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AMARUBE RAILROAD BRIDGE 2007 
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余部鉄橋


 JR山陰本線の餘部駅すぐ東側にある余部鉄橋は、2010年(平成22年)の完成を目指して、2007年(平成19年)4月頃からコンクリート橋への架け替え工事が始まりました。 このページでは、2007年の夏から工事が完成する予定の2010年までの間の余部鉄橋とその周辺の様子の写真を記録したいと思います…できるだけ。 一応、毎年夏に撮影しに行くつもりですが、企画倒れになるかもしれません。

 なお、このページでは、名称は「余部鉄橋」及び「餘部駅」に統一しておきます。 「余部鉄橋」は、正式名称は「余部橋梁」もしくは「余部橋りょう」のようですが、「余部鉄橋」が一番通りがよさそうですので。

2008年夏

2007年夏

 3回分を残した「青春18きっぷ」を購入できましたので、以下の3日に渡って撮影を行ないました。各写真は、その3日で撮影したものがごっちゃになっています。 また、「行程」に記載した駅名は、列車を乗り継いだ駅です。

●撮影日程と行程

余部鉄橋 余部鉄橋 余部鉄橋 余部鉄橋
■1枚目:最もよく見る構図の余部鉄橋です。 ■2枚目:1枚目の写真は、「鉄橋撮影ポイント」から撮影したものです。撮影ポイントの入り口は、餘部駅の東側(鉄橋側)の端に近い所に、写真の左にあるように杭が立てられています。 ■3枚目:「鉄橋撮影ポイント」へは、このような階段が設えられています。写真の上の方(真ん中辺りのV字形に見える木の右側)に人が立っているのが見えますが、そこが撮影ポイントです。高さは10mぐらいでしょうか。大して高くありません。 ■4枚目:「鉄橋撮影ポイント」には、このように角材(枕木でしょうか?)が敷かれています。広さは、せいぜい5m四方ぐらい?奥に見える白い立て看板は時刻表です。
余部鉄橋 余部鉄橋 余部鉄橋
■1枚目:「鉄橋撮影ポイント」に立てられている時刻表です。ご覧の様に、餘部駅に停車する列車だけでなく、通過する列車の時刻も書かれています。 ■2枚目:「鉄橋撮影ポイント」から俯瞰した余部鉄橋です。 ■3枚目:「鉄橋撮影ポイント」から見渡すとこんな感じになります。左右は木に遮られていて、見渡せる範囲はさほど広くないです。なお、この写真は、CAMEDIA C-70 ZOOMのパノラマ撮影機能を使って、複数の写真を繋ぎ合わせたものです(周りに樽形の黒い枠が付いているのはその為です)。
余部鉄橋 余部鉄橋 余部鉄橋 余部鉄橋
■1枚目:余部鉄橋の全景です。結構離れて撮影したつもりでしたが、手前の校舎で大きく隠されてしまいました。でも、橋脚が11本あるのが判るかと思います。 ■2枚目:余部鉄橋の西側です。この写真だと判りにくいですが、いちばん西側(写真の左側)の橋脚は山の斜面に建てられていて、他の橋脚に比べて小さくなっています。 ■3枚目:余部鉄橋の東側です。2枚目の写真と合わせて見て下さい。 ■4枚目:いちばん東側(1枚目の写真のいちばん右側)の橋脚も、このように斜面に建てられている為、他の橋脚に比べて更に小さくなっています。
余部鉄橋 余部鉄橋 余部鉄橋 余部鉄橋
■1枚目:鉄橋の下を横切る国道178号線を跨ぐ橋脚のクローズアップです。鉄橋の高さが何となく感じられるかと思います。橋桁には「山陰本線 余部橋りょう」の文字が見えます。また、橋脚の根元部分は工事用のフェンスで囲われています。 ■2枚目:橋脚の1本。下に見える観音様は、1986年に起きた列車転落事故の慰霊碑です。 ■3枚目:橋脚と橋桁の繋ぎ目はこんな感じになっています。 ■4枚目:鉄橋の色が妙に鮮やかだと思ったら、今年(2007年)7月に塗装がされたばかりだったようです。
余部鉄橋 余部鉄橋 余部鉄橋 余部鉄橋
■1枚目:北西側からの余部鉄橋の全景です。逆光なので少し見にくいですが…。これは、餘部駅から下に降りる坂道の途中から撮影したものです。 ■2枚目:1枚目からもう少し降りた所からややアップで。 ■3枚目:更にもう少し降りて鉄橋の真下で。橋脚のトラスが美しいです。 ■4枚目:鉄橋の下をくぐり抜けて南西側から。
余部鉄橋 余部鉄橋 余部鉄橋 余部鉄橋
■1枚目:橋脚の根元から。 ■2枚目:更に見上げて橋桁を真下から。鉄骨や枕木の間はスカスカです。上から真下を見下ろしたら、さぞ怖い事でしょう。 ■3枚目:「鉄橋撮影ポイント」から少しクローズアップして。鉄橋の先(東側)がすぐにトンネルになっているのが判るかと思います。 ■4枚目:餘部駅のいちばん東側の端から東を向いて撮影。駅を出るとすぐに鉄橋になっています。架け替えというから、てっきり現在の鉄橋の隣に平行して新しい橋を造るのかと思っていたのですが、そんな事をしたら、鉄橋の東西にあるトンネルや餘部駅も位置を変えないといけなくなりそうな感じです。橋桁はそのままで、橋脚だけを新しく建て直すのでしょうか?→後で調べてみたら、新しい鉄橋は、やはり現在の鉄橋の南側に建設されるそうです。それに伴って、現在は餘部駅のホームの北側を通っている線路はホームの南側に付け替えられる・駅の南側の山の斜面は削られて現在の「鉄橋撮影ポイント」も無くなるとのことです。トンネル側をどうするのかとか、「鉄橋撮影ポイント」を新しく造るのかとかは判りませんでした。
余部鉄橋 余部鉄橋 余部鉄橋 余部鉄橋
■1枚目:鉄橋のすぐ脇から。少しぶれてます。右側奥・橋脚の根元に工事用のフェンスがあるのが見えます。 ■2枚目:1枚目の右側奥のアップです。工事用のフェンスで橋脚の根元が囲われています。右上に慰霊碑が見えます。慰霊碑の所はフェンスが回り込んでいて、道路(国道178号線)に面した慰霊碑の正面側は開放されています。 ■3枚目:橋脚の根元を北側から見た所です。手前の3本の橋脚はフェンスに囲われていません。手前から数えて4本目から奥側(東側)の橋脚が囲われています。 ■4枚目:フェンスに掲げられている工事の証票(?)です。工事は清水建設と錢高組との共同で、平成23年(2011年)3月31日までの予定で行なわれる事が書かれています。
余部鉄橋 余部鉄橋 余部鉄橋 余部鉄橋
■1枚目:餘部駅のホームを浜坂方面を向いて撮影。駅の後側(南側)はすぐ登りの斜面、前側(北側)はすぐ下りの斜面で、本当に山の斜面に造られているのが判ります。左手前の白い吊り看板は、豊岡方面行きのワンマン列車の乗車位置を示す看板です。 ■2枚目:餘部駅のホームを豊岡方面を向いて撮影。 ■3枚目:餘部駅の駅舎です。ご覧の様にごく簡易なもので、当然無人駅です。ただ、8月15日に行った時は、お盆休みという観光客が多い時期だったせいか、駅員さんが居て記念品の販売等も行なっていました。屋根(というか庇?)から下がっている白い看板は、鳥取(浜坂)方面行きのワンマン列車の乗車位置を示す看板です。 ■4枚目:駅舎の正面。「ようこそ余部へ」と横断幕が掲げられています。
余部鉄橋 余部鉄橋 余部鉄橋 余部鉄橋
■1枚目:駅舎の正面に取り付けられている「近畿の駅百選 認定駅」の認定証です。「日本の駅百選」ではない所が微妙な感じです。 ■2枚目:駅名表示板です。これは駅の西側にある方で、東側にももう一つあります。このように、ホームの後はすぐ山の斜面になってます。余部鉄橋が架け替えられると、線路はこの、今は斜面になっているホームの南側を通る事になるようです。 ■3枚目:餘部駅に入ってくる豊岡方面行きのワンマン列車。2両編成で、餘部駅のような無人駅では、乗り降りは前の車両でしかできません。その為、豊岡方面と鳥取(浜坂)方面とでは、乗車位置が異なる訳です。 ■4枚目:餘部駅の東の端に建てられている「余部駅建設に従事する地元の子どもたち」という壁画です(何故か「餘部駅」ではなく「余部駅」と表記されています)。餘部駅の完成は昭和34年4月で、それまで地元の人達は、歩いて余部鉄橋を渡り鎧駅まで行っていたそうです。その為駅建設の要望は高く、いざ建設が始まると子供達も大人達と一緒に駅や駅までの道を造るのに力を合わせたそうです。
余部鉄橋 余部鉄橋 余部鉄橋 余部鉄橋
■1枚目:おまけその1。余部鉄橋を通過する列車から見下ろすとこんな感じです。 ■2枚目:おまけその2。餘部駅から見下ろした湾の様子です。この日は快晴で、海も綺麗でした。 ■3枚目:おまけその3。1枚目の写真の、河口辺りの浜辺から撮影した海の様子です。この辺りは、砂浜ではなく砂利浜でした。海水浴場は、ここよりもう少し西(写真左手)の方にあります。 ■4枚目:おまけその4。1日目の復路で立ち寄った京都駅です。実は、駅ビルが現在の形になってから一度も行った事がありませんでした。この空間でガメラが戦ったんですね。

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