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死ぬかと思った

飛行機事故と言えば、普通はDead or Alive。 実はそんな経験をしたことがある。

時は今から15年くらい前。場所は北海道最北端の稚内空港。 当時僕は利尻島国保中央病院院長をしていて、出張の時は飛行機を使っていた。 利尻―稚内はツインオッターの19人乗りの双発プロペラ機。 多くの島民は夏場は一日5便あるフェリーを使う。しかし、移動時間はフェリーが90分かかるのに対し、飛行機はわずか15分。余裕があればフェリーでも構わないが、急ぎの移動であれば、午前中に仕事をして午後から飛行機で移動というのが便利。飛行機は一日一便しかないのと、費用がフェリーと比較すると割高になるので、島民はあまり利用せず、おもにビジネスマンや観光客が利用する。 その日は搭乗者がわずかに3人、ほとんど貸し切り状態。僕以外の二人は親子で、子供は背格好からすると高校生ぐらいだが、発育に障害を持っているらしい。搭乗に興奮していたのか落ち着きがなく、待合室から叫び声を上げていた。搭乗後も大声を出しながら椅子から立ち上がろうとして、お母さんに「落ち着いて!落ち着いて」となだめられていた。「不穏」という言葉で置き換えができる状態であった。 この飛行機は機内も狭く、腰を折って歩かないと頭をぶつけるぐらい室内高も低い。椅子もまるでパイプ椅子だ。操縦席は引き戸のベニヤ板で仕切られるだけで、座席からコクピットが丸見え。僕が座ったのは主翼の後ろ側。親子はコクピットのすぐ後ろ。小さな飛行機では乗客の体重を確認して、機のバランスを維持しながら席が決められる。 パイロットは離陸前から子供の不穏をすごく気にして、後ろを見ていた。子供と言っても体は大人に近く、襲われると思ったのかもしれない。 なんとか無事に離陸し、水平飛行もあっという間に終わり、高度を下げて、眼下に宗谷海峡と稚内空港が見えて来た。Flightは大凡上昇5分、水平飛行5分、降下5分で、15分なんてアッという間。 滑走路を前方に見て、着陸態勢に入ったとき。またその子供が雄たけびをあげて立ち上がった。コックピットのすぐ後。引き戸はあいていて、パイロットが後ろを気にして何度も後ろを見ている。 「後ろは気にせず、着陸に集中してくれよ」子供よりパイロットのことを内心ハラハラしながら、見ていた。だんだん滑走路が近づいてくる。そのとき目に入ってくる景色がなんとなく変だなと気づいた。飛行機は滑走路の中心からずれているのだ。小さい飛行機は中央でなくてもいいのか?以前利用したときは中央に着陸したような気がするが。でも、滑走路は意外と広いし、パイロットなら多少ずれていても安全に着陸できるのだろう。空港ターミナルもマッチ箱からほとんど実物大にzoom upしてきた。まもなくランディングというそのとき、その子供がまた暴れだした! パイロットは動転したのか、後ろの乗客を気にして、そのはずみで?機は水平位のbalanceをくずしてしまった。すでに着陸寸前で修正する時間も再上昇のtouch and goもできる状態でもなく、そのままランディング。なんと斜め45度ぐらいの片輪で着陸してしまったのだ(実際にはたぶん30度ぐらいだろうが、気持ち的には・・・)。僕は曲芸飛行に乗りに来たんじゃない!でもそんなことを文句言っている暇もない。一寸先には死が待っている。自分が如何ともすることができない状況下で死を覚悟せよということほど恐ろしいことはない。もともと滑走路の端に着陸する予定で、ランディング。その位置で片輪着陸、座席からは窓越しに上から目線で滑走路そのものが見えている!「あっ主翼が接触する!!」。パイロットはすんでのところで態勢を立て直し、片輪のまますぐに操縦桿を切りなおして滑走路の中央へ戻そうと揺れ戻し。でも着陸してすぐではまだスピードが速い。こんどは反対側の空港ターミナルが迫ってくる。 このまま主翼が滑走路に接触して、バランスを崩し、機は横転して爆発・・・、もしくはターミナルに激突して炎上。そんな映画に出てくるような場面が頭の中をよぎってしまう。 手はがっちり椅子の取っ手を握り、足は硬直。ぶつかったときは頭を抱える準備。でも状況確認が必要なので、最後の瞬間まで目を開けていなければ! 空港ターミナルが接近してきてアドレナリンの上昇により、喉元で心臓が早鐘のように打っている。ぶつかって生き残るチャンスは?内側からドアは開けられるのか?加速度の方向が変わったと思ったら、今度は逆方向に蛇行、滑走路を斜めにover run!?すんでのところで、また切り返し。数度の切り返しの後蛇行は集束してゆく。速度が落ちてきて、安堵をもたらす振動があった。もう一方の車輪がgripを得たのだ。それでも、しばしの間、僕の早鐘はおさまらなかった。 気がつくと、いつの間にか子供はおとなしく着座していた。 パイロットは何事もなかったように駐機の作業を始めている。 「このやろう!一言くらい詫びをいれろよ」って、喉元まで出かかっている言葉はカラカラになった喉では声にならない。 飛行機が停止位置まで来て駐機した。後部のハッチが開くと、お母さんはすまなそうに、そそくさと子供を促して飛行機を後にした。僕はというと、しばらく放心状態で、起ち上がることができなかった。ようやく飛行機のタラップを降りて、空港のアスファルトに足をついたとき、膝がガクガクして、手すりにつかまらないと、くず折れる思いをした。と同時に生きていることの「奇跡」に神様に感謝したい気持になった。 そう、生きるということは実は奇跡によって支えられているのかもしれない。 済んでしまえば、そんなの笑い話でしょと済まされるかもしれない。 結局けがをしたわけでも、新聞沙汰になったわけでもなかったのだから。 でも人生の中で本当に死を覚悟する時ってそうはないと思う。いざっていう時は、家族に想いを遺すことは頭に浮かんでも、とてもじゃないけど書く暇はなかった。 あやうく滑走路が火葬路になるところだった。 今でも思い出すと背筋が凍る思いをする出来事であった。

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