もともとそれを目指していたわけではないし、これからもひたすら自分の仕事をしてゆくだけと。そして最後に我々へのエールをくれました。「みんな謙遜しているけど、自治医大卒業生の臨床能力ってものすごく高いと思う。それぞれみんなの仕事も立場も違うけれど、与えられたみんなの立場で一生懸命頑張ること」それがあたりまえだけど一番大事だよね。教授になってもまだまだやりたい仕事がいっぱいあるという苅尾くんでした。
 国井君や苅尾君の話を聞いていると彼らのがんばりとその成果を自分が疑似体験したような気持ちになりました。でもきっとその成果をあげるまでには、お話にはないような苦労話が一杯あったのだろうな、そんなことを微塵も感じさせない二人にはあらためて脱帽です。
 岡山:「特別な仕事をしているわけではないが、大学にいるのでみんなのことを影ながら応援している」と謙遜はしてみせたものの「大学としてのidentityを出せるような仕事をしていきたい」と。「小児の感冒時のお風呂は入っていいの?」という研究論文は、やはり自治医大生じゃなきゃ出せないよね。「近頃は学生気質も変わってきている。未成年者は酒を飲まない。宴会では酒を強要しない。そのため、つぶれるのが上級生」なのだそうだ。研究と教育そして臨床とのバランスは難しいということですね。
 恩田:現在の仕事は「外来で、きれいな主婦のよろず相談所みたいな」ことをしているそうです。恩田君からそういうお話が出て、みんなちょっとびっくりしていました。以前小林(聡)君が恩田君のフランス留学が、なかなかできるものではない(ECFMGよりむずかしい?)とのコメントがありましたが、今回フレンチであいさつを一言。「このような会を開いていただいて光栄です」(尾崎君訳)と。

 みんなと話していて意外に思ったのが、出身県外で勤務している人が結構多いということ。僕も含めてですが、卒後移住者は17名(53.1%)、そのうち東方移動(栃木,埼玉、静岡など)が13名(76.5%)。勤務形態は開業が3名(9.4%)、勤務医は22名(68.8%)、大学勤務が7名(21.9%)。専門は内科8名、外科5名、公衆衛生・消化器・整形外科各3名、産婦人科・循環器各2名、地域医療・呼吸器内科・血液・耳鼻咽喉科各1名。
 「どうしてそこに移ったの」「どうしてその科を選んだの?」「今の病院は忙しい?」「やりがいはある?」「医者以外の仕事が多くない?」「収入はいい?」「家族は?」「子供は大きくなった?」「趣味はある?」「・・君は元気にしてる?」いろいろな会話がはずみ、みんなの人生や仕事にもいろいろなドラマがあったことが交わされました。
 尽きることのない会も、お店のtime limitで記念撮影へと促されました。今回多くの同期の元気な顔を見ることができ、そして活躍を耳にして、ちょっと元気をもらって若返ったような気持ちになれました。参加してよかったです。

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