北黄金貝塚 (JR黄金駅から北黄金停バス下車5分)
この6月、伊達市では立地条件を生かして縄文時代の原風景を再現した、
「史跡北黄金塚公園」
をオープンした。約四千年前の貝塚や竪穴住居を発掘された牧草地の丘に復元。
大量の石器類が見つかった祭祀場も、当時から流れる湧き水の横に一部発掘当時の状態で展示
している。
黄金貝塚の貝は、千歳・美々の貝は主にシジミ貝であったのに比べると、貝の
種類と大きさ又現代でも価格の高い部類の、ホッキ・ホタテ・うになどが沢山埋まっている。
この他にも上坂式土器や・鹿の角の道具、「北海道式石冠」と言って把手のついたすり石の事で、
本州の縄文遺跡から出土する祭祀道具「石冠」に形が似ているのでつけられたが
用途はまったく違い、使われた範囲も北海道と東北北部の一部に限られていた。
この北黄金貝塚は(縄文の丘)となずけられて北海道でも珍しい縄文体験の公園である
北黄金貝塚情報センター TEL/FAX 0142−24−2122
ブコッペ洞窟 (余市駅からバス栄町下車5分)
小樽市蘭島からトンネルを抜けて余市町に入って、海岸線を走る国道5号線と函館本線にはさまれた小さな
岩山の東側にある海蝕洞窟。幅6b高さ5b奥行き7b、昭和25年に発見された時はほとんど土砂に
埋まっていた。
内壁面に二百あまりの特異な岸壁彫刻があり注目を浴びた。
彫刻は人間・野・魚・船等を形どったものや
、抽象的な模様・記号と思われ、影絵のように掘り込んだもの、線を刻んで形を表したものなどがある。
オムサロ竪穴郡 (紋別バスターミナル10分)
オホーツク海の沿岸には海岸段丘が多く川や沢に近い台地には細い湿地帯があり、多くの遺跡が残っている。
オムサロの台地はその一つで、海岸を走る国道38号線との間に二百あまりの竪穴住居跡が確認
されている。
展示用に全面露出の住居跡や復元住居が作られている。遺跡全体は縄文文化からオホーツク文化までの住居跡を含
んでいるが、現在の整備地域は擦文文化
期のものがほとんどである。
形は正方形に近い四角で、中央の炉のほかに、カマドが作られている事、それが東南向きの壁に
設けられていること、これらは擦文住居跡の一般的な特徴でもある。
標津遺跡郡 (標津バスターミナル5分)
根室海峡をはさんで国後と向かい合う標津町には伊茶仁カリカウス遺跡と古道遺跡・三本木遺跡と三つの国の指定
遺跡があり
あわせて標津遺跡と呼ばれている。
特にカリカウス遺跡はポー川の左岸、標高15b程の段丘にひろがる
広大な遺跡である。縄文早期から擦文期までの地上から確認できる竪穴住居跡が千二百ほど、常呂遺跡に
次ぐ規模である。標津町は湿原とポー川と遺跡を含むポー川史跡自然公園を設けている。公園の中には底面露出の
住居跡とオホーツク文化の復元住居
が展示されている。屋根は白樺の皮、この地域は低温・流水・海霧と言う厳しい寒冷な自然条件で
、古い住居跡が埋まりきらないで残っているのもそのためであるが
丘陵の樹林に守られた多くの集落郡がある。
住居跡からは魚類や海獣の骨陸獣の骨、堅果類が発見されて当時の豊かな生活資源がしのばれる。
常呂遺跡 (常呂バスターミナル・車5分)
常呂川の河口からサロマ湖東岸に至る砂丘上に展開する遺跡で
竪穴住居郡としては全国最大の規模をもつ。
長さ五キロメートル・幅数百bに及ぶ樹林地の中、特に南斜面には住居跡が確認できる竪穴が二千五百あまり、表面の
埋まったものを含めれば一万個近い住居跡の存在が推定されている。
地表から観察できる竪穴の外形からしても、縄文〜続縄文期の円形に近い住居跡、方形の擦文文化・五角や
六角の形をもつオホーツク文化の住居跡などが区別できる。それにしてもこの地域に多くの少集落が集まり、
それらが時代を追って次々に営まれた事は間違いない。
北西風を避ける地形と、海や川の幸、クマ・シカ等の山の幸に恵まれた豊かな土地だったためであろうと思われる。
入江貝塚公園(貝塚館) (JR洞爺駅・徒歩15分)
伊達の黄金貝塚と同じく内浦湾沿いの虻田町にも貝塚があり、貝は少ないが動物骨や魚の骨
等がみられます。他には竪穴住居遺構復元・竪穴住居骨格復元・竪穴住居完全復元と当時の
様子が再現されています。内浦湾沿いと、又苫小牧から千歳に掛かる一帯は現在よりも海が
内陸に食い込んでいて生活の跡が貝塚の形で今に残されていますが、
面白い事に現在の内浦湾沿いの伊達と虻田の貝塚からは豊富な貝殻の種類が出てきますが
千歳の美々貝塚からは縄文シジミの他は、若干種類しかなく、特に伊達の北黄金貝塚からはホタテ・あわびなどの
高級貝の貝殻が沢山あり、5〜6000年前前後の縄文の時代、場所によっては食生活にも格差が
あったのだろうかと考えさせられる。