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「いざ病院」

利尻島国保中央病院では緊急時にいざ「鎌倉」よろしく、召集をかけなくともすぐにスタッフが集まってくれます。救急車のサイレンが鳴るとき、患者さんは例外なく当病院へ搬入されます。スタッフはサイレンの聞こえるところに住んでいますので、すぐに病院へ駆けつけてくれるのです。
 ある日の夕刻の光景です。私は夕飯前、子供と自転車で海へ行っていました。そこへ看護婦が「院長、急患です」。当番でない日に呼ばれるのはよほどの重患のはずです。「子供をお願いします」。子供を看護婦に預け、1Kmの道のりをマウンテンバイクで全力疾走で病院へ。
 患者はDOA(病院到着時死亡状態)に近い状態でした。当直の大西医師は、ICU(集中治療室)でCPR(心肺蘇生)の最中でした。大西医師は救急車が到着したのに連絡がないので、心配になり病院へ来てみると、すでに看護婦が処置で手を放せない状態でした。
 間もなく青木医師が汗だくで駆けつけました。3Kmほど離れたテニス練習場から走って駆けつけたのでした。
 たちまち婦長、主任をはじめ看護婦、放射線技師、臨床検査技師など十人ほどのスタッフが集まり、治療に参加してくれました。
 ある者はご主人の夕食の用意の最中に、ある者は救急時用のジャージを着て、ある者は胸騒ぎを感じて駆けつけてくれました。私を呼びに来てくれた看護婦も子供を送り届けてくれた後、すぐに病院へ駆けつけてくれました。ほとんどのスタッフが自発的に集合してくれました。
 緊急時は患者さんの救命のために、一分一秒を争います。そして多くの人手が必要です。人手がなければ助けられる者も助けられません。でも、電話で呼ぼうにも処置をしているために誰も手が放せなかったのです。スタッフの気持ちが一つになっていました。患者さんは一命を取り留めました。
 われわれが離島の病院でがんばれるのも、これらスタッフが支えてくれるからこそなのです。
 
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