北黄金貝塚

北海道では珍しい縄文体験の出来る公園
「縄文の丘」が出来ました。 約九万平方メートルという広大な面積の史跡で、元々牧草地であったので遠くから見ると その形がよくわかり縄文の原風景を頭の中でイメージしやすく、丘の上にいると 何故かしら縄文人になった自分がそこに立っているような錯覚に驚く。

縄文時代の遺跡は日本列島の全域であります。縄文文化とは約8000年位前から2000 年頃までの間と言われ、続、縄文文化の後に弥生時代・古墳時代と続くが縄文文化が全て無くな ったのではなく、緩やかに弥生・古墳に引き継がれて行き、オホーツク・擦文・アイヌ文化 と北海道独自の形で江戸・明治・・昭和・・平成、激動と混乱の時代でも時は進み 現代に至るが、縄文の遺跡を見ると、古代人の生活はどんなんだったのか、夢は何だったの だろうかと思うと、今現代が必ずしも良き時代とは思われず、古代のロマンに引かれるものが あるのは私だけの感傷だろうか。

すり石、謎の多い石器で何をすり潰したのかは分っていません。また出土したその量は北 黄金貝塚を代表する遺物と言えるほど沢山出ました。がしかしそのほとんどが壊れて います。

これは何を物語っているのでしょう・・・ 古代人は特別な役目を終えた物は、石器であっても後に又甦る命を信じてあえて壊して 供養したと考えたら、最も自然な成り行きなのかと納得させられる。が・・・      
また貝塚と一緒に人骨が出土したと言う事は 貝塚が単なるゴミ捨て場ではなく、貝殻も道具も人も役目を終えた物に対しての感謝の 証・・・「供養の場所」と考えると貝塚から人骨が出土しても至極最もな事で当然の 結果なのでしょう。 彼ら縄文人は何処からやってきたのでしょうか・・・文献では旧石器時代に東南アジアなどの 南方からと言う説がありますが、北からやって来た可能性も否定は出来ないようです。 縄文時代の一万年間、顔つきや体つきが均質に保たれていると言われています。この事は 大陸と人の交流がなかったからでしょうか! 





 北黄金貝塚の人骨は、北海道では一ヵ所の遺跡から出土したものとしては 最も古く重要であり、人骨の特徴はこの時代の後の入江貝塚や高砂貝塚の人々に受け継がれ、 次の続・縄文、擦文さらには中世・・・アイヌ人の形質と受け継がれて行ったのでしょう。 また本州の縄文人の人骨からは虫歯で抜歯された人骨が出ていますが、北海道の縄文人の虫歯は きわめて稀なことのようですが、虻田の入江貝塚からは虫歯を持った女性がいたり、有珠の モシリ遺跡からの女性人骨(縄文終末期)の埋葬にはこの時代に特徴的な副葬品を持たずに 南海産の貝殻をつけていたり・・・ 

 もしかしたら本州の女性の縄文人さんは北海道に 嫁入りの為に来た、と想像すると楽しい夢がまた広がるのか、はたまた難題が一つ増えたと頭を 抱え込み遺跡・史跡巡りにせっせと盛を出すのかは貴方次第ですぞ。何れにしてもボケている暇は ない。

また距離的にそう遠くない虻田町に入江貝塚があります。竪穴住居の骨格復元模型があり 北黄金貝塚とセットで見学をすると、遥かに遠い昔の縄文時代の生活とロマンがタイムス リップして貴方の心に何かを語りかけてくれる事でしょう。 更に今年になって北海道は渡島管内南茅部(垣ノ島B遺跡)で出土した漆塗りの副葬品が 縄文早期前半の約9000年前と判明し、これまでは中国の河姆渡遺跡で出土した木製装飾品 が世界最古とされていたが、現在のところ世界最古の遺物と・・・思われ漆文化の起源をめぐる 論争に新たなさざなみが・・・




山川出版社発行
北海道歴史教育研究会著
「北海道の歴史散歩」を引用させて頂きました。
著者・発行者 伊達市教育委員会
「北黄金貝塚の縄文人たち」を引用させて頂きました。