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旭川医科大学前並第三内科教授木正義先生追悼文

総合南東北病院 西野 徳之

 

並木 正義先生、大変お世話になりました。
生前のご苦労はこの世に残して、極楽浄土で安らかにおやすみ下さい。

 

先生にはじめて接することができたのは、国家試験の勉強中の春分の日に、第三内科への入局と研修をお願いする手紙を出し、そのすぐあとにご丁寧なお返事を頂いた時でした。
以来、先生は、私にとって、医師としての師であり、かつ良心でもあり、また父のような存在であり、さらに人生の先輩でもあり、ずっと尊敬申し上げていた方でした。
今から考えると、先生と直接接する機会はそれほど多くはなかったのかもしれません。でも、先生のお顔は、いつもほがらかで、優しく人を包み込むような笑顔でしたので、こころの奥に焼き付いていて、いつもお逢いしているな感じがしておりました。その先生がもうこの世にはおられないのですね。よく考えてみると、先生には7ー8年間お逢いしていないことに気付き、樹影の退官記念号を探して、先生のお顔を拝顔いたしました。
先生の一番の思い出:樹影にも書きましたように、日本消化器病学会の会長を無事成就されたあとに、教室員を労いながら流した「男の涙」です。
最終講義の「心身症と消化器疾患」もこころに残っております。
また、結婚前に札幌のご自宅に家内とご挨拶に伺った時のこと:居間に飾ってあった種々のお人形。てっきり、奥様のご趣味かと思いきや、先生があつめていらっしゃるとのこと。また、山形博道の絵をながめながら「この絵が好きなんですよ」とおっしゃっていたことを思い出しました。
結婚式にはお仲人をとって頂きました。私たち二人のなれそめを、原稿用紙10枚以上に綴り、先生にご報告致しておりましたが、式当日のご挨拶で、その内容をほぼ諳んじられておられたことに驚嘆いたしました。
あるときの先生の逸話:見も知らぬ人から「あなたは仏様に似ていらっしゃる」と言われ、合掌されたと照れ笑いされたことも思い出しました。
遠方に越してしまったため、先生のお別れにはゆけませんでしたが、きっと私が知っている先生のままのお顔で、まるで生き仏のように静かに眠られたことでしょう。
郡山の地に越してきて、最初の地が「並木」であったのも何かの縁を感ぜずにはいられません。
一昨年、居を構えたの期に、先生からご恵贈頂いた結婚のお祝いの重厚で豪華な時計を荷物の中から紐解き、寝室にしつらえました。その時計の針が先日いつのまにか止まっていました。単なる偶然だとは思いますが、先生の気持ちがこもっていた品が、先生の逝去を悲しんでいるかのような錯覚を抱いてしまいました。
奥様をはじめ御家族の皆様の御心痛、いかばかりかと拝察いたします。 どうかお力落としのない よう、お心を強くお持ちになってください。
先生のご冥福をこころよりお祈り申し上げます。
そして、これからも我々のことを、今度は天国から見守っていて下さい。

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