MTB-O世界選手権

大北 洋平
まずはじめに、MTB-O世界選手権に行くにあたって大阪OLCの皆様から様々なご助力を頂き、フランスへの遠征を楽しむことが出来ました。改めて御礼申し上げます。

あまり細かく書くと長くなってしまうので、日記風に書いてみます。

6/30 日本出発
サッカーのワールドカップ決勝を見ずして日本を離れることになる。乗ったのは大韓航空のソウル経由便。前日に韓国がトルコに負けたり北朝鮮と銃撃戦をしたりと、何かと不安要素が多かったが14時間のフライトを無事終えてパリ、シャルルドゴール空港に到着した。
夕方の6時だというのに異様に明るい。ホテルに移動し、他の選手と待ち合わせのためロビーでウロウロして時間を潰す。8時過ぎに合流できたが、この時点でも真昼間の様な明るさで、朝の8時かと疑ってしまった。11時ごろになって日が沈む。よく考えたらフランスは北海道よりも緯度が高いのでこれは当たり前であった。話によると、冬は逆に3時くらいから暗くなるらしい。日本ではそのことがあまり認識されていないのが不思議だ。

7/1 フォンテーヌブローへ
一晩寝ると時差ぼけもある程度取れる。今日は一度空港に戻って大会役員や他の選手団と合流し、バスでフォンテーヌブローに向かう手はずになっている。あまり美味くないホテルの朝食を適当に済ませ、空港へ。寝坊したせいもあってか、合流にやや手間取るも役員のドゥニーという青年にピックアップしてもらうことができた。
空港とフォンテーヌブローは、ちょうどパリ市街を南北にはさむように位置する。本来ならばパリの外を通る高速を使うのだが、ドゥニーはわざわざパリ市内を通って案内までしてくれた。ちなみにパリの街中を走っている車はRENAULT(ルノー)やPEUGEOT(プジョー)が非常に多く、日本車はたまにちらほら見られる程度であった。
メイン会場となるグランドに着き、残りの選手団と合流。すでに国ごとのテントが設営されており、早速そこでバイクを組み立て、整備をはじめる。なんやかんやしているうちにあっという間に夜になるのだが、明るいので全然夜になった気がしない。
夕食は近くにあるレストランで食べることになっていて各自6.8ユーロ分の食券が支給されるがこれでは足りないので結局2〜3ユーロは自腹ということになった。(ちなみに1ユーロ=120円くらい)夜遅くにホテルに移動する。会場から30キロ近く離れたモーテルの様なところだった。


7/2 モデルイベント・・・ヘルメットが!
今日はモデルイベント。会場に戻り、テントで再び整備を開始しようとすると段ボール箱に入れてあったヘルメットが無い!冗談で「盗まれたんかな」と言っていたら別の選手も予備チェーンが無いことに気付き、盗難であることは疑いの余地が無くなった。しかたなくノンヘル?でモデルイベントに向かう。しかしスタート地区でヘルメットがないと出走できないといわれ、仕方なく役員のものを借りてごまかす。
道のほとんどは砂地で、非常に走りにくい。普通のママチャリなら滑って前には進まないだろう。おそらくパワー勝負になるということで、各自バイクのセッティングを一から考え直すことにした。夕方少し空いた時間を利用して町までヘルメットを買いに行く。

7/3 プロローグ、クラシック予選
本来ならば、この日のレースと4日のレースとを合わせてチェイシングレースになる予定だったが、地元フランスがすでに同じテレイン、同じマップでレースをしてしまっているという理解不能の事態により、決勝のスタート順を決めるだけのレースということに変更された。要はインカレショートみたいなもので、3日の順位が上の人ほど4日の決勝は後ろの方でスタートできるというものだ。
何とこの日、ラッキーなことにラストスタートを引き当て、4時間くらい会場で音楽を聞いたりしてリラックスできたうえに、スタート時刻の早い選手のゴールシーンを見ることもできた。結局日本人選手のほとんどのゴールを見てからスタートへ。朝から天候が荒れていたので道はどろどろになっているんじゃないかと危惧していたが、僕がスタートレーンに入った瞬間に晴れてきた。コースは24km、21コントロールもある長丁場だ。地面は意外にも水はけがよくむしろ締まって硬くなっているくらいだったので軽快に飛ばす。それでもたまにすれ違う他国の選手のスピードには圧倒された。明らかに回転数が違う、つまり、もっと重たいギアで回しているのだ。そのことに気付き、中盤からアウターという一番思いギアを使い、ぐんぐん踏み込むことにした。そのせいか、16番ポストで向きを変えようとしたとき、足がつって転倒し、役員に助けてもらうという大恥をかいた・・・ちなみに、各コントロールには必ず役員がいる。おそらく「道を外れてはいけない」というルールを守っているかどうかを監視するためだろう。この日は特にプレッシャーも無く、ポストに着く度に"Merci!"と挨拶して回ったらみな笑顔で返事を返してくれ、レースという気がしなかった。それが良かったのか、日本人ではトップの100位につけることができた。とはいっても出走者は117人。日本人は下のほうに固まるというフットOでもありがちな結果になった。
夕方から開会式があり、日の丸と「JAPON」のプラカードをもってバイクに乗り、街をパレードする。開会式には、同じくフォンテーヌブローで開かれていたIOFコングレス出席者の村越さん、羽鳥さんらもかけつけてくれた。明日は決勝。いい感じで走れそうな予感がした。

・・・それでも長くなったので、続きは9月号ということで・・・。
(後編に続く)
後編はこちら

戻る