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アニメについて 映画・OVA作品

 ここでは、劇場公開作品やOVA作品などの単発作品や、TV放映を介さずにビデオソフトで初めて観る作品などの感想を書きます。


【あ】
ああっ女神さまっ 戦う翼
劇場版アクエリオン
ASSAULT GIRLS
安達が原
いなり、こんこん、恋いろは。 番外編
宇宙戦艦ヤマト 復活篇
劇場版AIR
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
EX MACHINA −エクスマキナ−
狼と香辛料 第七幕「狼と幸福の尻尾」
狼と香辛料U 第0幕「狼と琥珀色の憂鬱」
おおきく振りかぶって 特別編「基本のキホン」

【か】
怪物王女 番外編「昏睡王女」
崖の上のポニョ
風立ちぬ
神のみぞ知るセカイ 4人とアイドル
神のみぞ知るセカイ 天理篇
劇場版 空の境界  第四章  第五章  第六章  第七章
機動戦士ガンダム MSイグルー
機動戦士ガンダム MSイグルー2 重力戦線
機動戦士Zガンダム −星を継ぐ者−
機動戦士ZガンダムII −恋人たち−
機動戦士ZガンダムIII −星の鼓動は愛−
きらめき☆プロジェクト
銀色の髪のアギト
金色のコルダ 〜secondo passo〜  第2楽章
劇場版CLANNAD −クラナド−
ゲド戦記
げんしけんOVA
アニメ版 ケータイ少女
攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society
COBRA THE ANIMATION ザ・サイコガン
GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊2.0
【さ】
THE NEXT GENERATION ─パトレイバー─ 第1章
THE NEXT GENERATION ─パトレイバー─ 第7章
サマーウォーズ
ザ・ムーン
書家
ジョジョの奇妙な冒険OVA
新SOS大東京探検隊
真・女立喰師列伝
真救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝 殉愛の章
スカイ・クロラ
スクールランブルOVA一学期補習
スター・トレック
ストラトス・フォー アドバンス 201&202 203 204 205 206 207 208
ストレンヂア 無皇刃譚 SWORD OF THE STRANGER
戦争童話・ふたつの胡桃
千と千尋の神隠し
蒼穹のファフナー RIGHT OF LEFT
装甲騎兵ボトムズ 幻影篇
 第1話 ウド  第2話 クメン  第3話 サンサ
 第4話 ヌルゲラント  第5話 コクーン  第6話 インファンティ
装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ 劇場版
宇宙へ。

【た】
立喰師列伝
WXIII PATLABOR THE MOVIE 3
ターミネーター4
ちっちゃな雪使いシュガー
鉄人28号 白昼の残月
TO(トゥー)
時をかける少女
.hack//Liminality
トップをねらえ2!劇場版
【は】
ハウルの動く城
パプリカ
吸血鬼ハンターD
ピアノの森
ひだまりスケッチ 特別編
ひだまりスケッチ×365 特別編
ひだまりスケッチ×365 EX
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 特別編
ひだまりスケッチ×SP
ひだまりスケッチ 沙英・ヒロ卒業編
秒速5センチメートル
FLAG Director's Edition 一千万のクフラの記録
BLACK LAGOON Roberta's Blood Trail
FREEDOM EDEN編
FREEDOM SEVEN
FREEDOM 地球編
ブレイブ ストーリー
ブレードランナー ファイナル・カット
ベクシル 2077 日本鎖国
ほしのこえ
ぽてまよ DVD特典映像  1  2  3  4  5  6
ほとり〜たださいわいを希(こいねが)う。〜

【ま】
劇場版 マクロスF 虚空歌姫〜イツワリノウタヒメ〜
まほろまてぃっく特別編 ただいま◆おかえり
ミニパト
宮本武蔵─双剣に馳せる夢─
ミヨリの森
蟲師 特別篇 「日蝕む翳」
メトロポリス

【や】
ヨコハマ買い出し紀行 〜 Quiet Country Cafe 〜
よみがえる空−RESCUE WINGS− 第13話「最後の仕事」

【ら】
Re:キューティーハニー
ルパン三世 カリオストロの城

【わ】
惑星大怪獣ネガドン

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吸血鬼ハンターD
 菊地秀行原作の人気小説を、川尻喜昭監督が映画化。10年以上前に、芦田豊雄キャラで一度OVA化されているが、原作のダークな味をぶち壊した酷いものだった。今回は、原作の第3巻を、若干のアレンジを加えてほぼ忠実に再現していた。原作の挿絵を描いている、天野嘉孝氏の画がそのまま動いていると言ってもいいぐらい、その完成度は高い。また、海外での公開が前提となっており、台詞が全て英語で、日本語の字幕が付いている。その事も、作品の舞台である1万年後の未来世界を描くのに効果を上げている。

メトロポリス
 手塚治虫原作の映画化。ただし、主人公のロボットが、男の子から女の子に変更されたりと、結構変わっているらしい(原作は読んだことが無いもので)。映像作品としてはよく出来ていて完成度も高いと思うが、全体的に淡々としていて、登場人物達への感情移入がしにくかった。また、CGを多用しているが、いかにも「CGですよー」という画になっていて、セル部分や手描きの背景画等との違和感が気になった。

千と千尋の神隠し
 解説の必要も無い、日本映画史上最高の興行利益を挙げ、公開から3ヶ月以上経った今もなお、全国多数の映画館で公開されつづけている、宮崎駿の最新作。私が見に行ったとき、たまたまどこぞの子供会から集団で観に来ていたのだが、その子供達が2時間を超える上映中、全く騒がず食い入るように見入っていたのが興味深かった。確かに面白い。だが、2回観たいとは何故か思わなかった、不思議な作品であった。  ところで、「特命リサーチ200X」という番組で、宮崎作品の人気の秘密を科学的に解明すると称して、かの作品に使われている様々な画作りのテクニックを紹介していたが、あんなもん、どんなアニメでも多かれ少なかれ使用されているものばかりである。確かに宮崎作品はそれらが徹底されているが、それは、描きたいテーマ上の要求であり、テーマと不可分のものである。そんなテクニックだけをとりあげても意味が無いと思うのだが。

ちっちゃな雪使いシュガー
 この作品は、BSデジタルのBS-iとTBSで放送しているTVシリーズであるが、DVDで発売されているビデオソフトで追いかけている都合上、こちらに入れておく。
 なぜ、放送を観てもいないTV作品を買っているかというと、以前(2001年の12月16日未明)に一度だけ、第1話「サガ、シュガーと出会う」のみがMBSをはじめ各系列局で放映されたことがあり、それが非常に良かったからである。本編の作画のクオリティの高さ。主題歌「Sugar Baby Love」とよくマッチした軽やかなオープニング。一転してしっとりとした雰囲気のエンディング。ドイツの地方都市を舞台にした作品世界の美しさ。コゲどんぼ氏原案のキャラクターの可愛らしさ。DVDソフトとして買いたくなる16:9フォーマットで作られた映像。これだけでも充分だが、やはり決め手は、この第1話の構成のうまさに尽きると思う。
 一面の雪野原に大の字になって寝ている幼いサガ。その上に浮かぶ白いグランドピアノと飛びまわる一人の妖精。不思議な光景の中、今のサガのナレーションで語られる「季節使い」という妖精の話。そこに駆けつけるサガの母親をはじめとする大人達。母親に抱きしめられながらも、サガの視線は、舞うように飛ぶ妖精に向けられている…。ファンタジーの色に彩られたアバンタイトルから一転して、本編Aパートはサガの「いつもの日曜日」が徹底的に描かれ、同時にサガの住む街と、彼女を取り巻く主要な人々が紹介されていく。 いかにもドイツっぽいオレンジ色の三角屋根の家が並び、城壁に囲まれた、塔のある、大きくも小さくもない街。塔の展望台の受付の男性に早朝からコーヒーを届けるサガ。そのサガをライバル視している(片想いだけど)お金持ちのお嬢様っぽいグレタ。朝食に帰ったサガを迎える優しそうなサガのおばあちゃん。サガとショッピングを楽しむサガの友人のアンヌとノーマ。妙な発明に凝っているらしい男の子の友人フィルとその2人の仲間達。楽器店の優しそうな店員ポール。 これらの人々との交流が描かれる間に、主人公たる少女サガがどんな子なのかが判ってくる。元気者でしっかり者。きっちりした性格で、計画を立ててその通りにいかないと気が済まない。お母さんを亡くしているが、普段はそんな事を微塵も感じさせない明るさを持っている。そして、楽器店の店頭に置かれたピアノに並々ならない思い入れがある…。 これだけのことを、ナレーションも、不自然で説明的なセリフも一切無しに、ごく自然な流れで観る人に理解させてくれる。
 そして、日常から、ファンタジーの世界への転換。それは、サガの「予定」に無い突然の雨から始まる。その雨を降らせているのは、サガが未だその存在を知らない「季節使い」の一人−「雨使い」のジンジャー。雨宿りに飛び込んだ家の軒先で、サガはシュガーに出会う。ここまでがAパート。
 Bパートは、サガがシュガーを助けるところから始まる。お腹が空いて死にそうなシュガーに、うかつにも、ノーマ達と買ったワッフルをあげてしまったのが運のつき。ワッフルを喉に詰まらせて気絶してしまったシュガーを、とりあえず家に連れ帰ったのはいいものの、何故かおばあちゃんにはシュガーの姿が見えない。そのため、現実的なサガは、シュガーの存在を幻だと思い込もうとする。シュガーが、鼻の頭にキスしたり、夕食のおばあちゃん特製スープを美味しそうに飲んだり、サガの部屋の鉢植えの花をクッションにしたり、ぬいぐるみの熊に捕まった振りをしたり、サガの大切にしているおもちゃのピアノをピンポロしたり、さんざんサガの気を引く事をしても、サガは徹底的に無視。終にはベッドに潜りこんでしまう。 とうとうシュガーもしびれを切らして最後の手段、「あたしは、ここにいるよ!」と、魔法で雪を出して見せる。と言っても、大きな雪の結晶を1つ出しただけだが、その美しさに、無視するのも忘れて見入ってしまうサガ。
 翌朝。いつものように起きたサガは、昨夜のことを夢だと思うが、やっぱりシュガーはそこにいて…「こんなの、あたしの予定にな〜い!」…。そして、思い出したようにサブタイトル「サガ、シュガーと出会う」。
 これが第1話。物語の始まりとして、必要充分な情報の説明を自然に行ない、かつ、これからのサガとシュガーの物語の展開を期待させる、ほぼ満点に近い第1話だと思う。現時点まで、DVDで3巻・9話まできているが、2人は、けんかして、仲直りして、またけんかして…そして、ちょっとずつ大人になっていくのだろう(と、いうようなことが、コミック版の中書きに書いてあった)。「予定」に無いシュガーとの出会いで、サガがどう変わっていくのか。きっと、素敵な女の子に成長していくのだと思わせるような、そんな第1話。放送のほうは、既に20話まで進んでおり、ちょっとつらい話が続いているようだが、最後には、この2人に幸せな未来が待っていて欲しいと思う。
 ところで、前述の第1話の放映時には、初めに原作者の蒼はるか氏のメッセージが(テキストで)流れた。それによると、この放映は、ファンの熱心な要望と、TV局とスポンサーとの深い理解により実現したとのこと。それはまぁその通りなのだろうが、それとは別に、やはりウラには商売が絡んでいるのだろう。思うように伸びないBSデジタルの加入数と、ビデオソフトの売り上げのアップも目的に入っているのでは、と邪推してしまう。ただ、それも作品自体に魅力があってこその話になる。そして、「シュガー」という作品には、確かにそれだけの魅力があると思う。現に、トータルで5万円近い出費になることが判っていながら、こうしてDVDを買ってしまう人間もいるのである。
 DVDを観ると判るが、この地方局で放映された第1話は、DVDに収録されているBS-iとTBSの本放送版と少し異なっている。
・DVD、BS-i:アバンタイトル(テロップ入り)、オープニング無し、16:9
・TBS:同上、ただし左右をトリミングした4:3
・地方局:アバンタイトル(テロップ無し)、オープニング有り、16:9のレターボックス
 こうして比べてみると、実は、この地方局版の第1話が、一番完全なバージョンであるように思える。実は、少し得しているのかもしれない。このDVDは、パイオニアLDCから発売されているが、割と良い出来だと思う。片面1層・1巻に3話収録・スクイーズ・ドルビーデジタル2ch384kbpsで6,000円というのは、標準よりややコストパフォーマンスに優れた仕様だし、付属のブックレットも各話に対するスタッフのコメントやインタビューなどが収録されていて、最近の、ペラ1枚で内容が無い物を見慣れた目には充実して見える。 また、各巻には映像特典も付いていて、第1巻のノンテロップオープニングというのはありきたりだが、第2巻のエンディング曲「Snow Flower」プロモーション映像は本編の映像を編集しただけとはいえ良く出来ているし、第3巻のローテンブルク・ロケーションハンティングに至っては、15分もある見事なもの。TVシリーズのソフトで、75分の本編に対してその5分の1にもなる映像特典が付いているというのも、珍しいように思う。劇場映画作品のなら、本編より特典映像のほうが長いというのもざらにあるが…。
 第1巻の初回特典は、前半の4巻が納まるBOX。このパッケージの絵は、キャラ原案のコゲどんぼ氏の描き下しで、アニメ用にクリーンアップされた画とはまた違った趣がある。何と言っても、サガの眼が良い。実を言うと、あの眼にやられて買ってしまったようなものである。次に、コミック版を描いているBH SNOW+CLINICの画になる、半年分の卓上カレンダー。残り半年は、第5巻の初回特典になるらしい。これも、水彩画調の綺麗なイラストである。さらに、主題歌「Sugar Baby Love」のメロディカード。BOXと同じ画の二つ折りのカードで、中に電子オルゴールが入っていて、カードを開くとスイッチが入って音楽が鳴るという、メロディ付き電報みたいなやつである。実は、店で買ったものはこのオルゴールが壊れていて鳴らなかった。スピーカと本体との接合部分が割れていたせいなのだが、初めはてっきり電池切れだと思って、その旨をアンケート葉書に書いておいた。そしたら、すぐに良品が送られてきた。この対応の良さと早さは、なかなか侮れない。顧客第1主義のお手本を見た気分であった。
 ちなみに、この作品でよく使われる小道具に「ワッフル」がある。第1話で、サガがアンヌやノーマと「雑誌に載った評判の店」で買うのに始まり、サガがシュガーを助けた時に食べさせたり、噴水広場の鳩の餌になったり、シュガーの一番の好物になったので口癖が「わっほぅ〜♪」になったり。観ていると、無性にワッフルが食べたくなる作品である。

WXIII PATLABOR THE MOVIE 3
 「WXIII」は、「ダブリュ・サーティーン」と読む。「W」は、「廃棄物」を意味する「waste」の頭文字であり、「WXIII」はすなわち「廃棄物13号」の意味である。これは、1993年夏に公開された、前回の劇場版第2作から実に8年以上の歳月を経て日の目を見た、「機動警察パトレイバー」の劇場版第3作である。
 「機動警察パトレイバー」は、かつて、約10年後の近未来の東京を舞台にした、「リアルなロボットもの」として一躍人気を得た作品であった。その魅力は、日常的な風景の中に、未来的な人型ロボットが存在し、しかもそれが「警視庁」の文字や菊の代紋を付けた白黒のツートンカラーの警察用ロボットという、アンバランスだがそれ故に妙にリアルな世界観にあったと思う。
 だが、今や21世紀。現実が「パトレイバー」の時代に追いつき、追い越してしまいつつある。この現代において、「パトレイバー」をいかに作るか。その答の一つが、まさにこの映画であるような気がする。
 「昭和75年」という年号で象徴される、もうひとつの「現代」。そこに現われた怪物「13号」と、それを追う刑事達や、「13号」をかばう女性科学者が織り成す人間のドラマ。本来主役である「13号」や、「パトレイバー」=「イングラム」とそれを操る特車2課第2小隊のおなじみの面々は脇役に置いて、彼らを中心にドラマを進めることで、現代の「パトレイバー」を作り出したスタッフの手腕は見事である。  ただ、多少尺が短いため、そのドラマの掘り下げがちょっと足りないようにも思う。特に、岬冴子が「13号」に寄せる愛情の深さがもう少しわかるような描写が欲しかったように思う。コミック版で、自衛隊員の制止を振り切って「13号」の前に飛び込んだ西脇冴子のように。もちろん、愛娘のビデオを電話にも出ずにひたすら観続けるシーンや、部屋の壁一面に拡大された愛娘の笑顔の写真など、狂気にも似た愛情を思わせる箇所はあるのだが、それが「13号」に向けられるというつながりの部分がちょっと弱いような気もする。
 「13号」のディテールは、もろに「怪獣」っぽかったコミック版と比べると、両生類的な感じに近くなっているが、ラスト近くでその「胸部」が露わになった時は、「おぉ!」と思ってしまった。「13号」に使われたガン細胞が誰のものだったか、を印象付けるデザインであった。
 ま、とにかく「パトレイバー」は、これでラストであろう。「パトレイバー」的な作品はできるかもしれないが、「パトレイバー」はもう作れないと思う。

ミニパト
 「WXIII」と併映の短編アニメ。全3話を週替わりで1話ずつ上映するという方式を採っている為、全部観るには毎週行かないといけない。まぁそれは嫌なので、とりあえず観た第2話「ああ、栄光の98式AV!」の感想など。
 はじめ、特番で聞いていた「割り箸アニメ」というのが何の事か判らなかったのだが、一目観て納得。うーむ、これだけチープさ全開の作品に、よくもまぁこれだけ3DCGの技術をつぎ込んだものだ、と何か感心してしまった。
 下の「ほしのこえ」もそうだが、アニメっていうのは工夫次第でいくらでも面白いものができるんだ、と思う一方、これはやはり「パトレイバー」+「押井守」という組合せだからこそ、これだけ面白いし、また商業ベースに乗るのかもしれない、とも思う。

ほしのこえ
 この作品は、新海誠という人が、音楽とヒロインの声以外は全て一人で作り上げた、個人製作のアニメーション作品である。 何度かの自主上映会や小劇場での上映会を経て、今回DVDが発売されることになったので見てみた次第。
 何故そーゆー個人製作の作品を知っているかというと、NetNewsでの投稿による。 投稿者も、「個人製作の凄い作品があるので観てみろ」と友人に言われて観たらしい。 他にも、各所のサイトの掲示板等で見、また新海氏のホームページで予告編のムービー等を観たりして、認知度が高まっていった作品である。 すなわち、ネット上での口コミで有名になっていったのである。 今では、アニメ雑誌で特集が組まれたりするほか、ゲーム雑誌等に記事が載る(新海氏は、ゲームのオープニングムービー等の製作にも携わっている)ことも増えている。 何故か「AERA」や「ASAHIパソコン」でもインタビュー記事が載ったりするらしい。 どーゆー経緯なのかは不明だが。 とにかく、今やこの手の情報は、商業誌よりネットの「口コミ」の方がよほど早くて確かなものになりつつあるのかもしれない、と思ったりしたものである。
 DVDとしては、特徴的なのが、音声ストリームが4つも入っていること。 オリジナル版といって主役二人の声を新海氏自身とそのご友人が演じているものと、声優版というプロの声優さんが演じているものが、それぞれ、ステレオLPCMとドルビーサラウンド5.1ch(384Kbps)の2通りの、計4種類で収録されている。 そのせいかどうかは知らないが、画像のビットレートは最大でも6Mbps程度、ほとんどの部分で5Mbps程度のほぼ固定ビットレートのような感じになっている。 そのためか、視聴環境によっては、戦闘シーン等でブロックノイズが出る場合があるようだ。 幸い、私の環境では気になる程ではなかった。 単に私の脳の性能が悪いだけかもしれないが。
 さて、実際に観て思ったのは、確かに映像的に非常に質が高い、ということ。 そこらへんの下手なOVAやTVシリーズのアニメ作品より、1枚1枚の風景の美しさ、動き、画面構成等、総合的に見て遥かに素晴らしい。 一人でこれだけのものを作ったというのも驚くが、逆に、一人でもこれだけのものが作れる時代なんだ、というのも驚く。 新海氏は、CG製作で有名な、かの「Project DoGA」で賞を取ったこともある程、この世界では経験も実績もある人らしいが、極めればここまでできるんだ、と感動すらおぼえる。 DVDのブックレットには、製作の過程で使用したテクニック等が解説されており、商業ベースの作品ながら同人的な色を濃く残している。 ただ、この作品自体は、一応商業ベースとして出すことを前提にして作ったとのこと。
 ただ、「映像が素晴らしい」のは確かであるが、「斬新」かというとそうではないと思う。 どちらかと言えば、「どこかで見た事がある」ような映像である。 それは、「超時空要塞マクロス」であったり、「トップをねらえ!」であったり、「新世紀エヴァンゲリオン」であったりする。 特に、背景の書き込み方や、記事が細かく書きこまれた新聞、いわゆる「板野サーカス」的なミサイルの機動の描写、等々にそれを感じる。 また、年端のいかない少女が戦闘ロボットに乗って戦うというのは、もろ「トップ」だし、その戦う敵が、どうやら人類のレベルアップを促そうとしているという辺りは、クラークの「前哨」や「幼年期の終わり」を連想させる。 演出的にも、セリフの単語というか文節の区切りに合わせて細かくカットを切り換えるという手法は、実写・アニメを問わず様々な映像作品で多用されてきたものだ。 もちろん、これら全てを一人で作り上げた、ということは素晴らしい事だと思うし、それらを映像化できる新海氏の才能と努力には敬意を払いたいが、オリジナリティから言えば、同時収録されている「彼女と彼女の猫」の方が確実に上だと思う。 さらに、何で学校の制服のまま戦闘に出ているのか、とか、どうやって携帯のメールが届いているのか、とか、そもそも何で女子中学生が(志願した様子も無いのに)国連の選抜メンバーになって宇宙に戦いに行かなければならないのか、とか、細かい点でツッコミを入れたい所は多々あるのである。
 でも、この作品が、そういう多くの欠点(少なくとも私はそう思う)を持ちながら、なおそれでも私に感動を与えてくれるのは、そういった映像やストーリーや設定が、あくまで作品の構成要素に過ぎないからではないか、と思う。 新海氏自身がどこかで語っていたことであるが、作品のメインは、あくまで主人公2人の超長距離を隔てた携帯メールのやり取りで描かれる、その心情の方なのだと思う。 作品の終盤で、離れている2人がリアルタイムで会話をしているかのように、2人の科白が交互に綴られ、最後にとうとう一つに重なる。 遥かに何光年も離れた2人の、お互いへの気持ちが、その瞬間に一つになる。 そこに至るまでの2人の気持ちの高まりが、観る者の胸に迫ってくるのである。 先に挙げた映像や、設定や、音楽等は、その「気持ち」にリアリティを持たせるための大事な構成要素ではあるが、それ以上ではない。 だから、観てしばらくした後で色々とツッコミを入れたくなろうが、観ている間、そして観終わった後の余韻が続いている間は、そんなことはどうでもよくなるのかもしれない。 「わたしは、ただノボル君に会いたいだけなのに!」という彼女の叫びが、想いが納得できれば、それで良いのではないか、と思う。
 ところで、最後に彼と彼女は再会できたのだろうか…。
 (2002/05/12追記)「アニメージュ」2002年6月号における巻頭7頁の特集を読んだ。 1頁目に業界の著名人から寄せられたコメントが載っているが、脚本家の倉田英之氏のコメントに私の感想は一番似ていると思う。 あと、2,3頁目見開きに主人公2人が中心の携帯電話に向けて手を伸ばしているイラストが載っているのだが、これはちょっと…と思った。 正直、人物の造型だけ見るとこの作品はあまり見た目が良くないと思うので。 この作品の魅力は、そういう所にあるのではないのであるが、この画を見て、5,800円というこれも正直言って高めの価格が設定されているDVDソフトを買おうという人が、どのくらいいるか…。 観さえすれば、5,800円というのも全く高いとは思えなくなるのは確かなのだが。 また、そこに載っている文章の内容もいまいち。 「アニメファンなら絶対観るべき作品なのである」とか「新しい時代のアンセムは、この作品から鳴り響くのだ!」なんて、「アニメージュ」って久し振りに買ったけど、こんな安っぽいフレーズを使うような雑誌だったかなぁ。 新海氏のインタビューを中心に2頁でまとめた、「ニュータイプ」5月号の記事の方が、紹介の仕方としてはいいんじゃないかと思った。
 (2002/05/13追記)ちなみに、上記の「アニメージュ」の特集の最後2頁は、新海氏へのインタビューであるが、その中に「戦闘シーンは『マクロス・プラス』などを真似した」といったような話がでてくる。 仮にも商業ベースに乗せている作品に対して、これはちょっと正直過ぎるような気もするが、まぁ作品の主題がそーゆー所には無いというのを言明しておく、ということかも。

ヨコハマ買い出し紀行 〜 Quiet Country Cafe 〜
 「最近読んだコミック」のページでも取り上げています、芦奈野ひとし氏原作の「ヨコハマ買い出し紀行」、2度目のOVA化です。 一度目は、安濃高志監督で1998年に2本のOVAとして制作され、後に2000年になってから改めてDVDとして1本にまとめて出し直されました。 今回は、監督に望月智充氏を迎え、やはり2本のOVAとして制作されました。
 しかし、この安濃版と望月版とでは、原作も作品の制作形態も同じでありながら、かなり趣が異なっています。
 安濃版は、原作の初期のエピソードを幾つかピックアップし、オムニバス形式に再構成しています(オリジナルのエピソードも追加されている)。 そして、このほぼ原作通りの本編の合間に、印象的な画と音楽を組み合わせたミュージック・クリップ的な部分を挿み、 さらに、GONTITIの曲に乗せたOP・EDで前後を締めるという構成になっています。
 一方の望月版は、原作の第7巻〜第8巻に相当する部分、颱風によってカフェ・アルファが破壊されてからアルファさんが旅をする一連の話を中心に、 原作ではちょっと離れた所にあるエピソードを組み合わせて、連続した物語になるように構成されています。 音楽は、ショーロ・クラブというバンドが担当していて、前作のGONTITIと同様、どこか懐かしくなるような透明なイメージを醸し出しています。
 さて、同じ原作を持ちながらも異なる安濃版と望月版、どちらが良いかと問われれば、私は迷わず安濃版、と答えます。
 望月版は、ちょっと気に入らない点が色々あるんですね。 ターポンとかミサゴとかかんぱち辻の茶の人とか、ちょっと顔見せ的に出すだけ出して後ほったらかしの、原作を知らない人が見たら意味不明なものがあるとか、 颱風が全然凄そうじゃない(原作の「ゴーッ」という感じがしない)とか、 富士山がちっとも「うまそう」に見えないじゃないかとか、 やたらと色気を出し過ぎだ (例を挙げると、ココネがアルファさんの胸に手を置いたり、アルファさんのパンチラや脱いだ下着を見せたり、 アルファさんやココネの胸やらお尻やら股間やらを強調するかのような変な構図が多かったり、 脈絡無くマッキの水着姿を出したり、ときりが無いです)とかですが、一番気に入らないのは、音楽の使い方です。 ショーロ・クラブの音楽そのものは悪くありません。むしろ、「ヨコハマ」の世界に合っていて良いと思います。 しかし、その使い方は、正直言ってつまらないです。一言で言うと「使い過ぎ」。音楽の要らないシーンにまで音楽が入っているのです。 一例を挙げると、アルファさんがお店の白ペンキが剥げてるのを見るシーンとか。 こんな、何でもない日常の一コマに、何でBGMが要るのか理解出来ません。 このように、全体的に音楽が過剰で、何か観光地のスピーカから意味も無く流れている安っぽい音楽を連想してしまうのです。
 これに対して安濃版は、いわゆる本編にはほとんどBGMがありません。 あるのは、ラジオから流れる音楽と、本編からミュージック・クリップ部分に変わる時に、曲の導入部が少し本編の最後に被るぐらい。 それ以外は、本編には一切BGMが無いのです。 すなわち、本編で聞こえるのは、実際に作中で聞こえる音だけなのです。 風の音。波の音。木々の葉擦れの音。鳥や虫の声。電車や車、アルファさんのスクーターの音。 「ヨコハマ」の世界は、今我々が住んでいるような、騒がしい世の中ではありません。 「お祭のような」時代が去った後の、「後に夕凪の時代と呼ばれる」ような、静かな世界です。 その「ヨコハマ」を映像で表現するのに、その世界にありもしないBGMを付加する必要は無い、と安濃監督は判断したのでしょうし、私もそれを支持します。
 けなしてばかりでは何なので、望月版で好きな所を一つ。 冒頭の、アルファさんとココネとがスクーターでツーリングするシーン、これは好きです。 私自身、バイクでちょこちょこと走るのが好きだというのもありますが、ギャップを越える時の姿勢の変化の大きさや、水たまりを真っ直ぐ突っ切ってしまうところに、 ココネがアルファさんより「慣れていない」(スクーターの運転そのものと、ヨコハマの地形との両方に)というのがよく表わされていて面白いです。

劇場版AIR
 2005/02/04鑑賞。心斎橋パラダイス・スクエアでの先行鑑賞会に当選したので行ってきました。これは、fjに投稿したのをそのまま転載したものです。

 ゲストに、プロデューサーの東氏、Keyの樋上氏と折戸氏(?)が来られてましたが(樋上氏はビジュアルアーツかな?)、挨拶されたのは東氏のみで、 他お二人は一言も話されなかったのがちょっと残念です。

 何と言いますか、一言で言うと「出崎監督らしい」作品だなぁ、という感じです。 人によっては、古くさく感じるかもしれない。少なくとも、今TVで放映されている「AIR」とは全く異なる作品になっていると思います。 もちろん、そうでなくては、両方作る意味が無いと思いますので、これは個人的にはとても良かった事です。
#もっとも、TVシリーズはまだ半分も過ぎていないので、そこまでの印象での比較に過ぎませんが。

 私は、原作のゲームはほとんど手をつけていませんので、原作と比べてどうこうというのは判らないですが、90分というのは少し尺が短いように思えました。 劇中での時間は約一週間ですが、その短い期間で、何故観鈴があれ程激しく往人を求めるのか、往人が何故それに応えたのか、 そして晴子さんが何故あれ程観鈴を狂おしく愛おしむのか、その辺りの感情がすっと入ってこない感じがします。

 作中では、翼人伝説の神奈姫と柳也の物語を交え、またモノローグで補完する事で納得は出来るようにはなっていますが、それは頭では理解出来るが、 心にストンと落ちてくるような感じでは無いんですね。 モノローグが、往人と観鈴の両方にあるので、ちょっと視点が分散されてしまう気がするせいかもしれません。 もう少し尺があれば、その辺りをもっと描くことができたのでは?という気がします。

 逆に言えば、この短い尺の中で納得させてくれるのは、出崎監督の手腕なのかも。 もう一度、じっくりと観たいですね。
#帰ってからTV版の「AIR」を一話から見返してたりしたのですが(ていうか、他の作品を観る気になれなかった(^_^;)、幾つか発見がありました。 原作を知っている方には、多分気付かれている事ばかりなんでしょうけど。しかし、もう一度、あのラストを観る事になるのかと思うと…(なるのか?)

 ここからは、投稿した後に思い付いた事をつらつらと書き連ねておきます。

 2005/03/18鑑賞二回目。
 結局、心斎橋パラダイス・スクエアでの上映最終日となってしまいました。 最終上映の一つ前の回で、100名強のキャパがあるハコに観客は20名強といった程度の入り。 さすがに、初期の混雑ぶりは(平日という事を差し引いても)見られません。 ただ、次の最終回の上映を待つ人の方が多かったので、この回を選んだのは正解だったかも。 やはり、どうせ観るなら最終回で、と考える人の方が多いだろう、との予想は当たり、おかげで空いた状態で落ち着いて観る事が出来ました (後の列の人が、やたらとこちらの列の背もたれを蹴るのが鬱陶しかった以外は)。
 先行上映会から約1ヶ月半が経ち、TV版も最終話を残すのみとなった今、改めて観直すとまた少し違った印象があります。

ハウルの動く城
 2005/02/08鑑賞。ナビオTOHOプレックスのシアター1にて。
 流石に映像としては文句の付けようが無い完成度だと思う。 鑑賞したスクリーンがDLP上映だった事も、この美しく緻密な映像を引き立てていた一因だろう。 DLP上映というのを初めて体験したが、フィルム上映によくあるガタつきやピンぼけも無く、何より公開からかなり日が経っているにも関わらず、 まったく劣化していないのは素晴しい。 懸念していた、ハウル役の木村拓哉氏の演技も、それほど気にならなかった。 毎度毎度、全く声優の経験が無い人間をキャスティングしてさほどの破綻を見せないのは、なかなか大変ではなかろうか。 が、やはり、「耳をすませば」や「紅の豚」、「魔女の宅急便」、そして「風の谷のナウシカ」に続く、 「宮崎監督の映画で原作付きの作品はイマイチ」という例が一つ増えたような気がする (「ナウシカ」や「紅の豚」の原作は宮崎監督自身であるが、それでも原作付きである事に変わりない)。 基本的には、ソフィーとハウルとの恋愛映画なのだろうが、それ以外の戦争やら荒れ地の魔女やらといった存在が邪魔をして、全体的に散漫になっている印象を受けた。 特に、荒れ地の魔女とミセス・サリマンに関しては、正直言って何をしに出てきたのかよく判らなかった。 荒れ地の魔女は物語を始める為、ミセス・サリマンは物語を終わらせる為、ただそれだけの為に出てきただけのように見える。 結局、物語上いてもいなくてもいい(というか誰でもいい)キャラクターにまで力を入れている為に、主役である二人に集中したいのにできない、という気がする。 あと、「世界の約束」とか色々とCMでキャッチコピーがあったが、全部的外れだったと思う(別に「90歳の元気な婆さん」の話じゃないし)。 まあ、あの映像は、もう一度ぐらいは劇場の大きなスクリーンで観たい、と思わせるだけのものはある。 ただ、物語やキャラクターの造形については、何かマンネリ気味に思え、そういう点での魅力はやはりイマイチ。 それにしても宮崎監督は、呆れるぐらいに汚い部屋や台所をみるみるうちに綺麗にしてしまう女性、っていうのが本当に好きなようだ (シータ、キキ、千尋に続いて4人目ぐらいか?)。
 2005/02/18鑑賞二回目。劇場は前回と同じ。
 珍しく二回目を観に行った。 少し前までは、殆どの映画館が総入れ替え制ではなかったので、観たければ続けて二回・三回と観る事が出来たものだったが、 最近では総入れ替え制でない映画館の方が少ないため、観れば観るほどお金がかかる。 故に、最近では殆どの作品は一回しか観ないようになってしまった(どうしても複数回観たい作品は、結局DVDを買ってしまうので)なか、これは自分には珍しい事である。 「千と千尋の神隠し」は、一回観れば充分と思ったものだったが、何故かこれはもう一度観たいと思ってしまった。 DLP上映の美麗さに惹かれたというのが大きいのだろう。
 内容に関しては、一回目と比べて特に印象が変わる事は無かった。 やはり、脇役を描くのに時間やらパワーやらを取られてしまっているようで、散漫なというか、全体的に浅いような印象を受けた。

ストラトス・フォー アドバンス
 2005/05/06深夜(正確には2005/05/07未明)キッズステーションにて「CODE:202 ROLL OUT」を視聴。
 TVシリーズ、OVA「CODE:X-1・2」に続く、OVAシリーズ第2弾。 隔月で全6巻が発売される予定だが、発売月にキッズステーションで先行放映されている。 第1巻分の放映時に感想を書こうと思っていたが、忘れてしまっていたので今追加。
 放送フォーマットは4:3レターボックス(セル版は16:9スクイーズ)。 岡崎律子さんの死去により、メロキュアのOP・EDがどうなるか心配だったが、OPは「1st Priority」の二番が使用され、アニメーションもマイナーチェンジされた。 EDは、日向めぐみさんの新曲になっている。
 物語自体は、TVシリーズ、OVA第1弾の続きである。が、正直言ってかなり微妙。 せっかく「X-2」で巣立っていった美風達や、新しい道に就いた岩崎なども皆下地島基地に戻ってきてしまい、新しい展開を期待していたほうとしては、 何か肩透かしを喰らったというか、「あのOVA第1弾は何だったんだ?」という感じになってしまった。 そのせいで、今シリーズから加わった、メテオ・スイーパー見習いの3人も、今のところ何しに出てきたか判らないキャラになってしまっているように見える。 まだ1/3が終わった所では結論を出すのは早いものの、あと4話×30分で、只でさえ強敵の美風達を相手にして、この新キャラ達が「立てる」のかどうかは、甚だ疑問である。
 それ以外でも、また今回の新要素として、メテオ・スイーパーの新型機やら、コメット・ブラスターの無人機やらも登場し、その上、 TVシリーズやOVA第1弾から引きずっている、美春さんをはじめとする異星生命体に寄生された人々の話も入るようだし、 正直言って30分もの全6話に入れるには、内容が盛りだくさん過ぎるのではないか、という気がする。 特に、今回はOVAシリーズなので、もっと一話毎の内容も「濃く」なって欲しいのだが、今のところ、TVシリーズをそのままOVAにしただけ、という感が否めない。 TVシリーズの良い所も悪い所も、両方引き継いでしまった、というのが正直な感想で、購入してまで観たいか、と言われると「否」である。
 ただまあ、基本的には好きな作品なので、あと4話分頑張って欲しいと思う。
 2005/07/01深夜(正確には2005/07/02未明)キッズステーションにて「CODE:203 ANGLE OF ATTACK」を視聴。
 結局、今回のシリーズは、後輩が出来た美風達が、一番下の立場から一つ上に上がってどうするか(あるいはどうなるか)を描く事がメインなのかもしれない、と思った。 そういう意味では、新キャラの3人は、単に「後輩」という記号に過ぎないのかもしれない(それだけで終わらせるには勿体ないが)。 また、今回は異星生命体絡みの話が多く、航空アクションが少なかった。 この辺り、やはりOVA作品として見るともの足りない感じがする。
 ちなみに、今話題の
「Google Maps」での下地島
 2005/09/10キッズステーションにて「CODE:204 CLEAR AIR TURBULENCE」を視聴。
 やっぱり何か微妙。三ヶ所の話を同時並行的に進めているのはいいのだが、それぞれが何か中途半端で、観ていてストレスが溜まると言うか、 毎回消化不良になってしまうと言うか。 今回の話で言えば、彩雲が元気がない→立ち直り、という所が、彼女の心理描写もロクに無いまま、最後で唐突に立ち直ってしまったため、 「今まで悩んでいたのは、結局なんだったんだ」という、置いてきぼりにされたような感じだけが残ってしまった。 今後の話でフォローがあったとしても、今回の話自体に意味が出てこないような気がする。 またもや航空アクションが無かったし、異星生命体絡みの話もまだ風呂敷を広げているだけで畳む気配が無いしで、あと2本でどうケリを付けるのかがすごく心配。 次回予告を見る限りでは、次回はアクションがありそうだが…。
 2005/11/12キッズステーションにて「CODE:205 DASH ONE」を視聴。
 今回は、久し振りに「ストラトス4」らしい所が観れたのが良かった。 コメット・ブラスターによる彗星迎撃(しかもいつもの低軌道ではなく高い軌道位置で)、メテオ・スイーパーによる破片の迎撃、 そこに割り込む(?)空中発射型試作機、と航空アクションてんこ盛りで、しかも普段あまり活躍しない男共の見せ場が多いとあって、今シリーズで一番楽しめた回となった。
 ただ、破片の落下予測データの改竄(?)等という、これまた新しい風呂敷を広げてしまった上に、テスト・パイロットとして巣立って行った筈の二人までまた戻ってくる、 という萎える展開と、どうもこの先の話に期待が持てないのは困ったものだ。 せっかく登場した新人三人も全然意味の無いキャラになっているとしか思えないし、本当にこの先どうするつもりなんだろう。 公式サイトには、未だに次の「CODE:206」までしか載っていないが、あと一話で何らかの決着がつくのだろうか。 それとも、既に続巻のリリースが決まっていて、まだまだ話は続くのだろうか。
 2006/01/07深夜(正確には2006/01/08未明)キッズステーションにて「CODE:206 LOST POSITION」を視聴。
 「なんじゃこりゃー」な終わり方だった。絶対、続編が無いとオカシイと言うか、もしこれで終わったらどーしよーも無いと言うか。 これで終わったら、なんかギャルゲーのバッド・エンドみたいだ。エンディングも陰気な曲だったし。 畳んでいない風呂敷が山盛りで、OVA作品でこういう作り方ってアリなのか?という感じがする。 今シリーズの売り上げが悪かったら次シリーズも無いだろうし…。 始めから1クールのシリーズとして構成されていて、TVに乗せる事ができなかったからOVAとしてリリースする事にしたのだろうか。謎である。
 とりあえず、
公式サイトに「ストラトス・フォーの重要なお知らせは1月14日ごろ当サイトにて発表いたします」とあるので、 それを待つ事にしよう。
 (2006/01/15追記)…という訳で発表された情報は、「ストラトス・フォー アドバンスの完結編OVA全2巻の製作決定」というものだった。 1巻あたり何分ぐらいの作品になるのかは判らないが、本当にこれで広げまくった風呂敷を畳めるのだろうか。不安である。 と言うか、本当に畳めるのなら、はじめからこの2巻も勘定に入れとけば良いのに。 製作予定が二転三転した挙げ句、シリーズ構成が無茶苦茶になってしまって無理矢理片付けた、みたいな結末にならなければいいのだが。 やっぱり、宇宙生物なんて色モノ的なネタを出さずに、宇宙を目指す少女達の努力と根性と友情の物語にしとけば良かったんじゃなかろうか、という気がしてならない。
 2008/07/01キッズステーションにて「CODE:207 CROSS-WIND TAKE OFF」を視聴。
 2006/09/22に「ストラトス・フォー アドバンス 完結編」の第1巻として発売されたOVA作品。
 前回(CODE:206)のラストで撃たれた美風は無事、美春は何故か逃亡、静羽とランは佐古と美春の娘・レイを連れて岐阜基地へ向かう、という筑波組の話と、彗星が同時に2つやって来て人手が足りないので、新人3人が初めて彗星迎撃に出るという下地島の話。
 といっても、新人3人の初出撃は、美風達の時のようにドラマがあるでも無く(状況的には、新しい迎撃フォーメーションを作ったばかりの所にいきなり駆り出されて美風達の時より大変だった筈なのだが、特にピンチになったりする事もなく終わったので、絵的に普段の迎撃とあまり変わらないのである)、筑波組の方も、前回あんな引き方をした割には大した事が無くて拍子抜けというか。 強いて言えば、諜報員二人を一瞬で叩きのめした、例によってパンツが見えるのを気にしないランのアクションが見どころか(<おい)。 でも、それにしたってランがそんなに強いというのも何か唐突だし、母親が倒れたと知らせを受けて彩雲が抜けるのも新人3人を飛ばす為だけの無理矢理っぽい展開だしで、どうも「これ」という見せ場が無いというか、次の話に繋ぐ為の「消化試合」のような印象がするのは気のせいだろうか。
 2008/07/01キッズステーションにて「CODE:208 PIPER ON THE TARGET」を視聴。
 2006/10/27に「ストラトス・フォー アドバンス 完結編」の第2巻として発売されたOVA作品。
 一度に3つ、それもそれぞれがデカい彗星がやって来て、コメットブラスター・メテオスイーパーが総出撃してもまだ足りなくて、岐阜基地で整備されていたストラトス4も動員しての文字通りの総力戦で彗星迎撃する話。
 …なので、本当ならものすごく盛り上がったり燃える展開だったりしそうなものなのだが、何故か、妙に淡々と終わってしまったような印象を受ける。 数が多いだけで、やっぱり見た目普段の迎撃とあまり変わらないようにしか見えないのが何ともかんとも。 宇宙生物の話とか、「推進派」の陰謀の話とか、美春の話とか、結局何も解決していない問題が山積みで、広げた風呂敷を畳む気も無かったみたいである。 それならそれで、美風達の青春模様とか、航空アクションとかが魅力的に描かれていたかというと、そちらも何か今一つだったしで、全てが中途半端なまま終わってしまったなあ、という気がする。 あの月野が香鈴の兄だったというのも、いかにも唐突だし。 TVシリーズはそれなりに面白くて好きな方だっただけに、この結末は残念と言うしかない。
 ちなみに、現在のGoogleマップによる
下地島。 もうずいぶんと前からあるような気がするが、サービスが始まってから3年ぐらいしか経っていないというのが何か不思議だ。 当時と比べると、日本語化されているとか、写真が大分高精細になっているとか、この数年の間にも色々と進化している様が窺えて面白い。 美風達が泳いだと思われる所もずいぶんくっきりと見えるが、前はこんなにはっきりとは見えなかったような。 更に「Google Earth」では現地の写真等も見る事ができるので、家にいながらにしてアニメの舞台の探訪をしているかのようで実に楽しい。 いい時代になったものだ。

機動戦士Zガンダム −星を継ぐ者−
 2005/06/01鑑賞。シネ・リーブル梅田にて。
 TVシリーズ放映20周年記念…かどうかはよく判らないが、とりあえず、あの「Z」の劇場版である。 形式としては、いわゆる「ファースト」の劇場版と同様に、TVシリーズを三部作として再構成し、その第一作目がこの「星を継ぐ者」となる。 今回は、TVシリーズ第14話の、アムロがカミーユやクワトロ(シャア)と合流する所までが描かれている。 タイトルに「A New Translation」とあるように、TVシリーズとは若干異なる「新訳」という位置づけの作品となる…らしい。 富野監督は、「180度異なる作品になった」みたいな事を言っていたらしいが…。
 という訳で、どういう作品になっているのか楽しみにしていたが、今のところは「あまり変わらないかなぁ」といった印象だった。 とにかく「いきなり」が多い作品である。 クワトロのグリーン・ノアへの侵入もいきなりだし、カミーユはいきなり捕まってるし、 ジェリドとはいきなり顔見知りだし(あの発端の場面は、後でジェリドの回想として出てくる)、 シロッコはいきなり出てくるし(シロッコって、作中で一回も名前を呼ばれなかったような…)、ジャブローでレコアさんとカイはいきなり捕まってるし、 アムロはいきなりカツを連れて輸送機を奪うしで、それなりに段取りを調えていた「ファースト」の一作目に比べると、かなりダイジェスト感みたいなものがある。
 また、作画も、TVシリーズの流用部分と、新作部分とで、かなり絵柄が異なる。 これも「ファースト」との比較になってしまうが、あちらが、まがりなりにも「安彦キャラ」で統一されていたのに比べると、 こちらは、目鼻立ちからしてかなり異なる。カットによっては、「これ誰?」みたいな所もある。 確かに、全部新作画にしてしまうと、それはそれで、あの「Z」とは全く別物になってしまうかも知れず、それもあまり嬉しくない。 が、しかし、もうちょっとオリジナルのキャラに似せる努力はあっても良さそうな気はする。
 キャラの方はともかく、メカの方の新作部分はさすがに迫力が出ている。 特に、意識的にかどうかは判らないが、モビルスーツの大きさを強調するような構図が目立つように思う。 この辺りは、さすがに大画面で見る為に作られただけの事はある。
 戦闘シーンが多く、「ファースト」程に物語に緩急が無いが、それも尺が短めなのであまり気にならなかった。 というか、尺が短めだからこういう構成にしたのかもしれないが。 いずれにせよ、これは三作揃ってみないと何とも言えない作品なので、あと二作を楽しみに待ちたいと思う。
 あと、富野監督が舞台挨拶で「最近は、『ガンダム』と言えば『SEED』の事、みたいに言われているのには腹が立つ」みたいな事を言っていたらしいが、全く同感。 そんな事を言う奴は、台詞一つ一つの意味、繋がり、キャラの表現方法など、「富野節」が充分健在な本作を見て出直してほしいと思う。 いかに「SEED」が薄っぺらいかが判ると思う。
 あ、そう言えば、今回「Z」は出てないな…。

機動戦士ZガンダムII −恋人たち−
 2005/11/10鑑賞。シネ・リーブル梅田にて。
 言うまでもなく、劇場版「Z」の第2弾。今回は、エゥーゴとアクシズとが合流する所までが描かれている。 しかし、途中の構成はTVシリーズとはかなり異なっていて、シャアのダカール演説が無い(当然、それを聞いているセイラさんも出ない)し、 フォウが死んだのはキリマンジャロではなくなっている。と言うか、死んだのかどうかもはっきりとは描かれていない。あれで生きてる方が不思議、ではあるが。
 そのせいか、第1弾よりもいっそう「いきなり」感が強い。 ブレックス准将はいきなり殺されるし、その後シャアもいきなり地球から月に来ているし、ファはいきなりパイロットになってるしで、かなり構成に苦労した跡が見られる。
 サブタイトルの「恋人たち」も、それらしいのはカミーユとフォウとの一組だけで、アムロとベルトーチカ、シャアとレコア、 カツとサラなどの関係はあまり目立たなかったように思う。 そんな中、エマ(大英帝国のメイドさんではない)に迫ろうとするヘンケン艦長が可笑しかった。 それを見て「いいな」とつぶやくブライトとシャアが、また余計に可笑しかった。
 TV版と新作部分との差は、第1弾に比べるとかなりマシになっていたように思うが、やはり、1シーンで新旧の画が混在する(カットが変わると画が変わる)のは、 やはり違和感がある。質感の統一は、だいぶん上手くなっていたとは思うが。
 また、話題のフォウ役の声優さんが、島津冴子さんからゆかなさんに変わった件だが、悪くはなかったと思う。 思うが、やはり島津さんの方が良かったなあ、と思ってしまう。何より、色気が少なくなってしまったのが残念だった。
 あと、今回もエンディング・ロールの後に、次回作「機動戦士ZガンダムIII −星の鼓動は愛−」の予告編が流れた。 ナレーションからすると、結末はTVシリーズとは異なるものになるみたいな印象を受けた。来年3月の公開が楽しみである。

機動戦士ZガンダムIII −星の鼓動は愛−
 2006/04/11鑑賞。シネ・リーブル梅田にて。
 結局、TVシリーズのあのラストシーンは、次の「ZZ」があったからこそ、のものだった、という事か。 「TVシリーズとは180度違う結末になる」というような事を富野監督が言っていた、その意味が判った。 確か「ZZ」の最後で、立ち直ったカミーユの姿が描かれていたと思うが、それを今回のラストに持ってきたようなものだと思う。 富野監督としては、「ZZ」は無かった事にしたい(俗に言う「黒歴史」)作品なのかもしれない。
 ただ、TVシリーズを見ていない人に話が判るかどうかは少し疑問が残る。 エゥーゴ、ティターンズ、アクシズ(ジオン公国)、シロッコ軍(とでも言うしかないか?)と、ただでさえ陣営が四つもある (ティターンズ以外の地球連邦は今回全然目立たなかった、と言うか全然出てこなかったので除外)事に加え、その四陣営が離合集散を繰り返すという、 実に複雑でややこしい関係を築いている。 100分そこそこしか無い上映時間の中で、敵と味方がどんどん変わっていく為、各陣営の関係をきちんと把握していないと、訳が判らなくなりそうである。 まあその辺の「ややこしさ」も「Z」の魅力ではあるのだが、やはりかなり観るのに苦労するような気がする。
 それにしても、ラストでカミーユとファが抱き合っている場面は、実にあからさまな表現だった。 前の「恋人たち」でも、フォウが宙に舞う所で、彼女の足の間をカミーユを乗せたブースターが飛んで行く、という場面を「セックスの比喩」だと富野監督が言っていたが、 今回のアレも多分そうなんだろう。ノーマルスーツを着ていなければ、セックスをしているとしか見えない描き方だった。
 あと、
シネ・リーブル梅田のサイトでは、設備が良い方の「シアター1」で上映、 と記載されているにも拘らず、実際には「シアター2」での上映だった。 まあ観客が10人も居なかったから無理もないが。

きらめき☆プロジェクト
 2005/06/04キッズステーションで第1話を視聴。 「ストラトス・フォー」でお馴染みの、スタジオ・ファンタジア原作のOVA作品で、「ストラトス・フォー アドバンス」同様、 毎回発売月に先行放送されるようだ。
 敵方(?)のおじさん連中が良い味出していたり、「AIKa」以来の伝統となっている(?)「パンツは見える時は見える」というのも健在だったりと、 いかにもスタジオ・ファンタジアらしい所は相変わらずで、その意味ではお気楽に楽しめる作品になっていると思う。
 ただ、敵方(?)のロボが「ジャイアント・ロボ」や「鉄人28号」っぽいとか、女性型巨大ロボットというの自体「ARIEL」等でさんざん使われているネタだとか、 主人公の少女が、自分が作ったロボが傷つくのを嫌がるのは「機動警察パトレイバー」の野明みたいだとか、「どこかで見たような」というのが気になる。 第1話が、主役の女性型巨大ロボットが出てくる所まで、というのも、週一のTVシリーズならともかく、隔月発売のOVA作品としてはもの足りない感じがする。
 2005/08/06第2話を視聴。
 う〜ん、面白いか面白くないか、と言われれば、面白い方に入るのだが、何か今一つ。 主役の眼鏡っ子王女さまは可愛いし、主役の女性型巨大ロボの瞬間移動とかアクション的にも面白い所はあるのだが、全体的な雰囲気と言うか、 そういう辺りが「合わない」感じである。 敵方(?)のおじさん(操縦者やメカニック)達が、自分達の作ったロボの優秀さを見せたいだけなのはいいのだが、中途半端に良い人っぽいのが、何か受け付けない。 「パトレイバー」(コミック版)の内海以下、「グリフォン」に携わった連中ぐらい悪役然としてるとか、いかにも「技術バカ」っぽい若手とかなら受け付けられるのだが…。 彼らには、少なくとも自分達のしている事が犯罪である事を自覚しているという描写がある(バドは例外として)が、 本作品のおじさん達にはそれが無いのも気になる。 言ってみれば、全員が「パトレイバー」のバドみたいに見えるのだ。 そして、それがいい年をした大人ばかり、という辺りに、すごい違和感を感じるし、嫌悪感を覚えてしまう。 さりとて、ギャグかコメディとして観るには、いまいちテンションが低いせいか、笑うに笑えないし (部長が秘書(?)にセクハラ(嫌がってなさ気だったのでセクハラではないかもしれないが)する場面も然り。いきなりあんなのを見せられてもなぁ…と)。 少なくとも、この2話を観る限りでは、この敵方(?)のキャラがミスキャストに見えてしまって、そこへの拒否反応の方が先に立って作品に入り込めない感じがする。 セルDVDを買うか買わないか、と聞かれれば、買わないと言うだろう。 やはりOVA作品であれば、一話一話が楽しめて、何度も観たい気になるような作品じゃないと。 本作品のように、観ててキャラへの嫌悪感が先に立つようでは、とても買えない。
 2006/02/04最終話(第5話)を視聴。
 何か最後までテンションが上がらなくて、今一つだったかも。 女性型(と言うより少女型)巨大ロボットや鉄人28号のような重厚な敵方の巨大ロボット、美少女三姉妹に明るく元気で変形する少女型ロボット等々、 面白くできそうな要素は色々とあったと思うのだが、皆中途半端で終わってしまったような気がする。 最終話も、ジュネりんの眼鏡っ子モードとか、戦闘中は妙に冷静な秘書とか、それのみを見れば面白いのだが、全体を見るとそれ以上に纏まりの無さと言うか、 結局何がしたかったんだろう、という感じが先に立ってしまってイマイチ楽しめなかった。

Re:キューティーハニー
 2005/07/03,10,17と、三週にわたってアニマックスにて放映されたものを視聴。
 タイトルの「Re:」とは、「映画との相互RESPONCE」(公式サイトより)の意味らしい。 「映画」というのは、本作に先だって、本作の総監督である庵野秀明氏が監督した、実写版映画「キューティーハニー」の事。 映画と基本設定を一にしつつ、別作品として再構築した、というような意味のようだ。
 さすがに、テンポは良いし、トータルで2時間強の尺の中に上手く詰め込んでいて飽きさせないし、流行りの(?)百合要素も加えたりと今風の味付けも抜かり無いし、 やっぱり作りは上手いと思う。 1本の中にそれぞれちゃんとした見せ場もあり、単独でも3話連続でも楽しめるようにしてあるのは、 OVA作品と言いつつも内容はTVシリーズと同じような作りになってしまっている他作品と比べると、「さすがにちゃんと判ってるなぁ」という気がする。 ただ、その反面、全体的に勢いで突っ走っている「だけ」という感じもあり、キャラの心情とかを深く掘り下げて描く、というような要素は足りないかも。 まあ、そういうのを気にせずに、「勢い」を楽しむのが良い作品なのかもしれない。

.hack//Liminality
 2005/06/19キッズステーションにて放映されたものを(今頃)視聴。
 2002〜2003年にかけて発売された、PS2用ゲーム「.hack」シリーズに同梱されていたOVA。全4話が一挙放映された。 タイトルの「Liminality」とは、「境界性」の意味らしい。
 内と外、聖と俗、ハレとケ、そういった対立する概念の「境界」。 その「境界」があやふやになった時には、色々とおかしな事が起きる…かもしれない。 この「.hack」シリーズでは、「The World」というネットゲームの「内と外」の「境界」が曖昧になった時に起きる、様々な事件を巡る物語が展開される。 その物語が、「//SIGN」や「//黄昏の腕輪伝説」等のTVシリーズ、PS2用ゲーム、そしてこの「//Liminality」のようなOVA作品として、 様々な角度、登場人物によって描かれてきた。
 それだけに、正直言って、この「//Liminality」を単独で観ても、何がどうなったのかさっぱり判らない。 TVシリーズ2作品も観たが、本作の事件が、それらと同時に起こっているものなのか、それとも違う時系列のものなのかもよく判らない。 ラストのサーバー入れ替えが、「//SIGN」のラストと同じ出来事のような気もするのだが…。 今度、「//SIGN」がキッズステーションで一挙放映されるらしいので、それを観てまた考えてみたい。
 それにしても、伊藤和典氏は、「絶対少年」でも同様のコンセプトで物語を作っているが、よほどこの手の話が好きらしい。

ほとり〜たださいわいを希(こいねが)う。〜
 2005/08/28アニマックスにて放映されたものを視聴。
「第3回アニマックス大賞」受賞作品という事で、一般公募されたシナリオを元に作成された、アニマックスのオリジナル作品。 ちなみに、今回の「アニマックス大賞」のテーマは「ロボット」だったそうな。 その上、アニメーション制作がかのサンライズという事で、全体的にアクション系の作品の応募が多かった(ていうか、それがほとんどだった?)らしい。 確かに、この作品は、そういう作品群の中ではかなり異色だっただろう。
 とりあえず、この作品を観て思ったのは──「『My Merry May』&『My Merry Maybe』とネタ被りまくり」だった。個人的に、タイムリー過ぎる。
 ヒトが作った、限りなくヒトに近い、魂を持たないモノとの交流。記憶の意味。自分は何者なのかという問い掛け。与えられた人格と自分で確立した人格との葛藤。 そして、「ヒトではないモノ」としての生、というオチのつけ方まで。 「ロボット」と「レプリス」との違いこそあれ、描かれているテーマや「材料」は限りなく近い。 受賞者(弱冠18歳の女性だ)の弁では、「ラーゼフォン」のOPの歌詞からこの物語を閃いたらしいが、「My Merry May」や「My Merry Maybe」から閃いた、 と言われても納得してしまいそうである。
 だからと言って、別に「パクリだ」とか言うつもりは無くて、むしろ、これだけ同じ材料から出来ているのに、これだけ異なる物語が出来る、という事に驚きを感じる。 作品としての纏まりも、同日に放映された前2回の受賞作品よりも上手くて、難しいテーマを40分程の尺で綺麗に表現している。 これは、元のシナリオ自体の出来もあるだろうが、監督が、かの安濃高志氏である事も無視できないと思う。 「ヨコハマ買い出し紀行」のOVAと言い、本作と言い、叙情的な作品は本当に上手い人である。

惑星大怪獣ネガドン
 2005/11/13日本映画専門チャンネルにて視聴。
 
公式サイトによると、「世界初の本格フルCG怪獣映画」、らしい。 たまたま、同チャンネルで番宣CMを見て視聴してみたもの。 どういう出自のある映画なのか全く知らなかったが、エンドロールに「コミックスウェーブ」と「minori」の文字があるのを見てピンと来た。 その後、公式サイトに「自主制作CG映画」とあるのを見て確信した。どうやら、かの新海誠氏の「ほしのこえ」と同じような経緯で商業ベースに乗ったもののようだ。 テアトル池袋にて、この5日〜11日までの予定で上映し、その直後に同チャンネルで放映する、という、異例の放送形態が取られているのだが、 そのテアトル池袋で一週間の公開延長が決まったらしい。それなりに観客動員があったようだ。
 内容としては、もうストーリーやら設定やら人物描写やらは放っておいて、とにかく、「ゴジラ」や「ガメラ」のような「特撮怪獣映画」の「味」をフル3DCGで再現する、 という事のみに焦点を絞ったような作品であった。 テラ・フォーミングの作業中に火星の極冠から掘り出された巨大な卵のような物体。そこから現れた巨大怪獣。それに手も足も出ない防衛軍。 立ち向かう巨大ロボット。操縦するのはそのロボットの建造中に娘を事故で失った科学者。 「特撮怪獣映画」にお約束の要素だらけなのに加え、怪獣の卵のような物体を掘り出す切っ掛けとなったのが、極冠の氷を溶かすために使われた核爆弾だ、 というのは「ゴジラ」だし、卵のような物体から怪獣が生まれる、というのは「モスラ」だし、既存の怪獣映画のパロディらしきモノも色々と見られる。 公式サイトに載っている映画の宣伝ポスターも、いかにもな感じのデザインだし、とにかく「味」を出す事に集中しているような感じである。
 それだけに、CGの質感は、自主制作とは言えなかなか侮れない。 パッと見では、模型を使った特撮そのままのように見える。 「昭和100年」などという時代設定(これも、怪獣を扱った「機動警察パトレイバー WXIII」のパロディなのかもしれない)にも関わらず、 登場する街並みやら、防衛軍の兵器やら、テレビなどの家具やらが、昭和20〜30年頃を思わせるようなデザインになっているのも、その効果に一役買っている。 この辺りの凝り方は、「トップをねらえ!」等のGAINAX作品に通じるものがあるような気がする。
 ただその一方で、やはり人物の質感は今一つ。 これだけCG臭を消して模型の質感を再現する事に成功しているのに、人物だけは、いかにも「CGでござい」というような質感になってしまっている。 それだけ難しいのだろう。

スクールランブルOVA一学期補習
 2005/12/23視聴(2005/12/22発売)。
 2004/10〜2005/03にTVシリーズが放映されていた「スクールランブル」のOVA版。TVCMでは「OVA(仮)」となっていたが、正式に「一学期補習」となった。
 TVシリーズ最終回に「偽予告」があったが、あれ(原作のサバゲー話)とは全然関係なくて、TVシリーズでやった範囲で取りこぼしていた原作のエピソードが主体である。 公式サイトによると、温泉話はオリジナルのようだが。
 TVシリーズの2話分を一つに纏めたフォーマットで構成されていて、始めのワーニングから、OP・EDはもちろん、前提供・後提供まで、 きっちりTVシリーズに則って作られている。 OPは「一学期補習」の文字がタイトルに入っているだけで、TVシリーズと(おそらく)全く同じ。 EDは、一話目(♭1)は歌が播磨の「銀河沿線'05」で、アニメが例の「銀河鉄道999」のパロディ、 二話目(♭2)は歌がTVシリーズと同じ小倉優子さんの「オンナのコ♥オトコのコ」で、アニメがTVシリーズの女子と男子とを入れ換えたバージョンになっている。 TVシリーズでは、男子はSDキャラの播磨のみだったが、こちらでは、女子のSDキャラは、天満・美琴・晶・愛理・八雲が入れ替わりになっている。 この晶が「MADLAX」のパロディになっているのが可笑しい。
 本編はと言えば、良くも悪くもTVシリーズと同じノリなので、TVシリーズが気に入っている人なら観て損はしないと思う。 と言うか、これを観て、またTVシリーズを全部観直したくなった。天満の髪ぴこぴこも健在である。 ただ、税込み\7,140という価格は、少し高いかも。 セル版には、本編以外に映像特典として30分近い「塚本姉妹(小清水亜美×能登麻美子)対談」が収録されているが、まあレンタルできるならそれでもいいかも。
 気になるのは、これの二話目にもまた「次回予告」が付いている事である。 TVシリーズの最後のと同じ、内容はサバゲー話のようだが、今度は本気なのかも。 上記の対談でも、来週…じゃなくて来春にアニメ化される、とか何とか言ってたし、もしかしたら第2期が始まるのだろうか。謎である。
 (2005/12/31追記) などと思っていたら、本当に第二期が確定したようだ。なんか監督が変わるそうだが、少し不安である。監督が変わってより面白くなった作品って、あまり覚えが無いし。

蒼穹のファフナー RIGHT OF LEFT
 2005/12/29深夜(正確には2005/12/30)テレビ大阪にて視聴。映画でもOVAでもない、所謂「TVスペシャル版」である。 タイトルの“RIGHT OF LEFT”というのは、「去りし者の権利」ぐらいの意味だろうか。さすがに「左の右」では意味不明だし。
 2004年7月〜同年12月に放映されていた「蒼穹のファフナー」の特別編である。 本編の総集編や後日談ではなく、本編の半年ほど前の物語。「前日談」という言葉は無いだろうが、「番外編」というのが一番適当だろうか。 正直言って、本編がアレだったのであまり期待はしていなかったのだが、そのせいか、予想以上に楽しめた。
 竜宮島をフェストムの目から逸らす為に、おとりとなって竜宮島とは別行動を取る「レフト・ボート」。 島の左部(って、東西とか言うならともかく、どっちが右でどっちが左やねん、という「よつばと!」みたいなツッコミはこの際置いといて)ブロックを切り離し、 四体のファフナー・Titanタイプと八人のパイロット、「レフト・ボート」を運用する為の少数の大人達だけを乗せ、二カ月間フェストムを引きつける事を任務とする。 パイロットとして乗り込んだ僚と祐未、いち早くファフナーのパイロットとして竜宮島で訓練を受ける総士と果林。 彼等を中心に、他の本編のキャラクター達も交えながら、「レフト・ボート」の死闘が描かれる。 本編後半で盛り返した原動力の一人・冲方丁氏が脚本を務めただけあって、一時間の短編ながら、密度の濃い物語になっていたと思う。 と言うか、このプロットで優に1クールぐらいの物語が作れそうな感じもする。 もちろん、一時間の枠に収めた事でこの濃さが作れた、という事もあるだろうが、主役二人以外の六人のパイロット達や、「レフト・ボート」の大人達、 島に残った総士と果林や、総士の父親など、深く掘り下げて描こうと思えばいくらでも描けそうなネタがあっただけに残念な気がする。 作画も、正直良いとは言えなかった本編に比べ、僚と祐未が泳ぎに行った海の美しさや、Titanタイプとフェストムとの戦闘シーンなど見どころが多かった。 まあ、あまりキャラの描き分けができていないような平井キャラは相変わらずだが。
 そして、次々と結晶化して消えていくパイロット達の凄惨さや、ラストで僚が残したメッセージが流れ、回収されたTitanタイプのコクピットで息絶える彼の愛犬など、 去ってしまった者達の悲哀と、残された者達の決意とがきちんと描き出されている演出も良かった。
 しかし、何が一番良かったかと言うと、本編第一話早々に逝ってしまった眼鏡っ子(蔵前果林という名前も知らなかった)がいっぱい出てきた事である (<台無し。でも、終了直後に流された「あずまんが大王UMD版」のCMも結構台無し。あのラストシーンの後に、ちよちゃんの「つっくりましょ〜」を聞くのはちょっと…)。

銀色の髪のアギト
 2006/01/27鑑賞。シネ・リーブル梅田にて。
 「まだいいか」とか思って油断していたら、日中の上映は今日まで、明日からは朝一の上映のみ、それも一週間で終わり、という事になっていたので急いで行ってきた。 もともと「GONZO初のオリジナル劇場作品」という事で、あまり期待はしていなかった(GONZO作品には、映像は良いがそれ以外はイマイチ、という私的イメージがあるので)。 それを裏付けるように、1/7の公開から実質三週間で終了という上映期間の短さもあったし、予告やCMを見る限りでも、 「風の谷のナウシカ」と「天空の城ラピュタ」と「もののけ姫」とを足して三で割ったような感じに見えた。 ネット上で見る感想や評価もかなり散々なもの(映像と歌は良いがそれ以外はダメ)だったのでやめとこうかとも思ったが、そこまで酷評されるのはどんなもんかと、 逆に興味がわいた。「怖いもの見たさ」なのかもしれないが、普段は行なわないこの事前情報の仕入れが良かったのかもしれない。少なくとも、期待を下回る事は無かった。
 と言っても、せいぜい「思っていたよりはマシだった」程度で、とても1,800円の料金に見合う作品だったとは思えない。 確かに映像は綺麗だし主題歌は良かったが、斬新ではなかった。 俳優を起用した主要キャラのキャスティングも、「まあ聴けない事はないか」ぐらいで、決して褒められた演技ではなかったと思う。 ヒロイン役の宮崎あおいさんは、「魔法遣いに大切なこと」でも主役のユメを演じていて、その時はそれ程悪いとは思わなかったが、 切羽詰まった場面などではまだまだアラが目立つ。 何より、場面転換やキャラの心情を描く為の「段取り」の場面をかなりバッサリと省略している為、「何でいきなりこうなるの?」と思うような場面が多過ぎる。 その最たるものは、ラスト・シーンのあの双子の赤ん坊の場面だろう。 そもそも、あの双子自体が何者なのかも全然説明されていないのに、最後にいきなりあんなものを見せられても、サッパリ妖精が飛び交うばかりである。
 噂では、企画自体は8年も前から動いていたが、作画監督が病気で倒れたりとか、当初の監督が降りてしまったとか、色々とゴタゴタがあったらしい。 それが本当だとすれば、その為に、肝心の物語に色々と穴が空いてしまったのではないだろうか。
 ただまあ、そういう事以前の問題として、過去の他作品、特に宮崎駿監督作品によく似た部分が多過ぎて何だかなあ、と思う。 予告やCMを見た時に感じた三作品以外にも、これでもか、と言わんばかりに「どこかで見たような」「どこかで聞いたような」場面や台詞が出てきて、 「もしかして、これはどれだけ宮崎作品を観ているのかを試されているのではないだろうか」とまで思うぐらいである。 私が見て取れただけでも、以下のような点が挙げられる。  とまあ、こんな調子である。所謂「ネタアニメ」としては、実によく出来ていると言えるかもしれない。

真救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝 殉愛の章
 2006/03/24鑑賞。三番街シネマ(シネマ2)にて。
 言わずと知れた、かの「北斗の拳」の劇場版である。 原作連載時にカットしたエピソード、サイド・ストーリーの中から選択した物語をアニメ化する、という事で、本作品を含め、 劇場版・OVA作品合わせて五作品を2008年までに公開する計画らしい。 本作品は、サブタイトルに「ラオウ伝」とあるように、本編のケンシロウ対サウザーの戦い(聖帝十字陵編というらしい)をラオウの側から見た物語、 という事になっている。
 しかし、「主役はラオウ」と言っている割には、あまりラオウが目立っていなかったような気がする。 実際、サウザーと戦ったりして派手に活躍するのはやはりケンシロウだし、ラオウ側のエピソードが、レイナのラオウに対する愛とか、 ソウガの忠誠心とかの見た目地味なものが殆どだったのがその原因ではないか、と思う。 ケンシロウとの関わりも、基本的には傍観しているだけであまり直接的に関わらないし。 むしろレイナの方が、リンとの触れ合いがあったりして目立っているのでよほど主役っぽいのだが、その言動とかが、良く言えば王道、悪く言えばありがちで、 やはりケンシロウの活躍ぶりに比べると見劣りしてしまっていたような気がする。
 作画としても、劇場版として見るとやや厳しいものがあったし、音楽も、梶浦由記氏がやってる割には殆ど印象に残るものが無く (と言うか、「舞-HiME」や「.hack」等でお馴染みの「梶浦節」と言えるような独特のものが全く無かったような気がする)、唯一、 あの「YouはShock!」でお馴染みの「愛をとりもどせ」のリメイクバージョンが記憶に残っているだけだった。 決してつまらなくはないし、久し振りにあの「北斗の拳」の世界を味わえて面白かったのだが、何となく薄味というか、もの足りない感じだった。
 本作品の特徴として、メインの三人(ラオウ、レイナ、ケンシロウ)の声を声優経験の無い俳優がやり、その周りをベテラン声優が固めている、 というキャスティングが挙げられると思うが、正直、このラオウ役の宇梶剛士氏はミスキャストだと思う。 演技がどうこう言う以前に、あの少し嗄れたと言うか軽めの声質がラオウに合っていないのではないだろうか。 ラオウのように、体の大きな人という事で選んだそうだが、本当にあの声がラオウのイメージに合っていると思って選んだのかどうか、甚だ疑問である。 一方で、ケンシロウ役の阿部寛氏と、レイナ役の柴咲コウ氏は、多少棒読みっぽい感じが残っていたものの、特に違和感無くハマっていたと思う。 特に阿部氏の方は、例の「あたたたたぁ!」というケンシロウの掛け声(怪鳥音と言うらしい)も、TV版の神谷明氏やブルース・リーの作品を見て研究したと言うだけあって、 なかなか良い感じだった。それだけに、ラオウの声の違和感が余計に際立っていたように思える。
 もう一つ本作品の特徴として、資金を「
北斗ファンド」という投資形式で集めている事が挙げられる。 以前の「バジリスクファンド」と同様、個人投資家等からの小口投資で制作・宣伝費を集め、興行収入やDVDの売り上げ収入で利益が出れば投資家に還元する、 という形のファンドである。
 それはまあ良いのだが、その内容を詳しく見てみると、やはり色々と疑問が出てくる。
 まず、損益シミュレーション(PDF)がある。 劇場版三作品の興行収入合計と全五作品のDVD出荷本数合計がそれぞれ五種類設定されている中で、最高がそれぞれ90億円、1,500千本(150万本)となっているが、 この数字に現実味があるだろうか?
 単純に考えて、劇場版一作品あたり30億円、DVD一作品あたり30万本という事になるが、参考資料として付けられている2002年〜2004年の劇場作品で見ても、 それを達成している作品は少数派である (だいたいこの参考資料にしても、興行収入はともかく、DVDの売上本数はアニメ作品以外は参考にならないだろう。 国産アニメと洋画とでは、一部の作品を除けばDVDの単価に大きな差がある事は周知の事である訳だし)。 仮に、投資額を上回るリターンを得られる最低ラインを見ると、最も還元率の良い場合でも、興行収入15億・DVD出荷本数1,000千本(100万本)から、 興行収入60億・DVD出荷本数500千本(50万本)ぐらいの範囲になる。 本作品がよほど良く出来ていたのであればこのぐらいは充分達成可能な気はするが、正直現在の出来ではかなり苦しいのではなかろうか。 特に気になるのは、商品投資信託受益権説明書(PDF)のp.55〜56にかけて書かれている、
「過去に本原作と同一の原作に基づくアニメーション作品としては、劇場版「北斗の拳」(1986年公開)、OVA「新北斗の拳」(2003年発売)等がありますが、 当該各作品の興行、DVD販売等に関し、利用可能な公表された情報はありません。」
という一節である。幾らなんでも、劇場公開された映画の興行収入や、一般販売されたDVDの販売本数が不明、というのは、 よほどのアングラやインディーズ作品でもない限りあり得ないと思うのだが。 興行収入なら配給会社や社団法人日本映画製作者連盟に問い合わせれば判る筈 (ちなみに、1986年の国産アニメ映画では、「ドラえもん のび太と鉄人兵団・プロゴルファー猿 スーパーGOLFワールドへの挑戦!!」が13億円、 「86 東映お年玉まんがまつり」が10億7千万円となっている)だし、 DVDも販売元に問い合わせれば、出荷本数の累計ぐらいは判る筈である。 本気で調べているのか?と疑ってしまうのは気のせいだろうか (ちなみにここによると、本作品の上映二日間の興行収入は一億円強らしい)。
 また、投資に際して、投資額の3.15%という、投資額に比例した手数料がかかる(PDF)というのも何だか。 この手の「手数料」を見る度に思うのだが、この3.15%という数値に根拠はあるのだろうか? 10万円投資するのと100万円投資するのとで、10倍も「手数」が違うとでも言うのだろうか? それに、これは元本保証が無い。投資家は下手をすれば投資額の全てを失うリスクがあるが、このファンドを販売している会社(この場合はSMBCフレンド証券)は、 手数料収入だけはしっかりと懐に入れてしまう。 どうも、こういうのを見ると、何か証券会社や投資会社を儲けさせているだけのような気がしてならない。 投資というのはそういうものだ、と言ってしまえばそれまでであるが、投資家の負うリスクに比べて、証券会社の負うリスクが少な過ぎるように思えて何か気に食わない (上記の商品投資信託受益権説明書には、これでもかと言わんばかりにリスクが列挙されているが、手数料3.15%の根拠については何も書かれていないようである。 この辺、「そーゆーものなんだからおとなしく払え」と言われているような気がして、やはり気に食わない)。
 ついでに言うと、注意事項のページに書かれている、
「当社ホームページに掲載されている情報の内容に関しては、万全を期していますが、情報の正確性および完全性を保証をするものではありません。 内容についての欠落・誤謬・伝達遅延等および内容に基づいて被った損害について、当社および当社に情報を提供している第三者は一切の責任を負いかねます。」
という「全般免責」という項目は「アリ」なんだろうか? まあそうそう致命的な「欠落・誤謬・伝達遅延等および内容」は無いだろうとは思うが、仮にあったとしても一切の責任を負わない、と言うのは。 これだけリスクの高い商品を販売していながら、その商品説明の内容に基づく損失が発生しても責任を負わない、等という事が許されるものなのだろうか? まったく、投資の世界というのはどこか一般的な常識からは外れているような気がする。
 あと、やはり気になるのは、収益があがった場合にそれが制作者に還元されるのか、という点である。 上記の商品投資信託受益権説明書やパンフレットに載っているストラクチャー概要図を見る限り、制作会社(今回はトムス・エンタテインメント)は、 指定業務委託先であるNSP(ノース・スターズ・ピクチャーズ)から委託を受けて作品を制作するだけで、収入としては固定の制作費のみのように見える。 だとすれば、「バジリスクファンド」と同様、興行収入やDVD販売収入が幾ら増えても制作会社の、ひいては制作スタッフの受け取る金額は同じ事になる。 もちろん、それが十分な額であれば問題は無いだろうが、それでも、自分達の手で創った作品が幾ら売れても収入は変わらないとなれば、 ましてやその収入が十分な額でなかったりすれば、制作スタッフの士気は上がらないのではないだろうか。 スタッフ個々人の熱意だけで良い作品を創る事ができるような時代でも無いだろう。 制作資金を集める手法として、この手の「映画ファンド」が存在するのは良いが、 それが現場の待遇改善や士気の向上にも繋がるような仕組みになるように考えてほしいものである。 そうする事が、結局、良い作品を創り出す事に、ひいてはファンドの成功にも繋がるのではないかと思う。
 ただ、このファンドに投資する人って、これで儲けようなんて考えていないんだろうなあ、とは思う。 投資と言うよりは、ファンだから寄付する、ぐらいの気持ちなんじゃないだろうか(だから「ファン」ドって言うのか?)。
 そもそも、投資対象となる作品が存在していない時点で申込が締め切られる(締切日は昨年の11/29だった)のだから、 どんな作品が出来上がるのか全く判らない(しかも、このファンドの場合は五作目まであるのだ。途中解約はできないので、一作目の本作品を観て、 「やっぱり投資するの止め」と思ってももう遅いのである)時点で投資する、という時点で、これは既に「投資」ではなく「ギャンブル」である。 それも、かなり分が悪い類の。 競馬に例えれば、新馬のデビュー戦で、その馬をパドックやテレビ等で実際に見ないで、親馬の戦績(つまり血統)、騎手の戦績、 調教師等の評判だけでその馬に賭けるようなものである。 そんな事をするのは、親馬や騎手や調教師のファンだったりして、親馬が好きだったからその子供も応援してやろう、とか思う人だけなんじゃないだろうか。 それはそれで投資する人の自由だから良いのだが、そんな「ギャンブル」を「投資」と言って売るのは、ある意味詐欺に近いんじゃないか、という気もする。
 どう見ても「ギャンブル」にしか見えないものを、「投資」やら「ファンド」やらといった、いかにもまっとうそうな名前を付けて売る。 売った方は、手数料収入でがっちり儲けて、損するのも苦労するのも他人だけ。 世間では、こういう連中を「詐欺師」と言うのではないか、という気もするのだが、投資している人達が何も言わないのであれば、大きなお世話なんだろう。
 と、まあ長々と書いてしまったが、つまるところ、そんな周辺状況の方が気になってしまうぐらいの出来だった、という事なんだが(<ダメじゃん)

立喰師列伝
 2006/04/19鑑賞。ナビオTOHOプレックス(シアター6)にて。
 これを果たして「アニメーション作品」と言っていいものなのかどうか迷うところだが、かと言って「実写作品」と言うには「アニメ的」に過ぎると思う。 手法としては「ミニパト」で使われた「割り箸アニメ」の発展形…と言うか、昔からあるような、写真を切り取って動かすようなタイプの作品である。
 この「立喰師」というものを初めて聞いたのは、「紅い眼鏡」の頃だったろうか。 主人公の紅一が立ち寄った立ち食い蕎麦屋で、故・天本英世氏扮する「月見の銀二」なる「立喰師」が登場する。 その時の映像が、本作にも挿入されている。 また、「うる星やつら」の「立ち食いウォーズ」や、「機動警察パトレイバー」(第一期OVA)にも、「立ち食いのプロ」等という存在が登場する。 本作に登場する「哭きの犬丸」は、「御先祖様万々歳!」の主人公の成れの果てである。
 押井守氏の中には、昔からこの「立喰師」なるものが存在し、「いつか『立喰師』を描いた作品を作りたい」というような事を言っていた事は、周知の事実である。 しかしまさか、それが現実に制作される、などという事を真面目に考えていた人がいただろうか。いや、いたから本作品ができたのであろうが。
 とにかく、これは観る人を選ぶ作品だと思う。 押井作品の特徴の一つである長広舌、特に「うる星やつら」のメガネや、「機動警察パトレイバー」の後藤隊長などのそれが好きな人には、多分お勧めである。 「紅い眼鏡」や「西武新宿戦線異常なし」等が好きな人なら、より楽しめるだろう。
 しかし、そうでない人、または押井氏の作品を知らずに観に来た人には、多分訳の判らない、やたらと意味不明な台詞が続くだけの、退屈な映画に違いない。 実際、私の隣に座っていた、一人で観に来ていた若い女性は、上映開始の十数分後には居眠りをはじめ、三十分後には席を立ってしまった。 私の前に座っていた老年の夫婦も、ほぼ同じぐらいで席を立ってしまった。その気持ちは実によく判る。 多分であるが、彼女達は、レディースディ割引やシニア割引を利用して、「これを観る」という目当ての映画を持たずに適当に映画を観に来て、 これがどんな映画なのか全く知らずに入ってしまったのではなかろうか。
 しかし、私は、上映中ずっとニヤニヤしっぱなしだった。こんなに「台詞に酔っぱらう」(「台詞に酔う」等という格好良いものではないので)作品は他に知らない。 100分を越える上映時間が、台詞だけでこんなに面白かった作品も初めてだと思う。もう一度観に行ってもいいぐらいな気がする。
 あと、押井氏の作品には欠かせない、川井憲次氏の音楽が例によって実に見事に作品を盛り上げてくれる。 間抜けな音楽、勇ましい音楽、コミカルな音楽等々、上映中ほぼ途切れる事無く続く劇伴は、「酔い」を更に加速させてくれる。 映画館を出たその足で、すぐにサントラCDを買いに行った事は言うまでもない。
 ただ、本作が興行的にはおそらくどん底に終わるだろう事は想像に難くない。 私の観に行ったシネコンでも、公開二週目の今週には既に上映回数が減らされ、来週の三週目には一日一回の上映になる予定である。 それも、そのシネコンで最も席数の少ないスクリーンで、である。四週目があるのかどうかは判らない。それもまた、押井氏の実写作品らしいと言えばらしいのだが。 その最も象徴的な例として、本作のパンフレットに「い眼鏡」が「い眼鏡」と記載されている事が挙げられるだろう。 押井氏の作品のパンフレットに、その押井氏の作品のタイトルの誤植があるのだ。 こういう所に、押井氏の実写作品に対する世間の評価が端的に表れているような気がする。私はどの作品もそれなりに気に入っているんだが…。

ブレイブ ストーリー
 2006/07/28鑑賞。ナビオTOHOプレックス(シアター5)にて。 原作は、宮部みゆき氏の小説。「フジテレビが劇場アニメに本格進出」とか何とかいう触れ込みで、以前ニュースになっていたような気もする。
 何というか、ずいぶんと「素直な」物語だなあ、という感じである。 辛い現実を変えたいと望む少年が、異世界の冒険の旅を通じて成長するというのは、実に王道というか、普遍的なというか。 そのせいか、ラストまでまったく予想通りの展開なので、「この先どうなるんだろう」とか思う事が無く、ただワタルの冒険の旅を共に楽しめば良いのだろう。
 ただやはり、私のようなひねたおじさんには、なかなかそう素直に観る事ができないもので、サブキャラ(特に猫娘)の描き込みがもう少し欲しいなあとか、 「失敗したら帰れない」とか何とか言っていたわりにはミツルは最低一度は戻って来てたよなとか、 ミツルとワタルの前にも「旅人」は居たようなのに、今回のような騒動は一度も起きなかったのか(ミツルより酷い事をした奴は一人も居なかった、って信じ難い)とか、 あれだけの魔族の大群に襲われたのにワタルと関わりのあった連中が皆生き残っているのは何でとか、太極図って月並み過ぎなんじゃなかろうかとか、 ワタルのお母さんが普通に生きてるのって何か冒険のありがたみが無い(と言うか、せっかく辛い現実と向かい合うというワタルの決意が軽くなってしまう)よなあとか、 死んだミツルの妹が生き返ってるのってどうよ?とか、 ワタルの集めた玉の数が何か合わないような?(最初の「はなむけ」の赤、地底湖の怪獣の緑、氷の街の青(←これが少し怪しいけど、青はいつの間にか嵌まってたような…)、 魔法使いの爺さんが吸い込まれた銀(?)、皇女様に貰った白、で五つ揃ったと思っていたら、何かまだ一つ埋まっていなかった気がする。何か勘違いしてたか?)とか、 やっぱり尺のせいかダイジェストっぽい、これはTVシリーズ向けの作品なんじゃなかろうか、 とか色々と気になってしまってイマイチ楽しめなかったかも。
 まあ、キャストに本職の声優さん以外の人がたくさん居るわりにはあまり演技に違和感もなかったし、映像はさすがGONZOだけあってよく動いてるしで、 悪くはなかったと思う。さりとて「ここが大事なんです!」みたいな所もあまり感じられない、一言で言うと「薄味」な印象だった。

時をかける少女
 2006/08/08鑑賞。テアトル梅田にて。原作は、言わずと知れた筒井康隆氏の小説。 TVドラマ、劇場映画合わせて、今までに7回映像化されている(パンフレットより)が、アニメ作品は初めてである。
 この作品は、絶対に「夏」に観るべきである。「夏」でなければいけない。 観終わって劇場を出たとたん、むせ返るような熱い空気に包まれ、焼けるような陽射しを浴びるのが良い。 間違っても、冬の冷たい空気や春の暖かな陽射しではいけない。少し涼しい秋の気配が漂うような風を受けるのも駄目だ。 ぬけるような青空と真っ白な入道雲こそが相応しい。まさに「夏の映画」だと思う。
 あいにく、私が観に行った日は、台風が接近していて雲が多かったが、雲間からのぞく空は、強風で大気中の埃やら何やらが飛ばされたせいか、 まさにこの映画に出てくるような、濃く澄んだ青空だった。
 監督の細田守氏は、「おジャ魔女どれみドッカ〜ン!」で、あの「どれみと魔女をやめた魔女」の回の演出を手がけたという。 道理で、主人公の真琴と、「魔女おばさん」こと芳山和子との関係が、あのどれみと未来さんとの関係にダブると思った。 あの回は、とにかく「光」と「ガラス」の演出が際だっていたものだが、本作品では、それほど特徴的な演出が目立つ訳ではない。 ただ、鮮やかな青空とコントラストの強い夏の街の風景が、強く心に残る。
 そして、とにかく可笑しい。
 タイム・リープの能力を、妹より先にプリンを食べたり、カラオケを延々歌い続けたり、テストで良い点取ったりと、 ひたすらせこい事に使い続ける真琴のバカさ加減が可笑し過ぎる。 しかも、その度にゴロゴロ転がっては頭をぶつけたりする。 大丈夫かと思うぐらい、何度も何度もぶつける。そんな真琴が、とにかく可笑しく、そして可愛らしい。
 真琴は、結局一度も「未来」へは行かない。 ラストからして、「未来」へのタイム・リープ自体は可能なようなのだが、真琴はいつも「過去」をやり直す事しかしない。 そして、やり直した「過去」は、ただ一度を除いてどこか裏目に出てしまう。 それが致命的なものとなった時、その悲劇から救ってくれた人の為に、真琴は最後の「ただ一度」のタイム・リープを行なう。 能力を失い、結局、真琴に残されたものは「未来」である。
 作中、真琴は何度か「何とかする」と言う。そして、「過去」に戻って「何とか」しようとしても、それはいつもどこか上手くいかない。 ただ最後に言う「何とかする」だけは、「未来」への意志である。 彼女が、かつて時をかけた女性と同じ道を歩むのか、それとも別の道を歩むのか、それは判らない。 判らないが、彼女の「未来」に幸あれ、と祈るばかりである。
 そういえば、角川の劇場アニメ作品で「面白い」と思えた作品は、もしかしてこれが初めてかもしれない。うーむ。
 2006/08/15二回目鑑賞。場所は同じ。
 で、結局二回目を観に行ってしまった。まだ「ゲド戦記」には行っていないというのに。 男性のみ1,000円のサービスデーにしてしまうのが少し弱いところだが、やっぱりもう一度観たいものは観たいのである。 それに、今回は台風も来ておらず、天気は晴れ。観終わって劇場を出て、照りつける太陽と青い空と白い雲を見ると、実にいい感じなのである。
 二回目だから話は判っている訳だが、それでも面白い。と言うか、むしろ勢いで最後まで観てしまう一回目よりも、色々と頭に入った状態で考えながら観る二回目の方が、 何となくだがより楽しめるような気がする。一回目では気付かなかったり見過ごしたりしていた発見があったり、改めて見ると疑問点が出てきたりして楽しいし。 例えば、冒頭で真琴が妹の声を聞くのは結局ただの夢だったんだろうか、とか、 ラストシーンがこの冒頭と全く同じなのは、本作の始めと終わりとで同じ姿の真琴に対する印象がどれだけ違うのかを、 観客に印象づけるというか考えさせる為なんじゃなかろうか、とか、 タイム・リープしたら服装も変わってるから体ごと移動してる訳じゃないんだ、とか、 魔女おばさんとの会話ってやっぱり真琴から見たら繋がってるけど客観的に見たら繋がってないんじゃなかろうか、 とか(それでも会話を成立させている魔女おばさんっていったい…)、 そもそも未来人の彼はあの理科準備室で何をしていたんだろう、 とか(原作では(一回目を観た後で、図書館で原作を借りて読んだのである)タイム・リープ用の薬を作っていた訳だが、本作のタイム・リープでは薬は必要ないのに…)。 それに、原作と比べると、結構原作に沿って作ってる所もあるけど、アレンジもかなりやってるのが判ったり、 とか(一番のアレンジは、やはり魔女おばさんが「彼」の事を覚えているという事ではなかろうか)。
 とにかく、色々な意味で楽しめる作品である。真琴が大泣きする所では、思わずこちらももらい泣きしてしまいそうになるし(二回目だというのに…)。 唯一気に入らない所といえば、エンディングぐらいだろうか。 個人的に、エンディングで本編の映像をリピートする、というのはあまり好きではない。 ラストシーンの後の余韻が、また本編を映像を見せられる事で薄れてしまうような気がする。 そんな所でまでタイム・リープしなくても、というか何というか。ED曲の「ガーネット」は、CDを買ってしまったぐらい気に入っているのだが。
 ちなみにこのテアトル梅田では、8の付く日に眼鏡を掛けていくとポストカードが貰える、という「メガネ女子胸キュン祭り in 関西」というのをやっている。 8の付く日、というのであれば、8月はずっとやってほしいものだが…。 また、どうやら9/1までの上映が(一日二回に減るとはいえ)確定したようだ。実に素晴らしい…と言うか、初めからもっと多くの、また大きなハコで上映されていれば、 興行収入ももっと上がったのではないのだろうか。弾幕(宣伝)薄いよ!角川何やってんの!と、故・鈴置洋孝さんの声で言いたい気がする。

ゲド戦記
 2006/08/18鑑賞。ナビオTOHOプレックス(シアター1)にて。 原作は、アーシュラ・K.ル=グウィンの小説。「指輪物語」、「ナルニア国ものがたり」と合わせて「世界三大ファンタジー」と呼ばれているらしいが読んだ事はない。
 劇場に入ってまず思ったのは「人少なー」。 いや、700〜800人は入る、同劇場では一番大きなハコだし、夏休みとはいえ平日の午後の上映だし、さすがに満席とはいかないだろうが、それでも入りが2/3ぐらい、 というのは少ないんじゃなかろうか。 ここ大阪の梅田では、「ゲド戦記」はもう一館上映されている所があるのだが、これならここ一館で充分だったんじゃなかろうか、という気もする。 と言うか、「時をかける少女」にそのもう一館を回せ、と言いたい。 それに、せっかくデジタルシネマ対応のハコで、「ハウルの動く城」はきっちりデジタル上映していたというのに、何故本作はデジタル上映じゃないんだろう。 所々で、フィルムの傷や汚れが出ていて残念だった。 まあ「時をかける少女」程ではなかったが(「時をかける少女」は結構フィルムの劣化や繋ぎの不味さが目についた。 噂では、そもそも上映用のフィルムそのものの数が少ない(だから上映館を単純に増やせない)、という話も聞くのだが…みんな貧乏が悪いんや)。
 それはともかく、私は、TVシリーズでも劇場版でも、基本的にできるだけ作品に関する前知識は入れないようにしている。 既に原作を読んでしまっている、とかいう場合でも、可能な限り作品自体の情報は入れないようにする。 せいぜいがスタッフやキャストぐらいで、粗筋や設定等も知らない状態にする。もちろん、既に観た人達の感想などはもっての外である。
 それでも、本作に関しては、それが非常に難しかった。 同じ夏休み映画という事もあり、先に観た「ブレイブ ストーリー」や「時をかける少女」の感想やレビュー記事を探していると、 どうしてもセットで「ゲド戦記」の評価等も目に入ってしまうのである。 そういう場合でも、できるだけ目に入れないようにしていたが、「不評」だの「酷評」だの「原作者に謝れ」だのといった、断片的にではあるが、 要するに芳しくない出来らしい、という感じに思える言葉はどうしても目に入ってしまう。 目に入っただけで次の瞬間には忘れていれば良いのだが、さすがにそこまで私の脳の性能は悪くなかったのである。
 そういう訳で、あまり期待をせずに観に行ったのが良かったのか、少なくとも「酷評」するほどの酷い出来には見えなかった。 絵はさすがに美しい出来だったし、冒頭の竜同士の格闘戦は「何が始まるんだろう」という感じがして、結構ドキドキした。 心配していた、「声優初挑戦」なキャストの演技も、TVCM等で聞いて思っていたよりも良かったと思う。 一番心配だったのは、やはりテルーであったが、お世辞にも「上手い」とは言えないものの、聞くに堪えないというほどでもなかった。 上映中ずっと、「ゼーガペイン」のリョーコちゃんに声の感じが似てるなあ、と思いながら観ていたので、リョーコちゃんが聞ける人なら大丈夫だと思う。多分。
 ただやはり、「宮崎駿」の掌から一歩も出ていないなあ、という気はする。 それは、キャラデザインだったり、人物や物の動き方だったり、過去の「宮崎駿作品」を連想させるような場面やカットが多々見られたり、 といったような所に随所に感じられてしまう。 せっかく「宮崎吾郎 第一回監督作品」と銘打っているのだから、「宮崎駿監督作品」とは全く違うものを観たかったのだが、少し残念。
 また、本作単体として見ても、今一つに感じる所もある。
 まず、音楽の使い方が、何か全体的に大仰な感じがした。 例えば、ゲドとアレンが、本作の舞台となるホート・タウンに着いた場面で、 カメラを引いて街の全景が見えてくる所(パンフの「物語」のページにある見開きの絵の所)なんかでは、あまりにも音楽が大げさ過ぎで笑ってしまいそうになった。 全体的に、何かこう、絵ではなく音楽で場面を盛り上げようとしているような所が少なからずあったように思う。 もちろん、音楽で盛り上げる事自体は全然構わないのだが、何となく音楽の大仰さに絵がついて行っていない所が目についた。
 それに、物語も何か中途半端な感じがする。 本作は、本編5巻に外伝1巻もある原作のうち、第3巻の部分を映像化したものらしいが、そのせいか、「世界のバランスが崩れ始めている」とか、 「家畜が死んだり人の頭がおかしくなっている」とかいう根本的な世界の問題が、何も解決されないまま放ったらかしにされてしまっている。 あの魔法使いの婆さんが、これらの問題を引き起こしていた張本人だった、という訳でもなさそうだったし、そんな投げっぱなしでええんか?という気がした。 どうせなら、「指輪物語」の映画みたいに、三部作とかにすれば良かったのではなかろうか。「終」とか出されても、「何も終わってへんやろー」とツッコミたくなる。
 あと、登場人物達にしても何か魅力に欠ける。特に、ヒロインのテルーと主人公の筈のアレンの二人。
 テルーは、初めはあれだけアレンの事を毛嫌いしていながら、特に切っ掛けも何も無く、いきなりアレンに好意的になってしまう。 まさか「テルーの唄」を聴いてアレンが涙した(ここで「太陽の王子ホルスの大冒険」を連想した方は立派な年寄り)から、 とかいう訳でもあるまいに(いや、もしかしてそうなのか?)。シャナやルイズもビックリのツンデレぶりだ(<そうか?)。 ついでだが、このテルーのキャラデザインもイマイチ。 あれでは、「ブラック・ジャック」や「クイーン・エメラルダス」で慣れた目には、顔の火傷が全然痛々しくも醜くも見えない。 と言うか、テルーって、冒頭で首を食い裂かれて海に落ちた、あの竜なんだと思ったのだが(そうでなければ冒頭の場面の意味が全く無い)、 それなら顔に傷痕が残っているのはおかしいんじゃないのだろうか。もしかしたら、傷を受けたのは首じゃなかったのかもしれないが。何しろあそこは動きが速かったし。
 一方のアレンも、要するに出来過ぎの父親に対する劣等感からその父親を殺して逃げ出してしまった(何か最近そんな事件があったような…)だけのある意味精神異常者だし、 しかも最後までテルーに「また会いに来る」とか呑気な事を言ってるおバカさんのままだし。 父親であり国王でもある人間を殺したのだから、国に戻って償いをする、という事は、要するに死刑になる事を覚悟しての事の筈なのだが、 どうもそんな感じには見えないのである。 大体、いきなり国王と王子とが居なくなってしまって、国がどうなっているのかさえ判らないというのに、そんな爽やかにしているのは何なんだ、という気がする。 全体的に、登場人物達が「立っている」感じがせず、単にシナリオ通りに喋ったり動いたりしている「だけ」に見えてしまった。 もちろん、基本的にはどんな作品でもそうなのだが、そこをそうは見せずに生き生きと登場人物達を動かすのが、監督の腕なのではなかろうか。
 動きといえば、動きの力の入れ方が何か変な気がした。 テナーに薬を貰いに来たおばちゃんの二人連れの動きがミョーに良い。良過ぎて、全体から見るとミョーに浮いてる。 あのおばちゃん達の所で客席から笑いが起きていたが、もしかしてギャグのつもりなんだろうか。謎だ。
 最後に、これが「ゲド『戦記』」というタイトルなのは、何か間違っているような気がする。 「ゲドの旅」とかの方が良かったんじゃなかろうか。 そういえば、何故か最後のテロップに「原案 シュナの旅」とか書かれていたが、あれは何なんだろう。 もしかして、「ゲド戦記」と「シュナの旅」とを足して2で割ったのだろうか。 だとしたら、尚更タイトルは「ゲド戦記」から変えておいた方が良かったのではなかろうか。 変えておけば、試写会後に、監督が原作者に
「It is not my book. It is your film. It is a good film.」と言われる事 もなかったのではないのだろうか。 監督は、「この短い言葉を素直に、心から感謝して頂戴したいと、思った」そうだが、要するに「お前は原作クラッシャーだ」と言われた訳である。 そういう所まで父親の真似をしなくて良いのに、と思うのだが…せめてタイトルは「魔法少年アレン」とかにしといた方が良かったんじゃなかろうか。 「竜少女テルー」じゃタイトルでネタばれになってしまうし。
 ちなみに、本作に対する原作者自らの感想(だと思う…まだ読んでいないので。 既に和訳されたものがいくつもネット上にあるそうだ(例えばこれとか)が、 やはり原文を読まないと。誤訳されてたら大変だし)もあったりする。 こういうものを家に居ながらにして読める、というのだから、まったくインターネットというものはありがたいものである。
 とにかく、監督にはもっと冒険してほしかったなあ、と思う。 本作を観る限りでは、「スタジオジブリ作品」=「宮崎駿監督作品」という足枷が全然外れていないような気がする。 もしそれが本人が望んで足枷を外さなかったのであれば、クリエイターとしては少し情けないように思うし、 周り(特に某Sプロデューサーとか)からの圧力のせいで外せなかったのであれば、今後のジブリ作品には期待できないような気がする。 確かに「初監督」という所を割り引いて観ればそこそこのものを作ったとは思う(これより面白くない劇場版作品なんていくらでもある。特に角川とかに(<おい))が、 言葉を変えれば、それは「身の丈以上のものを初作品として選んでしまった」とも言えるのではないのだろうか。 TVシリーズとか60分程度のOVA作品とか、もっと「初監督」作品として腕を磨ける場は無かったのだろうか。 別に「ジブリ」だからって「劇場版」しか作ってはいけない、等という事はないんだし。 と言うか、この「ゲド戦記」を、一年か二年ぐらいのTVシリーズとして作れば良かったんじゃなかろうか、と思う。 そうすれば、脚本や演出といった「上流工程」を経験する若手を何人も育てられる訳だし(今のジブリにそれら「上流工程」の経験者ってどのぐらいいるんだろう?)、 原作もじっくり描き込めるしで一石二鳥だ、とか素人考えで思ってしまうのだが、そうは問屋が卸さないのだろうか。 もしそうすれば、日テレあたりが大喜びでゴールデンタイムの枠を空けてくれそうな気もするのだが。
 何にせよ、いつまでも「宮崎駿」が作品を作り続けられる訳じゃないんだから、ジブリからも、もっと色々なタイプの作品や監督が出てきてほしいと思うものである。 いや、「アンダルシアの夏」や「猫の恩返し」や「海がきこえる」や、何より高畑勲監督の一連の作品があるじゃないか、と言われそうだが、 「海がきこえる」以外は、何か「映画」と言うよりは「短編」というか「実験作品」みたいな感じがして、どうも「一本の作品」としては観れなかったもので。 高畑監督は…どうなんだろう、正直言って「娯楽作品」として面白いと思った作品は殆ど無かったりするので何とも…。 ある意味、今回の「ゲド戦記」は、テーマ的なところで言えば、高畑監督の「色」に近いのかもしれない。

よみがえる空−RESCUE WINGS− 第13話「最後の仕事」(TV未放映・DVD第7巻収録)
 2006/10/27視聴。2006年1月期に12話がTV放映された作品の番外編である。特別限定版を購入。
 今回の主役は、元救難員の本村准尉。第1話で、内田三尉が就任の挨拶をしている時に背後に立っていたオッサンである。 内田三尉がやって来る2年前の冬、本村准尉が現役救難員を引退する時期を淡々と描いている、ただそれだけの話である。 毎朝・毎夕ジョギングで自宅から基地に通う本村准尉。タイムを測るストップ・ウォッチの表示は画面では見えないが、それを見つめる本村准尉の表情は厳しい。 本村准尉を毎朝送り出し、毎夕迎える妻は、朝にカレンダーに印を入れ、夕にもう一つ印を入れる。 娘の夏美は、結婚して家を出ていく。毎日食事をとる居間には、今は亡き息子・翔太の遺影と遺骨がある。 本村准尉の引退間際に救難員として就任した鈴木三曹は、本村准尉に憧れてこの仕事を選んだ。 本編では内田三尉に「バケモノ」呼ばわりされる彼も、今はまだ、上官に怒鳴られる事が仕事のただの新人である。 そして、本村准尉の「最後の仕事」は、洋上のフェリーからの急病患者の搬送である。 その仕事を無事に終え、いよいよ本村准尉が現役を引退する日、その救助された少年からお礼の手紙が届く。 掲示板に貼り出された、その手紙の最後に記された少年の名は「しょうた」…。
 やがて2年が過ぎ、イーグルドライバーになる夢を断たれた一人の青年がやって来る。新しい物語の幕が開く。
 地味だ。本編12話のどの話よりも地味だ。ブックレットの監督のコメントにもあるが、こんな地味な話を単独で発売するなど正気ではない。 本作品の目玉である救難シーンにしても、本編のような過酷な状況ではない。 少年の命に関わる緊急事態だし、おそらく洋上で距離が遠かった為、足の長い自衛隊に救難要請が来たのであろうが、救難作業そのものは、 穏やかな洋上のフェリーから患者の少年を収容して搬送するだけで、画的には実に地味であり、その上作業の一部しか描かれない。 いつもより少し遅く帰宅した本村准尉と妻とのやり取りから、仕事が無事に済んだ事が窺えるだけである。
 それ以外は、鈴木三曹の就任、娘の結婚披露宴、かつて本村自身が救出した本郷三佐とのやり取り、等を通して、引退間近の本村准尉の姿が、淡々と描かれていくだけである。 内田三尉の恋人・めぐみや、本郷三佐の奥さんと娘さん等、ただでさえ数少ない本編の女性キャラも全く登場せず、僅かに整備小隊の西田三曹が出動場面に登場するのみ。 その代わりかどうかは知らないが、めぐみ役の能登麻美子さんは、特典映像でたっぷり観る事ができる。
 しかし、こんなに地味な話なのに、じわりとこみ上げてくるものがあるのは何故なんだろう、と思う。 そして、このような作品を観る事ができて、本当に良かったと思う。
 ちなみに、特別限定版の封入特典である塗装済完成模型UH-60J「ヘリオス78」であるが、メインローターの羽根の内1枚がどうしても刺さらず、 力を入れ過ぎて折れてしまった。よく見たら、その1枚だけ、羽根に空いている差し込み穴の深さが全然無くて、物理的に殆ど差し込む事が出来ない状態になっていた。 もっと早く気付けば良かったのだが、後の祭りである。おまけに、バラして収納しようとしたら、今度はテールローターが抜けなくなってしまった。 これも、力を入れ過ぎて軸の根元から折れてしまった。オレの空は二度とよみがえらん…orz

パプリカ
 2006/12/19鑑賞。テアトル梅田にて。原作は、「時をかける少女」に続いて筒井康隆氏の小説。
 今敏監督の劇場版作品は、「パーフェクトブルー」「千年女優」「東京ゴッドファーザーズ」に続いて4作目で、一通り観ているが、本作品はパンフレットにもあるように、 監督の「総決算的」な作品であったように思う。
 ただそれは、決して「良い意味で」はなく、これら以前の作品と「似たような感じ」を受けてしまう、という、どちらかというと「悪い意味で」の「総決算的」なもので、 前3作を観た時に感じた新鮮味──「パーフェクトブルー」でのコンサートやレイプ演技場面での動きに対する執拗なこだわり、 「千年女優」での「虚」と「実」がシームレスに入れ替わり混在する映像の非現実感、 「東京ゴッドファーザーズ」での現実の街を写実的ながらもアニメ的な「綺麗さ」をもって描き出した美術の凄さ等々──があまり感じられなかったように思う。
 確かに、映像的には相変わらず見応えがあるし、前3作が無ければこれだけの映像表現も出てこなかったのではないか、と思わせられるという意味では、 「総決算的」だし、また「集大成的」でもあるのだが、そこに熟練の技は見られても、監督の作品に期待していた「新鮮な驚き」は見られなかったのが少し残念だった。
 まあこれは贅沢な欲求なのかもしれないし、実際に観て面白かったので良しとしよう。 今年は、「時をかける少女」という、同じ筒井康隆原作で「若さそのもの」みたいな作品が先にあったので、余計に「新鮮味が無い」と感じられてしまったのかもしれない。

秒速5センチメートル
 2007/04/20鑑賞。テアトル梅田にて。
 「ほしのこえ」「雲のむこう、約束の場所」に続く、新海誠監督の劇場版作品第3弾…でいいのかな。 これらの作品以外にも、NHK「みんなのうた」の「笑顔」のアニメーションとか、ゲームのOPムービーとかも作っていたようだが、劇場公開作品は、本作品を入れて3つの筈。 「雲のむこう、約束の場所」とは異なり、今度は短編3つ合わせて1時間程度の小品になっている。その為か、前売り料金も標準で1,000円と安くなっている。
 本作品を観ると、新海氏というのはやはり「映像作家」であって「物語作家」ではないなあ、という気がする。 その意味では、新海氏を指して「ポスト宮崎駿」と言うのは(個人的にはあまり好きな言い方ではないが)当たっているかもしれない。 宮崎駿監督も、「未来少年コナン」をやっていた頃はまだ「映像作家」であり「物語作家」でもあったと思うのだが、最近の劇場版作品を観ていると、 「物語」は適当にうっちゃっておいて、とにかく「映像」で圧倒するような所があると思う。新海氏の作品もそんな感じがする。 宮崎駿監督の息子の宮崎吾郎氏の「ゲド戦記」が、「物語」としてはともかく「映像」としては見るべきものが無かった事を思うと、実に皮肉な感じがする。
 本作品は、物語としては前2作に比べるとまったく「普通」の話で、宇宙規模の問題も、平行世界だの量子物理学だのも全く関係ない、 「ただの恋愛もの」…いや、「恋愛もの」にさえなっていない「恋愛未満もの」でしかない。 小学校卒業と同時に離ればなれになってしまった好きな女の子の事が忘れられずに、とっくに振られているのにウジウジとその子の事を想い続けている、 ある意味情けない男の話である。 その子の居場所は判っているのに、高校生になっても、社会人になっても、直接会いに行く積極性も行動力も無く、ただ手紙の返事が来なくなった事に思い悩み、 出す事もない携帯メールを書いてみたり、自分を好きな女の子が傍に居ても全く気付かなかったり、その子に似た女性を見かけるとつい目が行ってしまったり、 その挙げ句にせっかく3年間も付き合った彼女にも振られたりと、まったくどうしようもない男である。 そうやって男がウジウジしている間に、その女の子の方は、しっかり新しい恋愛をして結婚してしまっている。 なんかもう、「男って…哀しいな…」などとしみじみ思ってしまうような話である。つーか、「ウジウジしてるクセにモテ過ぎだろ、こいつは」とか思ってしまう。
 ただ、そこはもう新海氏の腕の冴えと言うか、圧倒的に情緒豊かな映像と、例によって天門氏の美しい音楽とで魅せてくれる所は凄い。
 透き通るような夏空、降りしきる冷たい雪、台風に荒れる海、雲を突き抜けて上昇していくロケットの噴煙、そしてタイトルの元にもなっている舞い散る桜の花びら。
 すぐそこにあるようで、実際にはどこにも無いような美しさ。現実的だけど幻想的。そんな風景がたっぷり詰め込まれていて素晴らしい。 前2作のような大きくて現実離れした設定も無いので、余計な事に頭を悩ませなくてもいい分、映像の美しさをしっかり堪能する事ができる。 でも、あのタカキの空想の場面は、少し余分だったような気もするけど。

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society
 2007/05/02アニマックスにて放映されたものを視聴。
 なんで2ヶ月近く前に放映されたものの感想を今頃(2007/06/26)に書いているのかというと、録画しておいたもののなかなか観るタイミングが無くて、最近になってようやく観る事ができたからである。 2時間という長さも影響しているのだろうが、どうも、いったん観るタイミングを逸すると、何かこう、観る事に対する心理的な障壁がどんどん高くなっていってしまい、ますます観るのが後回しになっていくのである。 その上、性格が貧乏性な為に観ないまま削除する事もできず、かくしてHDDレコーダーの肥やしがどんどん増えていって残量を圧迫する事になるのである。 困ったものだ。
 それはともかく。
 作品そのものは、2006年9月にスカパー!のPPVで放映後、11月にDVDが発売されたもので、まあOVAと言っていいのかもしれない。 TVシリーズ2期目の「2nd GIG」のラストから2年後となる続編で、公安9課を去って独自に活動していた少佐こと素子(「2nd GIG」のラストで、素子が一人でどっか行ったと思っていたら、本当にそのままどっか行ってしまってたのか)と、素子が抜けた穴を人員増で埋め、質・量共に変わっていった公安9課の面々とが、「傀儡廻」という凄腕のハッカーを追っていく、という話。
 今までのシリーズでも、薬剤問題や難民問題といった現代にも存在する社会問題を題材にしてきた「攻殻機動隊」であるが、本作でも、高齢化社会や介護という難問を採り上げ、そこに劇場版の「人形遣い」を彷彿とさせるような「傀儡廻」を絡ませて、独特な世界観を構築している。
 ただ、それだけに斬新さという点には欠けるような気がする。 元々のTVシリーズも、劇場作品並のクオリティを保っていたせいか、OVA作品と言っても映像面での凄さというのもあまり感じられないし。 ある意味、贅沢な話ではあるが。 また、「2nd GIG」のラストで、ネット上に自分達の情報を流したタチコマがエージェントソフトとして復活しているのはまあ判るとしても、ボディまで復活しているのは何故なんだろう。 ボディはそのまま保存されていたのだろうか。謎だ。
 それにしても、あの介護ネットのシステムは、まるで「老人Z」のようだった。
 (2007/07/02追記) この作品を観て、何故今一つ面白いとは感じなかったのか考えていたのだが、この介護ネットを作った「犯人」の動機が理解できなかったからかも、とようやく思い至った。 虐待されている子供を見つけ出し、強制的に電脳化し、記憶を消去し、貴腐老人の被保護者となるように戸籍を改竄する「誘拐のインフラ」を介護ネットに仕込む、なんていう違法で手間の掛かる事をするだけの動機が、どうも理解できなかったのだ。
 虐待されている子供を救いたいのであれば、見つけ出す事が出来るのだから保護すれば良いだけだし(それこそ、あの厚生労働大臣(だったかな?)のエリート教育施設に保護しても良かった訳だ)、合法的に貴腐老人達を養父母とするような制度を作れば良い。 あの「犯人」には、それを出来るだけの頭脳と実行力と地位があった訳だし。 そうでなければ、そもそも介護ネットを一人で企画・開発、なんて出来る訳がなかっただろうし。
 第一、この「官僚が介護ネットを一人で企画・開発した」というの自体も、なんかリアリティに欠けるネタである。 これだけ大掛かりな福祉のシステムを官僚が一人で開発する、なんてあり得ない話だ。 官僚が行なうのは、せいぜい企画と仕様の決定ぐらいまでで、実際のシステム開発は入札を行なって民間に発注するのが普通だろう。 介護という、現実的な問題の延長上の世界を描いているだけに、余計に話にリアリティが無い。
 そもそも、これは「パトレイバー」の劇場版第1作と(「犯人」が既に死んでいた、という点まで含めて)ネタが被ってるし。 「パトレイバー」では、「犯人」の人と為とが描かれていた為に動機も想像し易かったが、本作品ではそれが殆ど描かれていなかったのも、動機が理解し難い理由だと思う。
 もしかしたら私が見落としていただけかもしれないので、もう一回その視点で観てみれば理解できるかもしれないが、既にHDDから削除してしまった。 またアニマックスで放映してくれたら観る…かも。

FREEDOM EDEN編
 2007/06/24アニマックスにて放映されたものを視聴。
 日清カップヌードルのCMでお馴染みの、大友克洋氏がキャラ・メカデザインを手がけている作品。 カップヌードルと提携しているという事で、作中にもあちこちにカップヌードルが登場する。 今回は「EDEN編」という事で、主人公のタケル達がEDENを脱出するまでを描いた第3話までの放映となる。 アニマックスでは、続きもまた放映していくらしい。
 舞台は300年程未来の月。 宇宙ステーションの墜落事故により地球が居住不可能な環境になってしまった為、人類は、火星探査の前哨基地として建設されていた月面基地を、恒久的に居住可能な巨大都市「EDEN」として構築し直し、厳しい管理体制の下にありながらも、穏やかで平和な生活を享受していた。 EDENに住む少年タケルは、ある日、EDENの外で作業中に宇宙から落下してきた物体を発見し、その墜落跡で一枚の写真を見つける。 そこに写されていた美しい地球の風景と少女の姿に興味を持ったタケルは、今は環境が汚染されている筈の地球について調べるうちに、隠されていた秘密に近づき、やがて地球を目指してEDENを脱出する──という、「メガゾーン23」と「ダロス」と「AKIRA」と「地球へ…」を足して4で割ったような話である。
 ソフトがHD DVDで発売され、素材自体もHDで制作されているというだけあって、映像はなかなか緻密だし、大友克洋氏によるキャラクターやメカニックもなかなか良い。 ただ、あの3DCGで描かれたキャラ特有のゆらゆらした動きは(出来るだけ手描きを意識しているらしいが)、「いかにもCGでござい」という感じで、やはり何か不自然に見えるし、話自体も、良く言えば王道、悪く言えばありがちな感じのもので新鮮味は少ない。 第4話以降、地球に舞台を移してからの展開に期待、というところか。
 でも、最低でも基本的な物理現象は押さえておいてほしいと思う。 真空の月面(正確には、極々薄い大気はあるそうだが…)では、写真は「ひらひらと」は落ちない。 アポロを出しているくせに、月面で鳥の羽根を落とす実験の映像は見ていないのだろうか。

ピアノの森
 2007/08/01鑑賞。梅田ピカデリーにて。原作は、一色まこと氏が「モーニング」に連載中のコミック。
 原作は未読。かつて天才と謳われながら、交通事故でピアニストとしての将来と恋人とを同時に失った、音楽教師の阿字野。 ピアニストになる事を夢見て、日々厳しい練習に耐える少年・修平。 森に捨てられていたピアノに育まれた天才的な才能を持つ少年・海。 三人が、森のピアノを通して出会った時から物語が始まる訳だが、何時「ファンタジー」になるのかと思っていたら、最後まで「リアル」な(「リアリティ」があるかどうかは別として)物語のままだったので少し拍子抜けした。 海だけが「森のピアノ」を弾ける事とか、海がショパンだけを弾けない事とかに何か「ファンタジー」な理由があるのかと思って観ていたのだが、全然そんな事は無かったようだ。
 まあそういう事は置いといて、少年達と大人達とのひと夏の物語としてはなかなか爽やかで面白かったと思う。 物語の中心となるピアノ演奏のシーンも、既存の音源を使ったりせずに、かのアシュケナージ氏が演奏をしている事もあってか、迫力があって見応え充分だったし。 この辺りは、最近まで放映されていた事もあって、どうしても「のだめカンタービレ」と比較してしまう訳だが(海とのだめのキャラも被っている所があるし。天才肌である事とか、コンクールで演奏の途中から自由に弾いてしまう所とか)、さすがにレベルが違う。 これが、単に劇場版作品とTVシリーズ作品との違いからくるものなのか、それともマッドハウスとJ.C.STAFFとの地力の違いによるものなのかは判らないが、やはり「この絵で『のだめ』を観たかったなあ」と思ってしまう。
 また、最近ありがちだが、主役の海役の上戸彩さんをはじめとして、本作品でもメインキャラに本業が声優ではない人が多くキャスティングされているが、俳優としてはそれなりに経験がある人が多いせいか、それほど違和感は無かった。 ただ、審査員役の高田純次さんとか、よく判らないキャスティングもあるのだが…(パンフレットに原作の「愛読コメント」なるものを寄せている所を見ると、もしかして「愛読者代表」みたいな感じで出演したのだろうか。謎だ)。
 一つ残念だったのは、誉子の存在が少し中途半端に見えてしまった所である。 続編があるのなら良いのだが、この1本で完結している作品として見ると、誉子の存在は何か余計な気がする。 海・修平・阿字野の三人に絞って物語を構成した方が、1本の映画として纏まりが良くなったんじゃないだろうか。 最後の方で、修平を金平達が認めている描写も少し唐突な印象があったし、誉子には悪いが彼女の出番を無しにしてその辺を丁寧に描いた方が、修平の物語としてもより深みが増したのではないかと思う。

ミヨリの森
 2007/08/25関西テレビにて視聴。原作は、小田ひで次氏のコミック。現在、続編の「ミヨリの森の四季」が連載中らしい。
 最近では珍しくなった(というか殆ど絶滅した?)単発での2時間を越える(と言ってもCMの時間込みだが)枠で放映されたスペシャル番組である。 日テレの「24時間テレビ」でアニメ作品が制作されなくなって以来だろうか、このような単発の(通常のTVシリーズ作品の特別編ではない形の)長時間作品が放映されるのは、本当に久し振りのような気がする。
 ただ、EPGの番組説明によると、「制作費2億円(「週刊ザ・テレビジョン」によると2億1千万円)・制作期間3年」を掛けたらしいのだが…正直、「それでこの程度か」という感じだった。 背景は、山本二三氏が監督をしている為もあってか確かに綺麗だったが、特に序盤でのキャラのデッサンがおかしい所が目立ち、お世辞にも作画が良いとは言い難い。 特に、森の精霊達の造型が何だか…精霊なのか妖精なのか妖怪なのかハッキリしてくれ、みたいな感じで、「もののけ姫」どころか「かみちゅ!」の方がまだマシに思えた。 まあこの辺は好みの問題なのかもしれないけど。
 ストーリーも、序盤〜中盤の展開はまあまあだったと思うのだが(特に、ダム建設を阻止する為に絶滅危惧種のイヌワシが森にいないかどうか探そうと思い付くあたりは、ちゃんと「ものを考えている」感じがして良かった)、終盤は結局、イヌワシを暗殺(違)に来たハンター達を、ミヨリが森の精霊達を率いて追い払う、という型通りの展開で萎える。 というか、あの森にイヌワシがいたのは昔の話で、現在はイヌワシはいない(世間的にいない事になってるし、実際にもいない)という話だったと思うのだが、あのハンター達は何故イヌワシを暗殺(違)に来ていたのだろうか…念には念を入れて確認に来てただけ?
 声優として、ミヨリに蒼井優さん、桜の精に元ちとせさん等の「声優初挑戦」な人達がキャスティングされていたが、これも上手くハマっていたとは思えない。 ミヨリは、主役で台詞が多い事もあって、話が進むにつれてだんだん良くなっていったと思うが、桜の精は、威厳とか長い年月を経た深みとかが全然感じられなくて、これもやはり萎えた。 もしかして、制作費の大半は、これらの「声優初挑戦」な人達のギャラに消えたんじゃなかろうか、という気もするのだが、果たして。
 噂では、原作はもっとマシな作品らしいのだが…。

戦争童話・ふたつの胡桃
 2007/08/31ABCテレビにて視聴。 キャストに松岡由貴さんの名前があったので全然前知識無しに観たのだが、公式サイトによると、「戦争童話」シリーズとして毎年放映されていて、今年でもう6回目らしい。 他の放映局の殆どでは、8月15日の終戦記念日に既に放映されていたようだ。 ちなみに、お目当ての松岡由貴さんはチョイ役(しかも電話の向こうの声だけ)だった…orz
 現代の小学生である主人公が、落雷の影響で愛犬と一緒に東京大空襲の直前にタイムスリップしてしまい、「戦争」を体験してしまうという結構トンデモな話である。 タイムスリップの起きるタイミングが都合良過ぎるとか、過去の時代で携帯電話が何故か通じる(しかも相手からだけでこちらからは通じない)とか、色々と都合の良い展開があったりするし、過去に置き去りにする形になってしまったライアンのフォローが無かったのが不満に思えたりするが(あのままだと、結局野犬狩りに捕まって「供出」されてしまうんじゃないんだろうか)、過度に説教臭くなる事も無く、それでいて戦争の悲惨さや理不尽さがそれなりに伝わってくる話の作りはまあまあだったように思う。 主人公と仲良くなった子供達も容赦なく空襲で死んでいく辺りなど、死人が安易に生き返ったりする最近の「ヌルイ」作品に比べると遥かにマシで誠実な作りに思えた。
 ただ、この作品は「戦争童話」なのでまあこれでもいいんだけど、「戦争」を語る時に、こういう空襲の怖さとか、可愛がっている犬を「お国の為」とか言って取り上げられる理不尽さとか、「被害者」の部分だけを取り上げるのは(子供向けの話とはいえ)いい加減どうかという気もする。 こういう「被害者」の面ばかり見て「戦争は嫌だ」とか思っていると、なんかこう、実際に自分の身に危険が及ぶまで「戦争」に気付かないというか、自分や自分の身内が酷い目に遭うまで「戦争」を認めてしまうというか、そんな考え方になってしまいそうで嫌だ。 実際、今の日本人は、余所の国で起きている戦争には無関心になってしまっている訳だし、アメリカ人なんかも自国の兵士が大勢死ぬまでは戦争に賛成してたクセに、それが判った途端に戦争反対にまわったりするしで、具体的に悲惨な状況を見るまで戦争を支持し進めてしまっている。
 先日、例の教科書検定で話題になった「沖縄戦と民衆」を読んだが、あの悲惨な「集団自決」だって、結局は「戦争」の最終局面なのであって、そこに至るまでの過程も含めて「戦争」であり、そこでは最終的に「被害者」になった人も、ある時点では「加害者」になる事もある、という事が語られている。
 そういう事も含めて「戦争はいけない事だ」と思わなければ、結局、自分が痛い目に遭わない限りは平気で戦争を支持したり進めたりしてしまう事になるんじゃなかろうか。 「機動警察パトレイバー2」の後藤隊長の台詞じゃないが、「だから、遅過ぎたと言ってるんだ!」というような事にならないような物語も、もっとあって良いんじゃなかろうか。 久し振りにこの手の作品を観て、そんな事を考えてしまった。

ベクシル 2077 日本鎖国
 2007/09/21鑑賞。なんばパークスシネマにて。
 なんというか、もうツッコミ所が多過ぎて全部書くといったいどれだけになるのか判らないので、いちいちあげつらうのはやめておく。 ただ一点挙げるなら、主役のベクシルの中の人は完全にミスキャストだったと思う。 黒木メイサという人は、一応舞台経験もある女優だそうだが、これが全然合っていない。 演技は特に下手ではないと思うのだが、こう、「芝居の質」というものが、このベクシルというキャラとは異質過ぎると思うのだ。 あれでは、アメリカ特殊部隊の女隊員というよりは、そこらへんにいるような女子大生かOLである。 そういう役なら良かったのだろうが、いかんせんそうではないので、台詞を言う度に違和感ばかりが増大していく。 困ったものだ。
 とにかく、作品全体の作りが素人くさい。 それは、映画作りの素人が作った、というのではなく、今まで日常を舞台にした人間ドラマばっかり作ってきた人が、「スター・ウォーズ」やら「砂の惑星」やら「アイ、ロボット」やら「マトリックス」やら「攻殻機動隊」やらを見て感激し、「俺もこんなSFアクション(っぽいもの)を作ってみたい!」と思い立って初めてその手の作品を作ってみた、みたいな、要するに畑違いの人が手がけたような感じなのである。 だから、話の構成や人物の描き方はそれなりにできてるのに、物語を形作る舞台背景やアクションのアイデアの部分に穴が多過ぎて、その辺がどうしても素人くさく見えてしまう。 「何故その舞台背景になっているのか?」「何故そのアクションが必要なのか?」というような、理由づけや必然性が感じられない。 別にいちいち台詞で説明しなくてもいいのだが、映像からそれらが全く伝わってこない。 だから、作品全体にリアリティが無い。 リアルなCGを使えばリアリティが生まれる、というものではないと思うのだ。
 CGといえば、やはり人間までフルCGで描くのは違和感が大きい。 リアルな人間と言うには、ベクシルやマリア(彼女が日本人だったというのが最後の最後にようやく判るというのもどうかと思う。名前が名前だし、キャラデザインも他の日本人キャラと比べるとベクシル寄りだしで、全然日本人と思って見ていなかったら、最後のベクシルのモノローグで日本人である事がはっきり判る、という…)のデザインが、中途半端に目が大きいのでリアルに見えない。 ここまでやるなら、人間は役者がやればいいと思うのだが…。
 だいたい、「機械の体による永遠の命」と「生身の体によって受け継がれていくという意味での永遠の命」との対立なんて、「銀河鉄道999」が何十年も前にやったテーマの焼き直しに過ぎない。 それも、本作品より遥かに壮大で素晴らしい物語として。 ちょっと「イマ風」に味付けされてはいるが、やってる事は昔のまま、更に味付けも何かヘンとくれば、「今どきこれはないだろう」と言いたくなる。
 それにしても、上映中これだけツッコミを(もちろん心の中で)入れながら見た作品も珍しいかもしれない。 レイトショーの割引料金でなければ、とても割の合う作品ではなかったと思う(いや、正直言って割引料金でも割に合わない気がするけど)。

ぽてまよ DVD特典映像
 「ぽてまよ」のDVDに映像特典として収録されている新作話の感想である。DVDの発売に伴って随時追加予定。

 特典1「2000%増量中」
 2007/09/23鑑賞。
 ぽてまよが、何故かデカくなる話。 でっかくてぶよんぶよんしていて声が太いぽてまよ……可愛くねー!  この姿を無道が見たら、百年の恋も覚めるだろうか。それとも、着るものが無くて裸なのを見て出血多量で死ぬだろうか。ううむ。
 で、オチは増量じゃなくて増殖かい!  何か、「スター・トレック」のトリブルを連想してしまった。 「2000%」という事は、やはり20人(というか「匹」? いや、「頭」か?)居るのか?
 それはそうと、大きくなったモノを元に戻すには、頭の中で九九を暗唱すればいいと思う(<マテ)。 まあ、水分を抜けばいい、というのも確かだが(<だからマテ)。

 特典2「重力三割増」
 2007/10/25鑑賞。
 素直が、何故か朝から重苦しい話。 「重力三割増」というのは、そういう意味なのか?
 で、何故朝から重苦しかったかというと、お約束の歯痛…かと思いきや、小さな侵略者ダニー・リトル(女…らしい)が口の中を突つきまわっていたという…そんな、「何か判らない黒い小さなモノ」が浮いている牛乳を飲むんじゃない>素直。 この大雑把さは、やはりどこか父親に似ている。
 まあ、侵略は通りすがりの犬によって無事に防がれた(トリに食われても消化されないぐらい丈夫だったのに…)ものの、何故か幸福死した者一名。 いいのかこれで。 あれが、最後の一体とは思えない。 いつか、第二・第三のダニー・リトルがやって来ないとは限らない。 人類は狙われている。 戦えぽてまよ、負けるなみかん、素直はもう少し冷蔵庫の中身に注意しろ。 それから、さっさと歯医者に行け>皇大。
 (2007/11/05追記)
氷炎 雷光風さんの所で知ったのだが、このDVD第2巻には不具合があって、プレーヤーによっては音声が正しく再生されない場合があるようだ。 バンダイビジュアルのサイトに2007/10/31付でお知らせが出ているのだが、全然気が付かなかった。 家のプレーヤー(ソニーのDVP-S707D)では顕在化しなかったのかもしれないが、お知らせを読む限りでは、交換自体は不具合が出ているかどうかに関係無く行なわれるみたいなので、連絡先のお客様センターにメールを送っておいた。 音声の不具合が、上記のお知らせには具体的にどのようなものなのかが記載されておらず、こちらが気が付いていないだけかもしれない(実際、以前「ヨコハマ買い出し紀行」というOVA作品で、映像に不具合があったが演出の効果か何かと思っていた、という話があった。不具合のあった場面が、ちょうど稲光が閃く嵐の場面だった為、正常な映像を知らなければそう勘違いしてもおかしくないような不具合だったのである。私は、たまたま同じOVAのLD版で正常な映像を知っていたのですぐに気が付いたのだが)し、もしディスクの製造不良によるもの(初期のDVDソフトには割とあったらしい)が原因なら、今は良くても、すぐに劣化して不具合が顕在化するかもしれない。 なので、購入した方は、不具合に気が付いたかどうかに関係無く交換しておく事をお勧めしたい。
 それにしても、こういうお知らせをどうやって告知するのかは、なかなか難しい所である。 サイトに載せても、こちらから見に行かなければ気が付かないし(まあ、不具合に気が付いた人はサイトを見に行くかもしれないが)。 この件はAV Watchでも記事になっているが、それもやはり普段AV Watchを見ていない人は気が付かないだろうし、普段見ていてもたまたま気が付かなかった、という人もいるかもしれない(<それは私です)。 店頭で告知してもらっても、やはりその店に行かなければ判らないし、自動車のリコールや、ガス湯沸器の不具合のように、人命に関わるようなものではないのでマスメディアではまず流れないし、ユーザー登録が必要な類の製品でもないしで、購入した人に確実に伝わる告知の方法は、まず存在しないように思う。
 それでも、せめて、エモーション ファミリークラブでこの巻のポイントを登録している人にはメールで告知する、ぐらいはしても良いような気がするのだが…(私も登録していたが告知は無かった…と思う)。

 特典3「犬山さんの日常」
 2007/11/22鑑賞。
 小動物にトラウマを持つOLの犬山さんが、深夜のコンビニでぽてまよと遭遇する話。 ぽてまよが珍しく一人で出歩いていたので、初めは、もしかしたらこれはぽてまよが素直の所に来る前の話か何かかと思ったのだが、別にそんな話ではなかった。 それに、まさかああいうラストになるとは思わず、始めから最後までちょっと意表を突かれた話だった。 この場合、やはりぽてまよが愛のキューピットという事になるんだろうか。 ぽてまよは、単に自らの欲望(主に食欲)に忠実だっただけではあるのだが。
 ところで、今回のDVDに付いてきた原作者様のイラストシートによると、京とねねには、初めは百合設定があったらしい。 本編で、京がねねの家族をよく知っていたり、ねねの屋敷にお泊まりしている(それも結構頻繁に)ような場面があったり、ねねがぐちゅ子に妙な妄想を話したりしていたのは、その名残なのかもしれない。 なんか納得。

 特典4「おかいもの2」
 2007/12/21鑑賞。
 「おかいもの」に続いて再び一人でおつかいに挑戦したぽてまよが、ポムポムバーガーで次々商法の餌食になる話(違)。 相変わらず欲望に負けまくりのぽてまよもだが、前回同様に焼芋屋に釣られてしまっているぽてまよを見ても一人でおつかいに行かせる素直も学習するべきだと思う。

 特典5「文化祭」
 2008/01/24鑑賞。
 文化祭の準備に励む素直達の話。
 いくら、ドッグフード一缶食べたらクラス全員で拍手してくれる(実話)というF組に対抗する為とは言っても、いなごはまだしも、キャットフードはさすがにどうかと思う。 ホットドッグをつまみ食いしたぐちゅ子からしっかりお金を徴収しようとして、払えないから保護者の京から取り立てる、容赦の無い副委員長は恐い。 ついでに、チア姿で他クラスの妨害工作応援に行く無道は気持ち悪い。
 で、準備でかいた汗を流すにはやはりお風呂という事で、銭湯ではなくねね邸の大浴場で裸祭り(<おい)。 ねねで想像するなといっては怒り、他の子だというと何故ねねのような可愛い子で想像しないのだといって怒る三馬鹿兄弟はいったいどーしろと。 まあ、中学生男子としては、一番スタイルが良さそうな京で妄想するのが自然かも。 TV放映時の提供の背景画でも、実に良いプロポーションを見せていたし(あの画がDVDに収録されていないのは惜しい)。
 という訳で、今回は、主人公よりクラスの有象無象達の方が目立っていた話であった。 まあ、ぽてまよと素直は、クラス看板を前衛芸術にしてしまっただけで殆ど役に立っていなかったみたいだからしょうがない(絵画部門で入賞とか銀賞とかいうのは、クラスに貢献した事になるんだろうか)。
 で、本番は次巻におあずけ?

 特典6「文化祭 その2」
 2008/02/21鑑賞。
 前回に続く文化祭の本番の話。
 前回作ってしまった借金のカタに(?)素直達のクラスの喫茶店でウエイトレスをするぽてまよとぐちゅ子が、余計に借金を増やしてしまっているのが可笑しい。「カイジ」か。
 哉純の演劇を見に来たのに、玉当てで貰ったタダ券で飲み食いしたりしている内に演劇の事を完全に忘れていたとまりといい、迷走し過ぎて優勝を逃した3-Aといい、本来の目的を忘れる事が多い連中である。 オカマ喫茶になる午後に喫茶店にやって来た哉純は、おそらく午前中は演劇の準備やら何やらで忙しかったのだろうけど、そのお陰で、また素直やぽてまよとの距離が縮まったような(<オイ)。
 ちなみに、本編の最後に登場した、ぽてまよとぐちゅ子の子供達(?)の名前は、それぞれ「たまチー(たまごチーズサンド)」と「まめ(斑目)」なんだそうだ。 略称は、まあそれなりに可愛らしいが、正式名称は、やっぱりと言おうか、ヘンだ。 「斑目」と言うと、どうしても「げんしけん」の方を思い出してしまうせいもあるが。

劇場版アクエリオン
 2007/10/01鑑賞。ワーナーマイカル茨木にて。
 TVシリーズ「創聖のアクエリオン」の劇場版。 と言っても、TVシリーズの総集編ではなく、TVシリーズの番外編的な短編エピソードの「壱発逆転篇」と、OVA作品「創星のアクエリオン ─裏切りの翼─」「創星のアクエリオン ─太陽の翼─」の前後編の2作品を1本に再構成した「創星神話篇」との2本立てである。
 「壱発逆転篇」は、もうこのタイトルからして判るように、コミカルなというかバカバカしいというか、「ああっ、『アクエリオン』が『マクロス7』になっちゃったよー!」みたいな話である。 温泉シーンで始まって温泉シーンで終わる、というのも実に「らしい」というか何というか。
 一方の「創星神話篇」は、アポロ・シルヴィア・麗花の3人を中心に、TVシリーズとは異なる世界(所謂「パラレルワールド」)でのアクエリオンの戦いを描いたシリアスな話である。 いきなりシリウスが戦死したりしてどうなる事かと思ったが、ラストは「なるほど、こうきたか」という感じだった。
 どちらの作品も、メカアクションはさすがに迫力があるし、菅野よう子さんの音楽は美しいし、何といっても主題歌の「創聖のアクエリオン」はやっぱり良いなあ、と再認識させられた。 ただまあ、どちらにしてもTVシリーズを先に観ていないとよく判らない(いや、全然判らないかも)ような内容なので、あくまでもTVシリーズのファン向けの作品だと思う。 私はもうニヤニヤしっぱなしだったが、上映後に「よく判らなかった」と言っていた人もいた。
 そうそう、どちらでも、不動司令は相変わらずだった。

劇場版CLANNAD −クラナド−
 2007/10/18鑑賞。なんばパークスシネマにて。
 原作は、言わずと知れたKeyのゲーム。 TVシリーズも今月から放映が始まっている。 そちらのページにも書いたが、原作は、サブキャラのシナリオを2つエンディングまで見た所までで、その後は時間が無くて進めていない。
 出ア統監督・東映アニメーション制作の劇場版と、石原立也監督・京都アニメーション制作のTVシリーズとを平行してやる、というのは、「AIR」の時と同じやり方である。 「AIR」は、それぞれに良さがあって両方とも結構気に入っているのだが、その後の京都アニメーションの作品はどうにもだんだん相性が悪くなっていった事もあって、今回のやり方も今一つ不安があった。
 物語の方は、これは原作の渚のシナリオに沿っている、と思っていいのだろうか。 何せ、メイン・ヒロインのシナリオに関しては全く知らないし、「AIR」の時も出ア監督は設定やストーリーを大きく変えてきているので、よく判らない。 家庭環境に恵まれず、全てに無気力な主人公の朋也が、渚との出逢いによって変わっていく物語で、話そのものはごく現実的で、過去のKeyの作品のような「奇跡」とかのファンタジー要素は殆ど無い。 強いて言えば、朋也と渚とが同じ夢を見ていた、という辺りぐらいか。 それも、「運命的な出逢い」を演出する為のお膳立てみたいなもので、恋愛ドラマにはよくある話である。
 で、今回は出ア監督もちょっとやり過ぎなんじゃないだろうか、というのが率直な印象だった。
 まず、序盤での春原の派手な振る舞い(購買部に向かって泳いだりとか)で精神的に「引いて」しまったので、それがずっと尾を引いて、最後まで醒めたまま全く感情移入が出来なかったのが大きい。 京都アニメーション制作のTVシリーズの第1話を観た時も同じような感想を抱いたのだが、どうも、非現実的なギャグシーンと、現実的なシーンとのギャップが激し過ぎるように思う。 この「CLANNAD」という作品の本質的な問題なのだろうか。
 また、所謂「出ア演出」の一つである入射光の表現が全体的にキツ過ぎる。 「AIR」は真夏の物語だった為か効果的に感じたものだったが、春が舞台の本作では、ちょっと眩し過ぎるような気がする。 それに引きずられてか、全体的に画面がハイキーというのか、不自然に明る過ぎた。
 後、原作キャラと劇場版オリジナル(と思われる)キャラとのキャラ・デザインのギャップも気になった。 生徒会の連中とか他の生徒達とかは、いかにもな「出アキャラ」(手塚キャラっぽいようにも見える)なので、何か別世界の住人みたいで落差が激しいというか。 「AIR」では、そもそも登場人物が殆ど原作キャラしかいなかったのでさして気にならなかったのかもしれない。
 他にも、「出ア演出」である「3回パン」や「止め絵」、体の周りに立ち上るオーラ(もしくは水蒸気?)等々、いずれも少し外しているような印象があった。 「やり過ぎ」と言うよりは、そもそも「出ア演出」がこの作品に合っていなかったのかもしれない。 「AIR」ではさほど気にならなかったので、やはり原作の性質が違うのだろうか。 そんなこんなで、今一つ楽しめなかった作品だった。 とりあえず、TVシリーズの謎だったEDのだんごの意味はよく判ったが…。
 ちなみに、タイトルの「CLANNAD」というのは、「家族」を意味するどこかの国の言葉だと聞いた覚えがあるのだが、果たしてどうだったか今一つ自信が無い。

ひだまりスケッチ 特別編
 2007/10/18深夜(正確には2007/10/19未明)BS-iにて放映されたのを視聴。
 2007年1月期にBS-iで放映されていたシリーズの、30分もの2本立ての特別編。 前編は8月の話で水着祭り、後編は11月の話でヒロさんがラブレターを貰って何故か沙英さんがあたふたする話。 TVシリーズで言えば、前編が第2話の少し前、後編が第10話の前後(公式サイトのSTORYには、サブタイトルの日付が書いていないので正確に判らないのである)に入る話になる。 TVシリーズとは、OPが2番(?)の歌詞に変わって、アニメーションも細々と「特別編仕様」に変更されていた。
 で、久し振りに観たけど、やはりこの作品は面白い。 雰囲気とか間の取り方とかが、ツボにピッタリ嵌まるというか。 新房監督の妙な演出もしっかり健在で、それも嬉しいところ。 嬉しいといえば、毎回お約束のゆのの入浴シーンで、入浴剤の色がTVシリーズに比べて心なしか薄くなっていたのも嬉しい(<そこかい)。 さすが特別編だ。

EX MACHINA −エクスマキナ−
 2007/10/23鑑賞。なんばパークスシネマにて。
 原作は、言わずと知れた士郎正宗氏のコミック。 2004年4月に公開された劇場版「APPLESEED」の続編…になるのかな。 モーションキャプチャーとトゥーンシェーダーを合わせた「3Dライブアニメ」という手法で作られている、「APPLESEED」や「ベクシル」と同様のフル3DCG作品。 ちなみに、「APPLESEED」も観に行ったのだが、感想を書くのを忘れていた。
 物語は、サイボーグ化する前のブリアレオスとそっくりなバイオロイドがES.W.A.Tに配属されてきて困惑するデュナンの葛藤と、オリュンポスのみならず全世界に影響を与えるサイバーテロとの闘いを描く。 全世界に普及した携帯デバイス「コネクサス」に仕込まれた仕掛けによって民衆を操り暴動を起こさせる、という話は、何となく、劇場版「機動警察パトレイバー」でレイバーのOSにウイルスを仕込んで暴走させる、という話を連想させる。
 売りの「3Dライブアニメ」は、前作の「APPLESEED」や、先日観た「ベクシル」と比べると、それなりに「観れるもの」になったように思う。 フル3DCGのキャラ特有の、常にユラユラ揺れているような不自然な動きも(まだまだ気になるレベルではあるが)だいぶん少なくなっていたし、アクションシーンの派手な動きや実写では不可能なカメラワークは見応えがある。 ただ、やはり表情が「生きていない」ように見えたり、トゥーンシェーダーで付けられた主線が不自然に太くなっている所があったりして、まだまだ成熟と洗練とが必要な技術に見える。 従来の日本の2Dのアニメーションと、ハリウッドの本物の人間と3DCGとを合成した特撮との中間みたいな感じなので、両方のいいトコ取りをした、というよりは、単に中途半端なだけに見えるのは気のせいだろうか。
 それより気になったのは、物語が何かいい加減に見えるところである。 オリュンポスが全ての国から人工衛星の管理を譲り受けるというのも、それを決める会議の時にあれだけテロ騒ぎが起き、しかも警護する側のES.W.A.T隊員からもテロの加担者が出た、という不祥事まで起こしているのに、何故各国が衛星の管理をオリュンポスに任せたのか全く判らない。 そのテロに加担してしまったES.W.A.T隊員にしても、任務中に私物の「コネクサス」を装着していたのも「らしくない」し。 昔のブリアレオスそっくりなバイオロイドとペアを組まされたデュナンの葛藤も、いつの間にか無くなっていて拍子抜けした。 「人間をコネクサスを使って一つにすれば争いも差別も無くなる」という「それどんな『人類補完計画』?」みたいな事を考えるマッド・サイエンティストもアレだが、その結果がただの暴動というのも訳が判らない。
 それ以外でも、ラスボスの「ハルコン」の造型が、触手がウネウネ動いて襲ってくるという「どんなB級ホラーだよ」みたいな物だし、ラストの無重力プラントの崩壊もまんま「ラピュタ」だしで、なんというか、「ちゃんと考えてる?」と監督に訊いてみたい気がする。
 まあ、ストーリーとか人間描写とかは置いといて、ただ「3Dライブアニメ」の映像を見るというだけなら、それなりに楽しめるかもしれないが…そういう意味では、ハリウッド映画っぽいかも。
 後、ES.W.A.Tの装備に書かれているオリュンポスのロゴ“OLYMPUS”が、フォントもよく似ているせいか、どうしてもあの「オリンパス」にしか見えなくて困った。 制作にあの「オリンパス」が関わっているという訳でもなさそうなのでただの偶然の一致なんだろうけど、もう少し違うフォントにするとか出来なかったものだろうか。 誰も、あの「オリンパス」に凄く似てるとは思わなかったのか、思っていても特に何とも思わなかったのか…うーむ。

ストレンヂア 無皇刃譚 SWORD OF THE STRANGER
 2007/10/26鑑賞。シネ・リーブル梅田にて。
 実をいうと、この作品は観に行くのは止めようか、と思っていた。
 まず第一に、TVCMが良くなかった。 あの「長瀬智也、声優初挑戦」というヤツである。 ちょっとばかりTVドラマや映画に出演したアイドルあがりの俳優が「声優初挑戦」などというのを売り文句にしているような作品にロクなものはない、という先入観というか偏見というか経験則というか、まあそういったものが私にはある。
 第二に、9月29日公開から僅か4週間目にして、大阪での上映館がシネ・リーブル梅田のみ(確か…)、それもこの4週間目で終わってしまうという状況からして、やはりロクなものじゃなかったのだろう、という認識があった。
 第三に、行くならもうこの最終日しか無いのだが、よりによって天気が悪かった。 朝から、大阪は大雨・雷・洪水という注意報の三連コンボが炸裂するような状態で、とても外出したいような天気ではなかった。 おまけに、シネ・リーブル梅田は(ご存じの方も多いと思うが)梅田スカイビルという、阪急梅田駅から歩いて10〜15分ぐらいかかるような場所にあり、しかもその間殆ど屋根が無い所を歩かなくてはならない。 特に最近は、JR大阪駅の新駅ビル工事と、駅北側の貨物ヤードの再開発工事とが重なって、貨物ヤードの下を通る地下道が半分ぐらいの長さになっていて、屋根の無い区間が以前より長くなってしまっている。 そんな所を、大雨の時に歩くのはできれば御免被りたかった。
 しかし、私は行った。何故か(<坊やだからではない<何の話だ)。
 第一の理由は、「声優初挑戦」イコール「ダメ演技」とは限らない、という事を経験上知っている為、それだけでは観ない理由としては弱いからである。
 第二の理由は、これもやはり上映がすぐに終わるからといってダメな映画だとは限らない、という事も経験上知っている為、これもまた観ない理由としては弱いからである。
 第三の理由は、午後になるにつれて天候が回復し、注意報も雷一つになり、相変わらずの曇り空ではあるものの、外出に傘が要らない状態になってきたからである。
 という訳で、某仮面の男風に言えば「条件は全てクリアされた」事になったので出かける事にしたのだが、最後にまだ試練が用意されていた。
 上映開始が21時過ぎであり、またシネ・リーブル梅田のサイトでも「レイトショー」のアイコンが付いていたため、てっきりレイトショー割引料金で観れるもの、と思い込んでいたのだが、劇場窓口でチケットを買おうとしたら、通常料金1,800円也を請求されたのである。
 1,200円で観れると思い込んでいただけに、これはなかなか精神的に衝撃が大きかった(<大げさ)。 そもそも、
劇場情報のページには、レイトショー料金の所に「時間と作品により適応されない場合がございます」と書かれている。 こういう書き方をされていると、レイトショーは割引料金がデフォルトで、そうでない場合の方が特別だと考えるのが普通だと思う(「普通って何?」というツッコミはとりあえず置いといて)。 そして、「ストレンヂア」のタイム・テーブルには、レイトショーを示すアイコンと上映時刻以外、何も書かれていなかった(現在はそのタイム・テーブルは無くなっているので確かめられないが、確かに書かれていなかった。チケットを買った後でヨドバシ梅田に行き、インターネットに接続されている展示パソコンを見つけてタイム・テーブルのページを確認したので間違いない)。 だから、当然割引料金だと思い込んでいたのだが、このページを作った人にとっては、全く逆だったようだ。 つまり、レイトショーのアイコンが付いていても、デフォルトはあくまで通常料金であり、割引料金が適用される場合にのみ注意書きがあるのである。 じゃあ、レイトショーのアイコンは何の為に付けてあるんだ、という気がするのだが、ウェブデザインについてここで云々してもしょうがない。
 とにかく、思っていたより5割増の料金を請求されて、思いっきり気持ちが萎えてしまったのだが、ここで帰ってしまっては往復の交通費が無駄になってしまう。 そう思い直してチケットを買い、上映時刻までパソコンショップでも見て回ろうかと思ったのだが、梅田のソフマップが、店の入っていた区画ごと改装されていて場所が移動しており、一瞬閉店して無くなってしまったのかと思ってしまうなど、なんかもう、天に「もう映画を観るのは止めてさっさと帰れ」(<若本規夫さんの声で)と言われているようで、かなり滅入ってしまった。 ヨドバシ梅田で、ちょうどMacOS Xの新バージョンの発売カウントダウンを目撃した事が、面白かったといえばいえるかもしれない。
 さて、前置きが長くなってしまったが、どうやら「さっさと帰れ」というのは、天の声ではなく悪魔の囁きだったようだ。
 というのも、本作品が実に面白かったからである。 ここしばらく、割引料金で観ても損した、と思うような作品が幾つかあった事の反動もあるのかもしれないが、これなら通常料金でも構わない、と思うぐらいの出来だった。
 話自体はしごく単純で、とある理由で、ある国(国といっても戦国時代の「国」なので、現代の「国」とは異なる)の領主とそれに取り入っている明国のアヤシイ一団から狙われている少年を、偶然知り合った旅の浪人が助ける、という、ある意味実に古典的な時代劇である。 壮大な背景や設定も特に無く、とにかく剣劇のアクションが見所という、言ってみれば「ただのチャンバラ映画」なのだ。
 しかし、その「ただのチャンバラ映画」に、BONESの大胆で格好良いアクションと、「0080」や「よみがえる空」の高山文彦氏の渋く地に足のついた脚本が加わり、本作が初監督(?)の安藤真裕氏が料理をすると、一級と言っても良いようなエンターテインメント作品になったという感じである。
 上記のように様々な障害(?)がありながらも、それでも観に行ったのは、この脚本を高山文彦氏が担当している、という事も大きかった。 氏の手がけた作品は、「0080」に「オーガス02」、「WXIII」に「よみがえる空」と、殆ど「外れ」が無かったように思うからである。 そして、本作もまたその1本に確実に加わった。 返す返すも、もっと早くに観に行っておけば、と後悔してしまう。 そうしておけば、もう一度ぐらいは観に行く事も出来たのに、と(ついでに言えば、ちゃんと割引料金で観る事が出来る劇場に行く事も出来た)。
 懸念していた「声優初挑戦」についても、少なくとも長瀬智也氏については全く問題無かったと思う。 他の「声優初挑戦」の人も、仔太郎役の知念侑李氏なども多少違和感があるものの、いい演技を見せていたし、周りを固めているベテラン声優の人達は言わずもがなである。
 この、長瀬氏演じる主人公の浪人の「名無し」は、とある理由によって自分の刀を封じているのだが、仔太郎の危機に際してついにその封印を破る。 それまでは、刀を鞘に納めたまま、仔太郎を狙う侍達や明国の武装集団達と渡りあっていたのであるが、それが、このクライマックスシーンで一気に封印を引きちぎって抜刀し、立ちふさがる明の武人を一刀両断に瞬殺するのだ。 並の侍達では全く相手にならない程強い所をさんざん見せつけていた明の武人が、抜刀した「名無し」の前では手も足も出ずに一瞬にして倒される。 この爽快感というかカタルシスというか、これこそが燃える、と思うような場面が何とも言えず素晴らしい。 他にも、まさに「格好良いとはこういう事さ」と某空飛ぶ豚も言いそうな場面が目白押しで、チャンバラ映画として、また良質のエンターテインメント作品として、実に良く出来ていると思う。
 残念だったのは、坂本真綾さん演じる姫様の出番が少なかった事である(この、坂本真綾さんの名前がキャストにあった事も、本作を観に行こうと思った理由の一つであった)。 と言うか、正直言って、この姫様は出なくても問題無かったんじゃないか、という気がする。 全く本筋に絡んでこなくて、重郎太という若武者の想い人であり、彼が領主への反乱に加担する動機としてしか存在意義が無かったように思う。 それなら、そもそも画面に登場する必然性自体が全く無かった役どころに見えるのだが、もしかして、あまりにも女っ気が少ない作品だけに、少しは女性が居ないと華が無いし客も呼べないだろう、とか思って登場させたんじゃなかろうか、という気さえする。
 とにかく、本作は面白い。 チャンバラ映画としても、アクション映画としても。 「エクスマキナ」等では「3Dライブアニメ」と称して3DCGによるライブ・アクションに挑戦しているが、正直言ってまだ鑑賞に値するレベルに達していないと思う。 日本のアニメーションが培ってきた、手描きによる2Dアニメーションの頂点の一つが、確かにここにあると思う。 本作と入れ替わりで「エクスマキナ」を上映している劇場が多いのだが、その「エクスマキナ」の枠を1つか2つ削ってでも、本作をもっと長く上映すべきだと思った、それぐらい面白い作品であった。

ブレードランナー ファイナル・カット
 2007/11/20鑑賞。梅田ブルク7にて。
 こんな記事を見つけてしまった。

 ・
DVD発売控えた「ブレードランナー ファイナル・カット」が特別上映(Impress AV Watch)

 早速、梅田ブルク7のサイトで上映スケジュールを調べてみたら、11/17から2週間の期間限定上映だという。 すなわち、11月の末で上映が終わってしまう事になるため、早速行ってきた。
 上記の記事によると、「ブレードランナー」は、「ワークプリント」、「オリジナル劇場版」、「完全版」、「ディレクターズカット 最終版」、そして今回の「ファイナル・カット」と、計5つの版が存在するらしい。 この内、私が観たのはおそらく「オリジナル劇場版」と「ディレクターズカット 最終版」の2つだと思う。 そのいずれもテレビ放映されたものを観ただけであり、まともに劇場で観た事が無かった(筈だ)し、しかも今回の梅田ブルク7での上映はDLPという事なので、これは観ておかないといけない。 もちろん、レイトショーの割引がある事も重要だ(<おい)。
 やはり上記の記事によると、今回の「ファイナル・カット」版では、「デッカードのナレーションが無くなり、うどん屋のシーンが短く、スピナーのワイヤーが消され、ユニコーンシーンが1カット追加されているなど、細かな編集が加えられている」そうだが、デッカードのナレーションは「ディレクターズカット 最終版」でも無かった筈だし、ユニコーンシーンもあったと思うので、あまり大きな変更は無いようだ。 実際に観ても、以前に観た「ディレクターズカット 最終版」とどこが違うのか、正直言って判らなかった。 デッカードがレーチェルを連れて部屋を出る所で終わるのも同じだし、それこそ上記の記事にあるDVDのセットを買って見比べてみないと、違いが判らないかもしれない。
 でも、久し振りに、しかも劇場の大きなスクリーンで、更にDLPによるガタつきもフィルムの傷も無い綺麗な映像で観ると、やはり良い。 25年経っても色褪せない世界観は、確かにその後の多くの作品が影響を受けただけの事はあると思える(先日までアニマックスで放映されていた「装甲騎兵ボトムズ」のウド編も影響を受けていると思われるが、よく考えると、1982年の「ブレードランナー」を1983年放映の「ボトムズ」が既に取り入れていた、という事になる。これはこれで、結構凄い事かもしれない)。 上記の記事でも、押井守氏が「SFアニメでブレードランナーの影響を受けていない作品なんて無いと思う」と言っているが、その影響はSFアニメに止まらず、ギャルゲーの世界にまで及んでいる。 この私のサイトでも紹介している、KIDの「My Merry May」シリーズもその一つで、人間そっくりの人工生命体の名称が「レプリス」だったり、その製造メーカーの一つが「タイレル・バイオ・コーポレーション」だったりと、如実に「ブレードランナー」から拝借したと思われる設定や名称が登場する。 まったく、とんでもない作品を作ったものである。 ただ、リドリー・スコット監督が大阪を舞台に撮影した「ブラック・レイン」が、世界観ではなく、松田優作という希有な俳優のキャラクターでもっていた(ように見えた)のは、何か皮肉な感じもする。
 今回観ていて思ったのは、今までにもあちこちで考察がされていたと思うが、デッカードは果たしてレプリカントだったのか?という疑問である。 デッカードがユニコーンの夢を見て、そしてあの折り紙男がそのユニコーンの折り紙を残していたのは、デッカードの見た夢を折り紙男が知っていた、すなわち、デッカードがレプリカントであるが故に、デッカードの記憶を折り紙男が見る事が出来たからだ、というような話を聞いた事があるが、果たしてどうなのだろうか。 今回観ても、やはり謎は謎のままであった。
 それにしても、何故「強力わかもと」があれ程画面に登場していたのだろうか。 もしかしてスポンサーだったとか…?

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序
 2007/12/14鑑賞。シネ・リーブル梅田にて。
 公開されたのが確か9月1日だったから、約3ヶ月半も経ってようやく観に行ったことになる。 レイトショーの時間のみの1日1回上映になっているとはいえ、これだけ長い間公開されている、というのも凄いが(それも、現時点では未だに上映終了日が決まっていない)。 何だかんだ言っても、まだまだ「エヴァ」で充分に商売ができる、という事が証明されたワケである。
 で、今回の劇場版であるが、ストーリーは、TVシリーズの第1話〜第6話までをほぼ踏襲しており、「ヤシマ作戦」がクライマックスとなっている。 ただ、映像はほぼ全面的に新作になっているようで、TVシリーズのものをそのまま流用したと思われるカットは、全くと言っていいほど無かったように見えた。 何より、全体に渡ってCGが多用されていて、第3新東京市のビル群や、「超」が付くくらいの物量作戦である「ヤシマ作戦」の場面等では、それが実に効果的に使用されている。 ああいう、「物がいっぱい動いている」場面では、CGを上手く使うと実に見映えがする画が出来るものである。
 また、大筋ではTVシリーズのストーリーに沿っているが、使徒の番号が違う(最初に登場するのが、TVシリーズでは第3だったのが、本作では第4となっていて、以降の使徒も1つずつ番号がずれている)とか、ミサトがネルフ本部の地下に第2使徒がある事を既に知っているとか、ゲンドウ達がシンジとレイをことさらに接近させようとしている(かのような台詞がある)事とか、月面に渚カヲルが居たりとか、更には第2使徒のそっくりさん(これが第3使徒か?)も寝ていたりとか、まあ色々と違う点も見受けられる。 それに、エンディングの後の「次回予告」でも、エヴァ6号機とかも登場する等とTVシリーズとは異なる展開が予告されている(ちなみに、エンディングの途中で出て行った人達がいたが、彼等は既に一度本作を観ていて、それでもういいやと思って出て行ったのだろうか。それとも、普段からエンディングの途中で出て行くような事をしているのだろうか。もし、後者なのだとしたら勿体ない話である。関係無いけど)。
 TVシリーズでは、ラスト2話で「ちゃぶ台返し」をするような展開を見せ、その後の劇場版でも観客席を映したり中の人が実写で登場したりして、何かと視聴者を突き放すような事をしてきた本作であるが、果たして今回はどうなるのだろうか。 「ヤシマ作戦」のミサトの台詞(ゲンドウに向かって「息子さんを信じてください」云々と言う辺り)とかから見ると、なんか普通の作品っぽく変わったようにも見えるが、何せ「前科」があるので、最後まで油断できない。
 …等といって、結局最後まで付き合ってしまう人間が少なからずいるから、こういう新作が作られるんだろうなあ、等と思う、今日この頃なのである。

真・女立喰師列伝
 2007/12/18鑑賞。テアトル梅田にて。
 昨年公開された「
立喰師列伝」とは異なり、本作は、しごくまっとうな(?)実写作品である。 6つの短編作品から成るオムニバス形式で、その内2つだけ(とオープニングと中CMと)を押井守氏が監督し、他4つは別の方が監督されている。 「Avalon」の特殊助監督を務めた神谷誠氏、「ミニパト」や「攻殻機動隊」等の作品を監督した神山健治氏、押井氏も参加したオムニバス作品「KILLERS」にも監督として参加していた辻本貴則氏、押井氏の監督作品で演出等を務めた湯浅弘章氏と、いずれも押井氏と何らかの関係がある方々である。
 一方、各短編のヒロインである女立喰師役の女優さんは、押井氏の実写作品には欠かせない存在となっている兵藤まこさん、神山氏の「精霊の守人」の主人公・バルサ役の安藤麻吹さんといった、押井氏と関係のある方だけでなく、「ウルトラセブン」のアンヌ隊員役だったひし美ゆり子さんや、アイドルの小倉優子さん、オーディションで選ばれた藤田陽子さん等々、多彩な顔ぶれが揃っている。
 押井氏が全て監督をしているわけではない為、所謂「押井節」とも言える長広舌は控え目であるが、その分各監督の個性が出た「映像」で魅せる作品になっているように思う。 それでもやはり「押井節」が全く無くなっているわけでもなくて、特に、小倉優子さん演じる「クレープのマミ」がいきなり架空の戦後史を語り始める所などは、「ビューティフル・ドリーマー」のあの喫茶店の場面を彷彿とさせる映像とあいまって、いかにも「押井作品」っぽい。
 でも、一番の見所は、やはりひし美“アンヌ”ゆり子さんのおっぱいではなかろうか(<マテ)。
 (追記) 書くのを忘れていたが、いつの間にかテアトル梅田がDLPを導入していて、本作品もDLP上映になっていた。 それはいいのだが、映像が妙に粗く見えたのが非常に気になった。 粗いというのは、ちょうどWMP等のムービープレイヤーでサイズの小さな動画を2倍くらいに拡大表示して再生した、みたいな感じである。 それが常にそういう感じに見えるのではなく、気になる場面と気にならない場面があるのだ。 意識してそういう画作りをしているのか、それともテアトル梅田のDLPの性能が悪いのかは謎である。 いずれ、他の作品がDLP上映されたら判るだろう。

ああっ女神さまっ 戦う翼
 2007/12/13深夜(正確には2007/12/14未明)に前編が、2007/12/20深夜(正確には2007/12/21未明)に後編が、BS-iにて放映されたのを視聴。
 BS-iと毎日放送で放映された「ああっ女神さまっ」「ああっ女神さまっ それぞれの翼」の各TVシリーズに続く特別編。 原作の「天使喰い編」(単行本第24巻chapter.155〜第26巻chapter.166)のエピソードをアニメ化した、女神さま勢揃いのアクション巨編(?)である。 “戦う翼”ことワルキューレのリンドは、TVシリーズの「恐怖の大王編」にもアニメオリジナルでゲスト出演していたが、今回は本編の実質的な主役である。 原作からして神属と魔属の話なので、本編にも人間側のキャラクターは螢一しか登場しない。 その代わりかどうかは判らないが、エンディングの画は皆人間側のキャラクターになっている。
 メインスタッフが(多分)TVシリーズと同じ、またアクション中心で前後編で完結する短編という事もある為か、全体的にテンポが良くて面白い。 原作ではかなりグロテスクなデザインだった「天使喰い」も、原作者自らがデザインし直したらしく、少しユーモラスな形になっている。 もしかして原作通りのデザインだとアニメでは動かし難いからなんじゃないか、等と身も蓋もない事を考えてしまうのだが、コミカルな所も多い本編には、アニメ版のデザインも合っているように思えるのも確かである。
 話の大筋は(多分)原作通り(「ダブレット編」がまだアニメ化されていなくて、従って猫になったヴェルスパーがまだ登場していない為、彼が出てくる場面は無い)で、いつものベルダンディー・ウルド・スクルドの三姉妹に、ペイオースとリンド、更に彼女達の天使も勢揃いの本編は、なかなか壮観である。 加えて、(またもや!)黒幕で「逃げ口上まで大迫力」なヒルド様に、いつも通りに魔属とは思えないほど間抜けなマーラーと、実に賑やかで華やかな作品になっている。 前の「それぞれの翼」が今一つな感じが残っていただけに、こういう「切れのいい」と思える話を観ると、余計に面白く感じるような気がする。 もし第3期があるなら、是非この調子でやってほしい。

げんしけんOVA
 2007/12/31深夜(正確には2008/01/01未明)キッズステーションにて放映されたものを視聴。
 年末年始にかけてキッズステーションで行なわれた、「げんしけん」シリーズの一挙放映の中で放送されたもの。 TVシリーズの「くじびき♥アンバランス」のDVD-BOXに付いていた作品で、TVシリーズ第1期の続きになる。 メインスタッフや制作は、シリーズ構成の横手美智子氏を除いて殆ど変わってしまっている(というか「くじびき♥アンバランス」のスタッフと同じか)が、話数が「第13話」〜「第15話」になっているし、サブタイトルやエンディングのフォーマットも同じなので、第1期のそのまんまの続きみたいに見える。 さすがに、作画のレベルは第1期より上だが、第2期の方がよく見えるのは微妙な所。 ちなみに、新しくなっているオープニングは、「くじびき♥アンバランス」のオープニングのパロディになっているようだ。
 話は、荻上さんとクッチーが現視研に入る時の話(クッチーは再入会みたいな形だが)、斑目と春日部さんの話、荻上さんが学祭でコスプレをする話で、時系列的には第2期と少し被っている…のかな?  学祭の時期が今一つ不明だが、秋だとすると、第2期最初の同人誌作りのエピソードより後になる筈だし。
 とりあえず、これで何故大野さんと荻上さんとが反目しているのかはよく判るが、藪崎さん等漫研女子と荻上さんとの関係はまだ判りにくい…かも。 藪崎さん等は登場しないので、ここから第2期を観ても、今一つ彼女らのキャラが見えてこない所があるし。 まあ想像は充分につくのでこんなものか。

ジョジョの奇妙な冒険OVA
 2008/01/01〜02にかけてアニマックスにて全13話が放映されたものを視聴。
 全13話と言っても、1日に放映された前半7話は2000〜2002年に、2日に放映された後半6話は1993〜1994年に、それぞれ発売されたもので、後半の方が先に製作されている。 原作の第3部のアニメ化で、クライマックスのディオとの戦いがある為、おそらく後半が先に作られたのだろう。 主なスタッフも、前半は二村秀樹・古瀬登・菊地康仁・浦田保則・小林孝志・山中英治と、各話毎に色々な人が監督をしているが、後半は北久保弘之監督一人と変わっている。 音の面をSkywalker Soundが手がけているのが、当時は話題になっていたような気がする。
 後半6話は、OVAが発売された頃にレンタルビデオか何かで観た事があったが、前半7話は今回が初見である。 今回改めて観ると、やはり後半の方がクライマックスがある分だけ物語は面白いし、全体的にも派手な話が多くて面白いように思う。 特に、後半第3話(通算で第10話)の「ダービー・ザ・ギャンブラー」などは、ダービーのキャラクターや、ダービーと承太郎との駆け引きの緊迫感が物凄く、シリーズ中で最も好きな話になっている。 その点、前半は、花京院やポルナレフが初めは敵として登場したりする事もあってか、全体的に地味な印象がある。 まあ、これはこれで、なかなか対照的で面白いのだが。
 それに、リリース年に最大で9年も差がある割には、どちらも映像の凄さは同じぐらいである。 さすがに、後半の方は画面処理に微妙に時代を感じさせるものがあるが、スタンドを駆使した戦いのダイナミックな動き、スピード感、あの「オラオラオラオラ!」や「無駄無駄無駄無駄ァ!」といった独特の掛け声(?)に合わせて繰り出される嵐のような連打の応酬等々、アクション描写は今も全く見劣りしない。 OVAである事を差し引いてみても、実に見応えのある素晴らしい映像を作り出していると思う。

トップをねらえ2!劇場版
 2008/01/20NHKハイビジョンで放映されたものを視聴。
 1988年に製作されたOVA「トップをねらえ!」の続編(?)として、2004年に製作されたOVA「トップをねらえ2!」を再編集した劇場公開版。 同様に再編集された「トップをねらえ!」の劇場版と合わせて、「合体劇場版」として公開されたもの。 OVA版は未見。
 キャラやメカのデザインが「トップをねらえ!」とは全然違うので、同じ世界の物語なのかどうかさえ怪しかったのだが、あのラストは、はっきり言って反則だ。 あんな事をされたら、「トップをねらえ!」で涙した者としては、もう「やられた!」と降参するしかない。 だいたい、あの音楽を聴くだけでも、もう色々とヤバいのに。
 話の展開としては、2007年に放映されていた「天元突破グレンラガン」に近いノリ(作品の順序としては、「グレンラガン」の方が本作品に近い、と言うべきだが)で、等身大から始まって、最後には惑星サイズの人型の物体が動き回るというスケールのインフラ具合は、いかにもGAINAXらしい。 前作との関係を説明しなければならない都合もあってか、さすがに少し話が判りにくかった部分もあったものの、そこはやはり派手なアクションでカバーして楽しませてくれる手腕は別の意味で流石であった。
 ちなみに、「トップをねらえ!」の劇場版も先日放映されたが、こちらは音声が再録されたもののようで、オリジナルのOVA版と比較すると、どうしても違和感があって楽しめなかった。 内容としても尺が短く、特に前半部分がかなり端折られていたので、元のOVAを全部見ているだけにいかにも「ダイジェスト」感があったし。 すると、こちらも元のOVA版は更に面白いのだろうか。
 ところで、タイトルが「トップをねらえ!2」ではないのは何故なんだろう。謎だ。

アニメ版 ケータイ少女
 2008/02/03深夜(正確には2008/02/04未明)ファミリー劇場で放映されたものを視聴。
 原作は、G-modeが製作している携帯電話向けの恋愛シミュレーションゲーム。 Windows用に移植したものや実写ドラマ等もあるようだ。 本アニメ版は、「Yahoo!動画」等でネット配信されているらしい。
 「主人公の相田尋がケータイ少女『リン』の導きによって出会う事になる、5人の女のコ達の日常を切り取った、ショートシチュエーションアニメ」(
公式サイトより)という事で、1本あたりOP・ED含めても10分もない短編で、ヒロイン一人あたり1本×5の5本立てという構成になっている。 ゲーム本編より前の話になっているみたいで、ケータイ少女「リン」はOP・EDにしか登場しないし、主人公の尋とヒロインとが全く絡まない話もある。 その意味では、「北へ。〜Diamond Dust Drops〜」と似ているかもしれない。
 登場する5人のヒロインは、陸上部の幼馴染みの少女、音楽好きで内気な少女、行動的で率直な明るい少女、子供っぽい所が残る下級生の少女、スポーツも勉強も得意な姐御肌の上級生の少女と、この手の作品では概ね定番のキャラ付けで、あまり新鮮味は無いような気がする。 ビジュアルを見る限りでは、幼馴染みの少女がメインヒロインっぽいのもありがち。 ただ、ヒロイン側を中心に描くというこの手の話は好きな方だし、1本あたりの時間も短いので、それなりに面白くはあった。 ゲームに手を出そうとまでは思わなかったが。

おおきく振りかぶって 特別編「基本のキホン」
 2008/04/10深夜(正確には2008/04/11未明)BS-iで放映されたものを視聴。
 DVD第9巻に収録されているTV未放映話。 舞台は、西浦高校野球部ではなく、阿部がシニア時代にバッテリーを組んでいた「最低の投手」こと榛名がいる武蔵野第一高校野球部である。 例によって生意気な口をきく榛名と、榛名に投手の座を取られそうになってクサる先輩とが、お互いを理解し合うようになるまでの話。
 相変わらず、台詞の掛け合いが上手くて面白い。 しかし、あの髪が短くて気が強くて可愛い(胸がデカい事は敢えて言うまい)武蔵野のマネージャーが、口より先に足が出るムサい先輩と付き合ってる、というのは、なんか「ふざけんな!!」という感じである(「バンブーブレード」の虎侍と勇次風に)。

怪物王女 番外編「昏睡王女」
 2008/04/10深夜(正確には2008/04/11未明)BS-iで放映されたものを視聴。
 DVD第9巻に収録されているTV未放映話。 姫達が、刺客によって夢の世界に閉じ込められ、令裡は飛べなくなり、リザは変身不可能に、ヒロは傷が治らない上に命の炎の効力が切れ始めた。 やはり力を使えない姫が命の炎を与える事も出来ず、このままではヒロは今度こそ死んでしまう。さてどうする?という話。
 そんな姫達の危機の一方で、いつもの喫茶店で呑気にパフェを食べまくっている紗和々と、何とか紗和々にコナをかけようとして失敗するマスターとのやり取りが間抜けだ。 しかし、居眠りしてしまった紗和々を起こしもせずに、そのまま店を閉めてしまうマスターは、この後いったい何をしようというのだ。
 そういう間抜けな所とか、シャーウッドが昏睡しているヒロに馬乗りになって、太腿も露わに脚を上げて、「足の指先」でヒロに命の炎を与えるという、無駄にエロい場面が良い。 そして、その際にヒロがシャーウッドではなく姫の事を思い浮かべた事を自慢するような姫の態度が可愛い。 なんだかんだ言いつつ、姫はヒロを可愛がっているなあ。

劇場版 空の境界
 2008/04/15鑑賞。テアトル梅田にて。
 タイトルは「からのきょうかい」と読む。原作は、「月姫」等でお馴染みの奈須きのこ氏の小説。未読。 元々は同人小説だったものを、ドラマCDを経て、現在は講談社文庫から刊行されているようだ。 全七章の内、テアトル梅田で公開されている第一章「俯瞰風景」、第二章「殺人考察(前)」、第三章「痛覚残留」を続けて鑑賞。 ちなみに、第四章以降は7月以降に公開される予定らしい。 制作はufotableで共通しているが、監督は章毎に異なる人が担当するという、競作のような趣もある。 概ね章毎に完結している、短編連作のような形式なので、それでも特に違和感は感じない。 最近、上映前の警告(携帯電話を切りましょうとか)が作品に合わせて作られているものが増えてきた(劇場版クラナドとか)が、本作品では、それがクレイアニメで作られているのがufotableらしい。 でも、肝心の警告の内容がよく判らなくなってしまっているのはいいのか?という気がする。
 「月姫」で登場した「直死の魔眼」を持つ少女・式と、彼女を見守る少年・幹也とが、様々な「敵」と戦う話…だろうか。 連続して発生する投身自殺の原因と、幹也の意識を奪った相手を式が追う「俯瞰風景」、式と幹也との出会いを描く「殺人考察(前)」、式が片腕を失う原因となった事件「痛覚残留」と、時系列が章立ての順番とは一致していない、基本的に各章が独立した話になっている。
 さすがufotableだけあって映像のクオリティは高いと思うし、話自体もそれぞれ面白いのだが、「一見さんお断り」っぽい所は、やっぱり良くも悪くも根っこは同人作品だな、と思う。 「直死の魔眼」という「月姫」でお馴染みの能力については一切説明がないので、知らなければ何故式があんなに強いのかがサッパリだろうし、「二重身体」だのというファンタジー設定が唐突に出てくる辺りも、和服に革ジャンを羽織るという式の適当な服装(和服には和服なりの上っ張りというものもあるのだが)なども、いかにも趣味的。 どうでもいいが、和服で全力疾走するなら、裾をはだけないと無理だと思う。 まあ、人間離れしている式の事だから、常識は通用しないのかもしれないが。
 全体的に、「物語」よりも「状況」や「情景」を描く方に主体があるみたいな感じがする。 第一章の空中に浮いている少女達の光景、第二章で無残に殺された死体の傍に立つ血に塗れた和装の式、第三章で自分を陵辱した男達を「曲げる」藤乃等々、印象的な「場面」はあっても、「物語」はあまり印象に残らない。 第一章で、幹也が「三文小説みたい」と言う場面があるが、自虐ネタかと思ったぐらいである。 要するに、物語自体は単純なのを、長台詞や趣味的な設定でディテールを作り込んであるのがよく判るのだが、自覚的にやっているっぽいし、まあそれはそれで面白い。
 それに、基本にあるのは結局式と幹也との出逢いの物語――ボーイ・ミーツ・ガールであり、しかも、周囲から「浮いている」孤独な女の子と、お人好しな男の子という、ギャルゲーでありがちなパターンというのも、いかにも「らしい」感じである。
 それにしても、原作者の奈須きのこ氏は、とんだサディストなんじゃなかろうか。 「月姫」でも痛い目に遭っていたのはアルクエイドやシエル先輩といった女性だったし、本作でも、戦って痛い目に遭うのは式だし、女子高生がドカドカ墜ちてグチャグチャにされるし、第三章の藤乃にいたっては半年(半月だったかな?)にわたって男達に人形のように陵辱され続けるという酷い設定だし。 ここまでキャラをいじめ抜くのは、どう考えてもサディストの所業としか思えない。
 ところでこれ、年齢制限が付いていない「一般」扱いになっているのだが、良いのだろうか?  大阪府の条例で、入場する年齢に制限が付くレイトショーならまだしも、そうでない昼間にも上映されているし(もっとも、そのおかげで三本纏めて観る、という事も出来た訳なのだが)。 早いカット割りで見えにくくしているとはいえ、三章とも暴力的なシーンやグロいシーンがあるし、第三章にいたっては、はっきりとレイプシーンまであるのに。 R-15やR-18とまではいかなくても、せめてPG-12ぐらいにはしておくべきなんじゃないかという気がする。 まっとうなチャンバラ映画の「ストレンヂア」や、そんなにエグいシーンがあった気がしない「人狼」がPG-12指定されている(
Wikipediaを参照)のに、本作品が指定されていないのが不思議だ。 指定を決めるのは映倫だと思うのだが、いったい、どういう基準で決めているんだろうか。 映倫自体に問題があるという説もあるし、業界の自主規制がきちんと働いていないと、最近の、所謂「児童ポルノ規制法」改定や「青少年ネット規制法」制定の動きみたいに、「お上」に付け入る隙を与えてしまい、結局自分で自分の首を絞めてしまう結果になりそうで怖い。

 2008/07/29第四章「伽藍の洞」を鑑賞。テアトル梅田にて。 以前のように、複数の章をまとめて上映するのかと思っていたが、今回は、第五章が公開される前に第四章の公開が終わってしまうようだ。
 物語の順番としては、第二章の続きになるのかな?  負傷した式が、二年間の昏睡から覚めたら幹也が親友だった女に寝取られていた…という話ではなくて、二年間の昏睡状態の間にもう一人の人格である織が何故か消えてしまう話。 それによって本当に「一人」になってしまった式が、その喪失感と目覚めた時に何故か得た「直死の魔眼」の力への恐怖とを、橙子との出会いと幹也との再会によって克服していくという感じである。 章題は、織の喪失によって式の心が「がらんどう」になってしまった事と、物語上は初登場となる橙子の店の名前「伽藍の堂」とにかけている…のだと思う。 橙子が言う「がらんどうの方がいい。たくさん詰め込めるから」(←うろ覚えなので不正確である)というセリフを聞いて、「ドラゴンボールZ」のOP曲「CHA-LA HEAD-CHA-LA」を連想したのは、私だけではあるまい。
 ちなみに、国語辞典には「がらんどう」に漢字が書かれていない事が多いようだが、「伽藍堂」と書いてもいいっぽい。 しかし、「伽藍洞」とは書かないみたいである。 一方、「伽藍堂」というのは、神仏を祀る堂の事を指すが、橙子がこれを店(?)の名前にしている理由は不明。
 式が昏睡状態にある間に、幹也は毎日のように病室に見舞いに訪れ(その「忠犬振り」(?)からか、看護婦さん達から「子犬君」と呼ばれるようになっているのが何となく可哀想)、高校を卒業して、橙子の店(?)に就職したりする様子も描かれているのだが、今回はその辺りは完全にどうでもいい脇の話であって、主題はあくまで式が復活するまでの過程である(後、「直死の魔眼」の設定の説明をしておく、というのもあるが)。 ただし、二年間も昏睡状態にあった式が、覚醒してまだ幾らも経過していない(正確にどのぐらい時間が経っているのかは判らないし、一応退院間近という描写はあったので、数日とかいうレベルではないとは思うが、数ヶ月も経過したようにも見えなかった)のに、いきなりゾンビ(?)と格闘戦を演じるというのが、式が「直死の魔眼」だけでなく超人的な身体能力も獲得した為なのか、それとも単にリハビリの過程をはしょっただけなのか(覚醒してすぐの式が体を満足に動かせないという描写があるので、「シゴフミ」みたいに、その辺のリアリティをハナから捨てているという訳ではない)は謎である。
 その辺りの謎とか、そもそも何故「織」は消えてしまったのかとか、今回の話でまた謎が増えてしまった訳だが、最終章までにそれらは明かされるのだろうか。
 最後に、第一章と第三章(それとおそらく次の第五章)の事件に、自称「魔術師」の荒耶宗蓮というオッサンが関わっていた(というか事件の黒幕みたいだった)事を示すシーンがあるのだが、これはちょっと余計だったような気もする。 というか、ここに入れるぐらいだったら、普通に各章に入れておけばよかったんじゃないか、と思うのだが…何か意味があったのだろうか?

 2008/08/26第五章「矛盾螺旋」を鑑賞。テアトル梅田にて。
 という訳で、第一章と第三章の事件の黒幕だった荒耶宗蓮という魔術師と、式や橙子達とが、正面きって対決する話…だったのだが、荒耶の動機とか目的とかが今一つよく判らなかった(人間というものに絶望した挙句に人間を実験動物扱いして何かしようという、ありがちなはた迷惑系のものだったような気がするが…)ので、今までで一番長い話だったにも関わらず、一番判りにくい話になってしまっていたような。
 また、元々、章毎に時系列が入れ替わっているし、今までの各章の中でも時系列が前後している場面はあったが、今回はそれがかなり頻繁に行なわれていて、判りにくさに拍車をかけているように思う。 そして、それに何か物語上、もしくは演出上の意味があればまだしもなのだが、特に意味があるようには見えなかった。 もしかしたら、今回の話の舞台になっていた、人間の精神に異常をきたすような構造になっているという荒耶が用意したマンション同様に、観客に混乱を生じさせようというのかもしれないのだが…。
 後、橙子が、自分と全く同じ外見・能力を持った「人形」を作っていた、というのは、いくらなんでも唐突すぎるだろう、という気がする。 今までの話で何か伏線があったようにも見えなかったし、いきなりそんな超技術が出てきても、御都合主義に過ぎると思う。 そんな手が許されるのであれば、もはや「何でもあり」になってしまい、せっかくの死闘もシラけるばかりではなかろうか。
 そんな訳で、これまでの5つの話の中では、一番判りにくい上に一番無理矢理な展開で、物語としてはどうにも一番面白くなかった。 作画はさすがにいいんだが、今時の劇場版作品としては特に突出した何かがある、という訳でもないし…うーむ。
 「自分がコピーである事を知らない」というキャラは、確か手塚治虫氏の「火の鳥」にもあったような気がするし、他の作品でもよく見るキャラだと思うのだが、たいていは「自分がコピーである」事を知ってしまった時点で絶望してしまってそれっきり、というパターンが多かったように思う。 その点、本章の主人公である巴は、自分がコピーである事や、式との出会いが荒耶に仕組まれていたという事を知っても、そこで絶望せずに、逆に奮い立つという所はよかった。
 ところで、今までもそうだったのだが、パンフレット冒頭の「おーちようこ」という人による紹介文が、毎度の事ながら大仰すぎて笑える。 作品の面白さというのは、絵コンテの厚さや動画枚数、ましてや上映時間等で決まるものではないんだから、そんなものを大袈裟に、また誇らしげに語られても困るんだが。 900円と、映画のパンフレットにしては高価なものなんだから、もうちょっと、中身のある紹介文を書いてほしい。 まあ、この人が、よほどこの作品が好きなんだなあというのは判るのだが…。

 2009/02/10第六章「忘却録音」を鑑賞。テアトル梅田にて。
 今回の主役は、幹也の妹・鮮花。 鮮花の通う学校で発生している「妖精に記憶を消される」という事件を調査する為、幹也を巡る恋敵である式と心ならずもペアを組んだ彼女は、やがて校内で起きたもう一つの事件――女生徒の焼身自殺未遂――との繋がりと、その背後にいる人物の謎を解き明かしていく――みたいな話。
 話の内容としては、今までの章との関連性は殆ど無い、ほぼ完全に一話完結の独立した話である。 ただ、第四章と同様に、最後に荒耶宗蓮がまた黒幕になっているようなシーンが入っていたり(これは次の第七章の話になるようだ)、式の失われた記憶に触れるようなシーンが少しあったりする。 しかし、その辺が果たして本筋に関係あるのかどうかは、第七章を観るまで判らない。
 で、現実に起こった「事実」と、黄路美沙夜が妖精を使って生徒達から抜き取った記憶で作り上げた「真実」との相違から事件は起こる訳だが、この「真実」の方がまたもや今一つ説明不足でよく判らないのが何とも…。 なので、クライマックスで、鮮花と美沙夜とが対決するシーンのやり取りにどうもついていけなかったのが残念。 まあ、パンフレットを読んだところでは、とりあえず鮮花が活躍している所がたっぷり描けていればそれで良さそうな感じではあるのだが。
 ところで、久し振りに聞くと、式の声が「黒執事」のシエルにしか聞こえなくて困る。 今回は、式の話し方が特に男っぽかったせいもあるかもしれないが。

 2009/09/01第七章「殺人考察(後)」を鑑賞。テアトル梅田にて。
 なんか、今一つ観に行くモチベーションに欠けていたのだが、ここまで見たら最後まで付き合おうという気持ちで行ってみた。坂本真綾さんが主役だし。
 第四章で描かれた、「何故『織』が消えてしまったのか?」という謎の種明かしと、第二章「殺人考察(前)」で描かれた、連続猟奇殺人事件の真犯人と対決する話…なのだが、うーむ…こんな、「それから二人は末永く幸せに暮らしましたとさ」みたいな、だだ甘なラストでいいんだろうか?という気がしないでもない。
 さんざん、「人を殺したら一生許さない」と式に言っていたにも関わらず、いざ殺してしまったら「僕が背負う」とか言って許しちゃう幹也とか、その殺してしまった理由としても、「幹也を殺した」という真犯人の言葉をアッサリ信じ込んでしまう迂闊な式とか、それで結局二人はラブラブで終わり、とかいったら、あれではあの真犯人はただの「アテ馬」というか「かませ犬」というか、凄く惨めな役どころだなあ、と思う。
 まあ、パンフレットの最初に「一生許さない」と書いて「はなさない」とルビが振ってあるので、「一生許さない」というのは要するに「一生一緒にいる」というプロポーズの台詞みたいなもんなんだろうなあ、というのは判るのだが、ラストシーンがあまりにも明る過ぎて、殺人を犯してしまったことを二人で一生背負っていく、みたいな感じに見えなかったのがイマイチ納得できなかった理由かもしれない。
 それと、あの幹也を「普通」と言うのはちょっと…。 何か、やたらと「普通」というのを強調してたけど、ああいう異常な状況でああいう態度でいられるってだけで、もう「普通」じゃないような気がする。 どうも、そういう言葉と内容とに違和感を感じてしまってしょうがない。
 そして、やっぱり尺が長い。 余計なシーンとかそぎ落としてもっとシェイプアップすれば、3分の2ぐらいには納まるような話なんじゃなかろうか。 「殺人と殺戮は違う」とか、言葉遊びみたいなやり取りが多過ぎる気がする。 まあ、それが本作品の「味」だと言うなら仕方がないが、個人的には、正直言ってあまり面白くなかった。 やっぱり、モチベーションに欠けていたのが悪かったのかもしれない。
 後、パンフレット冒頭の「おーちようこ」という人の紹介文は、やっぱり大仰すぎて笑ってしまった。 「偉業」とか「すさまじい記録」とか、なんか自分の言葉に酔ってないか?と思ってしまう。困ったものだ。
 ちなみに、本作はDLP上映が採用されている。 パンフレットによれば、デジタル化された事で直前(なんと公開初日の午前中)まで修正する事ができたというが、いいんだか悪いんだかよく判らない話である。 更に、上映にはPS3が使用されていたらしく、仙台では上映中に「USBコントローラーを充電してください」という警告メッセージが出てしまったとか、梅田ではXMB操作してる画面も上映されたらしい(私は見ていない)とかいう話がある。 デジタル化で新しい試みをするのはいいが、仮にも客商売なんだから、こういう粗相をしてしまっては本末転倒だろうという気がする。 まあ、こういう「上映事故」は、私も経験があるが、「金返せ」と言ってもおかしくない。 その昔、「天空の城ラピュタ」を観に行った時、冒頭の数分間音声が全く出ていなかった事があった。 「ラピュタ」を観た事がある方なら判るかと思うが、同作品の冒頭は、音が無くても違和感が無かったりする。 その為、上映が始まってしばらくは誰もそれが事故だと気付かなかった。 しばらくして、空中海賊のドーラ一家が銃撃戦を始め、明らかに台詞を喋っていると判るシーンになって、ようやく事故だと気付いて観客が騒ぎ始めたのである。 観客の一人が映画館のスタッフに伝えて、シータが落っこちるシーンの辺りからようやく音声が出るようになったが、その時は結局誰も「金返せ」とは言わなかったようだ。 確か、当時はまだ全席入れ替え制とかになっていなくて、その気になれば一回分の料金で何度でも観れたからかもしれない。 今は大抵の映画館は全席入れ替え制なのだから、事故があったら堂々と「金返せ」と言えるだろう。多分。

FREEDOM 地球編
 2008/04/20アニマックスにて視聴。
 2007/06/24に同じアニマックスで放映された第1話〜第3話、所謂「
EDEN編」に続いて、第4話〜第6話の「地球編」までの全6話が一挙放映された。 公式サイトによると、この後「FREEDOM SEVEN」という特別編がもう一本あるようだ。
 第3話のラストで月を脱出したタケルとビズは地球にたどり着いた。 進入軌道がずれてラスベガスに着陸してしまった二人は、フロリダへと旅をする間に、地球で人間がたくましく生きている事を知る。 そして遂にフロリダに到着した二人は、あの写真の少女・アオに出逢う。 アオや、彼女の村の人達と触れ合い、地球の大自然を実感したタケルは、この事実をEDENに伝えなければならないと思うようになる。 そして二年後、同じ思いを持つアオ達と力を合わせて月ロケット・サターンVの復元に成功したタケルは、アオと共に月へと飛び立った…。
 という訳で、次の「SEVEN」で舞台は再び月に移るようだ。 気候変動と戦争で荒廃しきっていた筈の地球に、科学技術の水準こそEDENに比べて数世紀後退してしまっているとはいえ、数多くの人間が普通に生活している(少なくともサターンVを復元して打ち上げられるぐらいの技術も資源も生きている訳だし)というのも謎だが、EDENが何故その事実を隠し続けているのかも謎だ。 その辺りの謎解きは「SEVEN」でなされるという事のようだが、その為、この第6話までだと消化不良でいけない。 話は結構とんとん拍子に進んでいくので退屈はしないものの、その分駆け足というか大味というか、何となくTVシリーズのダイジェストを見ているような感じもする。 3DCGがかなりこなれてきて、初めの方のように無駄にユラユラ動いたりしなくなって不自然さが抜けてきているだけに、ストーリーの大雑把さが気になる。 まあ、この作品は、そういう所は気にせずに、勢いを楽しめばいいのかもしれないが。
 ちなみに、本作品はDVD以外にHD DVDでも発売されていた筈だが、さすがに今となっては販売されていないようだ。 Amazonにも見かけないし、バンダイビジュアルのサイトで製品を検索してもDVD版しか出てこない。 その内、Blu-ray Discで発売されるのだろうか。

鉄人28号 白昼の残月
 2008/04/27NHKハイビジョンにて視聴。 以前(2007年10月)にアニマックスで放映されたものを録画してあったのだが、積み録にしたまま放ったらかしてずるずると今まで観ずにおいてしまっていた。 いったん積み録にしてしまうと、こういうきっかけでもないと観る気にならないのは悪い癖である。
 それはともかく、本作品は2007年3月末に公開された劇場版で、2004年4月〜9月にかけて放映されていたTVシリーズの続編…だと思っていたのだが、
Wikipediaの記述によればオリジナルストーリーらしい。 確かに、高見沢さんが「あんなんだったかな?」みたいな人(どんな人だ)になっていて少し違和感はあったのだが、TVシリーズのストーリー自体、そんなに詳しく覚えている訳ではないので、続編と言われてもさして疑問に思わないような気がする。
 金田博士が遺した「廃墟弾」を巡り、正太郎の兄・ショウタロウとの触れ合いと確執や、謎の財団との戦いを描く一大活劇…なんだけど、どうも今一つ盛り上がりに欠けるのは、やはり金田博士が迷惑過ぎるからなのかもしれない。 あんなバカでかい「大鉄人」と「廃墟弾」の固まりを、よりによって東京の地下に埋めておくなんて、実に迷惑きわまりない。 その金田博士の「罪」の象徴でもある「鉄人28号」を、金田正太郎がどう受け入れていくのかというのがテーマの一つだと思うのだが、正太郎が「いい子」過ぎるように思えてその辺りを醒めた目で見てしまうというか。 演出も抑え気味のせいか、高揚感とかそういうのが足りない気がする。 アクションとかはさすがに見応えがあるのだが…。

ルパン三世 カリオストロの城
 2008/05/02読売テレビ「金曜ロードショー」で放映されたものを視聴。
 それこそカットの一つ一つ、台詞の一言一句まで覚えているんじゃないか、と自分でも思うぐらい何度も観た作品であるが、「HDリマスター版」という事なので観てみた。 手元にあるLD版(東宝が発売したもの。CLVの上に音声がモノラルという、今となっては年代物である)と比較すると、確かに、フィルムの傷と思われるノイズはほぼ無くなっているし、フィルムのガタつきによるものと思われる映像の揺らぎもあまり無いようだ。 映像としても、4:3レターボックスのLD版に対して、今回の放映は地デジでは16:9スクイーズによるハイビジョン放送という事で、綺麗さという面でも勝る。 比較してみたのは冒頭のタイトルが出る所までだし、両方を並べて見比べた訳ではないので、色合いとか鮮やかさとかの細かい所までは比較できないが、概ねLD版よりは良いのでは無かろうか。 まあ、要らんテロップやら何やらが入っている事を除けば、であるが。 それに、さすがに映像そのものに焼き込まれてしまっているものまでは修正できていない。 有名な、オープニングで次元の足が一瞬足下の草の手前に見えてしまう所(ただ、LD版に比べると目立たなくなっていたような気もする)とか、重ね合わせたセルの一部だけがガタついてる所とか。
 それにしても、これだけ何度も観た作品なのに、やはり何度観ても面白い。 100分という尺の長さは、最近の劇場版作品でもよくある長さだが、始めから終わりまで、これだけ緩急を付けながら退屈させずにしっかりと「魅せる」作品はあまり無いかも。 宮崎駿監督の持ち味であるコミカルなアクションをはじめとして、数多くの作品でパロディにされた有名なシーンや台詞の数々はやはり凄いとしか言いようがない。 まさに「冒険大活劇」というに相応しい作品だが、それ故に、原作の「ルパン三世」ファンからはあまり良く言われないのかも知れないけど。
 ただ、個人的には、やはりこの作品を観た頃が、自分の原点になっているように思える。 自分の、アニメ作品に対する評価基準は、この頃の作品が基になっているのだろうと思う。 この作品を初めて観たのがいつだったのか、もう覚えていないぐらい前の事になるが(少なくとも劇場では観ていないのは確かである。初めて観たものには、ルパンと次元の「プロレスごっこ」等のシーンがカットされていたし、テレビ放映で観たのは間違いない)、そんな頃にこういう作品を観た事で、アニメ作品に対する偏見を持つ事もなく、その後、数々の面白いアニメ作品を知る事が出来たのだという気がする。 まあ、そのせいで色々と苦労した事や後悔した事も多いが、それらも結局は好きでした苦労なのだと思うと、やはりそれは幸せな事だったのだろう。 で、今時の若いアニメファンには、そういう原点となるような作品があるのだろうか、などと年寄りめいた事も考えてしまうのである。

狼と香辛料 第七幕「狼と幸福の尻尾」
 2008/05/30発売のDVD第3巻収録のテレビ未放映話。
 時系列的には、話数が示す通り、第六幕と第八幕との間になる。 銀貨騒動が片づいて、ようやくのんびりしたロレンスとホロが、街を出る前にホロの新しい服を買うという話。 シリーズ後半でホロが着ていた服や頭に着けていた頭巾(というのかどうか判らないが)は、ここで買っていた訳だ。
 もちろんこの作品のことだから、単に店に行って服を買うだけでおしまいという訳ではなく、あの調子のいい両替屋も出てくるし、服を買う時も買った後も色々と駆け引きがあったりする。 その辺りの台詞の掛け合いが相変わらず面白いのだが、それだけに、声だけのCDドラマやラジオドラマでも成立してしまいそうなぐらい台詞が多いのはややマイナスか。 やっぱり、この作品は、ロレンスとホロとの「夫婦漫才」を楽しめるかどうかがカギになるように思う。
 どうでもいいが、この
DVD第3巻のジャケットのクロエはなんかエロい。 ポーズがイマイチ意味不明なのだが、体の線がハッキリ出ている白いワンピースというのはどうもエロくて困る。 名塚佳織さんって、「true tears」の比呂美とか、「Canvas2」のエリスとか、最近この手の「見た目清楚だが実はエロい」というキャラが多いような…。
 さて、問題は、300ピースのジグソーパズルを、床の見えないような私の部屋の何処で組み立てるか、なのだが(爆)、とりあえず布団の上でやる事にした。 ジグソーパズルなんて久し振りだったのでなかなか疲れたが、CMで言われていたように、5時間も掛かったり、ましてや徹夜になったりする事はなかった。 CMでロレンスが見積もっていたように、概ね2時間半ぐらいで完成できた。 しかし、気のせいか、この第3巻のパズルの絵柄は、前の2巻のに比べると線が少なくて難しいような…。
 ちなみに、完成すると、380mm×260mmの大きさになった。 完成してから飾るつもりがある方は、あらかじめこのサイズのジグソーパズル用の額を用意してから始めた方がいいかもしれない。

GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊2.0
 2008/07/15鑑賞。なんばパークスシネマにて。
 言わずと知れた、1995年公開「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」のリニューアル版。バージョンアップ版ともいう。
 「バージョンアップ」されているのは、主に以下のような点である。

  1. サウンド
     そもそも、押井守監督が、この「2.0」を作ろうと思い立ったのは、この8月に公開される新作映画「スカイ・クロラ」のサウンドを担当した「スカイウォーカーサウンド」で「攻殻機動隊」のサウンドを付けたらどうなるか、という所から始まった事らしい。 その為、サウンド(SE、BGM、セリフ等の全ての「音」)は全面的に付けなおされ、6.1chで再構成されているとの事である。
     実際、鑑賞後に帰宅して、すぐにDVDで「攻殻機動隊」を観てみたが、細かいSE(OPで素子の義体が造られている時のメカの動作音や皮膚が剥がれていく音、OP直後の素子の部屋のシーンでの足音や服を着る時の衣擦れの音、最後の場面で素子が入った少女の義体が動く音、等々)が全然違う。
     また、「攻殻機動隊」では聞き取りにくかったセリフが、全体的に聞き取り易くなっている。 特に、ボートの上で素子とバトーが聞く謎の声は、「攻殻機動隊」ではかなりくぐもっていて油断していると聞き逃してしまいそうなのだが、「2.0」ではかなりハッキリとセリフが聞き取れるようになっている。 他にも、通信を通したノイズ混じりのセリフなども、かなり聞き取り易かったように思う。
  2. 映像
     全体的に、青や緑が使われていた街やコンピュータ映像が、琥珀(オレンジ)色に変わっている。 もちろん、単に色を変えているだけでなく、全面的に映像自体が作り替えられ、密度が増しているように見える。 この色の変更は、「イノセンス」にイメージを合わせたものらしい。
     また、ヘリコプターや車等のメカニックを中心に、3DCGで描き替えられている物も多い。 一番印象的なのはやはり素子で、冒頭でビルの屋上から飛び降りて外交官を射殺し光学迷彩で消えるまでと、海でダイビングしている時が、全面的に3DCGで描かれている。
     この辺は、素子が義体(すなわちメカニック)である事を強調する為の描き替えだと思うのだが、正直言って、前後の従来の手描きのシーンとの違和感の方が気になって、あまり良いとは思えなかった。
  3. キャスト
     セリフも、オリジナルキャストによって全面的に録り直されている。 こういう場合、今まで観た作品(と言っても、せいぜい劇場版の「パトレイバー」と「ガンダム」ぐらいだが)では、声優さんの声質や演技の変化による違和感の方が気になって、「良くなった」という印象を持った事が無かった。
     しかしこの「2.0」の場合は、全くと言っていいぐらい違和感を感じずに観る事ができた。 上記の作品では「若者」が主役だが、本作品は「大人」ばかりだからかもしれない。
     また、オリジナルキャストではない人もいくらかいる。 清掃局員が千葉繁さんではなくなった(と思うのだが…もしかしたら演技を抑えていただけなのかも。今一つダメ絶対音感に自信が無い。パンフレットには主要キャラのキャストしか載っていないし、EDテロップはそこまでちゃんと見てなかったしで確証は無いし…)とかの脇のキャラの変更もあるが、大きいのは、何といっても「人形使い」が家弓家正さんから榊原良子さんに変更された事だろう。 もちろん、これに伴って、「人形使い」の呼称も「彼」から「彼女」に変更されている。
     これについては、パンフレットで押井氏は「良子さんがやると、もっと何か匂ってくるものがあるんじゃないかと期待しました」「バトーは素子を男に寝取られるのならともかく、女に寝取られたら我慢できないんじゃないか。ムカつき度が違うはずだと。そんなこともあって、両方聞いてみたかった」とインタビューに答えている。
     確かにそういうのもあるが、「男」と「女」が融合した「攻殻機動隊」に対して、「2.0」では「女」同士で融合したという形になる為、結果として、素子が行ってしまった世界・素子がなった存在の「異質さ」がより際立つ事になったのではないか、という気がする。 それはつまり、「生命とは何か」「自分とは何か」というこの作品の問い掛けを、より深くするという効果があるのかもしれない。

 という訳で、この「2.0」は、一風変わった「リニューアル版」になったように思う。 ただ、「攻殻機動隊」を観た人が、また1,800円出して観に行く程なのか、と問われると少し微妙。 私は、劇場の会員割引を使って1,200円で観たのだが、割引の無い日に観に行くか、と言われるとちょっとそこまでは、という気になるかも。 でも、パンフレットが1,500円もしたので、あまり割引の意味は無かったかもしれない(「攻殻機動隊」のパンフレットの復刻版と一体になっている為のこの価格だとは思うのだけど…。それにしても、いくら割引価格とはいえ、映画本体よりパンフレットの方が高いというのはどうよ?と思うのだが…)。

崖の上のポニョ
 2008/08/05鑑賞。東宝シネマズ梅田にて。
 言わずと知れた、宮崎駿監督による長編作品。 宮崎監督は「これが最後の長編」と言っているらしいのだが、前も「これで引退する」とか言って結局引退しなかった事があったので、今回の「最後」発言もどこまで額面通りに受け取っていいものやら。 ただ、この日の夜にNHKで放映された宮崎監督のドキュメンタリー(と言うには、毎度演出過剰な作りが嫌で普段は見ていない「プロフェッショナル 仕事の流儀」である。この番組って、久し振りに見たが、前身の「プロジェクトX」の時からあまり変わってないなあ、という印象である。茂木健一郎さんも、すっかりタレントになっちゃったみたいだし…)で、自ら作画を直しているのを見て、確かにこれは「最後」かもしれないなあ、という気がした。 あの年齢になって、監督自ら一々作画に手を入れていたのでは、長編作品を作るのは物理的・体力的・スケジュール的に無理なんじゃなかろうかという気がする。
 物語は、一言で言えば、ハッピーエンドになる「人魚姫」。 前の「ハウルの動く城」もそうだったが、ストーリーはあって無いような感じなので、この一言で充分な気がする。
 全編に渡ってCGを使用せずに全て手描きで作画しているという制作方法と、水没した街の描写が、何となく「パンダコパンダ・雨降りサーカス」を思い出させる。 街が水没して大変な筈なのに、あまり大変そうじゃない人達の様子もそう。
 ただし、「パンダコパンダ」の水没が大雨という天災だったのに対して、本作の場合は、ポニョが引き起こした人災(ポニョは魚の子だから「魚災」か?)である点が異なる。 僅か数時間のゲリラ的な豪雨でも人死にが出る昨今、あれだけの高波に襲われ、「ノアの方舟」神話の如くに世界が水没した(それどころか、重力が狂って人工衛星は降ってくるし、月も落ちてきそうになる)訳だから、万単位で人死にが出ていても不思議ではない。 でも、本作では絶対に人死になんか出ないし、あれだけの事を引き起こしたポニョを責めたり罰したりする大人もいない。 それどころか、宗介からは「魚でも、半魚人でも、人間でもポニョが好き」と言ってもらえるし、「人間になって宗介と一緒にいたい」という願いも叶えられる。 それは、単に本作がファンタジーで「まんが映画」だからというだけでなく、本作の大人達がポニョを無条件に愛し、また許しているからこそ、物語としてのリアリティが保たれているように思える。 「生まれてきてよかった」というのが本作のキャッチフレーズだが、そう思えるのは、ポニョに対するこの絶対的な「愛」と「許し」があればこそなのではなかろうか。 そして、それは子供に対してのみ無条件に与えられるものであって、それ故、本作品は宮崎監督が本気で作った「子供の為の作品」なのかもしれない。 そういう意味では、この作品を物語として楽しむのは、私には難しかったように思う。
 そんな訳で、私の場合、物語はこの際どうでもよくて、キャラクター達が生き生きと動く姿、恐ろしく暴れる海、夜空に輝く星々の煌き等々、映像の面白さを充分味合わせていただいたという印象であった(「映像の美しさ」というのは、この作品の場合、何か少し違うような気がする)。 それと、リサさんの超高速発光信号は大笑いであった。
 後、声は、例によって所謂「声優さん」ではない人達がやっているが、相変わらず違和感無く仕上げているのは毎度の事ながらさすがである。
 ちなみに、東宝シネマズ梅田では、フィルム上映とデジタル上映の2種類をやっている。 今回観たのはフィルム上映の方だった(上映されているのが一番大きなハコだったもので。デジタル上映のハコの方が大きかったら、迷わずデジタル上映の方を選んだのだが)が、「ハウルの動く城」のデジタル上映の美しさが印象的だったので、もう一度デジタル上映の方も観に行くかどうか悩むところである。
 ところで、今回初めてチケットのインターネット予約というのをやってみた。 今回観に行った東宝グループの映画館は、
サイトの各映画館のページで、上映回と座席を指定できる。 他の所でも同様のサービスをやっているが、例えばなんばパークスシネマでは、座席単位では指定できず、ブロック単位で指定して座席はシステム側が割り振るようになっている。 割り振りは、一般的な「いい席」(中央寄り)から順番に行なわれるようになっているみたいなので、通路側の席がいいと思ってもダメだったりする。 なので、窓口でチケットを買う方が通路側を指定できて便利な為、インターネット予約は今まで使った事が無かった。 その点、この東宝のシステムは、座席単位で指定できるのがよい。 映画館では、専用の発券機でチケットを受け取るだけでいいので、窓口で並ぶ必要も無いし、いい席を取る為に早めに映画館に行く必要も無い。 これは、使ってみるとなかなかいいものであった。
 で、ふと思ったのだが、この作品って、もしかして「セカイ系」?

スカイ・クロラ
 2008/09/03鑑賞。なんばパークスシネマにて。
 言わずと知れた、押井守監督の「イノセンス」以来4年ぶりになる劇場版アニメ作品。 正確には、「攻殻機動隊2.0」が本作品の直前に公開されているし、「立喰師列伝」や「真・女立喰師列伝」といった実写作品(「立喰師列伝」は、実写と言えるかどうかは難しいが)も間に公開されているので、あくまで完全新作の長編アニメ作品としては4年ぶり、という事になるが。
 原作は、中公文庫等から刊行されている森博嗣氏の小説。未読。 例によって図書館で借りようと思ったら、既に予約が10件ぐらい入っていたので、借りれるのは半年以上先になるかもしれない。 タイトルの「スカイ・クロラ」とは、英語のタイトルでは“The Sky Crawlers”で、直訳すると「空を這う者達」となり、主人公達戦闘機パイロットの事を指しているものと思われる。
 「キルドレ」と呼ばれている、殺されない限りは不老不死の少年少女達が、企業が行なっている「見せ物」としての戦争に参加する中で描かれる青春劇…なのだと少ない予備知識で考えていたのだが、観終わってみると何か違うような気がする。
 オープニングの最後の方で、着陸する戦闘機から見た地上の基地の風景が出てくるが、それが妙に「作り物」くさいと思った。 まあCGなんだから「作り物」なのは確かなのだが、所謂「実写風」ではなくて、ミニチュアのジオラマを撮影したような感じ・質感に見えた。 「監督 押井守」のテロップの影が地上に映っている、というのも、「作り物」っぽい感じを増幅していたように思える。
 今時のCGであれば、本物の風景と見分けがつかないような映像にする事も可能な筈なので、おそらくワザとこんな映像の質感にしているのではないか、と思ったのだが、そうした意味は判らなかった。
 しかし、最後まで観るとその意味が朧げながら(あるいは勘違いかもしれないが)判ってきた。 つまり、この世界、ユーイチ達が戦闘機を駆って命を懸けて戦っているこの世界は、文字通りの「作り物」であると。 作中で語られているように、この戦争は「ゲーム」であり、ユーイチ達は作られた「ゲーム盤」の上にいる、文字通りの「ゲームの駒」以外のナニモノでもないという事なのだ。
 「作り物」だから、歳もとらないし、戦争で殺されない限りは死ぬ事もない。 死んだとしても、その戦闘ノウハウを次に生かす為に、記憶を操作されてまた生み出されてくる。 それはちょうど、「大戦略」という戦争シミュレーション・ゲームのユニットと同じである。 ゲームの中で生み出され、敵と交戦して破壊されるまでは不老不死で、たとえ破壊され失われてもその戦闘のノウハウはゲームのプレイヤーが次の戦闘に生かす事ができる。 「キルドレ」達はそれと同じなのだ。だから、この世界の風景は、皆「作り物」めいて描かれている。
 なので、彼らの戦争をショウとして楽しんでいる人達、テレビの前で観ている人達や基地に見学に来る人達、そして「絶対に勝てない敵」として「設定」されている、決して顔を見せない「大人の男」=「ティーチャー」、そういった「ゲーム」の「外」にいる筈の人間達も、本当に実在しているモノなのかどうかも怪しくなってくる。 この怪しさや、「世界」に対する不安感といったものは、まさに押井監督の作品の真骨頂とも言えるのではなかろうか。
 3DCGで描かれている空中戦のシーンは、押井監督が一番注力したというだけあって、迫力のある、実に見応えのあるものになっている。 特に、最後のユーイチと「ティーチャー」との一騎討ちは、「いったい何がどうなっているんだ?」と思うぐらいスピーディで目まぐるしく動くアングルに翻弄されるようだった。 というか、実際、「ティーチャー」がどうやってあの位置にいたのかサッパリ判らない(これは円盤を買って繰り返し見ろ、という事か?)。 あの「ティーチャー」の無敵振りも、何となくゲームでいう「チート」っぽい感じがして、どこか非現実的な感じであった。
 去る8月4日にNHKで放映された押井監督のドキュメンタリー「映画監督・押井守のメッセージ」では、本作では、キャラクターの「無意識の動き」も描くようにした、というような話がされていたので、その辺も気を付けて観ていた(つもりな)のだが、正直言って、その効果の程はあまりよく判らなかった。 そもそも、全てを手で描くアニメーションにおいては、どのような動きも「意識的」に作られている訳なのだから、「無意識の動き」を「意識的」に作る、という矛盾した話になってしまう訳で、果たしてそれに意味があるのだろうか、と疑問に思う(同じ意味で、アニメ作品で「NG場面集」を作っている作品があったりするが、わざわざ作った「NG場面」なんかの何処が面白いんだろう?と思う)。 作画した時点でそれは「意識的」な、「意味のある」動きになってしまうので、それはもはや「無意識の動き」とは言えないのではないのだろうか。 そこまでやるのであれば、いっそのこと、実写にしてしまった方がいいのではなかろうか、と。 上記の番組内で、押井監督は「(「無意識の動き」を作画する事は)現場的には徒労に終わるかもしれない」と語っていたが、「無意識の動き」という意味ではそれはその通りだったかもしれない。 キャラクターの心情表現としては決して徒労ではなかったと思うが…。
 ちなみに、ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門にノミネートされているが、上映では、エンディングのスタッフ・ロールが始まると観客がどんどん席を立ってしまったらしい。 エンディング後にもまだ続きがある、というのは、あちらの人達にはあまり一般的ではないのだろうか?  確か、「ヤング・シャーロック」とかでもやっていたような気がするのだが…。
 まあ、何だかんだ言っても、宮崎駿監督の「紅の豚」で消化不良だった、レシプロ戦闘機による空中戦がいっぱい観られて楽しかった(<マテ)。

新SOS大東京探検隊
 2008/09/28NHKハイビジョンで放映されたものを視聴。
 どんな作品なのか全く知らずに観たのだが、
公式サイトによれば、『第19回東京国際映画祭 協賛企画「animecs TIFF 2006」において、40分という中編ながらワールドプレミアとしてお披露目され』た作品、という事らしい。 劇場公開もされていたみたいだが、それも全然知らなかった。
 …と思っていたのだが、公式サイトがしっかりFirefoxのブックマークに入っていた。どうやら、単に忘れていただけのようだ…orz
 原作は、かの大友克洋氏の短編マンガ「SOS大東京探検隊」で、「執筆当時描かれなかったアイデアを盛り込んで大胆にアレンジした続編」(上記公式サイトより)だから頭に「新」が付いている…という事だろうか。
 父親が子供の頃に書いた「宝の地図」を見つけた少年が、チャット仲間と連れ立って東京の地下の探検に出かけ、そこに住み着いているホームレス達や、未だに戦争が続いていると思い込んでいる旧日本軍人の老人と出会って、ちょっとした冒険を体験するという話。
 キャラクターがトゥーンレンダリングの3DCGで描かれているが、3DCGでありがちな妙にユラユラした動きも少なく、違和感はあまり感じない。 この辺の成果が、もしかしたら「FREEDOM」に活かされていたりするのかもしれない。
 また、ホームレス達が住み着いている地下の様子や、旧日本軍の「宝」の戦車等、いかにも大友作品らしいディテールの細かさが面白い。 それに、僅か40分の中で、キャラクター達に実に存在感があるように描かれていて、皆個性的である。 特に、脚立と電動ウインチで重いマンホールの蓋を持ち上げたり、グラインダーと鉄パイプでネズミの大群を追い払ったりする桃代ちゃんが凄い。 ホームレス達の中に、三億円事件のあのモンタージュ写真を顔に付けて大量のお札を持っている奴がいたのも可笑しい。
 ところで、あの「カジラ」の足跡(と思われていたもの)の主は、結局何だったんだろう?  あのネズミのにしては、足跡の大きさが大き過ぎるような気がするし…うーむ。

安達が原
 2008/10/05アニマックスで放映されたものを視聴。
 アニマックスの番組解説によると、『手塚治虫による、能楽で有名な「黒塚」をモチーフに、未来風アレンジを加えた短編劇場版アニメ作品』で、『アニマックス開局10周年記念番組「黒塚-KUROZUKA-」の放送開始を記念して』放映されたものらしい。 原作は、『手塚治虫が‘71年に「少年ジャンプ」に発表した短編SFミステリー』という事である。
 人を喰らう「魔女」が住むという星に、地球政府の大統領の命令で「魔女」を殺す為にやって来た青年パトロール隊員は、洞窟に住む老婆に出会う。 荒涼としたその星に一人住んでいた老婆は、青年を温かく迎えるが、青年は、この老婆こそが「魔女」であると確信するのだが、実はその老婆の正体は…という話。
 鬼婆伝説と、SFものでは定番の「ウラシマ効果」や「冷凍睡眠」を組み合わせて、短いながらも見事な悲劇に仕立てている辺りは、さすが手塚治虫である。 まあ、短編な上にありがちなネタなだけに、途中で展開は読めてしまうのだが、それでも思わず引き込まれるような演出が面白い。
 後、多分に抽象的な表現が取り混ぜられているとはいえ、男女が愛し合う場面がしっかり描写されているのが少し驚きである。 劇場版の作品だというが、いったいどういう公開のされ方だったんだろう?

FREEDOM SEVEN
 2008/10/25深夜(正確には2008/10/26未明)アニマックスで放映されたものを視聴。
 第1話〜第3話の「EDEN編」、第4話〜第6話の「地球編」に続く、第7話にして完結編である。
 アオと共に月へ向かったタケルは、到着早々に逮捕・拘禁されてしまい、そこでカズマがEDENの管理体制側の人間になってしまっている事を聞かされる。 何とか脱走した二人だが、アオは追跡してきたカズマに再び捕まってしまう。 かろうじて逃走したタケルは、かつてのチューブレースのライバルで、今はレジスタンスのリーダーになっていたタイラと合流、アランと共に、かつて火星移民船として作られたまま放置されていた宇宙船「FREEDOM」6隻を奪取、地球へ向かう計画を立てる。 一方、EDENの統治者達の前に連れてこられたアオは、自分達が月へ来た理由を話すが、EDENの維持を最優先する統治者達は聞き入れようとしない。 やがて、タケル達の「FREEDOM」奪取計画が実行に移され、先行する5隻が地球へ向けて発進に成功。 タイラ達と別れたタケルは、決着をつけるために一人カズマの所へ向かうのであった…。
 というような感じで、なんだかんだありつつも最後は結構気持ちのいいハッピーエンドで大団円なラストだった。 EDENの統治者達が、地球が既に回復して人が住めるようになっているという事をEDENの一般市民に隠し続けていたのは、EDENの技術を持って地球に戻れば、またかつてのように地球を破壊する愚を人類が犯す事を恐れての事だった訳で、それをタケルやアオをはじめとする若者達が打ち破る、という構図は、どこか「AKIRA」に通じる所があるような、ないような。 その統治者達が、あくまで善意でもって隠していた事や、体制に反抗していたアランが天寿を全うした時には揃って敬意を示した事など、ありきたりな小者のような人間として描いたりしていない点は好印象だった。
 管理する側に就いたカズマが、実は内部からレジスタンスに協力していた、というのはまあ予想通り。 でも、物語の盛り上げ方は実に上手くて、アオが統治者達に向かって必死に語りかける場面や、アランがタケルに未来を託す言葉を遺して逝く場面などは、不覚にも胸が熱くなってしまった。 最後、タケルがEDENを脱出せず、残って地球と月とを繋ぐ役を担う決意をするというのも、単にそのまま脱出してアオと一緒に地球に帰る、というより格好いいかも。
 3DCGの使い方も、第1話から比べるとかなりこなれている感じで、キャラの動きにも、まだ時々不自然に感じる場面もあるものの、殆ど違和感を感じないレベルに達していると思う。 タケル達が駆るビークルや、ボール型の治安メカ等、大友克洋氏のメカ達がスピーディに動き回る様も、多分手描きではここまで出来ないだろうと思われ、CGのメリットが存分に生かされている感じがする。 特に、大量の治安メカが、狭い通路に山のように溢れ返ってワッシャワッシャと蠢いている辺りは実に面白い。
 残念な点を挙げるとすれば、やはりストーリーがややダイジェストっぽい感じがする所か。 以前にも書いたが、特に「地球編」の後半(第6話)とかはその感が強いし、この第7話にしても、カズマがEDEN全体に中継したアオの話を聞いたEDEN市民達の反応とかも見たい気がするし、もう少し尺があったら良かったのに、と思う。 全体で1クール分くらいあればちょうどいい感じだったかもしれない。
 それにしても、「カァズマァァー!」「タケルー!」と互いの名前を叫びあって殴り合うというクライマックスは、殆ど「AKIRA」の「くわねだぁー!」「てぇつおぉぉー!」というあのシーンそのまんまな感じで、なんかセルフ・パロディみたいで笑える。
 後、元々カップヌードルのCMからスタートしているからしょうがないとはいえ、作中にカップヌードルが出過ぎだろうという気はする。 まあ、タケル達が監禁された監房で出された食事もカップヌードルという徹底振りなので、それがかえって可笑しくていいかもしれない。
 ちなみに、前の「
地球編」で「その内、Blu-ray Discで発売されるのだろうか」とか書いていたが、やはりBD-BOXという形で発売されるようだ

装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ 劇場版
 2009/01/27鑑賞。なんばパークスシネマにて。
 2007年10月〜2008年8月にかけて、全6巻・全12話がリリースされたOVA作品「装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ」を編集した劇場版作品である。 一部に新作カットも追加されている…のかな?
 実は、OVA版(しかもATのフィギュアが付いた限定版)を全巻購入済みなのだが、何かと忙しくて観るのを後回しにしている内にこんな時期になってしまい、先に劇場版を観る事になってしまった。
 物語の時系列的には、やはりOVA作品の「野望のルーツ」の少し後から、TVシリーズが始まるまでの間といった所か。 ヨラン・ペールゼンが、自らが組織した「レッド・ショルダー」部隊の基地で発生した暴動(「野望のルーツ」で描かれたもの)をはじめとする、「レッド・ショルダー」に纏わる様々な軍規違反の罪で軍事裁判にかけられていたのを、情報省のウォッカムという男に身柄を引き取られる。 ウォッカムは、ペールゼンが隠匿しようとしていたファイルから、「異能生存体」の存在を知り、キリコを含め5名の「異能生存体」を集めて部隊を作り、彼らを様々な戦場に投入していく。 ウォッカムが用意した過酷な戦場を、次々と乗り越えて生き延びるキリコ達。 そして、最後の戦場となる惑星モナドで、キリコ達とウォッカムは、ファイルの真の意味に気が付く…みたいな話。
 OVA版の本編を20分/話として単純計算すると約4時間になるが、それを2時間弱に再編集している為、内容的にはかなりはしょっている筈だが、戦闘場面を中心に纏めているせいか、多少のダイジェスト感はあるものの、さほど違和感無く観る事ができた。
 今作で、「ボトムズ」では初めてメカの描写に3DCGが使用されている。 正直言って、質感や重量感等は今一つで、何か模型が動いているような感じがするのだが、ATの大部隊が群れ戦う戦闘シーンは、なかなか迫力がある。 こういう、たくさんの物が画面上で動きまくるような映像は、確かにCGならではという感じがするが、逆に少数の場合には、過去の手描きのOVA作品の方が「いい画」になっていたようにも思える。 今回の作品では、高橋監督は「物量」を描きたい、みたいな事を言っていたので、その点では成功しているのかもしれないが。
 しかし、多種多様な戦闘シーンは、様々なアイデアに溢れていてそれを見るだけでも楽しめる。 最初の渡河(上陸)作戦に始まって、パラシュート降下からの拠点攻略、墜落した輸送機からの脱出、雪原戦、そしてラストの、TVシリーズでのクエントでの戦いを思わせるような惑星モナドでの戦いと、よくもまあこれだけ思いつくものだと感心する。 でも、最初の渡河作戦は、あの杭で味方のATがかなり損害を被っていたりして結構無茶苦茶である。 味方の損失など一顧だにしないという、まさに「底辺」の戦い=「ボトムズ」乗りの戦いとはこういうものだったのか、と今更ながら思い知らされる。
 ストーリーとしては、「野望のルーツ」を観た時にも思った事だが、やはりキリコが自分が「異能生存体」である事を知っている、というのは、TVシリーズでの描写と矛盾があるような気がする。 この(TVシリーズが始まる前の)時点でキリコがそれを知っているとすれば、TVシリーズで自分がPS(パーフェクト・ソルジャー)であると言われた時に、あんなに動揺しないのではなかろうか。 一方で、「野望のルーツ」で意味不明だったカット(ペールゼンが赤ん坊を見つけて宇宙空間に投棄する所と、少年のキリコが炎に包まれている所)について、その意味が判るような内容があったのには少し驚いた。 もしかして、「野望のルーツ」で(尺の都合とかで)描ききれなかった所を補完する意味でもこの作品を作ったのだろうか、と思わせる。 そう考えると、洗脳されていてキリコに対して衝動的に殺意を抱くというザキは、PSのプロトタイプだったのかもしれない。 フィアナが「プロトワン」と呼ばれていたので、言わば「プロトゼロ」とでも言うべきか。 そうそう、フィアナと言えば、ラスト・シーンの巨大フィアナは怖かった。 いくら劇場版のキャッチコピーが「すべては、振り出しに戻る」だとはいえ…。
 後、BGMはちょっとうるさ過ぎたかな、という気がする。 特に、序盤でのペールゼンの裁判の場面では、BGMは余計だったのではなかろうか。 挿入歌はまあまあ良かったけど。
 さて、そろそろちゃんと時間を作ってOVA版を観る事を考えないと…。

ザ・ムーン
 2009/02/14鑑賞。TOHOシネマズ梅田にて。
 これはアニメでも、特撮でもない。そもそもフィクションですらない。
 これは、当時の記録映像と、宇宙飛行士達のインタビューで構成された、アポロ計画のドキュメンタリーである。
 原題は“IN THE SHADOW OF THE MOON”。 これは、本編である宇宙飛行士(マイク・コリンズだったように思うが自信は無い)の台詞として出てくる言葉「我々は月の影の中にいたんだ」に由来していると思われる。 アポロ宇宙船が月に接近した時の様子を述べているくだりである。
 映画は、アポロ11号を軸に、あのジョン・F・ケネディ大統領の演説や、アポロ計画に至るまでの様々なNASAの映像と、アポロで月へ行った宇宙飛行士達のインタビュー映像(これは「ありもの」ではなく、今回の映画の為に新しく撮影されたものである)とで構成されている。 記録映像も、何度も見た事があるようなもの(例えば、ニール・アームストロングが月面に降り立つ場面とか)以外に、NASAの保管庫に保存されている一度も公開されていないフィルム(何と液体窒素に入れて極低温保存されているらしい)から選りすぐった「お宝映像」が使われている。
 そういう「お宝映像」は、一度も公開されていないというだけあって非常に綺麗である。 特に、サターンロケットやアポロ宇宙船を組み立てている所の映像などは、「月着陸捏造説」の信奉者が見たら「ハリウッドの特撮に違いない」と言うに違いない、と思うような、凄く鮮明な映像が使われている。
 中でも特に印象に残ったのは、地球周回軌道を離脱して月へ向かう最終段を、切り離された二段目から撮影した映像だった。
 ロケットを噴射してだんだん小さくなっていく最終段。 それを見送る形になる二段目の内側に搭載されたカメラは、ゆっくりと回転する円筒形の二段目の内側を映し続ける。 やがて、最終段が見えなくなって、暗黒の宇宙空間が映るだけになった――と思いきや、白く輝く地球が、ゆっくりとカメラの視界に入ってくるのである。 その驚きと美しさは、筆舌に尽くしがたい。
 とまあ実に美しい映像や面白い映像(アポロ11号が月面着陸に成功した時にバンザイをする日本人の映像もあったりする)がいっぱいで楽しめたのだが、正直言って、これだけでは全然足りない。
 今回の映画の為に集めた「お宝映像」は、優に4時間分はあるらしい。 なので、100分間しかない今回の映画では、その半分か3分の1も使われていないと思われる。 パンフレットを読むと、例えば上記の二段目から撮影された映像をどうやって回収したのか、といった所などはDVDに収録されるらしい。 他にも、本編で観た覚えのないカットがパンフレットには載っていたりするので、おそらく「完全版」とか「ディレクターズ・カット版」とか銘打った形で、今回の上映版には入らなかった映像がDVDには収録されるものと思われる。 商売が上手い。
 後、JAXAの関連サイトを幾つか。 アポロ計画の映画なんだからNASAのサイトを挙げるべきなんだろうけど、英語はよく判らないし(<マテ)。
 ちなみに、観に行った14日は「東宝シネマズディ」と言って、毎月1日の「映画の日」と同様に千円で観れる日だった。 というか、割安で観れるのがもうこの日しか無かったのであるが。 最近、通常価格(1,800円)で映画を観た事が無いような気が…。
 最後に、一言。平井堅イラネ。つーか歌長いよ。

FLAG Director's Edition 一千万のクフラの記録
 2009/02/22NHKハイビジョンで放映されたものを視聴。
 2007/08/08に、Blu-ray版・DVD版が発売された作品。 元は、2006年6月〜2007年3月にかけて、バンダイチャンネルでネット配信されていた全13話の作品である。 テレビ放映無しのネット配信のみ(後にDVD等で発売)という、当時としてはまだ珍しかった形式で世に出た、「戦場リアルアニメーション」。
 実は、当時配信されていたメールマガジンなんかにも登録してチェックはしていたのだが、何故か結局ネット配信では観なかった。 「装甲騎兵ボトムズ」の高橋良輔氏が総監督という事もあって楽しみにしていた筈なのだが、何故観なかったのかはよく覚えていない。 単に忙しかったのかもしれない。 ちなみに、現在は第1話のみが、プロモーション映像等と合わせて、
バンダイチャンネルで無料公開されているのみである。 第2話以降は有料で観れる…のかな?
 とある女性カメラマンが写した、一枚の写真「FLAG」。 その写真に写された旗=「FLAG」は、内乱に揺れるアジアの一小国(一応架空の国という事になってはいるが、どう見てもチベットである)の和平の象徴となった。 しかし、和平の調印式を目前に控えて、その妨害を企む過激派によって「FLAG」が奪われてしまう。 国連軍は少数精鋭の特殊部隊「SDC」を編成し、「FLAG」の奪回作戦を行なう。 その作戦の全貌を記録する為の従軍記者としてスカウトされたのは、「FLAG」を写した女性カメラマンその人であった。
 という訳で、物語はその従軍記者となった女性カメラマン・白州冴子と、彼女のカメラマンとしての先輩であり、白州とは別に内戦の模様を取材するフリージャーナリスト・赤城圭一、この二人の視点で描かれる。
 この作品の特異な所は、映像の殆どがこの二人の文字通りの「視点」=「一人称」で描かれている所である。 その多くは、彼女らが持つカメラ(ビデオだったりスチルだったり)のファインダーを通した映像で、そこに彼女らの撮影したスチル写真が要所に挟み込まれる。 それはあたかも、出ア統氏の「止め絵」演出であるかのようなやり方である。
 その他のカットも、ヘリや「HAVWC」(ハーヴィック)と呼ばれる機動兵器等の機載・車載カメラの映像、テレビ映像、ウェブカメラの映像、モニター画面等々で構成されていて、基本的に「三人称視点」というものが存在しない。 常に、作中の「誰か」もしくは「何か」が見ている・映しているものだけで構成されている(「誰か」と言ってもあくまでカメラを通しての映像だから、全て「何か」と言ってしまってもいいかもしれない)というのは、なかなか面白い。
 通常の作品(アニメーションに限らず)であれば、主人公の知らない所で敵が何か企んでいるとか、他のキャラが何を考えているのかがモノローグや台詞で語られたりとかする訳であるが、この作品ではそれは一切無い。 視聴者は、殆ど常に白州か赤城の見ているものや聞いているものしか見聞きする事が出来ない。 他のキャラが何を考えているのかとか、白州や赤城の知らない所で何をしているのかとかは、視聴者も全く知る事が出来ない。 それはつまり、白州や赤城を「相対的に」見る事が出来ないという事である。 他のキャラから見て白州や赤城がどうなのか、彼女らの言動にどんな価値や意味があるのかは、白州や赤城の得たものから、まさに「主観的」にしか判断出来ないのである。
 これは結局、現実でも我々が「戦場」を知るには、従軍記者の撮影した写真や映像、それにニュース等を通してしか出来ないというのと同じ事なのかもしれない。 その意味で、この作品はフィクションでありながら、正に「リアル」な「ドキュメンタリー」とも言える…かもしれない。
 この「一人称視点」は、戦闘シーンにおいてもその緊迫感をいや増すのに役立っているように思う。 モニターを通して見る映像は、隠れている敵や自機を狙って放たれたミサイルなどをやはり「主観的」に映し出す。 他の作品では一部でしかないそういう映像がずっと続く、その恐怖感はなかなか新鮮だった。
 ただ、正直言って、主人公の白州冴子役の田中麗奈さんはちょっと…と思ってしまう。 映画出演はそれなりの経験があるようなのに、何故こんなに演技が下手なんだろう。 「泣き」のような、特に感情を込めなければならない所が全然ダメなような気がする。
 ところで、本作品(総集編じゃない方)は今年(2009年)の1月からTOKYO MXテレビで放映されているらしい。 思いっきり結末のネタバレになってしまうのに、こんな時期に放映していいのだろうか。 地上波と衛星放送との違いがあるからいいのかな。うーむ。

金色のコルダ 〜secondo passo〜
 2009/03/26深夜(正確には2009/03/27未明)キッズステーションにて「第1楽章」を視聴。
 2006年10月〜2007年4月にかけて放映された「primo passo」の続編となるスペシャルアニメ。 全2話で、「第2楽章」は
公式サイトによると6月に放映されるらしい。
 メインスタッフもキャストも同じで、物語も「primo」のコンクール終了からしばらく後から始まるという事で、そのまんまの続編である。 コンクールが終わってからも音楽への想いを捨てずに、自分なりにヴァイオリンの練習に励む日野香穂子だったが、イケメンの転校生にいきなり言い寄られたり、コンクール出場者で参加する市(具体的な名前は出てこないが、どう見ても横浜市である)のフェスティバルから理事長命令で一人だけ外されたり、更に初対面の奴に練習している所を「時間の無駄」などと切り捨てられたりと、「本当にこれ全2話で終わるのか?」というぐらい、日野ちゃんの周りは相変わらず事件が多い、という話(どんな話だ)。
 恋愛ゲーム原作という事でただでさえキャラが多いのに、この上、この尺の長さで新キャラを三人も増やして大丈夫なのか?という気もするのだが、そこはまあ、作品の性格上、イケメンのキャラが動いて喋ってさえいれば、ストーリーは二の次でいいのかもしれない。 個人的には、日野ちゃんや冬海ちゃんが動いて喋ってさえいればいいのだが(<マテ)。
 しかし、フェスティバルの別のイベントを紹介してもらったのに「ステージに立つのが怖い」と思考が思いっきり後向きになってしまった日野ちゃんが、果たして後半で盛り返せるのか。 理事長にあそこまで言われて、「絶対演奏が上手くなって見返してやる」みたいな方向に行かないのは、らしいといえばらしいが、前半がこんなに沈んだままで引いてしまっては、後半で浮き上がるのが無理矢理な展開にならないかどうかが心配である。 更に、転校生のイケメンは過去にヴァイオリンをやっていたとか、日野ちゃんに絡んだ奴と因縁がありそうだとか、片付けなければならない要素が盛りだくさんなのだが、果たして。
 話の作り自体はパターン通りだけど結構丁寧だし、演奏シーンも短いながらも音楽に合わせた動きを付けたりして頑張っている(「のだめ」と違って全部手描きっぽい)し、基本的に好きな作品なので、6月の後半に期待したい所。
 それはともかく、あの短いスカートの制服で絶叫マシンに乗るのは止めた方がいいと思う。
 2009/06/05キッズステーションにて「第2楽章」を視聴。
 イケメン転校生こと加地は、かつて、とあるコンクールで自分より遥かに演奏が上手い少年(実は月森)を見て自信を無くし、ヴァイオリンを捨ててこっそりヴィオラに転向した、という過去を抱えていた。 しかし、そういう経緯だからヴィオラにも打ち込めずにいたところに、たとえ技術は拙くても、ただヴァイオリンが、音楽が好きだから弾いているという日野ちゃんの演奏に心を打たれ、音楽への情熱を取り戻し、ヴィオラ奏者としてコンクール出場者達と共にフェスティバルのアンサンブルに参加する。 そして、それを見た日野ちゃんも、心を込めて演奏すればいいと自らのステージへと臨むのであった…。
 という、「えー、ここで終わりなん?」というような、日野ちゃんの「私の戦いはこれからだ!」エンドでかなりガックリした。
公式サイトのDVD情報によると、DVD版では未放送シーンが10分ぐらい追加されるらしいので、日野ちゃんのステージはそちらで観て下さい、という事なんだろうか。
 他にも、新キャラの理事長は結局ただの意地悪な人で終わってしまったし、同じく新キャラの口の悪い方のイケメンは加地とどんな因縁があったのか明かされず終いで、やっぱりただの意地悪野郎で終わってしまったしで、今一つ存在意義が薄かったような。 こちらも、DVD版で何か追加されるのか、それとも「続きはゲームで」なのか、イマイチ謎である。
 また、加地に日野ちゃんの話をして音楽への情熱を取り戻させる、という所も、土浦と月森との両方にさせる必要性があったのかも少々疑問である。 しかも、話の内容だけでなく、その場面の状況まで殆ど同じだったりするし。 どちらか一方だけで充分だったのでは、という気がする。
 まあ、そうでもしないと、今回の筋立てでは新キャラ以外が全く目立たなくなってしまうからなのかもしれないが。 実際、柚木先輩に至っては、マトモな台詞一つ無かったような気がする。 いくら海外留学の準備が忙しいからといって、この扱いは可哀想だ。
 後、アンサンブルの場面が止め絵だったりと、絵的にも少しもの足りない出来だったように思う。 これは、DVD版を買えという事なんだろうか。
 それにしても、加地が自信を無くしてヴァイオリンを捨てるきっかけを作ったのが、実は月森だったというのは何とも…どんだけ人を落ち込ませれば気が済むのだ、この男は(まあ、月森自身は全く与り知らぬ所で加地が勝手に自信を無くしただけなのだが)。

スター・トレック
 2009/06/02鑑賞。なんばパークスシネマにて。
 これは、人類最初の試みとして、5年間の調査飛行に飛び立つ前の宇宙船USSエンタープライズ号の、驚異に満ちた最初の物語である──。
 という訳で、現在NHK衛星第2でもデジタルリマスター版が放映されている最初のTVシリーズ「STAR TREK」(邦題:宇宙大作戦)より以前、カークやスポックやマッコイ達がどのように知り合い、どうやってエンタープライズ号に乗り込み、互いに強い信頼で結ばれるようになっていったかを描いた、古くて新しい「STAR TREK」である。
 と、いうような前知識で観に行ったのだが、すっかり騙された。
 いや、冒頭からちょっと変だな、という感じはしていたのだが、その違和感はどんどん大きくなり、中盤に起きる大イベントで「おいおい、こんな取り返しの付かない事してどーすんねん」と思ってしまう。 従来のシリーズと、全く整合性が取れなくなってしまったのである。
 やがて「種明かし」がされると、あーそーゆー事なのね、と腑に落ちる。 パンフレットに、監督のJ.J.アダムスのコメントとして「自分たちの映画を作ろう!」と考える事にした、という件があるのだけど、それはこーゆー事なんだ、と。 確かに、従来からのファン(トレッキー)と新しい観客との両方を楽しませようとするには、これもアリだな、と思える。
 最新のVFX映像と、刷新されたキャスティング(
「いいからスポックだけでも見ておけ」と評価されているが、他のキャスティングも結構良い。チェホフだけはちょっとイメージが違うけど。スポックも、ちょっとウフーラと仲良くし過ぎのような気もするけど)の妙とで、新しい「スター・トレック」としてしっかり楽しませて貰った。
 新しいけど、カークが「コバヤシマル」のシミュレーション・テストをクリアした時のエピソードのような、既存のシリーズ内で触れられているエピソードも盛り込んでいる所も楽しい。 でも、この「コバヤシマル」のエピソードは、劇場版の2作目「カーンの逆襲」で出てくるだけの筈なのに、ここまで人気のあるものになったのは、やはりその「カーンの逆襲」がそれだけ人気があるという事なのかもしれない。
 本作品でただ一つ気に入らないのは、エンタープライズ号の機関室である。 あんなタンクとパイプがのたくっているごちゃごちゃした、化学工場のプラントみたいな所なんか機関室じゃないやい、と思っていたら、実際、ビール工場を使って撮影されたそうである。 スタッフは、あれがエンタープライズ号の機関室にピッタリだと思ったそうだが、とてもそうは思えなかった。
 さて、本作品は既に2作目の制作が決まったそうで、どうやらシリーズ化されるらしい。 「スター・トレック」には、「TOS」、「TNG」、「DS9」等々、それぞれのシリーズを呼ぶ名称が付いている。 今度は、どんなシリーズ名で呼ばれる事になるのだろうか。

ターミネーター4
 2009/06/26鑑賞。なんばパークスシネマにて。
 ご存じ「ターミネーター」シリーズの劇場版第4作。 原題は「TERMINATOR SALVATION」。「SALVATION」=「救済」という言葉が何を指しているのかは、映画を観ても今一つ謎。 ちなみに、本作より前の話が「ターミネーター サラ・コナー・クロニクルズ」というシリーズ名でテレビドラマ化され、日本でもCS系の局で放映されたりDVDが発売されたりしているようだが、そちらは未見。
 人類と「スカイネット」との戦いにおいて、生き残った人類を糾合し、機械達との戦い方を教え、遂に戦いを人類の勝利に導いた救世主・ジョン・コナー。 彼が生まれる前の戦いを描いた第1作、彼の少年時代の戦いを描き明るい未来を予感させた第2作、彼の青年時代の戦いと「審判の日」が訪れるまでを描いた第3作ときて、本作では、遂に「審判の日」の後、戦士となったジョン・コナーの戦いが描かれる。
 主人公のジョン・コナーや、第3作で彼の妻になるとされたケイト、ジョンの父親になるカイルといった、今までの作品で登場した人間達に加え、「初代」ターミネーター・T-800もしっかり登場する。 しかも、ちゃんとアーノルド・シュワルツェネッガーの姿で、実に「おいしい」ところに登場するので、「そーきたかー!」と思わず唸ってしまった。
 でも、まさかシュワちゃん本人が演じている訳ではないだろうから、あの姿はCGか特殊メイクか何かで作り出されたものなんだろうなあ。 こういう場合でも、やはりシュワちゃんに出演料は出るのだろうか?
 そして、何といっても様々な敵メカが登場するのが楽しい。 T-800の前身となるT-600やT-700、バイク型のモト・ターミネーター、水蛇のように水中を泳いで人間に襲いかかる水中型、人間を捕獲する巨大ターミネーター等々。 今までの作品が、未来から来たターミネーターと戦う、という基本構成がある以上、登場する敵メカはそのタイムトラベルしてくるものに殆ど限られていたが、「審判の日」の後が舞台の本作ではそんな制限は取っ払われたので、これでもかというぐらい様々なメカが登場し、ド迫力のアクションを展開してくれる。
 第2作・第3作に続いて、人間の味方をするターミネーターも登場し、やはり主人公のジョン・コナーに並ぶ活躍を見せるのもいい。 ただ、あのオチは、まるで「My Merry Maybe」の穂乃香ルートのようだった。 「人間だ」と言いつつも、やっぱり人間の被造物として扱っちゃうドライな感じは、やはりアメリカらしいような気がする。
 まあ、シナリオ的には少し粗がある(例えば、カイルを捕らえたスカイネットが、何故彼をさっさと殺さなかったのか、とか。 ジョンをおびき寄せる為だとしても、カイルの監禁場所を偽のデータで騙したぐらいだから、殺しておいてやはり偽のデータで騙せばいいだけの話に思える)ような気もするが、ハリウッドのアクション映画にシナリオの緻密さを求めるのも筋違いのように思える(<おい)ので、まあ良しとしよう。
 で、ラストは「俺達の戦いはまだ続くぜ!」エンドになっていて、いくらでも続きが作れそうな感じになっている。 実際、パンフレットにも、続編の構想がある事は書かれているし。 上記の「スター・トレック」もそうだったが、こういう作りにしておくのが最近のハリウッド映画の定石になっているのだろうか。 まあ、日本のアニメも最近はそんなのが増えてるような気もするけど。

宮本武蔵─双剣に馳せる夢─
 2009/06/30鑑賞。テアトル梅田にて。
 実は、6月13日に既に公開が始まっていたのだが、全然知らなかった。 某巨大掲示板で、たまたま見た別作品(Production I.G.の作品)のスレで公開されているのを知った次第である。 何せ、観に行ったその夜に放映されたCM(ちなみに、テレビ大阪の「ティアーズ・トゥ・ティアラ」内で流されたもの)ですら、「2009年初夏公開」だの、「特別前売鑑賞券発売中」だのと書かれている、公開前のバージョンが未だに使われているぐらいである。 CMを公開中バージョンに変える金も無いぐらいの低予算でやっているのだろうか。
 それはともかく。
 これは、押井守氏原案・脚本による、「武蔵をめぐる虚構を排し、その背後に存在するであろう真実の姿を描き出すこと」(パンフレットより)を目的としたドキュメンタリー映画…のようなものである。 全体的な雰囲気としては、かの「立喰師列伝」に近い。 「ミニパト」のようなチープな雰囲気の3DCG、実写、それにProduction I.G.のハイクオリティな2Dアニメーションが混在し、そこに押井氏の蘊蓄と、「ねぎぼうずのあさたろう」でお馴染みの、国本武春氏による浪曲調のナレーションが滔々と流れるという作品である。
 ただ、「立喰師列伝」が100%虚構なのが明らかだったのに対し、こちらは、どこまでが史実でどこからが虚構なのか、よく判らない。 押井氏は「本作は98パーセント真実だと思う」(パンフレットより)等と言っているが、あのいつもの胡散臭い「押井節」では説得力の欠片も無いというものである。
 実際、「立喰師列伝」と比べると、虚構かどうかよく判らない分、本作はちょっと退屈だったかな、という気がする。 「立喰師列伝」では眠くならなかった私も、上映が21時過ぎから始まるレイトショーだった(既に、1日の内その1回しか上映されていなかったのである)という事、日中が暑くて上映時に既に疲れていた事もあってか、途中でうとうとしてしまった(他の観客も、結構寝ているように見える人が多かった)。 しかし、ちょうどうとうとしかかったところで、バーンと大音量のBGMで叩き起こされたので、もしかして観客がその辺りで寝てしまう事も計算に入っていたのだろうか。
 とにかく、「押井節」を楽しむ映画としても、そうではない普通の娯楽映画としても、今一つ中途半端な感じであった。 上映時間が70分強と、一般的な映画に比べてやや短めな為、一般料金が1,500円と割安に設定されているが、正直言ってそれでも高過ぎるだろう、という気がする。 私は、テアトル梅田の「火曜日は男性一律1,000円」のサービス料金で観に行ったのだが、それでも適正料金と言えるものだったかどうか疑問である。
 ただまあ、今時こういう作品を作れる(というか、作る事を許してもらえる)のは押井氏ぐらいだろうなあ、と思ったのも確かである。 その意味では、監督こそ押井氏ではないものの、これは紛れもなく「押井作品」である。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
 2009/07/15鑑賞。梅田ブルク7にて。
 公開から3ヶ月半も経ってからようやく観に行った
「序」とは異なり、今回は割と早く観に行く事が出来た。 「序」から2年弱経過しているが、レイトショーにも関わらず(むしろレイトショーだから?)400席以上あるハコがほぼ満席状態で、人気は相変わらずのようだ。
 今回のストーリーは、TVシリーズでいうと第7話〜第19話に相当する部分となっている。 「序」が6話分だった事を考えると、倍以上の分量をほぼ同じ時間に詰め込んでいる事になるが、ストーリーがTVシリーズそのままではない事もあってか、詰め込み感やダイジェスト感等は殆ど感じなかった。 もっとも、エピソードの順番が入れ替えられていたり、省略されたエピソードも結構あったりするので、基本的なストーリーラインは同じとはいえ、TVシリーズとは別の物語として見た方がいいのかもしれない。
 それに、新キャラの登場と、やはり「序」と同様に完全に新作となった映像とで、「序」より更にTVシリーズとはまた別物になった感じが強い。 特に、映像の面では、大胆な構図やエヴァの大きさを強調するレイアウト、CGでリニューアルされた、TVシリーズより更にイッちゃってる感じになったデザインの使徒達等々、劇場の大画面で観るに相応しい、実に面白いものに仕上がっている。
 ストーリーも、「序」で番号がずれていて登場しなかった第3使徒がロシア(?)にいて、暴走したそれをエヴァ仮設5号機で倒すという場面から始まり(これって、要するにTVシリーズ第7話のJA暴走事件の代わりという事なんだろうか)、マリがシンジの前に現れてまたエヴァに乗るという、新キャラ・マリに関するエピソードも新たに追加されている。
 映像やストーリーだけでなく、キャラの性格も少し変わってきた。 特に、綾波レイは、TVシリーズに比べると随分と能動的になったような感じである。 一方、アスカは少し大人しい感じになってしまったというか、性格の一部(それに役どころも)がマリに分割されたような印象がある。
 そのマリだが、今回だけだと、何の為に新しく設定されたのかが今一つよく判らなかった。 彼女の真髄は、次作以降で発揮されるのかもしれない。
 で、今回もまたエンディングの後に本編の残りと次回予告があって、その本編の部分で、満を持して渚カヲルがエヴァ6号機と共に降臨する訳だが、その時の台詞や、「序」での台詞も合わせて考えると、今回の「新劇場版」というのは、TVシリーズの単なるリメイクというだけでなく、もしかしたら作品世界としての繋がりもあるのかもしれない、という気がする(新劇場版の世界が、実はTVシリーズの後、一度人類が滅んで、また進化した人類が同じ事を繰り返している世界だったりとか)。
 ちなみに、今回もまたエンディングが始まると席を立って出て行ってしまう人が、僅かながらいた。 彼等は、「序」を見ていないのだろうか。 「序」を見ずに、いきなり本作品を見に来る、というのもイマイチ考え難いが。 それとも、本作品の公開前にTV放映された、エンディングがカットされた「序」を見て来た人達だったのかもしれない。
 さて、「序」「破」ときて次は「急」(と、同時上映の4本目)である。 次回予告によれば、タイトルは「急」ではなく「Q」と書くらしいのだが…どういう意味なんだろう? 質問?

サマーウォーズ
 2009/08/05鑑賞。梅田ブルク7にて。
 2006年夏の「
時をかける少女」の細田守監督による、オリジナル・ストーリーの作品である。 「時をかける少女」が、単館系の上映にも関わらず(あるいはだからこそ?)人気が出たのを反省したのか、本作品はワーナーマイカル系のようなメジャーなシネコンで大々的にロードショー上映されている。 ただ、個人的には、男性千円均一のサービスデーがある、「時をかける少女」と同じテアトル梅田でも上映してほしかった。 本作品の上映館には、(少なくとも私が行ける範囲には)男性の割引は毎月1日の「映画の日」か、夜8時以降に上映が開始されるレイトショーしか無い所ばかりになってしまったので、「時をかける少女」のように、映画を見終わって外に出たら暑く眩しい夏の日差しを浴びる、という経験がやり難くなってしまった。 まあ、割引の無い一般料金を払って昼間に観に行けば良いのだろうが、割引料金で観る事に慣れてしまうと、なかなか一般料金で観る気にはなれなくなる。 しかも、今は学生達が夏休みなので、昼間は平日でも混んでいるし。
 そんな訳で、レイトショーを観に行った本作品であるが、今回もやはり、タイトル通り夏の映画であった。 言ってみれば「ひと夏の冒険物語」であり、そこに描かれるのは、昔ながらの、一人の少年の成長と恋の物語である。
 とはいえ、コンピュータ・ネットワークの世界と物理的な世界とが深く結びついていたりして、それが物語の中心を占めている辺りはしっかり現代風。 一方で、登場人物が少数に絞り込まれていた「時をかける少女」から一転して、田舎の旧家の大家族が登場したりする辺りは、どこかレトロな雰囲気もあったりして、それらが上手く融合して独特な作品世界を作り出している。
 その「旧家の大家族が登場」という辺りでも、30名近く登場して「この人いてもいなくてもいいじゃん」みたいに思う人が一人もいないというのがまた凄い。 もちろん、焦点が当たる人はその一部なのだが、どの人もしっかり存在感があって、「いたかどうか判らない」という人がいない。 この辺りも実に上手い。
 コンピュータ・ネットワークの世界での混乱が、現実世界にまで影響を及ぼすという辺りは、ともすれば荒唐無稽なだけになりがちだが、その辺りも上手くリアリティがあるように設定が構築されていて、さほど無理を感じない…というか、実際にあり得るかもしれないと思わせる。
 まあ、健二が暗号を解く件はかなり無理矢理な気がしないでもないが、そこは、健二が主人公たる所以であるから、ケチをつけるのは無粋というものだろう。 むしろ、満月の月明かりの中で紙と鉛筆で計算をしているというビジュアルと、「満月の月明かりは文字の読み書きができるぐらい明るい」という、都会の明るい夜に慣れた身では忘れがちな事を思い出させてくれた事を賞賛したい。
 残念なのは、「時をかける少女」と同様に本作品でもまたエンディングで本編のシーンをプレイバックしていた所(「時をかける少女」でも書いたが、個人的にこれは好きではないのである)と、健二が「大家族と一緒に食事したり花札やったりして楽しかった」というのをもっと画で見せてほしかったという所である。 健二が陣内家に来てからの様子は、大家族の中で(いきなり夏希の恋人役を演じなければならない事もあって)戸惑っているような感じばかりで、正直言ってあまり楽しそうな感じには見えなかったので、台詞で「楽しかった」と言われても、今一つ納得できなかったというか。 まあ、健二がそういうのを表に出すのが苦手なんだとか、「ちゃんと表現されている。お前がちゃんと観ていないのが悪い」と言われたりとかすると、そうかもしれないと思ってしまうけど(<それでいいのか)。
 後、内容が、同じ細田守監督の「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム」そのままで、「ぼくらのウォーゲーム」が丸ごと本作品のネタばれになっている、みたいな話があるみたいなのだが、「ぼくらのウォーゲーム」は観ていないので個人的に問題なしである。
 それにしても、健二と夏希は、この後も上手くやっていけるのだろうか。 何となく、所謂「吊橋効果」で一時的に気持ちが高揚しているだけのようにも思えて、先行きが少し心配になる。 まあ、心配してもしょうがない事ではあるのだが。

宇宙へ。
 2009/09/01鑑賞。東宝シネマズ梅田にて。
 タイトルは「そらへ」と読む。 マーキュリー計画からスペースシャトルまで、NASAの有人宇宙計画を概観するドキュメンタリー。 以前、ディスカバリー・チャンネルで観た「
NASA50年 宇宙開発の光と影」というシリーズ番組の総集編みたいだなあ、と思っていたら、スタッフが同じ人だった。道理で。
 以前に観た「ザ・ムーン」と同じ、NASA所蔵のフィルムを発掘してデジタル化・HD化するというプロジェクトの一環で製作されたもの(ついでに、上記のディスカバリー・チャンネルのシリーズも同様らしい)のようではあるが、「ザ・ムーン」とは違い、宇宙飛行士達のインタビュー等の新作映像は無い。
 また、使用されている映像も、今までに見た事があるものばかりで、「ザ・ムーン」の時のような新鮮な感動は無かった。 正直言って、上記のディスカバリー・チャンネルのシリーズを観た方が良いと思う。 日本語のテーマソングのような余計なものも無いし。
 何て言うか、こういうドキュメンタリーには映像そのものに人を感動させる力があるのだから、ナレーションやテーマソングで無理矢理感動を盛り上げる必要なんか無いと思うのだが、何でそれが判らないんだろう…?

ひだまりスケッチ×365 特別編
 前編を2009/10/17深夜(正確には2009/10/18未明)に、後編を2009/10/24深夜(正確には2009/10/25未明)に、それぞれBS-TBSにて放映されたものを視聴。
 前編は入試の日に友達から古くなった自転車をもらってくる話、後編は滑ってちぎれて刺して縫って失くし物を探して意味深な話(<どんな話だ)。 OPの歌詞が2番のものになっているのは、「ひだまりスケッチ」の特別編の時と同様。 映像も少し変更されているが、最後の「さんろくご〜」の所の歌詞が「さんきゅっぱ〜」になっているカットの指が、「9」の所はちゃんと指を9本立てている画に変わっているのに、「8」の所がそのままだったのは惜しい。 両手の親指を折った画に変えれば「8」になったのに。 でも、「女の子」の所が「男の子」になっている所では、ヒロの代わりに校長先生が出てくるのには笑った。
 「久し振りに自転車に乗ろうとしたらコツが思い出せなくて手こずる」ってだけでこれだけ楽しい話になる、というのが相変わらず凄いかも。 一方で、前編・後編共にモブの中に「その他大勢」じゃないキャラクターがいたのが少しいつもと違っていた。 特に、受験生の中に二人ほど(「Boy」や「Girl」という人形ではなく)ちゃんとした姿で描かれていた子がいたが、もしかして、あれが第3期の新キャラだったりするのだろうか。 だとすれば、第3期は遂に進級するのだろうか。
 後、こちらは相変わらずアブない発言やら美術準備室の完全私物化やらと、教師にあるまじき言動が絶えない吉野屋先生は、やっぱりもっと自重すべき。

ひだまりスケッチ×365 EX
 2009/10/25DVD第7巻に収録されているTV未放映話「2月24日 ポラロイドン(+2月25日 忘れてないよ)」を視聴。 オーディオコメンタリーによると、どうやら去年(2008年)の夏に行なわれたイベント(って「超ひだまつり」か「TBSアニメフェスタ」か)で上映されたものらしい。 今更ながらだが、TV未放映話が収録されているのを最近知って、Amazonに初回限定版が残っていた(おまけに値段が定価の2割引き以上安かった)ので、つい買ってしまった。
 …って、これ、発売は3月の下旬なのか。 なのに、限定版が7ヶ月も経った今でも売れ残っているとは、もしかして、「ひだまり」のDVDってあまり売れてないのか…?  それとも、単に通常版の方がよく売れているだけ?(そういう私も、「ひだまり」のDVDを買うのはこれが初めてなのだが)
 それはともかく、今回は、沙英がインスタントカメラを買ってきたので、普段と違うお洒落をしたりしながら写真を撮りまくる話(「新しいカメラを買ったら写真を撮りまくりたくなるのが人情というもの」と某戦うセンパイも言っている。もっとも、沙英が買ったのは中古のようだが)。 一方で、吉野屋先生が、校長先生や桑原先生とカラオケで歌いまくる話。 そして、ヒロが(今更ながら)執念深いという事がよく判る話。 吉野屋先生は、カラオケ屋でコスプレするのはやっぱり自重すべき。
 ちなみに、OPは、上記の「特別編」と同じパターンである。 しかし、次の第13話も、TV放映時には歌詞と同じ「あやふ〜やロケット♪」になっていた所の書き文字が、何故か「なんで〜もポケット♪」になっているのは謎。 もしかして、DVD版のOPは、ここの書き文字が全部歌詞とは違う言葉になっているのか?
 後、オーディオコメンタリーが初回限定版にしか収録されていないというのは、割と珍しいような気がする。 通常版と、外付けの付録だけでなく本編ディスク自体から別に作らないといけない訳だから、コスト高になりそうなものだが。
 そのオーディオコメンタリーは、メインの4人の中の人+ゲスト1人という構成で、「EX」では校長先生役のチョーさんが、そして最終回ではうめ先生がゲストだった。 チョーさんの地声を初めて聴いたが、意外と普通の声だったのが何か妙に可笑しかったかも。
 ところで、本編TV放映終了時に作った、シリーズを時系列順に並べ替えた表を、特別編とEXとを追加して作り直してみた。
タイトル 話数 パート 日付 サブタイトル
ひだまりスケッチ×365 1
2月9日 〜4月5日 はじめまして! うめてんてー
ひだまりスケッチ×365 7
4月7日 入学式と歓迎会
ひだまりスケッチ 11
4月28日 まーるキャベツ
ひだまりスケッチ 4
5月18日 歌うショートケーキ
ひだまりスケッチ×365 3
5月27日 狛モンスター
ひだまりスケッチ×365 特別編 後編
6月6日 赤い糸+6月7日 イミシン
ひだまりスケッチ×365 10
6月8日 まーるニンジン
ひだまりスケッチ 3
6月17日 またはインド人
ひだまりスケッチ×365 12
7月7日 見ちゃダメ+7月8日 四人
ひだまりスケッチ 6
7月14日 ひんやり・まったり
ひだまりスケッチ×365 6 A 7月30日 さえ太
ひだまりスケッチ×365 9 A 8月5日 ナツヤスメナーイ
ひだまりスケッチ 特別篇1
8月11日 そして元の位置に戻す
ひだまりスケッチ 2
8月21日 ニッポンの夏
ひだまりスケッチ 9
9月4日 裏新宿の狼
ひだまりスケッチ×365 11
9月28日 パンツの怪
ひだまりスケッチ 7
10月12日 嵐ノ乾燥剤
ひだまりスケッチ×365 8
10月13日 お山の大将
ひだまりスケッチ 10
11月3日 ゆのさま
ひだまりスケッチ×365 6 B 11月11日 ヒロえもん
ひだまりスケッチ 特別篇2
11月27日 そこに愛はあるのか?
ひだまりスケッチ×365 9 B 12月3日 裏新宿の狼 PART II
ひだまりスケッチ 12 A 12月24日 ChristmasEve
ひだまりスケッチ 12 B 12月25日 サヨナラ…うめ先生
ひだまりスケッチ×365 13
1月10日 おかえり…うめ先生
ひだまりスケッチ 1
1月11日 冬のコラージュ
ひだまりスケッチ×365 2
2月6日 サクラサクラ
ひだまりスケッチ×365 特別編 前編
2月10日 どこでも自転車+2月11日 うさぎとかめ
ひだまりスケッチ 5
2月13日 こころとからだ
ひだまりスケッチ×365 EX
2月24日 ポラロイドン+2月25日 忘れてないよ
ひだまりスケッチ 8
3月13日 3%の希望
ひだまりスケッチ×365 4
3月16日 〜23日 まろやかツナ風味
ひだまりスケッチ×365 5
3月25日 おめちか
 「その内、暇な時にこの順番で通して観て」等と思っていたが、未だに実現できていない内に、今度は第3期が始まってしまいそうだ。どうしよう。

ひだまりスケッチ×☆☆☆ 特別編
 前編を2010/10/23深夜(正確には2010/10/24未明)に、後編を2010/10/30深夜(正確には2010/10/31未明)に、それぞれBS-TBSにて放映されたものを視聴。
 前編は、近くに新装開店したファミレスに行く話と、夏目ちゃんが初めて沙英と出会った頃の話。 後編は、ゆのが帰省する話と、ひだまり荘の庭でバーベキューをする話。
 二本とも、「☆☆☆」の本編では今一つ出番が少なかった夏目ちゃんの救済企画のような気がしないでもない。 特に前編の話は、夏目ちゃんの可愛らしさと不遇さとが大爆発していた。 それにしても何だあの「困っている所を助けてもらった男に一目惚れして久し振りに再会したら男には既に妻がいてしかも新婚だったので大ショック」みたいなシチュエーションは。 入学当初から見せつけられっぱなしだったんだなあ。
 後、今回のバーベキューの話みたいに、食べ物祭の話を観る度に思うのだが、この子たちの生活費ってどのぐらいなんだろう。 たまの事にしても、これだけ豪勢な事が出来るというのは、結構食費に余裕がありそうなんだが。 6人の内、いつも貧乏な宮子は殆ど出資してなさそうだから、他の5人で6人分出しているんだろうし。謎だ。
 そして、いつもながら生徒に性的な発言をする吉野屋先生はもっと自重すべき。
 さて、例によって、各エピソードを作中の日付順にソートしてみた。 この順に通して観るのは、もう殆ど諦めた…。
タイトル 話数 パート 日付 サブタイトル
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 特別編 前編 B 4月7日 〜4月17日 なつめ・・・
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 9 A 11月22日 三年生と一年生
ひだまりスケッチ×365 1
2月9日 〜4月5日 はじめまして! うめてんてー
ひだまりスケッチ×365 7
4月7日 入学式と歓迎会
ひだまりスケッチ 11
4月28日 まーるキャベツ
ひだまりスケッチ 4
5月18日 歌うショートケーキ
ひだまりスケッチ×365 3
5月27日 狛モンスター
ひだまりスケッチ×365 特別編 後編
6月6日 赤い糸+6月7日 イミシン
ひだまりスケッチ×365 10
6月8日 まーるニンジン
ひだまりスケッチ 3
6月17日 またはインド人
ひだまりスケッチ×365 12
7月7日 見ちゃダメ+7月8日 四人
ひだまりスケッチ 6
7月14日 ひんやり・まったり
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 2 B 7月19日 オリーブ
ひだまりスケッチ×365 6 A 7月30日 さえ太
ひだまりスケッチ×365 9 A 8月5日 ナツヤスメナーイ
ひだまりスケッチ 特別篇1
8月11日 そして元の位置に戻す
ひだまりスケッチ 2
8月21日 ニッポンの夏
ひだまりスケッチ 9
9月4日 裏新宿の狼
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 8 B 9月26日 〜27日 やっぱりナスが好き
ひだまりスケッチ×365 11
9月28日 パンツの怪
ひだまりスケッチ 7
10月12日 嵐ノ乾燥剤
ひだまりスケッチ×365 8
10月13日 お山の大将
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 6 A 10月15日 空の高さも木立の影も
ひだまりスケッチ 10
11月3日 ゆのさま
ひだまりスケッチ×365 6 B 11月11日 ヒロえもん
ひだまりスケッチ 特別篇2
11月27日 そこに愛はあるのか?
ひだまりスケッチ×365 9 B 12月3日 裏新宿の狼 PART II
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 3 B 12月10日 カップ小さいですから
ひだまりスケッチ 12 A 12月24日 ChristmasEve
ひだまりスケッチ 12 B 12月25日 サヨナラ…うめ先生
ひだまりスケッチ×365 13
1月10日 おかえり…うめ先生
ひだまりスケッチ 1
1月11日 冬のコラージュ
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 5 B 1月31日 まっすぐな言葉
ひだまりスケッチ×365 2
2月6日 サクラサクラ
ひだまりスケッチ×365 特別編 前編
2月10日 どこでも自転車+2月11日 うさぎとかめ
ひだまりスケッチ 5
2月13日 こころとからだ
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 11 B 2月16日 48.5cm+3月7日 春
ひだまりスケッチ×365 EX
2月24日 ポラロイドン+2月25日 忘れてないよ
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 1 A 2月27日 〜3月4日 真っ赤点+4月1日
ひだまりスケッチ 8
3月13日 3%の希望
ひだまりスケッチ×365 4
3月16日 〜23日 まろやかツナ風味
ひだまりスケッチ×365 5
3月25日 おめちか
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 1 B 4月1日 ・3日 ようこそ ひだまり荘へ
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 2 A 4月6日 〜7日 イエス ノー
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 3 A 4月8日 〜9日 決断
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 4
4月15日 日当たり良好
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 5 A 4月20日 オンナノコのきもち
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 6 B 4月26日 〜27日 恋愛上級者
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 7
5月3日 〜4日 7等分の日
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 8 A 5月13日 〜14日 ゆのクラブ
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 9 B 5月21日 泣く女
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 10
5月28日 〜6月2日 ひだまりパレット
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 11 A 6月5日 マッチ棒の謎
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 特別編 前編 A 6月11日 ファミレスわっしょい!
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 特別編 後編 A 6月23日 〜6月25日 帰っちゃった
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 12
7月12日 みつぼし×リコピン
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 特別編 後編 B 7月30日 バベキュ

ひだまりスケッチ×SP
 前編を2011/10/29深夜(正確には2011/10/30未明)に、後編を2011/11/05深夜(正確には2011/11/06未明)に、それぞれBS-TBSにて放映されたものを視聴。
 前編は、皆で美術館に行く話と、水泳大会に向けて屋内プールに泳ぎの練習に行く話。 後編は、カーテンを洗う話と、大家さんの奢りで焼肉食べ放題に行く話。
 第4期の制作が決まったらしいので、その制作決定記念作品みたいな位置づけなんだろうか。 話としては、まあいつも通りな感じ。 美術館で「二人の世界」を作っている沙英とヒロに、それを感じて「!」となっている夏目ちゃんの絵が可笑しい。 夏目ちゃんは本編に出番が無かったような。
 さて、例によって、今回の各エピソードを作中の日付順にソートして表に追加してみた。 この順に通して観るのは、もうとっくに諦めた…。
タイトル 話数 パート 日付 サブタイトル
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 特別編 前編 B 4月7日 〜4月17日 なつめ・・・
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 9 A 11月22日 三年生と一年生
ひだまりスケッチ×365 1
2月9日 〜4月5日 はじめまして! うめてんてー
ひだまりスケッチ×365 7
4月7日 入学式と歓迎会
ひだまりスケッチ 11
4月28日 まーるキャベツ
ひだまりスケッチ 4
5月18日 歌うショートケーキ
ひだまりスケッチ×365 3
5月27日 狛モンスター
ひだまりスケッチ×365 特別編 後編
6月6日 赤い糸+6月7日 イミシン
ひだまりスケッチ×365 10
6月8日 まーるニンジン
ひだまりスケッチ 3
6月17日 またはインド人
ひだまりスケッチ×365 12
7月7日 見ちゃダメ+7月8日 四人
ひだまりスケッチ 6
7月14日 ひんやり・まったり
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 2 B 7月19日 オリーブ
ひだまりスケッチ×365 6 A 7月30日 さえ太
ひだまりスケッチ×365 9 A 8月5日 ナツヤスメナーイ
ひだまりスケッチ 特別篇1
8月11日 そして元の位置に戻す
ひだまりスケッチ 2
8月21日 ニッポンの夏
ひだまりスケッチ 9
9月4日 裏新宿の狼
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 8 B 9月26日 〜27日 やっぱりナスが好き
ひだまりスケッチ×365 11
9月28日 パンツの怪
ひだまりスケッチ 7
10月12日 嵐ノ乾燥剤
ひだまりスケッチ×365 8
10月13日 お山の大将
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 6 A 10月15日 空の高さも木立の影も
ひだまりスケッチ 10
11月3日 ゆのさま
ひだまりスケッチ×365 6 B 11月11日 ヒロえもん
ひだまりスケッチ 特別篇2
11月27日 そこに愛はあるのか?
ひだまりスケッチ×365 9 B 12月3日 裏新宿の狼 PART II
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 3 B 12月10日 カップ小さいですから
ひだまりスケッチ 12 A 12月24日 ChristmasEve
ひだまりスケッチ 12 B 12月25日 サヨナラ…うめ先生
ひだまりスケッチ×365 13
1月10日 おかえり…うめ先生
ひだまりスケッチ 1
1月11日 冬のコラージュ
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 5 B 1月31日 まっすぐな言葉
ひだまりスケッチ×365 2
2月6日 サクラサクラ
ひだまりスケッチ×365 特別編 前編
2月10日 どこでも自転車+2月11日 うさぎとかめ
ひだまりスケッチ 5
2月13日 こころとからだ
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 11 B 2月16日 48.5cm+3月7日 春
ひだまりスケッチ×365 EX
2月24日 ポラロイドン+2月25日 忘れてないよ
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 1 A 2月27日 〜3月4日 真っ赤点+4月1日
ひだまりスケッチ 8
3月13日 3%の希望
ひだまりスケッチ×365 4
3月16日 〜23日 まろやかツナ風味
ひだまりスケッチ×365 5
3月25日 おめちか
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 1 B 4月1日 ・3日 ようこそ ひだまり荘へ
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 2 A 4月6日 〜7日 イエス ノー
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 3 A 4月8日 〜9日 決断
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 4
4月15日 日当たり良好
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 5 A 4月20日 オンナノコのきもち
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 6 B 4月26日 〜27日 恋愛上級者
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 7
5月3日 〜4日 7等分の日
ひだまりスケッチ×SP 後編 A 5月9日 ザブザブザザー!!
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 8 A 5月13日 〜14日 ゆのクラブ
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 9 B 5月21日 泣く女
ひだまりスケッチ×SP 後編 B 5月25日 らっしゃい!肉の里
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 10
5月28日 〜6月2日 ひだまりパレット
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 11 A 6月5日 マッチ棒の謎
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 特別編 前編 A 6月11日 ファミレスわっしょい!
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 特別編 後編 A 6月23日 〜6月25日 帰っちゃった
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 12
7月12日 みつぼし×リコピン
ひだまりスケッチ×SP 前編 A 7月15日 感じるままに
ひだまりスケッチ×☆☆☆ 特別編 後編 B 7月30日 バベキュ
ひだまりスケッチ×SP 前編 B 8月28日 プカリ

まほろまてぃっく特別編 ただいま◆おかえり
 前編を2009/10/17深夜(正確には2009/10/18未明)に、後編を2009/10/24深夜(正確には2009/10/25未明)に、それぞれBS-TBSにて視聴。
 市のお祭りで出店(当然ながらメイド喫茶である)をする事になってまほろさん達が頑張る話。 一方で、フェルドランスがちょっかい出してきて、まほろさんとの間でバトルになるという、少しシリアスな展開もあったり。 街中の学校であれだけ派手に壊したのに、よく警察も消防も来なかったものである。 時系列的には、みなわちゃんが来てから間もなくという頃合いだったので、アニメ版第2期の序盤の辺りといった所だろうか。 第2期は観ていないので、第1期のようにまたどこかで再放送してくれないものかと思っているのだが、噂ではラストが何かアレっぽいらしいので、ある意味怖いもの見たさという気もする。
 それはともかく、可愛いやらえっちぃやら格好良いやらと、「まほろまてぃっく」のエッセンスを凝縮したような話だった。 原作には無いアニメオリジナルの話なのに、原作にあるシーンや台詞(まほろさんと優が花火を見るシーンとか)が出てくるというのは、それらはTVシリーズでは使われなかったという事なんだろうか。 だとしたら、第2期はやはりかなりのオリジナル構成になっていたという事なのかもしれない。

機動戦士ガンダム MSイグルー
 2009/10/11に「1年戦争秘録」を、2009/10/18に「黙示録0079」を、アニマックスにて視聴。
 全編がフル3DCGで制作された作品で、「1年戦争秘録」は2004年にバンダイミュージアムで上映され、「黙示録0079」は2006年に発売されたOVAとのこと。 ルウム戦役からア・バオア・クーの攻防戦までの、所謂「一年戦争」の最中に、表舞台に出ることなく、歴史の闇に消えていったさまざまな試作兵器、これらを試験運用〜評価実験するジオン軍の第603技術試験隊の視点で物語は進む。
 「1年戦争秘録」は、戦艦の主砲以上の超長距離射程と連邦軍のマゼラン級を一発で撃破できる威力を持ちながら、モビルスーツ“ザク”の実戦投入による近接戦闘が主流になった為に実戦配備される事なく消えた試作艦隊決戦砲“ヨルムンガンド”が登場する「大蛇はルウムに消えた」、地上戦での機動性とモビルスーツの汎用性を両立させる試作モビルタンク“ヒルドルブ”が登場する「遠吠えは落日に染まった」、ライバル企業との開発競争の末、制式採用された“ザク”に破れたモビルスーツ“ヅダ”が登場する「軌道上に幻影は疾る」(“ヅダ”が破れたのは、性能云々以前に、このダサ過ぎるネーミングのせいなんじゃないか、という気が…)の3つのエピソードで構成されている。
 一方の「黙示録0079」は、水中用モビルスーツ“ゼーゴック”を利用して、衛星軌道上から「ダイブ」し、ジャブローから宇宙へ打ち上げられる艦船を破壊する任務に就くモビルダイバーが登場する「ジャブロー上空に海原を見た」、モビルスーツ不足を補う為に量産され、学徒動員の未熟な兵士達が乗り込むモビルポッド“オッゴ”が登場する「光芒の峠を越えろ」、その“オッゴ”に前戦で武器を供給する為に作られたモビルアーマー“ビグラング”が登場する「雷鳴に魂は還る」の3話のエピソードで構成されている。
 3DCGで制作された「ガンダム」作品というと、個人的には、あの「でっぷり」としたシャアが登場する妙な作品(未だにあれがどういう作品だったのかよく知らないという…)を連想してしまうのだが、こちらには、「機動戦士ガンダム」でお馴染みのキャラクター達は全く登場せず、全てオリジナルのキャラで構成されている(ギレン総帥は、例のア・バオア・クー攻防戦前の演説の音声のみで登場する。また、シャアが赤いザクの姿のみ、ガンダムが記録映像でのみ登場する)。
 ジオン軍の一部隊が主役という事もあってか、全体がくすんだような渋い色調で統一されていて、それがリアルな3DCGのキャラクターと妙にマッチしている。 それに、「機動戦士ガンダム」のTVシリーズ本編の舞台裏で、こういう試作兵器の試験が行なわれていた、というのはいかにもありそうな話で、しかも戦況が(ジオン側にとって)悪くなっていくにつれて、だんだん「ありあわせ」の物になっていく、という辺りがなかなか面白い。 こういう、本編で描かれた以外の場所での物語が、違和感なく存在できるというのも、「機動戦士ガンダム」という作品の奥深さなのかもしれない(もっとも、「第08MS小隊」みたいに、設定に明らかに矛盾があるのに「映像化されたから正史」という理屈で無理矢理こじつけた作品もあるが…)。
 登場する試作兵器も、「これは確かにありそう」と思わせるような物ばかりで、そのような兵器が登場する為の理由付けがそれなりに筋が通っている(ように見える)というのもいい。
 ただ、どのエピソードも、それら試作兵器である程度の戦果は上げたがダメだった(テストパイロットも死んでしまう)、という話ばかりでワンパターンなのは気になった。 まあ、これは、本作品の性格上しょうがないのかもしれないが。 しかし、最後に技術試験隊の士官達は生還する、というのは、少々都合良過ぎたかもしれない。
 後、3DCGについては、重量感が無くて少し動きが軽過ぎたり、機敏に動き過ぎたりする所は、もう少し何とかならなかったのかと思う。 最初の「大蛇はルウムに消えた」に出てくるサラミス等は、戦況が不利になって逃走する時の動きがコミカル過ぎて、ギャグみたいに見えたし。 2008年から2009年にかけて、今度は連邦軍の視点で描かれた「重力戦線」というシリーズがリリースされていたようだが、そちらはその辺が改善されていると嬉しい。

狼と香辛料U 第0幕「狼と琥珀色の憂鬱」
 2009/11/05電撃文庫ビジュアルノベル「狼と香辛料 狼と金の麦穂」付属のアニメ第2期未放送番外編DVDを鑑賞。
 発売は2009年4月と、TVシリーズ第2期の放映開始前のものだが、第2期もそれなりに面白かったので買ってみた。
 時系列的には、「第0幕」という話数の通り、第2期の第一幕の前…というよりも、第1期の最終話の後と言った方がいいのかもしれない。 第2期第一幕の冒頭部分とかに、この第0幕の映像が使い回しされてたりする。 後、第2期DVDのCMに何故ノーラが出ているのかと思っていたが、それもこの第0幕からの映像だった。 ちなみに、第2期BDの第1巻には、この第0幕も収録されているようだ。
 内容は、羊飼いのノーラと三人で祝杯を挙げた後、ホロが珍しく体調を崩して寝込んでしまうという話。 相変わらず鈍過ぎるロレンスに、ホロがヤキモキしている様子が実に可愛らしいというか何というか。
 また、本体の方のビジュアルノベルは、ホロの視点で描かれる日常の風景なのだが…これって、要するに、ロレンスとの旅を終えた後の話という事なんだろうか。 人間とは遥かに寿命の長さが異なるホロの事だから、こういうのが当たり前なのだろうが、こうして実際に描かれると、平和な中にもどこか寂寥感が漂う。 こういう風に、ホロが長命な種である事をちゃんと描いているのが、この作品の良い所だと思う。

TO(トゥー)
 2009/11/24に「楕円軌道」が、2009/11/25に「共生惑星」が、それぞれBS-TBSで放映されたものを視聴。 来る2009/12/18からBDとDVDが発売されるのに先立って、現在レンタル中のものをTVで放映するという、結構珍しいパターンかも。 レンタル・放映・販売のそれぞれで内容に違いがあるのかどうかは知らない。
 原作は、双葉社から刊行されている星野之宣氏のコミック「2001夜物語」。既読。
 タイトルの「TO」というのは、「人類はどこへ行くのか」の「どこへ」の意味で付けたらしい。 だいぶん前に、「人類播種計画」とそれに関わったロビンソン一族に絡むエピソードでOVA化された事があったが、おそらくそれ以来の「2001夜物語」からのアニメ化ではなかろうか。 調べてみたら、何と22年も前の
1987年に東京ムービー新社から発売されていたらしい。 結構暗かった原作のラストを改変していたのが、正直言ってあまりいい印象が無かったように記憶している。
 さて、今回は、「APPLESEED」や「ベクシル」の曽利文彦監督による「CGライブアニメ」によるアニメ化である。
 「CGライブアニメ」とは、基本的に全編をフル3DCGで制作するのだが、キャラクターの動きをモーションキャプチャーの技術を用いて作り、キャラクターの絵柄もトゥーン・レンダリングで2Dアニメ風にしたものを言うようだ。
 キャラクターの動きを、モーションキャプチャー、すなわち人間の役者が演じた動きをコンピュータに取り込んでCG化している為か、フル3DCG作品にありがちな不自然な感じは比較的少ない(ような気がする)。
 ただ、表情の描き方や、べったりと張り付いて動かない髪の毛の描写等を見ると、やはり手描きのキャラクターの方がいいと思ってしまう。 どうも、「人間」を描いているというより、単にゲームのキャラクターが動いているだけ、みたいに見えてしまうのである。 この手の3DCGのキャラクターには、曽利監督の作品をはじめとして、既に何本も見てきたのに未だに慣れない。 従来のアニメの手描きのキャラクターに慣れ過ぎているせいか、それともこの手のキャラクターが根本的に受け付けられないのかはよく判らないが。
 一方で、CGで描かれたメカニックや背景美術等は、とても綺麗だと思う(でも、「共生惑星」のあのツルピカ戦闘機は正直言ってイマイチ)。 特に、「楕円軌道」で、青い地球を背景に宇宙に浮かぶミッドナイトバズーカのシーンなどは非常に美しかった。
 ただ、こちらも、綺麗は綺麗なのだが、正直言って目新しさは無いし、「何処かで見たような」という印象がつきまとう。 宇宙空間なのに星が瞬いているとか、真空中なのにミッドナイトバズーカの排気煙が大気中と同じようにモワモワッと広がっていくとか、そういう細かい所の描写がなおざりにされている…というか、はっきりいってあまりよく考えずにやっているように見えるのもマイナス。 この辺りは、無音の宇宙空間をしっかりと描ききり、月面で車が上げる砂ぼこりの動きにまで拘っていた「プラネテス」を経験した今となっては、尚更気になる。 ましてや、この作品の原作は、タイトルからしてかの「2001年宇宙の旅」へのオマージュが多分に含まれているものである。 なのに、宇宙空間の描写で手を抜くというのは、一番やってはいけない事のように思う。
 また、「2001夜物語」と言えば、超空間航法のミュードライブが欠かせないが、「共生惑星」でそのミュードライブのシーンが全く無かったのも残念。 フルCG作品で、あの全てが歪んで見えるミュードライブのシーンをどう描写するのか、結構楽しみにしていたのだが。
 ストーリーは、基本ラインは原作通りだったが、「楕円軌道」では、マリアの一番いい台詞(「色々なものをひきかえにした時間なんだから」みたいな台詞)が削られていたし、「共生惑星」では、人物関係が変わっていたり(アリーナがタチアナの娘という設定になってたりとか。そのせいか、タチアナを悪者にしない為に、タチアナが攻撃に反対して部下に放逐される流れに変えられていたり)、コロニーが汚染されるきっかけが変わっていたり(原作では、イオンに会いたいばかりにアリーナが扉を開いてしまう)、コロニーを守って戦闘機に体当たりするのがピカールの群れ全体になってたり(原作では、攻撃してくる戦闘機は一機だけで、体当たりするのもイオンが手なずけた一体だけ)と、細かい所が、特に「共生惑星」では結構改変されている。 この辺も、正直言って何故変える必要があったのか、よく判らなかった。 特に「共生惑星」は、原作では犠牲者が殆ど出ない(ピカールに体当たりされた戦闘機のパイロット1人ぐらいだったような…)からこそ、あの和やかな結末がすんなりと受け入れられたのだが、本作ではあんなに犠牲者(まあ殆ど自滅みたいなものではあるが)を出してしまっていいのか?という感じだった。 まあ、原作を知らない人が観る分には、特に気になるような所は無いのかもしれないが。
 そんな訳で、全体的にはまあ普通の小品かな、という感じで、宣伝にあるような「SFアクション超大作」というのはかなり嘘っぽい。 そもそも、本作品で取り上げられた原作のエピソード自体が、何世代にも渡る一大叙事詩的な物語の中の一エピソードという位置づけなので、「超大作」にはなりようがないのだが。 また、「人類は、宇宙に裁かれる」というキャッチコピーも何だかなあという感じである。 原作を全部読めばそんな感じもするかもしれないが、この2つのエピソードだけでは何ともかんとも。 どうも、曽利監督の作品については、その内容と宣伝との乖離が大きくて、その大仰な宣伝のせいでかえって本編への印象が悪くなってしまっている気がする。 Avexだからしょうがないのかもしれないが。

劇場版 マクロスF 虚空歌姫〜イツワリノウタヒメ〜
 2009/12/01鑑賞。なんばパークスシネマにて。
 言わずと知れた、2008年4月〜9月に放映された「マクロスF」の劇場版。 事前に殆ど情報を持たずに観に行ったので、エンディングの後に「完結編」と銘打った次回作の予告が流れたのには驚いた。
公式サイトによると、どうやら二部作になっているようだが、次回作の公開日は不明。
 内容は、基本的なストーリーはTVシリーズと同様だが、ストーリーの細部や人間関係、キャラクター達の役回り、設定の一部等が変更されている(例えば、アルトとランカとが初めから知り合いだったりとか)、TVシリーズのパラレル・ワールド的なものになっていて、ちょうど「超時空要塞マクロス」と「愛・おぼえていますか」との関係と似たような感じである。 一度は、「劇場版の主役はクラン・クランか?」などという噂が流れた事もあったが、蓋を開けてみれば全然そんな事はなかった。 「愛・おぼえていますか」は、設定上は、TVシリーズの「超時空要塞マクロス」の世界で戦後に作られた、人類とゼントラーディとの最初の戦争を題材にした映画、という事になっていたと思うのだが、こちらにもそういう設定があるのかどうかは不明。
 ストーリーは、大まかに言って、TVシリーズの第7話までの内容に相当する、バジュラに襲撃されたマクロス・ギャラクシーの救出作戦までを再構成したものになっているが、上記のように、TVシリーズとは色々と変更されている点があるし、何より二部構成の第一部という事もあってか、色々な謎(例えば、そもそも何故バジュラが襲ってくるのか、とか)が未解決のまま残されているので、評価は難しい。 ただ、尺の関係か、やや駆け足な印象があるのは否めないし、「繋ぎ」が強引(というか短絡してるような感じ)に思える所もあった。 また、TVシリーズと同様のシーンでも、台詞が削られたり変更されていたりして、違和感を感じる所が見られたのも少し残念だったが、これは、TVシリーズの再構成版という作品の性格上、仕方のない事かもしれない。
 映像は、TVシリーズの使い回しもあるものの、多くは新作映像のようだ(パンフレットに載っている河森監督のインタビューによれば、7割が新作カットとのことである。ちなみに、初めの予定では、新作カットは3割のつもりだったらしい)。 作品自体が全体的に再構成されているので、そもそも使い回しも限度があるのだろう。
 しかし、使い回しと言っても、クオリティとしては新作部分と殆ど遜色ないというのが凄い。 バジュラの最初の襲撃と戦闘の場面は比較的使い回しが多かったと思うのだが、劇場の大画面で観ても全く違和感を感じない。 それだけTVシリーズの映像のクオリティが高かった、という事の証明でもあるのだろうが、一方で、それは劇場版になっても映像のクオリティという面での驚きや新鮮味といったものに欠ける、という事でもあった。 「愛・おぼえていますか」を初めて観た時の「凄い」と思ったような感激は、残念ながら感じる事はできなかった。 まあ、「超時空要塞マクロス」のTVシリーズは、映像のクオリティに難があり過ぎたし、あの映像を劇場の大スクリーンで観られる、というだけでもいいかもしれない。
 また、「マクロス」と言えば当然「歌」であるが、劇場版用に新曲が色々出てきたのはいいものの、こちらも「愛・おぼえていますか」のような、劇場版の「顔」となるような曲は無かったのが残念なところ。 やはり、聞き慣れているせいか、TVシリーズからの歌の方が良かったように思う。 ただ、デビュー直後のランカの「営業ソング」が色々と出てきたのは面白かった。
 後、観に行って驚いたのは、観客の中にランカ・リーがいた事である。 もちろん、中の人である中島愛さんや、ましてや本物のランカがいたという訳ではなく、ランカのコスプレをした女の子がいたのである。 それも、劇中でランカが着ていたステージ衣装(多分、第4話のミス・マクロスコンテストの時のか、あるいは第12話でガリア4に乗り込んで「星間飛行」を歌った時のかのどちらかだと思われる)風の服装に、緑色のかつら(しっかりアホ毛付きの)まで着けた、一目でそれと判るような結構本格的なものだった。 東京の舞台挨拶では、とんでもないランカが現れたらしいが、こちらは、普通に可愛らしい女の子だった。
 当日は、特に何かイベントがあったという訳でもなく、本当にただ観客として観に来ただけのようだった(彼氏風の男連れだったし。ちなみに、男の方は、別にアルトやブレラのコスプレをしている訳ではなかった)が、さすが「オタクストリート」を擁する日本橋にほど近い劇場だけの事はある、と思ったものである。
 さて、「完結編」となる第2部は、いつ公開されるのであろうか。楽しみに待ちたい。

宇宙戦艦ヤマト 復活篇
 2009/12/17鑑賞。東宝シネマズ梅田にて。
 言わずと知れた、「宇宙戦艦ヤマト」の最新作である。 企画自体は随分と前からあった筈なのだが、色々とあった為になかなか日の目を見ないまま時が過ぎてしまっていた。 それが、最初のTVシリーズからちょうど35年となる今年になって、遂に奇蹟の復活を成し遂げたという訳である。 奇しくも今年は、この35年前の「宇宙戦艦ヤマト」の他に、約25年前の「マクロス」、約15年前の「エヴァンゲリオン」と、70年代・80年代・90年代をそれぞれ代表するような作品の劇場版最新作が公開されたという、ある意味とんでもない年となった訳だ。
 物語は、1983年に公開された「宇宙戦艦ヤマト 完結編」で、ヤマトがアクエリアスの海に沈んでから17年後に始まる。 3年前に発見された移動するブラック・ホールの進路上に地球がある事、このままでは後3ヶ月で地球はブラック・ホールにのみ込まれてしまう事が判明する。 破滅を回避する手段も無い為、銀河系内の2万7千光年離れたサイラム星系の惑星アマールの衛星へ、全人類を移住させる計画が始まった。 ところが、第一次移民船団が正体不明の何者かの襲撃を受け、大きな被害を出してしまう。 移民船団の団長を務めていた、今や古代進の妻であり、二人の間に出来た娘・美雪の母親ともなっていた雪も、行方不明となってしまった。
 移民の指揮を執る真田は、この事態に衝撃を受けながらも、残り時間の無い今移民を止める訳にもいかず、第二次移民船団を出発させる。 しかし、その船団も前と同じ宙域で襲撃を受け、大きな被害を被ってしまう。 今回の襲撃者が、前回の襲撃者とは全く異なる艦種であった事から、敵は複数の国家ではないかと推測されたが、正体は依然として不明であった。
 そして、第三次移民船団の護衛艦隊の指揮官として、真田は、貨物船の船長として宇宙を半ば放浪するように旅をしていた古代進を呼び戻す。 更に、その乗艦として、アクエリアスの海に沈んで氷漬けとなっていた、あの宇宙戦艦ヤマトを再建したのである。 雪が行方不明になった為に、娘・美雪との間に生じてしまった隔たりを気にかけながらも、古代は人類を守るため、新装備でパワーアップされたヤマトと、新たな若い乗組員達と共に、謎の敵が待ち構える宇宙へ向けて発進する──というストーリーである。
 このように、基本的なストーリーラインは、従来の「ヤマト」シリーズを踏襲している。 何らかの理由によって人類が絶滅の危機に瀕し、それを救う為にヤマトが旅立つ、というものである。 本作では、移民先となるアマール国や、敵となる「星間国家連合」を構成する国々といった、複数の宇宙規模の国家が登場する。 その上、「星間国家連合」の裏に潜む「真の敵」も登場したりして、なかなか華やかな感じである。 でも、何故かデスラーのガルマン・ガミラス帝国は出てこない。何処に行ったんだろう?(と思っていたが、「完結編」で銀河の衝突が起きた時に壊滅していたらしい。そういえばそんな話だったような気がする。「星間国家連合」は、その後に勃興した勢力という事になる…のかな? でも、パンフには「銀河系中央部で何世代にも渡る戦乱時代があった」とか書いてあるから、「星間国家連合」のそれぞれの国は、ガルマン・ガミラス帝国とボラー連邦とが争う前から存在していた事になるが…「ヤマト3」以前にはそれらの国はどこにいたんだ?)
 で、感想なのだが、結論から言えば、思っていたよりは面白かった(第一次移民船団の護衛艦隊の旗艦として、初っ端に「ブルーノア」が出てきて笑ってしまったとか、そーゆー意味での面白さも含めて)。
 面白かったのだが、でも、正直言って酷い作品だと思う。
 原案が、かの石原慎太郎(言わずと知れた現東京都知事である)という所からして、観る前から既にアレな匂いがプンプンしていたが、予想に違わずといった所で、ヤマトが、強大な武力を背景に宇宙の支配を企む帝国主義的で邪悪な大国に、善良な小国が手を携えて立ち向かう、その先頭に立つ正義の戦士、みたいな事にされてしまっている。
 話の展開は御都合主義の連続だし、古代をはじめとする主要キャラ達の言動も訳が判らないし、新キャラも全く描けてなくて魅力に欠ける。 設定も何か意味不明というか意図不明なものが色々とある(無重力の筈の宇宙空間で水面が平らになるとかの、「ヤマト世界」特有の「お約束」を除いても、である)し、3DCGで描かれたメカは綺麗は綺麗で良く動くが質感や重量感の表現は今一つだし、目玉の筈の6連波動砲の発射シーンは全然格好良くなくて期待外れだしで、演出やビジュアルの面でもあまり見所が無い。
 アマールや「星間国家連合」の国々も、数だけは出てくるがそれだけで、単なる記号的な役割しか与えられていない。 「星間国家連合」の実権を握っているSUSに至っては、「何でアルファベット?」と名前からして訳が判らないし。 そういう、「もしかしてそれはギャグのつもりでやっているのか?」とツッコミ入れたくなるような所が満載である。 どうやら以前から地球と交流があったらしいアマールの事とか、「星間国家連合」の成り立ちの事とか、もっと丁寧に描けば面白くなりそうな設定だったのだが、無理矢理詰め込んだせいか構成が拙いせいか、それとも基本的な設定がきちんとされていないせいか、「やっつけ」感がアリアリである。
 だいたい、「完結編」で真っ二つに折れてアクエリアスの海に沈んだヤマトを、何故17年も経ってからわざわざ復活させなければならないのか(絶対、一から新造した方が早いって)という点に関して、全く、何の理由付けもなされていない。 ただ、「ヤマト」を復活させなければ話にならないから復活させた、それだけにしか見えないのである。 30年前ならともかく、今の時代にそれが通用する筈も無いのに。
 だが、それでも、数えきれない程の欠点がある本作でも、何故かそれなりに面白いと感じてしまうのは、やはり、私に「ヤマト補正」がかかっているからに他ならない。 ヤマトが、あの「宇宙戦艦ヤマトのテーマ」をBGMに、アクエリアスの氷を砕いて発進していくシーンを見ただけで、どうしようもなく心が躍る(アルフィーではなくささきいさおならもっと良かったのだが)。 それだけで、数多ある欠点も、「『ヤマト』だからまあいいか」等と許してしまうのである。
 なので、本作品は、「ヤマト補正」の無い人には決してお勧めできない。 無い人は、今すぐレンタル屋に行くなり、CSやCATVを契約するなりして、一番初めの「宇宙戦艦ヤマト」から観る事をこそお勧めする。
 上記の「マクロス」や「エヴァンゲリオン」が、当時の作品の「核」をしっかりと残しながらも、今の時代に合わせてしっかりと新しく作り直している事を考えると、映像だけが新しくなっても中身が昔から何も変わっていない本作品は、生まれる時代を間違えてしまったとしか思えない。
 いや、もしかしたら、中身も昔よりも劣化してしまったのではなかろうか。 少なくとも、最初の「ヤマト」は、戦う事や、戦って敵を殺して得た勝利がどんなものかを知っていた筈なのに。 動くものが何一つ無くなってしまったガミラス星で、「俺達がする事は戦う事じゃない。愛し合う事だったんだ。勝利か…クソでも喰らえ!」と吐き捨てた、あの古代進は、いったい何処に行ってしまったのだろう?
 さて、エンディングの後に「第一部完」と出たりしたので、どうやらこの「復活篇」の設定による続きがあるらしい。 確かに、話の内容的には「新たなる旅立ち」っぽい感じがあったので、「新たなる旅立ち」の続きとして同じ敵(暗黒星団帝国)が登場する「永遠に」があったように、この「復活篇」にも同じ敵が出てくる続編があっても不思議ではない。
 とはいえ、正直言ってこの「復活篇」の興行収入は、かなりヤバいんじゃないのかという気がする。 私が観に行った東宝シネマズ梅田では、267席のハコでの上映で、入場者が僅か20人程度しかいなかった。 いくら、観に行ったのがレイトショー(料金は割り引きになるものの、上映時間が、大阪府の条例で18歳未満は入場できないと決められている時間なのである。だから、若いアニメファンは来れない)だったとはいえ、この人数はかなり侘しい。
 更に、上映第2週目からは、121席と半分以下のハコに移され、しかも一日の上映回数も5回から4回に減らされてしまう。 更に更に、かの話題作「アバター」が公開される12月23日からは、一日の上映回数こそ減らないが、もっと小さい99席のハコへと移される予定になっている。 この傾向は、大阪の他の上映館(例えばワーナー・マイカル・シネマズ系)でも同様のようである。 第2週目でこれでは、興行成績の悪さは推して知るべし、であろう。 果して、続編を作る事ができるのかどうか、非常に心許ない状況だと思う。 来年12月に公開されるという実写版(これもキャストからして物凄く不安な作品なのだが)も、果してどうなることやら。
 パンフに掲載されている西ア監督(兼・企画・原作・製作総指揮・脚本)のインタビューでは、「今なぜヤマトなのか?」という問いに対して、『私たちが大事にしてきた「ヤマトの精神」が、現在の若者達にも受け入れられるのかどうか。その問いかけが、やはり一番底辺にある気持ちだ』と述べている。
 しかし、本作品に、本当にかつてのあの「ヤマトの精神」が宿っているのだろうか? 私には、甚だ疑問だ。
 やっぱり、ヤマトは、あのままアクエリアスの海で眠らせておいた方が良かったのではないのだろうか。そんな気がしてならない。

機動戦士ガンダム MSイグルー2 重力戦線
 2010/01/03深夜(正確には2010/01/04未明)アニマックスにて放映されたものを視聴。
 上記「
機動戦士ガンダム MSイグルー」の続編となるOVA(?)。 「MSイグルー」がジオン軍視点だったのに対し、この「2」では連邦軍視点で描かれている。 続編と言っても物語としての連続性は無く、登場人物も共通していない。
 各話完結のオムニバス形式で、ジオン軍の地球降下作戦が始まった頃の、ザクに対峙する歩兵の戦いを描く「あの死神を撃て!」、地球連邦軍の主力戦車である61式戦車を駆るある小隊の戦いを描く「陸の王者、前へ!」、オデッサ作戦に投入された陸戦強襲型ガンタンク“RTX-440”の戦いを描く「オデッサ、鉄の嵐!」の全3話から成る。
 各話の主人公や登場人物は殆ど全て異なり、共通しているのは各話の主人公の上官として登場するミケーレ・コレマッタ少佐と、「死神」という幻の女性のみ。 オリジナルの「機動戦士ガンダム」、所謂「ファーストガンダム」のキャラクターも、キシリア様が冒頭の演説の声だけで登場するのみである。
 この「死神」が共通して登場する所からしても、物語自体はかなり暗く重い。 「MSイグルー」では、最後に主人公達が生還して少し明るい所もあったが、こちらはひたすら重い。 その重さが、ミリタリー色の強いメカニックや、3DCGで描かれたリアルっぽいキャラクターデザインとよくマッチしている。
 その3DCGも「MSイグルー」に続いて相変わらずよく出来ている。 陸上戦闘が主体だが、61式戦車やガンタンクのスピード感ある戦闘シーンもあって飽きさせない。 特に、61式戦車の走行場面は、自衛隊の東富士演習場が資料協力としてクレジットされている事もあってか、実にそれっぽく見える。
 ただ、質感の問題なのか、構図の問題なのか、動きの問題なのか、何が悪いのか今一つ判らないが、「MSイグルー」と同様に、全体的に模型が動いているような印象がある事は否めない。 これは、ワザとそうしているのか、それともこういう風にしか作れないのか、どちらなんだろう?
 後、各話とも、「死神」に取り憑かれた、ある意味「イッちゃってる」人が主役なので、物語にややワンパターンな印象がある所も「MSイグルー」と同様である。 全体的に重い話で統一するにしても、もう少しバラエティーを持たせられなかったものか、という感じはする。
 ところで、「ファーストガンダム」ではオデッサ作戦の時はまだ“GM”は実戦投入されていなかったと思うのだが、これも「第08MS小隊」同様に、「映像化されたものが正史」という事で、矛盾があってもこちらが正しいという事になるのだろうか。 こういうのはあまりやり過ぎないでほしいものなのだが。

ASSAULT GIRLS
 2010/01/05鑑賞。テアトル梅田にて。
 タイトルは「アサルトガールズ」と読む。 直訳すると、「攻撃少女達」。 かの押井守監督の、実写映画の最新作となる。
 舞台は、「
アヴァロン」と同じ、「アヴァロン」というゲーム空間である。 そこで戦う3人の女性ゲーマー+1人の男性ゲーマーの物語。
 …というか、特にストーリーらしいストーリーとかは無くて、この4人が、とある特別なステージでのミッションを完了するまでの姿を、割と淡々と描いている感じ。 「アヴァロン」のようなシリアスな感じも無く、役者も全員日本人だし、またロケも伊豆大島で行なわれたらしくて、監督が、肩の力を抜いて気楽に創ったような印象を受ける。
 実際、ギャグ仕立てになっている所も少なからずあるし、ラストも何かどっちらけっぽい。 この雰囲気は、80年代頃の、単発で発売されたOVAみたいな感じがする。 高橋留美子氏原作の「ザ・超女(スーパーギャル)」みたいな、と言えば感じを判ってくれる人もいるのではないだろうか(<そうか?)。
 まあそんな感じなので、観に行く方も気楽な気持ちで行く方がいいと思う。 と言っても、お馴染みの川井憲次氏の音楽はやっぱり格好いいし、VFXも悪くないし、押井守監督の今までの実写映画が好きな人は、見て損はないかと。 逆に、押井守監督の実写映画に免疫の無い人は、前置きの所で脱落するんじゃなかろうか。ていうか、前置き長過ぎ。
 それに、やはり押井守監督の実写映画にありがちな、睡眠導入効果もしっかりあるので、眠気覚ましは必要かもしれない。 また、上映時間も短めで、これで1,800円は取り過ぎのような気もするので、私のように、割り引きのある時に観に行く方が、より満足度は高くなるだろう。多分。

装甲騎兵ボトムズ 幻影篇
 言わずと知れた「装甲騎兵ボトムズ」の新作OVAシリーズである。 時系列的には、OVAシリーズ「赫奕(かくやく)たる異端」の後日談として日経の雑誌に連載された小説「孤影再び」の直後ぐらいらしい。 「孤影再び」は読んでいない(単行本や文庫として発売されていないらしい。調べてみたが大阪府や大阪市の図書館にも入っていないようだ)ので正確な所は判らないが。 ただ、下記の第1話のDVDに収録されていたリリース情報を見ると、どうやら「孤影再び」も映像化されるようだ。 他にも、登場人物を一新した新しいシリーズも予定されているようで、何かここにきて「ボトムズ」周りの動きが激しくなってきたみたいである。

 2010/03/25「第1話 ウド」を鑑賞。
 あの「流星」から30年以上が経ち、商売で成功して財を成したバニラに、その妻となって6人の子供に恵まれたココナ、隠居してすっかり人のいいお爺さん振りが板についたゴウトが、バニラ達の結婚25周年記念としてかつてキリコと縁のあった場所を巡る旅に出て、先ずウドの街を訪れたところ、ル・シャッコと再会し、昔とった杵柄のゴウトの采配でバトリングを企画したら、何故かリアルバトルが始まって、あわや殺されかけたシャッコが何とか相手を倒したものの、その相手は姿をくらましてしまい、何だかきな臭い事になってくるという話。 シャッコはシャッコで、「理由は判らないがキリコに会わなければならない」とか訳の判らない事を言っているし、いったいどんな展開になるのやら。
 いきなりバニラとココナがキリコの事で派手な夫婦喧嘩をしていて何ごとかと思ったが、どうやら「孤影再び」の話を引きずっているらしい。 映像化された作品しか観ていない人には何だか判らない展開はどうかと思うが、まあ本作品を買うような人は、最低でもある程度「ボトムズ」について知っている人だろうから、これはこれでアリかもしれない。 TVシリーズ以降のOVAシリーズではしばらく出番が無かった(「ビッグバトル」以来か?)バニラ達が主役という事もあり、「一見さんお断り」な仕様になっているのも無理もないか。
 何にせよ、作中の時間で30年以上、現実の時間でも四半世紀以上が経過しているにも関わらず、昔と変わらない軽妙な掛け合いで楽しませてくれる、いわば「同窓会」のような雰囲気がたまらない。 OP・EDの曲はTVシリーズと同じ(それに限らず、音楽面は今まで作られた曲だけで構成されているっぽい)、銀河万丈氏による「あの」次回予告もそのままに、まさに「ヤツらが帰って来た」と言うに相応しい。 キリコ達の物語としては本シリーズで完結するという事だし(作品としては「孤影再び」の方が後になるのかもしれないが、時系列的にはこれが最後になるようだ)、ここは是非最後まで見届けたい。
 ただ、ATのバトリングのシーンは、「ペールゼン・ファイルズ」と同様に3DCGで制作されているが、過去の手描きのOVA作品の方が「良い画」になっていたように思える所も同様。 この辺はもう少しバージョンアップを期待したいところである。

 2010/04/22「第2話 クメン」を鑑賞。
 ル・シャッコを加えたバニラ一行4人が次に訪れたのは、密林に硝煙の匂いが漂うクメン。 30年前に王政が打倒され、あのポタリアが大統領となって治める共和制に移行した後も内戦が絶えないクメンは、バニラ達が到着したまさにその時、ポタリアの進める急速な近代化に反対する勢力のクーデターが勃発した真っ最中であった。
 そんなクーデター騒ぎすら「この国ではいつものこと」と軽く流しながらバニラ達が向かった先では、あの「ファンタム・クラブ」が30年前そのままの姿で彼らを出迎えた。 ゴウトが、バニラとココナへの祝いとして、一夜限りの復活を果たしたのである。
 ココナが歌い、バニラがカクテルを作り、懐かしい顔触れが集う中、クーデター軍に追われ第二首都へ移動する途中のポタリアも顔を出した。
 束の間の再会を喜ぶ一同だが、そこに、ポタリアを追うクーデター軍が容赦のない攻撃を加えてきた。 ポタリアを護衛する一隊も反撃するが、徐々に数を減らされ、「ファンタム・クラブ」もかつてのようにまた炎上してしまう。
 かろうじて脱出した一行の前に、今度は青いATが現れた。 ル・シャッコは、それがウドで戦ったATと同じ奴だと直感する。 クーデター軍のATを一機で蹴散らした青いATは、ポタリアを拘束して「キリコを出せ」と叫ぶ。 青いATは、バニラ達を餌にキリコをおびき出すというのだ。
 だが、キリコが一向に姿を見せず、バニラ達も居場所を知らないと判ると、青いATはポタリアを放り出して姿を消してしまう。 そしてポタリアは、バニラ達の目の前で息絶えるのであった…。
 という訳で、「ボトムズ同窓会」の第2弾は、やはりといおうかあのクメンである。 今回の目玉は、何といっても、30年前の姿そのままに復活し、やはり30年前と同じように焼け落ちる「ファンタム・クラブ」や、昔と同じ衣装で同じ歌を歌うココナの艶姿…かな。 ココナの、あの羽根の付いた衣装があまり違和感が無いというのはある意味怖い。 また、ル・シャッコが「キリコに会わなければ」とか唐突に言い出すのもいかにも彼らしい感じである。
 しかし、現実の時間でも四半世紀が過ぎているというのに、どの声優さんもあまり違和感が無いのが凄い。 ポタリアの速水奨さんも相変わらずだし。 現実と作中との経過年数があまり違わないせいかも。
 後、音声が、5.1chと2chとの二種類で収録されているのだが、5.1chの再生環境が無いので違いがよく判らない。 RDのバーチャルサラウンド機能も使ってみたりするのだが…うーむ。

 2010/06/25「第3話 サンサ」を鑑賞。
 第3巻の舞台は、やはりサンサ。 度重なる戦闘によって汚染されていた環境も徐々に浄化され、青い空と呼吸可能な大気を取り戻した砂の惑星にキリコは居た。 しかも、かつてキリコを憎み、キリコを殺そうとつけ狙っていたゾフィーと共に。 年老い、視力の衰えたゾフィーは、名前も言わずに転がり込んできた若者を、キリコとは気付かないまま、ただ息子のように面倒をみ、スクラップ回収の仕事を任せていたのである。
 そんなゾフィーの住居を、突然3機のATが襲撃し、何もかも破壊して姿を消した。 仕事場から駆けつけたキリコは、無事だったゾフィーを背負って砂漠を渡る。
 だが、砂嵐を避ける為に潜り込んだ墜落した戦艦の中で、ゾフィーの住居を破壊したATが待ち構えていた。 ゾフィーを連れたキリコは、やがて3機のATに追い詰められる。
 そこに現れたル・シャッコやバニラ達によって形勢が逆転したのも束の間、宇宙から飛来した物体によって、キリコ達は戦艦ごといずこかへ転送されてしまった。 あのクエントでの体験と同じように…。
 という訳で、「ボトムズ同窓会」の第3弾…と言いたい所だったのだが、かつて銀河を支配し、キリコによって消滅させられた「神」・ワイズマンの因縁が再び姿を現したという急展開になって、「同窓会」というような雰囲気ではなくなってしまった。
 今までキリコを追っていたらしい謎のAT乗りが、どうやらあのマーティアルの刺客だったらしいとか、ル・シャッコがキリコを探していたのは誰かからキリコを召喚するように命令されていたかららしいとか、「神の子」が産まれるだとかいう話も出てきて、物語はどうやら今までのシリーズで今一つはっきりとは描かれてこなかった、キリコの誕生に纏わる謎に迫る展開になっていくっぽい。
 それはそれで面白そうなのだが、ただ、バニラ達が現れるのが少し都合が良すぎるようにも見えるなど、展開が急過ぎる気もする。 次巻から後半に突入する訳だが、大丈夫だろうか。

 2010/07/22「第4話 ヌルゲラント」を鑑賞。
 第4巻の舞台は、TVシリーズのラストで爆発・消滅してしまったクエントに代わってヌルゲラントという惑星である。 その昔、クエント人が植民したという「クエントの双子星」と呼ばれているその星の、かつてクエントの爆発時に転送されていたル・シャッコの部族が住む谷底に、キリコ達もまた転送されて来ていたのだ。
 その部族で、今まさに、「神の子」と呼ばれる一人の赤子が誕生していた。 かつてキリコ自身が「神」=ワイズマンの「神の子」であったように、その赤子もまた「神の子」としての運命を歩むのか。 クエントの伝統にのっとり、その赤子は神殿において「裁き」を受ける事になる。 「裁き」の結果、もし「神の子」と認定されれば、その赤子は追放の憂き目にあうのである。
 神殿への道中、「神の子」を葬ろうとする他の部族の襲撃に遭いながらも、部族の長老から依頼されたキリコは、「神の子」を無事神殿へ送り届けた。
 だが、「裁き」とは、赤子をATで踏み潰すというものだった。 赤子が真に「神の子」であれば、それでも生き延びる筈だというのだ。
 ATの脚がまさに赤子を踏み潰そうとする瞬間、キリコは赤子をその足の下から救い出し、自らATに乗って赤子を守る為に戦う事になってしまう。 ル・シャッコも加勢する中、徐々に包囲された二人の脚元で、地面が崩落し、二人はその下に空いていた深い穴へと落下していくのであった…。
 という訳で、遂にワイズマンの影が本格的に動き出すという話になってきた。 クエントの双子星という呼称の通り、ヌルゲラントにもかつてキリコが破壊したワイズマンのシステムと同じようなものが存在しているみたいだし、「神の子」の存在を巡ってギルガメス・バララントの両軍も蠢きだしているし、バニラ達のみならずあのロッチナまでもが聖地アレギウムから駆けつけて来てるし、本当に後二話で決着がつくのかという気がする。 いったいどんな結末が待っているのかサッパリだ。
 しかし、クエント人達があのクエント星の爆発から逃れて生き延びていたとは。 星が爆発したのは、キリコがワイズマンを「殺した」後だったから、そこから転送して救ったという事は、ヌルゲラントにもワイズマンと同等の力を持つ存在があるという事か。

 2010/09/22「第5話 コクーン」を鑑賞。
 深い穴へと落下したキリコとル・シャッコが見たものは、地下に広がる巨大な空洞と、クエントの伝説で「地底樹」と呼ばれるやはり巨大な構造物。 そこに現れたのは一人の若いクエント人ジュノ。そしてジュノがドヨと呼ぶ奇怪な生物の群れ。 ドヨに赤子を奪われたキリコ達は、ジュノを案内役にドヨの巣に向かう。
 ジュノもまた、かつて「神の子」としてこの穴に落とされ、それ以来たった一人で生き延びてきたと言う。 ジュノは、「蛍」と呼ぶ発光する生物がドヨの攻撃衝動を抑える力を利用して、ドヨの襲撃からキリコ達を守りながら進む。 ジュノ自身も、その「蛍」の力を利用して生き延びてきたのだ。
 やがて、巨大なドーム状のドヨの巣に辿り着いたキリコ達は、内部に無数にある繭の中にミイラ化した赤子が納められているのを見る。 それは、ここに落とされた赤子達が「神の子」であるかどうかを選別する為の場所だったのだ。 無数の繭の中で、一つだけ光り輝いている繭があった。 それこそ、キリコ達が救った赤子の繭であった。 キリコ達の目の前で、ドヨの群れがまた赤子の繭を何処かへと運び去っていく。
 後を追ったキリコ達は、霧に包まれた不思議な空間に入り込んだ。 そこでキリコは、かつての自分を見る。 緑色の泡に包まれた赤子。 ヨラン・ペールゼン率いるレッド・ショルダー部隊に焼き尽くされるサンサの研究所で炎に包まれる自分。 そこにいた一人の少女。 それは、この地底樹がキリコの深層意識を探り映し出した光景か。
 その幻影の中から、突如実弾が飛来した。 マーティアルが差し向けた刺客・ネクスタント達が攻撃してきたのだ。 かろうじて攻撃をかわしたキリコ達は、ますます地下の深部へと落ちていく。
 その頃、アストラギウス銀河の全ての国家が一堂に集い、新たな戦いへの準備が進められようとしていた…。
 という訳で、ここにきてまたまた新キャラ・ジュノが登場したり(これがまた、少年なのか少女なのか判らないときている)、またまた古代クエント人の遺物らしき「地底樹」なるものが出てきたり、そこを守るドヨという生き物(なのか機械なのか判らないらしいが。でも見た目はどう見てもモスラの幼虫である。口から糸を吐いてATすら絡めとるし)が出てきたり、キリコの過去に一人の少女が出てきたりと、後一話しかないのにこんなに色々広げて大丈夫なのかと思える展開になってきた。 凄く心配。

 2010/10/31「第6話 インファンティ」を鑑賞。
 ネクスタント達の攻撃を逃れ、連れ去られた赤子を追って、奇妙な空間を進むキリコ達。 やがて辿り着いた所には、地上の光が降り注いでいた。 いつの間にか、キリコ達は塔の中を地上付近まで昇ってきていたのだ。
 そこから先は、障壁があってどうやらキリコ以外は進めないらしい。 ル・シャッコやジュノと別れて、キリコは一人足を踏み入れていく。
 一方、ギルガメスとバララント双方の艦隊がにらみ合う宇宙空間では、マーティアルの法皇モンテウェルズを乗せた船が両艦隊の間を縫ってヌルゲラントへと降下してきた。 モンテウェルズは、キリコの聖地アレギウム襲撃によって地に落ちたマーティアルの威光を、自らが「神の子」の養育者となる事で取り戻そうとしていたのだ。 地上に降りたモンテウェルズは、「神の子」を育てる為に用意された部屋へと導かれ、遂に「神」=ワイズマンと対面する。 かつてクエント星でキリコに殺された筈のワイズマンは、最後の瞬間にクエント人達だけでなく自らをもこのヌルゲラントへ転移させ生き延びていたのだ。 そして後継者となるべき「神の子」と、その養育者とを待っていた。
 自分こそがその養育者に相応しいと説くモンテウェルズに対して、ワイズマンは、異能の者の養育者はやはり異能の者、すなわちキリコこそが相応しいと応える。 自らの願いが聞き届けられないと知るや、モンテウェルズは、「神の子」を殺そうと銃を向ける。
 そこに現れたキリコは、モンテウェルズを止めようとするが、モンテウェルズは制止を振り払って「神の子」を撃った。 だが、その銃弾は「神の子」には当たらず、部屋の壁で複雑に跳ね返り、その全てがモンテウェルズ自身に叩き込まれた。
 絶命するモンテウェルズ。 キリコは、30年以上の時を経て再会したワイズマンに、自分が「神の子」の養育者となる事を告げる。 だが、このワイズマンが用意した部屋でではないとも。 かつてクエント星でワイズマンを「殺した」時と同じように、キリコは、部屋のシステムを停止させる。 そこに現れたネクスタント達の攻撃をも全て退けたキリコは、遂に「神の子」を助け出した。 その時、二人を緑の泡が包み込み、光に乗って宇宙へと飛び立って行った。
 塔の頂上から宇宙へと伸びる蒼い光を見送るのは、ジュノからキリコの無事を聞いていたバニラ達、脱出したル・シャッコ、そしてまた「神の目」として生きるロッチナ。 彼らは、いつかまたキリコと再会する日を信じて、それぞれの生活へと帰って行った。 そして、サンサに戻ったゾフィーの傍らには、ジュノの姿があった…。
 という訳で、「ボトムズ同窓会」の最後に登場するのは、やはりと言おうか、TVシリーズのラストでキリコに殺された筈の「神」=ワイズマンである。 これは、「やはりこうきたかー」という感じだ。 確かに、キリコやフィアナばかりでなく、ロッチナやクエント人達までもが、あのクエントの爆発から逃れていたんだから、ワイズマン自身も逃れていても不思議はないのかもしれないが、物語的には都合が良すぎる感は否めない。 ブックレットを読むと、高橋監督自身もその辺は自覚しているらしいからまあいいけど。 ジュノやバニラとココナの子供達のような「新世代」のキャラクター達も、この続きがあった時の為の「仕込み」だという。 確か、これで「キリコ」の物語としての「ボトムズ」は完結するとか言ってたような気もするが。
 それにしても、キリコが赤ん坊を育てるなんて全然似合わない。 いったいどんな「父親」になるんだろう。 結局どう育てればいいのかよく分からなくなって、またバニラ達の所にでも行くのかもしれないが。
 ちなみに、最近BDの再生環境が出来たので、この最終巻だけはDVD版ではなくBD版を購入してみた。 S端子で接続しているブラウン管テレビでは大した違いは感じられないが、HDMIで接続しているフルHDの液晶ディスプレイで観ると、映像はやはりDVDに比べるとくっきりしているかな、という印象である。 それと、今までのDVD版で、ブックレットのサイズが妙に小さいと思っていたが、これはBDのケースに合わせたサイズになっているようだ。 LDからDVD、そしてBDと、何かどんどん小さくなっていくような…。
 とりあえず、これで「キリコの物語」としての「ボトムズ」は、来年公開予定の「孤影再び」のみとなった。 この「幻影篇」の後の物語が描かれるのかどうかは分からないが、個人的には「もう彼らはそっとしておいてやればいいのに」と思わないでもない。 ちょうど、今回の話でギルガメスやバララントの将校達が「成り行きに任せていればいい」と言っていたように。 奴らはきっと、放っておいても逞しく生きていくに違いないのだから。

書家
 2010/03/27アニマックスにて放映されたものを視聴。
 「第7回アニマックス大賞受賞作品」の脚本を、プロダクションI.Gがアニメ化した作品。
『自分の描いた絵や字に特殊な力を持たせる秘術「画仙道術」の遣い手たちが、江戸を舞台に巨大な画獣と激しい戦いを繰り広げるアクション活劇』という番組の説明だけ見て、何となく「妖奇士」を連想してしまっていたが、実際に観てみるとあの作品ほど文字の使い方をひねっておらず、殆どストレート(「壁」と書くと障壁になるとか)で、それもあまり文字自体を前面に出していないので、どちらかといえば敵方の使っている絵から出てくる画獣とかダルマ型のカラクリ兵器の方が印象に残った。
 ストーリーも、「真の戦いはこれからだ!」というか、プロローグが終わった、という感じで、世界観を説明しただけに見える(実際、説明台詞も少なくない)。
 作画は、いわゆる「アクション重視」で、作品としてもこちらに重点が置かれているように思う(脚本で受賞した作品がそれでいいのか、という気はするが)。 あの「鉄腕バーディー」等で見られたように、主線をラフに描き、デッサンの正確さや緻密さではなく、動きのダイナミックさやスピード感を強調した作画である。 制作がプロダクションI.Gという事もあってか、いわゆる「作画崩壊」ではない、しっかりとした動きになっている辺りはさすが。 ただ、例えばこれで1クールなり2クールなりのシリーズものとしていけるか、と言われれば、個人的にはかなり苦しいという気がする。 要するに「一発芸」であり、こういう単発ものにしか使えない作画なんじゃないか、と思う。
 全体として、なんかこう、漫画の新人賞応募作品なんかで、一応読み切り作品なのに、「評判が良ければ連載しよう」みたいな内容の作品があったりするが、ちょうどそんな感じの作品だった。
 まあ「アニマックス大賞」自体がそういう漫画の新人賞みたいな所があるので、これはこれで良いんだろう。多分。

BLACK LAGOON Roberta's Blood Trail
 2010/06/26深夜(正確には2010/06/27未明)毎日放送「アニメシャワー」枠内、及び2010/06/28深夜(正確には2010/06/29未明)サンテレビ・KBS京都で、それぞれ放映されたものを視聴。
 言わずと知れた、あの「BLACK LAGOON」の第3期でありOVAシリーズである。 この7月からリリースが開始される、その第1話を特別に地上波各局で放映するという事らしい。
公式サイトによれば、毎日放送だけがロングバージョンで、他の局はショートバージョンとのこと。 非常にラッキーである。
 シリーズタイトルは、「ロベルタの血の臭跡」といったところか。 ロベルタが「猟犬」と異名をとっていたテロリストだった事にちなんでのものだろう。
 物語は、時系列的にも第2期の続きのようで、サブタイトルも「#25 Collateral Massacre」となっていて、話数が第2期の続きからナンバリングされている。 サブタイトルは、直訳すると「付随的な大虐殺」という事で、今一つ意味が判らない。 「collateral」には「巻き添え」という意味もあるらしいので、今回またしても壊滅させられてしまったイエローフラッグの事を指しているのかもしれない。
 ラブレス家の当主を爆弾テロで殺害され、復讐の為に姿を消した「メイド型キリング・マシーン」ことロベルタを探して、今や当主となったガルシアと小型の「メイド型キリング・マシーン」ファビオラとが、ロアナプラの街にやって来て、何故かラグーン商会ではなくロック個人にロベルタの探索を依頼するというもの。 そこに至る過程で、またもやイエローフラッグが壊滅したりする訳だが、どうもこのメイドさんが出てくる話は、どれだけ派手な破壊が起きたり怪我人が量産されたりしても、全然悲惨に見えず、むしろコミカルにさえ思えるのは何故なんだろう。
 毎日放送のロング・バージョンでは、ラブレス家の葬式シーンの後に少しと、ファビオラがホテルで張に向かって突撃した後のシーンとが追加されている。 葬式シーンの後の部分は僅かで、見ていなくても特にストーリーの理解に影響は無いと思う。 しかし、ファビオラが突撃した後の追加シーンは結構長くて、これは見ていないとストーリーが繋がらないかも。 ショートバージョンでは、ファビオラ突撃→ED→イエローフラッグにロベルタ登場、という流れだが、ロングバージョンでは、ファビオラ突撃→張に軽くいなされる→ガルシアによる事情説明→ロベルタの目標がアメリカ国家安全保障局NSAのメンバーであると聞かされる→ロベルタがその一人を拷問しているシーン→ガルシアによるロベルタ探索の依頼がラグーン商会にではなくロック個人にであると聞かされる→壊滅したイエローフラッグにロベルタ現る→ED、という感じの流れになっている。
 後、これはバージョンには関係無いと思うが、サンテレビでは、ファビオラの「雑役女中」という台詞が消されていた。 サンテレビ的には、これは放送禁止用語なんだろうか。何故なのかサッパリ判らないが。
 何にせよ、これはOVAのプロモーションとしては確かにアリだろう。 これだけ面白くなりそうな話を見せられたら、やはり続きが観たくなってくる。 OPも、TVシリーズとはアレンジを変えたMELLの「Red Fraction」だし、アメリカ相手に「あの」ロベルタが戦争を仕掛けるとなれば、いったいどれだけ派手なドンパチが繰り広げられるのか、イヤでも期待してしまう。
 ただ、パッケージも安くはないので、購入するとなると少し躊躇してしまうかも。続きもまた放映してくれないものだろうか。「化物語」みたいにネット配信でもいいから。

COBRA THE ANIMATION ザ・サイコガン
 2010/09/26アニマックスで放映されたものを視聴。
 先日までキッズステーションで放映されていたTVシリーズ「COBRA THE ANIMATION」に先立って製作された、「COBRA」30周年記念新作アニメーションシリーズの第1弾。 OVA作品として製作・販売された全4話を一挙放送である。
 宇宙創造の秘密が隠されているという化石虫の謎を巡って繰り広げられる、コブラと海賊ギルドとの死闘を描く…みたいな話。 「スーパージャンプ」に連載していたコミックが原作になっているようだ。未読。
 原作者である寺沢武一氏自らが監督・脚本・絵コンテを手掛けているというだけあって、その話の構成から、宿敵クリスタル・ボーイや古代火星人、ロド麻薬等々、「COBRA」の世界でお馴染みの人物やアイテムが数多く登場する所まで、まさに「COBRA」世界の集大成というか、エッセンスを凝縮したような話になっていると思う。
 ただそれだけに、かつて「週刊少年ジャンプ」の連載時から知っている者からすると、「またこのネタなのか」と思ってしまう所も多くて、新鮮味には欠ける。
 また、コブラを昔のTVシリーズ「スペースコブラ」と同じ野沢那智氏が演じているのだが、かなり印象が違っていて、初めは別人…というかTVシリーズと同じ人かと思ってしまった。 まあ、昔のTVシリーズを観たのは四半世紀以上も前の事なので、野沢氏の演技や声も変わっているのだろうし、こちらの記憶も変色しているのかもしれない。
 とりあえず、後のTVシリーズでは殆ど活躍の機会が無かった、アーマロイド・レディーとタートル号の見せ場があったのは良かった。

風立ちぬ
 2013/09/27鑑賞。東宝シネマズ梅田にて。
 何とも言いようの無い高揚感のある作品だった。
 物語自体は、関東大震災・世界恐慌・特高警察の暗躍・世界大戦という、何とも暗い時代の話であるし、主人公・堀越二郎と熱愛の末結ばれた妻・菜穂子は、最後には病に倒れる。 堀越二郎が作った零戦は、二郎自身が「一機も戻りませんでした」と語ったように、戦いの中で無残に砕け散っていく。
 しかし、そんな破滅と悲劇に満ちた世界の中で、ひたすらに美しい飛行機を造るという夢を追い求めて生きる二郎や同僚達の姿は、不思議に輝いて見える。 それが、たとえ人殺しの為の機械であり、ひもじさにあえぐ子供達を何千・何万と救える程の金を費やしていたとしても。
 それを描いている作画が、またすさまじいと言うか、実写で俳優が決して演じる事のできないような、アニメーションならではのデフォルメされた動きでありながら、なおかつ自然な人間の動きにも見えるというこの動きは、さすがとしか言いようがない。 二郎が、仕事の初日で製図台に向かって仕事をしている時の、カバンから道具を取り出して図面に向かう所など、何もここまで描かなくてもというぐらい、ある意味偏執的なぐらいに細かくて、しかも自然に見えるという。 何といっても、結婚式の場面での菜穂子の美しさはもう魅入ってしまう。
 話題になった二郎役の庵野秀明氏の声も、思っていたほどには悪くなかった。
 しかし、これは、宮崎監督が本当に創りたいものをやりたい放題に創ったなという感じの作品だった。 ていうか、これは、堀越二郎の半生記ではなく、宮崎駿の自伝なんじゃないのかという。 片時もタバコを手放さずに設計に没頭している二郎の姿は、記録映像で見る作画をしている宮崎監督の姿そのままだし。
 とにかく、観終わった時は言い知れぬ高揚感に包まれて、二郎のように背筋をぴっと伸ばして歩きたくなる。 そんな映画だった(後、人には親切にしようという気分になる)。
 それと、噂のシベリアは、特に食べたくはならなかったが、サバは食べたくなった。 後、岡田斗司夫氏が言っていた、上司の黒川さんの奥さんの仕草(二郎に東京に最も早く行ける方法を訊かれた奥さんが、時計を見る前に「失礼します」とかわざわざ断りを入れるという所)は、なるほどと思った。 ああいう、当時のマナーというか教養に関する知識があると、より楽しめるのかな。 まさに「大人の為の作品」なのかもしれない。

神のみぞ知るセカイ 4人とアイドル
 2013/12/23視聴。
 2011/9/16発売の原作単行本第14巻限定版の付録DVD用として製作された作品が、2013/9/25に新たにBDソフトとして発売されたもの。 そのような性質の作品という事もあってか、パッケージには解説のブックレット等が全く無いというのが少し寂しく感じる。 ちなみに、原作は未読。
 作中の時系列としては、TVシリーズ第2期最終回の少し後ぐらいか。 期末テストを目前に控えた夏の初め、ちひろ・歩美・京・エルシィの4人が、舞校祭出場を目指して、軽音部とバンド「2B PENCILS」を立ち上げる時のエピソードである。 アニメ化されているシリーズ全体を通して、夏服姿が描かれている数少ないエピソードの一つでもある(他に夏服姿が描かれているのは、第2期最終回と、後のOVA「天理篇」だけの筈)。
 部の承認と部室の確保をする為に、児玉先生から「期末テストで全員100点を取る」という条件を出されて一度は諦めかけたが、期末テストの日程を確認する為にかのんが現れ、彼女が秋の舞校祭で歌う事を知って、ちひろの本気に火がついて自分達も舞校祭に出ると決め、それに共感したみんなもその気になり、テスト対策の助っ人として桂馬が引きずり込まれ、何故か桂馬を気にするかのんも加わって、皆で試験勉強をする事になってしまうという話。
 なお、「2B PENCILS」でドラムを担当する事になる結は、この時点ではまだ登場しておらず、EDに顔見せだけしている状態である。
 「女神篇」を観て、陸上部の歩美と京が、とりわけ第1期・第2期とであれだけ本気で陸上に打ち込んでいる姿を(それこそ、その姿を見ていたちひろがコンプレックスを抱き「心のスキマ」を作ってしまう程に)見せていた歩美が、何故バンドに参加する事になったのかが疑問だったのだが、初めは趣味の範囲でやろうとしていたという事のようだ。 それなら、まあ納得できる。
 また、「女神篇」のラストで、かのんがちひろに「一緒に歌いたい」と言った理由も、この話で理解できた。 ちひろにとってのかのんが憧れの存在であるのと同時に、かのんにとってもちひろは、数少ない同年代の「友達」であり、自分と同様に音楽を愛する「仲間」であり、そして複数の意味においての「ライバル」であったのだ、と。
 余談だが、「女神篇」終盤においても、この二人は実に対照的に描かれている。 ちひろが、事態の全容を把握できず、また桂馬のやり方を疑問視して全面的に肯定することもできないまま、それでも桂馬と共に事態の解決に向けて行動していたのに対して、かのんは、アポロの作った占術世界から事態の全容を俯瞰できる場所にいて、桂馬の事も全面的に信頼しているにも関わらず、ただ推移を見守る事しかできなかった、という構図も見事だった。
 この、ちひろとかのんとの対比という構図で考えると、今回かのんが日傘を差して登場した事も意味ありげである。 もちろん、季節が夏であることや、有名人であるかのんが人の目につかないようにする為であること、または単に可愛さを演出する等の理由以上の深い意味は無いと捉える事も可能だが、TVシリーズ第2期のちひろ篇では「雨」がモチーフになっていて、ちひろが常に雨傘を携帯していた事を考えると、この二人の対比を強調する為の演出でもあった、と考える方が、より面白い。
 TVシリーズの第1期・第2期のスタッフがほぼそのまま制作を担当していて、作画のクオリティや演出の面白さ、そして女の子達の可愛さの描写はしっかりと引き継がれている。 前半は殆どBGMを使わずに進めるなど、音楽の使い方(あるいは「使わなさ方」)が印象的な所も同様である。 特に、OPは、かのんが歌う「夏色サプライズ」のPV風のものになっていて、これ単体で観てもなかなか見応えのある映像に仕上がっている。 もっとも、かのんは第1期で「正統派アイドル」とされていた筈だが、これを観ると、どちらかといえばグラビア系アイドルみたいに見えてしまう。
 話の内容としては、「攻略」して駆け魂を出され、桂馬との記憶を消去された筈のヒロイン達に、実は記憶が残っているのではないか?という、後の「女神篇」に繋がる疑問が生まれる端緒となっている。 その為、「女神篇」では、回想シーンとして本作の映像が使用されていたりもする。
 確かに、「私達、いつかどこかで会いませんでしたか?」と桂馬に訊くかのんや、それを見てどこか態度がそわそわしている歩美とちひろの様子を見れば、桂馬でなくとも、桂馬への好意がある=「攻略」の記憶が残っている、と疑いたくなるだろう。 ましてや、桂馬は、「攻略」やイベント無しで女子が誰かを好きになるとは全く考えていない、という「ギャルゲ脳」だからして尚更そう考える筈である。 エルシィは「みんな憶えてないですよー」と否定していたが、この時点では、桂馬が知っている地獄の悪魔としてはエルシィとハクアしかいないワケで、彼女達に対する桂馬の評価を思えば、地獄の者の手による記憶消去の確実性が疑われても仕方がないところ。
 実際、この「駆け魂を出された女性からは『攻略』に関する記憶が消去される」という設定にしてからが、どこからどこまでが消去され、その結果ヒロイン達の記憶がどうなっているのか、という点については、少なくともアニメでの描写はかなり曖昧である。 作中でも、「攻略」後のシーンでヒロイン達が桂馬の事を憶えている(少なくとも好意は残っている)のではないか、と思わせる描写が幾つもされていたし。 元々の設定自体が曖昧だったのか、それとも作中で曖昧に見えるように設定されているのか、その辺りはよく判らない。
 で。
 結局、桂馬の教えたテスト対策が見事にハマって、エルシィ以外は(員数外のかのんまで含めて)みんな100点という事になったのだが、「全員100点」という条件を満たせなかったにも関わらず、何故かすごく上機嫌の児玉先生に軽音部の設立と部室を認められたのでみんなが不思議に思う中、ふとエルシィが児玉先生のデスクを見ると、そこには「99点」の桂馬の答案用紙が額装されて置かれていた、というオチ。 桂馬が唯一間違った解答が、“She regain the memories.”、すなわち「彼女は記憶を取り戻す」という英作文だった、というのが可笑しい。 ちなみに、正解は“She regained the memories.”と過去形にしなければいけなかったらしい。
 EDは、ちひろ達の「初めて恋をした記憶」で締め(もちろん、作中ではまだこの曲は形にもなっていないので、あくまでもED曲、もしくはキャラソン的な扱いだが)。 それに先立つ準備シーンで、シールド(エルシィは「シール」と勘違いしていた)をギターに繋いだり、エフェクタのスイッチを足で操作したりという辺りの描写が、妙に細かくてリアルだと思っていたら、クレジットに「楽器デザイン 鈴木雅久」と出ていた。 これって、「ARIEL」等の挿絵でおなじみの、あの
鈴木雅久氏なんだろうか。 だとしたら、このリアルな感じも納得である。 また、「絵コンテ監督」として、原作者の若木民喜氏がクレジットされている。 画作り等に、原作者の意向がかなり反映されているのではないかと思われる。
 最後に、小さな声でエルシィが「つ〜づ〜く?」と言っている通り、物語は次の「天理篇」へと続いていく。
 それにしても、この時ちひろがかのんにした「(秋の舞校祭の)ステージで会おう!」という宣言が、まさかあんなに苦く切ない形で実現するとは、この時の彼女は知る由もないのである。 「女神篇」を観た後でこの話を観ると、そんな事を思ってひと際ちひろの事が愛おしく感じられる、そんな話でもあった。

神のみぞ知るセカイ 天理篇
 2013/12/23視聴。
 2012/10/18発売の原作単行本第19巻・第20巻限定版の付録DVD用として製作された2本の作品が、2013/9/25に新たに1つのBDソフトに纏められて発売されたもの。 解説のブックレット等が全く無いというのは、「4人とアイドル」と同様で、商品としてはやはり少し寂しい。 そういうのが欲しい場合は、同日に発売されたBD-BOXの方を買え、という事だろうか。 ちなみに、こちらも原作は未読。
 作中の時系列としては、TVシリーズ第2期最終回の少し後ぐらいの、期末テストの前後を描いたOVA「4人とアイドル」の更に後の、夏休みの初めの頃になる。 幼なじみの鮎川天理との10年振りの再会と新たな駆け魂隊の悪魔・ノーラ(と、その「アホバディ」こと亮)の登場とを描く「再会」と、10年前に桂馬と天理が巻き込まれた駆け魂絡みの事件についてと天理の中に宿るのが何者なのかが朧げながら判るという「邂逅」との前後篇。 物語の位置づけとしては、2013年のTVシリーズ第3期「女神篇」の直接の前日譚に当たり、原作でも「女神篇」は実質的にこのエピソードから始まっているとされているようだ。 第3期の中でも、回想シーン等で本作品の映像がよく使用されていた。 ただ、本作が夏休みの初めの話であり、第3期の第1話が秋の舞校祭間近の時期(制服が既に冬服に変わっており、ちょうど2学期の中間テストが行なわれているので、最低でも10月には入っている頃)である事から、両作品の間では、作中の時間としては数ヶ月が経過しているものと思われる。 第3期で、ディアナが、桂馬に「天理を放ったらかして他の女にかまけてばかりいる」と怒っていたが、要するに、この数ヶ月の間も、桂馬は駆け魂狩りの「攻略」を幾つもこなしていたワケだ。 道理で、「攻略」した女子の数が、ハクアが嫌みっぽく言うぐらいに随分と増えていた筈である。 エルシィの箒の柄に描かれている、捕まえた駆け魂の数を表している赤い帯(戦闘機乗りが撃墜した敵機の数を機体に刻むようなものか)の数が、本作では9本になっている。 これまでのTVシリーズで捕まえたのは7匹だったので、TVシリーズ第2期と本作との間でも、既に2人は「攻略」していたという事か。 ちなみに、第3期第1話では、ハクアの台詞で「14匹も捕まえた」と言われていたが、それを表すように、赤い帯は太いのが1つと細いのが4つ描かれている。
 本作品から、監督が、TVシリーズ第1期・第2期およびOVA「4人とアイドル」の高柳滋仁氏から、後の第3期でも監督を務める事になる大脊戸聡氏にバトンタッチしている。
 通常、同一作品の続編シリーズで監督が交代すると、たいていは前のシリーズよりつまらなくなってしまうという例が多いのだが(※個人の感想です)、本作品の場合は、物語自体が、それまでの「桂馬が女子を次々と『攻略』していく」という、短くて0.5話、長くても3話で完結している短編ものの集まりで、いかにもラブコメ的な明るいノリがあるものであったのが、この辺りから、冥界や天界、旧悪魔や女神といった、巨大な存在が表立って現れてきて、内容的にシリアスの度合いを増していく、1クール全てを使った長編ものに変質していくという事もあり、この時点での監督交代はそれほどマイナスにはなっていないように見える。
 しかし、そういった物語的な「変質」を差し引いてみたとしても、やはり、作品の印象がかなり違っているように思える。 音楽の使い方や、間の取り方等もだが、特に違いを感じるのは、構図の取り方である。
 高柳監督は、基本的にカメラを水平に置く構図を使用している事が殆どであった。 アオリや俯瞰の構図はあるが、カメラの前後・左右・上下の三軸の内の前後方向の軸、いわゆる「ロール軸」回りの角度は傾けない、という構図である。 ある意味、非常にオーソドックスで、「実写的」と言ってもいいかもしれない。 また、これは特に「4人とアイドル」で顕著に見られたが、望遠レンズを使用しているような、奥行きが圧縮された画で複数の登場人物を画面に収める構図も目立った。
 対して、大脊戸監督は、この、カメラの「ロール軸」を傾けている構図が目立つ。 「引き」や「寄り」の構図に関わりなく多用されていて、特に登場人物のバストショットのカットでは非常に多く使われていると思う。 「何故ここまでナナメってるんだ?」と思うぐらいである。 これは、最近のアニメ作品ではそれほど珍しくなく、おそらく画面のワイド化に伴って多用されるようになった構図なのではないかと思われるが、その意味では、大脊戸監督の担当部分は、変な言い方ではあるが何となく「今どきのアニメ」らしく見える。
 どちらの方がいいとか悪いとかいう事はできないのだが、好みで言えば、正直言って高柳監督の方が好きではある。 どうも、あまりにもナナメっていると今一つ落ち着かないのだが、これは自分が古いタイプのアニメファンだからかもしれない。
 で。
 とにかく、本作品で、TVシリーズ第3期でいきなり居た天理の事と、天理にディアナが宿るきっかけとなった10年前の駆け魂大量出現事件のあらましが判った。 しかし、何故あそこに大量の駆け魂がいたのかとか、誰が何ゆえにディアナに駆け魂を付けていたのかとか、地震(これは駆け魂の脱走に関係して起きたものと思われるが)で漂流した「あかね丸」が何故いきなりあんなボロボロの姿になってしまっていたのかとか、桂馬が天理の事を忘れていたのは本当にただ忘れていただけなんだろうか(記憶が操作されていたのではないのか)とか、そもそも何故6柱の女神「ユピテルの姉妹」の内でディアナだけが10年前に、しかも人間の少女に宿ってもいない単独の状態で目覚めていたのかとか、未だに解明されていない謎も色々と出てきて、これはもう早く第3期の続きも観たいと思わせられる話である。
 話は、天理が、桂木家の隣に引っ越してきたという所で終わる。 前の住人は、「家がいきなり潰れたりして気味が悪い」という事で引っ越していってしまったらしいが、これは、第1期第2話で、エルシィが誤って箒を最大出力で使った為に、桂木家だけでなく隣家まで吹っ飛ばした、あの事件のことを指していると思われる。 壊れた所はすぐに修復されていたようだが、もしかしたら、あの後もエルシィが何度も吹っ飛ばしていたのかもしれない。
 それにしても、天理には、飛行機雲がよくモチーフとしてつきまとう。 本作の「再会」「邂逅」それぞれのEDでも、天理と一緒に飛行機雲が出てくるし、第3期序盤で、ディアナが三界を繋ぐ魂の循環機構について説明する場面でも描かれている。 これは、何か意味があるのだろうか。
 後、本作では、第2期の最後を飾ったヒロイン「よっきゅん」こと四葉も、とある重要な役割で登場するのだが…いいのかこれで。

ひだまりスケッチ 沙英・ヒロ卒業編
 2013/12/23視聴。
 2013/11/27に発売されたOVA作品だが、発売直後の2013/11/29深夜(正確には2013/11/30未明)に、BSデジタルのBS-TBSのみではあるが、TV放映もされたもの。
 第1話「2月1日〜20日『受験スケッチ』」と、第2話「2月28日〜3月1日『卒業スケッチ』」の2本で構成されている。 この話数の表記の通り、(今までのシリーズであったような)直前のTVシリーズ「ハニカム」の「特別編」ではなく、あくまでも「沙英・ヒロ卒業編」という独立した位置づけとなっていて、タイトルロゴ等も専用のものが使用されている。
 ただし、第1話OP・EDおよび第2話OPは「ハニカム」を引き継いでいるし、第2話ED曲は「ハニカム」OP曲のシングルCDにカップリング曲として収録されていた曲なので、製作の位置づけとしてはやはり「ハニカム」の続編というか完結編的な感じを受ける。
 物語は、タイトルの通り、3年生の沙英とヒロの、大学受験から卒業式までが描かれる。 丁寧で、コミカルで、なおかつ情感豊かな演出は今までどおりながら、画のタッチ等がより原作の絵柄に近づけられ、更にTVシリーズでは使われていなかったような、凝った処理も多く採用されており、その描線の繊細さと柔らかさ、色彩の豊さと暖かさは、今までのシリーズと比べても群を抜いたクオリティに達していて、まさに卒業という特別なイベントを飾るに相応しい、特別な作品に仕上がっている。
 とはいえ、そこはただひたすらに、ゆの達の暮らす日常のひとコマを「スケッチ」するかのように描いてきた本シリーズだけあって、これもまた、彼女達の人生のひとコマを切り取ったに過ぎないと思わせるような構成である。
 ゆの達在校生にとっては、まるで家族のように、いつも一緒だった先輩達がいなくなるのは寂しい。 卒業生の沙英とヒロにとっては、3年間慣れ親しんだ「ひだまり荘」や、やまぶき高校を離れ、後輩達とも別れて、更にはお互いも他の友人達も、一人で異なる道へ進んでいく事になる。 でも、決して悲しくはない。 やっぱり楽しい。 そして、すごく暖かい。 そんな彼女達の日々は、これからもずっと続いていく。 そう思わされるような、いかにも「ひだまり」らしい卒業の話だった。
 ただ、それでもやっぱり、特別な事はたくさんあって、それは沙英に素直な気持ちをちゃんとぶつける事ができた夏目の姿だったり、卒業式の間ずっとゆのの手に自分の手を重ねていて、卒業式が終わった後も片時もゆのの傍から離れない宮子の姿だったりするのだが、作中では3年、現実では第1期放映開始(2007年1月)から7年にも及ぶ、今までの「ひだまり」の積み重ねがあるから、観ている方としても、そういう事も全部、至極当然の事に思える。
 あえて一つ残念な点を挙げるとすれば、乃莉・なずなの1年生コンビが今一つ目立っていなかった所ぐらいか。 卒業式のシーンにこの2人の姿は描かれていなかったし、2人だけでいる所も描かれていなかったような気がする。 ゆのの物語としてはそれでも問題は無いし、単に尺が足りなかっただけなのかもしれないのだが、もしかしたら、スタッフもまだこの2人を掴みきれていなくて、彼女達がどんな気持ちでいるのかを描くのが難しかったから、あえてそのような描写を避けたとも思える。
 後、吉野屋先生は、最後までいつもの吉野屋先生だった。
 …って、本当にこれで最後…?

THE NEXT GENERATION ─パトレイバー─ 第1章
 2014/04/18鑑賞。大阪ステーションシティシネマにて。
 エピソード0「栄光の特車二課」、エピソード1「三代目出動せよ」の2本立てではあるが、合わせても上映時間が1時間強という短時間(その上、エピソード0は、ケーブルテレビのJ:COMが配信している家庭で無料で観る事ができるJ:COMテレビでも繰り返し放送されている)なので、料金も1,200円均一と低め。 僅か2週間の限定上映というのを知らなくて、気が付いたらもう終わりそうになっていたので、最終日の最終上映を観に行った。 何故か、500人以上のキャパがある劇場で最も大きなハコでの上映だったので、観客が数人しかいなかったらどうしようかと思っていたが、ざっと数えてみても100人ぐらいは入っていて一安心というか。 いや、別に私が安心するような事でもないのだが。
 それはともかく、1988年に最初のOVAシリーズ(現在では「アーリーデイズ」などという副題が付いているようだ)がリリースされ始めてから26年・四半世紀が過ぎた今、「パトレイバー」が押井守監督によって実写版として帰って来た。
 とは言っても、過去作品のリメイクではなく、同一の世界観を引き継いだままの続編として作られている。
 時代設定は、作中の時間で1998年頃に始まった初代特車二課第2小隊の結成から十数年が経過している現代と同じ2014年。 東京湾の大規模再開発計画「バビロン・プロジェクト」の推進と共に急速に発展・普及したレイバーも、バブル景気崩壊後の不況の中、やたらとメンテナンスの手間ばかりが掛かるとしてすっかり衰退し、今やごく一部の現場でしか利用されていない時代。
 レイバーの衰退と共に、当然ながら「レイバー犯罪」も減少の一途を辿り、すっかり出番の無くなった警視庁のレイバー部隊・特車二課も、第1小隊は解散され、第2小隊のみが「レイバー運用経験の継続」を名目にかろうじて存続しているという状態である。
 登場人物も一新され、第2小隊の隊長は、かの後藤隊長の後輩という設定の後藤田に替わり、隊員達も、劇場版2作目で残っていた山崎ひろみや、篠原重工に出向していた野明達の代わりに入っていた「二代目」から総入れ替えという「三代目」になっており、過去作品から継続して登場するのは、今や特車二課整備班長として最古参のメンバーとなっているシバ・シゲオのみとなっている(劇場版2作目で少し登場していた、整備班の淵山も、継続キャラといえばいえるかも)。
 そして、第2小隊が運用しているパトレイバーも、劇場版2作目でいったんはデータ取り用として篠原重工に戻され前線から引退していた、98式AVイングラムが2機、「出戻り」のような形で装備されているのみとなっている。 もはやメーカーの正式なサポートも無く、動かせば必ず何処かが壊れるという状態の機体を、シバ・シゲオ率いる整備班の努力と根性と知恵と勇気によって、海外からVIPが来日した時に立ってハッタリを利かせる、程度の役割はこなせるように維持しており、いつ解散されてもおかしくない、まさに「落日」を迎えているという中から物語は始まる。
 しかしこの第1章では、ある意味では初期OVA作品をはじめとする「一代目」のリメイクであるかのような印象が強い。
 いつかかるか判らない出動命令を待ってひたすら続く待機状態、相変わらず「上海亭」に依存している埋め立て地故の食生活、隊員と整備班員が総動員して行なう草刈り等々、かつてのシリーズで繰り返されていたような場面の連続である。
 そして、エピソード1で遂に発生した事件の場面での後藤田隊長と犯人とのやり取りは、押井監督が脚本を書いたTVシリーズ第14話「あんたの勝ち!」での後藤隊長と犯人とのやり取りそのまんまだし。 いくら後藤田隊長が後藤隊長の後輩だという設定があるにしても、さすがにこれは使い回しが過ぎないかとも思うが、一方では、初期OVAシリーズのあの雰囲気が帰って来たようで、思わず顔がニヤついてしまった。
 この実写版シリーズは、全12話で制作されたものを全7章の劇場版として構成し直して上映し、更に来年には長編劇場版も公開されるというが、このいわば「全てが番外篇みたいな話」のシリーズに続いて長編劇場版が公開される、というのも、初期OVAシリーズと劇場版1作目をなぞるような構成で、この先の展開も楽しみである。
 ところで、遊馬は篠原重工のレイバー開発主任に納まったと言われていたが、これだけレイバーが衰退している時代にあって、篠原重工は何故未だにレイバーの開発を続けているのだろうか。 謎である。 野明は、その開発部専属のテスト・パイロットとして、遊馬とは公私にわたるパートナーとなっている、という事だが、やはりあのままくっついて結婚したのかな?  実家(沖縄だったか)に帰って家を継いだひろみや、起業して成功しているらしい進士と、それなりにまっとうな人生を歩んでいるらしい一世代目の中で、太田だけが暴力事件を起こして収監中、というのが酷い。 香貫花はどうしているのかは不明。 劇場版1作目で、ニューヨーク市警察に設立されるレイバー部隊の隊長になるとかいう話が少し出ていたが、まだ警官をしているのだろうか(カーシャの名前に「カヌカ」というのが入っているのが気になる)。 そして、太田・進士と共に警備会社を設立するも、一年ももたずにアッサリ倒産した後は消息が一切不明という後藤隊長が何をしているのかも、また今後彼らが物語に関わるような事があるのかも、非常に気になるところである。
 とりあえず、今後公開される第2章以降も2週間限定公開という事らしいので、見逃さないように気を付けないと。 後、やはり川井憲次氏の作る「パトレイバー」の音楽は、相変わらず格好いい。

THE NEXT GENERATION ─パトレイバー─ 第7章
 2015/01/11鑑賞。大阪ステーションシティシネマにて。
 今までのエピソードの総集編というか、ダイジェスト映像に続いて、エピソード12「大いなる遺産」が上映された。 合わせても上映時間が1時間に満たないという尺の短さから、今回も一律1,200円の特別料金。 結局、第1章以降は、この第7章まで一度も劇場で観なかった。 たまに、ネット配信やJ:COMテレビで散発的にエピソードの幾つかが配信・放送されたものを観ただけだった。
 それにしても、本作は、5月公開の長編劇場版「首都決戦」の序章か前編といった趣だし、その上、アニメの劇場版第2作「機動警察パトレイバー PATLABOR 2 THE MOVIE」(以下「パト2」)の完全な続編でもあるという作りなので、「パト2」を観ていない人には意味不明に見える所が幾つもあるし(後藤田隊長が面会していた「柘植」という男が何者なのか、とか)、ストーリーも完全に次の長編劇場版に続くという形で終わっているしで、今までのエピソードのように、これ1本だけを単独で観ても楽しめるような話にはなっていないと思う。
 物語は、現職の警視総監が、病気の為に急遽退任するという所から始まる。 後任として、警備部の部長が取り沙汰されるが、それを期に特車二課の解体を進める件が急浮上し始める。
 しかし、問題は、特車二課の存続の為に先代の隊長達、すなわち後藤と南雲が遺していったという「遺産」の存在であった。 その内容が明らかにされれば、特車二課のみならず、警視庁警備部の存続までもが危うくなると言われている、それはいわば「時限爆弾」とも呼べるようなものらしいのである。
 だが、それはあくまでも噂であり、本当にそんな物が存在するのかどうかすら知る者は少なかった。
 その一人であり、今や特車二課の最古参の存在であるシバは、後藤田隊長から「遺産」の有無を問われてこう答えた。 「先代の隊長達には、守るべきものがあった。あんたには、それがあるのか?」と。
 先代の隊長達が「守るべきもの」とは何だったのか。
 その手掛かりを求めて、後藤田は、収監中のある男に面会する。
 その男の名は、柘植。 かつて、東京を舞台にして「戦争」を演出したテロを実行し、初代の特車二課第2小隊の隊員達の活躍によって逮捕された男は、後藤田に、未だに当時のままの「正義」を信じていると言う。
 自らが「守るべきもの」を見いだせそうな後藤田のもとに、現在行方不明の後藤から突然連絡が入る。 それは、再び特車二課を、そして東京を襲う「嵐」の前触れであった…。
 と、いうようなワケで、物語は長編劇場版「首都決戦」へと続いていくという所で終わる。
 今回は、物語の内容が内容だけに、今までのエピソードのようなおちゃらけた所は殆ど無く、終始シリアスな雰囲気で話が進む。 何より、今回は、総監督の押井守氏自らがエピソードの監督も務めているという事もあり、いわゆる「押井色」が強い。
 まず、主役が、明達若者ではなく、後藤田隊長やシバ・シゲオといった「オジサン」連中である。
 そして、「パト2」の直接の続編になるエピソードという事もあってか、随所に「パト2」を意識したシーンが見られる。
 特に、後藤田が柘植と面会するシーンでは、後藤田の顔に当てられているライティングによって、「パト2」の作画にそっくりに見えるように陰影が際立たされていて、「パト2」をモロに想起させる演出が顕著である。
 何より、今までアニメ版から継続して登場していたキャラクターは、ほぼシバ・シゲオただ一人であった(整備班のブチ山もそれと言えるかもしれないが)のが、遂に南雲や柘植までもが登場し、この「THE NEXT GENERATION」シリーズが「パト2」の続編の物語である事を、ハッキリと印象付けている。
 はたして「遺産」とは何なのか? 国連の難民支援で海外で働く南雲の所に届けられた手紙の主とその内容は? そして、後藤田隊長に伝えられた後藤のメッセージの内容は? 近づく「嵐」とは? 僅かに姿を見せた謎の戦闘ヘリはいったい?
 数多くの謎を残したまま、物語は終わってしまい、その答はおそらく「首都決戦」において明らかにされるのだろう。
 このような形で終わる作品を、決して安くはない料金を取って劇場で公開するというやり方は、正直言ってあまりいい感じはしないのだが、最近ではさほど珍しいものでもないので、今さら文句を言っても詮ない事であるし、今は、とりあえず5月に公開される長編劇場版を楽しみに待つとしよう。
 それにしても、押井氏は、要するにあの「パト2」で描いた、現代の東京を舞台にした「戦争」という状況を、実写でも描きたくなってこのシリーズを始めたんじゃなかろうか。 そんな風に思ってしまうエピソードであった。

蟲師 特別篇 「日蝕む翳」
 2014/04/23に発売されたBlu-ray(BD)初回仕様限定版を視聴。
 原作は、漆原友紀氏が、「月刊アフタヌーン」に連載していた「蟲師」が2008年に終了してから5年振りに同誌に前後編として単発で掲載した新作。 2014年4月からは、2005年にアニメ化された第1期全26話の続編として、原作のまだアニメ化されていないエピソードを全てアニメ化するという、アニメ第2期となる「蟲師 続章」がTV放映されているが、この原作漫画自体は、そのアニメ第2期制作とは全く関係無く描かれた作品らしい。
 パッケージ化に先立って、2014/01/04に関東圏の地上波数局とBS11とでTV放映・ニコニコ生放送(ニコ生)でネット配信され、ニコ生では更に2014/03/31に第1期全26話の一挙配信に続いて再配信された。
 私は、年始に放映があった事を後からTwitterで知り、3月末のニコ生の再配信で初めて観た。 その後、「続章」の放送が始まって、それを観ている内にどうしてももう一度観たくなったので、結局パッケージを購入して改めて観る事となった。 ちなみに、購入したのは6月も半ばを過ぎてからと、発売から割と日が過ぎていたので、初回仕様限定版を買えるかどうか判らなかったが、幸い入手する事ができた。
 物語は、皆既日蝕の時に現れて、日蝕が終わった後も蟲を集めて日の光を遮る「日蝕み」(ひはみ)という蟲にまつわる話。 タイトルの「日蝕む翳」(ひはむかげ)とは、この「日蝕み」という蟲に由来している。
 物語の中心になるのは、胎児の時に「日蝕み」の亜種である蟲「月蝕み」の影響を受け、一人だけが僅かでも日光に当たると身体に痣が生まれて苦しむ体質になってしまった、双子の姉妹のヒナタとヒヨリである。
 日蝕の時には蟲達が活発になり、普段蟲を見る事ができない者にも見えるようになる程だと言われていた。 また、蟲の影響を受ける者も増え、様々な体調の不良を表したり、時には姿を消してしまったり、蟲の側に行ってしまったりするような者まで出るという。 その為、蟲師達は各地で様々な備えを行なっていたが、中でも最も影響が大きいとして警戒されていたのが「日蝕み」であった。
 ギンコもまた、淡幽の助言を受けて「日蝕み」が現れそうな土地で警戒していたが、それが当たって遂に「日蝕み」が現れた。 ただ、対処法は判っていて、近くの何処かに潜んでいる「日蝕み」の根を探し出し、日光が当たる場所まで運んでやれば根は散り、「日蝕み」が集めた蟲達も散り散りになって問題は解決する。
 村人達と共に、「日蝕み」の根を探索していた時にギンコが出会ったのが、ヒナタとヒヨリであった。
 ヒヨリは、胎児の時に「月蝕み」の影響を受けて日光に当たると激しく拒絶反応を起こす体質になってしまった為、日中は雨戸を閉め切った部屋に篭もりっきりの生活を強いられてきた。 そのヒヨリを支えてきたのが、双子の姉妹のヒナタだったのである。 同じ時に母親の胎内にいながら、ヒナタは「月蝕み」の影響を受けずに済み、通常の子供と変わらない体質だった。
 姉妹の父親から経緯を聞いたギンコは、母親が「月蝕み」の光を浴びた際に、ヒナタがヒヨリの陰になっていた為に影響を受けなかったのだろうと推測する。 しかし、その話を立ち聞きしてしまったヒヨリは、自分がヒナタの犠牲になったのだと思い込み、ついキツい言葉をヒナタに浴びせてしまった。
 ヒヨリは、初めの内こそ、村人達が困っているのを横目に「日蝕み」が日光を隠しているお蔭で昼間でも外に出られる事を喜ぶが、やがてヒナタと喧嘩した事や、「日蝕み」の影響で困っている村人達を「いい気味だ」と思っていた事などを後悔し始める。
 それは、ヒナタが突然姿を消し、幾日も戻ってこないようになって決定的となった。
 必死にヒナタを探すヒヨリは、以前にヒナタから聞いていた山奥の花畑でヒナタを見つける。 しかし、「自分がいなければヒヨリは苦しまずに済んでいた」と思い込んでしまっていたヒナタは、既に蟲の影響を受け、普通の人の目には見えないモノになってしまっていた。 ヒナタを人の側に「連れ戻す」為には、誰かが常にヒナタの傍に寄り添い、人との繋がりを深めていくしかない。 そして、それが出来るのは、ヒヨリだけであった。
 一方、姉妹が見つけた花畑に咲いている花が、今の季節には決して咲かない花である事に気付いたギンコは、「日蝕み」の根がそこにあると断定し、村人と共に花畑を掘り起こした。
 はたして、そこには確かに「日蝕み」の根が存在した。 それを日光の当たる場所まで必死に運ぶギンコと村人達。 そして遂に「日蝕み」の作る影を抜け、根を日光に晒すと、それは細かな粒子状になって消え去り、同時に太陽を覆っていた蟲達の塊も散り散りになっていった。
 村には、元通りに日の光が戻った。 そして、ヒヨリは、日光に当たっても平気な体質に治っていた。 「月蝕み」の影響を受けた者には、「日蝕み」の影響が逆に薬となるという事が、初めて明らかになったのだ。 今まで以上に絆を深めた姉妹を見届けて、ギンコはまた旅から旅への暮らしへと戻っていくのであった──。
 パッケージには、音声特典として、長濱監督やギンコ役の中野裕斗氏らのオーディオコメンタリーが収録されている。 TV放映版から修正された箇所や、ヒナタとヒヨリの登場するカットは日蝕をイメージして二人が重なるような構図を取っているといった演出等の解説が聴ける、久し振りにそれらしい(グダグダな喋りだけではない)オーディオコメンタリーで良かった。
 それによれば、本作では、敢えて第1期と似たようなカットやシーンを意図的に織り込んでいるという。 確かに、初めて本作を観た時に、第1期で観たような所が幾つもあると思ったものだった(例えば、ヒナタを人の側に「連れ戻す」為にヒヨリが常に寄り添っていく、というのは、第1期の「天辺の糸」における吹と清志朗の関係と同じである)が、それが監督の演出意図通りのものだったとは恐れ入った。
 そういう所も含めて、本作はまさに「蟲師」という作品の集大成的な趣がある。 各エピソードの時系列が曖昧な所がこの「蟲師」という作品の特徴でもあるが、本作は、原作が連載終了後に発表されたものという事もあってか、明確に時系列的に他のエピソードより後である事が意識されて作られているように見える。
 それが最も端的に表れているのが、日蝕(「日蝕み」の偽の日蝕ではなく本物の皆既日蝕の方)のシーンに、第1期で登場したキャラクター達の、第1期で語られたエピソードの後の姿が描かれている所である。
 これは、原作には無いアニメオリジナルの部分で、原作者の漆原氏も本作を実際に観るまで知らなかったという。 長濱監督は、漆原氏には気付かれないようにこの部分を創る為に、例えば「日蝕の時はイサザのような蟲師達は何をしているものでしょうか?」等のように、間接的な聞き方でイメージを掴み、描いていったのだという。 このシーンを初めて観た時、漆原氏はそれを絶賛したというが、確かにこれは第1期のファンにとっても驚きと共に嬉しい所であった。 ちなみに、BDに付属のブックレットには、このシーンの絵コンテが載っていて、どのカットがどのキャラなのかがちゃんと判る。 もっとも、第1期をきちんと観ていれば、それを見なくても視聴者には判るようにちゃんと描かれている所も素晴しい。
 ただ、そこで描かれている各キャラクター達の姿は、その成長の度合いが結構マチマチであり(例えば、第1期第1話の時はまだ少年だったしんらが大人ぐらいの背丈にまで大きくなっている一方で、同第2話のスイとビキはそれ程成長していないように見えたり)、やはり第1期の各エピソードの時系列についてはハッキリしない所は変わらない。 更に言えば、皆既日蝕が見える所(「皆既帯」と呼ばれる、月の真影が通過する帯状の地域)はそんなに広範囲ではないので、第1期の登場キャラ全員が皆既日蝕を見られるというのも不自然な話ではあるが、それを言うのは野暮というものかもしれない。 それに、本作では、彼らが見ているのが皆既日蝕なのか、それともより広範囲で見られる部分日蝕なのかは、ハッキリとは判らないような画になっているので、ファンとしては、その辺りはあまり深く考えずに、彼らが今も息災であるらしい事を素直に喜びたい。
 そして、そのような第1期のファンには嬉しいサービスカットも含め、全体的に、ストーリー・映像・音楽・キャスト等の全てに於いて、本作に対する印象は、まさに「あの『蟲師』が帰って来た!!」と言うに相応しい、素晴しいものであった。 4月から始まった第2期の「蟲師 続章」もまた、今の所は同様の感想である。 第1期とは異なり、この第2期は第10話をもっていったん終了し、少し間を開けて残りを放映するという、やや変則的な分割2クール構成となるらしいが、現在のクオリティを保つには、それが最善の方法だったのかもしれない。
 クオリティといえば、やはり本作のオーディオコメンタリーで、作中の蟲の作画が第1期から全て手描きだった、というのを聴いて驚いたものである。 てっきりCGによるデジタル作画かと思っていたが、後処理や効果等にデジタル処理を使ってはいるものの、動きの作画は全て手描きで行なっているとのこと。改めて、この作品へのスタッフの拘りの一端を垣間見たような気がする。

いなり、こんこん、恋いろは。 番外編
 2014/06/25発売の「いなり、こんこん、恋いろは。」コミック第8巻限定版に付属のオリジナルアニメBD作品「いなり、コンコン、蝉しぐれ。」を視聴。
 時期としては、いなりが夏休み中の時のようだ。 TVシリーズでは、1学期の終業式の日の話の次が、もう夏休みの終わりかけの頃の話だったので、いなり達が夏休みをどんな風に過ごしていたのかは、最後の海水浴の話以外は殆ど描かれていなかった。 原作にある話のようだが、番外編としては、その時期の話ならかなり自由に作れるというのもあったのだろう。
 いなりの御使いキツネとして早く一人前になろうと、いなりに無断で高天原に戻って修行をしていたコンが、ミヤちゃんにアドバイスを受けて、人間の姿に変身して人間界で経験値を積もうとしていたら、たまたま、丹波橋の弟の白兎(しろう)に捕まってしまう。 何故か家に帰りたがらない白兎を放っておく事もできず、場所も判らないのに仕事中の母親に会いに行くという白兎に付き合わされ、白兎の気まぐれに振り回されてしまうコン。
 一方、いなくなってしまったコンを探していたいなりは、偶然、こちらは白兎を探していた丹波橋と出会う。 どうやら、些細な事で兄弟喧嘩をして、白兎が家を飛び出してしまったという事らしい。
 丹波橋と手分けをして、白兎(とコン)を探すいなり。 たまたま、先に白兎を見つけたいなりは、白兎が母親に会いたがっている(が、今、何処にいるのかは判らない)と知ると、丹波橋の母親に変身しようとするが、それを止めさせようとした少年がコンだとアッサリバレてしまい…という話。
 一応親切心からではあるにしても、白兎を探すのを手伝ったり、白兎が欲しがった花火を買ってあげたり、コンと同様に白兎に付き合ったりするのが、どう見ても丹波橋と仲良くなる為だという下心が透けて見える辺り、TVシリーズよりもいなりがより打算的に描かれているが、全体的にコミカルで軽いノリの話になっているので、そんなに嫌な感じはしない。
 元々、TVシリーズでのいなりも、割と我が強い面がある子として描かれていた(コンにも「無鉄砲」と評されているし)ので、むしろこの方がいなりらしいと思えるし。
 ただ、この番外編全体として見ると、コミカルでほのぼのとしたいい話ではあるのだが、単発のOVA作品としては少しインパクトに欠けるようにも思う。 本作と同様に、原作コミック付属のOVAとして作られた「神のみぞ知るセカイ 4人とアイドル」等の出来が良かったので、少し期待し過ぎたかもしれない。
 とはいえ、(微妙な違和感がある?)京都弁の心地よさは健在だし、背景美術の綺麗さも相変わらずである。 本編の夏休み中の話は、TVシリーズの最終回の後の、秋になった伏見稲荷大社(作中では伊奈里神社)のシーンに前後を挟まれている。 いなりがうか様に神通力を返して、いなりはうか様やコンの姿を見る事ができなくなっており、いなりとうか様が直接会って言葉を交わす事はもう無いが、いなりは今でも時々いなり寿司を作って神社に持ってきたりしているし、うか様やコンもその姿を相変わらず見守っている、という姿が描かれている。 本作は、この時、うか様とコンが、この夏休みの時の事を思い出している、という構成になっているのである。 この秋のシーンの、紅葉に彩られた伏見稲荷大社の風景が、実に美しい。 ゴールデンウイークに行った時に見た場所もたくさん出てきていたし、秋になったら、また行きたいと思わせられる出来である。
 それにしても、TVシリーズの方ではうか様に乙女ゲーを勧めて2次元にハメた張本人であり、また本作では、コンに微妙なアドバイスともつかない話をして、その結果コンが苦労させられたりと、ミヤちゃんがどうも他人に道を踏み外させているような気がしてならない。 ミヤちゃんは、元々商売繁盛の神様だし、温和そうで可愛らしい少女のような姿とは裏腹に、実は結構な天然腹黒娘なんじゃないかという気がしてきた。
 あ、後、大年神にーさまも相変わらずで、ある意味ちょっと安心した。

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