結局チョッパーの診断でも、目が見えなくなった事以外に異常は見られず、抗生物質を投与しながら様子を見守ることと
なった。
二日後には、明るさに対してかなりハッキリとした反応を示すようにもなった。
あの毒の効果は、どうやら一時的なものらしい。
チョッパーの診断は、サンジの身を案じるクルーは勿論、その状況を毎日見守っている小さなトナカイ自身を安堵させた。
「何か、目の奥が痛ェんだけど・・・」
診察の時にサンジがそう訴えたのは、三日目の朝。
初めはチョッパーに余計な心配をかけたくなくて黙っていようかとも思ったが、何しろ相手は優秀な医者だ。もし異常を
来していれば、自己申告しなくてもそれを見破られてしまうだろう。逆に何故黙っていたのかと下手したら悲しませて
しまうかもしれない。
そんな事を考えながら結局サンジはそれを伝えたが、返ってきたのは思ったよりも明るい声だった。
「ああ。中途半端に見えるから、無意識にキチンと見ようとして目が疲れるんだ。もうちょっと視力が戻るまでは包帯で
保護しておこうか」
「え・・・」
そう言った直後に目薬を点され、両目にガーゼをあてて包帯を巻かれた。
自分では見ることは出来ないが、どんな絵面かは大体想像がつく。目の高さでグルグルと頭に捲かれた包帯。
「・・・何か・・・重病人みたいじゃねェ・・・?」
「そんなことないぞ。それにサンジ、保護用のサングラスとかだと大人しくしてくれないだろ?」
「・・・・・」
暗に「外すな」と釘を刺されたらしいと、サンジは理解した。
この医者に逆らうのは容易いが、誰よりも素直に仲間を想う可愛らしいチョッパーを傷付けるのも気が引ける。
少々の不安を残しつつ、ここは素直に従っておこうと、チョッパーには礼を言ってその日の治療を終わらせた。
不思議なモノで、部屋の出入りが複雑な構造をしている船の中でも、それなりの期間生活をしていれば、身体がその配置を
覚えている。多少の手探りは必要なものの、誰かの手を借りることなく、船の中を自由に歩き回ることが出来た。
そして食料の管理と、調理をナミに一任している間、サンジはその傍ら、ラウンジの椅子に座ってナミの気配を見守って
いる事が多くなった。
「サンジくん、ナツメグって何処にあったっけ?」
「あ、右下の棚の左端。ゴメン、ちょっと分かりづらいかも・・・」
「ああ、あったわ。ありがとう」
「どういたしまして」
サンジ専用にレイアウトされているキッチンでは、その主のナビゲーションが必要不可欠だ。
ナミに働かせてしまっているのを申し訳ないと思いつつも、憧れのレディと一緒にいられる空間をサンジは楽しんでいた。
(俺がこんなんでもならない限り、有り得ねェ状況だよな・・・ナミさんには悪いけど・・・心のオアシスだぜェ)
無防備に口元が緩む。
ナミはそれに気付いてはいたのだが、一応病人なのだから、それ相手にフライパンを振り翳すのもどうかと思い止まって
いた。非常に後が怖い状況である。
その夜、ナミが後片付けをウソップに押し付けたのを確認して、サンジは甲板へ出た。
緩やかだが、少し冷たい風が頬を撫でていく。
包帯を捲かれていることで、露出している肌がいつもより敏感にそれを感じている気がした。
そこにどれくらい居たのだろうか。
間隔を開けて吸っているつもりのタバコは、既に十本は超えている。キッチンからの物音も聞こえなくなって久しい。
手元にある最後のタバコに火を付けた時、倉庫の風呂場から誰かが出てくる気配がした。
それはゆっくりと自分の方へと近付いてくる。
その足音だけで、サンジには誰か分かっていた。
それでも別段意識することもなく海の方を向いていると、すぐ側まで来た気配に、後から抱き締められた。
スーツ越しに伝わってくる、ちょっと高めの体温。
「・・・湯冷めすんぞ」
まだ半分以上残っているタバコを海へ放り投げる。
頭を軽く後へ傾けて、その男の額に後頭部を押し付けた。
「てめェが温めてくれんだろ?」
その顔を横にずらして首筋に唇が触れる。風呂上がりで触れてくる身体全体が温かい。
サンジが自分の首筋に顔を埋めている頭に腕を回すと、不意に身体がフワリと浮き上がった。
抱き上げられた、と思ったすぐ後には、もうある場所への移動が始まっている。
「おい・・・だからソレ止めろって・・・」
脇と脚をしっかりと支えられた横向きのお姫様抱き。男としてこれはあまり歓迎できるものではない。
「いいだろ、別に。コレが一番面倒ねェんだよ」
している方は気楽である。
「クソッ・・・目ェ治ったら覚えてろよ・・・」
それでも腕の中のサンジが暴れることはない。抱いている本人もそれが分かっているのか、頭の上から押し殺したような
クスクスという笑いが微かにサンジの耳に届いた。
連れて行かれた先は、いつもの格納庫。
ゆっくりと床に下ろされると、下には薄いが柔らかい毛布の感触があった。
大事そうに上半身を包み込まれたままで、そこに横たえる。
完全に寝転んだと思うと、今度は上から被さってくる気配。直後に唇に触れる優しい感覚。
キスの時はいつも目を閉じている事が多いから、これといって違和感はないのだが。
触れてくるゾロの手やら何やらが格別に優しい。首の辺りがくすぐったくなる程に、愛おしそうに自分に触れてくるのが
分かる。壊れ物を扱うように、極上の羽根を弄ぶように、そっと、丁寧に。
「目隠しプレイしてるみてェ・・・興奮するぜ」
「こっ・・・の、クソエロ変態・・・・・」
しかしかかる吐息は緩やかで、甘い。
手の中に閉じこめた宝物を恐る恐る確認する時の様に、ゾロは身体全体でサンジを包み込んでいた。
唇を中心に、頬、額、首筋に幾つものキスを落としながら、緩慢な動きでサンジのネクタイを解き、シャツを脱がせて
いく。触れてくるゾロの熱い手とは対称的に、晒された皮膚にヒンヤリと感じる外気。
徐々に熱を奪われていく肌にゾロの温かさが触れるたびに、そこからジンワリと解されていくような気分になった。
全身を弛緩させれば眠りに落ちてしまいそうな程、気持ちがいい。
少しずつ下へと移動していくゾロの頭にそっと触れながら、その存在を自らも確認する。
ここにいる。自分に触れているという確認。同時に触れられて嬉しい気持ちが、快感にすり替わっていく。
そしてゾロの手が、誤魔化しようのない自分の欲望に触れたとき、体温の高低が逆転した。その部分でだけ、ゾロの手を
僅かに冷たく感じる。しかしそれは熱を冷ますための温度ではなく、お互いに熱を分け合いながらも尚高めていこうという
欲求の現れに過ぎない。
「・・・ぅん・・・んん・・・・・」
ゾロの指先で器用に弄ばれて、その先端から発せられるクチュッという音がサンジの耳に届いた瞬間、それまで我慢して
溜め込んでいたような声がついに洩れた。それを承諾の合図にしたように、ゾロの手の動きが活発になる。サンジはビクン
と腰を捩らせ、鼻に掛かるような短い声を途切れ途切れに何度も発した。
伸ばした両腕の先にはゾロの髪の感触が残っている。そこにあって尚、自分にこんな快感を与えているのが武骨な指先
なのか、自分を知り尽くしている舌なのかも分からなくなってしまう。湿り気を帯びてぴちゃりと淫らな音を立てるのは
ゾロの唾液なのか。それとも自分の蜜なのか・・・
「あっ・・・ああ・・ゾロっ・・・!」
このまま先を見せて欲しいような、「イヤだ」とその手を振り解きたいような、微妙な感覚がサンジの行動を遅らせる。
しかしすぐ後に来たのは自分でも抑えようのない下半身の震え。限界がもうすぐそこまで来ている。
「ゾロっ・・!も・・・・イク・・っ・・!」
咄嗟にゾロの頭から手を離し、脇の毛布をギュッと握り締めた。直後にゾロの身体が大きく動いた気配を感じたが、それを
追う前にゾロに支えられながら欲望を吐き出す自分自身に全神経が向いてしまった。
「お前・・・・・」
また息が整わずに肩を揺らしていると、ゾロの手が額に触れた。じっとりとした感触が跳ね返ってくる。
「・・・!てめっ!べったべたの手で触んな!」
自分の吐き出したものを擦り付けられたと思って、その手を掴み剥がそうとした。
が、その手に濡れたものは感じられない。
「・・・れ?」
「俺じゃねェよ。てめェのデコが汗掻いてんだ」
言われて初めて気が付いた。額だけではない。全身にじっとりと纏わりつくような汗を掻いている。
そう自覚した途端に、汗に体温を奪われ寒気が走り、ブルッと大きく身震いをした。
「熱でも出たか?」
コツンと額に何かが当たる。多分、ゾロの額だ。
「体調もあまり良くねェみたいだな。今夜は無理しねェで寝るか」
フイッとそれまですぐ近くに感じていた気配が遠退いた。途端に自分を取り巻く空気が寒々しいものにすり替わる。
サンジは思わず上半身を起こしながら手を伸ばしていた。
「・・ゾロっ・・・!」
すぐに指先へ触れた温かい繊維の感触。闇雲にそれを掴む。
離れていってしまったと思った気配は、思ったよりも近くにあった。しかし、これ以上遠ざけまいとする意志が、握る手の
力を強める。初めは引っ張っているという感覚だったのが、すぐに自分の方へ向かって緩んだ。
そして絡んでくる温かい二本の腕。
「・・・どうした?」
「・・・あ・・・・・」
抱き締められ、頭をやんわりと撫でられる。
何故か覆われている目から涙が出そうになった。次第に肩が震えだし、何か言わなければと焦る気持ちを自覚する程、
声は奥へ奥へと後込みしていく。追い縋りたいゾロの名前すら呼べない。
ここに居て欲しい。
暗い世界の中に独りぼっちでいたくない。傍にいて触れていて欲しい。
そうでなければ、自分が何処に居るのかも分からなくなりそうな程、不安に陥ってしまいそうだった。
ゾロの温かい感触だけ残されて独りになるのも、全身を掻きむしってしまいそうな不安を覚えてしまいそうで嫌だ。
「・・ゾ・・・ロ・・・・」
やっと絞り出したのは、声として成していたのかどうか自分でも分からないような小さな吐息。
見えない目に当てられたガーゼがじんわりと熱く湿っていくのが分かる。
「拭わなくて済むな」と楽観的な事を思えたのも、直後唇にゾロの柔らかい愛情のようなものが触れたからかもしれない。
ただ触れているだけのそれは、しばらくして耳元へと移動した。
「大丈夫だから。てめェの目は絶対に治る。それまでは俺が守ってやるから・・・」
詰まりかけた鼻をすすろうとして、思わず喉がヒクッと鳴った。
甘え倒しても良い状況なのに、その台詞に天の邪鬼サンジがひょっこりと顔を覗かせる。
「守るだァ・・・?こいてんじゃねェぞ、コラッ!だァ〜れがてめェなんぞに守られて・・・」
何故こういう強がりだけはスラスラと出てくるのだろう。自分でも不思議で仕方がない。
しかしそれは不覚にも、再び頭を撫で始めた手の優しい感触に、最後まで紡ぐことが出来なくなった。
「あーハイハイ。俺が守んなくてもてめェは強ェよ。けどなァ・・・・・」
間近の気配が口ごもるのが分かった。予想をつけてそちらに顔を向けると、頭に触れていた手に無理矢理押さえ込まれた。
鼻先に当たっている感触は、恐らく鎖骨の辺り。
「こんなお前を独りには出来ねェ・・・俺にも何かさせろ。っつーか、俺がお前の目になる」
微妙にトーンの低くなる声。その理由は、触れている肌の熱さで何となく分かった。そしてその言葉の意味も理解して、
思わず口角が上がる。その拍子にペチッと後頭部を叩かれた。
「んがっ」
続けて文句の一つでもつけようと思ったが、再び唇を塞がれてそれもままならなかった。
目を覚ますと視界に変化は無いが、包帯越しでも周囲が明るくなっているのが何となく分かる。夕べ染み込んだ涙は勿論
乾いているが、その代わり何だかゴワゴワした感触になっていた。
チョッパーに言ってガーゼを取り替えてもらおうと身体を起こすが・・・動かない。
両手両足はバタバタと動かせる。しかし、自分の身体の後から聞こえてくる寝息の主にガッチリと抱き込まれ、体の向きを
変えることすら叶わなかった。
(向こう脛でも蹴倒して起こしてやろうか・・・)
普段通りの凶悪な思いつきの後、昨晩の感触や温かさを思い出す。そのフワリと包み込むような感じは今も絡み付いている
腕に宿っており。
せめて体の向きを変えて、抱き合う体制を取りたいと思ったのだが、それも叶わなかった。
その時である。
少し離れた所から轟音が聞こえ、間を置いてバシャッと大きな波飛沫があがる音を聞き、船体が大きく横に傾いた。
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