愛しさの明度
「て、敵襲だァ――――――――!!!」
朝食前の一時、「メシ」の号令がかかるまでの間、クルーのくつろぎ空間である甲板に響く、裏返ったウソップの叫び声。
真っ向からこちらへ針路を取っている船は、GM号の三倍はゆうにありそうだ。
近付くにつれ、乗り移らんとする海賊達の地鳴りのような怒号が風に乗って聞こえてくる。
ルフィとゾロが迎え撃とうと船首で構えるのは勿論、食事の支度をしていたサンジも、その只ならぬ様子に、女性陣を船室へ
促した後で迎撃隊へと加わった。
間もなく船が横付けされて、殺気立った海賊達がわらわらと乗り移ってくる。
最前線ではルフィが、身体を伸び縮みさせながら欄干を跨ごうとする輩を根本から薙ぎ払う。
その攻撃から逃れた者を、左右に配置しているゾロとサンジが確実に仕留めては、海へと放り投げていた。
船の規模からすると、思ったよりも乗組員は少ないらしい。
ウソップがようやく覚悟を決めて膝頭をカタカタ鳴らしながら「援護するぞ!」とパチンコを構える頃には、敵船からの
侵略者は既に潰えていた。
「なんでェ、もう終わりか?」
伸ばしっぱなしの右腕をヒュンッと振り回しながらルフィが呟いた時、敵船の側面に備えられた小さな砲撃台らしき穴から、
拳大の黒い塊が弓なりに飛んでくる。
それは何処に向かって放たれたのか分からないような中途半端な場所へ着弾し、床に当たると水風船のように脆く弾けて
しまった。その後には白っぽい霧状の物が風に乗って流れていく。
「・・・・・何だァ?」
ルフィ、ゾロ、サンジの三人が、その霧の行方を目で追った。
その時、男部屋の扉が開けられ、中からチョッパーのピンク帽が現れる。
完全に顔まで甲板へ出すと、何やら怪訝そうに鼻をヒクつかせた。
「・・・・・コレはっ・・!!」
慌てて甲板へ飛び出して辺りをキョロキョロと見回す。同時に、敵船から先刻と同じ黒い弾が放たれた。
今度は狙いを定めたのか、ゾロの真正面へ飛んでくる。
ゾロがそれを見落とすはずもなく、腰の和道一文字へ手を掛けた瞬間。
「ダメだ!!それに触るな!!」
チョッパーの必死の叫びはゾロに届いてはいたが、一連の動作の中、その動きを止めるのは幾分難しい。
しかし、それよりも早く反応した黒い影が、ゾロの目の前へ躍り出た。
「―――――!!」
ようやく柄にかけた手が離れた頃、ゾロの目の前、サンジの向こう側で白い霧が立ち上る。
そして、船全体に響く轟音。
ウソップが敵の砲身台に向かって砲撃を行っていた。
彼の命中率は完璧に近い。たった一発の砲弾で、敵船は船体を傾けながら、慌ててGM号から離れていった。
「サンジ!それを吸っちゃダメだ!!」
「え・・・?」
振り向いたサンジにまとわりつくような霧。吸うな、という方が無理な状況だ。
「コレがどうし・・・・・・な、何・・・?!」
事も無げに歩き出そうとした瞬間、サンジの身体がガクンと大きく揺さぶられ、その場に崩れ落ちた。
「サンジ!!」
チョッパーは帽子を取りながら慌ててサンジへ駆け寄り、その周りの霧を追い払うように帽子を振り回す。
目の前でサンジが倒れるのを見て、一瞬動きを奪われたゾロも、チョッパーの叫び声で我に返り、サンジを抱き起こした。
「てめっ・・・・何やってんだ!」
しかし既にゾロの声がサンジの耳に届くことはなく、身体を細かく痙攣させながら、サンジは意識を失っていた。
指先が酷く冷たく感じる。このままでは感覚さえもなくなってしまいそうだ。
それは、反対の手で強く手首を握り締めているのだと、ゾロ自身は暫く気付かなかった。
あの後、ラウンジに急遽椅子を並べて作られたベッドにサンジを寝かせ、チョッパーが診察をしている。
あの白い霧は毒なのだとチョッパーは言った。
その特徴的な臭いで種類もすぐに判別できた。有効と思われる解毒治療も一通りはしてみたのだが。
「これは・・・気管から入り込んで神経を冒す毒ガスなんだ。処置が遅かったとは思わないけど、早かったとも言えない。
多分・・・目が覚めた時、五感のうちの何かに障害が残る可能性が高いよ」
医者の見地から努めて落ち着こうとする様子が伺えるが、仲間思いの小さなトナカイは、目の当たりにした現状に、身体の
震えを隠せない。
「後は・・・見守るしか・・・・・」
帽子を目深に被って俯く。隣に座っているゾロは、その頭を帽子ごとポンポンと軽く叩いた。
その後では他のクルー達が微動だにせず佇んでいる。
時刻はとっくに昼食時を過ぎているのに、ルフィの「腹減った」という言葉は一度も聞かれなかった。
サンジが目を覚ますまでは
そう思っていても、誰一人としてその後の不安は拭えない。
その後も、ゾロは当然のように眠っているサンジに付き添っていた。
食事はナミとビビが協力して作り、片付けも全員が分担して行っている。サンジの仕事は慣れない人間にとっては大変な
作業が多かった。それでも、暇を見付けては何かしら仕事を探し、身体を動かすように努めている。
そうしないと誰もが少なからず不安で居てもたってもいられなくなりそうだったのだ。
しかしゾロだけは、ずっとサンジの傍らへ寄り添っている。主に仕事を指揮しているナミは、ゾロの気持ちを察して特に何も
言わない。見守るように、時折食事や飲み物の差し入れをする程度だった。
そしてその夜。
「ん・・・・・ぅ・・・・・」
今までにない動きを、サンジが見せた。
ゾロはすぐさま反応して、その顔を覗き込む。目を開けてくれと胸の中で大きく唱えながら、サンジの顔の脇に手を着いた。
「ゾ・・・ロ・・・・・?」
薄く目が開かれた瞬間、掠れた声がゾロを呼ぶ。
全身の力が抜けてしまうかと思うほど安堵したのも束の間、サンジの次の言葉はゾロを凍り付かせた。
「・・・そこに・・・居るのか・・・?」
「―――――!」
瞼は完全に開かれ、視線は天井へ向けられている。
ゾロが返事を返しかねていると、サンジはゆっくりと両手を自分の目の前に翳した。数回、裏表を返した後で、片手を横へ
伸ばす。その手が、偶然そこにあったものに触れるように、ゾロの腕に当たった。
「真っ暗で・・・・何も見えねェ・・・・・」
予想をつけているかのように、顔をゾロの方へ傾ける。その目に表情は読み取れず、ゾロの方を向いているだけで、焦点は
合っていない。
「・・・っ!!チョッパー!!」
腹の底から出すようなゾロの叫び声に、慌てたチョッパーが転がり落ちるように男部屋へ入ってきた。
「な、何?!」
「コイツ、目が・・・」
「―――――!」
「目が・・・見えねェみてェだ」
半ば放心しかけているゾロとは対称的に、チョッパーは素早く医療器具を取り出してサンジを看た。
「・・・チョッパー?」
徐に触れられ、サンジが不安そうな声色で尋ねる。
「サンジ・・・毒ガス吸ったの、覚えてる?その影響で目が見えなくなったんだ。一時的なものかどうか、診察するから
・・・・・楽にしてて」
「・・・・・ああ」
この会話の中で、聴覚と触覚には異常はなさそうだと、二人は顔を見合わせてひとまず安心したように頷いた。
しかし、やられたのが視覚となると、それはそれで問題が大きい。
チョッパーは小さな蹄で器用にサンジの瞼を捲りながら、ペン状のライトを目の前でちらつかせる。
「瞳孔は異常ないし・・・僅かだけど、光にも反応してる・・・望みは大きいぞ!」
徐々に明るくなる船医の声。それに安心したのは、勿論本人だけではない。
「念のため、他の感覚もちゃんと確かめておこう!俺、必要なモノ持ってくるから、ちょっと待ってて!」
すっかり気持ちの解れた笑顔で、カツカツと梯子を昇っていく。
残されたゾロは、その姿が見えなくなるのを確認して、サンジの上へ覆い被さった。
片手をサンジの髪に滑り込ませ、そのまま指先だけを頬へと辿らせる。
顔は既に、鼻先が触れそうなくらいまで近付けていた。
「・・・見えねェか?」
「ああ・・・残念ながらな」
それでもさっきよりは大分落ち着いている。触れている指先で、サンジの頬の柔らかさを感じ取れているのだから。
見えていない筈のサンジの目も、必死に目の前の姿を捉えようと小さく揺れているのが分かる。
気配だけでそこに居るのが分かってしまう程の存在。視界に据えておきたいと思う心情も、当然といえば当然だ。
ならば、外しようのない位置まで自分が行ってやろうと、ゾロは指先でサンジの瞼に軽く触れてそれを閉じ、口付けた。
いつもキスの時は目を閉じている。
自分が殆どそうしているから、サンジもそうだと確かめているわけではないが、気配で何となく分かっている。
共に視界を閉ざし、唇と舌先に神経を集中しているのだ。
だから、そのキスはとても気持ちがいい。
この時も、唇が触れた瞬間にゾロも目を閉じ、舌先でサンジの存在を探し当てる。
一度絡め合った後で、試すように離れようとすると、それを止めるようにサンジの両腕が首に巻き付いて交わりを深くした。
唇は繋がったまま、舌の動きと息遣いで「ゾロの味だ」とサンジが呟くのが伝わる。
ピチャ・・・と、唾液が絡み合う音が耳にはいると、ほんの僅かだがサンジの体温が上昇した。
いつものように。これが長く持続する興奮の始まりだ。
しかし残念ながら、この時ばかりはその興奮を中途退場させなければならなかった。
天井の方から、慌てた船医の蹄が軽快に近付いてきている。
それはサンジの耳にも届いているらしく、名残惜しさは感じさせながらも、お互いすんなりと唇を解いた。
「お待たせ!じゃあ、早速・・・・・」
「味覚も聴覚も触覚も、異常ないみたいだぜ」
嬉々としたチョッパーのやる気を遮るように、口元に笑みを浮かべたゾロがそう告げる。
「・・・え?」
その意味が分からず、チョッパーはクリクリと大きな目を白黒させていた。
to be continued.
|