マイライフ・アズ・ア・ドッグ 8



街角 血の匂い 流線

遠く向こうから

何処かで聞いたような泣き声

               アフターダーク / ASIAN KUNG−FU GENERATION











「どうします、頭」

「何呆けてやがる、殺るに決まってるだろうが」

「犯る、の間違いじゃねぇのかキタ?手前ェ突っ込める穴だったら人間だろうと動物だろうと何だって構やしね
ぇんだろうが」

「ボザいてろタタリ、頭の顔に傷つけたスケにおっ勃つ程俺も悪趣味じゃねぇのよ。手足引き千切って嬲り殺
しに決まってんだろうが、あ?」


腹に蹴りを喰らわされもんどりうって一回転__再び地面にうつ伏せた。食道を焼きながら胃液が逆流する。
すえた匂いに咳き込みながら渾身の力で狭い視界を探った。見える足は4本、しかし頭上から降る声は3種。
いずれも刃を交わした男のものではない。なら今ここには、少なくとも4人の賊がいることになる。

地に伏した頬に、小石の飛礫が痛い。粗い息で視線を彷徨わせた先に、カタバミの黄色い花弁が見えた。カ
タバミの仲間はどれもこれも口に含むと酸っぱい。再び逆流しかかる胃液を堪えようと、慌ててその可憐な花
から目を逸らした。


「・・・許さねぇ。覚悟しろこのクソアマ」


キタ、と呼ばれた男の脚が上がる。__また、蹴られる。せめてもの受け身と身を丸め腹筋に入らない力を込
めたところで別の男の声がした。


「まあ待て、キタ」

「頭」

「お前の気持ちは有り難いがな、若は『出来るだけ無傷で』とのご要望だ。その辺にしとけ」

「しかし頭!!」

「若の気性をお前も知らない訳じゃあるまい。仕方ねぇ、俺も迂闊だったのさ、まさか中忍くの一があんなど派
手なチャクラ刀を使うとはなぁ・・・写輪眼仕込みってヤツか、ん?」


腰を落とし顔を覗き込む男と三度、いや四度刃を交わしたことは覚えている。四度目に振るったチャクラ刀の
先端で男の頬に切り付け、地を蹴って反転し止めの一撃を加えようとしたところで全身を打たれた。


右の首筋、左の脇腹、両の膝裏。打ち込まれた手刀は三方向からすべて一撃ずつ、そして同時。商店街か
ら付け回していた賊が目の前にいる男一人だと思い込んでいた身には、ひとたまりも無かった。主要な経絡
を同時に突かれパニックを起こした神経は、『起き上がれ』という脳からの指令にすら従わない。


「タタリ」

「ヘイ」

「木の葉の忍はすべて認識票を身に付けている筈だ。こいつが確かに『うみのイルカ』かどうか調べろ」

「承知。・・・しかし頭、もし人違いだったらどうするんで?」

「そん時はしょうがねぇ、お前らにくれてやるさ。若の指名は『木の葉のうみのイルカ』だ、別のスケを担いでっ
たところで誤魔化せるお方じゃねぇ、煮るなり焼くなりお前らの好きにしな」

「だとよキタ、有り難てぇ話じゃねぇか」

「フン」


若、若とは誰だ。しかもそいつは私を知っている。最初から私を狙い四人もの賊を使い、里に侵入させた。

__何故。

若、と呼ばれるからには高位にあるか余程に裕福な人間だろう。しかしそんな階級に見知った男はおらず、任
務で接触した経験も無い。今私を囲む賊の顔ですら、初見だ。

うつ伏せていた身体を表に返され、ベストを引き裂かれた。アンダーの襟元から手を突っ込まれ、したり顔で
嗤う男に胸をまさぐられた__こんな、こんな奴らに。


「へっ、目付きだけは一丁前ってか。ソレで写輪眼を落としたか、え?」

「登録番号011450、頭、間違いないようです」

「ならアガリだな。フン縛れ」

・・・お前ら

「へぇ、まだ喋れんのかよ!?」

お前ら、覚悟しろ・・・木の葉の忍に無体を働いて、唯で済むと思うな・・・

「ハッ、ハッハッハッハッ!!この期に及んで大したタマだ、流石は写輪眼のスケってとこか!!」

「なーに心配するこたねーよ、お前はもう二度と生きてこの腐れ里には帰れねぇ。若とお楽しみの後は俺らが
綺麗に始末してやるから安心しな」

「余計な話はその辺にしておけ、日が落ちたと同時に此処を発つ。・・・やれ」

「「「承知」」」


力を振り絞り上げた腕は上半身ごといとも簡単に捉えられ、後ろ手に縛られる。せめて大声を、と開けた口と
鼻を湿った布で塞がれた。鼻腔と気道に充満する耐えがたい刺激臭。下卑た男たちの笑い声が遠く近くに反
響し始め、その表情を確認する間すらなく、意識は暗転した。













__何の、匂いだろう


軽やかで甘く、それでいて南国の果実を思わせるような蠱惑的な香り。闇に堕ちていた意識がその匂いに引
き摺られ徐々に浮上する。薄く開けた目蓋の向こうで、霞んでいた視界が次第に焦点を結ぶ__緩やかに渦
を巻いて流れる紋様が、天井の木目であると気付くまで暫くの時間をを要した。後頭部に宛がわれた枕、横
臥する身体を包む、柔らかな寝具。


__・・・私は・・・


私は一体、どうしたのだろう・・・


目蓋を開けて最初に目にした天板の紋様の如く、脳内が攪拌されて眩暈がする。身体も頭もひどく怠い。・・・
どうして私はこんなところに寝ているのだろう?今日はアカデミーで一日授業をこなしてから受付は免除しても
らい、ほぼ定時で職員室を出た筈だ。それから夕食の買い物をして帰ろうと、商店街に向かって魚達のおじさ
んと八百茂のおばさんと話をして・・・

唐突に覚醒した。蘇った記憶に飛び起き半身を起した。

買い物の最中から付け回していた賊。夕闇の濃い神社で交えた刃。しかし単独かと思われた男には三人も
の仲間がいて、私は全身に突きを食らい昏倒してしまった。腕を縛られ何か薬物のようなものを嗅がされたま
では覚えているが・・・

此処は、何処だ。

見廻した部屋は、広大な畳敷きの和室だった。閉められた障子の向こうからは鈍く日の光がさしているが、そ
れが朝のものか昼のものなのかは分からない__何故なら伏していた寝具のまわりを、半透明の柔らかな
蚊帳のような布が囲っているからだ。自分の身体を見下ろして息を呑んだ。着ていたのは忍服ではなく滑らか
な肌触りの白い襦袢。勿論ジャケットに装着していた武具類も全て見当たらない。頭頂で結っていた筈の髪も
下ろされ肩口で微かな音を立てながら滑る。途端にどす黒い不安が胸に押し寄せた__此処はもう、里では
ないのか。


カカシ、さん


不意に銀髪の上忍の面影が浮かび震える己の身体を抱きしめた。あの男たちは日没を待って里を出る手筈
だと云っていた。なら私が気を失ってからさほどの間を置かず出立した筈だ。あの人は知らない筈だ、玄関で
の一悶着の前これから七班と収穫補助の任務だと告げていたから・・・あれから子供達と合流したとしても任
地で一泊の予定だ、私があのまま帰宅せずとも不審に思う人間は誰もいない。

__あれから、あの神社での戦闘からどれくらいの時間が経過したのだろう。私はどれ程気を失っていたの
か。


「おや、ようやっとお目覚めかな」


上がった声に振り向くといつから其処に居たのか、和装の男が一人立っていた。

若・・・!!

あの賊が口にしていた、私を攫えと命じた『若』がこの男なのか!?しかしどう脳内を引っ繰り返してみたとこ
ろで、涼やかな微笑を浮かべている目の前の男の記憶は皆無だった。


「起き上がって大丈夫かい、まだ無理は禁物だよ?どれ、手を貸そう」


男の言葉通り、腰を浮かしかけた途端に眩暈が襲った。揺れる視界に顔を覆っていると男は軽やかな身のこ
なしで蚊帳を捲り傍に寄ってきた。切れ長の眼に通った鼻梁、胸の下まで届く亜麻色の長髪。__恐らく年
はまだ三十に届いていない。白綸子の羽織から覗く骨ばった白い手に肩を掴まれ、瞬く間も無く男の胸に抱
き寄せられた。


あ、あなた、貴方、は、一体

「・・・おや、もう声を出せる?そうか、なら会話は可能だね。それならまずは私に謝罪させて欲しい。・・・ここ
に至るまでの数々の非礼、どうか私の顔に免じて許しては貰えないだろうか?うみの殿」

・・・え、え?

「確かに、君をここに連れて来るようにとあ奴等に命じたのは私だ。しかし、くれぐれも丁重にと申し付けた筈
だったのに・・・運ばれた君を見て驚いたよ、意識が無いどころか、身体中痣だらけじゃないか?これは全く持
って私の監督不行き届きとしか云いようがない。飼い犬の躾不足は、総て飼い主たる私の責任だからね。私
からもきつく叱っておいたよ・・・誠に、申し訳なかった」


男の手が襦袢越しに肩をさする。伏せる形になった顔を起こそうとしても叶わない。男の身体は華奢なように
見えてかなり頑丈なようだった。着衣越しに密着した上半身からも、鍛えられた肉体の感触が伝わってくる。


・・・此処は

「ん?」

此処は、一体何処なのですか。どうして、どうして貴方はこんなことを・・・それに私は、どれくらい気を失ってい
たのですか

「それについては順序立ててゆっくり話そう、何しろ私たちに時間は幾らでもあるからね。まずはそうだね、君
は・・・此処に来てまる二昼夜、眠っていたんだよ」


二昼夜・・・!?二日!?衝撃に言葉も出なかった。恐らくは忍崩れであろうあの賊達に運ばれた時間も合わ
せれば、里から拉致され一体どれほどの時間が経過しているのか。


「それについても、これまた君に謝罪しなければならないんだが・・・どうやら君に嗅がせた薬の調合が、間違
っていたようでね。深く効き過ぎて君はずっと昏倒したままだった。術とやらで無理矢理意識を起こす方法もあ
るにはあるそうだが、身体に掛かる負担も大きいと聞いてね、我が家秘伝の気付け薬を焚いてゆっくり君の
眼が覚めるのを待っていたという訳さ。・・・まったく不届き千万な話で、恥ずかしい限りだよ」

それでは、貴方は・・・貴方は一体どうしてこんなことを・・・・重々御承知でしょうが私は木の葉の忍です。里
に押し入り無断でこんなことをすれば、どれほどの大事になるか・・・お分かりでない筈は、無いとお見受けし
ますが

「うん、それは私にも云い分があってね」

「目が覚めたって、本当なの!?」


鋭い音を立てて開いた障子とかん高い叫び声に、会話を遮られた__目を疑った。肩を抱き寄せる男ともう一
つ同じ顔が足音荒く近寄り、私を覗き込んで来る。だがその表情は男に比べ格段に険しい。紅を引いた滴る
ように赤い唇に泣き黒子、羽織った豪奢な小袖。たかこ、と諌めるように呼ぶ男の声で、それが男の身内であ
るのだと知れた。


「なんて様だ、騒ぎ立ててはしたない」

「フン、たかだか数分先に生まれてきたくらいで偉そうにしないで。兄様はいつだってそうなんだから」


双子・・・!!


「ねぇ、これが本当にあの写輪眼の情婦なの!?・・・信じられないわ」

「手順はどうあれアララギの仕事に間違いはないよ。今までも、そうだっただろう?」

「フン、こんな女!!」


襟元を掴み上げられ白い寝具の上に突き飛ばされる。男と同じ細身であるのに、恐るべき力だった。驚く間も
なく横臥したまま顔を踏みつけられた。足袋を履いた小ぶりの足から加えられる圧力は凄まじく、頬骨が音を
立てて軋む。


「高子」

「こんな女、目を開けてたって閉じてたってまるで雑草じゃないの!!こんな女の為に、私は虚仮にされたっ
て云うの!?」

「口が過ぎるぞ高子、それに野草の趣というものも決して悪いものじゃない。・・・その足を退けなさい」

「兄様!!」

「何も最後まで独り占めするとは云っていない、用が済んだら幾らでもお前にくれてやるよ・・・お前の腹立ちも
理解出来るが少しの我慢くらいは効くだろう?もういい加減、小さな子供じゃないんだ」


粗い息が吐き出されると同時に、耐えがたい圧力が退いた。済まなかったね、大丈夫かい?眦を下げて手を
差し出した男に、ゆっくりと抱き起こされた。ぶれた視界に男の笑みが映る。一見秀麗な顔に浮かぶその深
淵な微笑に、ゾクゾクと背筋が凍った。


「・・・死体では嫌よ、ちゃんと息のあるうちに頂戴。」

「分かってるさ、そんなこと」

「両手両足の爪を剥いでから皮膚も全て剥ぎ取ってやるわ。それから鼻と耳を削いで目も抉ってやるッッ、絶
対楽に死なせないから覚悟なさいッッ!!」

「・・・高子」


囲われた男の腕の中できつく唇を噛んだ。抑え込もうとした身震いが止まらない。睨め付ける女の全身から
迸り出るのは紛れもない狂気だ。吊りあがった鋭い眼光と鋭利な刃物の如き語気は、投げつけた言葉が唯
の脅しで無いことを饒舌に物語っている。そして気遣うように私の半身を包みこむ男からも、また__


「高子、宴はこれからだというのに客人を怯えさせてどうするんだ。まったくもってもてなしの流儀に反するじゃ
ないか?少しは口を慎みなさい」

「フン、よくも云うわ、白々しい」

「申し訳ない、妹の口さがの無さは子供の頃からの筋金入りでね。なぁにそう怯える必要も無いよ、君が苦痛
にのたうち回るのはまだまだ先の話だ」


ダメだ、ここにいては駄目だ__まだ切れていない薬物の所為か力の入らない脚を本能的に動かし、腰を浮
かしたが瞬時に男の胸に戻される。男の細い指先が、幾度も首筋を辿った。


「不調法にもまだちゃんと名乗っていなかったね、許して欲しい。私は火兒嶋武明、こちらは妹の高子。」


頭を殴られたような衝撃が襲った。かげしま__『火』の一字を姓に戴く一族__そんな、そんなことがあって
いいのか。そんな、ことが。


「場数を踏んだ忍と云えど、流石に驚かせてしまったかい?どうやら名乗っていいのかと思っているみたいだ
ね。・・・なぁに心配することはないさ、どうせ君はここから生きては帰れない」


首筋を辿っていた指がふいに離れ顎を取られる。男は親指で頬を撫で囁いた。


「ようこそイルカ殿、我が邸宅へ」



< 続 >



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