- FOGADÓで550Ft。部屋はトリプル。本当に「地球」の通りコウノトリが煙突の上にいた。実は、このホテルに着くまで極めて不安だった。駅はフォームもなく、駅前には何もなかった。駅前から広い道が線路に直角に延びており、皆、その方に歩いていくので、僕も歩く。400mほど歩くが、左右は民家らしいものだけ。自転車で来たおっさんが、「Zimmerッ」と声をかける。僕はともかく、コウノトリをと、笑いながら、「ノー」といって断る。彼が、入っていった家の前には「ZImmer-Frei」と書かれた看板が出ていた。本当の民宿だ。後で、歩き回ったとき、同じ様な看板を出している家を他に2軒見つけた。これは、商売になる。
- FOGADÓの右筋向かいは、ABC。目の前はPOST BANK。ABCはよく見かけるスーパーチェーンだが、ここには商品がほとんどなかった。PÁSZTORMÜZEUMをさっと見学。なるほど、シチュー(鍋)はこうして、始まったのかと思った。絵葉書は15Ft、まあいいか。
- 昼、この旅籠で、豆入りグーヤッシュを食べたので、夜は羊飼い博物館の前のレストランで、と考えたが、では何を食べたらいいのか。マジャール語とドイツ語のメニューしか渡さない。スープの一番安いのにする。高いものは、何が入ってくるかわからない。これは、ポテトとうどん粉の平らなもの=ニョッキか=が入った野菜スープか。色は赤いトマト色だが辛くない=パプリカか=。そして、肉部門は、シュニッツェルでないものを選ぶ。ところが、ヨーグルトをかけたストロガノフだった。これと同じような料理だったら、これまでに食べたことがある。それにしても、言葉が分からないので、困ってしまう。
- 格好つけて、てきぱきとこなしていた若いウェイター。ずるそうな目つきをしていたが、最後に珈琲を「カーヴェ」と発音し、注文し、手持ちぶさたにしていると、ツカッとテーブルに手をつき、耳元で「チェンジマネー」。「ノー」と拒否したが、その態度が堂に入っていたので、ニヤッと笑ってやった。
これまでドルを交換したいと声を掛けてきた者は、卑屈さが目立っていたが、彼は態度が大きかった。
- いったん、旅籠に帰り、シャワーを浴び(一人しか泊まっていないのではないかと思うほど、静かだった)、また、夕方のプスタへ出かけた。旅籠の前は、広い道路なので、何分かに1回は車の音がするが、むしろ聞こえるのは、カエルや鳥の声。昼、芝生には寝ころばなかったが、今度はやってみた。左足の足先方向は赤い夕陽、頭の右上方向には、スーッととてつもなく長い白い帯状の雲が見える。草が少し湿ってきたので、引っ越ししベンチの上に寝そべった。
旅籠の部屋からは、街路灯の明かりが邪魔し、星はあまりたくさんは見らない。2階が宿になっているが、どこからも明かりはもれていない。宿泊客は僕一人かもしれない。
5月8日(火)Hortobagý-Debrecen泊
絵葉書 | 通信費 | Ft16 | 飯沢氏宛 |
コーラ | 飲食費 | Ft9 | |
宿泊 | 宿泊費 | Ft450 | オムレツ付き、安い |
ホルトバージ−Debrecen | 交通費 | Ft44 | |
コーラ | 飲食費 | ?Ft- | |
[CNG]cash$15>>Ft940
水泳パンツ | 雑費 | Ft295 | 温泉用 |
シャンプー | 雑費 | Ft25 | |
地図ブクレシュチ,デブレッツェン | 資料代 | Ft56,30 | R有。ハンガリー人に日本語教科書を買わす。「地球」に不掲載の店に同行 |
ケーキ、コーラ | 飲食費 | ?Ft- | |
Debrecen−SatuMare | 交通費 | Ft65 | |
便箋の残りから。= =内は1999年時のコメント。
帰りの列車アクシデント
お薦めのレストラン
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