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TV ANIMATION SERIES KANON
Um die Fernsehserie
Kanon
(Zeichentrickfilm)
もともと、「アニメについて」のページの、「感想・考察」に入れていたのですが、余りにも長くなったので分離しました。
長文を書くのは苦手な上(昔っから、読書感想文が書けなかった…)、思いついた事を日々追記していったため、かなりまとまりが無い文章になってしまいました。
そのうち、気が向いたら、全面的に書き直すかもしれません。多分、DVDの特典アニメが貰える頃にでも…。
ちなみに、"Fernsehserie"は「テレビシリーズ」を、"Zeichentrickfilm"は「アニメーション映画」を、それぞれ意味するドイツ語です。DVDシリーズでは、おそらく、タイトルの"Kanon"がドイツ語であるのに合わせたのか、横文字部分がドイツ語で書かれていたので、それに合わせてみました。
総合的には、事前の想像以上の出来であったと思います。
初めてキャラクター・デザインの画を見た時は、どうなることかとかなり心配していた(某所で「アゴ」とか言われてたし)のですが、概ね杞憂に終わりました。
ちなみに、ゲームの方は未完…と言うか、ほとんどやってません。パソコン用は、18禁版・全年齢対象版ともに未購入。
ドリームキャスト版は、動作確認の為に少しだけ(名雪が迎えに来るところまで)しかやっていません。PS2版も未購入。
元々のゲームは、シナリオ・音楽に定評がある作品でしたので、そちらの方面に問題は無かろう、と思っていましたが、これは予想通り。
ただ、シナリオには少し腑に落ちない点があったのですが、これは後述。
音楽は良いですね。サントラCDの1を買ったのですが、これが良い。作品のBGMとしてだけでなく、ただ聴いても良い。
実は、初めはサントラは買う予定ではなかったのですが、買わないと特典DVDを貰う為の応募ポイントが足りない事がわかったのと、DVDの2巻目に付いてきた収納BOXがサントラの初回版トールケース仕様(でも中身のブックレットは普通のジュエルケースサイズだった…)を入れれるようなでかいサイズだったので、割と慌てて買いに行ったのです。
しかしこの初回版、日本橋では、ソフマップもDISC PIERも無くて、とらのあなで1本だけ残っていたのを何とか購入。そのあと、ゲーマーズに寄ったら結構な数がありました。
これが予想以上に良かったので、買ったのは正解だったようです。
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(2002/05/21追記)
特典DVDの応募ポイント数を充足させるには、あと主題歌マキシシングルと、公認アンソロジーCDを揃える必要があります。
このアンソロジーCDですが、概ね、各ヒロインと祐一が出会う前までのエピソードを綴ったものになっていて、内容は割と気に入っています
(何となく、電撃文庫の小説「北へ。いつか出会うあなたに…」を彷彿とさせる構成です)。
ただ、各巻毎に一人のヒロインがクローズアップされているものの、各ヒロイン、さらにサブキャラ達のエピソードが平行して進んでいます。
そして、各巻のヒロイン以外のヒロインや、サブキャラ達も、ストーリに絡んできます。
これが、割り込みをかけるかの如く唐突に場面転換されるので、しっかりとキャラの声を掴んでいないと、訳がわからなくなりそうです。
「え? 今のは香里か?」「今『ごめんなさい』って言ったのは美汐?」「おいおい、いつ栞の部屋に場面が変わった?」って感じで、なかなか気が抜けません。
さしずめ、「ダメ絶対音感」((C)かってに改蔵)の養成ギプスとでも申しましょうか。女性声優限定ですが。
心配していたキャラクター・デザインも、始まってしまえばさほど気になりませんでした。見慣れたという事もあるでしょうが、基本的には、作画が割と丁寧だったのと、声優さんの上手な演技によるためではないかと思います。
まず、観ていて違和感を感じるような間の悪さがほとんどありませんでした。
特に第1話では、あゆと祐一の掛け合いや、子供の頃の名雪と祐一の喧嘩の場面のように、テンポの良いやり取りが観られて良かったです(名雪の「べにしょーが」づくしの攻撃が無茶苦茶可愛い)。
一方で、名雪の、のほほ〜んとしたところもきっちり表現されていて面白いです。
名雪がクラブに遅刻しそうになって「時間無いよぉ〜〜、時間無いのに〜、ど〜しよぉ〜〜」と、慌ててるんだかどうなんだか判らない事を言ってる場面は、もぉ大笑いです。
名雪役の國府田マリ子さんの演技が最高に良いです。
舞と魔物との闘いの場面のような派手なアクション、栞と祐一が公園でダンスを踊る場面なども良く出来てましたが、また一方で、ちょっとした細かい仕草も、ちゃんと良い動きをしています。
具体的には、やはり第1話で、祐一の引越し荷物から出てきたカチューシャを秋子さんがためつすがめつ見る時の女性らしい手の動かし方とか、あゆが祐一をコンビニに引っ張り込む時に自動ドアが開くのをちょっと止まって待つ時の動作のタイミングとか、栞が「秘密です」と1本指を口元にやる仕草とか、真琴が別れ際に名雪の頬に手を当てる所とか、例を挙げるときりが無いんですが、こういう日常的なちょっとした仕草や動きを、違和感なくやっている作品って結構少ないんですよね。
特にTVシリーズだと(最近だと、「コメットさん☆」の第1話・第2話ぐらいでしょうか)。
デフォルメされた派手なアクションになるか、あるいは動かないか、はたまた「普通そうは動かんだろー」とツッコミ入れたくなるような不自然な動きか。
こういうところまで丁寧に作ってあると、DVDなんかも買いたくなるんですよね。
シナリオというか、ストーリについては、何せゲームが未了なのでそちらとの比較ができないため、アニメ版だけの評価になりますが、概ね良くまとめていたと思います。
この手のゲームをアニメにする時、シナリオをどうするかは結構難しいと思います。
なにしろゲームでは、プレイヤーの選択によってストーリが分岐し、あるヒロインとエンディングを迎えたところでいったん終了してしまうわけですから。
これを、全ヒロインをカバーした上で、なおかつ1本の一貫したシリーズに構成するにはどうすればいいか、悩むでしょうね。
一つの選択肢としては、ヒロイン一人ずつのシナリオを完全に他と独立させてしまい、オムニバス形式にしてしまうこと。このパターンは、18禁作品に多いような気がします。
これをやると、主人公(たいていはゲームでプレイヤーの分身となる男キャラ)がただの浮気者か遊び人になってしまうため、ギャグかエロに走ってしまいがちになります。
「同級生」とか「下級生」の18禁シリーズがこのパターンでした。
もう一つが、ヒロインのうち誰か一人をメインにして、そのヒロインと主人公との関係を重点的に描き、他のヒロインと主人公との関係は浅くしておく、という方法
(あと、1〜2本のOVAだけにするのなら、メインヒロイン以外の話は作らないとか、「北へ。PURE SESSION」のように、ゲームのシナリオを離れて全く独立した作品にしてしまう、というのもあります。そう言えば、「With You」はどうなのかな?)。
「To Heart」や、この「Kanon」がこちらのパターンになります。
「To Heart」などは、さらに進めて、主役を浩之からメインヒロインのあかりにしてしまっています。
これは、あかりのモノローグがあるのに浩之のが無いこと、あかり主観の場面が浩之のそれより遥かに多いことなどからも明らかです。
また、監督がどこかのインタビュー記事で言っていた事ですが、あかりと浩之の関係を、単なる幼馴染や恋人ではなく、ほとんど夫婦であるかのように描いています。
だから、浩之が他の女の子に親切にしていてもあかりは慌てたりしないし、浩之も単なる親切心以上の気持ちを見せるのは、あかりに対してだけになっています。
まぁ、そのために、浩之はとんでもない朴念仁みたいになってますし、浩之に対して真剣に恋をしている子に対しては、かなり「酷い奴」になってますが。
ただ、あかりを主役とし、あかりと浩之の関係を完全に強固なものとしてしまうことで、第7話の浩之以外に惚れる姫川琴音の話や、第9話の保科智子とあかりの友情めいた関係を描く話のように、色々とバラエティに富んだシリーズにする事が可能になったのだと思います。
こちらも、ゲームの方はパソコン版は未購入、PS版は動作確認すらしていない状態ですので、ゲームと比較してどうこうは判らないのですが、少なくともTVアニメのシリーズとしては、その完成度の高い作画とあいまって、非常に良く出来た作品になったと思います
(ただ、LDやDVDのジャケットにある、「理想的な学園生活を存分にお楽しみ下さい」というキャッチフレーズは何とかして欲しいと思いますが…)。
さて、本題の「Kanon」の方ですが、こちらの主役は完全に祐一です。というか、あゆと祐一の2人が主役、と言っていいでしょう。
すなわちパターンに従えば、あゆと祐一がハッピーエンドで、他のヒロインはまぁお友達、ぐらいの関係で描かれるといった構成になるはずです。
実際、舞・栞・真琴の3人に関してはそういう感じになりました。
舞の場合は、佐祐理と並ぶ良き理解者、という立場です。舞の方からは、昔遊んだということもあり、祐一に対して友情以上の感情を抱いているようにも見えますが、何しろ佐祐理との友情の方が強固なため、祐一に対する感情は抑えて描く事ができます。
栞の場合は、祐一自身に「妹みたい」と言わせている通り、大事な妹分として描いています。つまり、祐一の方に恋愛感情は無いし、名雪にも、祐一に栞を元気づけるようにアドバイスをさせたりして、栞と祐一が恋愛関係には無い事を強調しています。栞の方からも、恋愛の対象というより「優しいお兄ちゃん」的な感じで、姉の香里への愛情の裏返しとして祐一に思慕の念を抱いている、という描き方です。こちらも、何せ香里との姉妹愛の方が強すぎますので、祐一と恋愛関係にする必然性がありません。
真琴は、何しろ正体が、祐一が昔飼っていた妖狐の生まれ変わり(でもないけど)ですから、恋愛感情自体ある事が不思議なくらいです。その代わり、水瀬家の家族として迎えられる事で家族の愛情を得ることになります。その象徴が、秋子さん・名雪・祐一と撮ったプリクラであり、それを携帯電話に貼っている秋子さんなわけです。また、美汐という理解者も存在します(美汐の出番が少ないのは非常に残念です。坂本真綾さんなのに…)。
さて、残るは名雪ですが、彼女の扱いは非常に難しいです(隠しとして佐祐理シナリオ等もあるそうですが、ここではそれは忘れます)。
ネット上で得た知識によれば、ゲームにおけるあゆと名雪のシナリオは、非常に関連性が強く、表と裏と言ってもいい内容だそうです。
上述したようにゲームの方は未了なので、以下はそれを前提とした内容です。前提が間違っていたらすみません。
名雪は、他のヒロインのような特異性を持っていないキャラです。
強いて言えば父親がいない事(第12話の彼女の科白からすると、幼い頃に死別しているらしい)ぐらいですが、それも、秋子さんという超強力なキャラクターが母親である事により、ほとんど問題視されていません。
舞のような超常の力も無いし、栞のように不治の病を抱えて明日をも知れないという訳でも無いし、真琴のように人外の者でも無い、ましてやあゆのような生霊でも無い。
現実的な面を見ても、水瀬家はごく普通の家庭で、経済的に困窮しているという事もなさそうです。
むしろ、祐一を居候させるぐらいですから、かなり余裕があるのでしょう。
秋子さんがどんな仕事をしているのかはわかりませんが(設定では、名雪や祐一も知らないらしい。いいのか、それで)、おそらく、名雪の父親がかなりの資産を残してくれていたのではないか、と思われます。
つまり、名雪は、多少おっとりしているが、どこにでもいるようなただの女の子でしかありません。
幼い頃から祐一の事を一途に想い続けている、ただその一点のみが、彼女のヒロイン性であると言ってしまってもいいかもしれません。
しかし、このシリーズではあゆと祐一が結ばれる事が決まっている以上、名雪には失恋してもらうしかありません。
でも、ただゲームのあゆシナリオに従って失恋するのでは、名雪の見せ場がありません。
まさか、2人の邪魔をする嫌な女を演じさせる訳にもいきませんし、「奇跡」というのがこの作品のキーワードになっている以上、彼女にも何らかの「奇跡」が必要です。
そこで、名雪のシナリオもできるだけ盛り込む形にしようとしたのだと思います。
第11話であゆと祐一が急接近した事で、名雪は非常に辛い思いをします。
夜、自分の部屋で、祐一と仲良くしていた子供の頃と同じように髪を三つ編みにして、「もう…似合わないのかな…」と顔を手に埋めて泣いてしまう場面など、観ている方も辛いです(またこういう場面の画もよく描けているだけになおさら)。
第12話では、前半では、7年前のあゆの事故を思い出して苦しむ祐一を励まし、少し復活したかに見えます。
でも、すぐに秋子さんが交通事故に遭って意識不明の重体に陥る事で、更に辛い状況に落ち込んでしまいます。
しかも、ここで、祐一に続いて母親まで失いかねないという状況に追い込まれた彼女は、とうとう祐一に向かって本音を吐露します。
祐一に対する想いと、あゆに対する嫉妬心。それに、あゆがいなくなった事を安心している自分に対する自己嫌悪。何より、それらを祐一に知られてしまった結果、完全に祐一を失うのではないか、という恐れ。これらが全てない混ぜになった結果、「もう笑うことができない」とまで言ってしまう名雪。普段、あれほど他人を思い遣ってきた彼女が、この時ばかりは、祐一がその言葉を聞いてどれだけ苦しむか、考える余裕も無いのです。
もはやどん底の状態にある名雪を救えるのは、当事者であり同性であるあゆしかいません。一方の当事者でも異性であり名雪を振る立場の祐一ではだめですし、栞との関係が強くなり過ぎてしまった香里も、名雪の親友ではあってもここまで重くなった状況を打破できるだけの力は無く、せいぜい祐一に名雪の想いの深さを伝えて、「名雪を守ってあげて」と懇願するしかありません。一番頼りになる秋子さんは意識不明で、それどころではありませんし。
というわけで、再び祐一の前に現われたあゆは、自分を忘れるよう祐一に願って消えていきます(このシーンがまた美しいんです。舞い散る白い羽根、あゆの背中に広がる天使の如き純白の翼…。ただし、テリオスのゲーム「エリュシオン」の脚本家・藤木隻氏がご自分のサイトで「あゆは天使ではない。菩薩である。」と言っていますが、それもそうですね。救いをもたらすのは、天使ではなく、神や仏であるわけですから。この「二項対立の消滅」の項を始め、藤木氏のページの話は興味深いものが多いです。一読あれ)。
そして、それと引き換えるようにして秋子さんが意識を取り戻します。
奇跡は起き、名雪は救われました。しかし、それでも、名雪は祐一と結ばれることはできません。
最終13話。あゆと祐一が結ばれるため、あゆには生きていてもらう必要があります。そのための伏線は、第1話から張られていました(ネット上のBBSとかを見ていると、この事を忘れていると言う人や、あるいはこれが伏線であった事に気が付いていなかったと言う人がいる事に驚きます。何かの冗談か、またはまともに作品を観ていないのでしょう。普通、これだけあからさまな伏線を忘れたり気が付かないなんて有り得ないでしょうから)。
また、名雪の失恋をフォローするため、秋子さんから名雪と祐一にそれぞれアドバイスをさせます。名雪には、素直になって全て吐き出してしまいなさい、と言い、祐一には、恋は例え実らなくても生きる糧になる、と言います。
このアドバイス、一見矛盾しているようですが、要は名雪と祐一に自分の気持ちに正直になれ、と言っているわけです。結果がどう出ても後悔しないように、と。
このあたりの、2人をくっつけようとするでも別れさせようとするでもなく、本人達の自発性を促そうとする秋子さんの態度は素晴らしいです。
秋子さんとはこういう素晴らしい母親である、という事を示しているからこそ、その母親を失うかもしれないとなった前回の名雪の追い込まれ様に説得力が出てくるわけですね。
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(2002/05/20追記)
秋子さんの場合、真琴との絡みが多いそうなので、真琴のエピソードが少ない本作では、ここまでその「素晴らしさ」がはっきりと出てくる場面が無かったように思います。
優しくて良い人だけど、おっとりしていてちょっと変わってる、ぐらいの印象しか出ていなかったのではないか、と。
それをきちんとフォローするためにも、このアドバイスをする場面は必要だったのではないか、と思います。
一方、名雪には、あゆの生存を自発的に祐一に伝える役目を与えます。この行動によって、名雪は、祐一への想いにすっぱりと区切りを付けるのです。
この事で、たとえ今は失恋の痛みに苦しんでも、名雪は必ず立ち直り、いつかまた笑顔を取り戻すだろうという事を観る者に納得させています。
そして、病院に昏睡状態にあるあゆを訪れた祐一の呼びかけにより、あゆは7年に及んだ昏睡から目覚めます。
あゆのモノローグで繰り返されていたように、「夢」は終わり、「決して訪れることはない」と思っていた「夜明け」がついに訪れたのです。
かくして、最後の奇跡が起き、あゆの幸せなエピローグへと続いて物語は終わります。髪を短く切られてしまったあゆが、無茶苦茶可愛いです。
この「髪が短い」というのは、あゆの新しい人生の始まりを象徴しているかのようです。
ちなみに、このエピローグは、あゆが目覚めてから1年後のように思われます。
まず、桜が咲いているので、季節は同じ春です。
この桜が「七人のナナ」の万年桜だとか、桜に似た別の花だとかいうのでもない限り、これはあゆが目覚めてすぐか、あるいは季節が一巡り以上しているかです。
一方、あゆはラストシーンで元気に走っています。
普通、7年間も昏睡状態にあれば、まともに立てるようになるまででも、かなりのリハビリを行なわなければならないはずです。
それは、事故から1ヶ月経っているのに、秋子さんがまだ車椅子であった事から、作中でも真である事が伺えます。
また、祐一の科白から、この後あゆと祐一は、秋子さんが作ってくれるたい焼き(ジャム入りかもしれない)を食べに、水瀬家に行く事がわかります。
これも、あゆが目覚めた直後とすれば、いくら振っ切ったとしても、名雪が可哀相過ぎます。祐一はともかく、あゆがそれに気がつかない筈がありません。
というわけで、少なくとも名雪は完全に立ち直り、新しい恋の一つもしていて、あゆとまた仲良くご飯を食べたりできるようになっている、ぐらいの時間は経過していなければなりません。
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(2002/05/26追記)
でも、よく考えたら、名雪が祐一のことを好きだ、という事を、あゆは知らないんですよね。だから、この点はちょっと違うかもしれません。
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(2002/05/27追記)
でも、よくよく考えたら、第12話では、秋子さんの事故の為に、名雪が苦しんでることを、あゆは知っていたわけで…やっぱり合ってるかもしれません。
あと、秋子さんも明らかに退院して、たい焼きを作れるぐらいに回復しているわけですから、その点からも、あゆの目覚めの直後、ということはあり得ません
(まぁ秋子さんのことだから、たい焼きぐらい眠りながらでも作ってしまうかもしれませんが)。
ただし、1年後だとすると、あゆの科白の端々に不自然な感じが見え隠れしてしまうのですが、まぁ、あゆが退院してきてすぐ、ぐらいに考えれば何とか。
リハビリするのに1年かかった、と思えば…。
こういう風に、色々と想像を巡らせられるネタをさりげなく仕込んでいる辺り、とてもうまいです。真琴のフォローもしっかりしていますし。
しかし、この展開には矛盾…というか無理があります。いや、単に、私がそう思っているだけで、本当はそれなりの必然があるのかもしれませんが、私には考えつきませんでした。
誰かわかる人がいたら説明して欲しいです。
最大の矛盾点は、上述したように、「あゆが消えるのと引き換えにするように秋子さんが意識を取り戻した」、にもかかわらず「あゆが生きていた」ことです。
秋子さんが回復したのですから、あゆは死んでいなくてはいけません。少なくとも、決して目覚めてはいけません。
そうでなければ、秋子さんが意識を取り戻したことが、あゆの消滅と何の関係も無くなってしまいます。
第12話の最後、「奇跡は、起きた。」という祐一の科白が、完全に間抜けです。
最終話で、あゆが昏睡から目覚めた時点で、あれだけ感動的だった第12話の最後が、まるで「無かったこと」にされてしまったような気持ちになりました。
これは、あゆと祐一が結ばれるという結末に持っていくことと、名雪に奇跡を与えるということを両立させようとしたために生じた矛盾。そうとしか思えません。
また、あゆの生存を秋子さんが知らなかった、という事にも無理があります。
これまでの話での秋子さんの言動から、秋子さんが7年前のあゆの事故を知っているのは間違いありません。
また、祐一とあゆが仲が良かった事も、あゆを目の前で失った(と思い込んだ)祐一が嘆き悲しんだ事も知っているはずです。
にも関わらず、あゆの生死の行方を秋子さんが知らない、というのは、秋子さんというキャラクターから考えると、あまりにも不自然に思えます。
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(2002/05/20追記)
さらに言うと、秋子さんがあゆの事故を知らないとしたら、第11話で、朝起きてきたあゆを見る時の、秋子さんの複雑な、そして少し悲しげな表情の説明がつきません。
あれは、薄々ながら(もしかしたらはっきりと)、あゆの正体に気がついている、という事を示しているとしか思えません。
ここでは、第10話の真琴の一件で、そういう不思議な事があり得るという事を秋子さんが知っている、というのが伏線として効いてきます。
この辺りの構成が非常に上手いと思えるだけに、上述した不自然な点が余計に気になります。
あとは、瑣末な点ですが、最終話で祐一が再度転校する理由が、祐一の母親に呼び戻されたからというのもちょっと変です。
普通なら、秋子さんが退院するまでの間、祐一の母親が水瀬家に来て名雪と祐一の面倒を見る、という形をとるでしょう。
いくら自分の息子が心配とはいえ、祐一を水瀬家から離してしまったら後に残るのは名雪一人です。
秋子さんの看病もしなければいけないのに、家の事まで名雪が一人で背負わなければならないとすれば、その方が余程心配なはず。
その事に考えがいたらない、というのは、祐一の母親はそんなに冷たい人間なのでしょうか。
祐一にしても、あゆを永遠に失った(と思い込んだ)悲しみがあったり、名雪とすれ違いの続く日々とはいえ、名雪一人を残して自分は母親の所に帰る、というのは不自然です。
名雪に告白されて、あれだけ悩んだのは一体何だったのでしょう。
例え恋愛の対象ではなくとも、祐一にとって、名雪もまた大切な人である事は確かなのに。
また、「名雪を守って」と祐一に頼んだ香里も、呑気に祐一の送別会に出ている場合では無いと思うのです。
祐一に水瀬家に残るように引き留めるとか、あるいは名雪を見捨てるかのような態度の祐一をなじるとか、何らかのリアクションがあってもおかしくありません。
栞の存在がある以上、香里に祐一の代わりはできないのですから(代わりと言っても、別に変な意味ではないですよ)。
が、それはありませんでした。これも、かなり不自然です。
これだけ不自然な要素があるにも関わらず、祐一は水瀬家を出ていくという。これは、もう物語を完結させるための方便でしかないと思えます。
それでも、これらの矛盾や不自然な点をあえて包含してしまってでも、こういうシナリオにせざるを得なかった理由があったのだと思います。
それは、商売上の理由というのが最も判り易いですが、できれば、それ以外の物語上の必然が欲しいところです。でも、それは私には考えつきませんでした。
あと難点と言えば、全13話という尺が少し短かったため、説明不足の感があることでしょうか。
その最たるものは、舞と魔物との関連性のところだと思います。
魔物を生み出したのが舞自身であった、というのは判るのですが、そもそも、何故、舞が魔物を生み出す事になったのか、という理由は判りにくかったですね。
もちろん、ゲームのシナリオでは、あの「うさぎ耳」と合わせて、ちゃんと理由が判るようになってるようですが。
また、個人的に気になるのは、第11話で、名雪が、あゆと祐一のキスシーンを目撃する前から妙に元気が無かったこと。
あれも、ゲームの方では、理由が判るようになっているのでしょうか。
さらに、ちょっと唐突かな、と思える場面も幾つか。
真琴が狐の生まれ変わりだ、と祐一が言った時、秋子さんがすぐにその事を呑み込んでしまう所とか。そもそも、あゆと祐一が盛り上がるのも突然過ぎる感じがしますし。
もう少し全体の尺が長ければなぁ、と残念に思います。とは言え、2クール・全26話にすると、多分間延びした話になりそうな気がしますし、難しい所ですね。
特典DVDの新作というのが、その辺を補完するものになったりするのでしょうか。
ただ、それでも、この作品は良く出来ていると思います。
元のゲームの世界をどこまで再現できていたかは判りませんが、一つのアニメーション作品としては、シナリオ・音楽・作画・キャスティング等、全体における完成度はかなり高いと思います。
演出でちょっと面白いと思ったのは、あゆと名雪のシナリオが表と裏だ、というのをさりげなく見せている(と思われる)所でしょうか。
例えば、最初に登場するのが名雪で、最後はあゆで締めているとかはその最たるものでしょう。
あれは、別にあゆから始めても全然問題が無いんですね。あゆがメインなのですし、実際、「To Heart」では、あかりで始まり、あかりで終わっています。
それを、敢えて名雪を初めに持ってきた辺りに、ちょっとした作為を感じます。
第12話では、あゆが落ちた木の切り株に座って悩んでいる祐一の所に、始めの方では名雪がやってきます。
そして、終わりの方では、同じように悩んでいる祐一の所に、あゆが現われます。
この現われるタイミングが話の始めと終わりで対称的なのもそうですが、この時、祐一が名雪とあゆを見た時のそれぞれの画の構図が、見事に左右対称をなしていたりします。
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(2002/05/19追記)
ここ、ビデオを観直すとちょっと間違ってまして、あゆのほうは「食べられなかった筈のたい焼きも食べられたし」と言う所でした。
あと、名雪は早朝で、あゆは夕暮れ時、というのも対称的なところですね。
また、あゆと名雪が、祐一とキスをするのもそれぞれ1回ずつで、どちらも自分の方からするという、基本的に2人が同じ立場にある事を表わしている演出もあります。
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(2002/05/22追記)
この「駅前でのキス・シーン」を作るためだけに、祐一を去らせようとしたのであれば、それはそれで面白いですが。
また、科白にもそういう演出と思われる点があります。
第1話で、駅に迎えに来た名雪に対して、祐一が「行くぞ、名雪」と声を掛けます。
最終話では、駅前で待ち合わせたあゆに対して、やはり祐一が「行くぞ、あゆ」と声を掛けるのです。
そして、どちらの場合も、呼ばれた方は、実に嬉しそうな表情を見せます。この辺の、名雪とあゆとの対比と同一性を表わすかのような作り込みは、なかなか見事です。
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(2002/05/21追記)
別件ですが、もう一点。
第1話での、食い逃げ途中のあゆとのやり取りの中で、祐一が「心配するな、時間はたぁ〜っぷりある」と言う所があります。
そして、最終13話のエピローグでは、たい焼きを作る練習をする、というあゆに対して、祐一は「何時になったらできることやら。でも、ま、いいか。俺達、時間はたっぷりあるんだしな」と言います。
こういうふうに、物語の始まりと終わりに同じ科白を置く、という演出はよくありますが、それだけに印象深いものがあります。
ただ、これはちょっと深読みし過ぎかな、という気もしないではないですけど。単なる偶然かも。
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(2002/05/26追記)
もう一点。
第1話で、名雪と祐一が再会したのは、午後3時。そして、最終話で、祐一が乗る予定だった帰りの特急も午後3時。これが同じなのは、偶然ではないでしょうね。
こういった細かい点で凝った事をしていたりもするので、上記の大きな矛盾点があっても、なかなか評価を下げられないんですね。
あのキャラクターデザインが気にならなくなったのも、その全体的な完成度の高さ故でしょう。やはり、アニメは動いてなんぼ、です。
個人的には、やはり名雪が一番気に入りました。ああいう、ぼぉ〜っとしたところのある女の子は大好きですし、國府田マリ子さんの演技も抜群に良いです。
また上述したように、5人のヒロインの中で、ただ一人特異性を持たないキャラクターというのも、彼女を一番気に入った理由です。
それだけに、ラスト3話の話は観ていて辛かったです。
特に、今はDVDの始めの方も平行してみていますので、そちらで観る、祐一と再会できて無茶苦茶嬉しそうな名雪との落差があるので、余計に辛く感じました。
そのDVDですが、これも割と良い出来だと思います。
一番良いのは、音楽に力を入れている作品なだけに、音声がリニアPCMで収録されている事です。
個人的には、音声が2chの場合は、全てリニアPCMにして欲しいぐらいです。ドルビーデジタルにする意味、ありませんから。
このあたり、収録形態がほとんど同じのくせに、192Kbps何ていう極悪なビットレートで収録している「To Heart」には見習って欲しいところです。LD版と聴き比べると、はっきりと差が判るんですよね、これ。
あと、横文字を使っている所が、「Kanon」というタイトルに合わせてドイツ語で統一されている(「Kanon」はドイツ語です)のも気が利いています。
ただ、メニューに流れる、「夢…夢を見ている…」という各話のイントロ部分のあゆのモノローグを訳した文章だけが英語になっているのが残念です。
ちなみに、メニューは2種類、白地(というか雪)に黒文字のと、黒地に白文字のとがあって、一通り再生し終わった後に出てくる場合、再生途中でメニューボタンを押した時それぞれで、交互に出てくる様になってるみたいです。こういう所も凝ってます。
このDVDを観て、初めてオープニングに歌詞付きのロング・バージョンがあるのを知りました。関西テレビでは、放映されていなかったものですから。
歌の方はイマイチな気がしますが、名雪が黒いソックスを履いている場面は、なかなか良いです。
最後に、「Kanon」のコミック版が「電撃大王」で連載されています。これも、次回で最終回のようですが、こちらも楽しみにしています。
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(2002/05/21追記)
…してたのですが、案の定というか、今日発売の「電撃大王」(2002.7.)では、「Kanon」は休載でした。
今までも、何回も休載していたので、もしかしたら…という予感はあったのですが。
あ〜あ、これでまた、1ヶ月おあずけですか。
(2002/06/23追記)
6/21発売の「電撃大王」(2002.8.)に、最終回が掲載されました。
エピローグとしては、やはり「あゆ編」ということになると思いますが、アニメ版よりもっとあっさりしていると思いました。
何より、あゆが目覚めるきっかけについて、特に何も説明になるものが無かったのが、そう感じる最大の原因ではないかと思いますが、これが原作と同じ感じなのでしょうか。
この辺の、「なぜあゆが目覚めたか」という理由については、こちらのページの考察がすごく参考になるかと思います。
全体としては、森嶋プチ氏の可愛らしい絵柄と合わせて、なかなか良かったと思います。
内容的には、アニメ版を更に短縮したような感じになっています。
何しろ、真琴は消えていませんし、舞が闘っていた魔物の正体も明かされないまま、栞は病気とは言えあゆの探していた人形を見つけたりして大活躍します。
何より、名雪の祐一に対する接し方が、本当に「仲の良い従兄妹」みたい(いや、従兄妹なのは本当なのですが)で、「To Heart」のあかりと浩之の関係に近い感じです。
て言うか、こちらのメインは名雪っぽいですね。祐一が他のヒロインと会う時も、たいてい一緒にいますし。
あゆでさえ、何となく祐一に子供扱いされてますし、全体的に恋愛要素が希薄なのですが、これもまたこの手のゲームを1本の話にまとめる一つの手段ではあるかと思います。
次回はエピローグ編となっていますが、さて、どんな結末を用意しているのか楽しみです。
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(2002/05/31追記)
と、思っていたのですが、やっぱりメイン・ヒロインはあゆのような気がしてきました。
少なくとも、シナリオの大筋においては、ゲーム版のあゆシナリオに沿っているようです。栞・真琴・舞の話が途中で終わっている形になっているのも、そのせいでしょうか。
名雪も、重要な役割を演じてはいますが、祐一のサポート役か、パートナーといった感じで、ヒロインというよりは、もう一人の主人公といった趣があります。
(2002/05/18追記)
祐一が名雪と再会した場所や、あゆと会う約束をした「駅前」というのが、京阪守口市駅がモデルになっている、という話を聞いたので、ちょっと見に行ってみました。
自宅からだと、バイクで10分もかからないような場所なのですが、普段の行動線から外れているため、1回も行った事が無かったんです。
で、行ってみましたら、確かにそれらしい場所がありました。
DVDで言うと、第1巻のCHAPTER 3の00:00:04辺りに出てくる時計。あれは、駅南側の陸橋に昇るエレベータに付いているものです。
外壁の色が少し違いますが、陸橋や建物の形、時計のデザインはそのまんまです。
よく見ると、建物の頭が斜めになっているのがわかりますが、あれは太陽電池パネルが付いているので傾斜があるのです。
同じく、第1巻CHAPTER 3の00:00:32辺りで、少し引いた画で祐一と名雪の周囲がわかる場面がありますが、あれもほぼ、駅の南側・東寄りの出口付近と同じです。
バックにある陸橋の階段、奥の円く突き出た部分、ベンチの配置や背後の植え込みの部分など、そのまんまです。
ただ、階段とその奥の陸橋の部分の角度は、あれほど斜めではなく、ほぼ直角ですが。
ここは、「電撃大王」のコミック版の方が、実際の形に近いです(コミック第1巻p5の1コマ目参照)。
あと、ベンチ自体は、作中のような木製の背もたれがある形ではなく、石造りで背もたれが無い平らなタイプでした。
作中にあるような形のベンチは、そこから少し離れた、バス乗り場にほぼ同じ形の木製の物がありました。
しかし、当然ながら、守口ではあんなに雪が降り積もる事は、最近ではまずありません。
ここがモデルになっているのは間違い無さそうですが、keyって会社は、大阪の方にあるんでしょうか。
(2002/05/20追記)
Key…と言うか、Visual Art'sは、確かに大阪でした。Keyの公式ホームページの「Q & A」に書いてありました。天満にあるようです。
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(2002/05/22追記)
この「駅前」を始めとして、あゆと出会った「商店街」、栞と踊った「噴水」、真琴がいた「ものみの丘」等には、全てモデルとなった場所があるようです。
インターネット上で検索してみると、それこそ、山のように写真が出てきます。ただ、当然と言いますか、そのほとんどはゲーム版からのアプローチです。
アニメ版からアプローチしたと思われるものは、今のところ見つかりません。
名雪が見上げて、「わぁ〜、びっくりぃ〜」と言う駅前の時計の写真とかは、ありませんでした。
あと、「考察」系のサイトも、山のようにありますね。中には、考察系のサイトの関連図まで載せている所もあったりして、この作品の影響力の大きさを伺わせます。
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(2002/06/08追記)
上記の「駅前」の写真を掲載しました。こちらへどうぞ。
ところで、上述した展開上の矛盾点についてですが、これは、あゆをメインにしたが為に生じたものでしょう。
もし名雪をメインにしていたら、より整合性のとれたストーリが作れた筈です。
ゲームのシナリオとの比較はともかく、一アニメ作品としては、より自然なストーリになったのではないか、と思います。
話の展開に上述したような不自然な点があり、それは名雪をメインにする事で解消し得る、などという事は、アニメ版のスタッフは承知の上でしょう。
シリーズ構成の一人・山口亮太氏は、「天空のエスカフローネ」等数々のアニメ作品に携わってきた方で、シリーズ構成としてはともかく、脚本家としての実績はかなりのものがある方ですし(そー言えば、この作品のスタッフに「監督」が無いのは何で? チーフディレクターの伊藤尚往さんが監督という事でいいのかな?)。
それでも、なおかつ、あえてあゆをメインにした理由は何でしょう?
単に、ゲームのメイン・ヒロインがあゆだから、というのは、身も蓋も無い理由ですが、しごくもっともな理由でもあります。ただ、やはり身も蓋も無い。
もう少し積極的、かつ好意的な理由を探すとしたら、「名雪には秋子さんがいるが、あゆには誰もいない」ということでありましょう。
この作品で、主人公である祐一は、物語の必然として、あゆか名雪のどちらかを選ばなければならないわけです
(どちらも選ばない、という結末も可能ではありますが、仮にも恋愛を扱った作品なのですから、それでは少々「逃げ」に走り過ぎです。
やはり、ここはきっぱりと選ばせる方が、主人公としてはより良い態度と言えましょう。
実際、第11話で「あゆが好きだ!」とはっきり言う祐一を観て、「よし、よく言った!」と思ったものです。確かに、唐突過ぎるきらいはありましたが)。
名雪を選んだとすれば、あゆにはもう何も残りません。祐一達の思い出に残るとは言え、一人寂しく消えていく以外にないのです。
これでは、流石にあゆが可哀相です。他のヒロイン達には、栞には香里が、舞には佐祐理が、そして真琴には秋子さんを始めとする家族があるにも関わらず、あゆだけが一人というのでは。
それに、選ばれた名雪にしても、とても素直には喜ぶことはできないでしょう。第12話で自己嫌悪していたように、彼女はそういう性格の娘として描かれています。
また、下手をすれば、視聴者に「恋敵(=あゆ)の不幸に乗じて、幸せを一人占めした、嫌な女」という印象を与えかねません。これは非常にまずい。
だからこそ、本作品でのメインは、あゆでなければならなかったのだ、と思います。
この事は、第12話での名雪の「お母さんがいなくなったら、わたしはもう一人ぼっち…」という科白によっても、ほぼ裏付けられるのではないでしょうか。
この科白は、裏返せば、秋子さんがいれば名雪は大丈夫だ、という事です。
最終話での秋子さんのアドバイスなどからも、この事が伺えます。
あゆは祐一と結ばれ、秋子さんは助かり、名雪は失恋しながらもいつか笑顔を取り戻すでしょう。
あゆと名雪の2人共を救うために、あゆをメインにする選択をしたのではないか、と思います。
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(2002/05/27追記)
ただ、これも、「あゆファンと、名雪ファンとの両方を満足させなければならない、という商売上の要求を満たすため」と言い換えることもできるわけで…難しいですね。
(2002/05/26追記)
上で述べた、最終話において祐一が街を去ろうとする行動についてですが、これを説明するのにふさわしい言葉は、「現実逃避」であると思います。
考えてみれば、この作品において、祐一は始めからずっと逃避し続けていたわけです。7年前のあゆの事故を記憶の底に封じ込めて、もうあゆがいないという辛い現実から、ずっと逃げていたのです。
それが、またあゆを失うという事態に直面させられた。それでも、今回は、「天使の人形を探し出す」ことで、何とか7年前の事故に向き合う事ができるか、と思われたのですが、そこに秋子さんの事故が起きてしまいます。そして、今度は、辛い思いをしている名雪と、彼女を励ます事もできない自分という、更なる「現実」に直面させられるのです。
ところが、祐一は、またもや逃避してしまいます。名雪の傍に居てやる事もせず、香里の懇願にも生返事です。再び訪れたあゆとの別れに際しても、祐一はそれを受け入れられません。「ぼくのこと、忘れて」と言うあゆに対して、「忘れるなんてできるわけない」と言い、その後は目を閉じて、彼女が消える瞬間も見届けようとはしません。いくらあゆに言われたからにしても、です。
最終話では、「避けてるのは、俺のほうか…」と、少しは自分の逃避を自覚しているようですが、結局、祐一は、最後まで名雪と向き合おうとしませんでした。
卒業式で舞や佐祐理を送り出す事や、母親に呼び戻された事を口実にして。
それどころか、いまだに、あゆを失ったという現実も受け入れられずに、あゆが水瀬家の台所に立っているという、幸せな「夢」を見ている始末です。
せっかくの秋子さんのアドバイスも、彼には届かなかったようです。
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(2002/05/29追記)
ただし、これは、名雪のほうも同様です。
2人とも、秋子さんのアドバイスを実践したのは、結局、あの「最初で最後のキス」と、それでもあゆのもとに走った、という時点ですね。
そして、事態は祐一の手の及ばない所…というか、彼の意志とは関係無く、解決してしまったわけです。
名雪は「最初で最後」のキスをする事で、祐一への想いに決着を着け、あゆは死んではいませんでした。
すなわち、「辛い現実」の方が、消滅してしまったのです。
こうして、祐一は、自分の力によることなく、逃避を乗り越える事もせず、幸福を得たわけです。
祐一は、ある意味、7年前から成長していない、とも言えます。
このあたり、栞や真琴や舞の時の、能動的な祐一とは、かなり印象が違うのが不自然な気はします。
ゲームのシナリオは、ヒロイン毎に主格の変更はあるものの、基本的には、「過去の辛い現実から逃避している主人公が、7年後に、同じ街で再び辛い現実に向き合い、今度はそれを乗り越えることで、その成長を描く」といった構成のようです。
それが、何故この作品での祐一は、こういう風に描かれることになったのでしょうか。
これを、アニメ版のスタッフがゲームのテーマを読み違えて、表面的な「奇跡」や「ヒロインとの恋愛の成就」のみに目が行ってしまったため、と見るのは、少し無理があるでしょう。
上述したように、シリーズ構成と脚本を担当している山口氏は、色々と実績のある方です。
また、プロデューサの横田守氏は、基本的には絵描きさんで、その美麗なキャラクターに人気がある方ですが、一方で、上記のテリオスや、スタジオラインといった会社を主宰し、「エリュシオン」や「火焔聖母」といった、数々のシナリオ面も優れたゲームを世に出してきた方です。
そういう面子がメインスタッフにいながら、ゲームの最も重要なテーマを見落とす、というのは、まず考えられないことでしょう。
では、何がしかの必然があっての上で、アニメ版の祐一をこういうキャラクターにしたとすれば、その理由は何でしょうか。
正直、これについては、あまりいい解釈はできませんでした。
登場人物達が連呼するほどには、作中では「奇跡」が起きていないことから、結局は、「奇跡の否定」を描こうとしたのではないか、と思えるのですが、いまいち納得しがたいところです。
それならそれで、もう少し、別の表現方法やストーリ展開ができたのではないか、という疑問がどうしても残るのです。
一方、祐一をこういうキャラクターにする事ができた理由、というのは解ります。
それは、アニメとゲームとの作劇法の違いによるものでしょう。
アニメは、キャラクターに感情移入することはあるにせよ、基本的には、視聴者は客観的な視点で観ています。
かたや、ゲームでは、主人公はプレイヤーの分身であり、その言動にある程度プレイヤーの意思が反映されるため、より主人公の主観で物語を観ることになります。
その、自分の分身は、それなりに「大人」のキャラクターであることが望ましいし、それでこそ、ゲームから達成感が得られるのではないかと思います。
アニメの場合は、そういう制約はありません。
上で述べたような、アニメ版の祐一の行動も、自分があの年齢の時のことを思い返してみると、あれで自然なように思います。
好きな女の子との別れは受け入れ難いものでしょうし、そんな時に、身近に居る女の子の想いを受けとめきれずに避けてしまう、という気持ちも判ります。
それが良い事なのかどうかは、この際関係ありません。それがリアリティがあるか、という事が重要なのです。
そういう意味では、本作での祐一は、年齢相応の、より自然な描き方ではなかったか、と思います。
(2002/05/27追記)
ちょっと嫌な考えが浮かんでしまいました。
それは、結局、この作品は、「Kanon」というゲームの為の、「CMアニメ」に過ぎなかったのではないか、というものです。
もともと、日本のTVアニメに対しては、「おもちゃを売る為の30分CMアニメ」という悪評がありました。
これは、脚本家の首藤剛志氏の著書で知った評なのですが、あながち「違う」と言えないのも確かです。
事実、かつては、TVアニメのスポンサーは、ほとんどがおもちゃメーカでしたし、現在でも、割合は減ったとはいえ、そのような作品が見られます。
この事が、「Kanon」のアニメ版とゲーム版にも当て嵌まるのではないか、という気がします。
私自身、このアニメ版を観て、長らく放ったらかしにしていたドリームキャスト版の「Kanon」をやりたくなりました。
ネット上のBBS等を見ていると、同じように、アニメを観て、ゲームもやりたくなった、と言う方も見受けられます。
また、時期的にも、PS2版の「Kanon」の発売と一致します。
そして、「CM」だと考えると、上述したように、矛盾を承知で(私は承知の上での事だとほとんど確信していますが)名雪シナリオを盛り込んでいる事や、表面的な「奇跡」や「恋愛の成就」を前面に押し出している事の説明がつけ易いんですね。
この事自体は、昔から現在まで、TVアニメでは当たり前のように行なわれてきた事ですし、今更どうこう言う話では無いと思います。
しかし、そうだとしますと、全体的な出来が良い作品なだけに、やはり残念でもあります。
ただ、これも上述したように、本作では、実は「奇跡」は、登場人物が連呼しているほどには、起きていないんですよね。
この辺りに、スタッフが、商売と、作品としての完成度とのバランスを取ろうとしている様が見え隠れしているように思います。
ですから、やはり何らかの「物語としての必然」があったのだ、という考えも捨てきれないでいるところです。
そう言えば、この6月下旬に、角川書店からアニメ版のムックが発売されるそうです。
それに、この辺の理由の一端が伺えるような内容があれば面白いのですが。
(2002/06/06追記)
インターネット上のBBSを見ていると、本作品での名雪の扱いについては、やはり賛否両論あるようです。
なんか、國府田マリ子さんも、「名雪、それでいいのか」って言っていたとか何とか…。
どういう文脈で出てきた発言か、前後が不明ですので、どういう意味で言われた事なのかも判らないのですが、名雪が「身を引いた」事を指して言ったのでしょうか…。
今度、AM神戸で放送している「水瀬さんち」にゲスト出演されるそうなので、その時に何か聞ければ嬉しいのですが。
個人的には、上で述べているように、あれは名雪も救うためのラストであったと思っていますので、名雪の扱いについては、さほど「酷い」とは思っていません。
それどころか、あのラストによって、名雪はあゆと同じ土俵に上がることが出来たわけです。
もちろん、本作品で描かれた名雪の様子からして、祐一を巡ってあゆと火花を散らす、という展開は想像できません。
しかし、あゆが生きていたこと、ちゃんと祐一に告白したことによって、「もしかしたら…」という可能性を残した事には違いありません。
この辺りも、何となくアニメ版「To Heart」に似ているような気がします。
あちらは、最後まであかりと浩之にキスさせなかった事で、志保にも「可能性」を残したわけですが、本作品は、より積極的な形で「可能性」を示したように思われます。
「酷い」と言うなら、ある意味「逃げてばっかりの男」にされてしまった祐一の方が、余程酷い扱いだった、と思っているぐらいで。
正直、名雪には、こんな男のことは早く忘れてもらって、もっと良い相手を探して欲しいものですが。
(2002/06/23追記)
角川書店から、アニメ版のムック「Kanon the animation Dream Days」(長いな…)が発売されました。
その「スタッフ座談会」の中で、シリーズ構成・脚本の中村誠氏が名雪について少し語っています。
「名雪は、一見かわいそうだけど、かわいそうじゃないんです。(中略)
彼女の7年前から固まっていた感情に決着をつけてあげて、前に進ませてあげたかった。」
…う〜ん、やっぱ、そーですよね。あの終わり方は、やっぱそーとしか思えません。
ただ、この「一見かわいそうだけど、」ってところが、観ていた人にとっては「名雪の扱いが酷い」と見えたのかもしれません。
名雪が、最後のカットで「だいじょうぶだよ」って言いますが、せめてあそこが作中のような俯きではなく、上を向いていれば…と、そう思います。
で、期待していた上述の「矛盾点」についてですが、これは特に言及はありませんでした。
ただ、やはり、ラスト3話の落としどころには、スタッフの間でも色々と葛藤があったようです。
(2002/08/18追記)
DVDの第5巻には、映像特典として原画のギャラリーが収録されていますが、これが、DVDのマルチアングル機能を利用したものになっています。
アングル1には原画が、アングル2にはそれに対応した実際の画が入っていて、切り換えて観られるようになっています。
昔は、「機動戦士ガンダム」の原画集とかを買ってみたりしてた事もありましたが、そういうのも最近では全くなくなっていたので、結構新鮮な気がしました。
でも、その「ガンダム」の自体から、原画の描き方自体はあまり変化していないようです。
セル画が無くなって、デジタルによる作画がほとんどになったとはいえ、原画・動画を描くところは、まだまだコンピュータ上で全てやる、というわけではないようです。
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