風邪ひきイルカ先生の一週間



○月×日 月曜日


午前6時50分。

目を開けたら、イルカ先生も起きていた。
上半身を起こして顔を覗き込み、具合を尋ねると「すみません」と呟き微かに首を振る。薬を飲んで暫くは熟睡
出来たが明け方からはうつらうつら、今また寒気がしいてるという。
熱の所為か瞳も潤んで息も荒い。見るからに辛そうだ。首筋に触れてみても確かに熱い。測ってみると38度
2分。これで上がりきって無いってことは、9度台までいくってことだろうか。__可哀想に。


__せんせ、朝ゴハン食べたら病院に行こうね。ゆうべも言ったけど、医療班に知り合いがいるの。すぐに看
てもらえるから。


とにかく、飯。発熱しているんだから消化のいいもの、そうだ、おかゆなんかいいな。アレつくって薬を飲ませ
て、それから病院に連れて行こう。その前に身体も拭いてやらないと、汗も掻いてるだろうし。

おかゆ、おかゆと呟き、台所で鍋を手にしたところでピシリと固まった。頭が真っ白で文字通りフリーズ状態、
手も足も動かない。・・・・ええと。


おかゆって、一体どう作ったら・・・・!?


自分にそのへんの知識が全く無い事に、今更ながらに気が付いた。・・・・米、米だな。米を煮るには違いな
い、いくらなんでもそれ位はオレにも分かる。だがどれ程の米にどれくらいの分量の水でどの程度煮込むもの
なんだか皆目見当がつかない。それより、すぐに出来上がるものなんだろうか。一刻も早く医者に看て貰わな
いといけないのに、一時間も二時間も掛かってたんじゃ話しにならない。

・・・・どうしよう。

先生に聞いてみようか。いやいや、それはダメだ。そんなことをしたらあの人はきっと自分で台所に立ってしま
う。高熱を出している病人に、それだけはさせたくない。なら、このまま店に行って買って来る方がまだマシ
だ。コンビニならレトルトなんかが売ってるだろう。いや待てそもそも・・・・おかゆのレトルトなんて、コンビニに
置いてあるもんなのか?


・・・・カカシさん


弱々しく呼ばれて寝室に戻ると、イルカ先生に手招きされた。握ったままの空の鍋とオレの顔を見比べ、くす
りと笑い肩を揺らしている。台所で固まったままの気配で、オレの空転する思考は粗方読み取られたらしい。


「カカシさん、いいんです気を遣わないで下さい。食欲もないし何か飲むのもでもあれば・・・・」


その言葉に慌てて冷蔵庫の中のスポーツ飲料を差し出した。喉を鳴らして飲み干す姿に安堵して、それから
項垂れた。ゴメンね、せんせ。普段から甘えてばっかりいたツケだよね、こんな肝心な時役に立たないなん
て。でも、出来るだけの事はさせて貰うしそのつもりだから!!


「いえ、申し訳ないのは俺の方です。よりによってこんな時に・・・・」


降ろした髪の向こうに、俯いた顔を伏せて言葉を呑み込んでしまう。そのあえかな姿に正直胸が痛んだが、オ
レはことさら明るい声を出してイルカ先生を急かした。ホラホラ、早く着替えてさっぱりしましょう、・・・え?もう
着替えた?ならオレに掴まって、ちょっとグラっとくるかも知れないから目はちゃんと瞑っててね。


「え!?カ、カシさん、あの」


ふらつく先生の身体を強引に腕に抱え、直ぐさま印を切った。しがみつく腕からゆっくりと力が抜ける頃、オレ
達はまだ人影まばらな木の葉病院の待合室にいた。







__あー、ちょっとちょっと。

「はい?」


向こうから歩いてきたまだ年若いおねえちゃんに声を掛ける。ナースキャップを被ってるってことは間違いなく
看護師だろう。おねえちゃんは先生を姫抱きしたままのオレに目を丸くしていた。


__悪いけど診療部内科のカドマツ呼んできてくれる?上忍のはたけカカシが来たって言えば分かるから。

「はッ!?え、ええと、あの」

__あのねぇ、急患なんだよね見て分かんない?


二度もいわせんなコラ、と右眼に眼力を込めると看護師は返事をしながら飛びすさっていった。ガッチリ抱き締
めた腕の中で、先生が蒼い顔で身じろいでいる。


「カカシさん幾ら何でもまだ早すぎますッ、こんな時間に外来開いてるわけないじゃないですか!!」

__あー、いいのいいのセンセ、気にしないで。カドマツはね、オレの暗部時代の部下なんですよ。いやもう
今でも語り草になる程遣えないのなんのって昔はさんざっぱら面倒掛けてくれたヤツでしてねー、まぁその時
の貸しでちょっとくらいの我が儘は利きますから心配しないで、大丈夫ですよ

「で、でも・・・・」

__あッ、アイツ暗部じゃどうしようもない役立たずでしたけど医療の腕は確かですから、一応診療部長です
しね。だから安心して?


事実オレもスタミナ切れで何度も世話になっている、勝手知ったる診察室の扉を蹴り開けて中に入る。当然無
人の診察台にイルカ先生を横たえていると、忙しない足音と共に白衣を着た男が駆け込んできた。2分15秒
フラット。まぁまぁってトコか。


__よー、カドマツ。久しぶりー

「は、はたけ上忍!!急患って・・・・どうかされたんですか!?」

__あー、今日はオレじゃないのよ。看て貰いたいのはこの人。

「へッ!?」

「も、申し訳ありません先生、中忍のうみのイルカと申します」


カドマツはカックンと顎を開いたまま、呆然とイルカ先生を見ていた。オレは暗部時代、コイツの所謂『危機一
髪』て所を何度救ったか知れない。今は眼鏡の奥に隠れている童顔も、よくよく見ればその頃からあまり変わ
り映えはしていない。


「はたけ上忍が急患だっていうから・・・・僕驚いてスッ飛んで来たんですよ!?」

__かーどーまーつー、ご託はいいんだよ早く看ろ

「勘弁して下さい隊長、まだカルテも上がってきてないのに・・・・」

__カルテに書くのもその辺の紙に書くのも書くこた一緒だろうが、吹いてる暇あったら早く聴診器あてろ。


睨め付けるとカドマツは首を竦めて溜息を吐き、恐縮しまくるイルカ先生に向き直った。起き上がろうとする先
生を制し、問診を始める。オレも数回口を挟んだ経過の説明を聞き終えると、晒された上半身に慎重に聴診
器をあてた。「隊長、ちょっと見て下さい」言われてペンライトで照らされた先生の喉を覗き込む。息を飲んだ。


「真っ赤でしょう?随分腫れてますねー、この白くポツポツ見えてるのが膿です。これはこれから弾けてもっと
広がる可能性があります。__うみのさん、今かなり痛みがあるでしょう?ちょっと組織取らせて下さいね、細
菌検査しますから」


はい、と掠れた声が返答する間にカドマツは検査キットを取り出した。20pはあろうかという綿棒で患部を擦
り喉の粘膜を採取する。苦しいのか、先生の眉がギュッと寄った。


「あの、カドマツ先生、大変厚かましいお願いなんですが」

「はい?」

「解熱剤を出していただいて一、二日休んだら、外出してもいいでしょうか?どうしても外せない予定があるん
です」

「ええッ!?ダメですよそれは無茶です!!喉のウィルスは高熱が出てしかもそれが四、五日続くのがよくあ
るパターンです。体力が完全に回復するまで、少なくとも一週間はみておいた方がいいですね」

「一週間!?」


今度はイルカ先生が驚く番だった。みるみる項垂れる先生に、カドマツは気の毒そうな視線を投げた。


「所見だけではプール熱なのかヘルパンギーナかそれとも溶連菌感染症なのか、確定は出来ません。なの
で検査をさせて頂いたんですが、いずれも持続性のある高熱が特徴です。もちろん解熱剤は出しますが、と
にかく安静が第一です。十分な栄養を取って、ゆっくり休まれて下さい。」

__あっ、せんせ、一昨日アカデミーでプールの授業あったじゃない!?もしかしてそこで貰っちゃった?

「・・・・隊長、プール熱は夏に流行るから付いた名称であって、必ずプールで移るってワケでは」


かーどーまーつー、てめ、銀縁眼鏡に白衣なんてスカした格好しやがって随分と生意気な口きくじゃねぇの?
任務の度にいっつもガタガタブルブル半泣きでオレに縋ってたのは何処の誰だよ暫く『ガタブル君』て呼んで
やった思い出話を今ココでしてやってもいいんだけどどうするよ、あ?

てな電波を軽く飛ばすと途端にカドマツの背筋が伸びた。検査結果を見て薬を処方すると言い残し、そそくさ
とカーテンの向こうに消える。オレもイルカ先生を促し診察室を出た。

ごめんなさい、ごめんなさいと小さな声で呟く先生の髪を何度も撫でた。せんせ、この際旅行はキッパリ諦め
よう。そう告げると絶句し、見る影もなく萎れてしまう。元々責任感の強い人だ、自責の念が今どれ程この人を
苛んでいるのか、痛い程分かる。だからオレは敢えて軽い口調で捲し立てた。


__あのさ、オレ昔からバカだ鬼畜だ人非人だってさんざっぱら罵られて来たけど唯一の長所は切り替えの
早いトコなの。いやホント、自慢じゃないけどそこだけが自他共に認める美点っての?だからさ、オレもう全然
まったく未練無いし、大体温泉なんて何時だって行けるじゃない?家でゆっくりするのもひとんちでゆっくりす
るのも変わりないしさ、折角の休みなんだししっかり養生して二人っきりでのんびりしよ?


オレを見つめていた黒い瞳から、ポロリと涙が零れる。震える肩を抱き寄せ、流れ落ちるその涙をそっと拭っ
た。


__せんせ、好きで病気になる人間なんていないよ。だから気にしないで。

「・・・・カカシさん、どうしてそんなに優しいんですか・・・・」

__そんなの決まってるでしょ、愛してるからです。


次から次へ湧いては溢れる涙が、頬を滑りパタパタと音を立てて胸元に落ちる。せんせ、泣かないでよ、オレ
はせんせの笑ってる顔が、一番好き。一緒にいられるだけで幸せ。だからそんなに気に病まないでよ、ね?


イルカ先生の押し殺した泣き声が、人気のない待合室に低く響く。オレは涙に濡れた頬に、発熱する唇に、黒
髪に覆われた額に、何度も口づけを繰り返した。



〈 続 〉



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