情報センター通信No.10
2000.9.15発行


ごみ処理施設と民主主義

神田 尚山(小山田ごみ問題を考える会 会員)


町田市のごみ処理施設は、下小山田町にある町田リサイクル文化センターと名付けられた焼却場・処分場に集中している。サクラ並木や緑に彩られ、ごみ焼却の余熱を利用した温水プールや花の家を訪れる市民は多い。しかし、この周辺地域で起こっている深刻な問題はあまり知られていない。敷地内にある最終処分場の池の辺埋立地が満杯になったために、焼却灰を足元から3mも積み上げる計画は、地元住民の猛反対があっても市は計画を改めず「今後お願いする」といっている。もう一つの峠谷埋立地には、日の出町に持ち込みを拒まれた、有害な金属類の含まれた焼却灰を埋め立てる計画がある(1999年12月議会議事録)。処分場の回りには公団住宅や民家が密集しているというのに…。1997年、この焼却場から都内ワースト2のダイオキシンが排出されたとの新聞報道があった。この小山田にごみ処理施設がつくられて30年余、周辺地域住民は迷惑施設、焼却灰、悪臭、ダイオキシンなどに苦悩の日々を余儀なくされている。ここにまた新たな問題が起きている…。

汚名挽回のための「廃プラスチック中間処理施設」建設問題

周辺地域住民の犠牲をよそに、町田リサイクル文化センターのスケールは、一時期各地からの見学が絶えない"先進的環境・ごみ行政"の見本となった。しかし、ダイオキシン都内ワースト2というレッテルは市にとって手痛いダメージとなった。この汚名挽回をという強い思いは、処分場周辺地域の環境や住民の健康にたいする管理責任の反省よりも、何が何でもやらねばならない絶対的な至上課題となった。それが、その後の「廃プラスチック中間処理施設」建設問題に如実に現れてくることになる。

欠陥だらけの容器包装リサイクル法
2000年 4月からの容器包装リサイクル法の完全実施で、プラスチックの分別収集を始めた市町村は2割強と極めて少ない。それはドイツなどと比較しても日本の容リ法は、ごみの発生抑制という発想に乏しく、出たごみをどのように処理するかという観点から抜け切れない。それを押し付けられる地方自治体や、家庭の努力にも限界がある。再資源化の確たる見通しもない欠陥だらけの法だからだ。にも拘わらず勇躍立ち上がった町田市の実験が新聞紙上を飾る。「燃やせばダイオキシン、燃やさずに資源化」という耳当たりのいいスローガンのもと、37万市民がごみにしたプラスチックを一カ所に集め、圧縮・結束して業者に渡す「中間処理施設」を莫大な市税と国税を使って、またしても小山田に何のためらいもなく建設しようとする。周辺住民の苦悩をよそに、汚名挽回の絶好のチャンスだ、と。
欠陥だらけの住民説明会と安全性の問題ダイオキシンか資源化か、そのための中間処理施設だ、と《二者択一》を周辺住民にのみ押し付ける。しかし住民は、ダイオキシンに代わる有害な化学物質が撒き散らす大気汚染による健康被害の恐ろしい実態を知った。いま市は都市計画法の手続きに必要な「住民の合意」を得ようと説明会に躍起である。ところがこの説明会のやり方も欠陥だらけである。既定方針を説明するためのもので、住民の意見を計画案に反映させようという姿勢が全くない、昔からの慣習そのままに、町内会・自治会ルート偏重で全住民に知らせようとしていない、参加者にいろいろな制約をくわえるなど閉鎖的である、など。説明会で出された住民の質問と意見は、中間処理施設の安全性と、ごみ処理施設が何故すべて小山田なのか、について集中した。市はしばしば立ち往生させられた。安全性とはいうまでもなく、杉並病を発症させた不燃ごみ処理の杉並中継所と類似する施設計画の故である。市は"町田と杉並は違う"と科学的な立証を伴わない不確実な安全性を強調した。都の調査結果にたいする杉並病の人々の反論と抗議には耳を塞いでいる。水俣病や安全神話の原発での犠牲者の話も出された。疫学的調査の必要性も指摘されている。安全性の問題は現代の科学でも解明できていない以上、より慎重に検討を続けるべきではないのか。

これでいいのか。ごみ処理施設の小山田への一極集中

私たちが強く述べたいのは、ごみ処理施設の設置場所が、なぜ小山田なのか、ということだ。かつて金森地区にあった焼却場は処理能力4万人分。人口の急増に伴って大型の処理場を建設する必要に迫られた。1968年、多摩丘陵の一角、小山田地区に処理能力30万人分の巨大清掃工場を完成させた。発生抑制という視点のない、増え続ける膨大なごみ処理に責任を持たされた自治体の宿命を見越した"先見の明"というべきか。焼却灰や残さを埋め立てる場所には谷戸を選ぶ。小山田は最適地だ、と。しかし町田市の「緑の基本計画」は多摩丘陵・谷戸山回廊の保全・再生をうたう。この緑の計画の中心に位置する小山田に、これでもか、これでもかと、ごみを押し付けておいて…。この矛盾をどう解決するのか一言もない。臭いモノに蓋。この地には古来から恵まれた自然環境を求めて住む人たちが多くいる。"お上"の計画をいやおうなく押し付けられた住民の基本的人権はどうなるのか。
ごみ問題は全市民一人一人の問題住民説明会での、ある科学者の発言。「もし杉並病のような事態が発生したら、その汚染された空気の被曝から逃れるためには、疎開するか、発生源を他所にもっていくしかない。そういう有害な施設が、この地域にのみ集中していることは非常に問題だ。やはり町田が出したごみは町田の全市民一人一人が平等にリスクを負担すべきだ。小山田地区にまだ場所が空いているとか、ここはそのための施設なのだから、というようなことは全く問題外だ。平等のリスクを負っていくということは民主主義の原則だ。そういう意味で、もう一度、この施設の危険性、町田市全体のごみ処理施設の在り方、を根本から考え直すことから出発することが重要だ」。
 ごみ問題にくわしい、ある弁護士はいう。「ごみは自分たちの地域で処理して初めて、住民にごみ問題が切実な問題であるという意識が芽生える。廃棄物政策は住民一人一人の協力が不可欠。住民の意思を施設計画やその後の運営に十分反映させる《合意形成手続》を地域内で独自に確立することである」。

「請願」の不採択と「意見書」の提出
今回の「中間処理施設」計画は、特に安全性・設置場所の二点で、とても住民の納得と合意が得られるものではない。住民説明会がそれを証明している。考える会は、計画を慎重に検討し直すために《市民・行政・専門家による「検討委員会」の設置》を願って「請願」を提出した。審査は住民の切実な願いを全く他人事のように、いとも簡単に不採択とした。憲法が定める請願権の行使を、議会はもっと重く扱うべきだ。人権の擁護と尊重を本旨とする議会の役割と、それを望む住民の意思との間に深い溝を見た。それでも住民はくじけない。都市計画の決定、変更の手続きにある「意見書」の集約を始めた。
 「情報センター通信」の読者のみなさんはどのようにお考えになるだろうか。小山田周辺地域以外の市民にとっては厳しい問題提起かも知れない。しかし他人の不幸の上に自分の幸福を築くことが許されるだろうか。ごみ問題を解く鍵は全市民一人一人が考え、行政や専門家と協力して「環境先進都市まちだ」をつくる運動に参加することのなかにあるように思う。《町田市37万人のごみ……みんなで出したごみだから、みんなで考えよう》

<編集部注>文中、「日の出町に持ち込みを拒まれた、有害な金属類の含まれた焼却灰〜」とあるのは、1999年12月議会議事録にある通りだが、実際は、今年2月から焼却灰(ペレット)の全量を日の出町の「二ッ塚廃棄物広域処分場」に搬入している。

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