ギフト 3



『どうして分かって下さらないんです!!』

『分かる分からないの問題ではないでしょう。何度も説明した通り貴方の主張は単なる仮説に過ぎず、その仮
説に従って木の葉の従軍者全員を危険に晒す訳にはいかない。それだけです』

『・・・見殺しになさるのですか、ホダカ上忍を。写輪眼のカカシともあろう者が』

『安い挑発には乗りませんよ、うみの特別上忍。貴方がどれだけ何を云おうとこれまで述べた見解と方針に、
些かの揺るぎも無ければ変更の可能性も無い』


口布に隠された唇が、せめて歪む様でも眺められたなら幾分の溜飲は下がったかも知れない。しかし相対す
る男の表情はこうして言い争いを始めてからの半時間もの間寸分も変わらず、逆にその涼しげな声音と眦に
は鉄壁の意志をちらつかせている。敢え無く己が唇を噛む羽目になった琴乃は、強く拳を握りしめた。


『これ以上の話し合いは時間の無駄です。オレは大隊長との合議がありますから、これで』

『待って下さい!!』


現当主五代目火影がまだ一介の忍として医療忍の充実を声高に訴えていた以前より、医療従事者が前線で
スキルアップを図るのは慣例であり、琴乃がはたけカカシと共にこの榎侘鳴の地に足を運んだのもそれに倣
ったものと云えた。

榎侘鳴は火の国の属国の一つ、梶香と隣国白州邊の国境に跨る広域湿地帯だ。

梶香と白州邊は共に国と呼ぶのもおこがましい程の小規模な辺境地域だったが、散発的に小競り合いが続
きその度火の国の正規軍と共に木の葉の忍が幾度も駆り出された。属国でなければ捨て置かれた可能性
が大きい小国同士の領土争いも、大国の面子が掛かればそうもいかない。湿原に続く森林は広大且つ貴重
な薬草や動植物、ひいては鉱石の宝庫であり、何より白州邊の後には水の国が居る。


『待って下さい!!はたけ上忍に許可を頂けないのであれば、私が大隊長に直接是非を伺いますッッ』

『うみの、いい加減にしろ!!』

『せやかて!!』

『これ以上の物云いは不敬罪になるぞ!!落ち着けッッ』


同行して来た医療班の同僚達が、両腕を掴む。数多の医療器具や看護用品が乱雑に積み上げられた天幕
の中は、半時間も続いた琴乃とカカシの云い合いで破裂寸前の緊迫感に見舞われていた。『写輪眼』に喰っ
てかかる琴乃と青ざめた表情で諌め取りなす同僚達、オロオロと状況を見守る看護師見習い達の中で、ただ
カカシだけが悠然とぶつけられる激情をいなし続けた。いきり立つ琴乃の主張が、許諾を得られないことは誰
の目にも明らかだった。この戦いの休戦協定が結ばれるまで、梶香を代表する木の葉の大隊長、そして白州
邊の同大隊長クラスの将校達は秘密裏に何度も話し合いの場を設け、苦心惨憺の末に協定を纏め上げてい
た。

__しかし琴乃が懇願するベニバホロギクの採取を認めれば、この今までの苦労が無に帰す可能性が高
い。


『なら白州邊に使者を立てて下さい、貴陣に間近まで接近はすれど攻撃の意志は一切無いと!!ただ病ん
だ忍の為に解毒の野草が欲しいだけだと伝えれば、きっと理解を得られる筈です!!』

『出来ません』

『どうして!!』

『協定が纏まった直後の今だからこそ、尚更慎重を要するからです。白州邊側は戦況が不利だったからこそ
疑心暗鬼に陥りそして怯えている筈だ・・・梶香は自分達を出し抜くつもりではないのか、休戦と偽り実は一
気に攻撃を仕掛けてくるのではないか』

『・・・・ッッ』

『そんな中、植物を摘み取りたいと云う理由だけで敵忍の襲来に目を瞑りますか、白州邊が?それでなくても
陣近辺は幾層ものトラップ防壁が張り巡らされている。使者どころか、貴方の身の安全すら保障出来ない。』


握りしめた拳が軋んだ音をたてた。__琴乃、いっぺん俺と寝てみねぇ?顔を合わせれば例外なくそう直裁
に口説くホダカ諒一は、アカデミーの頃からの旧友だ。だからこその気安さで、琴乃も肩を抱きよせ耳朶を弄
る息にいちいち目くじらを立てなかった。

__ええけどな、アンタうちのお父ちゃん以上にええ目みさしてくれるん?もしアカンかったら、遠慮のうもぎ
取ってまうで、ソレ

__へッ、馬鹿にすんなよ、ガキの頃からお前一筋のイルカとは訳が違うんだよ、研鑽を極めた俺様の超絶
テクの噂、聞いたことあんだろ?あ?

__噂を鵜呑みにする程、うちもアホやあらへんしな。眉唾、云う言葉しらんの?

__あぁ!?んだとおッッ!?

__大体お父ちゃんのサイズを超えられる男なんて、この里にそうそうおらんと思うけど

__んなッッ、なんだとッッ、オイ琴乃馬鹿にすんなよ、俺だってなぁ!!

笑って身をかわす琴乃と縋る諒一のじゃれ合いは琴乃が勤務する木の葉病院で、上忍待機所近辺ではごく
一般的に見られる光景だった。口で云い負かされた諒一が、受付に座るイルカに泣きついたこともある。

苦笑するイルカ、飄々とあしらう琴乃、それでも性懲り無く構い続ける諒一。

三人の絆は九尾襲来前からの幼少時より成人を迎えてからも、長きに渡り強固に噛み合い、途切れることは
なかった。


『では、これで』

『はたけ上忍!!』

『オレとしては既に、貴方への説明義務は十分果たしたと判断します。これ以上の抗議はそちらの方が仰る
通り、軍務規定違反となりますが?』

『脅しですか!?』

『いいえ、単なる事実です。オレだって貴方のような優秀な医療忍を、この期に及んで拘束したくはない』


今重篤患者専用のテントの中では、戦闘中に傷を負った諒一が毒に赤黒く全身を犯され苦しみに喘いでい
る。正に命の危機にあると云っても良い。アセビイラクサの湿潤液は神経を犯すだけでなく、人間の皮膚に著
しいダメージを与えることで有名だ。医療班の解毒剤のストックも多彩を極めてはいたが、アセビイラクサはか
なりの希少種であり運悪く解毒の手持ちが無かった。これはと厳選して持ち込んだ、琴乃の荷物も同様だ。
ならばここで、この場所で調達するしかない。

琴乃は知っていた。

猛毒のアセビイラクサに唯一有効な植物__ベニバホロギクの群生地が、ここから北北西の森林地帯、白州
邊の陣に程近い場所にある。それさえ手に入れば諒一の命は必ず助かるのだ、しかしそれが叶わなければ
最悪の事態を迎える。内臓より先に全身の皮膚を痛めつける毒の所為で、大火傷に似た酸欠状態にこれか
ら陥るのは、火を見るより明らかだった。

里に式を飛ばしたとしても、第一陣の帰還と入れ違いの後発隊が、ここに到着するまでに少なくとも二日。最
悪で三日。

__足りない。どうしても時間が足りない。消えかかる諒一の命の灯は、二日三日などと云う長期のスパン
に絶対に耐えられない。手持ちの解毒剤での対処療法で、凌ぎ続けたとしてもあと半日。それがおそらくの
限界だ。

琴乃は対峙していたカカシに背を向けると、脱兎の如く出入り口に向かった。天幕のしなやかな布地を捲る、
その直前に後ろから取り押さえられた。両の肩をがっちりと固めるのは、カカシの後ろに控えていた戦忍だ。
同僚達の間から、声なき悲鳴が上がった。


『離せッッ、離してッッ!!』

『どうしても、聞く気はありませんか』

『当たり前やッッ、解毒の薬草はそこにあるんやッッ、それさえ手に入ればホダカ上忍は、諒一は死なずに済
むんや!!なのに何故、みすみす諦めなければいけないんですッッ、はたけ上忍!!』


カカシの形の良い眉根が僅かに寄った。顔の殆どを布地で覆い隠しながらも絶世の美麗な容貌を持つと、根
強く囁かれる男だった。片方だけ晒された青灰色の瞳に、隠しきれない苦渋が浮く。


『・・・連行して』


拘束の隙を突きもがいた身体を、更に強い力で締め上げられた。呪詛の言葉を吐きつつ引き摺られる琴乃
を、同僚や後輩達は悲痛な表情で見送るしか術はなかった。




しかし意外にも、放りこまれたのは捕虜用の結界牢ではなく汎用の天幕の中だった。最小規模のものではあ
ったが、これでは罪人どころか一般の忍と扱いは変わらない。一人呆然と簡素な空間を見渡し、琴乃は程な
く悟った。

これはイルカへの配慮なのだ。カカシは琴乃の背後に、イルカを見ている。

イルカが送り出した卒業生達が合否試験を掻い潜り、それぞれ下忍として一人立ちを始めている。その下忍
達がなかなかに優秀であるとの評判を琴乃も耳にしていたし、それは教育を施したイルカ自身の評価にも帰
結する。ましてやカカシはあのうずまきナルトの師だ。妻を牢に繋がれたと知ったイルカの心情を、慮らない筈
がない。

琴乃は鳩尾に手をあて、深く息を吸った。乱れ切ったチャクラの波長を鎮め、ゆっくりと丹念に練成し直す。

カカシの気遣いは嬉しかった。緊急時外は至極穏やかな男であると云う噂通り、この榎侘鳴に到着するまで
の道行でもカカシは泰然とした態度を崩さなかった。且つ尊大さは微塵もなく、流石は『白い牙』の子息と琴乃
は内心舌を巻いた。カカシと琴乃の関係性に波乱が生じたのは、到着した自陣で諒一が臥せっている事実を
初めて認識してからだった。

申し訳ありません、はたけ上忍。せやけどうちは、聞いてしまったんです。

琴乃よりも二つ前の先発隊として出発する諒一を、大門前で見送った際だった。肩を抱きよせ、いつもの口説
き文句を垂れ流すかと思われたホダカ諒一は、しかし意外な言葉を吐いた。


__まいったぜ琴乃、ヘタ打っちまった。アイツの腹にガキが出来ちまいやがってよ

__え、えッッ!?


諒一があげたのは琴乃も見知っているくの一の名前だった。華から華へと蝶のように飛びまわる諒一の艶聞
をものともせず、長く関係を続けてきた唯一の女性だ。腹の中にいる胎児はもう五ヶ月目に入っており、晴れ
て来春には誕生を迎える。おめでとう!!そう叫んで抱きついた琴乃の身体を受け止めながらも、諒一は照
れに顔を歪ませた。


__やめてくれよ、けったくそ悪ぃ。お陰でお気楽な独身生活もこれで強制終了だ。

__何云ってんの、自分の子がこの世に生まれてくること以上の歓びなんて、そうあれへんやろ?


参ったぜ、そう零してみせながらも、諒一の切れ長の瞳には隠しきれない高揚が覗いている。しかし瞬間表
情を引き締め、琴乃の耳朶に唇を寄せて囁いた。


__頼むぜ琴乃、何かあったら。俺もうっかり死ねねぇ身体になっちまった



主に諜報活動を得意分野とし、華と評するに相応しい容姿を誇る男だった。その美貌も今は見る影もなく、無
残にも毒に喰い荒されている。


堪忍な、お父ちゃん。


琴乃は確信していた。イルカは絶対に、自分を咎めない。いやイルカが自分の立場であったなら、まったく同
じ行動を取っただろう。

アカデミーからの帰路を、何度も三人で辿った。喧嘩も度々だったが必ず三人の中の誰かが仲直りを提案し、
修復は早かった。イルカと琴乃が籍を入れ共に生活を始めたその日、諒一は部屋を埋め尽くす程の薔薇を送
りつけた__イルカと琴乃の新婚生活は、噎せ返る芳香の中で始まったのだった。

額当ての裏側から千本を取り出し、ベストのホルスターから更の巻物を取り出す。左手の人差し指の先に先
端を突きたてると、すぐさま丸く血が滲んだ。琴乃の唇が息を吹きかけると、それは宙を舞い花弁に似た忍文
字に変わる。術式を唱える琴乃の密やかな声に合わせ、鮮やかな血文字は広げた和紙に次々と転写され
た。

一、・・・これらの一連の行動は私うみの琴乃の極私的理由からなるものであり、その責任はすべて私個人に
帰属します。上官はたけカカシ、医療救助隊、木の葉大隊、梶香、火の国の如何なる軍と従軍する人間とこ
の逸脱行為とは全くの無関係であり・・・
一、・・・帰還した暁に軍規違反の咎を問われれば、一切の弁明無く、如何なる罪状も罰則も受け入れる覚悟
であります・・・


全身が燃え上がる火の玉のようだった。出来る。必ず出来る。やり遂げてみせる。でなければ諒一は助から
ない。旧友の命を救うことが出来るのは、今この自分しかいないのだ。


五感を研ぎ澄まし外の気配を探る。千本の切っ先を己に向け、奥歯を噛みしめた。臍の横の経絡に突き立て
られた極細の棒が、激痛で身体を引き裂いた。




うめき声が聞こえたのは気の所為かと思ったが、そうでは無かった。天幕の前で胡坐をかいていたリョウゴク
一馬は周囲を見回し、それから目を凝らして再び松明の灯りに照らされた天幕を眺めた。中には先程放り込
んだ、医療忍がいる。

__いる、筈だ。

既に日は落ち、重い夜の帳が落ちている。共に見張りに付いていたササギは、一足先に夕食を取りに行っ
た。少なくともあと半時間は戻らないだろう・・・どうするか。しかしそう逡巡したのも束の間だった。自分はあの
カカシから信任を受けこの警護を任された。ならば躊躇いは不要。


『どうした』


中を覗き込むと件の医療忍が倒れていた。忍としてはかなり小柄で、両耳がまるでのぞく程の短髪とくるりと
丸い目が特徴的だ。元より灯りの無い空間に、夜目にも横たわった身体が見える。その頭部近くに、染みが
広がっていた__血か?自決か!?


『おい、どうした!!』


抱き起こし、それが吐瀉物交じりの血だと知った。痙攣する薄い目蓋が、間近に見えた。扱いは丁重に、と言
葉少なに釘をさしたカカシの声が蘇る。


『ごめ・・・なさい、急に、突然、気分が・・・』

『血を吐いたのか!?』

『わた・・・し・・・、此処に、きて、重傷者の治療を、しま、した・・・ずっと・・・、もしか、したら』

『・・・感染か!?毒物か!!』

『お願い・・・、どうか、私を、救護所、に・・・』

『待ってろ、今人を呼ぶ』


再び女の身体を横たえようとしたその時、背後に気配を感じた。こうなる可能性を、考慮しなかった訳ではな
い。瞬速でクナイを引き抜き振りかざすと、千本を構え空中に飛翔する女が見えた。__何故。女は今の今
まで、自分の腕の中でもがき苦しんでいた筈だ。いや現に後ろには、ぐったりと横臥する女がいる。

__影分身か!!

一体どちらが。間髪入れず迫る女の身体にクナイを打ち込むと、それは丸太に変わり音を立てて床に落ちた。


『変わり身か!!』


ならば後ろで横たわるのが、やはり本体か。振り向きざまクナイを突き立てようと上げた腕は、しかし寸分も動
かなかった。


『ホンマ、すみません。15分、いえ20分でいいんです、それだけ下さい。半時間も過ぎれば、必ず身体の自
由は効きますから』

『な・・・ッッ、お、まえ・・・!!』


リョウゴクの首筋を突いているのは千本だった。身体の動きを封じる経絡を突かれたと、そう気付いたと同時
に臥せっていた女は煙を上げて消える。辛うじて動く眼球で背後をねめつけ、後ろに立つ女を見た。


『くそ・・・ッッ、変わり身でなく、幻術か・・・ッッ』

『装備一式、借りていきます』


膝裏を軽く付かれ、いとも簡単に全身が崩れた。さっきまで女が横たわっていた冷たい地面に、今度は己が
頬をつける。女の指がベストのホルスターから武器類を引き抜き始めても、何の抵抗も出来ず為されるがまま
だった。__医療忍に。この子供のような身体をした、たかが医療忍に。腸が煮えた。戦忍として各地を転戦
しそれを誇りとしてきたリョウゴクだったが、ここまでの屈辱は久しぶりだった。


『お借りしたものは、後ほど絶対にお返ししますから・・・すみません、ホンマに』


女はリョウゴクの所有物だった武器類をすべてホルスターに収めると、深く一礼をした。そして素早く身を翻し
出入り口の帆布を捲ると、周囲を伺う。屈んでいた小柄な影が、するりと外へ呑み込まれてゆく。

去り際にダメ押しで突かれた喉元の経絡は、どうやら発声をつかさどる場所らしい。最早声すら上げられない
リョウゴクは、唯奥歯を噛みしめ声なき声で唸り続けた。




__あった!!


葯が雄しべを取り巻くように合着している、そのキク科独特の特徴を有した花を見た瞬間、琴乃は歓喜のあま
り大声を上げかけた。頬から一筋垂れた血を拭う。拭った手も傷に塗れていた。数多のトラップ解除で右手薬
指の爪が一枚剥がれてしまったが、しかしそれがなんだろう。

__助かる、これで諒一は助かる。身重の妻の元へ、帰してやれる!!

ベニバホロギクの毒消しと抗炎症作用は強力だ。一掴みの頭花さえあれば、十分事足りる。一度抽出液を精
製出来れば、あとは幾らでも複製可能だからだ。歓びで身体が震えた。全身を満たすこの充足感を、夫イルカ
と分かち合いたかった。ようやっと言葉を覚え始めたばかりの娘アカリを抱き締め、教えてやりたかった。

だが、油断はできない。

月光に薄く照らされ花弁を光らせるベニバホロギクを視界に収めることは出来ても、その群生場所まで少なく
とも三つのトラップがある。いや、辛うじて目視できるトラップは寧ろ扱いやすい。問題はデコイ__囮だ。解除
したと思った途端に発動する、パラダミーな難物もある。何より白州邊の陣にかなり肉薄している今、ここから
先の道行が楽に済む筈がない。

鳩尾に手をあて深く息を吸った。高揚したチャクラの波長を、丹念に均す。まずは、ひとつ。梟と地虫の鳴き声
が共鳴する深い森の中で、琴乃は地を這った。



しかし終焉は、唐突だった。



三重に張られた起爆トラップのワイヤーの一つが、ジョウゴタテグモの粘着糸であると気付いた時、琴乃は一
時的な恐慌状態に陥った。使役者がいる。恐らく二十四時間体制の。単なる感応起爆形でなく、文字通り蜘
蛛の糸に絡め捕る形で侵入者を使役者が直接感知する、強力な対人感応トラップ。__琴乃はそれに、不
用意に触れてしまった。


__知られた!?


白州邊の忍が来るのか。それとも正規軍か。どのみちまともにぶつかり勝てる相手ではない。多勢に無勢、
自分は医療忍でしかも単身、身を軽くする為まともな重装備すらしていない。・・・時間は無い。一刻の猶予も
ない。殺されるか捕縛か、どちらに転んでも自分も諒一も身の破滅だ。とにかく花を摘み、一刻も早く撤退する
しか道はない。小柄な分、幸い足には自信がある。

琴乃は低く木々の間を飛び群生地の真中に降り立った。瑞々しい花粉の芳香が、鼻腔を擽る。

右手で荒くベニバホロギクを摘み取った。初めてこの花を視界に入れた時の、爆発的歓びはもう無かった。た
だ一刻も早くこの掌の花を、自陣へ。そして諒一の元へ。しかし右手に握った花を左手に持ちかえようとした
時、左肘が何かに触れた。琴乃は眼を見開いた。極細の粘糸が、月光を弾きキラキラと光っている。


__囮!?


粘糸に感応起爆用のワイヤーが編み込まれたダブルトラップ。ああ、と口から息が漏れた。きつく眼を瞑る。



琴乃は確信していた。イルカは決して自分を咎めない。__決して。



閉じた瞼の裏に秒速の勢いで閃光が迫り、空気を呑み込み膨張する。光に追いついた大轟音が咆哮を放っ
た後、夜の森は完全な静寂に支配された。



<続>



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