翌朝、背中に激しい痛みを感じたゾロが目を覚ますと、ハンモックごと床に落ちた自分の上にサンジが馬乗りになっていた。
「――――――――っ?!」
あまりにも有り得なさすぎる状況に、背中の痛みなど忘れて起きあがると、
乗っていたサンジはいとも簡単にコロンと後に転がる。
「って!」
受け身を取るのが一瞬遅れ、床に打ち付けた頭を転がったままで抱えた。
「なにすんだよォ」
「それはコッチの台詞だ!朝っぱらからなにやってんだ?!てめェはっ!」
今が夜で二人きりの状況なら手放しで喜ぶというものだが、今は朝で、肝心のサンジが幼児退行している。
そのまま押し倒すという訳にはいかないのだ。
「‥‥‥ったく、一体何の用だ」
転がったままのサンジに手を伸ばして起きあがらせる。
するとゾロから投げかけられた質問に、キョトンと幼い仕草で首を傾げた。
「朝メシ。もうみんな食い始めてるぜ。いくら呼んでも起きねェから乗っかって起こそうとしたんだけど…
俺、でかくなってるの忘れてた」
「‥‥いつもこんな起こし方してんのかよ」
「―――ん。ジジィもコレくらいしないと起きねェんだ。但し、飛び降りるのが遅れると強烈な蹴り、喰らうけどな!」
ニカッと邪気のない笑顔に、再びゾロのこめかみが引きつった。
中身の幼いサンジにとって、やはりこの表情は恐怖に感じてしまうらしい。
「―――――っ!」
ビクッと後ずさったスーツの男を見て、ゾロは深い溜め息を付いた。
外見が変わっていないから気を緩めるとついいつもの調子で睨み付けてしまう。
彼のためにも怯えさせるような行動は極力謹もうと努力はしているのだが。
あの名前を出されると穏やかではいられない。
「‥‥‥悪かった。メシ、食うから」
のっそりと立ち上がって、座り込んでいる金髪頭をポンポンと叩いて梯子を昇っていく。
サンジは不思議そうな顔をしながら、頭に残る手の感触が消えるのを惜しむようにいつまでもその場所に両手をあてていた。
その日は朝から雨粒が激しく甲板を打ち付けていた。
船内の何処にいてもその音から逃れることは出来ない。
空模様と同様、クルー達もどんよりとした雰囲気に包まれていた。
「嵐よりはマシだけどよォ‥‥」
ウソップは顎をテーブルに乗せつつ、長い鼻先でその上をトントンとつついていた。
「明日の朝までには止むはずよ。今日は一日大人しくしているしかないわね」
ナミとロビンはテーブルの隅に腰掛け、サンジの淹れた紅茶を片手に読書に勤しんでいる。
その傍らでは件のサンジとチョッパーが何やら医学書らしきものを一緒に眺めていた。
その場に姿が見えないゾロとルフィはといえば。
天候に関係なく鍛錬を欠かさないゾロの回りで、落ちてくる雨を全身に浴びてまるで水遊びでもしているかのように
はしゃいでいるルフィ。
暫く後に、全身びしょ濡れのままラウンジへ現れて、クルー達のひんしゅくを買うこととなる。
ナミの命令でシャワーを浴びた二人が戻ってくる頃には、サンジの作った昼食がテーブルを彩っていた。
「ココでの料理にも大分慣れてきたみたいじゃない?」
ナミがニッコリと微笑みを向けると、サンジは照れたように頭をかく。
以前のサンジには考えられないリアクションだ。
「ココのみんなは『旨い、旨い』って食ってくれるから、作り甲斐があるんだ。でも、元の俺にはまだ及ばないんだろ?」
「‥‥そうね。なんたってサンジくんは世界一のコックなんだから」
ナミの言葉にニッコリと満面の笑顔を浮かべる。
幼くなってしまったサンジは、今の技術を認められなくても、これまでの自分が賞賛される事を何より喜んだ。
初めは気を使って甘めの評価をしていたクルー達も、その意図を汲んでありのままの感想を伝えるようにしている。
いつ元に戻るかも分からない漠然とした不安の中にいるサンジを、少しでも励まそうという心遣いなのだ。
そんなサンジを、ゾロは正視できなかった。
何故なら――――――――――
(可愛すぎんだよ‥‥‥チクショっ‥‥!)
天の邪鬼なサンジの、あの屈託のない笑顔。自分だけのものではないところが全くもって口惜しい。
更に、自分だけのものに出来ないところが堪らなく悔しい。
初めの頃の恐怖感こそ払拭できたものの、特に用がない限りサンジの方から寄ってくることはない。
今朝の出来事などは限りなく珍しいのだ。
(かといって、あのまま押し倒すワケにはいかねェだろう‥‥)
これ以上怯えさせてしまっては、それこそ口もきいてくれなくなってしまうだろう。
そう思って、ゾロはひたすら辛抱の時間を送っていた。
「俺、ちょっと食材取ってくる」
ラウンジに集まったクルー達が午後の一時をまどろんでいると、サンジが立ち上がって部屋を出ていこうとした。
外はまだ雨が降っている。
ふと窓の外を見遣ったナミが、横で寝ていたゾロを足でこづいた。
「んぁ‥‥‥?」
「サンジくん一人じゃ大変でしょ。アンタも手伝ってあげなさいよ」
彼女が示す先には、今正にラウンジを出ようとするサンジがいる。
寝起きにしては珍しい素早さで、ゾロは彼を追って部屋を出た。
「あとはイモとニンジンと‥‥‥」
「おい、まだあんのかよ?」
既にゾロの両腕には大量の荷物が抱え上げられている。これ以上持てというのなら、あとは頭の上に乗せるしかない。
「残りは俺が持つってば」
奥の方からがさごそと大きな袋を引っぱり出すと、そのまま担いで振り返る。
足元に置いてあった2〜3の袋も担ぎ上げ、ゾロを追い越して倉庫のドアを開けた。
その時―――――
「うわっ‥‥‥!!」
もの凄い勢いの風が吹き込み、その煽りでサンジの身体が部屋の中へと押し戻された。
咄嗟にゾロは荷物を手放してサンジを支える。
しかし思いの外勢いが強く、そのまま尻餅を付くように倒れ込んでしまった。
「てて‥‥おい、大丈夫か?」
まるで抱きつくような形で自分にしがみついているサンジに声をかけるが、返事が返ってこない。
「おい‥‥?」
両肩を掴んで引き離そうとすると、触れられた瞬間ビクッと肩が跳ね、そのままギュッとゾロにしがみついてきた。
「お前‥‥‥‥?!」
もう一度肩に手を置くと小刻みに震えているのが伝わってくる。
(こんな風で‥‥思い出しちまったのか‥‥‥?)
吹き込んでくる風雨を遮るために、ゾロはサンジの肩を抱えたままでドアを閉めた。
完全に外の音が遮断できるわけではないが、心を落ち着かせるのには充分な静けさが手に入る。
カタカタと小さく震えながらも、おずおずと顔を上げたサンジは明らかに動揺した表情を隠せずにいた。
「ご‥‥ごめ‥‥‥俺‥‥」
どうにか立ち上がろうと床に手を着いて体制を整えようとするサンジを、ゾロはギュッと抱き締める。
「いいから、暫くこうしてろ」
「‥‥‥!」
耳元で低く、優しく囁く。
それはサンジに気を使っているのではなく、自分がそうしていて欲しいという気持ちの表れでもあった。
抱き締める感触は以前と同じなのに、気持ちは自分を向いていない。
でもさっきは確かにゾロに助けを求めるが如く身体を預けてきた。
ただそれだけのことで、ゾロはその身体を手放せなくなってしまった。
「‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥」
会話もなく沈黙が続く中、気まずさを覚え始めたゾロが腕を解こうか迷っていると、
胸に押し付けられている頭が微かに動いた。
「‥‥こうしてると‥安心すんだー‥‥‥不思議だな。一番恐いと思ってたヤツなのに‥‥」
「‥‥‥!」
やはり自分は一番恐れられていたのかというショックと、それでも安心させられたという安堵が同時にゾロを訪れる。
「誰も‥‥こんな風に甘やかしてはくんねェんだ。
早く一人前になりたくて、精一杯突っ張ってるガキには誰も優しくしてくんねェ。
でも、こうされるのって‥‥‥嬉しいモンなんだなァ‥‥‥‥」
言葉の最後がくぐもっている事に気付いたゾロは、軟らかい髪をそっと梳いた後その手を頬にあてて僅かに上を向かせ、
薄く開いた唇をフワリと自分のそれで覆った。
「―――――‥‥‥‥え‥‥?」
驚きに見開かれた目を向けられ、瞬間ゾロは居たたまれなくなって置いてあった荷物を全部持ち、
そのまま倉庫を出ていった。
残されたサンジは、暫く経ってから自分が持っていくはずだった荷物までゾロが持っていってしまったことに気付く。
彼にされた事を考えればそんな事は取るに足らないはずなのに、何故か笑いがこみ上がってきて
一人残された倉庫にサンジの小さな笑い声が響いた。
それが段々と治まってきた頃、最後にサンジの小さな呟きが漏れた。
「―――何で、イヤじゃねェんだ‥‥?」
あれ以来、サンジとはまともに口をきいていない。
ゾロの方から避けていた。
自分と同じ年格好をしたサンジが、素直に自分に甘えてくる。
嬉しいがそれ以上に危険だ。
中身は子供と言い聞かせなければ即座に押し倒しそうな自分が居る。
実際、眠る横顔にキスをしている自分に気が付いたのは、その手がズボンのベルトへと伸びている途中だったのだ。
頼むから今の状態以下になるようなコトだけはするなと、意識下の自分を戒める。
なんという息苦しい毎日だろう。
(自制が効かなくなる前に元に戻ってくれ‥‥)
初めて神に祈らずにはいられないゾロであった。
その日はゾロが不寝番で、頭を冷やすのには丁度良いと、数本の酒瓶をお供に見張り台へ籠もった。
そうして仲間が皆寝静まったと思った頃――――――――――ゾロの気分は絶不調に陥っていた。
(なんでだ?!俺ともあろう男が‥‥!くそッ!集中力が足りねェのかッ?!)
見張りをしながら鍛錬でもしているのかと思えば、そうではない。
傍らに置かれた酒瓶はとっくに空であり、程良い回り加減で気持ちの良い夜風を楽しもうという心の余裕は
あっという間に飛び去った。
無心になろうと目を閉じれば、頼みもしないのにサンジの怯え縋ってきた表情が浮かんでくる。
それを振り払おうと内なる自分を一喝すれば、まるで追い打ちをかけるように次は唇を重ねた時の無防備に見開かれた
蒼い目が脳裏を支配する。
あの感触も、いつまでもゾロの唇に残っている。
何度拭っても、食事をしようとも消えることはなかった。
そ…っと手の甲をその場所にあてる。
唇に感じる質感は、サンジのものとは全然違うのに、目を閉じるとまるで本人が目の前にいるような息遣いまで
感じるようであった。
(重症だな‥‥)
それだけで昂まりを覚える身体が浅ましい。
上がり始めた熱を振り払うように、ゾロは見張り台の縁に背中を預け、点々と星が散らばる天を仰ぎ見た。
すると、下の方からギシリとロープの鳴る音が聞こえてくる。
見ればそこには、暗い中でも輝きを失わない金糸の髪が動く度に優雅に揺れながら近付いて来ていた。
(な‥‥んで、こんな時にッ‥‥!)
その姿を確認して喜び踊り出しそうな自身を戒め、再び見張り台の中で小さくしゃがみ込む。
何の目的でここへ来たのかは分からないが、それが今のゾロにとってかなり『やばい』類の状況になるだろうという事は、
安易に想像できた。
しかし躊躇いもなく登ってくる男は、あっという間にその全貌をゾロの前へと現した。
「‥夜食‥‥‥‥喰う‥?」
中にまでは入って来ず、縁に両肘をかけて持っていた皿をゾロの眼前へ差し出す。
暗くて良く見えないが、無表情なようだ。
「‥‥‥‥‥‥‥おゥ」
返事をしながら手を伸ばして皿を受け取る。
少しだけ近付いたその時に、表情を伺おうとチラリと覗き込むが、半分を前髪に隠した顔はそれを許してはくれなかった。
そのまま帰らせるのは喉に何かが詰まったような気分にさせられそうで、ゾロは視線だけで中へ入る事を促す。
サンジもそのちょっとした仕草を見落とすことなく、素直に従った。
「何でこんな時間まで起きてんだ?明日も朝は早ェんだろ?」
「それは…!み、みんな気を使ってくれるけど、俺だって寝ずの番くらい出来るんだぜ!‥‥って‥‥だから‥‥」
「あァ‥だったらそれは明日の夜にでもとっとくんだな。今夜は俺の番だ。てめェは明日の為に寝ておけ」
「いやッ‥‥!そうじゃなくて、これは‥‥ッ!」
言い聞かせるようにポンッと後頭部を叩いた手をはね除けるように、勢い良く顔を上げるサンジ。
その所為でゾロとの距離が急激に縮まり、不覚にもゾロの心臓が跳ね上がった。
「‥‥‥‥俺‥お前に聞きたい事があるんだ‥‥」
至近距離でジッと見詰めてくる瞳は変わらず、月明かりに蒼く照らされている。
思ったよりも穏やかに目的を告げたサンジは、ゆっくりとゾロの前へ屈み込み、その懐へと身を寄せた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥ッ?!」
胸にギュッと顔を押し付け、背中には両腕を回し、まるで子供が母親に甘えるように抱きついている。
あまりの突飛な出来事にゾロが固まっていると、サンジが自らその腕を取って自分の肩越しへと促した。
「‥‥‥ッッッ??!」
これは『抱き締めろ』という催促なのだろうか。
驚愕と混乱と戸惑いの中、慣れた動作へ導かれたゾロの腕は本人の意思とは関係なく、しっかりとサンジを抱き締めた。
「‥‥やっぱり‥‥‥‥‥‥そうだ」
ゾロにとっては果てしない時間が流れたかと思われた頃、腕の中のサンジがポツリと呟く。
何かを納得したかのようなサンジは、ゾロの胸に手を着いてゆっくりと身体を離した。
「俺、お前の身体だと安心する」
真っ直ぐに見詰めて、キッパリと言い放った結論。それはゾロにとって余りにも情熱的な睦言に聞こえてしまった。
「‥‥‥‥‥はァ?!」
「だって‥‥他のヤツにこうしても全然落ち着かねェのに‥‥‥」
「‥ちょっと待て」
台詞の一部に聞き捨てならない部分を認め、話を遮る。
「今『他のヤツに』って‥‥他のヤツにもこんなコトしたのか?」
「え‥?あァ‥‥ルフィとか、ウソップとか‥‥ナミさんにはしようとしたら殴られたけど‥‥」
(あの野郎ドモ‥‥!!)
幼いサンジのやるコトだと、沸き上がってくる怒りをグッと堪えて背中の後ろで固く拳を握り締めた。
「何でそんなコトすんだよ?抱きつかねェだろ?普通‥‥」
「うん‥‥‥‥そうなんだよな‥‥」
努めて平静を装い疑問をぶつけると、サンジはちょっと戸惑ったように俯く。
暫く言葉の続きを大人しく待っていると、重い口を開くように控えめな声が紡がれた。
「でも‥‥お前に‥ゾロに抱き締められた時、凄く懐かしかったっていうか‥‥『あ、俺、この感じ知ってる』って‥‥
何だか嬉しいような気分になったんだ」
「―――――!」
「キ‥キスだって‥‥普通は男同士でするモンじゃねェだろ?だけど、この前のアレは全然イヤじゃなくて‥‥
もしかして案外平気なのかと思って、ジジィや他のコック達とする所を想像してみたんだけど‥‥
それだけで気分悪くなった」
「‥‥‥‥‥」
「‥っていうコトは、ゾロだから平気だったのかな‥って。
俺にとってゾロって、そういう‥‥コトが出来る存在なのかな‥‥‥って‥‥」
必死に見える弁明は、ゾロにとってこの上ない『告白』のように思えた。
今の自分を忘れられても、サンジの身体には間違いなくゾロが刻み込まれている。
まるで最上の大切な気持ちをプレゼントしてくれたようなサンジを、ゾロは愛おしく思えて仕方がなかった。
そして同時に、それまで押さえ込んできた気持ちの全てが赦されたように気がした。
「じゃあ‥‥‥‥コレは覚えているか‥?」
「‥え‥‥‥?」
離れていた身体をもう一度抱き寄せ、耳元へ低く囁く。
戸惑うような声を漏らす唇を塞ぎ、ゆっくりと舌で愛撫しながら、右腕で細い身体を支え、左手はシャツのボタンへかける。
「ゥん‥‥ん‥‥‥」
突然の深い交わりに苦しそうな吐息が漏れる。
それを逃すように一度ほんの僅かだけ唇を離し、サンジが一息つくのを見てからもう一度更に深くまで侵入していった。
「‥ん‥‥ァ‥‥‥」
切なそうな声はゾロの熱情を簡単に昂ぶらせてしまう。
既に外されたシャツの間から手を滑り込ませ、久しぶりに味わう滑らかな感触を楽しんだ。
より感じやすいと言われる心臓に近い方の飾りを指先で摘むように軽く捏ねると、ピクリと喉元が跳ねる。
快感を与えられて過呼吸になりそうな口元を解放すると、深い吐息と共に消え入りそうな喘ぎが少しずつ漏れてきた。
それはゾロの耳にとても心地よく、耳朶、首筋、鎖骨と順を追ってキスを落とし、放って置かれた反対側の乳首へと辿り着く。
「ァ‥‥‥や‥あ‥‥ァ‥‥‥‥」
その声だけで暫しガマンを強いられていたゾロ自身が、弾けさせろとお強請りを始める。
しかし今は、初めてサンジを抱いた時のような緊張感に包まれていた。
実際、このサンジは初めてゾロに抱かれるのだ。例え身体が覚えていたとしても、精神的には容易い事ではない。
幾らか焦ってはいても、それを忘れる訳にはいかなかった。
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