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02/12/24
大丸風呂と岩風呂は19:30にて男女交代。
03/01/24
TVで「千と千尋の神隠し」を見た。あの湯船は大丸風呂からのイマジネーション? |
宿の向かいの駐車場にクルマを入れて、車列の絶えない国道1号線をヨーイドン!
で渡り切り、玄関前にて深呼吸。一息入れて、文人好みの福住楼の引き戸なんぞをソロソロ開ける。なんせ、ワタシは凡人だからね。
コイ戯れる池をチラリと右に見て、続いて風呂場を左に見、いったいどこまで行くのだろうか、この廊下。いったん、外へ出、すぐ離れ。玄関くぐって、さらにグルグル、ようやく今夜のお部屋に着いた。
何でも、「せせらぎの間」といって、玄関からは一番遠い部屋なのである。ワタシにそこまでのたしなみはないのであるが、茶の湯も楽しめる八畳和室に、六畳の次の間がつく。広くもなく、狭くもなく、ちょうどよい塩梅。さすが、小田原からも近いはず。
早川の瀬を渡る水音が、障子の向こうから、それこそ、年の瀬だと言わんばかりに鳴り響く。あまりの大音響に驚いて、河鹿だって冬の眠りから目を覚ましそう。
さっそく、ガラス戸を閉じようとしたところ、そこにサッシの窓ガラスはなく、かじかんだ手だけが空しく宙をさ迷う。夜こそ、雨戸を引くのであるが、障子一枚で外気と接するこの摩訶不思議・・・。
この上下にスライドする障子こそ、かの有名な「雪見障子」かと、いたく喜び、その一枚一枚を障子紙に指など突っ込まぬよう、慎重に、慎重に、粗相のないよう上げてみた。もちろん、外に雪こそないが、日本人の細やかな感性が、うかがえる一瞬ではある。
夕食は懐石チックに、間を計らって運ばれてくる。あの長い廊下を端っこの部屋まで運ぶは大変だろうに、淡々と今夜の仲居さんは運んでくれる。
その昔、うかがった松阪屋のぜんそく持ちのバッ様ときたら、ゼィゼィしながら配膳をして、こちらが申し訳ない思いをしたもんだ。今ごろ、どうしているかな〜。
ちと年端のいった美人の仲居さんは息一つ乱さず、段々と打ち解けながら運んでくれる。出だしはあん肝、とどめはフグの唐揚げときて、デザートのメロンだってマスクつき。
いずれにせよ、素材は魚中心であり、味付け含めてなかなかいける。朝ご飯だって、またもお代わりしてしまい、宮の下の「太閤湯」はおろか、自然薯の店「しずく亭」にも立寄る気力すら起きなかったくらいなのだ。
風呂場への階段を下ると、やっぱり空気が違う。化粧室の椅子に腰を掛けることさえ、はばかられるのであるが、そこはそれ。しっかと腰掛けてはみたものの、似合わないったらありゃしない。
男性用の整髪料やらクシやら備えてあって、そもそも、殿方用の設備であったことがうかがえるのだ。ワタシの話をあとで聞いたダンナときたら、とても悔しがっていた。
大丸風呂は熱い! 清水で埋めずに入ったせいもあるが、ワタシにとっては、シャキッとさせてくれる熱さ歓迎。松の幹をくりぬいて造った大丸風呂の湯ぶちは銅版。熱伝導率のよい銅板枕に、湯面に浮かぶ先客の毛髪が、ひたりひたりと流れ去るのをじっくり楽しむ。あわてて掻き出すよりも、オーバーフローに任せた方が早いのだ。
大きな五右衛門風呂を思わせる、この大丸風呂。無色透明のお湯越しに自分の足がスラリと白く、やけにきれいに見えるのだ。もはや、ナルシストと化したワタシは、熱いお湯にもかかわらず、ずいぶん長湯をしたもんだ。湯上りのビールのおいしかったことといったら、たまんない。
となりには「中丸風呂」もあって、やや小ぶりながら造りは同じ。
朝風呂は、ザブンと浸かってカラスの行水が信条なのだが、岩風呂の顔面をながめていると、幾様もの表情織りなす。清水が流れ落ちる岩の左では馬、いや、恐竜が水を飲んでいる。右では水を欲しがっている、口を開けた大きな魚の顔が見える。
じっくり岩をながめていたら、すっかり湯のぼせしてきたぞ。水分補給にかこつけて、朝っぱらから、また一本、いただくことにしようかね。
いずれも、湯本のアルカリ性泉を浴槽内に注入しているので、大好きな洗顔ができない。しかし、そんなことでめげるワタシではない。出てきたばかりの湯玉を素早くかすめ取り、お顔にジャバッと浴びせるのである。やっぱ、違うわ〜。このしっとり肌が都会に戻ってからもしばらく持つのがウレシイな。
帰り際のお勘定、仲居さんが精算に来る。やはり、和風旅館はこうでなくてはならぬのだ。ノーペル文学賞を受賞した川端康成が、「川端さ〜ん、12万5千円です」って、お帳場で支払いしている姿なんか、決して見たくはないもんね〜。
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