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My Merry May with be 
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My Merry May with be


※注意※

 このページは、KIDの「My Merry May with be」をクリアした感想などを記述したものです。 ついでに、小説版などの「My Merry May」シリーズ関連作品の感想なども記述しています。
 関連作品も含め、同作品のネタばれが含まれていますので、同作品を未プレイの方は見ない方が幸せです。多分。
 と言っても、未プレイの方が読んでも、サッパリ妖精が飛び交うだけで面白くも何ともないでしょうから、 未プレイの方にお勧めの、本作品の紹介ページのご案内をさせていただきます。

Thrushさんの「My Merry May」レビューのページ

Thrushさんの「My Merry Maybe」レビューのページ

 私が、この作品(正確には、DC版「My Merry May」)に出会うきっかけとなったページです。正直言って、私の文章より100万倍ぐらい面白いです。 もし、このレビューを読んで、少しでもこの作品が「面白いんじゃなかろうか」と思ったら、ぜひプレイしてみてくださいませ。
 (2014/02/16追記)久しぶりに確認したところ、上記サイトが既に閉鎖されているらしい事が判りましたので、リンクを削除しました。


関連ニュース

My Merry May

My Merry Maybe

アペンドシナリオ

「with be」新シナリオ

My Merry Maybe connected with 43years ago...

My Merry May(小説版)

マイ・メリー・メイ アンソロジーコミック

My Merry May Believe

My Merry May I hope...

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 (2006/12/11追記)
 既にあちこちで報道もされていてご存じの方も多いと思いますが、 本作品の制作を行なった株式会社KIDが、2006年12月1日をもって自己破産申請を行ない、 事実上倒産しました。 最近コミック「My Merry May Believe」が連載・出版されたりして活性化の兆しがありましたし、また、シナリオを担当したQ'tronさんでは、 非公式ながら3作目の構想もあったようなのですが(ここの06/12/02参照)、 おそらく今後公式な作品として本作品の新作が見られる事は無いでしょう。 KIDの公式サイトは、2006/11/24の更新以降は、ユーザーによるブログと掲示板への書き込みが続いているものの、 公式なコメントやニュースリリースの類は一切掲載されていません。 噂によれば、掲載する暇も無いぐらい社員にも突然倒産が知らされ、サイトを更新する事もおろか、閉鎖する事さえ出来ない状態になってしまったようです。 おそらく、サイトをホスティングしている会社との契約が期限切れになるまで放置される事になるのでしょうが、何故か、トップページの右下、 「ONLINE SHOP Information」の一角に謎のメッセージが表示されていて、ここだけが更新されているようです。 現時点では、"Butch Cassidy and the Sundance Kid"、"Raindrops Keep Fallin' On My Head"(これは、洋画「明日に向かって撃て」とその主題歌「雨に濡れても」の原題) と表示されていますが、倒産直後は"The end but...We'll come bacK!"でした。 こちらはまあ判りますが、現在のは意味がよく判りません。「赤字という敵に包囲されて討ち死にした」という事なんでしょうか…?
 それはともかく、本作品を世に送り出してくれた一事をとっても、私としてはKIDに感謝したいです。本当にありがとうございました。 また、本作品をはじめとしてKIDが著作権を持っている様々な作品が今後どうなるのかは判りませんが、できれば幸せな形で世に出ればいいなあ、と思います (ゲームは販売店の買い取りらしいですので、少なくとも店頭在庫があるうちは入手可能だそうですが)。

 (2006/12/16追記)
 昨日(2006/12/15)の夕方頃から以降、KIDの公式サイトにアクセスできなくなってしまったようです。 「2ちゃんねる」の「My Merry May」シリーズのスレッドの書き込みによれば、20時の少し前にはもうアクセスできなくなっていたようです。 当然ながら、「My Merry May」等の作品毎のページも全てアクセスできなくなっており、ここでしか読めなかった「My Merry Maybe」のプレ小説等も消えてしまいました。 オフィスはとっくに閉鎖されていたようですが、ネット上からも公式なものが全て消えてしまうと、さすがに「本当に無くなってしまったんだなあ」と実感が湧いてきます。 本当に残念です。

 (2006/12/18追記)
 本日(2006/12/18)の昼間、KIDの公式サイトが復活していました。 ただ、トップページの右上にある「Memories Off #5 アンコール」の「早期予約キャンペーン実施中」に取り消し線が引かれていて、 「ご予約いただいた皆様ごめんなさい」と「コミックマーケット71」(つまり今年の冬コミですね)に出展・売り尽くしセールを開催する、との告知が追加されています。 「売り尽くしセール」って、デパートが閉店するんじゃないんだからという気はしますが、それにしても、まだ実働社員が居る事が驚きです。 先月(11月)末で全社員が解雇された、という噂でしたが、まだ残務処理を行なっている人が居る、という事でしょうか。 何にしても、これがKIDとしての最後の活動になるのでしょうね。

 (2007/03/06追記)
 すっかり更新が遅くなりましたが、去る2007年2月2日に、株式会社サイバーフロントが、 キッドの所有していた全てのコンテンツの権利等を取得した事を発表しました。キッドの公式サイトにも、同内容のリリースが掲載されています。 これにより、発表済み・未発表に関わらず、全てのゲームタイトルがサイバーフロントから発売される事になるようです。 現在のところは、「Memories Off #5 アンコール」と「12RIVEN」の2タイトルの発売予定が発表されているのみですが、 果たして今後どれだけの作品が日の目を見る事になるのでしょうか。 気になるのは、やはり、今までキッド作品を作ってきた人達が、今後どれだけ作品作りに関わる事になるのか、という点でしょう。 いくらタイトルやシステム、そしてブランド名が引き継がれたとしても、キャラクターデザインやシナリオ、音楽等が別の人の手になる物になってしまっては、 それはやはり全くの別作品としか見れないものになってしまうでしょう。 特に、既存作品のファンディスク的な位置づけとなる「Memories Off #5 アンコール」は、キッド倒産前にどこまで完成していたのかにもよりますが、 扱いが難しそうに思えます。新作の「12RIVEN」にしても、「Infinity」シリーズの流れを汲むものである以上、完全に毛色の異なるものには出来ないでしょうし。 今後の動向も要注意です。

 (2009/12/25追記)
 最近、「Memories Off」シリーズ等の旧KIDのゲームがPSPに移植されているようですが、遂に「My Merry May with be」も移植される事になったようです。 ゲーム関連サイトの発売予定に掲載されています(例えば「ファミ通.com」とか)し、Amazon等でも予約受付が始まっています。
 通常版と限定版とがあるようですが、いったいどんな内容になるのでしょうか。 PS2版の内容は全て入るとして、追加シナリオ等があるのかどうか、非常に気になります。 今のところ、メーカーのサイバーフロントのサイトには何も発表されていないみたいですが、続報が待ち遠しいですね。
 ただ、一つ問題なのは、私がPSPを持っていないという事です(爆)
 うーむ、どうしよう…。

 (2010/01/04追記)
 メーカーのサイバーフロントのサイト発売予定に掲載されました
 発売予定日は3月25日、通常版と限定版との二種類がある等、既出の情報と同じです。 それ以外の詳細はまだ不明ですが、限定版の特典や、ショップ特典等がどうなるのか、また、先にPSPに移植された「Infinity」シリーズ等のようにOP・EDの変更などがあるのかどうか、気になるところです。
 個人的には、シナリオ制作のQ'tronのサイトで掲載されていた4コマ漫画の「まいめりさん」とか、下にあるジャイブのサイトで2話だけ掲載された小説「My Merry May I hope...」の完成版とか、最初の発売時の予約特典として付いてきた設定集とかを付けてくれたら買いますが。 一方で、OP・EDが変わってたりしたら買わないかも。あれはもう、あのARCHIBOLDの歌以外は考えられませんし。


My Merry May

レゥAエンド
(2005/08/11作成)
 レゥと恋人になるエンディング。最終分岐は、シーン「くだらない嫉妬」で、「もちろん自分で話すよ」を選択する。
 最終シーンのタイトルに「絵本の終わりはハッピーエンド」とあるように、まさに「お姫様と王子様は末永く幸せに暮らしました」的なエンディング。 「My Merry May」全てのエンディングの中で、最もレゥが「満たされている」エンディングだと思う。 ただし、レゥと恭介とが、絵本の中のお姫様と王子様のように「末永く幸せに」となるのかどうかは判らない。 二人は、まだ恋人としての生活を始めたばかりであり、辛い事や悲しい事が幾つも起こるだろう。もしかしたら、恭介が心変わりする事だってあるかもしれない。 そういう時に、レゥが耐えられるのか、恭介がいない人生を生きる事ができるのか、他の人に愛情を寄せる事ができるのか。 様々な事が不確定であり、それはまた可能性の多さでもあり、レプリスであるレゥが「ヒト」として生きるという事でもある。 「ヒト」と「ヒト」とが、お互いを求めあい、共に生きる所に幸せの形がある。今はそれで充分であり、その先の事は、また別の物語である。
レゥBエンド
(2005/08/11作成)
 レゥが恭平・リースと共にアメリカに行ってしまうエンディング。最終分岐は、シーン「くだらない嫉妬」で、「それもお願いするよ」を選択する。
 「My Merry May」全てのエンディングの中で、最も恭介が孤独なエンディングだと思う。 最終シーンのタイトルは、「元通りの日々」。 そのタイトル通り、始まりの時点と何も変わらない生活が戻ってくる。そして、恭介は相変わらず呟いている…「何か面白い事ないかな」と。 ただ、その呟きは、当初ひとえや亮に向けられていた「何か面白い事ない?」という問い掛けとは異なり、もはやただの独り言でしかない。 レゥを起動させた事に伴う責任も、レゥの想いに対する思いやりも、レゥの最後の言葉を聞く事さえ放棄してしまった恭介には、もう何も残されていない。 それは、恭平の台詞にあったように、「若さ故の過ち」なのかもしれないが、ここまで恭介が孤独にならなければいけない程の罪だったのだろうか、とも思う。 せめて、亮だけでも残してやる事はできなかったのか、という気がする。
 ちなみに、恭平がレゥにアメリカ行きを告げた時の様子は、アペンドシナリオの「恭介の選択」で見る事ができる。
リースエンド
(2005/08/12作成)
 リースを選ぶエンディング。最終分岐は、シーン「完全なる模造品の虚構」で、「お願いしてみようかな」を選択する。
 「My Merry May」全てのエンディングの中で、最も厭な後味の残るエンディングだと思う。 レゥを捨て、リースを選んだ恭介。恭介が望んだものは、結局「ヒト」の不完全さとそれ故の心ではなく、 「レプリス」の完全で何もかもを受け入れてくれる(それこそキスであろうと何であろうと)作り物の愛だった。 その事を察したかのように、ひとえもたえさんも、このルートでは他のルートのようには恭介に近付いてこない。 それはおそらく、本作品をプレイする人が最も望まない結末であり、製作したスタッフ自身もその事は判っていたのだろうと思う。 だから、それを象徴するかのように、タイトルロールに流れる音楽は、他のヒロインのBエンドのものとは違い、より陰鬱である。 そして、リース編のイベントグラフィックに登場する恭介には「目」が描かれているのだろう。 「目」が描かれている事で、この恭介はプレイヤーの分身ではなく、別個の独立した人物として、客観的に捉えられるようになる。 そこに居るのは、もはや「ヒト」としての恭介ではない、とでも言いたいかのように、虚ろな、それこそ「レプリス」のような瞳をした何かである。
ひとえAエンド
(2005/08/12作成・2005/09/25修正)
 ひとえと恋人になっていこうとするエンディング。最終分岐は、シーン「チャレンジ⇔ムズムズ(×2)」で「ひとえ達のあとを追いかける」を選択する。 ただし、「Short cut」での「ひとえAルート分岐直後から」では、何故か、この選択直後からではなく、ひとえの告白と恭平との喧嘩が終わった後からになっている。 謎だ。
 「My Merry May」全てのエンディングの中で、最も「普通」のエンディング(シナリオ)だと思う。 それまで友人として付き合ってきた幼馴染みの女の子との関係が、ある出来事(本作品の場合は、レゥと恭平の登場)によって変化していき、やがて恋愛関係に発展する、 という話は、それこそ山のようにある訳であるが、本作品のそれが、そういう数多ある作品の中で平凡な話に終わっていないのは、やはり、 本作品全体に共通する、キャラクター達の「等身大」で、かつ「普通」に描かれている姿があるからだと思う。 「平凡な話」ではないのに「普通」というのも矛盾した話だが、結局、プレイヤーにも共通するそういう「普通さ」というのが、プレイヤーの心に響くのではないか、と思う。 ラストも、「恋人になる」ではなく、「恋人になっていこうとする」という形で終わっている事が、それまでの二人の関係がいかに強固なものであったのかを窺わせていて、 単純に、告白したから、キスをしたからそれでOK、では終わらせないという、製作者の誠実さが感じられて良い。
 ここで語られているのは、自分で考えて行動すること、自分に正直であること、そして他人を思いやること。 「ヒト」として、当たり前で「普通」のことを恭介が知る。それがこのエンディングの肝であると思う。 そして、何かあると意識を失うという恭介の「渡良瀬の家系の持病みたいなもの」の謎や、僅かに触れられた恭平の秘密の真相と、 この「最も普通の話」に仕掛けられた「最も残酷な運命」にプレイヤーが気付くのは、もう少し後の事になる。

(2005/09/25追記)
 積んであったDC版を使って再プレイをしていたら、突然浮かんできてしまった話があるので、書いてみた。 ちょっとアダルトタッチっぽいものになってしまったので、一応、そのつもりで。

浮かんでしまった何かはこちら(※注 一応18歳以上推奨)

ひとえBエンド
(2005/08/12作成)
 恭介がひとえに対する気持ちに気付かないままのエンディング。最終分岐は、シーン「チャレンジ⇔ムズムズ(×2)」で「ひとえ達を見送る」を選択する。
 「My Merry May」全てのエンディングの中で、最も曖昧なままで終わるエンディングだと思う。 ひとえは、失恋を乗り越えて一足先に成長してしまっている(恭介の気持ちにもおそらく気付いている)し、レゥでさえ恭介とひとえとの関係に嫉妬を覚えるようになったのに、 恭介だけは相変わらず。 それは、最終シーンのタイトル「6⇒?/1⇒1」からも明らかである。 この先、恭介・ひとえ・レゥの三人の関係がどう変化していくのか、それとも変化しないのか、全ては曖昧なまま終了する。 そして、それ故に、もしかしたらこれが彼等にとって「最も幸せなエンディング」なのかもしれない。 そう思うようになったのは、全てのエンディングを確認してからの事である。
もとみAエンド
(2005/08/12作成)
 もとみと恋人になるエンディング。最終分岐は、シーン「自己嫌悪」で「その前にどうしても話しておきたいことがある」を選択する。
 「My Merry May」全てのエンディングの中で、最も「修羅場」を味わえるエンディング(シナリオ)だと思う。 親友である亮の元彼女と、という辺りからして修羅場の匂いがプンプンしてくるが、亮ともとみとが別れる事になった理由というのが、 亮との関係に疲れたもとみが、行きずりの「顔も覚えていない」男と寝てしまったから、というのが、また容赦がない。 もとみは「汚された」と表現しているが、それが、決してレイプのような一方的な暴力によるものではなかった、という事は、その事を打ち明けられた亮が、 もとみの事を諦めてしまった事からも窺える。 途中から、薄々、二人が別れたのは亮がではなくもとみが浮気をしたからではないか、というのが台詞の端々から感じられるようになってはいるが、 それは、せいぜいが「もとみが恭介の優しさに絆されて心変わりした」ぐらいの事だと思っていた。 しかし、このぐらい容赦なくもとみを追い詰めなければ、結局は、亮と恭介との差がプレイヤーにも明確にならず、「親友の彼女を寝取った」という印象だけが強くなり、 同じエンディングを迎えても後味の悪さだけが残ったかもしれないと思う。
 また、このシナリオでも、ラストに提示された「最終手段」によって、恭介の謎に対する一つの可能性がプレイヤーに明確に示される。 それを理解した時、何故このシナリオで、恭介がああも積極的に亮ともとみとの関係に立ち入るような事をしていったのか、その理由が何となく判ってきた。 それは、恭介が「ヒト」として成長していくためには、どうしても必要な試練だったのだろう。
もとみBエンド
(2005/08/12作成)
 もとみと別れて恭介がアメリカに旅立つエンディング。最終分岐は、シーン「自己嫌悪」で「まず包み隠さずに真実を告げる」を選択する。
 「My Merry May」全てのエンディングの中で、最もよく判らないエンディング(シナリオ)だと思う。 もとみとはそれなりに関係を深める事ができたのは良かったが、結局太平洋を隔てた遠距離恋愛になってしまう訳だし、この先も続くかどうかは判らない。 恭介の体の事も、もとみAエンドの時のような明確な可能性が提示される事も無く、結局よく判らないまま終わってしまう。 レゥと一緒なのが良いと言えば良いが、それは、せっかくできたひとえやたえさんのような友人達とは別れる事になる訳だし、 レゥにとって本当に良い事なのかどうかもよく判らない。 ある意味、色々な事を「投げっぱなし」にしてしまったエンディングであるが、まあ「Bエンド」ならしょうがないか、という感じである。
たえAエンド
(2005/08/12作成)
 たえさんと恋人になるエンディング。最終分岐は、シーン「存在するための価値」で「レゥは大事な妹だ」を選択する。 ただし、この選択肢自体は、シーン「それがあなたの本心でしょうか?」で「そんなことありませんよ」を選択しないと出現せず、 自動的にBエンドに進んでしまう事になる。 この点、「ビジュアルファンブック」の記述「これを選ばないとそれ以降のたえルートに進むことができなくなってしまう」は間違いで、 正しくは、「これを選ばないとたえAエンドに進むことができなくなってしまう」である。
 「My Merry May」全てのエンディングの中で、最も安心できるエンディングだと思う。 ひとえAエンドやもとみAエンドでは、ある意味曖昧なままで終わったレゥの立場が、このシナリオでは明確に決着が着けられている。 レゥが「恭介の妹」という立場を受け入れる事、すなわち恭介に「失恋する」事があり、それでもレゥが生きていける事を明確に描いている事で得られる、 先の2つのシナリオには無い安心感。 レゥがレプリスである事、恭介がレゥを起動させた事、これらの事を全て知った上で、なお恭介もレゥも好きでいるたえさんに感じる安心感。 そして、プレイヤーにさえ明確にされていない「恭介の正体」を知った上で、それでも、恭介を求めてくれるたえさんに感じる安心感。 もう大丈夫、何も心配する事はない、という幸福感と充足感に満たされたエンディングであるが、それは後に、プレイヤーを襲う陥穽の深さをいや増す為だった、 という事に気付かされる。実に意地の悪い仕掛けである。
 ちなみに、PS2への移植の際に追加されたイベントグラフィックに、恭介の表情が描かれているもの(たえさんが恭介の頬にキスをする場面)があるが、 リースエンドの事を考えると、これはちょっと失敗なのではないか、という気がする。 一方で、その表情の差を敢えて見せる事で、リースエンドとこのエンディングとの差を際立たせるという目的があるのかも、とかも思ったりもする。奥が深い。
たえBエンド
(2005/08/12作成)
 たえさんとレゥと、どっちつかずのエンディング。最終分岐は、シーン「存在するための価値」で「なんなのだろう?」を選択する。
 「My Merry May」全てのエンディングの中で、最も穏やかなエンディングだと思う。 たえさんやレゥとの関係は、今までとあまり変わらないようでいて、それでも少しだけ確実に変化している。 何より、レゥが恭介以外の人間と「絆」を結べた事は無視できない。 それもまた、レゥが「ヒト」として生きていく上で必要な事なのだろう。 そう考えれば、「Bエンド」の中では、最も良いエンディングだったと思う。 ただし、さりげなく挿入された一つの台詞−「リースにレゥのふりをさせればそれも可能だぞ」−に、重大な意味が含まれていた事に気付いたのは、 次のシナリオを読了してからの事である。
みさおAエンド
(2005/08/12作成)
 みさおと恋人になるエンディングその1。最終分岐は、シーン「神への贖罪」で「ある可能性に行き着いた」を選択する。 「ビジュアルファンブック」によれば、このエンディングは、ひとえAエンド及びたえAエンドの両方を見ていないと、見る事ができないらしい。 私は、初めからこの順番で見ていったため、それが本当なのかどうかは判らない(何せ、この「ビジュアルファンブック」には、「びめお」な間違いが色々とあるので)が、 確かにそうしておく事に重大な意味がある…かもしれないと思う。 少なくとも、私はこの順番でシナリオを進めていったため、かなり「やられた!」と思ってしまった。製作者が、それを意図していたかどうかは判らないが。
 「My Merry May」全てのエンディングの中で、最も残酷なエンディングだと思う。 帰って来たレゥは、もう元のレゥではない。 レゥと同じような舌足らずな言葉遣い、レゥと同じような振舞いをしていたとしても、それはあのレゥではない。 それを理解して、なお恭介とみさおは、そのレプリスをレゥとして付き合っていかなければならない。 それは、恭介とみさおの罪であると同時に、恭平の罪であり、レプリスを生み出した渡良瀬と結城の一族が負うべき罪である。 「ヒト」は罪を犯すものであり、罪を犯した人は、一生その罪を背負って生きていかなければいけない。 罪を背負ってもなお生きていく、それが「ヒト」としての証というのであれば、これほど残酷な事はないだろう。 ラストシーンで、罪を背負った二人の後で、罪を持たないレプリスだけが無邪気に−本当に無邪気にしている。魂を、命を持たないものは、また罪をも持たない。 そう、よく「ヒト」がこう言うように−「物に罪はない」と。
 このエンディングが、ひとえAエンドとたえAエンドを見た後でしか見る事ができない、というのは、本当に意地悪というか何と言うか。 みさおが全ヒロイン中の最年少(「ヒト」では)で、たえさんが最年長、ひとえがその中間、という年齢設定にされているのも、この事と無関係ではないだろう。 そして気付くのである。一見、普通の幸せを手に入れたかに見える、ひとえAエンドやもとみAエンドはどうなのだ、と。 ひとえももとみも、レゥがレプリスである事を知らない。そして、レゥはまだ、たえAエンドの時のように、自己の立ち位置を確立していない。 あの「普通の幸せ」の後に、彼等をこのエンディングと同様の悲劇が襲わないとは、誰も断言できない。 その意味でも、このシナリオは、最も残酷なのである。
みさおBエンド
(2005/08/12作成)
 みさおと恋人になるエンディングその2。最終分岐は、シーン「神への贖罪」で「見当もつかなかった」を選択する。 また、ひとえAエンド及びたえAエンドのどちらかでも見ていない場合は、この選択肢自体が出現せず、自動的にBエンドに進むようだ。
 「My Merry May」全てのエンディングの中で、最も恐ろしいエンディングだと思う。 ラストシーンの空港でのテキストは、ほとんどみさおAエンドと同じである。特に、声に出して言っている台詞は全く同じ。 にも関わらず、これ程までに異なる結末を描く事ができるのか、という、その事実に恐ろしさを覚える。 このシナリオで、みさおは、おそらく自らの罪に気付いている。気付いていないのは、恭介だけなのだ。 そして、気付いていない、知らない故の無邪気さで、レゥとの再会を喜んでいる。そのレゥが、もはや魂のないレプリスである事を知らずに。 みさおAエンドを見た後では、その光景は美しく、そして恐ろしい。ちょうど、みさおAエンドでの恭介がそう感じていたように。 罪を知る事と知らない事とが、「ヒト」と「レプリス」とを分けるとしたら、このエンディングでの恭介は「ヒト」ではないのかもしれない。 そう考えれば、罪を背負いながらも、「ヒト」としてみさおと愛し合う事ができただけ、みさおAエンドの方が幸せなのだろうと思う。
みさおCエンド
(2005/08/12作成)
 みさおとレゥが和解したものの、恭介がみさおよりもレゥを選ぶエンディング。最終分岐は、シーン「レプリスの告白」で「レゥのそばにいる」を選択する。
 「My Merry May」全てのエンディングの中で、最も「びめお」なエンディングだと思う。 みさおとレゥとを秤にかけて、結局レゥを選んでしまった恭介。 その結果、レゥを死なせてしまうという最悪の罪を犯す事は避けられたかもしれないが、みさおの心には、更に大きな傷を負わせてしまった事になる。 その事自体は、両方共を得る事ができなかった以上仕方のない事であり、「ヒト」として当然の結果だとも言える。 そう考えると、しごくまっとうな結末ではないか、と思うのだが、最後の選択の直前までの、みさおとの交情の事を思うと、非常に後味が悪い。 みさおが、まだ13歳の少女である、という事を考えると尚更である。 何で、よりによって最年少(「ヒト」では)で、最もいたいけなヒロインにこういう役回りを与えるのか。つくづく、この作品の製作者は、意地が悪い。

My Merry Maybe

レゥAエンド
(2005/08/22作成)
 レゥと恋人になるエンディング。多分、全Aエンド中で、もっとも簡単に到達できるエンディングだと思う。殆どの選択肢で、一番上のを選んでいけばいいし (ただ、Aルートに分岐する重要な選択肢では、一番上のを選んではいけなかったりするが)。
 とにかく、訳の判らないうちに終わってしまう、という印象がある。 伏線というか、謎の殆どは明かされないままだし、そもそも、浩人が「共に背負う」と言った「レゥの罪」自体、全く何なのか判らないままだ。 なので、一応ハッピーエンドであるにも関わらず、あまり喜べない感じがする。
レゥBエンド
(2005/08/22作成)
 レゥを失うエンディング。多分、一番初めに到達できるエンディングだと思う。とりあえず、選択肢の一番上のを選んでいけば、このエンディングに到達するはずだから。
 という訳で、「レゥAエンド」が訳の判らないうちに幸せになる、というのであれば、これは、訳の判らないうちに不幸になるエンディングである。 正直言って、この作品において、この「レゥAエンド・Bエンド」の2本のシナリオの存在意義があまり感じられないように思う。 内容自体も、「My Merry May」のレゥのシナリオと(根本的な所では)やっている事が大して変わらないような気がするし。
 強いて言えば、レゥというキャラクターを良く知ってもらうと同時に、作品全体のボリューム感も掴んでもらう為、ぐらいではないだろうか。 ある意味、「My Merry May」未プレイ者お断り、な雰囲気があるこの作品で、唯一、未プレイ者向けのシナリオなのかもしれない。
由真Aエンド
(2005/08/22作成・2005/09/11修正)
 由真と恋人(?)になるエンディング。(?)付きなのは、あんまり「恋人」とかいう枠に嵌まらないような関係に思えたので。
 篠片由真というキャラは、ある意味、凄く「狙った」キャラに見える。 美人で、スタイルが良くて、明るい性格で、こちらから特にアプローチしなくても積極的に関わってくるし、スキンシップもお手のもの。 ウブな浩人をからかう事も、一度や二度ではない(一度は、それが行き過ぎてキスしてしまったりもするし)。 しかも、レゥもいるとは言え、同じ部屋で生活を共にするという、それこそ何があってもおかしくない状況に置かれる。ベタ過ぎる話である。
 にも関わらず「一線」(肉体的に、ではなく心理的に)を越えられないのは、ひとえに、由真が持つ秘密にある。 その秘密に対して、由真自身が前向きにならない限り、男としてはどうしようもない。 由真自身が、とても可愛らしい(見た目が、ではなく、その寂しがりやで不器用な所が、だ)女性であるだけに、尚更である。 こういう女性が、後向きになっている所を支えてやるのは、同年代の男としては、かなりしんどい話だと思う。 だから、「支えてやる」のではなく、前向きに生きようとする由真を「理解してあげる」というのが最も良いのだろう。 それは、単なる「恋人」や「夫婦」という枠に捕らわれない関係になる筈だ。
 現実の問題として、こういう状態で由真を受け入れる事ができるかどうか、と言われれば、かなり難しい。 今はまだ良いが、この先、由真のお腹が大きくなってきたり、実際に子供が産まれたりしたらどうなる事か。 ただ、その辺りの浩人の「覚悟」の強さが窺えるので、少なくとも、彼等に関しては心配する事はない、と思える。
 ちなみに、つわりというのは、早朝空腹時に症状が顕著に現れるらしい。確かに、由真が体調を崩していたのは、朝や夜中の、 一般的に腹が空いている時の事が多かったような気がする。 それに、アルコールはやはり控えた方が良いそうだし(由真が、体調不良を理由にビールを飲まない、という話が出てくるが、この時にある程度の自覚はあったという事か。 あるいは単に、「飲めない酒を無理して飲んで、気が付いたら男と寝ていた」というような過去の過ちを繰り返したくなかったからか)、 ホルモンの影響で情緒不安定にもなるそうだ(レゥを取り上げないで、と由真が喚く場面があるが、あれがそうなんだろう。 由真シナリオ以外のシナリオでも、結構浩人に噛みついたりしているのも、そのせいかもしれない。 知らなければ、単にヒステリックな女、としか見えないかもしれないが)。
 また、細かい話かもしれないが、「My Merry May」のもとみシナリオでも気になったのだが、今時のこういう話の場合、妊娠するとかしないとかよりも、 病気に感染していないかどうかの方が問題なんじゃないだろうか、と思う。 コンシューマ向けとは言え、CEROの「15歳以上対象」マークが付いている作品なんだから、その辺りまで踏み込んでも良かったような気がする。 と言うか、その問題を無視してこういう話をするのは、ちょっと無責任な感じがする。
由真Bエンド
(2005/08/22作成)
 由真もレゥも失うエンディング(由真は死んだわけではないが)。
 由真Aエンドを見てからこちらを見ると、ラストの急過ぎる展開に唖然とする。先のページでも書いたが、そこまでの、 Aルートとあまり印象が変わらないシナリオに比べて、ちょっとこの結末はないだろう、という気がする。 ただ、このエンディングは、不安定な状態のままでレゥを放置すればどういう悲劇を招くか、という事を示すのが目的に思える。 それが効いてくるのは、後で分岐可能になる穂乃香/ライカルートでの話である。
 ちなみに、このルートに入るには、単に由真の好感度が低ければ良いというわけではなく、レゥの好感度も低くないとダメのようだ。 レゥ/由真/みのりルートは、どうも、各ヒロイン別のルートに分岐するための選択肢というのが無くて、好感度の高低でどのルートに進むのかが決まるようだ。 特に、レゥと由真は、二人でセットになっている感じがあるので、両者の好感度を共に上げるのがやり易い。 だから、由真の好感度だけを低くしていても、レゥの好感度が高ければ、由真Bエンドに進むのではなく、レゥルートに行ってしまう。 この辺が判っていなかったので、なかなかこのエンディングに入れなかった。で、やっと見れたと思ったらこの惨劇である。勘弁して。
みのりAエンド
(2005/08/22作成)
 みのりと将来の約束をするエンディング。まあ、相手が13歳の中学一年生で、その上、教育実習生と生徒という立場であれば、これが精一杯だろう。
 肉親、それも愛してやまなかった人との死別、というのがどれほど辛いものか、また、その辛さや悲しみから立ち直る事がいかに大変か、というのは、程度の差はあっても、 誰にでも多少は経験がある事だけに、嘘が書けない。 そういう意味では、みのりやかつきの心情をしっかり押さえているこのシナリオは、自然に受け入れられる。 ただ、由真シナリオもそうだが、レゥ関係の謎がほぼ未解明のままなので、他のシナリオと比べると、「普通の話」過ぎてやや能天気な印象を受ける。 まあ、「My Merry May」では、やはり13歳のみさおのシナリオが最も重いものだっただけに、やはりヒロイン中の最年少(「ヒト」では)であるみのりのこのシナリオは、 明るくて良かった。
 あと、「Short cut」の「みのり編Aエンド」が、シーン「少女はその価値を知り」から始まるのはおかしい気がする。 その一つ前の、「少女の姿を追って」から始めるのが正しいのではないだろうか。
みのりBエンド
(2005/08/22作成)
 みのりとレゥを失うエンディング(みのりは死んではいないが)。
 これも、由真Bエンド同様、ラストの急過ぎる展開に唖然とする。 最後に、サブに「あんたに裏切られて」と罵られるが、正直言って、そんな酷い事をしたか?という疑問だけが残るシナリオだった。 まあ、自分ではそんな酷い事はしていないのに、と思っても、相手にとってはそうではなかった、という事なのかもしれないが、 せめて、みのりを倉庫前で見失ってから保護されるまでの間に何があったのかも判らないのでは、何故これほど悲惨な結末になるのか、全く理解も納得もできない。 そういう点では、由真Bエンドよりさらに理不尽なエンディングだと思う。
リースAエンド
(2005/08/22作成)
 リースと恋人になるエンディング。この辺りから、どんどんこの作品のテーマに近付いていく話になってくる。
 「My Merry May」では、模範的なレプリス、つまり「心」が無いモノとして登場したリースに、何者かの手によって「心」が与えられた。 それも、かつてはレゥとして存在していた筈の体に、人格だけが新しく宿る、という形で。 この場合のポイントは、新しいリースという人格を、周囲の者達が受け入れる事ができるかどうか、新しいリースという人格が、 かつてレゥという別の人格が同じ体に宿っていた、という事実を受け入れる事ができるかどうか、そして、 かつて存在していたレゥという人格に対してどういう扱いをするか、という辺りだと思う。
 で、このシナリオでは、二つ目のポイントが重視されている感じがする。
 一つ目のポイントについては、由真やみのりについてはある程度キツい事もやっていて理解できるが、肝心の浩人が、結構すんなりと受け入れているような感じがして、 そこが少し緩い感じがする。 もう少し葛藤があっても良いような気がするが、好意的に解釈すれば、それだけリースという人格を尊重している証である、とも言える。
 三つ目のポイントについては、浩人が手を出せない所で、何者かの手によって消去されてしまう(実際には、消えたわけではなく、リースの体から出て行っただけだが)、 という、ある意味安易な方法で解決してしまっている。 まあ、シナリオの性格上、あまりこのポイントに拘るのも良くないのかもしれないが。
 さて、そのようなポイントを押さえた上で、このAルートでは、リースが「ヒト」として生きる道を選択する物語となる。 みのりAルートで、渡良瀬が「レプリスと人間との違いは、生きる目的が初めから与えられているか、それとも生きていく中で自分で見つけるかだ」と言っている。 生きる目的が無くなる、すなわちマスターを失う事が、肉体の崩壊に直結してしまうレプリスにとっては、本来、「生きていく中で自分で見つける」事など不可能な話だ。 大体、人間にしても、何十年も生きてようやく生きる目的を見つける事ができるかどうか、という程度のものなのに、産まれてきて数日のリースにそれが可能な訳がない。 その上、いきなりマスター権の破棄までされて、唯一与えられていた生きる目的さえ奪われてしまったら、後は、破滅への道を一直線である。
 それを防いだのは、結局、リースが「誰かの為に生きたい」という事に「自分で」気付いたからに他ならない。 「心」を持ち、「自由」である限り、「自分で」考え、決定しなければならない、という責任がつきまとう。その責任を果たしたリースは、「ヒト」である。
 ただ、そこに至るまでの過程の描写が、やや不足している感じがするのは残念である。 その辺は、多分製作者も判っているのだろう。 浩人の、「それを愛と呼べば、安っぽいドラマのようになってしまうけど、それでも良かった」という、開き直りとも言い訳とも取れる台詞が、 それを端的に表わしているように思える。
 後、リース編での見所…と言うか、聴き所は、何と言っても、シーン「うれしくないの?」以降に登場するレゥの台詞である。 これまで、本当のレゥと付き合ってきた者としては、すぐに「これはレゥじゃない」と判る。 それは、言い回しが少し違う(自分の事を「わたし」と言う、とかの明らかな違いじゃなくて、もっと微妙な所で違う)とかいう以上に、 声音そのものがレゥとは僅かに、しかし明らかに異なるからだ。 だから、プレイしているこちらとしては、「それはレゥじゃないだろう、何でお前ら気付かんのだ」と思いながら、浩人や恭平達が何時気付くのか、 とやきもきしながら見守る事になる。 本当に凄いよ、松岡さん。
リースBエンド
(2005/08/23作成)
 リースと主従関係になるエンディング。
 リースが、「ヒト」として生きる道を選択したAエンドに対して、こちらは、「レプリス」に戻る道を選択する物語である。 生きる目的を自分では見つける事ができなかった(正確には、見つけるだけの時間が無かった)リースは、浩人に、マスター権の回復と、「心」の消去を願う。 生きる目的を、他人から与えてもらう事を選択したリースは、もう「ヒト」ではいられないからだ。「ヒト」ではないモノに、「心」は必要ない。
 ただ、それが果たして悲劇であったのか、と言えば、必ずしもそうではないと思う。 とにかく、リースは、生と死との選択を迫られた時に、生きる事を選択したのだから。 それが、例え誰かに仕え続ける事を宿命づけられた生であっても、浩人の傍で、リースは紛れもなく生きている。 「ヒト」のまま死ぬ事と、「ヒト」で無くなっても生き続ける事の、どちらがリースにとって幸せだったのか、それを他人が決める事はできない。 だから、浩人や恭平が悲しんでいる程には、この物語の結末は哀しいものではない、と思う。
 このシナリオで引っ掛かるのは、何者かによって与えられたリースの「心」を、リースに命令する事で消去してしまう、という点である。 「心」というものが、そんなに簡単に消去してしまえるような、ある意味「お手軽な」ものなのであれば、浩人達がこんなに悩む必要も無い気がする。 後の穂乃香シナリオでも気になったところなのだが、「My Merry Maybe」における「心」の扱いが、「My Merry May」に比べると、少し軽い気がするのが残念。
 ただ、逆に考えれば、リースの「心」は、消えてなどいないのかもしれない。 ちょうど、リースが、私はレゥである、と自己暗示をかけていたように、単に「私には心が無い」と思い込んでしまっただけだとしたら? その答を、その後の浩人達が見つけられるのかどうかは、永遠に謎である。
リースCエンド
(2005/08/23作成)
 リースを失うエンディング。
 という訳で、三つ目の選択肢となる、リースもレゥも居なくなってしまって、隠されていた「元の人格」が復活する物語である。 それは、浩人にとっては確かに悲劇なのかもしれないが、当のレプリスにとっては、本来の自分を取り戻せたわけだから、悲劇でも何でもなく、むしろ喜ばしい事である。 その事を素直に喜べないのは、浩人の利己心に過ぎない。 他人を思いやる事が──それが、例え見知らぬレプリスであったとしても──できない者には、幸せは訪れないのである。
鏡Aエンド
(2005/08/23作成)
 鏡と恋人になるエンディング。このシナリオでも、リースとレゥは居なくなってしまうが、広大な情報の海の中で生きている可能性が残っている。
 自分は何者なのか、と問い続けている水上鏡。 幼い頃に事故で右半身を失った鏡は、レプリスの体で補完された自分の体に負い目を感じてきた。 もし、自分に体を提供したレプリスに「心」が存在していたとしたら。 もし、自分の考えている事が、真に自分の「心」から出た事ではなく、レプリスのように、他の誰かから与えられたものだとしたら。 自分が自分である事を、どうやって証明すれば良いのか。
 それは、リース編におけるリースの悩みと似ている。 結局、その答を、他人との繋がりに求めた、という所も。 このシナリオは、鏡が自己を確立させる事によって、同時に、リース編のリースが「ヒト」である、という事をも証明する。 そんな意味があるように思う。
 あと、このエンディングの「Short cut」も、Aルートに確定した「マスターと自由」からではなく、もっと後の、「解決法とその実施」からになっている。 また、「鏡ルート」が、その「マスターと自由」からになっているが、このシーンでは、既にAルートに進む事が決まってしまっている。 Bルートでもこのシーンを通るが、このシーンに至る以前に、どちらのルートかは決まってしまっており、Aルートとは展開が異なる。 「Short cut」から入ると、Aルートの展開しか見る事ができない。 以降に出現する選択肢は、二択×2で、計四通りの選択方法があるが、そのうちのどれを選んでも、Aエンドにしか到達しない。 「Short cut」のリストで「18 鏡ルート」をポイントした時に表示されるテキストも何か違う(確か、シーン「彼女の居場所」に出てくるテキストの筈)し、 どうも設定ポイントを間違っているっぽい。
鏡Bエンド
(2005/08/23作成)
 鏡と別れるエンディング。
 このシナリオでは、浩人が鏡の秘密を知る事無く、町を離れてしまう。だから、鏡の最後の問い掛けの意味も判らない。
「レプリスに、心はあったほうがいいと思う?」
 レプリスに心はあるか、ではなく、あったほうがいいか。
 それは、事実を求めているのではない。単に、他人の意見を求めているだけだ。 それ故、肯定も否定もしなかった浩人に対して、鏡は「ありがとう」と言った。 どちらを答えられても、自分が人間なのかレプリスなのか判らない鏡は、もう生きてはいけなかったかもしれない。 この、リースに「心」がある、と信じていた男でさえ判らない問なのだ。自分が、その答をまだ見つけられないのも当然だ。 この時、鏡は、そう思って安心したのだろう。そして、多分、鏡はその答を一生探し続けるに違いない。 それが、例え徒労に終わったとしても、生きていく事には変わりはない。だとしたら、このエンディングもまた、鏡にとっては幸せな結末だったのではないか、という気がする。
穂乃香Aエンド
(2005/08/23作成・2005/08/28修正)
 穂乃香と二度目の恋に落ちるエンディング。この穂乃香編は、「My Merry May」と「My Merry Maybe」とを合わせて、唯一、 ヒロインがレプリスである事を知らないで恋に落ちるシナリオである。
 穂乃香がレプリスである、という事は、早い段階からプレイヤーには判るようになっている。 例えば、シーン「踊る会議」だったか、鏡が、一般的なレプリスのイメージを尋ねる場面がある。 そこに出てくるイメージは、そのまま、穂乃香のイメージに重なる。 また、清天町にもレプリスがいる、というような話が出てくる場面があった筈で、となれば、清天町在住のヒロイン(みのり、鏡、穂乃香)の誰かがレプリスである、 という想像が付く。 他にも、穂乃香が妙に力持ちである事とか、浩人に対して「あなた達」(これは、明らかに「あなた達人間」という意味であり、 「自分は人間ではない」と言っているのと同義である)と言う台詞がある事とか、色々あるので、特に注意していなくても気付くだろう。
 穂乃香は、レプリスである。その行動原理も、意思も、全てレプリスである事に起因している。 また、周囲の人達も、穂乃香をレプリスとして見ている。そうでなければ、穂乃香を「殺して」しまってまで、ライカを救おうとはしないだろう。 例え、それが穂乃香自身の意志であったとしても。
 だが、ここでは、周囲の人達は、穂乃香のする事を止めない。 それは、決して穂乃香を「物」として見ているからとか、「ヒト」より一段低いモノとして蔑ろにしているからではない。 穂乃香の意思も行動も、全ては、穂乃香が穂乃香として生きる為にあるからだ。その意思を否定してしまえば、穂乃香は生きる目的を失う。 生きる目的を失ったレプリスは、いずれにせよ、破滅するだけである。かつて、レゥやリースがそうなったように。 それ故、穂乃香のする事、いや、したい事を止める事ができない。
 穂乃香は、レプリスである。だから、例え肉体を失ってしまっても、バックアップした記憶を移植すれば、また復活する事ができる。 穂乃香自身にとって、その事はさして問題ではない。自分がレプリスである事を自覚している穂乃香には、それは当たり前の事なのだから。 そんな事では、穂乃香の自我は揺るがない。
 問題なのは、穂乃香を愛する人間の方だ。 穂乃香を「ヒト」として愛していたのであれば、復活した穂乃香を受け入れる事はできないだろう。 「ヒト」は、肉体が滅びれば復活する事は無いからだ。単に、記憶喪失になった恋人を愛し続ける、というのとは訳が違う。 だから、復活した穂乃香を愛する為には、穂乃香がレプリスである、という事を受け入れなければならない。
 レプリスを「ヒト」としてではなく、レプリスとして愛する。 「心」を持った「ヒト」を愛するのではなく、「心」を持った「レプリス」を愛する事。それが、このシナリオの肝だと思う。 そこには、今までのシナリオで描かれてきたものとは少し異なる、新しい「ヒト」と「レプリス」との関係がある。
 郷愁を誘う「CANDY HEART」のメロディと相まって、切なくなるほど心に沁みるシナリオである。 また、穂乃香だけではなく、穂乃香に「命」を貰い、レプリスとしての枷から解放されたライカにとっても、きっと未来は明るいだろう。 このシナリオは、レゥやリースという個人の、ではなく、「レプリス」という「種」全体の未来に希望を投げかけているように思う。
 ただ、それだけに残念なのは、このシナリオにおける「心」というものに対する扱いである。 「My Merry May」で、落雷事故によって偶然に生まれたレゥの「心」。 「My Merry Maybe」で、何者かの手によって与えられたリースの「心」。 どちらも、人間の手の届かない所で生み出されたものであり、それ故に、取り返しがつかないもの、かけがえのないものとしての価値があったと思う。 にも関わらず、このシナリオでは、それは玉村先生という人間の手によって作り出されてしまった。 もちろん、それがレゥやリースに宿っていた「心」と同じものかどうかは判らない。 「心」とは何か、という問いに対する答が明確でない以上、それはさしたる問題ではないのかもしれない。 しかし、玉村先生が穂乃香に「心」を与えた、という所が割とさらりと流されてしまった時、少し醒めてしまった事は確かである。
 あと、このシナリオから登場する第三の人格・ライカ。レゥともリースとも異なる、だが、どこか根底に同じものを持つライカを、見事に演じる松岡さんの名演が、 やはり聴き所である。やっぱり凄いよ、松岡さん。
穂乃香Bエンド
(2005/08/23作成)
 穂乃香と二度目の恋には落ちないエンディング。
 穂乃香を「レプリス」として愛するAエンドに対して、穂乃香を「ヒト」として愛するのがこのエンディングである。 だから、二度目の恋には落ちない。ひと度肉体を失った以上、例え復活しても、それはかつて愛した穂乃香ではないからだ。 最後に、浩人が、穂乃香との間に肉体的な繋がりを求めた事で、あるいは復活した穂乃香を拒絶した事で、それは確定してしまった。
 今まで、さんざん、レプリスを「ヒト」として愛する事でハッピーエンドを描いてきた所に、こういう結末を持ってくる辺り、本当に製作者は意地が悪い。 ただ、もし自分ならどうするだろう、どちらがより幸せと思えるだろう、と考えさせられるシナリオであった。
ライカAエンド
(2005/08/23作成・2005/08/25修正)
 「本当のレゥ」を取り戻すエンディング。「トゥルーエンド」と銘打たれているだけあって、今まで明かされなかった謎の殆どが明らかになる。
 と言っても、すっきりしない点は幾つか残る。 結局、「ライカ」(レゥの仮面としての「ライカ」ではなく、レゥの起動する前に、レゥの体に元々存在していた人格としての「ライカ」)とは何者だったのか。 その「ライカ」に降りかかった、緊急プログラムが発動するほどの危機とは何だったのか。 レゥ以外のレプリスの体内で、「偽りの恋物語」は今も繰り返されているのではないのか (と言うか、「My Merry May」のレゥAエンドが、その「偽りの恋物語」そのものなんじゃないのか、という気がしてしょうがないのだが。この不信感をどーしてくれる)。 所詮、「恭介」も「恭平」も、たった一体のレプリスを救ったに過ぎないのではないだろうか。 それが、果たして「贖罪」に値するのだろうか?
 ただ、「ヒト」にできる事は、所詮その程度なのかもしれない。
 目の前にいる、たった一人を救う事。草津かつきがそうしたように。穂乃香編での穂乃香のように。由真が自分の子供を産むと決めたように。 例えそれが叶わなくても、人との繋がりがある限り、「ヒト」は生きていける。祖父を亡くしたみのりも、レプリスの半身を受け継いだ鏡も。
 そして、ここに、レプリスとしての枷からも、渡良瀬家の因縁からも、そして「恭介」の呪縛からも解放された一人の少女がいる。愛する人に見守られて。 彼女は、間違いなく、幸福である。そう思う。
 そういう、物語としての良し悪しとは別に、やはり引っ掛かるのは、レゥに関する設定の部分である。 結局、「My Merry May」のレゥも、コピーさえきちんとできれば、新しい体に移る事が可能であり、穂乃香と本質的には変わりない存在、という事になる。 悲劇になったのは、恭介に会う前にレゥが失踪した事、それを取り繕うために偽物のレゥを恭介に送った事、そしてレゥが再発見されるまでに恭介が死んでしまった事。 これらの事が重なってしまった為である。 これは、「ヒト」の手の及ばない所で生まれたレゥ、それ故にかけがえのない存在であるはずのレゥが、「ヒト」の手に及ぶモノになってしまったような感じがして、 穂乃香編の時に感じたような、醒めた印象を受けてしまった。 ある意味、本当に、「心」や「魂」とは何なのか、肉体と切り離して考えられるものなのか、を考えさせられる物語である。
 ここでも、やはり聴き所は、レゥとライカとの間で揺り動く様を見事に演じきった、松岡さんの名演である。 リース編でのレゥもそうだが、台詞の言い回しの違いに頼る事無く、レゥとライカと、そしてレゥかライカか判らなくなった「彼女」と、 この三種類の声音の違いを演じ分けている。 絶対凄いよ、松岡さん。
ライカBエンド
(2005/08/23作成)
 レゥを失った浩人が、「ライカ」と共に生きる道を選択するエンディング。レゥは、43年間に渡る罪の記憶を背負って消えてしまう。
 これが、穂乃香編の「ライカ」と異なるのは、あちらは全てを知っているのに対して、こちらは何も知らない状態に置こうとしている事である。 それは、罪を知らないモノであり、「ヒト」にはなれないかもしれない。
 ただ、それでも、「ライカ」が生きていけるのであれば、それはやはり幸せな事なのかもしれない、と思う。
ライカCエンド
(2005/08/23作成)
 「ライカ」を失うエンディング。
 訳の判らないうちに不幸になる、という点では、レゥBエンドと同じ感じがする。 結局、最後の最後まで、「ライカ」が何者であったのかは判らず終いだった。 その答は、小説版「My Merry Maybe connected with 43years ago...」まで待たなければならない。困ったもんだ。

アペンドシナリオ

(2005/08/12作成)
 メニューの「Append story」から選択できる、全20本の追加シナリオ。 全て、DC版「My Merry May」の発売後に、公式サイトからダウンロードする事ができた(一部はサイト上で読むことができた)もので、当然ながら、 全て「My Merry May」のストーリーを基にしたものとなっている。 ダウンロードは、DC版でのみ行なう事ができ、PS2版ではディスクにあらかじめ収録されている。 結局、このようなダウンロードによる追加シナリオの配布、というサービスは、PS2では行なわれていないようであり、残念な点である。
 シナリオは、「My Merry May」のシナリオを担当したQ'tronが製作した、いわば「公式シナリオ」と、一般ユーザーから公募した中から採用された「公募シナリオ」の、 大きく2種類に別れる。
 「公式シナリオ」の方は、本編開始前の時点での各キャラクターのエピソードや、本編中のある場面・ある時点におけるエピソードを、 恭介以外のキャラの視点で見る形式のもの等で構成されていて、本編の補完といった意味合いが強い。「イベント用デモ」と、あと一本だけ例外があるが。 そのため、キャラをより深く知るとか、ストーリーの穴を埋めるとかというものであって、本編の内容に別の解釈を与えたりする事は無い。 一本だけ例外なのが「レプリスへの謝罪」で、これは、みさおエンド以外のシナリオでは絶交状態のまま終わってしまう、レゥとみさおとのその後を描いたシナリオである。 さすがに、これはフォローをしておく必要があると思ったのかもしれない。
 一方の「公募シナリオ」の方は、あるエンディングの後日談あり、「公式シナリオ」同様の別キャラ視点の物語あり、ギャグあり、妄想ありと、バラエティに富んでいる。 中には、「これはいくらなんでもやりすぎではなかろうか」と思うようなものもあるが、基本的には、同人誌と同じ二次創作物と思えば良い事である。
 ただ、「公募シナリオ」に共通しているのは、この作品に対して、皆、何らかの「救い」を求めているような所である。
 「公式シナリオ」でも作成された、レゥとみさおとのその後(ただしたえAエンド限定版)を描く「笑顔」。
 恭介とみさおとが、失われたレゥの魂と心を取り戻す事を決意する、みさおAエンド後を描いた「May the Road Rise」。
 失恋2人組が立ち直るまでを描く、もとみAエンド後の「仮面」。
 リースにも魂と心があったとしたら、何を考えるのかを描く、みさおシナリオのリース視点の物語「夢のかけら」。
 そして、もとみの「汚された」発言をとんでもない解釈で笑い飛ばした上に亮と縒りを戻させ、レゥとみさおとの仲をとんでもない方法で修復し、 ついでにひとえにとんでもない台詞を言わせるという問題作「ゴーストスピリッツ!」、等々。
 いずれにしても、作成した人達の、この本編の救いの無さ、あるいは製作者の意地悪に対して、少しでも何とかしたいという気持ちがこもっているような感じがする。 その分、キャラの性格付けや何やらに色々と無理があったりするが、それはそれ、これはこれとして楽しむのが吉だろう。


「with be」新シナリオ

Beginning〜五月の始まり〜
(2005/08/12作成・2005/08/18修正)
 「My Merry May」の開始直前、GW突入前日の、恭介・ひとえ・亮の様子を描いたシナリオ。恭介が、恭平に、そもそもの始まりとなるあのメールを送る所までが描かれる。 そこにあるのは、この後に訪れる大きな変化の事などまだ何も知らない、無垢な彼等の姿である。 その姿は、あまりにも幼く、「My Merry May」のラストシーンでの彼等のイメージとはあまりにも遠い。 それは、この「My Merry May」という作品が、彼等の成長を描いた物語である事を強く印象付けてくれる。
 ところで、このシナリオでは、恭介があのメールを送ったのは、GW突入前日の夜になる。 しかし、「My Merry May」本編では、メールを送ったのはGW突入の約三週間前のはずである。 この辺、何か食い違っているような気もしないでもないが、まあ、三週間前にも同様のメールを送っていた、という事にしておこう。
 あと、本シナリオを含む「with be」新シナリオには、全て本編と同様に音声が入っている (と言っても、これを書いている時点では、まだ三本目のシナリオはオープンされていないため、三本目にも音声が入っているかどうかは知らない。 入っていないわけはないと思うが)。 本編の台詞を流用している訳ではないから、今回用に新しく収録したのだろう。 「Append story」には音声は無いので、これはなかなか良い感じに聞こえる。
Metempsychosis〜輪廻〜
(2005/08/12作成・2005/08/18修正)
 「My Merry May」みさおシナリオ(Aエンド)での、レゥがアメリカに行ってまた戻ってくるまでの間のエピソード。シリーズ初(?)の、レゥ視点での物語になっている。
 結局、ボディの回復が叶わず、新しいボディに移しかえられたレゥ。 恭平に連れられ、懐かしい寮に帰って来たレゥは、だが、玄関先で恭介を待つみさおの姿を見て、突然恭平を振り切って失踪してしまう。 トラックの荷台に潜り込んで辿り着いた先は、海辺の小さな漁村・清天村。 そこで、親切な漁師達の世話になったレゥは、彼等の説得もあって、恭介とみさおに正面からぶつかるために、また、たえさんやひとえといった友人達に会う為に、 寮に帰る事を決意する。 しかしその時、レゥの体は高蛋白剤の摂取不足と、度重なる精神的ストレスにより、再び限界を迎えていた。 診療所に運び込まれたレゥは、所長の玉村の親切に絆されながらも、自らの最期を悟り、夜中に一人抜け出す。 そして、学校の校庭に生える巨木に寄り添いながら、恭介への想いをビデオレターとして遺そうとするのだった…。
 「ヒト」は、生と死の輪廻を繰り返す中で、解脱する事ができた者だけが輪廻の輪を抜けて仏に至る…らしい。 では、「レプリス」はどうなるのだろうか。新しいボディに心をそっくり移しかえる事が可能なら、それは永遠に輪廻転生が可能であるという事なのか。 しかし、それは「永遠の命」であると同時に、「永遠の苦しみ」でもある。レゥが、同じ過ちを繰り返してしまったように。
 だが、レゥはどうなのだろうか。生まれながらにバグを持ち、何者も予想できない形で生まれてしまった、唯一無二の存在であるレゥは? 彼女自身が繰り返し言っていたように、「レゥはレゥ」なのだ。彼女は、「レプリス」でも「ヒト」でもない。彼女の代わりはどこにもいない。 それは、「ヒト」とは何が違うのだろうか? レゥにとっての「生」と「死」とは何なんだろうか。レゥにとっての「解脱」とは何なんだろうか。 そして、彼女自身が問うように、レゥは「死んだら天国に行ける」のだろうか。彼女にとっては、「死」の概念さえ「ヒト」とは異なるかもしれないのに。
 その答は、このシナリオでは描かれていない。そもそも、その答があるのかどうかさえ判らない問題であるのだから。 いずれにせよ、レゥが逃げる事をやめた途端、その意思に反して彼女の体は活動を止めてしまった。 この後、再びレゥが恭介達の前に現れるまでに、何があったのかは、大きな謎である。
 また、このシナリオには、多少疑問点が残る。
 そもそも、レゥの視点で描かれたシナリオは初めてである(何しろ、レゥが漢字を喋っているし。モノローグの部分だけではあるが)ので、 多少の違和感があるのはやむを得ないと思う。
 その点を差し引いても、恭介を待つみさおの表情が、普通に恋人を待つ少女のそれなのは少し変な気がする。 この頃のみさおは、確かに毎日恭介の部屋に来て、一日中ゴロゴロしていた訳だが、それはあくまで、レゥが何時帰って来ても良いように、という事だった筈で、 とても「幸せな恋人」をやっているような気分では無かっただろう。 あの表情は、あくまでレゥの主観に過ぎない、という解釈もあるかもしれないが、それはそれで、また残酷な話である。
 そして、最も大きな違和感は、レゥの心までもが、新しいボディにそっくり移し換えられている、という所である。 レゥの「主観」がある、という事は、このシナリオにおけるレゥにも、自律した意思、心、魂がある、という事だ。 だが、それが可能なのであれば、そもそも、あのみさおAエンドやみさおBエンドは何だったのだろうか。 このシナリオのレゥと、あのエンディングに現れたレゥとは、どうやってみても繋がらないように思う。
 その答を探して、「My Merry Maybe」をプレイする事になりそうである。
 あと、みさおAエンドを初めてクリアしたあと、強制的にこのシナリオに突入してしまうのはちょっと注意が必要かも。 これ、どうやら新規プレイでこのシナリオを選択するのと同等なようで、その時点までのクイックセーブのデータが綺麗サッパリ消えてしまった。 「それはないんじゃないでしょうか」と、誰にともなく訴えてしまいそうになった。
Epilogue〜五月の終わり〜
(2005/08/18作成)
 「My Merry Maybe」ライカシナリオ(Aエンド)後の二人と、「My Merry May」みさおシナリオ(Aエンド)後の二人、そして、この二組の男女を繋ぐ恭平。 彼らの姿を描く、文字通りの後日談(“Epilogue”自体には「後日談」という意味は無いようだが、まあ良いよね。内容からすれば合っているだろうし。 でも、「後日談」を意味する“Sequel”にしなかったのは、本当に「これで最後」という事なんだろう)。 例によって、「My Merry Maybe」ライカAエンドを初めてクリアした時に自動的に開始され、その結果として、やはりクイックセーブのデータが全部消えてしまう。 勘弁して。
 あの、騒々しかった日々から一年(多分。みのりやサブが相変わらず居るから、長くても二年)余りが経過した五月の終わり、 内海に横たわる廃船の撤去作業が始まろうとしていた頃のこと。 清天中学校の見習い教師として働いている浩人の元に、渡良瀬から突然の電話が掛かってきた。 渡良瀬は、かつて恭介の身に何が起こったのかを浩人に語る。そして、恭介が浩人に望んでいる事を。 その、長い「始まりの物語」を聞き終えた浩人は、恭介への誓いを込めて、その腕の中に抱き締める。最愛の「彼女」を…。
 あの結末の後、恭介に、みさおに、そして恭平に、一体何が起こったのかが語られる。 そこにあるのは、哀しく、愛おしく、そして寂しい物語。 「限りなくヒトに近いモノ」に心を奪われ、執着し、そして罪を繰り返した者達の物語。 それを知って思う−それは「過去」の物語だ、と。そして願う−「今」生きている彼等には、幸福な未来が待っていますように、と。
 あー、きっとこれで最後なんだろーなー。もう、「彼等」に会う事は無いんだろーなー。終わったなー。
 いやもー、何かそんな感慨に浸ってしまうようなシナリオである  (これを書いている時点では、まだ残ってるエンディングがあるし、「マテリアルコレクション」も未読だし、小説版×2も読み返したいし、 終わっていないと言えば終わっていないのだが)。 エンディングに「BUG?」松岡由貴Ver.を持ってくるのも憎い。
 でも、一つだけ。これだけは言いたい。

みさおちゃん気付いてなかったのかよ!

 …何か、あのみさおシナリオのラストシーンの意味が、根底から覆されたような気がした…。 でも、あれは気付いていないとおかしいような気がしたんだけどなぁ…。何か読み違えたか?>自分。
 …と思って、早速読み直してみたけど(こういう時「Short cut」機能は便利)、あれはやっぱり気付いているとしか思えない。 恭介の主観だけでなく、みさおの台詞から見ても。 いや、公式シナリオで「気付いてなかった」事になってるんだから気付いてなかったんだろうけど…うーん。
(2005/08/19追記)
 「My Merry Maybe マテリアルコレクション」によると、戻ってくるレゥがあのレゥではないのではないか、という疑問は、二人とも抱いていた事になっている。 やはり、「気付いてなかった」というのは、ちょっと違和感がある。 せめてみさおのリアクションが、「まさか」ではなく「やはり」という形になっていれば良かったと思う。
 また、この「マテリアルコレクション」には、Q'tronの長井氏による、本シナリオと同じ、ライカAエンド後を描いた後日談が掲載されている。 これも、時期的にはほぼ一年後の話であるにも関わらず、廃船がとっくの昔に撤去されているとか、本シナリオとの矛盾点があるので、少し時間が空いた為か、 少し齟齬を来している感がある (他にも、静止衛星であるはずの「ラヴィータ」が高度200kmにある、とか(静止衛星は例外なく高度36,000kmの円軌道にある筈)の間違いがあったり。 スプートニク2号の件といい、長井氏は宇宙開発に関する知識は結構いい加減な気がする)。
 ちなみに、この「マテリアルコレクション」の後日談のラストの台詞 (これも、その「マテリアルコレクション」自体に、「My Merry Maybe」の時代のレプリスには生殖機能はない(性行為は可能)と書いてあるしなあ…)から、 何か浮かんでしまったので書いておく。つまらないかもしれないけど。

浮かんでしまった何かはこちら

(2005/08/20追記)
 その「浮かんでしまった何か」を言葉に直していくと、長井氏が、何故時系列の重なる、いわばパラレル・ワールド的な話を書いたのかが、少し理解出来たような気がする。 結局、「マテリアルコレクション」の話では、未だに「恭介」の影に捕らわれている浩人を、長井氏は、このシナリオで解放してやりたかったのかもしれない。 「マテリアルコレクション」の話でも、浩人は、「恭介」の事も含めてレゥとの関係を構築していこう、としている。 ただ、それはまだ自分の中での事である。 自分の中だけで決めた事を、いつまでも守り続けられる人は少ない。 だから、恭平から語られる、という形で、恭介の物語を浩人が聞き、「恭介」からの言葉を聞く事で、その決意に他者の裏付けを与える。 そうしなければ、この物語は完結しないし、レゥと浩人の新しい物語は始まらない、という事だったのかもしれない。

My Merry Maybe connected with 43years ago...

(2005/08/31作成・2005/09/03修正)
 これは、ゲームのシナリオではなく、ジャイブから刊行された小説版である。 小説版と言っても、ゲームのストーリーを小説化したものではなく、Q'tronの長井氏による、オリジナルの物語となっている。 サブタイトルの通り、「My Merry May」と「My Merry Maybe」との間の、「空白の43年間」に残る最大の謎──「ライカ」の正体と、 彼女を巡って引き起こされた「事件」──「My Merry Maybe」冒頭で校長先生から語られたタンカー爆発炎上事件の真相を描いた物語である。 サブタイトルからして「My Merry Maybe」のネタばれになっているし、 著者自身も後書きで「これからゲームをプレイしようと思っている場合、楽しさ七割減くらいになりますのでお気をつけ下さい」と書いているので、 普通は、ゲーム本編のプレイ後に読むのが無難だと思う。
 ただ、先に読んでしまった私の、個人的な感想を言えば、ゲーム本編の楽しさは、私にとっては一割も損なわれなかった。 それは、私がこの作品(ゲームの方)に感じている魅力が、謎の解明にあるのではないからだろう。 確かに、「My Merry Maybe」の物語が、「My Merry May」のどのエンディングの続きで、その間に何があったのか、という謎を、知らずにゲームをプレイした場合と、 知っててプレイした場合とでは、謎が明かされた時の衝撃の度合いは大きく異なるだろう。 しかし、私にとっては、その「一回限りの衝撃の大きさ」よりも、愛すべきキャラクター達と、そのキャラクター達の織りなす物語そのものの雰囲気の方が重要だからだ。 この辺、「with be」追加シナリオの「Metempsychosis〜輪廻〜」が「My Merry May」終了後にオープンされた事に対して、ネタばれだと批判する意見を見かけるが、 それも私にとっては全然問題無かった事と同じである。 むしろ、「空白の43年間」に何があったのか、「事件」とは何だったのかをあらかじめ知っている事で、「My Merry Maybe」の物語そのものに没入する事ができたように思う。 「恭平」達の長広舌もすんなり頭に入ってきたし。 そもそも、この小説を読んだからと言って、「My Merry Maybe」のラストがどうなるのかはさっぱり判らない訳だし。 それに、「空白の43年間」の存在自体についてならば、「My Merry Maybe」の冒頭から、この物語の時代設定が「My Merry May」の時代から少なくとも十年単位で経過している、 という事は判ってしまう(五月なのに蝉が鳴いていたり登場人物達の服装が完全に夏服だったり(=温暖化が進行している)、レプリスが完全に社会に認知されていたり、 鏡がレゥのOSのバージョンを見て「すごく古い」と言ってたり)為、特にネタばれと言える程のものでは無い訳だし。 まあ、そういう楽しみ方をしている人は少数派なのかもしれないが、個人的には、この小説をゲームのプレイ前に読んでいた事は、ほとんどマイナスにはならなかった。
 さて、ようやく明かされた「ライカ」なのであるが、この小説版の「ライカ」(仮に「小ライカ」とする)と、 「My Merry Maybe」の「ライカ」(仮に「beライカ」とする)との関係を考えると、またよく判らなくなってくる。 「beライカ」に記憶が全く無い、というのは、「小ライカ」が最後に記憶をリセットされたから、というのもあるだろうが、それにしても、両者の性格が違い過ぎる気がする。 それなりに「大人」な感じで、妖艶な雰囲気さえ持つ「小ライカ」と、どう見ても十代半ばの少女にしか思えない明朗快活な「beライカ」とは、全然イメージが違う。 それは、普通に起動され、普通のレプリスとして生まれた「小ライカ」と、イレギュラーな手順で起動され、おそらく「恭介」の介入も受けて、 自分がレプリスであるという認識も、マスターに仕えるという枷も持たない「beライカ」との違い、では済まないように見える。 まだ、「ライカルート」の「beライカ」ならば、あれはレゥが作り出した仮面としての人格であって、おそらくレゥがこうありたい、と望んだ人格である、 「小ライカ」は、単に、名前とOS、および肉体のデザインに残るだけで、「小ライカ」としての人格を構成するものは全て消滅している、という説明ができる。 しかし、「穂乃香ルート」の「beライカ」になると、途端に訳が判らなくなる。 「穂乃香ルート」の「beライカ」は、レゥの仮面としての人格、という位置づけではない筈だし、かといって、 「小ライカ」の人格が復元されたというには、先に述べたように、単に記憶が無いというだけでは済まないぐらい別人に見える。 まあ、この小説と繋がっているのは「ライカルート」だけで、他のルートはあくまでパラレル・ワールドと考えてしまえば簡単なのであるし、 もう一度「穂乃香ルート」をライカの起動時から読み直せば、整合性のある説明がされているのかもしれないが、この辺り、少々理解に困る点ではある。
(2005/09/03追記)
 今さらながら、某巨大掲示板の、「My Merry May」・「My Merry Maybe」関係の過去ログを読んでみたのであるが、「穂乃香ルート」の「beライカ」と、 「ライカルート」の「beライカ」とは、同じであるとする方が殆どだったように見えた。 確かに、両ルートの違いとなると、診療所に通って穂乃香に会うか、倉庫に行ってライカに会うか、ぐらいで、「beライカ」自身には何も変わりが無いような気がする。 ただ、そうなると、「穂乃香エンド」後の「beライカ」は、ずっとレゥが作り出した副人格のまま生きていく事になるのだが、それはそれで「アリ」なんだろうか?  悩む所である。
 あと、この「beライカ」の性格だが、あれは「My Merry May」のひとえの性格を参考にしたのではないか、という意見が、やはり過去ログにあって、 何か「なるほど」と思ってしまった。 根拠としては、「beライカ」の立ち絵で、手を体の前で組み合わせているポーズがあるが、あれが、ひとえの立ち絵にあったポーズと似ているから、という、 多少弱いものではあるが、何となく納得できるような気もする。
 もしこの説が正しいとすると、「穂乃香ルート」の「beライカ」も、必然的に、レゥが作り出した仮面(副人格)という事になる。 ひとえの性格や仕草を知っているのは、レゥ以外にはあり得ない。
 …いや、ちょっと待てよ。 それは「恭介」も知っている訳だから、「beライカ」起動時の介入でひとえの性格や仕草を挿入する事は可能だった訳だ。 「恭介」が知っている女性の中で、最も「恭介」に近しく、気が置けない間柄で、性格も言動も熟知していて、それ故に恋愛関係には発展しなかった (「みさおAエンド」では)ひとえをモデルにする事は、ある意味、「恭介」にとっては、レゥを自分の呪縛から解放するに相応しい、と考えたのかもしれない。 それはそれで、「恭介」の傲慢とも思える話ではあるが、「恭介」ならやりそうな気はする。
 あと、この小説で気になるのは、2075年にもなって、未だに認証システムを固定のIDとパスワードに頼っているのか、とか、 レプリスのソフトウェアの内部構造が現代のOS同様のディレクトリ構造になっているのか、とかの、技術的な細部の設定がちょっと適当な感じがする点である。 確かに、小説の本題から言えば瑣末な事だし、下手に凝った設定を作ってもその説明にページが割かれるだけかもしれないが、 こういう細部がしっかり練り込まれているかどうかは、作品世界に現実味があるかどうかに影響すると思う。 特に認証システムについては、現代でさえ、生体認証システムを標準搭載したPCが市販されているぐらいだし、もうちょっと何とかならないかな、と思う。
 と、気になる点はあるものの、死ぬ為に生み出されたレプリスと、彼女を切り刻むべき立場にありながら、そのレプリスに心を奪われた男との物語は、 「悲劇」とは単純に割り切れない温かさと愛情に満ちている。 今はただ、彼女が安らぎの中に在るように、と祈るだけである。


My Merry May

(2005/09/05作成)
 これも、ゲームのシナリオではなく、 エンターブレインのファミ通文庫から刊行された小説版である。 発行が、2002年7月という事で、「My Merry May」のDC版発売の、約3ヶ月後に出版された事になる。 著者の金巻朋子氏は、この作品を皮切りに、ゲームの小説版を何冊か著している。
 これは、上記の「My Merry Maybe」の小説版とは異なり、「My Merry May」ゲーム本編に忠実に小説化した作品となっている。 レゥAルートの展開が基本になっているが、そこに、みさおルートでのみさおとの絡みを挿入し、レゥとみさおとの和解まで盛り込んでいる点が大きく異なる。 また、随所に、レゥの視点が盛り込まれている点も異なる。 上の「Metempsychosis〜輪廻〜」の所で、「シリーズ初(?)の、レゥ視点での物語になっている」と書いたが、公開された順番から言えば、こちらの方が早い。 ゲーム中では見る事ができない、恭介のいない所でのレゥの言動や内面が描かれているのは、なかなか面白い。 特に、リースに対してレゥが嫉妬を覚えたりキツくあたる所など、彼女の心の成長と共に、純真無垢ではいられない「女」としての生々しさみたいなものも感じられる。 そういう場面を見ると、「大きくなってくれて、お父さんは嬉しいよ」みたいな気持ちになってしまうのが、このレゥというヒロインの特異な点かもしれない。
 で、まあ普通に読むと、普通の(とは言い難いかもしれないが)恋愛ものとして「結ばれてよかったね」で済む話なのであるが、 「My Merry Maybe」まで終わった後で読むと、やはりそれだけでは終わらない。 「My Merry Maybe」の「ライカAエンド」の所で、「レゥAエンドが『偽りの恋物語』そのものなんじゃないのか」と書いたが、この小説の方が、 その「偽りの恋物語」としては、より相応しい訳である。みさおとも、きちんと和解している訳だし。 という訳で、今となっては、懐かしいというよりは、どこか哀しみをもって見てしまうような感じになってしまった。
 ちなみに、この小説も、ゲームより先に読んでしまったのだが、何せ3年も前の事なので、内容は都合よく忘れていた。 つくづく、型通りの順番に沿っては楽しんでいないシリーズであるが、それでも面白さが損なわれていないと思うのは、余程このシリーズとの相性が良かったのだと思う。
 後、この小説の最大の謎は、表紙のイラストである。何で、よりによってもとみなんだろう?


マイ・メリー・メイ アンソロジーコミック

(2005/11/07作成)
 これは、エンターブレインから発売された短編集コミックである。 奥付によると、「2002年8月9日初刷発行」とあるので、上記の「My Merry May」小説版とほぼ同時期の発売という事になる。 コミック専門の本屋にも、古本屋にも既に見当たらなくなっていたので入手を諦めかけていたのだが、たまたまAmazonに在庫があるのを見つけたので入手する事ができた。
 執筆者は、以下の通り。

・コミック
 かんきりこ・いちみやひろし・橘朔夜・藤原俊一・森しんじ・さんしょううおこ・葉月かづひろ・相羽侑哉・猫都夏椅・鯖の猫缶・Malcolm.X・ハラオ
・イラスト
 輿水隆之(KID)・オダワラハコネ・卯月なんとか・小日向ななみ
・コミック&イラスト
 犬彦・刻田門大・OGAI
(表紙記載順・敬称略)

 …知らん人ばっかり、というのが、現物を見て初めて執筆者を知った時の第一印象だった。 まあこの業界も広いので、少し守備範囲が異なると、全然知らない人というのは幾らでもいるのだろうが、ここまで知らない名前ばかりが並んでいるとは。
 内容は、まあこんなもんかな、という感じ。 基本的に、本編のような、暗かったり重かったり鬱々としたりといったような話は無くて、ドタバタギャグ系の話が多いので、気楽に安心して読める。 一番笑えるのが4コマもの、というのも、いかにもな感じ。やはり、短編作品でギャグとなると、4コマもののキレ味の鋭さが勝るのかもしれない。 でも、一番ツボに入ったのは、ハラオ氏の「ハッピーエンド・その後」にある、 「最近何が起こってもビクリともしないひとえ様の順応性を崇め称えなさい」というひとえのセリフだったりする。
 あと、帯の謳い文句が「究極の“妹”像をいま、キミの手に!!」となっているが、それは違うだろう。某「妹姫」じゃないんだから。


My Merry May Believe

(2005/11/11作成・2005/12/03修正)
 これは、ジャイブの「月刊COMIC RUSH」の2005年11月号(2005/09/26発売)から連載が始まったコミックである。 同社のサイトに掲載されていた(第1話のみ掲載されていたが、現在はページごと無くなっている。一応、続きの予定はあるみたいなのだが… 現在は公開中。下記「My Merry May I hope...」参照のこと)Webノベルの挿絵も描いていた、 水島空彦氏が描いているものであるが、氏が何処から何処まで自分で作っているのかは、今一つ不明。 氏のサイト「ガッシュブルー」にある雑記を読むと、原作者という言葉が度々出てくるのだが、 これが「Believe」自体の原作者、という意味なのか、それとも単に「My Merry May」シリーズの作者、という意味なのかははっきりしない (と思う。見落としてるのかも)。
 粗筋は「My Merry May with be」の公式サイトの「Information」に載っている。 また、上記の「月刊COMIC RUSH」のページでも、その回の粗筋が読める。連載第一回の分では、始めの数ページをWeb上で読む事もできる。
 前の「テレビゲームについて」のページにも書いた通り、初めて粗筋を読んだ時は「えらい話になってるなあ」とか思ったものだが、 実際始まったものを読むと、結構面白くなりそう。 第2回では、医師になった穂乃香(玉村先生は亡くなったようだ)や、相変わらずの恭平も登場したし、 恭平の「茶番」という台詞からして裏にまた渡良瀬の一族が絡んでいるようだし、少しシリアスな感じになりそう。
 また、「My Merry Maybe」のどのエンディングの続きなんだろう、と思っていたのだが、第2回まで読んだ限りでは、「みのりA」の続きのような感じである。 上記の粗筋に付けられているイラストのレゥの容姿(ツインテール)と、みのりが浩人に迫った場面が回想として出てきた事とが、それを感じさせる。 だとすると、あえてトゥルーエンドである「ライカA」を外してきたのには、何か意味があるのだろうか。
 絵柄は、割と好みのタイプで、可愛いので好印象である。 水島氏は、普段は18禁作品を手掛けているようで、そのせいかどうか判らないが、多少アダルトタッチな雰囲気が漂っているのも、本シリーズらしくて良い。 雑記によると、氏は、連載にあたっては、ゲーム本編の必要最低限のシナリオしか目を通していなかったようで、連載開始後に改めて一通りプレイされたようだ。 「My Merry May」では、ひとえシナリオが気に入られたらしく、この辺りも何か趣味が合いそうで嬉しいところ。 もっとも、本作品にはひとえの出番は無いだろうが(あったらあったで、それも見てみたい気がするけど)。
 ちなみに、上記の雑記の、2005/10/29付と11/04付にあるイラストが可愛い。特に、「ほのか♥'''」のハートマークが凶悪。 「みのん≡♥≡」と、「り」の字を消してあるのも良い。
(2006/10/10追記)
 「RUSH」での連載が終了し、この10/07に単行本が2巻同時に発売された。連載を一部しか読めなかったので、結末はこの単行本で初めて知る事になった。
 結局、「Maybe」のレゥAエンドを基本に、みのりと穂乃香のルートのエピソードを少し混ぜたような形の後日談、という事でいいのだろうか。 元々が医療技術であったレプリスを「医療用レプリス」と言うのは何か変な感じもするが、意識不明の植物状態にある人間を回復させる為のもの、という事で、 正確には「治療専用レプリス」といった所か。
 レプリスには「生きる目的」が必要であり、通常は「マスターに仕える事」がそれにあたる。 マスターを失うか、あるいはマスターに必要とされなくなると、レプリスは「生きる目的」を無くす。 「生きる目的」を無くしたレプリスは、身体組織を維持できなくなって死んでしまう。
 この作品は、このレプリスの基本設定を、もう一度見つめなおしたものと言える。 マスターがいなくなってもレプリスが生きていけるのか、という問題には、「Maybe」において一応の結論は出されている。 要するに、他に「生きる目的」を見出す事であるが、マスターが一応精神としては生きているとか、誰かにとってかけがえのない存在になったとかではなく、 本作ではその「生きる目的」は結構曖昧である。 まあハーレムとは言わないが三角関係という事なので、どちらかと言えばむしろ精神的なストレスは溜まりそうな気もするのだが…。 この辺、「生きる目的」に対する解釈が少し緩いような気もするが、浩一が男性型である、という事が影響している、という捉え方もできるかもしれない。
 全体としては、絵柄は可愛らしいし、レゥや穂乃香達の「その後」が見られたのは良かったと思う。 そもそもの始まりである「浩人の事故」は何故起きたのか、とか(レゥの台詞からすると、二人の痴話喧嘩が原因のようではあるが…)、 既に出産して子供も小学校に入るぐらいになっている筈の篠片由真、清天町に居る筈の水上鏡、それにみのりに惚れてた筈のサブはどうしているのか、とか、 レプリスも人間同様に成長する筈なのにレゥは全然成長しているように見えないのは何故だ(いや、その方が可愛いのは確かだが)、とか、 疑問が残る点は幾つかあったものの、後日談の一つとしてはなかなか面白かった。 でも、あの「医療用レプリス」って、治療対象の人間が助かる度に崩壊してしまうかどうかを心配しなければいけないとしたら、滅多な事では使えないような気がする。 結局、今回限りになるんじゃなかろうか。
 さて、これで作者の人も少し余裕が出てくるだろうし、 マイメリーメイフェスティバルのページの更新が進む事を期待したい(<おい)。


My Merry May I hope...

(2005/11/18作成)
 これは、ジャイブのサイトで公開されているWeb小説である。 著者は青海樹氏、イラストは上記の「Believe」を描いている水島空彦氏。 著者の青海樹氏は、JIVE CHARACTER NOVELSの「メモリーズオフ2nd 白河ほたる編」なども執筆しているようだ。 数ヶ月前(8月頃?)に第一話が掲載されて以来、更新が止まっていたが、つい先日第二話が追加された。 上記ジャイブのトップページにある「更新案内」の「11/11」の所にあるリンクから行ける。 今は、トップページ右側の「PICKUP TOPICS」にもリンクがあるが、いつまで此処にあるかは判らない。 Web小説のページ自体も、第一話公開時とは異なるURL(現在はここ)になっている為、 トップページから辿るようにした方が良さそうである。
 内容としては、「My Merry May」のリースシナリオ(あるいはレゥシナリオA・Bのどちらか)を、リースの視点で描いたような形になっている。 リースが恭平と来日して、レゥの調子が悪い時に恭介とリースが一緒に過ごしている期間の話ではあるようだが、本編の状況だけを利用しているような感じで、 話の筋そのものは殆どオリジナルに近い。
 現時点ではまだ途中なので、この先どう展開するのか判らないが、第二話まで読んだ限りでは、リースの心情の描き方とかは割と面白いと思う。 ただ、心が動くのがちょっと簡単過ぎるような気がするし、リース以外のキャラの言動が本編とかなり異なるのには違和感を感じる。 これが、本編で描かれていない場面とか、後日談とかであれば、そんなに気にならない所なのだろうが。
 とりあえず、どのぐらい続くのかは判らないが、月一で追加されていくようなので、今後の展開に期待したい。
(2006/12/11追記)
 …などと思っていたのだが、結局第二話以降は更新される事もなく、いつの間にか掲載ページも無くなってしまい、復活する前にKIDが倒産してしまった。 第二話で終わりというには随分中途半端だったように思うので、一つの作品として評価する事ができない。 できれば、きちんとした形で世に出してほしいと思うが、おそらく今となってはそれは難しいだろう。残念な事である。


My Merry May with be スペシャルドラマCD

(2010/07/19作成)
 この3月に発売された、PSP版「My Merry May with be」限定版の同梱ドラマCDを今頃聴く。
 ドラマは、ひとえ様が学校紹介ビデオを撮る話。時期的には、「My Merry May」の共通ルート上の、恭平が来る少し前ぐらいのどこかという感じか。 そこにレゥとたえさんが絡むという事で、主な出演者が松岡由貴さん・木村まどかさん・黒河奈美さんというのは公式サイトにある通り。 他にも、学生や先生役で何人か出演しているようだが、出演者の紹介とかが何も無いので誰が出ているのかは判らない。
 第一印象では、レゥの演技がゲームより更に子供っぽくなってるような。 おまけに、またひとえ様に「処女」とか言わせてるし。正確には「処女作」だけど。 自分で書いた二次創作小説に「ひとえは機械オンチ」という話を出していたので、このドラマでひとえ様が機械に弱いという設定が出てきて嬉しい。 しかし、ひとえ様は映画に詳しかったのか?
 最後のオチはまあお約束というか、どっちらけというか。 「バグ」という言葉を入れているのがいかにもという感じでいる。やはりマイメリにバグはつきものだ。
 また、ビデオメールという話は「My Merry Maybe」に繋がってるネタのような気もする。 「百年後にも映像が残る」とかの台詞も、「My Merry Maybe」のストーリーを知っていると何か感慨深い。 しかしゴミ箱から拾ってきたパソコンをパソコン部に直させて使ってるとか、ひとえ様も結構酷い。 パソコンを強奪した某涼宮ハルヒよりはマシだが。
 とにかく、ひとえ様が主役なのは嬉しい。「むかあ」も出て良かった。 ひとえ様がたえさんに恋の相談をして紅茶を飲む、とかのシチュエーションも、自分の二次創作小説に使ったのと同じで嬉しい。
 また、もう一枚の同梱CDの「ヴォーカルコレクション」も、収録曲は公式サイトに書いてある通りだが、「BUG?」は、曲の後に「CANDY HEART」のギターソロと波の音が入っているバージョンで、今までのCDには無かった新しいバージョンのような。 少し得をしたような気がする。



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