MTB-O世界選手権 後編

大北 洋平
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7/4 クラシック決勝
この日から舞台を本会場となるグラウンドに移す。各選手は、自分たちのテントに陣取ってスタートまでの準備を行いそこから出走していくのだ。前日の結果を元にスタートリストが作られるため、この日も日本人でラストスタート。ゆっくりと体起こしからはじめ、一番軽いギアで自転車をこぎ続けるウォーミングアップを行う。国によっては本格的にローラー台を持ち込んでいるところもあった。
さて、この日特筆すべきことは、地元に住む日本人が応援に駆けつけてくれたことであろう。名前は掛作洋平さんという方で、フランスにお菓子作りの修行に来ている料理人であった。非常に気さくな人で、年は僕とそう違わず、名前も一緒なので親しみの湧く人であった。実はこの掛作さんだけでなく、他にもフランスにいる選手の個人的な知り合いが何人か尋ねに来てくれた。当然だが彼らは英語やフランス語に堪能であり、情報を得たいときやトラブルが発生したときの通訳として非常に助かった。
ところで、レースの方はというと・・・中盤で小ミスを連発して101位という冴えない結果に終わった。体力的には好調で、前日よりむしろ回転速度が上がったくらいだったのに、細かいレッグが連続する区間で、つい読図をおろそかにしてしまい、そのままずるずるとミスを引きずる一番嫌なパターンにはまってしまい、残り2日に課題を残した。
さらにこの日、宿舎に帰ると、なんと自分の部屋の鍵が開かない。鍵はナンバーロックで4桁の暗証番号を打てばいいのだが、どうやら宿のミスでこれが勝手に変更されてしまったようだ。何とか経営者を見つけて文句をいい、新しい番号を発行してもらう。ただでさえ良くないレースをして疲れているのに・・・とにかく、夜は気持ちを切り替えて明日に備えることにした。

7/5 スプリント・・・This is the very best race!
この日はスプリントレース。距離は10km程度、地図の縮尺も大きくなって1:15000のものを使用する。要はフットで言うところのショートである。前日のミスを引きずらないよう、気持ちを切り替える為「今日も体力を使い切るくらいのつもりで行きます」と落合さんに宣言して出走する。1分前に地図を渡され、ホルダーにセットする。やはり500m前後のショートレッグが連続している。ここは一つ一つの動きも重要だが、全体としてどのような地形を動くのか、その流れを事前に読むことが必要と判断し、スピードをあげつつも最大限の読図を心掛ける。3番を過ぎた辺りから、いわゆる「先読み」がリズムに乗り始め、かなりの高速ナビゲーションに突入する。もうほとんど、一瞬の油断がミスを誘う、それでも数秒を稼がないといけない世界にきた。そう、まさに「来た」のだ。まだ入れてはいない。その直前で僕はやはり追い返された。コンタを読むことを省略した為、分岐をミスし1分程度のロス。しかしそれを除けばまあフランスでのベストレースと言えるものであった。何よりも、フットOの世界チャンプでも成しえないような、高速ナビゲーションの世界を垣間見れただけでも十分な成果なのだ。

7/6 リレー、バンケット
いよいよ最終日となり、疲労もそれなりに溜まってきている。それに加え、言葉が通じない、意味不明なトラブル(鍵が開かないなど)が起こる等、疲れを増やす原因はいくらでもある。そのため、前日の夜はいい加減飽きた?フランス料理店には行かず、街中の中華料理屋に出かけてリフレッシュを図った。おおよそまともな経済活動を行っている国なら、華僑と呼ばれる中国人が進出しており、華僑が進出していれば自然と中華料理屋ができる。食べなれた中華料理は、ちょっと疲れ気味だった僕には最高の「癒し」であった。(ビールも美味しかったし。)
リレーについては、レース序盤で大失敗をしてしまった。このことについては報告書にきっちりと書いたので、そちらの方を参照していただきたいと思う。(そういった失敗談を書くと、長くなってしまいますし・・・)男子の成績は最下位で、僕の失敗が無くても順位が一つ上がる程度。テクニカルミーティングで、「リレーのコース難易度はいくらか」と言う質問に対しオーガナイザーが「JAPONでも帰って来れる程度だ」と言った、まさにそのジョーク通りの結果となってしまった。その後はバンケット(パーティ)。ちょっとした「勘違い」でフランスの女性の選手とユニフォームを交換したり、NAKATAのユニフォームを着たイタリア人と写真をとったり、オーストリア人と叫んだり・・・etc. 様々な人が入り混じった国際交流の夜は非常に楽しく、自分が立っている場所を実感させてくれるものであった。

7/7〜7/9 観光、帰国
日本選手団は僕を除いて皆社会人であるため、ほとんどが翌朝の便で日本に向かった。僕は、有給を無事取ることができた内山さんと二人でパリ観光をすることにし、空港の近くにホテルを取った。これは重たい自転車を持って空港に帰る手間を考えてのことだが、実際にはパリ市内〜CDG空港を結ぶバスが出ており、自転車を運んでもらうこともできたので、毎日パリと空港を往復する電車賃を考えると損な選択であった。
パリでは一番見たかったノートルダム寺院に行き、ついでにエッフェル塔に上るのがやっとで、あまりのんびりする余裕も無く、頼まれていた買い物を済ませるとあっという間に帰国の日となった。僕のフライトは夜なので、それまでには時間がある。そこでホテルに荷物を預けもう一度パリ市内を観に行こうと思ったが、なぜか荷物を預かってくれない。どうも露骨に自転車を嫌がっているようだ。気分が悪いが、いちいちごねるのもめんどくさいので、仕方なく空港で数時間を過ごすことにする。
ところが今度は、空港に行くシャトルバスの運転手まで自転車を積むことに文句を言い出す。しかもフランス語しか話せないため、何を言っているのかわからない。チップが欲しいのか、何か別なものに乗れと言っているのか、それすらわからない困った奴だった。そもそも、こんな国際空港のシャトルバスの運転手が、英語も話せずに務まるものなのか、あるいは本人が「務められる」と思うものなのか、理解に苦しんだ。乗らないと帰れないので、ホテルボーイに通訳してもらって強引に乗る。運転手は不満だったのか、空港で降りたときにも再び文句を言ってきた。もうフランス人の株が下がりまくりである。運転手とのひと悶着も終え、空港でボーっとしているといよいよ「帰国」というか「フランスを離れる」という気持ちが強くなって、少し寂しくなった。次ここに来るのはいつだろうか。そもそもそんな機会があるだろうか。そしてここに来た意味は何だったんだろうか。得られた結果に満足した訳ではないが悔しいと言うほどでもない。レースだけでなく、このフランスと言う国での生活全般を思い返してみて、成功と言えるだろうか。そもそも、成功するってどういうことだろうか。ちょっと高めのコーヒーを飲みながら、そんなことを考えて時間を潰した。夜になり、最後の晩御飯を済ませ、いよいよ搭乗する。さようならフランス。何か確固たるものを得られたわけではないけど、とにかく来て良かったと思う。今はそれだけでいい。成長したところがあれば、それは後で気付くだろう。ボーディングパスを渡して、半券を受け取って・・・と、前がつかえている。日本人のおばちゃんだ。どうやらボーディングパスを見せないといけないのに、よくわかってなくて別の券を見せているようだ。スチュワーデスが英語で説明しても通じていないらしい。僕が「この緑の券ですよ。さっきもらった奴です。」と言うと「なんやー、それかいなー。」ということで無事解決。僕が通ると、スチュワーデスが振り向きざまに、"Merci!!"と言ってくれた。その悪戯な笑顔と、さっきの運転手の不満顔は、今でも思い出すことができるフランス人の印象的な「顔」である。
ということで、長くなってしまいましたが、これにてフランス遠征記を終わります。読んで下さった皆さんありがとうございました。

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