まごころを君に 2



『あらっ、シズク!あんた帰ってたの!?』

『よー鳴滝ぃ、相変わらずスカしてんな、コラ』

『シズクちゃぁぁぁんっ!お願いっ!ただいまのチューしてえぇぇぇ!!』


久しぶりに顔を出した上忍待機所で、派手に上がる冷やかしやからかいの声を適当に捌きつつ、アタシは奥
のソファーでコーヒーを啜っていた。

__こめかみがズキズキと痛い。昨夜あれから一人でヤケ酒を煽ったせいだ。


「うわっ!あんた酒クサっ!!早速二日酔い?薬あげようか」

差し出された鎮痛薬をコーヒーで飲み下すと、額に友人のひんやりした指が触れる。少し心配そうな瞳とぶつ
かると、柄にもなく照れて俯きながら礼を言った。
いまだつづく同僚達のバカ騒ぎの中にも、お互いこうして再会出来たことへの素直な歓びが滲んでいて、それ
はアタシの胸をふんわりと暖めた。


「シズクぅ、聞いたわよ、あんた昨日帰ってくるなりあの中忍先生のところに駆け込んだって?相変わらずやる
ことが派手ねー。」

「あーそうそう、おまえいきなり職員室でベロチューかましたって?まわりにゃ目の毒だよなー」

「えぇっ?違うだろ、俺が聞いたのはさ、授業中に乗り込んで教卓に押し倒したって・・・え?そこんとこどーな
の?シズクちゃんよぉ」


あまりのバカバカしさに否定する気も起こらない。まぁ噂ってのは得てしてこうして造られるもんだ。

またぶり返してきた頭痛に顔を顰めつつ周りを見渡すと、どうやらカカシはまだ現れていない。お誂え向きの
状況にさり気なく探りを入れると、察しのいい悪友どもは喜々としてアタシの留守中の出来事を話し始めた。

「あんたのイルカちゃん、大変よー。」






どうにもこうにも最悪だ。

あっちこっち、てんでバラバラの方向から降ってくる話を総合して聞いてみると、どうやらカカシがイルカに入れ
込んでいるというのは本当らしい。それももう二ヶ月も前から。
さらにもう一つ驚いたのが、カカシの受け持つ部下の内の二人が、あの九尾とうちはだということだ。
やっかいな子供ふたり、普通なら分散させて各々面倒を見る所だろうが、まとめてあのカカシに預けてしまう
あたり、三代目もなかなかどうしてやることが大胆だ。

いやしかし。

__よりによって、あのカカシとは。

アタシだって留守の間、イルカに恋人が出来る可能性を考えなかったわけじゃない。
でも正直言ってイルカは今まであまり女にモテたことがない。中忍でアカデミー教師という地味なポジションの
所為か、男くさい外見と性格の所為かは知らないが、女に言い寄られたなんて話、聞いたことがなかった。
だから半分安心して里を後にして__油断していた。

よりによって、あのカカシが、イルカを見初めるとは。

ある意味女とくっつくより質悪くないか。

不幸中の幸いは、まだイルカが「落ちて」いないことだ。それだけが救いだったが、さてこれからこの状況にど
う対処したものか。イルカを諦めるつもりはない。つもりはないが流石にあのカカシが相手となると、些か弱気
にならざるを得なかった。


「・・・っていうかカカシ、どこぞの大名の若後家といい仲だってあの話はどうなったの」

「あんた一体いつの話してんの、話古すぎ。あんなオバハンとはとっくに切れたわよ」


・・・・そうか、そうですか。いっそどこへでも、その後家さんと駆け落ちてくれれば良かったものを。それよりな
んでそこまでカカシの私生活が周りにダダ漏れなのか。


「でもよー、カカシには頑張ってイルカを落としてもらわねーとなー。オレ持ち金のまるまる半分賭ちまった
し・・・って、──・・あ・・・っ・・」


それまでアタシを囲んでいた麗しき友情の輪は蜘蛛の子を散らし、逃げ出す人波にとってかわった。
一泊逃げ遅れた間抜けな同僚に足払いをかけて、引き倒す。アタシは優しく笑って、囁いた。


「賭ってなーに」







足取り軽く受付所に向かい、扉を開けた。案の定銀髪の背中がかがみ込んで、机の向こうに座るイルカに何
か話しかけている。わざと消さずにいた気配で、カカシはとっくにアタシに気付いているはずだ。
ゆっくり近づくとエコエコアザラクと唱えたくなるような凄まじい形相で振り向かれたがなに、今のアタシにとっ
ては何の威力もない。
一旦覚悟を決めた上忍ほど、この世に強い者はいないのだ。

呪いの視線を浴びせかけるカカシを完璧に無視して、アタシは極上の笑みを浮かべた。

「ゆうべはゴメンね、イルカ。お詫びに美味しいもの奢るから、今夜ヒマ?」







「お前、馬鹿?」

月明かりの照らす公園で、アタシはカカシと対峙していた。

「人の話を聞いてないのか、聞こうとしないのか、どっちなのかね?たしかお前、上忍でしょ?」

こうして人の神経を逆なでする口調もカカシにとっては一つの手段なのだ。それさえ分かっていれば、以前の
ように無闇に煽られる事もない。

「あら、そんな言い方しなくても夕べ言われたことはちゃんと理解してるわよ。でもね、今日待機所で面白いこ
と聞いちゃった。」

思惑に反して落ち着き払ったアタシに、カカシの表情は疑念に満ちている。

「賭のこと。」

見開かれたカカシの右目に、昨夜と逆転した立場を確信した。





その夜は三人でお行儀良く酒席を囲んだ。間近でイルカとのやり取りを聞いていたカカシが大人しく引き下が
るわけもなく、そのまま当然の顔をしてついてきた所為だ。
イルカの隣にアタシ、その向かいにカカシ。
場所が違うだけで後はそっくりそのまま昨夜の再現となったそのシチュエーションはかなり不愉快極まりない
ものだったが、まぁそこはアタシも大人の女、その場はニッコリ笑ってやり過ごした。



「ハイハイ鳴滝君、君大分お疲れのようだし今日はもう帰って休もうね。送っていくよ。」

__そーら、きた。

カカシは家で飲み直さないかというイルカの誘いを丁重に断ると、アタシの襟首を掴んで歩き出した。無理矢
理引きずられるアタシがイルカの名を呼ぶと、イルカは呆気にとられて見送っている。

イルカには悪いが、思わず内心ほくそ笑んだ。魅力的なイルカの誘いを断わり、アタシと話をつけることを優先
させるほど、カカシの内心は苛立っている。

敵を揺さぶるにはまず、精神面から。昨日の借りはキッチリ返す。なめんなよカカシ、かかってこいよ、ええ?
心中で盛大に毒づくアタシを、カカシは人気のない公園にまるで荷物のように放り投げた。




「正々堂々と勝負をしましょうよ、カカシ。」

わざと挑発的に立てた人差し指を左右に振って見せたが、カカシの顔には何も浮かばない。かまわず続け
た。

「アンタがあの賭話しに無関係だってのは、ちゃんと知ってるのよ。でもねぇ、アンタが一枚噛んでるってアタ
シが喋ったら、潔癖なイルカはどう思うかしらね?」

「・・・・・」

「ちょっと前に知り合ったばかりのアンタと、生まれたときからそばにいるアタシとじゃ、どっちの言うことを信じ
るかなんて聞かなくても分かるわよね?
だからアタシとアンタの一体どっちがイルカを落とせるのか、__汚い手は使いっこナシで、正面切って勝負
しようじゃないの、カカシ。」

晒された右目に思考の断片を読みとろうとしても無駄な努力だった。その蒼い瞳はガラス玉のように、ただア
タシの姿を映している。何の反応もないのを少々不気味に思い始めた頃、カカシの躰が細かく震えているの
に気が付いた。やがてその振動が大きく振れ出すと、カカシは大声で笑い始めた。

「・・・お前もしかして、オレを脅してるの?」

揺れる躰は足元も覚束ず、息継ぎにさえ苦労している。軽く咳き込み、拭う目尻には涙が滲んでいた。

「あー、愉快愉快。この里でオレに脅しをかける奴がいるとはねぇ。その上正々堂々と勝負ってか?流石は
『化け猫使い』のシズク、派手に吹いてくれるよ、全く。お前の名前がビンゴブックに載る日も近いんじゃない
の?」

「・・・それ褒めてるわけ」

「__勿論。・・・んー、実は今日、お前に一発カマして黙らそうと思ってたんだけどねぇ、あんまり可笑しくてそ
の気も失せちゃったよ。いやぁ、久しぶりに笑った笑った。まー、その代わりと言っちゃぁ何だが、今日はこの
辺でお開きってことにしといてやるよ、じゃあね。」

言うやいなや昨夜と同じくカカシの姿は唐突に消えた。その高嗤いがまだその辺にこだましている様で、アタ
シは憮然と立ち尽くした。

__アイツ、アタシの言ったことが分かってるんだか、分かってないんだか。

これくらいのことで大人しくなるタマじゃないことは十分分かってるが、・・・まぁ、幾ばくかの楔にはなるだろ
う。溜息吐きつつ夜空を見上げ、瞬く星を見つめていると無性に煙草が吸いたくなった。
自販機を求めて、アタシは歩きだした。





待機所で賭けの話を聞いた時、上忍にあるまじき事だが__逆上した。
てっきり、イルカをダシにカカシが一芝居打っていると思ったのだ。だがよくよく聞けばそれは間違いで、特上
のゲンマが勝手に仕切り始めた話らしい。
カカシの耳にも入ってはいるらしいが、どうやら黙認している様子だ。それならそれで、勝手に利用させてもら
うまで。手にしたちょっとした切り札に心は浮き立ち、攻めあぐんでいた中で見えた一筋の光明は、アタシの
弱気を一気に吹き飛ばした。
気を良くしたアタシは足の下でもがく哀れな同僚を見下ろすと、言伝を頼んだ。


「胴元のゲンマにいっといてよ、賭を最初から仕切り直せってね。
お題は『カカシがイルカを落とせるか』から、『シズクとカカシのどっちがイルカを落とせるか』に変更よ。」


まぁ、負ける気はさらさら無いけどね。ていうか絶対、勝つ。アタシの呟きは遠巻きに様子を見ていた悪友共
の、沸き上がる嬌声と歓声に掻き消された。






アタシは一人のんびりと夜道を歩きながら、転げ回るように笑っていたカカシの姿を思い返していた。

あの男が、あんなに感情をさらけ出すのも珍しい。

アタシは今まで何度か、SやAの任務をカカシと共にこなした事がある。その時のカカシに対する印象は仕事
の出来る男、それ以外のなにものでもなかった。
何しろ今も昔もアタシの世界はイルカを中心に回っているから、他の男に興味なんぞ引かれない所為もある。
けれど任務中のカカシの人間性に、血肉の通ったところを感じられないのも確かだった。

アタシ達上忍の仕事は平たく言えば「奪還」と言う名の盗みだったり、「人助け」と言う名の人殺しだったりす
る。市井の人間はまず目にすることのない、汚い裏社会のいわばドブさらいだ。
そんな中で実に効率良く障害を取り除き、平然と人を屠っていくカカシの姿は、まるで出来過ぎた機械を思わ
せた。如何に上忍といえどアタシ達は人間だ。人間は逡巡する生き物だ。けれどそんな素振りもなく、ただ
淡々と任務をこなすカカシの背中には感情というものが見いだせず、__見守るこちらにうすら寒い気持ちを
抱かせた。


それなのにカカシは、実に女にモテた。そしてそれを拒まなかった。

上忍で男前、しかも写輪眼持ちと来れば言い寄る女が引きも切らないのはある意味当然だろう。だがアタシ
はそんな女達の気が知れなかった。あんな男と寝たって、氷に抱かれているようなモンだろうに。それとも、そ
こがまた一つの魅力ってヤツなのか。__見かける度に面子が変わっている自称『カカシの彼女』達の姿を
横目で捉えながら、いつもそんなことを思っていた。

しかしそんなことはアタシにとって些細な日常の出来事の一つに過ぎない。アタシはイルカを追いかけ、カカ
シは女に追いかけられる。
仕事上ではともかく私生活でアタシとカカシの時間が交錯する事は無い、筈だったのに。急転直下、アタシと
カカシは否応なしに向き合わざるを得なくなってしまった。

そんな理由でカカシをつくづく眺めてみれば、__やっぱりアイツは変わった。


イルカに向ける、その視線の柔らかさ。語る言葉の暖かさ。


たとえそれが対イルカ限定だとしても、かなりの驚きだ。「写輪眼」「上忍」の皮を脱ぎ捨てた、すっぴんのカカ
シの姿なんぞ、誰も見たことがないだろう。

あぁ、まったく。

これじゃあ誰に言われなくとも、良く分かる。

カカシは、イルカに恋しているのだ。それも本心から。





気が付けばアタシはイルカの部屋の灯りを見上げていた。知らぬまにアパートの前まで来ていたらしい。

簡単に気取られる相手じゃないが、カカシの気配は辺りにない。今部屋を訪ねれば、イルカは部屋に一人の
筈だ。今ならアイツを出し抜いて、一気に勝負をつけられる。

__どうする、シズク。

アタシは目を細めてイルカの部屋をふり仰いだ。





カカシの前では啖呵を切ったアタシだったが、自分で言い出した約束を守る気なんぞ、サラサラ無かった。生
き馬の目を抜く上忍の世界がアタシの生きる場所、仲良しこよしなんて文字は元からアタシの辞書にない。し
かも相手がカカシとくれば尚更だ。
イルカを手に入れるためだったら多少手を汚すことぐらい構わないし、遠慮なく裏をかかせてもらう。

と、思っていたのだが。


なんとなく、調子が出ない__やっぱり、今夜はやめとくか。


それもこれもみんな、カカシ笑顔なんてものを見た所為だ。
どーも胸焼けがして、腹に力が入らない。
こんな時がっついても碌な結果になりはしない。とりあえず、__今日の所は引いとこう。

少し未練がましく部屋の明かり窓を見つめつつ、踵を返す。

まぁいいや。アタシには里から褒美としてかなり纏まった休みが与えられている。時間はたっぷりあるし、焦る
こともない。これからじっくり作戦を練って出直そう。機会を伺っていれば、絶対に勝機は巡ってくる。
カカシも如何に上忍師と言えど任務で里を明けることもあるし、その隙を狙うって手もある。


__絶対に、アンタを諦めない。たとえカカシが本気だとしても、この気持ちは変わらない。

だから、待っててね、イルカ。必ずアンタを、落としてみせる。


冴え冴えとした月の光に、身も心も浄化される。イルカもこの月を眺めているだろうか。もしそうなら、その胸に
抱く面影は、きっとアタシのものであって欲しい。

おやすみイルカ、また明日。これからも暫く、騒々しい日が続くね。でも今夜はゆっくりよい夢を。





そうしてしおらしく帰路に就いたその夜の判断ミスを、アタシは一生後悔するハメになる。






back     text      next