スピカ 2



その日木の葉病院でテンゾウに会ったのは偶然だった__誓ってもいい。


イルカは成人したくの一が経口摂取を義務付けられている避妊薬を取りに、テンゾウは見舞いのために訪れ
たところを真昼のロビーで鉢合わせしたのだ。

テンゾウの見舞う相手はタクジ。名を聞いて驚いた、タクジはイルカが教職に就いてから初めて送り出した卒
業生の一人だ。今は特別上忍に昇進し里内外を飛び回る日々だったが、テンゾウと組んだツーマンセルの任
務で負傷し入院中だと云う。

それを聞いてそのまま帰宅できる程、薄情でも多忙を極めてもいない。イルカはテンゾウと並んでそのまま外
科病棟に向かいタクジの病室へ同行した。結果上司と恩師の顔を同時に拝んだタクジの歓びようは大層なも
ので、骨折した大腿骨を固定されたままの姿で『せんせい』とイルカの手を握り続け、小一時間程歓談した後
外に出ると丁度昼になっていた。

それでそのままテンゾウと近場のとんかつ屋に入り、ランチメニューを平らげてきたのだが__これを見たか
聞いたか、カカシの耳に入れた輩が居たらしい。夕方の受付業務を終えて帰宅したイルカを自宅で待ち受け、
カカシは仁王立ちしたまま盛大にイルカを詰り始めたのだった。


だが一体何が悪い。


五代目火影綱手の躾の成果か、近年の木の葉の忍の行儀の良さは他里に知れ渡る程だったが、その中で
もテンゾウは群を抜き温厚で誠実だ。イルカに対しても対中忍ではなく、あくまでも敬愛する先輩の恋人という
スタンスで接し『うみのさん』と謙った態度で接する。これはイルカにしても大変な好印象でありましてや食事
の誘いを断る理由など何処にも無い。

頼んだヒレカツの揚がり具合もカラリと絶妙でパン粉もサクサク、箸が進み二人揃って白飯とキャベツと味噌
汁をお代わりして綺麗に平らげた。見舞った元生徒の具合も骨折とは云えそう深刻なものではなく、おまけに
現上司のテンゾウはタクジの忍としての力量その他、興味深い話を幾つも披露してくれた。

腹も心も満ち足りて手を振って別れ、いつもの受付業務も滞りなく片付け気分良く帰宅するとカカシが眦を吊
り上げ待ち構えていた訳だが__不実だの浮気者だの、そこまで詰られる謂われが何処にある。たかだか
自分の後輩とヒレカツを食べたくらいで。

しかしイルカにとっては当然の正論もカカシにとっては小ずるい言い訳としか映らなかったらしい。グチグチと
一晩中厭味をぶつけられ辟易していたのに加え、なんと明朝になっても同じ小言を繰り返され『いやしんぼ』と
まで云われては、のらくらとかわし続けたイルカの我慢もついに終焉を迎えた。


__割り勘じゃドアホ!!


阿呆だったか馬鹿だったかその辺の記憶ははっきりしない。だがイルカはそう叫んで座卓を拭いていた台布
巾を木の葉一と称されて久しい男の秀麗な顔面に投げつけ、怒り心頭で家を飛び出しそのまま農繁期の収
穫の手伝いに直行したのだった。


それが、約三ヶ月後には晴れて三十の誕生日を迎える恋人はたけカカシの健常な姿を見た、最後だった。







「霧隠れの忍と戦闘になったと聞きましたが・・・確か当初のターゲットは別のものでは?」

「そうだ。元々霧隠れなんざ何の拘わりもない話さ、アイツは暗部スリーマンセルのサポート役だったんだが」


綱手とテンゾウの会話に覚醒した。綱手がチラリと視線を投げまた外した__知らなかった、あの日カカシに
も任務が入っていたとは聞いていたが、暗部が関わる案件だったのか。綱手が僅かな逡巡を見せるのは、如
何な恋人であるとは云え暗部絡みの任務内容を易々と明かす訳にはいかない、その為だろう。


「どうも最初からつけ狙ってたらしいね、アイツが里外に出るのを。別の獲物を追っかけてたアイツ等が、知ら
ずに追われてたってとんだ笑い話さ」

「・・・やはり拉致目的ですか」

「拉致!?」


暗殺や奪還とはまた響きの違う、耳慣れない言葉に声を上げた。二組の目が同時にイルカを捉えた。


「イルカ、お前の男のふたつ名は何だい、云ってみな」

「・・・せ、千の術をコピーした、コピー忍者・・・」

「そうだ、ヤツらの狙いはソコさ。何てったって千だよ、幾分大袈裟な風評になっているとしてもそれだけの術
を脳味噌に仕舞ってるとなりゃ、こりゃちょっとした尾獣並みの価値だ。チョイと掻っ攫って頭開けてみりゃお宝
の山とでも考えたんだろ?」

「脳味噌・・・」


テンゾウの隣で立ちつくしたままの背筋に悪寒が走った。では、カカシがあの姿まで退行したのは。


「先輩を大の男のまま攫うよりは、子供の姿にでもして生捕る方が楽だと__そう云うことでしょうか」

「そうだろうよ、最終的には赤ん坊にでもしちまえば持ち運びも楽ってヤツだろ」

「そ、そんな!!子供にして霧隠れに連れて行っても、その時点から先の記憶が無ければ無駄じゃないです
か!?事実あの、隣に居るカカシさんだって、十六歳から先の記憶が無いのならコピーした術だって」

「そりゃまた元に戻す術があるんだろ。勝算もスキルも持ち合わせてるからヤツらも動いたのさ」

「そ、そんな!!レンジでチンするみたいに!!」


綱手とテンゾウが顔を見合せ、同時に吹いた。テンゾウの揺れる肩と綱手の笑い声に、顔どころか首筋まで
朱に染められた。


「まぁな、そのレンジでチンの解術方法をこれから探らなきゃならんって訳だ、聞いた処でハイそうですがと霧
隠れが教えてくれる訳も無いしな。・・・しかし参ったねぇ、こんなドタバタがこれからも想定されるとなると、ア
イツの使い方も考え直さにゃならん」

「そうですね。対暗殺のオブストラクションと捉える方が、まだ立案は簡単ですが」

「ううむ、大容量ハードディスクが服着て歩いてるようなもんだしな」

「あの・・・」


恐る恐るあげた声に再び二組の目が注がれる。頬を火照らせながら、ならば脳にコピーしたままの術式を巻
物なり何なりに移してはどうかと提案すると、綱手の顔が皮肉な笑みに歪んだ。


「そりゃもうとっくに何度もお願い申し上げてるさ。此処でも良いし木の葉病院でも良い、医療忍か私の立ち会
いの元術式の写しをしろってね」

「えええ!?」

「しかしその度返ってくる答えがふるっててな。『('A`) マンドクサ』なんてな良い方でこの間の秋だったか、『イル
カちんと栗剥きするからダメ』なんて云われたこともあってな」

「・・・ひぃぃぃぃぃぃッッ!!すみませんッすみませんッッ」


確かに去年の秋、収穫補助任務で大量の栗を土産に貰い、カカシと二人クナイで栗剥きに精を出した記憶が
ある。だがその時火影から呼び出しが掛かっていたなど、とどうして分かるだろう。__焼き栗蒸し栗栗おこ
わに渋皮煮、それでも使いきれずカレーにまで投入して食した栗三昧の日々は忘れがたいが。


「アタシの誘いを反故にしてまで剥いた栗だ、さぞかし美味かったろうよ」

「も、も、申し訳ありません、あのッ、次回からはちゃんとお裾分け致しますのでッッ」

「そう願いたいね、栗の炊き込み飯は私も好物だ。だがまぁそう恐縮しなくてもいいさ、・・・火影たる者チマチ
マガタガタ云ってちゃ器じゃないしな?その証拠にコイツをお前の警護に付けてやる」

「えッ」


思わず振り仰いだテンゾウの眼が、穏やかに撓んでイルカを見つめる。どうだこれで万全だろうと追い打ちを
かける綱手に、テンゾウは更に言葉を添えた。


「僕だけじゃありません。他に暗部のスリーマンセル或いはフォーマンセルが、ランダム且つ交代制で先輩と
うみのさんの警護にあたります。勿論24時間継続性のロープロファイル・プロテクションで展開しますから、お
二人に掛かる精神的負担もご心配頂く必要はありません」

「てわけだイルカ、分かったな?」

「え、え、え、でも」

「なーんーだーまだ文句があるってのか!?しょうがない奴だな、出血大サービスだコレも付けてやる!!」

「な、なんですか、これ・・・」


綱手が掲げる五角形の木片の中央には大きく『火』の文字に×印。首を傾げていると我儘も大概にしろよとド
ヤされた。


「恐れ多くも火影代行証だ、知らんのかお前!?」

「え、ええええ!?」

「これさえあれば始解卍解も思いのまま!!カカシとてお前に無体は働けんぞ、何しろこれを携帯している限
りお前は火影だからな」

「ほ、火影ッッ!?私がッッ!?」

「大紅蓮氷輪丸!!千本桜景厳!!対カカシに限るが里抜けと殺し以外は火影の名の下すべて許可され
る。どーだこれ以上の護身符はあるまい!?YouがCanならさっさかDoしちまえってホレホレッッ!!」

「う、うぅぅぅ〜〜ッッ!!」

「よっしゃ、これで手打ちだな」


__負けた。くずおれた背中にテンゾウの忍び笑いが聞こえたが、しかしこの世に火影を名乗れる誘惑を、す
っぱり足蹴に出来る人間が居るのならお目に掛かりたい。


「次はお前のコードネームだな、・・・コンゴーヒエイハルナキリシマイセムツムサシどれでもいいぞ好きなのを
選べ」

「・・・ええと火影様の大艦巨砲主義は存じてますが・・・、うみのさんは僕の本名を既にご存じですので、あま
り意味はないかと」

「なぁにぃぃぃぃ!?」

「・・・はい、カカシさんから紹介された時、伺ってます・・・」

「あのアホ、人の楽しみを奪いやがって!!チョイと話付けて来るから待ってろ!!」


ズカズカと足音荒く綱手が向かった先は、あのカカシのいる隣室。マジックミラー越しの少年は顰めっ面で煙
草をふかし続けていたが、入室した綱手を見ると口角を上げ質の悪い笑みを浮かべた。


『よー、ねーさん。ひさしぶりじゃねぇ?いつ里に帰って来たんだよ』

『口を慎めカカシ、私は今五代目火影だ。少なくとも目上の者に対する口のきき方じゃないな』

『は?ねーさんまでフカシこいてんのかよ、くだらねージョーダン止めてくれねぇ?』


里長と年若い上忍の間に火花が散る。イルカとテンゾウはそっとマジックミラーに歩み寄り、知らず息を殺して
見つめていた。



< 続 >



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