出会い・・・というと、たぶん大半のピカソファンがそうであるように私もご多分に漏れず「めぞん一刻」のEDの「シ・ネ・マ」でした。
初めてこの曲を聞いたときのインパクトは、私にとって凄まじく、現在だ私の中でこの曲を超える曲はないほどです。
その後もめぞん一刻のEDテーマを手がけ、アニメ界、特に高橋留美子原作物のファンを中心に確実にファンを増やしていきました。
しかし、なまじ「めぞん一刻」をきっかけに売れたものだから、「ピカソ=めぞん」のイメージがいつまでもピカソにつきまとっていたように思います。
バンドとしての力量はかなり高く、なぜもっと売れないのか不思議なくらいです。
ではなぜ、もっとメジャーになれなかったのか?
私の考えはこうです。
ピカソに限らず、アニメソングをきっかけに有名になったアーティストは、一般的なアーティストに比べ下位に見られがちな傾向があります。(例外もありますが)
あの飯島真理ですら、当時の音楽誌などには「マクロスの・・・」という枕詞が必ずついてました。この人も実力は相当高いアーティストです。
そのくらいアニメをきっかけにメジャーになったアーティストには冷風が吹いてました。
現在でこそ「大物」と呼ばれるアーティストが平然とアニメのテーマ曲としてタイアップしたりしてますが、当時はそういう風潮ではなかったように思います。
ゆえに「ピカソ=めぞん」のイメージが足を引っ張った形になったのではないでしょうか。
皮肉にもピカソをメジャーにしためぞんが、ピカソをよりメジャーにさせなかった形になってしまったワケです。あくまで想像ですけどね。
さて、ピカソというバンドの魅力は、間違いなくそのサウンドにあります。
一度聞けばわかると思うのですが、他のアーティスト達とは確実に一線を画したサウンド。
これがピカソの最大の魅力と言えます。
エスニックとポップスとの融合・・とでもいえば少しはイメージしてもらえるでしょうか?
幻想的なのにどこか現実的、抽象的なのに具体的、ふたつの相反するイメージがひとつの曲のなかに同じ世界のものとして生きている・・・と言えば少し大げさか。
そのくらい私の貧弱な文章力では表現出来ないほどの世界観があるわけです。
それは間違いなく初めて聴いた人には、良かれ悪かれインパクトを与えます。
私が受けたインパクトは相当なものでしたが・・・。
そして特筆すべきは、ヴォーカルの辻畑鉄也の表現力の高さ。
聞いているだけで、その曲の情景が浮かんできます。それも具体的に。
幻想的な詞のものでは、その詞の世界を簡単にイメージ出来てしまうほどで、それは現実的な詞でも変わりません。特に現実的な詞の時の表現力は他の追従を許さないほど卓越したものがあります。
ただ単に歌の「上手い」人なら辻畑さんに肩を並べる人、もしくは上を行く人は確かにたくさんいると思います。
でも歌が「巧い」となるとハナシは別です。私の知るかぎりは、この人より「巧い」人は知りません。
そう思わせるだけのヴォーカリストとしての力があると思います。
世界観のあるサウンドと表現力の高いヴォーカル、この2つが重なって「ピカソ」になるわけです。
ここまで書いてきたように、これだけの実力があるのですから、いままでメジャーになりきれなかったのが不思議なバンドです。
まだピカソサウンドを知らない人は1度、ピカソサウンドに触れてみて下さい。
きっと、新たな音楽の魅力に気づけると思います。
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