KONJIKI・堕天使





この辺りでは一番大きな繁華街『レイン・ベース』。
その中でもここ『レイン・ディナーズ』は、最大規模を誇るカジノである。
オーナーのクロコダイルは、ある日突然この地へ巨大な建物を造り、あっという間にレイン・ベースの頂点へと立ってしまった
不思議な力を持つ男だった。

そんな彼には当然のように黒い噂も付きまとい、中でも噂では終わらない裏の稼業があると評判もたっている。
それが事実なのか、単なる噂に過ぎないのか――――――――――
知ればただでは帰れないコトを知っている善良な市民には、興味本位に彼を探る者などいはしなかった。



ある日、賑やかなカジノ内に相応しくないざわめきが起こった。

「お客様、困ります!オーナーは只今不在ですので‥‥‥!」
「そーかい。なら都合がいい。コッチは勝手に用事済ませて帰るから放って置いてくれ」
「いえ、ですから、ここから先へはお通しできませんので‥‥」

ビシッと蝶ネクタイを締めてベスト姿も様になった中年の支配人らしき男が、ズカズカと何の躊躇もなく入り込んできた若い男を
必死に止めようとしている。
しかし、裸の上半身に入れ墨の目立つその男は、一般客の立ち入りが禁じられているエリアでさえ、
まるで知り尽くしているかのように歩を緩めようとはしなかった。
入口でそれを止めようとした厳ついガードマン数人を既に伸された支配人は、『触らぬ神にたたりなし』と言いたい気持ちと、
怒らせたら命はないと分かっているオーナーに迷惑をかけられないという気持ちが交錯して、足取りはかなりおぼつかない。

そんな支配人を見かねてか、ただ鬱陶しかっただけか、男は鉄拳を一発お見舞いして支配人を静かに眠らせてしまった。

「さて…と。いよいよオーナーさんにお目通りといこうか‥‥‥」










部屋に日の光が入り込んできてから早数時間、ベッドの主はようやく両手を突き出して目覚めを迎えた。

「あー‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥だりィ‥‥」

独り寝には広すぎるベッドをズルズルと這いだし、サイドテーブルに置かれているタバコを摘み上げる。
愛用のライターで火を付けると、天井を見上げたまま深く深呼吸をした。


「‥さいてーだ‥‥‥‥‥‥夕べのは‥マジで最低だった‥‥‥‥」

体に着いてきたシーツを手繰り寄せて巻いたその身には、他に何も着いてはいない。
一通り下半身を隠すように巻いて、余った部分を肩にかける。
そして窓辺までフラフラと歩み寄り、カーテンを引くと一層降り注ぐ光に目を細めた。


「太陽が黄色いぜ‥‥‥」

タバコを半分ほど吸うと、出窓に置かれた灰皿で揉み消し、シーツをかけたままバスルームへと入っていく。
コックを捻ると出てくるのはまだ冷たい水。
それでも構わずに頭から浴び、暫くそのまま動かずにいた。

見下ろすと、夕べの余韻があちこちに残る自分の細い体。名前も知らない男が付けた情痕。
いつものことなのに。
もう、慣れたと思っていたのに。
たった一夜の出会いが、自分の生き方に疑問を植え付けた。

(いや‥‥夕べのは特に最悪だったけどな‥‥‥)

この『館』で娼夫を始めてかなりになる。寝た相手は両手両足よりも遙かに上回る。
同じ相手とは二度と寝ない―――――という条件。
不思議なことに、クロコダイルはそれをあっさりと了承した。
好きで体を売るわけではない。ならば、ダメ元で言ってみただけなのだが。

『お前なら、男を狂わせるきっかけを作るに相応しい。お前と一度寝たら次を求めずにはいられなくなるだろう。
 お前は最高級の客寄せだ‥‥‥‥サンジ』


そう告げられた瞬間、見えない手枷と足枷に、そして決して切ることの出来ない鎖の首輪に繋がれたような気がした。





シャワーを浴び終え、ソファに積まれた衣服の中から着るものを物色していると、突然部屋のドアが蹴破られたような勢いで開いた。

「サンジ、見付けたぜ」
「‥‥‥‥‥‥‥!!?」

扉の向こうに居たのは、先程カジノを騒がせた入れ墨男。
サンジはその姿を見て、服を取り落とすほど驚いた。


「‥‥エ‥‥エ‥‥‥エー‥‥ス‥ッ?!!」

エースと呼ばれた男は部屋へ入ると真っ直ぐにサンジへ歩み寄り、着衣もままならないサンジの手を引いて再び歩き出す。

「ちょっ‥‥ちょっと待てよ!何でお前がココに‥‥ッ?!」
「お前を迎えに来た」
「迎え‥‥って、ウソだろ?!俺がココから出られるワケ‥‥」
「クロコダイルに話は付けた」
「‥‥‥‥ッ!」

それまで引かれるままだったサンジが、ドアの所で押し止まる。
不審に思ったエースが振り返ると、俯いて表情は伺えなかった。


「‥‥‥‥‥‥‥せめて‥‥ズボンくらい、履かせろ‥‥」

言われて見れば、手を掴んだ男は濡れ髪に上半身は前のはだけたシャツ、下半身に至っては下着一枚で靴下も履いてはいなかった。
確かにこの格好のままで連れ出すのは大問題だ。


「‥‥‥‥‥悪ィ‥‥」










身支度を整えたサンジを、エースは堂々とカジノの正面玄関から連れ出した。
裏の世界ではちょっとした有名人であるサンジが、客の多い時間に姿を表したことに対してか、一部の客からざわめきが起こった。
それでも二人は振り返ることなく、カジノのドアを勢い良く閉めた。

「でもどうしてクソワニがこんな簡単に‥‥?」

何処へ連れて行かれるのか見当が付かないエースが運転する車の中、助手席に座らされたサンジが尋ねる。

「簡単じゃねェだろ。オヤジの口利きだからな」
「エドワードさんが‥‥?!」

その名前を聞いたサンジの表情が曇る。
口に手を当て、窓の外へ視線を移して暫くの間何かを考え込むように黙ってしまった。
その様子から何かを感じ取ったのか、エースがチラリとサンジの方へ目を遣ってから声を発する。


「ま、深く考えんな。単に俺がお前を取り返す為にオヤジの名前を借りただけだ」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

その答えもサンジを納得させるものではなかったようだが、その後二人ともその話題を口には出さなかった。










「サンジ―――――っ!!待ってたぞ――――――――ッ!!!」
「うわッ‥‥!!」

エースが玄関の扉を開けた瞬間、まるでびっくり箱の中身のように彼の弟・ルフィが飛び出してきた。
迷いもなくサンジ目掛けて飛び掛かってきた体を、不意をつかれたサンジが支えきれるものではなく。
そのまま庭先まで吹っ飛んでいく。


「てめェ!この、クソゴム!!いきなり飛び付くんじゃねェって昔から何度も‥‥!!」
「あっはっはっはっはっ!悪ィ、悪ィ!!」

反省の色などまるで感じられないような笑顔で謝りながら、ルフィがサンジの腕を掴んで引っ張り起こした。

「‥‥久しぶりだから嬉しくってさ」
「‥‥‥‥‥‥‥あァ‥‥」

ニカッと笑うルフィの笑顔に、自分がさっきまで居た環境とは180度変わったんだという実感がサンジの中に湧いてくる。
本来であれば単純に喜びたいところなのだが、そうできない程、あの生活が長すぎた。
この身を置かれた状況に慣れるまでどれくらいの日数を要するのだろうと、目の前の二人には悟られないような小さな溜め息をつく。

とにかく、この二人は自分の存在を受け入れ、この『家』へ迎え入れてくれる。
今はそれだけを信じて、新しい生活を始めようと、サンジは前向きな気持ちだけを尊重することにした。




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