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親にて想う

「生きる」ということを意識したことがあるだろうか?


 「生きる」ということを意識したことがあるだろうか?
 毎朝起き・食べ・元気に働けることは当り前すぎて、考えるどころか健康であることに感謝する事すら忘れてしまってはいないだろうか。
 しかし不思議なことに、こと子供のことになるとそんな当り前のことに心をときめかせ、素直な感動を覚えてしまう。五本の指を持ち、目鼻口があることで拍手拍手。息をし・笑い・怒り・泣き・食べ・遊ぶ。そんな我が子の一挙手一投足に、一喜一憂してしまうのだ。無心に未来に向かって生きているに過ぎないのだが。
 陽の光をいっぱいに浴び、一歳の子が体を左右に振りながら喜々として走り回る姿はとてもまぶしい。その笑顔は他の何にも代え難い宝である。転んでまぶたに涙をいっぱいため、それを親のせいだと言わんばかりに紅葉手をくらっても微塵も痛さを感じない。
 水平線に沈む夕日に向かい、自分の全体重をかけて親の手を引っ張り散歩する。小さなその手は親のひとさし指を握るのが精一杯。親は子の温かさをいとおしみ、子は親の温もりに安堵する。デ・ジャ・ブー。その姿は遠く記憶の奥底にある昔の自分の姿なのかもしれない。
 食卓では、わけの判ぬ言葉をプチプチつぶやきながら、母のスプーンにあくびよりも大きな口で頬張る。その姿には見ている方もついつい食欲をそそられてしまう。
 そして、静寂・・・闇。
 軽く「ほ」の字に口を開け、ふとんから落ちて大の字に寝ている。その寝顔は見て飽きることがない。キラリ汗ばんだ柔らかい肌にそっと頬をよせると、ほら・・何とも言えぬ心地よいあかちゃんのかおりがただようのだ。
「今日はどんな夢をみているのかな?」
 親は精一杯の思いやりと愛情を子に託すのだが、子はそれに気付いているのだろうか。そんなことを考えながら今日も一日が終わる。

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