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待望の助産施設

 「帝王切開になります」
 病院に緊張が走ります。二週に一度島に来る札幌医大産婦人科の出張医が、ある妊婦さんの胎児が弱っていると診断しました。手術の用意です。
 帝王切開を決断した時点で外来は臨時休診。当然外科医、そして私も手術の介助に入ります。当院には助産婦がいないので、医師が出生児をとりあげるのです。
 赤ちゃんが元気に生まれたことが確認されると、当院から隣町の助産施設へ移されます。当院では様々な制約から新生児を診ることができないので、隣町の七十六歳の助産婦さんが、一時的に面倒をみてくれるのです。
 一方お母さんは術後の療養のため当院に入院します。そしてお母さんのミルクを家族の人たちが新生児のいる施設へ運ぶのです。出生後、母と子のスキンシップが一番大切な時期に、施設やスタッフが整っていないという理由で十二Kmもの距離を隔てられねばならないケースが少なくとも年間一、二件はあります。こうした理不尽な状況が、今まで長く継続されてきました。
 なんとかこの窮状を改善したいと、新しい助産施設建設の計画を作り始めたのが二年前です。利尻島での出生数は年々減少し、最近では年間約五十人。それでなくても過疎化が進むこの島に、若い人たちが安心して子どもを産み育てられる環境を医療サイドとして提供してあげたいと考えたのでした。
 慎重な協議を重ね、利尻・利尻富士両町の協力と理解を得て、昨年ようやく計画の具体策が動き出しました。そして道の支援をいただき、当院に増設の形で助産施設を建設することが平成八年度の道の補助事業として認められたのです。
 来年の四月にの診療科の一つに産科の名前が加わる前に、医師の出張回数の増加を大学医局に、そして助産婦の確保を民間病院へ依頼しているところです。
 病院の裏では硬い岩盤を打ち砕く重機が動き始めました。病棟の中で騒音と振動をやかましく感じながらも、きたる利尻の未来に思いをはせ、僕の心には心地よく響いています。
 
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