スピカ 1



Come and make your magic
Till you have me hypnotized
If we get any closer
I'll be drowning in yuor eyes

  Take Good Care Of My Heart / Whitney Houston & Jermaine Jackson








「イルカ」


廻る視界に耐えつつ、握ろうとしたドアノブが先に引かれた。扉の向こうから姿を見せたのは、五代目火影そ
の人だった。


「顔色が悪いな、大丈夫か」

「は、い・・・すみません、少しだけ、気分が」

「無理もない、壁越しとは云え上忍の殺気をまともに喰らったらな。しかもあの荒れようだ・・・手を握れ」

「・・・はい」

「両手だ」


畏れと羞恥でおずおずと伸ばした手を、逆に強く握り締められた。__途端に流れ込む暖かなチャクラに、跳
ね上がっていた心拍は急速に沈静化し額に浮いていた汗も引いてゆく。深呼吸、と促され大きな息を数度吐
く頃には、随分と身体も楽になっていた。


「・・・有り難うございます。ご心配を、お掛けして」

「うん。お前、カカシに最後にあったのは何時だい」

「五日前の、朝です。あったと云うよりは、その時お互い任務で家を出て」

「・・・そうか」

「あの・・・その、アレは、やっぱり」

「まぁな。・・・イルカ、お前はどう思う」

「えぇ!?い、いやそりゃもう何ていったら良いか・・・見事なまでの、ヤンキー路線ど真ん中というか」

「あのなー、私が聞きたいのはソッチじゃなくてな」

「綱手様」


声を潜め、何時隣室から抜け出したのかナイトウがやはり顔色を無くして立っていた。入れと室内に招き入れ
た綱手の声も、囁きに変わっている。


「ご苦労。どうだ、・・・やはり退行、か」

「はい、加えて実年齢を十六歳だと言い張り信じて疑っておりません。そこから先の記憶が無いため、これは
致し方ないことなのかも知れませんが」

「ううむ」

「あそこにいらっしゃるのがはたけ上忍御本人であることに間違いはございません。しかし記憶が抜け落ちる
のはともかく、身体組成まで変わっているとは・・・私も、このようなケースは初めてで」

「術か」

「はい、おそらく」

「ではどう対処する」

「勿論解術しかありますまい。しかしそれには霧隠れの秘術に関する文献を調べるところから始めなくて
は・・・綱手様、これは少々手間も時間も掛かるとご覚悟頂きたく」

「・・・致し方あるまいな」

「ついては余計な刺激を与えないことです。静かな場所で心穏やかに過ごさせ、心身の平安を保つこと__
現状の情報を与えるのもできるだけ控えた方が良いでしょう。記憶の無い分、はたけ上忍は知りたがるでしょ
うが」


霧隠れ、と呟いた声に医療忍と里長が同時に振り向いた。すぐにチャクラ切れを起こすカカシに付き合い訪れ
た木の葉病院で、イルカもナイトウも既に顔見知りの域を出る程に接触を繰り返している。ナイトウは顔を覆っ
た憐れみを隠そうともせず、眦を下げてイルカに向き直った。


「大丈夫ですよ、うみの中忍。確かに難解な術式であるかも知れませんが、私とて医療忍としての意地があ
ります。必ずやはたけ上忍は、万策を尽くして元の状態に返してさしあげますので」

「・・・ナイトウ先生」

「頼むよナイトウ、私も出来る限りの手助けはしよう。あのバカをきっちり元に戻して、霧隠れと水影の野郎ども
の鼻を明かしてやろうじゃないか」


鼻を啜り俯く肩を医療忍の大きく節張った手が何度も叩く。まずは書庫と資料室を当たると踵を返すナイトウに
深々と頭を下げると、火影専用の執務机についた綱手が咳ばらいをした。


「・・・それでな、イルカ」

「あッ、ではあのッ、これからのことはどうぞよしなに!!入院の手続きでしたら、これからすぐ私が伺います
のでッッ!!」

「イールーカー」

「・・・む、無理無理無理ッッ、無理ですよ幾らなんでも、あんな暴れグマっていうか人食いザメみたいな生き物
の面倒見るなんてッッ」

「お前の男だろうがッッ、なんだお前今の今まで泣いてたクセにありゃ嘘泣きか!?」

「違いますッッ、そんな人聞きの悪いッッ!!」

「なら尚更だろ!?大体なー、こんな時は『何をおていも私をお傍に置いて下さい』てのが階級差やら恋人同
士やらのセオリーだろうがッッ!!」

「えええええだ、だってッッ」


恐る恐る出来るだけ息を殺してマジックミラーに忍び寄る。鏡の向こう側では大股を開き椅子にふんぞり返っ
て座っていた少年が苛ついた表情で煙草を吹かしていたが、注がれる視線に気づいたかギラリと鋭く睨み返
してきた。


「み、み、見てくださいよ、何かピラニアみたいな目つきしてますよッッ、無理、無理ですあんな肉食獣ッッ、い
くら何でも出来ることと出来ないことがありますッッ」

「おまえなー・・・まぁそりゃアレだからな、気持ちも分らんでもない。しかしな、記憶を失っているとは云えアイ
ツがカカシであることに違いは無いんだ、そうなれば身に馴染んだ環境と人間に囲まれて治療に専念した方
が良い・・・そうナイトウも云ってただろう」

「そ、それは、分かります、私だってその・・・そりゃ一刻も早く・・・元に戻って欲しいです」

「だーろー?」

「で、でもッッ、私が一緒に暮らしてたのは三十路目前のそれなりに分別のある大人でッッ、あんな凶悪DV
少年じゃありません!!あ、あんなのと同じ場所で生活したら私、五分でバラバラにされちゃいますよッッ」

「だからな、私だって鬼じゃない何もお前一人に全部背負い込ませるつもりは無いさ。・・・オイ!!」

「あ」


呼びかけに呼応して扉の向こうから覗いた影に、思わず声を上げた。長身が音もなく素早く歩み寄り、腰を折
るように覗き込んで来る。


「話は聞きました。・・・大変でしたね、うみのさん」


丸い瞳がくるりとまわりイルカを捉える。見上げる忍服を着込んだ男は上忍であり恋人はたけカカシの後輩で
あり、五日前のあの朝のケンカの原因となった人間__


テンゾウだった。



< 続 >



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