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東欧日記-2-チェコスロバキア編1

写真・ブラチスラバphoto5p(488KB)

−−日本へ出した手紙(旅のメモ)から書き起こす−−=等号で囲まれた部分は、帰国後ほぼ10年たっての記憶とチェックによる文章。
5月1日(火)WienからBratislavaへ
  • ウィーンのBusbahnhof Mitte(つまりはウィーン中央駅のバスターミナル)からブラチスラ行きが出る。地図にはAutobus-bahnhof となっている。滞在していたホテルの最寄り地下鉄U-Bahan駅Kettenbrückengrasseからは、3つ目の駅で降りればいい、という楽勝のケース。
  • ホテルでは、宿泊代が約束の金額と違っていたので、訂正させるというハプニング。72時間切符の期限は切れていた。102シリング、市内・近郊の市電、バス、地下鉄が有効。丸3日間有効。金曜日13:00に最初に乗車したスタンプが押されている。自動販売機で7ASの切符を買ってホームに駆け込んだが、どうもおかしい。人がまるでいない。7時を過ぎているから、地下鉄は動いているはずだが、10分近く待っただろうか、=隣のホームに=地下鉄が入ってきたが、行き先表示がいつもと違う"赤"。=運転手が=何か叫んだが、わからない。=こちらのホームには=、まだ電車が来ない。さすがにおかしいと思い、他の方法はないかと考え出した。
        時間的には十分なはずだったが、かなりあせった。タクシーしかないだろうと、外に出たら=僕のように地下鉄が動いていると思っていた人のために=タクシーが待っていた。しかし、シリングはバス代を除けば、ごくわずかしか残っていない。それでも乗るしかないと乗り込んだ。ターミナルまでは50数シリング。お釣りの小銭が最後のシリングだったので、チップを渡さずにタクシーから飛び出した。海外旅行で初めてのタクシーだったが、勢いで乗ってしまったのだ。
        本当にここがバスターミナルかどうか、=間違っていたら最悪なので=建物に入り確認した。発着ホームには=すべてを見回しても=まだ7,8人しか並んでいない。ここでは、切符を買うだけであとは、日本人二人組を待つだけだったが、とうとう来なかった。体調が回復しなかったのだろう。
        出発時間の8時近くなって、便意を催した。隣接していた鉄道駅の方に探しに行くと、運良く乗るべきホームから100mぐらいの所にトイレを発見した。ただ、"大"の方のドアが閉まっていた。困っていたら、おじさんが横のドアを開け、顔を覗かせ壁を指さした。2.4シリングと書いてある。3シリング渡すと「ダンケ」と言ってそのまま。結局、手元には10円以下しか残らなかった。
  • バスは順調に走る。景色が広々としてきて、国境近くを思わせた。快適な旅。国境の検問所でバスは止まった。初めての東欧入り。最初にヨーロッパに来たときは、航空機以外では国際列車で越えている。国境をバスで越えるのも初めてだ。隣のオーストリア人がバスの外へ出た。たばこをすうためだ。=バスの中で予め=渡されていた「持ち込み荷物申請書」を回収しにカーキ色の制服を着た係官が、バスの中に入ってきた。やや待っていると、パスポートとVISAの確認をしに=別の?=係官が入り、おおざっぱに一瞥していた。彼が僕の近くに来たとき、VISAを取っていないことを=おそらく言葉としてなっていないが=グチャグチャとしゃべった。彼はバスが横付けされた事務所の方を指さした。国境での手順など知らなかったので、じっとバスの座席に座っている時間が長かった。
  • あわてて事務所に入ると、何の手続きをするためかごった返していた。「VISA申請書」これは、チェドックでもらった用紙にすでにホテルで書き込んでいた。顔写真も用意はしていた。次は、「両替」。ここでかなりの待ち時間があった。昨日、チェドックで受けた説明が役に立たず、すっかり焦った。バスを降りてすでに30分以上たただろうか=おそらく実際はそんなに経っていない=。受け取った金のチェックもせずに戻ると、なんとバスがいない!!荷物を乗せたまま、先に行ってしまったのだ。
  • 制服を着て、そこにぼんやりと立っていた男や、紳士風の男に「どうしたんだ」「どうすればいいのだ」と聞いた。困惑と不安と悲嘆の表情だったはずだし、何が起こったか理解はしただろうが、「こっちへ来い」とにこにこしている。しかし、無関心になった。何をしたらいいか分からず、少し黙ってしまったあと、再び「どうしたらいい」と話しかけたら、「2qだから、歩いて行け」という。=2qでは近すぎる、聞き間違えたかもしれない=。どうも、彼らはまったく僕を助けようとしていない。バス代は払っているのだし、歩くなんて。
  • 幸いパスポート、取得したばかりのVISA、トラベラーズチェック、ドル現金、両替したばかりの現金など、旅行で重要なものはすべて小さなバックに入れ、身につけていた。持って行かれたなかでは、金目のものはカメラぐらい。それもなくても困らない。朝だったし、晴れていたので、歩くしかないか、と歩き始めた。国境近辺は街ではない。もちろん、歩いている人など誰もいない。道は広かったし見通せたので、不安感は薄れてきた。車は少なく、やって来ると申し訳程度に指を立てながら歩いた。ほとんどあきらめていた頃、1q近く歩いたころに、50mぐらい先に行って乗用車が停まった。僕は、ゆっくりと近づいていったら、ドアを開けてくれた。なんと予定外のヒッチハイクだ。
  • 青年だった。古いシトロエン。テープでロックを聴いていた。小さなヌード写真がぶら下がっていて、ほほえましかった。ともかく、バスの終点を見つけなければならない。「地球の歩き方」にはAVIONターミナルと載っていた。このターミナルかどうかも確かではない。ターミナルの方向を示す矢印は、"フルバン広場Hurbanove nám.から右上に伸びるObchodn&aaute;が分岐するMickiewiczovaの先"を指している。地図に載っているが、どのくらい先かわからない。そもそも、「地球」の地図は、方位も縮尺もないという、地図とはいえないものばかりだ。もちろん、国境から街までの地図もなく、まったく見当がつかない。あせって荷物が先に行ってしまった状況を説明し、終点にまず行きたい、ということを伝えようとした。言葉が全く通じず=英語はごくわずか知っていたかもしれないが=日本語で話しても同じだった。ともかく、手真似で、僕がターミナルに行きたいということだけは分かったようで、街中に入ると、AVIONを探し始めた。AVIONは二つありそうで、最初、彼が行った所はどうやら違うようだ。窓を開けて派手な服装の若い女性に現地の言葉で聞いたら、何とか分かったようだ。=AVIONの位置は、現在、当時の市街図と「地球」の地図、文面から探しているが、地図にはそのような名は載っていないし、「ターミナルの両側には市電乗り場があり、No4,9,10,12とNo11が通っている」という記述と、地図の市電の路線番号を照らし合わせても、まったくわからない。=
  • 彼が乗せて行ってくれた所は、いかにもターミナルらしかった。これからがまた大変だった。彼は、まずホールのような所にあった切符売り場へ行った。売場の係りは「バスがいつ、どこへ行って帰ってくる」とか、切符を見せても「半券があるとか、ないとか」言って、完全に誤解している。ということは、僕の荷物を取り戻したいということを、彼に説明できていなかったのだ。で、彼は自分の判断で、「荷物預かり」のおばさんの所へ行ったが、ここにあるわけがない。建物内のインフォメーションは休み。今日はメーデーなのだ。
        で、一度建物の外に出て、車の所に戻った。ちょうど、きれいな背広を着た若い男性が通りかかったので、彼がつかまえて、僕の英語を彼に2,3分、通訳させた。背広の男は「ノープロブレム」と言ってさっさと行ってしまった。彼は、今度も自信ありげに、また建物の中に入っていき、事務所の中からすぐにキーを持って戻ってきた。そして数十台も駐車しているバスの方を探しに行った。=僕には乗ったバスがどこに駐車してるのか、見当が付かなかった=「BB」ブンデス○○と車体に描かれたきれいな黄色いバスだった。バスの横腹の荷物スペースを、持ってきた鍵で開けると、何もなかった=わざわざ、引き取り手のない大きなバッグを盗んでいく人はいないだろう=。どこかに保管されているはずだ。彼は、また自信ありげな足取りで、また建物に戻り、今度はホールをはさんで事務所と反対側の入り口から2階に上った。そこは食堂でそのフロントと話していたが、どうやら別の目的地を聞いた。ホールで、別の職員でもないようなおばさんに聞いたが、建物を出て、彼の車の横を通り過ぎ、運転手の待合所のような所に行った。人気のない所で、中のドアを開け、カウンター越しに彼が、一言声を掛けると、職員は無表情にカウンターの下からバックを取り出した。
  • =「ニコッ」としたか「ありがとう」と言ったか、覚えていない。ホッとはしたが、それまでの不安と努力からすれば、あっけない幕切れだった。何か、受け取りのサインが必要かと思って、サインの身振りをしたが、首を横にふって無表情に手渡してくれたのだ=
  • 次がある。まだ、きょう泊まる所を決めていない。休日でも開いているブラチスラバ・インフォメーション・センターを探すこと。レニングラード通りLeningradskáにあると「地球」には書いてあったので、彼に車で中心街まで送ってもらった。彼も迷い、歩いてみたが見つからない。大きな建物であると書いてあるにもかかわらず、地図には載せていない、いい加減な本なのだ。そこで、街のインフォメーションはあきらめて、直接ホテルに行くことにした。「地球」に出ていた安い宿泊施設、CKM(ツェーカーエム)と発音したら、彼はCKMのホテルと合点のいく顔をした。もう大丈夫と言ったが、車で送ってくれた。それがSPUTNIKだった。=ここまで付き合ってくれたのなら、甘えてしまえと、泊まれるかどうか不安だったので、車で待ってもらった。学生は、50コルナだったが、一般人は336コルナ。ツイン、シャワー・トイレ付き。1night1person。ホテルよりは安いが、思ったほど安くはなかった。受付を済まして、車に戻って彼に報告、ようやく東欧第1日目の夜が確保でき、緊張感が緩んだ。彼にお礼をしようと、財布からカネを出す仕草をしたが、首を横に振った。では住所を、とメモを書く仕草をしたが、それも断って、オンボロの車で去っていった。言葉が全く通じなかったこともあったが、無口で信用のおける青年だった。
  • =どの道を通ってブラチスラバに入って来たか曖昧だったが、ようやく推理できた。JTBのガイドブックによるとウィーン−ブラチスラバ間は66qだ。大縮尺の地図ではブラチスラバは国境に接している。これまでは、BratislavaのKcs12.-と印刷されているが、16コルナした市街図を見ていた。厚いが紙質が悪く、さんざん使っているので、折り目が切れそうになっている。1989と書いてあるから印刷はそれほど前ではないが、地図を製作したのはSlovenská kartografiaで、おそらく1983年だ。そのためバスターミナルが明示されていないのかもしれない。ドナウ川の西南は省略され、RAKÚSKOとある。これはオーストリアのことか。その方向に伸びている幹線道路の端に矢印があってViedenとある。Wienのことだろう。すると緑の太い線が国境、凡例でそう書いてある。この幹線道路は「E58」。
       現地で買ったが使っていなかったWienのFalkPlanという詳細な市街図を出して合わせてみ。東南の隅へ伸びている幹線道路が「E58」で、その方向にBratilavaとある。道路がつながった。
       今、大ざっぱに測ったが、国境からSNP橋まで4q弱。国境から市街地の外れまでが2qだった。問題でないといった顔で「2q」と国境の係官が言ったのは、聞き違いではなかったのだ。しかし、中心街の入り口までは4q弱あり、僕の感覚も間違いはなかった。しかし、依然としてターミナルがどこかにあるのかはわからない=
−以下は、乏しい記憶とメモを書き込んだ地図による−
  • =フェスティバルを目的として1日に乗り込んで来た以上、見なければならない。「地球」には、中央駅Hlavna Stanicaからの記事が載っている。土地勘をつかむために僕も中央駅に出た。
       腹が減っていたが、どのへんにレストランが多いのかわからない。駅に立ち食いのコーナーがあった。なにかゴミゴミしていて、客の男たちの身なりもラフだ。ともかく、腹を満たさなければと、名前と物が一致するポテトとロースハムを頼んだ。14.1Kcsでとても安い。この駅とブラチスラバの印象で、チェコスロバキアがかなり貧しい印象を受けてしまった。スロバキアとプラハは経済的にまるで違うことは、あとでわかった。=
  • =そこから、旧市街の方向へ降りていった。ピオネール宮殿Pionerský palácのある庭園の中に入る。朝からの事件で疲れていたし、寝不足だった。青空の下、しばらく芝生の上で休んだが、まぶしかった。近くに、高校1年生ぐらいの男女が座っていた。話しかけると、彼女の英語の方がうまかった。確か、同じ学年だったと思うが、女子の方がずっと大人っぽい。ブラチスラバの印象を尋ねられたが、朝からのことがあり、疲れていたので、きれいだとか、いい街だとか、お世辞をいえなかった。彼Marekは17歳、十種競技をやっているとか、恥ずかしげに話す。市街地図を出して、フェスティバルの会場となっている広場や劇場を12カ所示してもらった。初めはTheaterに行くことを考えていた。今見ると、ドナウ川ではレガッタ、聖マルチン教会ではFestmesseをやっている。帰り際、彼女から「彼が文通をしたいと言っている」というので、住所を交換した。帰宅後、彼らの写真に英語文を付けて送ってあげた。正しい英語を書けるわけでもないが、彼らから手紙は来ていない。=
  • =Postováを歩いてSNP広場へ向かった。広い道の向こうで若者たちが集まっていた。交通を止めていたかもしれない、やけに広かった記憶がある。SNPはユーロロックの会場であった。スキンヘッドの若者がたむろしている。"社会主義国"のスキンヘッドか、面白いと思って、カメラを構えると、高校1年ぐらいのやや太り目の男子がすーっと近づいてきて、ぼそっと耳元でささやく。スキンヘッドをあごで指し「彼らには注意しろ」とでも言ったようだ。お節介な奴と思ったが、無理にカメラは向けなかった。=
  • =写真と地図から推理すると、ジブロバDibrovovo広場に違いないが、フォーク、ストリートミュージック、Kleinkunstの会場では、若い女の子が、激しく踊っていた。Hviezdoslavovo広場は細長い公園で、ジャズやブルースが樹木の下で演奏されたり、子供向けの催しがあるなど、家族向けのほのぼのとした会場だった。
       垂れ幕や看板には気が付かなかった。お祭り騒ぎとまで行かないが、地方都市の行事といった風で、その通りだが、集まってきた人達は、存分に楽しんでいた。目に付いたのは、若い女性の派手なファッションだ。とはいっても服装の形や色のセンスは、日本人よりずっとよさそうだ。国による差があるが、東欧全体の印象では、金銭的に豊かではないはずだし、物も明らかに少ない。店の品揃え、地図やノートなどを買った経験、観光パンフレット、市電やバスの切符の材質からして、質も劣っている。でも、おしゃれ感覚は、どの国も日本よりいいみたいだ。化粧品なんか持ち込めば、飛ぶように売れそうだと思った。
  • 宿にしたSPUTNIKには、どんな食堂があるか確認してこなかったこともあって、夕食は街でとろうとしたが、レストランが見つからなかった。市街図にはレストランの印が付いているが、確かなのは高級ホテルのレストランだ。昼間見て場所を知っていたミエロベ広場に面したホテルForumに入った。インターコンチネンタルホテル系列、1989年2月にオープンしたばかりで非常にきれい、大ホテルでなく気に入った。89年9月発行のJTBポケットガイドによると、シングルバス付きでUS$66ぐらいからとある。
       日本食に飢えていたわけではないが、魚があれば魚にしようと、魚料理はないかと尋ねた。宿も食事も安い所を探す方針。それと、遅くなってうろつくものいやなので、レストランに入る時間はだいたい早い。したがって客がいないか、少ない。どんな料理を注文しているのか、観察することもできない。英語のメニューがないところも多く、かなり困るのだが、勘で注文する。朝や昼に軽く済ましていることが多いので、ときに贅沢に余計な皿を頼む。日本でよりもたいてい量が多いからここでも困る。ただ、歩き回っているから食べられてしまう。このホテルのレストランSlovakiaでも、魚の名も料理の名は分からなかった。領収書はしっかりしていて、内訳も分かるが、略号なので内容を思い出さない。分かるのは「ESPRESSO10G12.00」ぐらい。本体は115コルナだが、それにしてもtax50%とは知らなかった。結局、昼の12倍の経費をかけたディナーだった。
       この10gで思い出したが、東欧諸国ではすべてかどうかは忘れたが、グラスに分量の目盛りが振ってあったり、領収書にはこのようにgなどの単位が記されていることが多い。(ホットコーヒーをグラスで出す国がある)。なぜこういうシステムになったのか、面白い。
       朝から全く日本人には会わなかったが、数人のファッションからして日本人女性をこのホテルで見掛けた。こんなホテルを予約して団体旅行なら楽だよな、と思ってしまった。=
ホテル宿泊費AS550
U-Burn交通費AS7busターミナルへ行くため地下鉄。休み無駄金
TAXI交通費AS54急遽タクシーでバスターミナルへ
toilet雑費AS3バスターミナル有料トイレ。
バスWien-Bratislava交通費AS74国境で置いて行かれる
[CNG]国境cash$54>>262Kcs+3日分visaKcs862(1$=15.96KcsKcs336/1day?)内訳不明。
ロースハム、じゃがいも飲食費Kcs14.1駅ブラチスラバ
PSTRUH他HotelForumレストランSlovakia飲食費Kcs173.70FLZ.CAP12%、12.00、HRIB.POL+SMO9.00,PSTRUH/SMOT.59.00,
ESPRESSO10g12.00,ROST/ROL/SAL(サラダか)20.80,COUVERT(カバーチャージか)3.00
tax50%total173.70。R有
Kcsコルナ

5月2日(水)Bratislava泊
  • 朝食にプレーンオムレツ、コーヒーを頼んだら、パン、バター・ジャム付きで16.50コルナだった。これは満足。
  • =今気づいたのだが、ブダペスト行きの切符を2枚買ってしまったようだ。ブラチスラバ中央駅のチェドックで買ったようだが、手元には00225と00226と印字された硬券(昔の厚い切符)が2枚ある。58コルナか、Rbl(予約料か)を合わせて63.80コルナ。その2倍。1枚の切符にのみ「377   90.05.03」とは、チェドックの係員が書いたのだろう。この人の数字は、5と3の区別がつきにくい。恐らく2等と言った時に指を2本出したのだ。パリでWien行きの切符を買うときに、やってしまった間違いだ。2枚ある不自然さはずっと記憶になかった。 377列車は、Berlin−Sofia間を走る「Meridian」号だ。Bratislava Hl.st.(中央駅)は11時24分発−Budapest-Keleti pályaudvar(東駅)15時20分着だ。最もオーストリアに近いルートを通るRusovce/Rajka(ハンガリー側国境駅)経由。Rajkaは9時33分着、10時12分発と、後に買ったハンガリーの時刻表にはある。距離は234q。=
  • =(ブラチスラバ中央駅と思われる)チェドックでは、ブダペストへのルートを聞いた。バスは水曜のみ。"ドナウ川の旅"をどこかに入れたかったので、これも聞いたが、水曜の6時発。列車はというと、4:35−8:00、5:59-9:00、11:24-15:20、13:44-17:20があり、いずれもmain stationから出るという。すでにこの日が水曜だったので、船旅は断念、無理のない11:24発に決めたようだ。=
  • =Sputnikと市街中心地の間は、バスか市電elektriciekを使う。中央駅を経由している34番とSNP橋下のバスターミナルから出ている54番のバスは、Drieñováという通りを走るが、たぶんTokajckaと書きトカイスカと読む停留所で降りると、Sputnikに最も近い。池の北岸にホテルが建ち、その北をDrieñováが走っている。2日には、池の南側のKarolaという大通りには市電が走っていたので、停留所を見つけそこから中心街に出た。どこをどう走っているのか見当が付かなかったが、市電は相当なスピードで走る。路盤がしっかりしていないのか、揺れがひどい。カーブのスピードも速い。今、地図の裏の索引を見て気づいたのだが、これはexpresnéという路線で、市電の急行のような路線らしい。一般の市電elektriciekのほかにexpresnéという範疇があった。深夜バスnightbusも。東欧圏全体では、バスは「オートビュス」と発音すると一度で通じることが多く、市電は「トラム」か「トラムバーイ」が通りがよい。=
  • =ブラチスラバのランドマークの第一は、聖マルチン大聖堂Kostel sv. Martinaとブラチスラバ城の組み合わせで、第二はSNP橋の南詰め斜めに建つブリッジタワーかもしれない。ブリッジタワーは、聖マルチン大聖堂とブラチスラバ城の間を横切る(観光写真では隠れている)高架道と同様に景観を台無しにしたという意見が多そうだ。東京では、こうしたタワーに登ることはしないが、海外では街の景観を望むのにはいいので、僕の観光ルートにはたいてい入れてある。中をエレベーターが通っており、展望レストランに出る。 Sputnikからもそうだが、丘の連なりが間近に見える。市街地は狭く、その向こうには緑地が広がる。南岸は団地が見えるが、すぐに緑地が広がる。ポケットガイドでは人口40万人とある。
       昼時だったので、何か食べたかったが、メニューを指しても、これもあれもないという。結局はビールと、おつまみのようなサラミ、パンだけだった。当然ありそうな所にない。かなり忍耐のいる期間が続く。=
  • =ブラチスラバ城に行ってみた。見学順の矢印にしたがって部屋を見て回るような城ではない。質素な城だ。一部は、スロバキア国立博物館Slovenské Národné Múseum となっていた。スポットライトを浴びたビーナス像の展示が雰囲気が良く印象にあるくらい。「地球」には総合歴史博物館のようなものと書いてある。ドナウ川桟橋近くにも国立博物館があるが、「地球」では国民博物館と訳されている。こちらの方には入った記憶がないが、Slovenské Národné Múseum と BratislavskýHradとが並記してある入場券の半券を持っている。地図の索引によるとどちらもSlovenské Národné(英訳はnational)Múseumだ。
       ここで思いがけなくも日本人女性の二人組に会った。ブクレシュチに行って帰ってきたところ、「国際列車の切符を買うのにずいぶん並ばなければならない」という情報を教えてくれた。もったいないなと思いながら、聞いた。後にブクレシュチでは、十分時間をとってどんな事態に遭っても驚かないつもりで、切符を買いに行った。彼女たちが東欧圏に入って初めて口をきいた日本人だった。まだ、スタートしたばかりだったので、連絡先の交換をするというほど、"バックパッカー"になっていなかった。=
  • =ホテルに帰っても、一人だとやることがない。地下にディスコらしき所があった。入り口に"黒服"ではないが、若い男が立っていた。入れるかどうか、聞いてみた。英語が通じたかどうか分からないが、初めはなぜか不明だが拒否していたが、カネを払うからというそぶりをすると、40コルナで入れてくれた。中は薄暗く、思ったよりたくさん人がいた。踊っている人もいたが、それほど騒がしくはなかった。いろいろな国から来ているのだろうか、何かバラバラだった。ワインを頼んだが、踊るわけでもなく、相席しなかったので、話すきっかけがなく、ただ時間が過ぎるのをを待っているだけだった。若者ばかりだと思ったが、40代ぐらいのおじさんが、手招きをしている。年齢的にも服装も顔もどこか泥臭く、都会的な雰囲気から浮いていた。「ユーゴスラビア」から来た男ということだけ記憶している。ユーゴのどの地方かは知らない。彼とあったおかげで、実際にユーゴを訪れるまで、ユーゴって田舎なんだと、思い込んでいた。大きな間違いだった。=
  • =1日のことか2日のことだったか、さんざん街を歩き回って夜かなり遅くなった。(2日にはディスコを覗いているのだから、おそらく1日だ)。宿までの距離は、例えばForumから3qぐらいなので、歩けないことない、と考えたが、ともかくバスが出ている中央駅に歩いていった。中央駅からは深夜バスがある(いつ知ったか忘れた)。人通りの全くない大通りを足を引きずりながら歩いていくと、立体交差の下を通った。その歩道に5、6歳の女の子が座っていて、何かを差し出した。花かお菓子か。身なりはきちんとしていたし、不潔ではなく、笑顔だった。これまで日本のような物のあふれるような街ではなかったが、ホームレスのような人は見掛けなかった。この子はどうしたんだろう。そのまま通り過ぎたが、驚きと共に得もいえぬ哀れみが沁み出してきた。=
オムレツ、パン、コーヒー[SPUTNIK]飲食費Kcs16.50朝食7.50,8.20,0.80R有
切符交通費?Kcs19.40中心には市電を使う。
ブリッジタワー入場料教養費Kcs3.00R有
ビール、パン、サラミ[BYSTRCA]飲食費Kcs60.15タワーのレストラン。メニュー少。
ブラチスラバ城=Slovenske Narodne Museum(スロバキア国立美術館)教養費Kcs4.00R有。日本人女性からルーマニアの情報
入場料[sputnikのディスコ]教養費Kcs40.00宿泊者か客は多い
ワイン、ツマミ[sputnikのディスコ]飲食費Kcs45.00ユーゴ人と話す
[CNG]ヤミcash$16>>?記憶なし

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