陽のあたる場所 4



拝啓 タカノ清一郎様


昨日から庭の夾竹桃の紅い花がほころび始めました。その賑やかな色合いを縁側で眺めているうち、何故か
急に貴方に手紙を残したくなり、今こうして筆を取っています。

貴方もご存じの通り、私は幼少の頃一時に両親と死に別れました。それ以来肉親の愛情というものに無縁で
生きてきた私に、いつも貴方はとてもそれに近い暖かさを与えてくれました。

タカノ君、今まで本当に有り難う。

貴方が私に向けてくれたその優しさや思いやりは、どれも私には勿体ない程眩しく、そして涙が出るほど有り
難いものでした。

そんな貴方の目に、私とはたけカカシの関係は一体どんな風に映っていたのでしょうか。
さぞかし複雑怪奇且つ、滑稽に見えた事でしょう。

タカノ君、いつか二人で任務に出たときのことを憶えていますか。あの帰り道、私が貴方に吐いた言葉を思い
出すと、あまりの羞恥に今でも身を捩りたくなります。
一体私は何様のつもりであんなことを言ったのか___私ほどその資格の無い人間はいないというのに。



私は、はたけカカシを殺しました。

いえ、私は彼の最後に立ち会ったわけではありませんから、これはおそらく、という意味です。



その昔カカシが私に手を伸ばしたことで、私が例えようもなく大きな、取り返しのつかないものを失ったのは厳
然たる事実ですし、それを断罪するのはとても簡単なことでした。それでも確かに、私はカカシを心から愛して
いたのです。

しかしそれは、女としての「愛」ではなく、例えるなら母親のような「情」に近いものだったのかも知れません。


はたけカカシは忍としての天賦の才能に恵まれながら、自分の感情を表現することにかけては恐ろしく不器
用な人でした。そしてその為私を含めた何人もの人間を面倒事に巻き込み、傷つけ、迷惑を掛けてきました。

しかしそれは決してカカシひとりが責めを負うべきものではなく、その原罪は年端もいかぬ子供にさせてはな
らぬことをさせ続けた里と、それを黙認してきた里に住むすべての人々にあるのです。
ですから私という存在が、天才児という賞賛を隠れ蓑に搾取され続け失った時間と愛情の替わりになるのな
ら、出来る限りのことをして上げたいと思っていましたし、そうしてきたつもりです。
そしていつか私のことを必要としなくなる日が来た時、私は喜んでその背中を見送ろう__そう決めていまし
た。そうして共に過ごした数年間は多少の波風を孕みながらも、私にとっても、そして多分カカシにとっても、
かけがえのない日々となったのです。


忍医から病名を告知されたとき、私の病状はかなり進んでいました。それはもう殆ど手遅れといっても差し支
えないほどで、確たる治療法もありませんでした。私は無駄な延命治療はしないと、即座に決心しました。

ただひとつ、不安なのはカカシのことでした。

私はカカシと過ごしたこの数年で、人が一生かけて味わう喜びも悲しみも苦痛も快楽もすべて手にしました。
ですから人よりは多少早い人生の幕引きにも、それほどの悲哀を感じることはなかったのです。

しかし、残されたカカシはどうなるのだろうか。

それを思う時だけ、私の胸は痛みました。
自惚れでなく、事実心も体も私に依存していたカカシが突然の別れに耐えきれるのだろうか。その予測はまっ
たく不可能で、その点においてのみ私は逡巡しました。
しかし一歩引いて眺めてみれば、カカシはもう二十代後半の立派な大人であり、出会った頃は大変大きかっ
た感情の揺れも今では大分落ち着いているように見えました。
そして逆に、彼が私をきちんと見送ることが出来たなら、それは非常に大きな精神的成長の証となるのでは
ないか__そう思ったのです。

迷った挙げ句、私は正直に自分の胸の内を告げました。

思った通りカカシの反発は凄まじいものでしたが、私は根気よく彼を諭しました。
最後の時間を共に過ごし、この現実から目をそらすことなく、私の死を冷静に受け入れ乗り越えられたとき、
そこに本当の巣立ちがある。これは私がカカシにしてやれる最後の授業であり、きっと彼は私の意図を汲んで
くれる。
そう信じていたのです。


しかし結果として、カカシは任務中に命を落としました。


彼がこの世を去った今、その最後の瞬間に何を思い、何を胸に抱いて死んでいったのか、それを伺い知ること
は出来ません。ですが先に逝くものと信じ込んでいた自分が反対に置いていかれてしまった今、それまでの
カカシの苦しみは業火に焼かれるほどの辛さであったろうと、私は今更ながらに思い知ったのです。


結局の所、私達は生きている間、ついにお互いを正面から見据えることが出来なかったのかも知れません。
人ひとりを、心を蝕む苦しみから救い出すことの困難さに深く思い至りもせず、私こそがそこから解放してやれ
るという軽率な思い上がりは、逆にカカシを苦悩の深淵に追いつめたに違いないのです。
そして生死を左右する決断を迫られた時、それがいったいどんな影を彼に投げかけたのか__もし向こうでカ
カシが私を待っていてくれるのなら、私は自分の短慮を深く詫び、その真実を聞かせて貰いたいと思っていま
す。



こんな懺悔のような暗い手紙を残すことは、貴方にとって迷惑でしか有り得ないと重々承知していながら、実
は叶えて頂きたいお願い事が、一つあるのです。

私の文机の一番上の引き出しに、白い布袋が入っています。私の死後、その中身と、私の骨とを一緒に、西
の森の___場所はどこでも良いのです、貴方にお任せします___木々の根本にでも、撒いてくれません
か。私に墓は必要ありません。文字通り土に還りたいのです。
お願いです、私の最後の我が儘、聞き届けて貰えますか。その代わりと言っては何ですが、私の所有してい
た蔵書や標本は総て貴方の自由にしてもらって構いません。然るべき所にちゃんとそう届けておきます。

貴方の優しい性格に付け入ってこんな我が儘を押しつける私の狡さを許して下さい。

私が貴方にして上げられたことなど何一つ無いと思いますが、願わくば私の愚かな生き方が反面教師となっ
て、貴方の人生に対するよい教訓となりますように。そして遠からずの間、貴方が生涯の良き伴侶となれる方
と出会えますように。貴方の幸せを心から願って。
さようなら。
                                   

                                                      敬具

                                            うみのイルカ


               



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