スピカ 3



使い果たせ生命
自分の脳味噌飼い殺す位なら立ち尽くして居ろ

                       雨傘 / 椎名林檎









マジックミラーの向こうで対峙する二つの影。

里長という贔屓目を除いてもカカシと向かい合った綱手は根気よく慎重に言葉を選び対処している、のは見て
取れた。


__が、しかし。


『ま、ねーさんのその爆乳にまたお目に掛かれたのはうれしーけどさ、オレいい加減疲れてんだよね。取りあ
えず今日はこれでお開きってことにしてヨタ話はまた後にしねぇ?酒盛りなら後で幾らでも付き合うしさ、何だ
ったら賭場で飲みながらってのも悪くねぇし』

『・・・カカシ』

『わざわざ断る必要もねーけどオレ桔梗屋にいるから、何かあったら連絡してよ』

『カカシ!!』


「・・・桔梗屋?」

「え、あッ、えぇ・・・ッ、と、その」


『いくら上忍とてこの状況だ、お前が神経をすり減らす心境も理解できる。だがなればこその「上忍」だろう、
・・・カカシ、現状を見ろ』

『・・・・』

『敢えてそう表現するならお前が「覚醒」した際の状況、居合わせた仲間たちの言動、状況説明・・・帰還する
までの間、お前にも十分分析する時間はあっただろう?・・・カカシ、お前は今本来の自分ではない。信じがた
いかもしれんがお前の脳も身体も術により十三年分退行している。』

『ねーさんまであのボンクラ忍医と同じこと云うのかよ・・・人を担ぐのもいい加減にしてくれねぇ?』

『ナイトウは今現在お前の担当忍医だ、腕は私が保証するよ』

『・・・カタクラのおっさんはどーしたんだよ』

『カタクラは6年前に引退した。ナイトウはその後を引き継いだベテランだ、技術人格共に何ら問題は無い』

『・・・ジジィは』

『それが三代目を指すなら私が今五代目火影を名乗っている、その事実で察して欲しい。・・・カカシ、気の毒
には思うが里の現状に関する情報は極力明かせんのだ。如何せん今のお前には刺激が強すぎる』

『・・・・』

『お前は不運にも任務完遂後敵の術中に陥った・・・なら私も火影の名に掛けて誓おう、解術には全力で臨み
必ず成功させる。それまでお前の旧知の人間と身の安全を図りつつ一定箇所で・・・おい待てカカシ!!何処
に行く!?』

『笹雪んとこだよ、決まってんだろ』


「・・・ささゆき・・・」

「あ、いやうみのさん、お断りしておきますが僕は先輩のその辺に関しては全く、その」

「へー・・・」

「や、本当ですって!!」


『まぁ万が一ねーさんののフカシが本当だとしてもよ、説得力ねぇよな?アンタのそのナリからしてさ。この世
界が十三年後だってんなら、なんでアンタはオレの知ってるアンタなんだよ?チョイと老けてもいねぇし』

『う・・・、こ、これはだな』

『まさかチャクラ使って若造りしてるなんて、アホ抜かす訳ねぇよなぁ・・・あの「三忍」の一人がさ』

『んぬぬぬぬ、これは追々説明するがちゃんとした理由が・・・カカシ!!待てと云ってるだろう!!』

『ざっけんじゃねぇッッ!!』


振り向きざまに放った拳が偽装したマジックミラーに当たる。不意の衝撃に飛び退いた身体は後ろに傾ぎ、よ
ろめいたイルカの後頭部をテンゾウの肩口が受け止めた。網目状に走るヒビの向こうで、幾つものパーツに分
かれた綱手の眼が、カカシを見据えている。


『今ここに居るオレがオレじゃねぇって誰が決めたッッ!!』

『カカシ落ち着け!!気を静めろ!!』

『どいつもこいつもフカシこきやがって!!写輪眼ナメ腐ってんじゃねぇッッ』


一気に膨張し爆発的に飛散する気に直撃された__その禍々しい熱。痛みさえ伴う鋭さ。背筋に悪寒が走り
喉元で膨らんだ息が詰まる。テンゾウの固い掌に二の腕を強く掴まれ、イルカは血の気の引いた顔を上げ
た。


「大丈夫ですか」

「は、ハハ・・・だ、大丈夫・・・だと、思います・・・」

「アテられましたね、顔が真っ青だ」

「いやホラ、わ、私、ケンカなんてしょっちゅうだったけど、あそこまで怒ったところは・・・今まで見たこと、なか
ったもので・・・つい。ハハ、ハ」

「退行したとは云っても、逆に気の濃度は濃く強力になっているみたいだなぁ・・・加えて精神の安定性を欠い
ている所為でチャクラの体内循環がバランスを崩して先鋭的になってる。綱手様の説得でも平静を得られない
となると、これは・・・薬物を使用するのも致し方ない、か・・・」

「え!?」


こめかみに血管を浮き上がらせた綱手と写輪眼を剥きだしたカカシの、最早泥沼と化した云い合いは続いて
いた。振り上げたカカシの拳が再び鏡を割り、鈍い衝撃音と共に破片が床に落ちた。


「あの、く、薬って・・・鎮静剤みたいなもの、ですか・・・」

「そうですねぇ、通常ならその辺でしょうが先輩は薬に結構な耐性がありますから・・・強力な安定剤、と云っ
た方が正しいかも知れませんね」

「ひとつ、お聞きしてもいいですか」

「・・・?何でしょう」

「先程綱手様に確認し損ねたんですが・・・『任務』はいつから始まりますか、テンゾウさんの」


瞬間丸く見開かれた眼がイルカを見つめ、次に欠けた鏡の向こうのカカシを捉える。その口元には、微かな笑
みが浮かんでいた。


「勿論うみのさんと先輩が対面したその時点からです。依頼書には五代目直々の署名を頂いてますしね」

「・・・そうですか」

「ええ。・・・行きますか?」

「はい、あの・・・こんなこと云って、情けないけど」


テンゾウに向き直り、イルカは深々と頭を下げた。括った髪が跳ねるうなじに、過る視線を感じる。


「・・・頼りにしてます、テンゾウさんのこと・・・、暗部の皆さんのこと。ご助力、本当に心強いです」

「ハハ、そんな顔することないですよ。そもそも僕や皆はその為に呼ばれたんですから」

「う、それは、そうですれけど・・・」

「今はまだ伝わらないかも知れない。けれど先輩だってきっと貴方に傍にいて欲しいと思ってる筈です・・・あ
の細い身体の中に眠ってる先輩は、きっとね」

「はい・・・頑張ります。私だって一日も早く戻って欲しいし、あの人もそうだろうし」

「うん、僕もそう思う。・・・うみのさん、手を出して」

「え?」


思わず差し出した右手をテンゾウの両の掌が覆う。__途端に手首の経絡から這い昇るチャクラのその暖か
さ、柔らかさ。驚きと賞賛を込めたイルカの吐息に気付いたか、テンゾウは撓んだ瞳を伏せて肩を竦めた。


「医療忍術って云える程のものじゃないけど、気休めくらいにはなるんじゃないかな・・・どうです、少しは落ち
着きました?」

「はい・・・ありがとう、ございます」

「うみのさん」

「はい」

「大丈夫ですよ、あなたは火影なんですから。その為の代行証でしょう」

「は、はい」

「火影様」

「・・・は、い」

「必ずお守りします、僕を信じて」


身体の隅々まで行き渡ったチャクラの所為で、まるで全身が柔らかく発光しているかのような錯覚まで覚え
る。__大丈夫、この暖かな手がある。既に解術に取り組んでいるナイトウがいる。力強く助力を誓ってくれた
綱手がいる。一陣の気配すら漏らさず控える、見も名も知らぬ暗部達がいる__

なのに、自分が怖気づいてどうする。誰より姑息な術に陥り苦しんでいるのは、自分の恋人なのだ。


「では」

「・・・はい、ご武運を」

「あ!あのッッ」

「・・・?何でしょう?」

「あの、で、出来るなら、なるべく薬物等は使わない方向で・・・お願いします」

「かしこまりました、火影様」

「・・・あのー」

「はい?」

「お願いです、もうその呼び方は勘弁して下さい・・・どうにもこうにも、居たたまれなくて」

「ハハハ!!」


首筋も頬も同時に朱に染めながらドアノブを握り隣室へと向かう。ノックをする前に目を閉じて深呼吸をした。


大丈夫大丈夫、どんな過程を辿るにせよ人間の根幹はそうそう変わらない。それに昔教え子を通して出会っ
た頃のあの男は、どんなだった?あの大きな身体で身も蓋もなくあられもなく好意を垂れ流して追いかけまわ
して、まるでアカデミーの生徒達より子供だったじゃないか。それに比べたら多少の退行くらい・・・






「なんだてめぇ」

「う、うみのイルカと申します、あの」

「階級は」

「中忍です、あの、カカシさん、私」

「中忍風情が馴れ馴れしく呼ぶんじゃねぇよ!!」

「ひっ」


頬を掠め背後に飛んだものが陶製の湯呑みであると、壁に当たって砕ける音で分かった。睨めつける赤と碧
の双眸、退行前のカカシとは背丈が随分と違うし骨格自体が細く、四方八方に跳ねていた癖の強い筈の銀
髪もこの年若いカカシは随分と猫っ毛のように柔らかに見える。__だがこれは紛れもなく、カカシだ。こうし
て直接対峙して尚のことその実感を強くした。ならば自分に出来ることは、決まっている。


「いい加減にしておけカカシ、好き放題云って後々困るのはお前だぞ」

「なんでよねーさん、このチビがオレとなんの関係あんのよ」

「カカシ・・・、イルカはな」

「ああああああのッッ、私、あなたとお付き合いしてました、恋人同士でしたッッ!!」

「はぁ!?」

「あ、あなたの家は別にありましたけどあなたは私の部屋に入り浸りで、いッ、一緒に暮らしてました、殆ど同
棲状態でした信じて下さい本当ですッッ!!」

「ハ、ハハハハハハ!!」


数本のほつれ毛を散らしひゅん、と耳元を掠めていったのがクナイだと、壁に突き刺さる音で知った。逸れた
のはテンゾウの早速の働きなのか唯の幸運なのかは分からない。だが腰を抜かし掛けたイルカはカカシの冷
え切った視線と言葉に、更なる暗落へと突き落とされた。


「よりにも寄っててめぇみてーなちんちくりんのチビの貧乳がッ、ヨタ吹いてんじゃねぇよッッ!!」


人間の根幹なんてけっこう簡単に変わるものなのかも知れない。いや寧ろこのカカシが本来のカカシそのもの
であり、あの男は何か企みをもって猫を被って居ただけという可能性もある。__企みって?例えば上忍同士
の賭けとか土地の権利所を取り上げるとかメロメロの骨抜きにして遊郭に売り飛ばすとか、・・・それからそれ
から、そりゃもう、色々。

床に手を着いて涙ぐむくの一を、年若い上忍が冷え切った視線で見下ろしている。


__チビにチビって云われたかねーんだよドチビ、あたしよりちっさいクセに。


自称元恋人は唇を噛んで、喉元まで突きあげる罵倒を無理やり飲み込んだ。



< 続 >



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