「な、何―――――――?!」
不自然な大きな揺れの中、それまで感じていた外の明るさが遮られ、力強い手がサンジの両肩をガシッと掴む。
そのまま抱きかかえられるように上体を起こされた。
「攻撃・・・か?」
いつの間にかゾロが目を覚ましている。
どんなに熟睡していても、身の危険を本能的に感じ取って目を覚ますのは、やはり獣の性質だろうとサンジは常々
思っていた。
しかし、今はそんなことをのんびりと考えている場合でもなさそうだ。
二人が居る格納庫の外、甲板の上をバタバタと走り回る足音が幾つも聞こえてきた。それにつられるようにゾロも
飛び出していく。
ドアが開け放たれた途端、上がって間もない朝日が部屋の中にいるサンジの全身を照らす。
(眩しい・・・!!)
目の奥がズキリと痛んだ。思わず捲かれていた包帯ごと、ガーゼを剥ぎ取ってしまった。
ゆっくりと瞼を開く。
久しぶりに外気に晒された眼球に朝日は刺激が強すぎたのか、じわじわと涙が染み出てくるのが分かった。
(って、今はンな場合じゃねェだろ!)
袖口で溜まった涙を拭って目を凝らす。
包帯を捲くようになった時よりも、僅かではあるが、物の形を認識することが出来た。しかし、その輪郭は未だ完全に
ぼやけている。
(何も見えねェよりはマシだ!)
床に手を着いて立ち上がり、勢い良く甲板へ飛び出した。
「来るぞ!!」
頭上からウソップの叫び声。
その直後に再び轟音が響き、船が大きく揺れた。
「うわっ!」
予想をしていなかった方向の揺れに、サンジの足元が掬われる。咄嗟に発した叫び声に、一段上にいたゾロが反応し、
サンジ目掛けて降ってきた。しかし僅かに至らず。
「!!」
揺れによって船が軋む音、砲弾によって上げられた波飛沫の音、それに混ざってサンジが壁に激突する音がゾロの
耳へと入っていった。
「サンジ!」
「サンジくん!!」
チョッパーとナミの声に遮られたように、ゾロは声も上げずにサンジを抱き起こした。意識はあるが、ぐったりと力の
入っていない身体。苦痛の表情を浮かべ、両手は後頭部から首筋を押さえていた。
「・・・・ってェ・・・・」
ようやく発せられた一言に、取り囲んでいた三人はホッと胸を撫で下ろす。
その横では、飛んでくる砲弾を跳ね返そうと、ルフィが甲板を右往左往していた。
「・・・で?敵襲だって?」
自分を支えているゾロの肩に手を置いてノロノロと気怠そうに立ち上がる。尚も心配そうにまとわりついてくるゾロの
手をさり気なく払い落としながら。
「ええ、噂では聞いていたけど、この辺りの海域はモーガニアの巣窟みたい。船と見ると見境無しに襲ってくる連中
ばっかりよ」
「鬱陶しい・・・そういう輩は早いウチに取り除いておこうかね」
ポケットからタバコを取り出し、慣れた仕草で火を付ける。目が見えなくなる前から何ら変わりない仕草。
「最前線はルフィに任せましょ。ウソップはどうせあそこから降りて来ないでしょうし・・・でも、ま、後はゾロが
いれば大丈夫でしょ?」
そもそもこんな所で呑気に作戦会議をしている場合でもないのだが。
行き当たりばったりで襲ってくる同業者に、それ程危機感を募らせる事は、この船のクルーにはなかった。
その証拠にナミは「チョッパーとラウンジにいるから、終わったら呼んでね」と言い残して、本当にラウンジへ引き
上げてしまった。
そして残された、信頼有る戦闘員ゾロは、サンジの背中をトンッと押す。
「・・・?!」
「てめェもラウンジ行ってろ」
「・・・は?」
「まだ目は見えねェんだろ?足手まといだ。ナミに茶でも淹れてやれ」
グイグイと押してくる手を、サンジは振り返りながら薙ぎ払った。見えていない筈の目でゾロを睨み上げる。
「足手まといだァ?ふざけんな。てめェ、夕べ俺の目になるっつったろーが。ありゃ嘘か?」
「それは・・・!普段の生活の話で・・・戦闘中にンなコト言ってられるわけねェだろ!相手は殺す気できてんだ!」
睨み合う。
サンジにはゾロの姿がハッキリと見えていないはずなのに。蒼い目は突き刺さるようにゾロへ向けられていた。
そこから目が離せない。
「てめェはいつも通り、バカみてェな闘気丸出しで闘ってろ。俺はソレをビシビシ感じんだ。お前の闘気が、
俺の目になる」
身長差はそれ程ないはずなのに、上目遣いに睨み上げるサンジ。口元には不敵で挑戦的な笑みが浮かんでいた。
それはいつもの余裕を感じさせる。闘いに於いて、目が見えないというハンデは致命的な程に大きい。
それを背負っていながら、この余裕を与えているのはゾロの存在だ。サンジにその余裕を与える事は、同時にサンジを
守る事にもなる。
そう解釈したゾロは、サンジの肩をグイッと引き寄せて僅かに触れるだけのキスをした。
「ばっ・・・!!てめェ!」
「いいか、ヤバくなったら必ず俺を呼べ。ムリなんて一秒もするんじゃねェぞ」
掴まれた腕の先と、その言葉からビリビリと伝わってくる強い意志。彼を知らない人間ならそれだけで白旗を掲げる
だろう。しかしサンジはその「強さ」を自分に向けられている事が嬉しかった。
「・・・了解。頼りにしてるぜ」
右手を差し出すと、パンッと弾かれる温かい衝撃。
それを合図に、二人は敵船が横付けしようとしている船首へと向かった。
「ゴムゴムのォ―――――――――――――」
戦闘時には必ず聞こえるルフィの掛け声。勿論虚仮威しなどではなく、威力はホンモノだ。
乗り移ろうとしてくる敵は根刮ぎ絶やすように海へと落とされていく。
敵船はそれ程大きくもなかった。が、一体何処に乗っていたんだという位、後から後から船員が溢れ出してくる。
その大半はルフィの技の餌食になっていたが、それをかいくぐる不届き者は、その後に構える二人の戦闘員によって
確実に仕留められていた。
特に打ち合わせている訳でもないのだが、いつもの闘い方である。
そんな中でも、サンジはいつもとはちょっと違う闘いを楽しんでいた。
(アイツの闘気凄ェ・・・浴びてるコッチが気持ちよくなっちまうくらいだ)
それ程広くはないGM号の甲板。
正に「背中合わせ」で敵を迎え撃つ状況で、視界が不自由なサンジは、気持ちイイと感じるゾロの闘気以外を
鬱陶しいとばかりに叩きのめしていた。
(気持ちイイ・・・!コイツとこうして闘ってんのって・・・凄ェ、イイ・・・!!)
ゾロと同じ位置で大切な船と仲間を守る。ゾロがこんな自分にさえ背中を預けてくれている。
この男の存在の大きさは、こんな状況にありながらサンジに心地の良い興奮を与えていた。
ゾロの闘気を遮るものが減ってきたと思われた頃、その気が一瞬にして質を変えた。
「くっ・・・!!」
ゾロの声にサンジが振り返る。
今、自分に向かってくる邪魔な気は感じられない。それよりも、ゾロの向こう側にそれまでのものとは比べ物に
ならないくらい、忌々しい気配を感じた。
「ゾロ?!」
見辛い目を凝らすと、ゾロの両手から伸びている煌めく刀身。しかし口元から見えるはずのそれはなく、対峙している
敵の手にギラリと光るものがあった。
恐らく最後の切り札であろうそいつは、手元からヒュンッと空気を切り裂く音を発し、何かが木の床を弾いた。
鞭だ。
「ゾロ・・・てめェ、刀・・・・」
「うるせェ・・・二本ありゃ、ぶっ倒すには問題ねェ」
ジリッ・・・とゾロが相手との間合いを詰めていくのが分かる。
相手が鞭使いであろうが、ゾロが臆する相手ではない。むしろサンジが案じているのは、その手中にあるゾロの刀。
倒した所で、すんなりと戻ってくるのかは疑問だ。
そして、サンジはその場から一歩下がると、自分の気配を呑み込んだ。
ルフィはメリーの上に仁王立ちしながら、もう乗り移ってくる敵はいないのかと、敵船を睨み付けている。
ウソップは、いつの間にか見張り台を降り、砲台へ向かってトドメの一発をぶち込むタイミングを計っている。
ナミとチョッパーは、結局一度もラウンジから姿を見せなかった。
刀を片手に、まるで結界でも作っているように鞭を振り回す男を前に、ゾロは少しずつ間合いを詰めている。
この程度の相手なら、鞭の長さより遠くても一気に踏み込んで斬りつけられる。
ゾロは既に相手の力量を見切っていた。
だが、あと一歩で踏み込むタイミングだと思った瞬間、男が口を開いた。
「名刀、和道一文字・・・・・貴様から奪う事が出来るとはな」
「―――――!!」
それまでサンジが感じていた澄んだ闘気が、一瞬にして濁ったものに変わる。それはゾロ自身にも分かった。
「何も名刀を欲しがるのは剣士様だけじゃないんだぜェ?あのロロノア・ゾロの愛刀となりゃ、尚更だ。俺に任せ
とけ。せいぜい高く売ってやるからよ」
恐らく、その男が発した言葉の最後は、ゾロの耳には入っていなかっただろう。
それまで計っていた間合いも何もかも無視した神業的なスピードで、その男へ斬りかかっていた。
切っ先が描く軌跡は確実に男の急所を捕らえ、振り抜けていく。
しかしそれでも男は自ら後へ飛び退き、欄干を超えて海面で大きな水飛沫を上げた後、波間に姿を消した。
「なっ・・・!!」
ゾロの刀は死んでも離さないというように、男は沈んで行った。
その時、ゾロの背後から迷わずに飛び出していく一つの影が。
「サン・・・・・っ!!」
名前すら呼べない程、唐突だった。
それまで自分のどろどろとした感情に捕らわれ、その気配を感じることすら忘れていた事に気付く。
(アイツ・・・!まだ目が・・・!!)
思った時には、持っていた刀を乱暴に床に置き、欄干を乗り越えていた。
薄暗い海の中、サンジは必死でその姿を探す。
ゾロと向き合っていた男は、サンジの予想通りの行動を取った。だから迷わずに刀目掛けてサンジはその身を海へ
投じたのだ。
暗い海と、よく見えていない目。悪条件が重なっても、絶対に見付けられると確信に近いものをサンジは感じていた。
(アイツのあんな闘気を一番近くで浴びてんだ・・・分からねェ訳がねェ)
ジリジリと水圧がサンジの胸を圧迫している頃、スッと伸ばした手の先に、キラッと光る一筋の光が見えたような
気がした。
(・・・?!)
不思議な事にそれは、血を流しながら沈んでいく男よりもゆっくりと・・・いや、むしろサンジを待って、そこに
留まっているかのように感じられる。
一掻きするたびに、その姿は大きくなり、サンジのぼんやりとした視界に一際鮮明に映し出された。
もう少し、と手を伸ばすと、ストンとその手に納まる。
(ああ・・・・・そうか・・・)
暗い海底にあって、尚光を失わない刀身。
(俺が迎えに来るのを待ってたのかい?)
両手で大事に抱きかかえるようにしながら、柄へそっと口付ける。
その直後、頭上から同じ気を纏った愛おしいと感じる気配が近付いてきた。
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