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「旭川と私」

 はじめて旭川の地を訪れて24年になる。小学6年生のとき、交通事故で重体の父を見舞いにきたのが、初めてであった。
 札幌から大雪山へスキー旅行に行く途中のカムイコタンで交通事故にあったのだ。トラックがスリップしてセンターラインをはみ出してきたのだが、左は川で逃げようがなく、結局トラックに正面衝突されたのだった。父は腹部打撲による大動脈損傷による出血多量で、瀕死の重傷を負った。
 幸いにして旭川日赤病院で手厚い治療を受け一命をとりとめた。輸血用の血液のストックが十分であったのも幸いしたそうだ。
 私はというと旅行を楽しみにしていたのだが、その前日急性中耳炎をおこして、行けなかったのだが、もし車に乗っていたら助手席に座るはずであった私の命はなかったはずである。当時はシートベルトの装着の習慣もなかったし、Front Glassは普通のガラスと大差なく、粉々に崩れるようなものであった。きっと衝突の瞬間、私は車外に放り出されていたことでしょう。当の父はハンドルを握りしめていたが、ハンドルはグシャリと曲がり、その中心がお腹にめり込んで大動脈を損傷したようである。腹腔内出血のため、お腹がパンパンになり、出血量(輸血量?)は4000mlに及んだそうである。(奇跡的に輸血後25年を経過して、いまだに肝機能障害は正常であり、HCVも陰性でした)
 兄は瀕死の父を救急車が来るまで、必死で介抱(止血)したそうである。このような経験をした兄は医師となる決意をした。そして私も兄に引き続いて医師をめざすようになったのである。
 自治医科大学を卒業した私に、旭川医大第三内科という医師としての礎と研修の機会を与えてくれ、そして利尻の勤務を経てみたび旭川での仕事と生活がはじまった。
 旭川と私・・・今こうして振り返ると不思議な因縁のようなものを感じる。
 
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