東欧1990日記−3−ハンガリー1編

写真・ブダペスト1photo26p(2,821KB)
5月3日(木) BratislavaからBudapest。この日のメモはほとんどない。記憶と照らし合わせて書く。
  • ブラチスラバ2泊目の朝食は、「Mitハム」を頼んだ。宿泊費を精算しようとすると、二日目からシーズンということで宿泊費が値上がりしていた。ちょっとだまされた気分だ。
  • 昨日、入手した切符でブラチスラバからは鉄道でブダペスト(発音はブダペシュトだ)入りした。国境ではトラブルなどがなかったとみえて、記憶がない。ブダペスト近くになって、車窓から結構きれいな団地が見えた。Bratislavaから乗った列車は、時刻表でBudapest-Keleti pályaudvar(東駅)に着くことを確認した。駅から民宿への経路の記憶が曖昧で、東駅か北駅か、着いた駅が不確かだったが、これで間違いはない。時刻表通りだと、東駅は15時20分着だ。
  • 東駅構内の国営旅行社イブスIBUSZで民宿を頼む。この旅行ではなるべく民宿に泊まろうと思っていた。どう運営されているのか、民宿と仮に呼んでいるが、どのようなものか、どのように組織されているのか興味を持ちながら。東欧圏は、国によってそのシステムはやや異なるようだが、おそらく西欧も、「地球」に記載されているように、多くの都会の旅行代理店にはホテルを紹介する窓口と同じように、あるいはそれを兼ねて民宿を紹介する窓口が必ずあって、簡単に手続きができる。僕の泊まった所はどの国も、完全に個人の家、一時的な下宿といったほうがいいかもしれない所だった。
       イブスの申込用紙は、複写用紙で記入欄がたくさんあったが、申込者は宿泊日数だけが必要だった。むろん、氏名も。場所の希望などは出さず、言われるままにした。手続きは簡単。1泊529Ftで3泊の予定。
  • 東駅から市電Villamos67番に乗り、終点で69番に乗り換える。住宅街に入ってきたらしく、車の少ない道を走り、緑が多くなった。道なりにクランク状に曲がるとややあって、名前は覚えていないが降りるべき停留所(たぶん、通り名と同じだ)。運賃は一律8Ft(フォリント)。
       行き方はイブスの女性がメモしてくれた。さらに購入していた地図で示してもらった。ただ、手元の民宿申込書の控えがよく複写されてなく読みとれない。ノートには、それらしきメモが残っていた。
       街路が縦横に直交する住宅地。15区オーリチ・ラヨシュ通り75番地(XV Aulich Lajos u.75)のある家が泊まる家。独立した家か、2戸連なっているタイプの家だったかもしれない。
  • 文学全集が飾ってある応接間のような部屋に通された。民宿のおばさんは、英語もフランス語もできず、困る。ドイツ語ならできるらしい。何か言っているが、歓待しているような表情ではない。ドルを買いたいということらしい。ヤミ両替は初めての経験だったので、いやな感じがして断った。普通の人の様子が垣間見られるという期待感と、荷物をおける安堵感でほっとしたところなのに、そんなにカネを稼ぎたいのかと、不快だった。断ったら、おばさんはそれはそれ、と気にしていない雰囲気だった。こっちは、親しみを持てなくなった。民宿は、食事は付いていない。民宿というよりも要するに個人の家での民泊なのだ。
  • 繁華街に出るには、市電や地下鉄を利用しなければならないので、食事について聞くと、近くにあるレストラン(観光客用ではない)を教えてくれた。夕食をとったが、ここは満足だった。
HotelSputnik宿泊費Kcs689.00336+353
朝食?Suputnik飲食費Kcs24.4012.20、7.40、4.80。R有
[CNG]T/C$40>>Ft2500(手数料−Ft26)1$=63Ft、1Ft=2.2円
民宿3日分宿泊費Ft1756
ビール、ピザ2個飲食費Ft280
小包用品雑費?Ft-

5月4日(金)メモなし。Budapest
  • 名所・博物館巡り
  • 69番線は、ヨーロッパ大陸最古の地下鉄線Metro1号線の終点Mexikoi ut.(メキシコ通り)まで走っている。中心地との往復にはこれを利用した。Deák térが地下鉄3路線の乗換駅、何度も利用した。
       「メキシコ通り」駅近くのパン屋は見た目に種類が豊富だった。朝、都心に出るために乗り換えた時、ここのパンを買って食べた、おいしい。
       民宿に戻るとき、一度停留所を乗り越したが、右にカーブすると次の停留所で、その辺りは団地だった。街の構造が日本とは異なっているので、こんなことでも発見になる。
  • この旅行では、街に着くと、まず市街地図を探しあれば買って、その日に泊まる所を決め、観光パンフレット・観光用の地図を集める。その前に初めての国で国境などで両替をしてないか、不十分だったら両替をする。基本的に旅の目的は、これで半分済むことになる。
       市街図は途中でもなるべく手に入れようとする。各国、言葉が違う。日本では会話帳を買ったが、ハンディな辞書(○○英語辞典)があれば是非手に入れたい。日本よりかなり安いはずだから。市街図は、見にくく必ずしも新しくはないことは別にして、ほとんどの都市で手に入ったが、持ち歩きに便利な辞書はほとんど見つからなかった。集めたパンフ類、再訪しないだろう街の「地球」のページ、温かくなって用が済んだセーターなどをまとめて、何回か日本に船便で送った。
       そろそろバッグが嵩張ってきたので、軽くしたい思った初めの都市がブダペストだった。街はとてもきれいで、物に何も不自由はない。ブダペストでは「行列」を見掛けることはなかったが(駅や旅行代理店の前は列はできるが、大した人数ではない)、運動具店に男の子たちが並んでいた。珍しいと思っていたら、アディダスが販売(入荷)される日だったようだ。
       ドナウ川沿いの大きなホテルからはきだされた恐らく西欧のおばさんたちが、街を観光している。辞書を探しに中心地の店をチェックしていったとき、小包に使えそうな包装紙とひもを見つけた。=手続きでトラブルがなかったので、記憶が詳しくないが3日に。どちらかを日本で用意していった気もする=。夜、荷造りをしておいて、この日、中心街に出て郵便局を探した。手紙でも出しに来たのだろう若い英語を話す女性が「それどこで買ったの」と声を掛けてきた。やはり、荷物を持て余しているのだろう。適当に「街で」と答えておいた。
  • ハンガリーの時刻表を見ていて気づいたのだが、カレンダーが横書きである。月はローマ数字(他の欧州語と同様の呼び方もある)で表し、1週間は月曜日から始まることには、驚かないが、1、2、3..とは縦書きにし、週が変われば右の列に移る。氏名は日本と同じように、家族名、本人の名前という順で書くのは知っていたが、実は、住所も市、区、街路、番地の順に書く。年月日も年、月、日の順だ。
[CNG]HotelT/C$100>>Ft6254(手数料−Ft63)
グーヤッシュ他DUNA-CORSO étterem飲食費Ft310(ドナウ−CORSOレストラン)グー210、シュウェップス60、珈琲40
アイスクリーム飲食費Ft8
オレンジジュース飲食費Ft24
小包郵送費通信費Ft80都心の大きな郵便局で、パンフや衣類
地図資料代Ft32
サンダル雑費Ft329wienで購入した記憶
食事飲食費Ft375ビール7?、鯉こく125,鶏唐揚げ145、コーヒー25
映画教養費Ft80確かハンガリー革命(動乱)がテーマ
Mikroszop教養費Ft0[Nagy Mezö út]キャバレーFt150だがもぎりのおばさんの好意

5月5日(土)メモなし。Budapest泊
  • Budapest泊
切符交通費Ft168*2
ジュース飲食費FT65
Iparmüvészeti Müzeum(工芸美術館)教養費Ft20印象なし、R有
ストロガノフ他飲食費Ft398スープ45、スト245、ワイン48、kave25,35
TEA,TURO-TOR.HOTELGELLERT飲食費Ft75紅茶40、TURO-TOR35。R有。Gellért tér1.

写真・デブレツェンphoto5p(tl563KB)

5月6日(日)Budapest-Debrecen泊
  • 名所・博物館巡り
  • ブダペストの民宿はすでに3泊、ホテルに変更するか迷ったが、どうせ替えるならと、Debrecenに行くことにした。
       (辞書も引かなかったから不確かだが)何やらルーマニアの救国戦線が遊説を盛んにしているとか、Daily Newsに出ていた。ルーマニアの政治情勢が急変すると困るので、ハンガリーに2、3日いて、早めにルーマニアに入り、田舎を少し回って様子を見ながら、首都に入りたいと思っている。
    しかし、カメラがやっぱり重い。
       ルーマニアをどう回ったらいいのか、まだ決められない。この旅行は仕事にからめなかった。言葉がわからないから、正確な取材ができるわけがない。義務感なく楽しんだことだ。
       もう一泊することの目的は、テルマル(トルコ風呂)に入ることだった。「地球」に出ていた中で入れそうな古い豪華なホテルへ行ったが、今日はダメ。明日ならと言っていた。その他の方法を探そうとしたが、地球に出ている施設の住所が地図の索引で見つからない。ビザを2回分とっているので、今回はやめにして、またハンガリーに戻ってきて、その時に実行すればいい。

−ここから7日に書いている−
  • それで、デブレツェンへ。
  • ブダペストの民宿を出るとき、おばあさんに家族構成を聞いたら、子供(女)が二人いるという。その形跡はなかった。しかし、家の前に置いてあったあのバイクは何だろう。
  • 切符は西駅でちゃんと買えた。コンピュータから出てきたレシートのようなもので、注意してみると「急行」と書いてあった。
       同じコンパートメントにいた図体の大きな男は、しきりに独語対照のハンガリー語会話の勉強をしていた。=10年後にこの男の記憶はない。バイクの記憶も=デブレツェンの一つ手前の駅で降りた。
  • 「地球」の地図は、極めて不十分だ。どのくらいの距離があるか分からずに、「地球」に載っていたホテルにあたろうと歩き出した。最初の安いホテルは、今回は避け、由緒ある「黄金の牡牛ホテル」にチャレンジする。
       ところが、値段を聞いたらFt1880(朝食込み)ということ。その前にその2倍くらいの値段を言ったので、この本には、そんな値段では出ていないと文句を付けたら、シングル=?=を出してきた。ひょっとしたらこれまで言いなりだったので、ぼられていたかもしれない。=「地球」には「バス、朝食付きシングル40USドル..89年12月現在、シングル1200Ft、朝食140Ft」とあった=。
       僕の泊まった部屋は、白を基調としていてきれい。天井も高く、バスルームも広く、シャワーも新しく、タオルが二枚、バスマットも備えてある。入り口の扉が2つ付いていて、なかなか豪華。バス付きの部屋は、この旅行では初めてだ。
  • 町の見物ということで、気ままに歩いていくと、団地に入ってしまった。これは失敗。町はこざっぱりしている。車はブダペストより少ないが、オペルやカローラがあった。カローラのタクシー! =車には詳しくないが、東欧圏で初めて日本車を見た=
  • 大通りTanácsköztársaságのほぼ突き当たりにある、宮殿のような建物がコシュート大学Kossuth Lajos Egyetem。市民公園[市民の森Nagyerdö]に接している。HOTDOG売りがいたので、買い求め、ぱくついてから、公園の中に入ると、あの温泉があった。迷ったが入ってみることにした。=この温泉は、大きな森の温泉Nagyerdei gyögyfürdöといい、ハンガリーで最も整備された保養センターと「地球」にある=    客はいるが、がらがら。入り口付近もロッカールームなども閉まっていて、広いのでどう行けばいいかわからない。受付らしいおばさんに、どこかに海パンはあるかと、手振りで聞いた。なにがしか支払って、ロッカーの方へ。お兄さんがいて色とりどりの海パンが詰まった段ボール箱を出してきた。衛生的とはいえないが、気にしないことにした。タオルも持っていなかったが、言いそびれてそのまま入ってしまった。ロッカーはきちんとしていた。時計は必要がなかったが、つけて入った。
       38℃の湯へ。次に薬湯(ちょっとつかるだけ)、歩く水浴槽へ、水風呂と湯を交互につかるコーナーへ。この湯が一番熱かった。そしてサウナ。そして32℃、さらに泡風呂。あまり泡が出ていなかったからそこそこに出る。次に露天風呂。ゆったりとつかる。水を切って、少々濡れていたが、服を着る。帰りは、ゆっくりと湯上がり気分。海パンとシャンプーを買って、また来よう。
  • その晩、バスタブに湯を入れ、体をこする。どこの製作だがわからないが、香港を舞台とした活劇をテレビでやっていた。
       翌朝、シャワーを使う。
  • =この日の夕食は、記憶にないが、カルヴィニスト小教会とAranybikaの間にあるSzabadság étteremのことか=「地球」に載っていたと思われるレストランに入る。
    暗いレストランで、中は木製のドームになっていて、なかなか雰囲気があったが、ジプシー(?)ッぽい人達が、奥へ出たり入ったりしている。客が入ってくると、何か話しているが、出ていってしまうという怪しい雰囲気。そのうえ、メニューには、×印が多く選択肢が少なく困ったが、席を立たずに親爺にフィッシュは、と訊ねて、魚料理から適当に頼んだ。料理名はわからず、鯉の輪切りの煮物にマヨネーズ味のあんかけといった料理が出てきた。食べられないほどではないが、おいしいというのではない。
  • フォリントは、かなり余っているが、このまま黄金の牡牛ホテルに泊まるとなくなってしまう。どこへ行くか。同じ街でホテルを探して歩くのは、気分が乗らなかったので、Hortobagýに行くことにした。そこで1、2泊し、そしてルーマニアに入る。しかし、これはあまりいい計画ではなかった。時刻表をゆっくり検討することができなかったため、再びデブレツェンで降り、ルーマニアに行くための切符を買わなければならないことに気づいた。それに、温泉に入れたのにバス付きのホテルに泊まったのは、無駄なことをした。

写真・ホルトバージphoto7p(306KB)

5月7日(月)Debrecen-Hortobagý泊
  • FOGADÓで550Ft。部屋はトリプル。本当に「地球」の通りコウノトリが煙突の上にいた。実は、このホテルに着くまで極めて不安だった。駅はフォームもなく、駅前には何もなかった。駅前から広い道が線路に直角に延びており、皆、その方に歩いていくので、僕も歩く。400mほど歩くが、左右は民家らしいものだけ。自転車で来たおっさんが、「Zimmerッ」と声をかける。僕はともかく、コウノトリをと、笑いながら、「ノー」といって断る。彼が、入っていった家の前には「ZImmer-Frei」と書かれた看板が出ていた。本当の民宿だ。後で、歩き回ったとき、同じ様な看板を出している家を他に2軒見つけた。これは、商売になる。
  • FOGADÓの右筋向かいは、ABC。目の前はPOST BANK。ABCはよく見かけるスーパーチェーンだが、ここには商品がほとんどなかった。PÁSZTORMÜZEUMをさっと見学。なるほど、シチュー(鍋)はこうして、始まったのかと思った。絵葉書は15Ft、まあいいか。
  • 昼、この旅籠で、豆入りグーヤッシュを食べたので、夜は羊飼い博物館の前のレストランで、と考えたが、では何を食べたらいいのか。マジャール語とドイツ語のメニューしか渡さない。スープの一番安いのにする。高いものは、何が入ってくるかわからない。これは、ポテトとうどん粉の平らなもの=ニョッキか=が入った野菜スープか。色は赤いトマト色だが辛くない=パプリカか=。そして、肉部門は、シュニッツェルでないものを選ぶ。ところが、ヨーグルトをかけたストロガノフだった。これと同じような料理だったら、これまでに食べたことがある。それにしても、言葉が分からないので、困ってしまう。
  • 格好つけて、てきぱきとこなしていた若いウェイター。ずるそうな目つきをしていたが、最後に珈琲を「カーヴェ」と発音し、注文し、手持ちぶさたにしていると、ツカッとテーブルに手をつき、耳元で「チェンジマネー」。「ノー」と拒否したが、その態度が堂に入っていたので、ニヤッと笑ってやった。 これまでドルを交換したいと声を掛けてきた者は、卑屈さが目立っていたが、彼は態度が大きかった。
  • いったん、旅籠に帰り、シャワーを浴び(一人しか泊まっていないのではないかと思うほど、静かだった)、また、夕方のプスタへ出かけた。旅籠の前は、広い道路なので、何分かに1回は車の音がするが、むしろ聞こえるのは、カエルや鳥の声。昼、芝生には寝ころばなかったが、今度はやってみた。左足の足先方向は赤い夕陽、頭の右上方向には、スーッととてつもなく長い白い帯状の雲が見える。草が少し湿ってきたので、引っ越ししベンチの上に寝そべった。
       旅籠の部屋からは、街路灯の明かりが邪魔し、星はあまりたくさんは見らない。2階が宿になっているが、どこからも明かりはもれていない。宿泊客は僕一人かもしれない。


5月8日(火)Hortobagý-Debrecen泊
  • Hortobagý-Debrecen泊
絵葉書通信費Ft16飯沢氏宛
コーラ飲食費Ft9
宿泊宿泊費Ft450オムレツ付き、安い
ホルトバージ−Debrecen交通費Ft44
コーラ飲食費?Ft-
[CNG]cash$15>>Ft940
水泳パンツ雑費Ft295温泉用
シャンプー雑費Ft25
地図ブクレシュチ,デブレッツェン資料代Ft56,30R有。ハンガリー人に日本語教科書を買わす。「地球」に不掲載の店に同行
ケーキ、コーラ飲食費?Ft-
Debrecen−SatuMare交通費Ft65

便箋の残りから。=  =内は1999年時のコメント。
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