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離島の急患と「特効薬」

 去年のちょうど今頃、早朝に一台の救急車が利尻島国保中央病院へ搬入された。
 「けいれんをおこしたのですが、今はおさまっています」
 眠い目をこすって患者さん(61代女性)を診察すると、どう見ても普通ではありません。体はびしょぬれで、よくみると血色も不良です。肺の音は?窒息!に近い音です。家族の話を伺うと、多量の水を嘔吐してそれを誤って肺に吸い込んでしまったようなのです。けいれんは窒息状態で暴れたためのようです。
 すぐに気道を確保するために挿管しました。すると肺の中から多量の水が喀出されました。それでも呼吸状態はよくなりませんでした。人工呼吸装置を装着、高濃度の酸素を吸ってもらいます。肺からは溺れたときのような赤い泡沫状の吐物が出てきました。半日経過しても状態は一向に良くなりません。かといって今の状態は搬送に耐えうる状態でもありません。このままでは一週間ともたないでしょう。なんとか改善させる余地はないものでしょうか?
 札幌医大救急集中治療部の先生と電話で相談してみました。「未熟児の肺炎で使う特効薬があるのだけれど、保険の制約から大人では使えません。もし使ったとしても効果は半々、さらに費用は何百万とかかってしまいます」
 この薬を使うと患者さんを助けることができるかもしれない。しかし、どのように入手したらよいか、そして保険で使えない薬の費用(自己負担)をだれが負担するのか。問題はたくさんあります。
 まずは製薬会社に連絡をしてみます。なんとか薬を提供してもらえるように交渉するのです。札幌に電話するとあっさりと断られました。それももっともです。どこの馬の骨ともわからない病院から電話一本で高価な薬を提供してほしいといわれてもすぐに「はい」とは言えません。でもこちらも一人の命がかかっているのです。あっさり引き下がるわけにはいきません。延々一時間にわたる説得で、なんとか東京本社と掛け合ってもらえることになりました。
 製薬会社の東京本社の担当の方にもう一度最初から状況を説明します。
 「この患者さんを救うためにはこの薬が絶対必要なのです」
 「わかりました。この患者さんには特効薬になるかもしれません。特別に提供させていただきます。ただし、使用に際しては十分に説明の上、ご家族に了承を得て下さい」
 この時点で夜九時。製薬会社の方も遅くまで付き合ってくれました。
 翌日東京ー稚内直行便で「特効薬」は空輸され、稚内ー利尻の飛行機に乗り継ぎされるはずでした。ところが、直行便の到着が遅れたために、荷物の乗り継ぎができなくなってしまいました。しかし、製薬会社の代理店の方が稚内で待機していて。すぐに薬を最終便のフェリーに乗せ換える手続きをしてくれました。
 予定より4時間遅れにはなりましたが、無事薬は到着し、さっそく患者さんへ投与。夢の薬が夢でなくなりました。人工呼吸器をつけていても苦しそうな呼吸がみるみるうちに楽になっていきました。奏功したのです。
 それでもまだ、治癒したわけではなく、単に好転したにすぎません。肺炎の改善を確かめるためにはX線写真だけではなく、酸素の取り込み状況を調べることが不可欠です。でも当院にはその機械、血液ガス分析装置がないのです!30Km離れた道立鬼脇病院にお願いして測定してもらうことになりました。当病院の事務長自ら、測定にかける患者さんの血液の運搬役を買って出てくれました。
 その後も生命の危機を何度か乗り越え、ようやく肺炎は治癒し、一ヶ月で退院できるまでに回復しました。患者さんは6月14日のこの欄で書いた強い星を持った赤ちゃんのおばあちゃんでした。
 
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