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利尻を離れるにあたって

 利尻に着任して足かけ七年。自分のライフワークと考えていた「地域医療」を思う存分実践することができました。しかし、充実した日々にもいくつかの問題点について考えさせられることもありました。
 利尻島国保中央病院では、十年以上も前から自治医科大学卒の医師三人が二年交代で診療を続け、病院の改善を心がけてきました。九五年には患者さんの視点に立って病院内を改善する「孫の手委員会」を組織し、接遇の改善、個人用のテレビや冷蔵庫の導入などさまざまな病院のソフト、ハードを改善しました。また、道などの協力を得てヘリコプターの救急搬送体制の改善、助産施設の建設などにも取り組みました。
 こうして病院そのものは着々と変わっていきましたが、あまり変わっていないものがあります。それは「地域住民の医療に対する意識」です。
 私はいつも患者さんに「別の病院へ行くなら紹介状を書きます」と言っていますが、中には黙って札幌の病院へ行ってしまう患者さんがいます。医師の力不足や患者さんの事情もあるのでしょうが、情報のない状態で別の病院にかかることは、結果として患者さんのためにもならないのです。
 医師は、患者さんが信頼を寄せてくれればそれに応えようと努力するものです。特に地域においては患者さんの信頼が良い医師を育てるということが、実は大切なことなのですが、案外理解されてません。
 また、初診の患者さんがすでに何も治療できない手遅れの状態で当院へ来て、みすみす手の内で死を待つしかないという方が年何人かいます。もう少し早く病院に駆け付けてくたら、もし定期検査を受けてくれていたら・・・・。医師としては悔しい限りです。
 こうした問題を改善するためには、住民の意識を変えていく以外にないのです。そこで、まちの有志を集めて相談しました。「よい病院のかかり方を勉強しませんか。それもお仕着せではなく、自分たちが勉強する形で」
 予想以上にまちの人たちは意欲的で、すぐに会は結成し「利尻島医療フォーラム」が誕生しました。このフォーラムの柱は、会員同士が不定期で集まる勉強会と、年一回の講演会です。第一回目のフォーラムは「救急医療についてー救急車が来る前にしなければならないこと」をテーマに今年九月七日に開催しました。約百人の町民が集まり、熱心に耳を傾けてくれました。二回目以降は「病院のかかり方」「症状がないことが健康の証ではない」「安心して老後を迎えるために」などを予定しています。目的はあくまでも住民が主体となって自分たちの健康と利尻の医療の方向を考えることです。
 一方、現在島にある三つの医療施設の連携や機能分担を考え、医療施設を統合し、その代わりにサテライト診療所として当院からの医師派遣を検討してみました。しかし、行政上の機構や地元の利害などがからみ、話しが先に進まないのが実状です。
 利尻島という小さなエリアの地域エゴと、政治的な思惑により、本来あるべき「地域住民」のための医療が見失われている現状は、島を離れる私にとっての唯一の心残りです。私は「医療」の本質は「平等で民主的」であるべきだと思います。都会であれば助かるが田舎では助からないとうことはあってはならないと思うのです。ましてや小さな島の中ならなおのことです。
 また医師が地域医療に携わるということは、単に病院で患者さんを診察するだけでなく、地域の人たちの生活をベースに医療、保健、福祉の面からサポートすることも意味するのです。
 フォーラムの発足にあたり、薬局を経営している中川原潔・実行委員長からは「健康はわれわれにとって重要な課題。それは医師に与えてもらうものではなく、われわれが自分自身で管理してゆくもの」と、大変心強い弁をいただきました。これからの利尻ではきっと医療関係者に限らず、住民自身による健康教育、啓蒙活動が広がっていくことと思います。
 
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