情報センター通信No.11
2000.11.30発行


子どもフォーラム2000「17才ってアブナイの?!」報告
小泉千津子(子どもフォーラム実行委員)

昨年11月、都立町田高校において「子どもフォーラム99'」を開催しました。今回は、いま問題となっている17才問題を切り口に、「17才ってアブナイの?!」というタイトルでのパネルディスカッションとしました。実際に仕事や地域で子どもにかかわっている方をパネラーに迎え、コーディネーターや会場の方とともに、社会、家族と子どものかかわりから考えていくことが目的です。フォーラムの主なやりとりを以下のようにまとめてみました。
【コーディネーター】 長田英史さん(すぺーすれんげ舎代表)
【パネラー】     三輪憲道さん(東京都八王子児童相談所)
【パネラー】     吉田延夫さん(ファミリーマート成瀬台店長)
【パネラー】     小松桂穂留さん(保育士)

●長田 町田市の小川で「フリースペースれんげ舎」の代表をしている。週末は地域で「少年団」という子ども会のような活動などをしている。「れんげ舎」は登校・不登校など大人側からの色分けをしない子どもの居場所だが、4年前は普通の子どもたちの居場所の必要性はほとんど理解されていなかった。3年前の14歳の事件(編集部注:神戸児童連続殺傷事件を指す)では、いかに異常な事件か、我々の周りの「普通の」子どもといかに違うかということに報道の重点がおかれていた。しかし、今は問題を起こす子どもと普通の子どもとの違いがわからなくなっているので、子どもの居場所づくりのための活動も理解されるようになった。
●三輪 児童相談所(以下、児相)に勤めている。児相は最近、児童虐待などでマスコミにでてきているが、一般にはあまり行きたくない所と思われている。八王子児相は八王子にあり、八王子、町田、日野にまたがり、18歳未満のすべての子どもの相談に応じている。また、相談にきた子どもと直接話をすることもある。
●吉田 成瀬台でコンビニの店長をしている。コンビニの客は20歳前後が多い。特に夜中に元気になってくる。今日のテーマである17歳ぐらいの子どもとも毎日接している。子どもの頃からボーイスカウトにはいっていて、指導者として長く関わってきた。25年前の子どもたちと今の子どもの違いは、あるいは同じところは、ということを考えながら話していきたい。
●小松 25年間、市内の保育園やすみれ教室(編集部注:町田市立の就学前の障害児を療育する施設)で保育士をしていた。市の児童福祉課で「子育て・子育ち支援計画」に関わり、現在は計画を推進するという役割を担っている。「17歳」より年齢が低い子どもとの関わりが多いが、今、感じていることはお母さんの大変さである。「支援計画」には社会全体で子育てを支えるという視点がある。25年前のお母さんにくらべて 今のお母さんはとても疲れている。子育てに自信がないと感じる。もっと肩の力をぬいて子育てができるとよいと思う。 
●長田 17歳問題とは「犯罪」とか「深い闇のような」とかいいイメージではない。この会(フォーラム)は17歳問題の定義をおこなうのではなく、参加者の皆さんはどう感じているのか、どのような問題意識をもっているのか、あるいは困っているのか、問題を共有する場としたい。
●三輪 マスコミなどで17歳が取り上げられているが、児相には、14歳未満で社会でいわれている非行があった場合は、本人の意志でなく、警察や学校や親の意志で連れて来られている。しかし、話をきいてみると非行という名で登場した子どもの中にはたとえば、家庭の中で取り残されていたり、自分の居場所がスペース的(物理的)にはあっても心理的にはない子どもがいる。マスコミでは犯罪を犯した子どもがでるが、そこに追い込まれていった現状を考える必要がある。以前、自分は知的障害者の福祉サービスに関わっていたが、当時はやった奴が悪い、ハンデをもった人が一生懸命頑張っているのに、世の中の対応が不十分だと感じていた。知的能力があれば子どもたちはやっていけるはずだとおもっていたが、児相で実際に子どもたちに関わるうちに、自ら枠を破ってはみ出てしまう子どもがいることを知った。したがって、少年法改正のように枠を作って入れれば解決する問題ではないと実感している。心を病んでいる子どもたちが多い。大人も一般論では学歴はどうでもいい、人に優しい子になってと言いながら、わが子に関してはあなただけはいい学校に入って、いい会社に入れば幸せになれる、と言う。大人の使い分けが子どもに与える影響はかなりある。そのストレスは就学前からあり、かばってくれるはずの家庭が不十分な場合、子どもは自らの壁を築いて外からの接触を絶つてしまう「ひきこもり」と、社会に対して挑戦するいわゆる「非行」という行動になる。その間をぬって、大半の子どもはそのまま大人になっていくのだが、そのことが児童相談所で問題を抱えた多くの子どもを見ていると不思議な気がする。報道を見るたびに、なんでこうなってしまったのだろうと考える。我々、大人がどうしたらいいのかを問題提起したい。
●吉田 今の17歳は本当に危ないの、昔の17歳と違うの、と言うのが素朴な疑問だ。確かに昔はない物が多かった。今は当たり前のようにある。コンビニは25年前に最初にできて、今では全国で6万店舗ある。あるのが当たり前の状態だ。子どもたちはコンビニにたむろしているが、じつは寂しがりやで一人では来ない。3人から5人の集団で来る。周りに自分たちの存在をアピールしながら過ごす。たとえば、店の入口でたむろし、迷惑をかける。店をめぐる「なわばり争い」もある。以前は、そのような状態だった。
しかし、今はそうではなくなった。そのような子どもを見かけたときは、その子どもたちひとりひとりに迷惑だと注意する。たばこも売らない。弱みを見せない。いけないことをしたらおこる。そのかわりほめることも忘れない。そのようなことを実行してきた。今、店にくる子どもは見かけは不良だが、ちゃんとごみは捨てるようになった。子どもが悪いことをした時に、きちんと叱れる大人がいなくなったと思う。
●小松 (若い)お母さんの置かれている立場が、以前と違ってきていると感じる。ある時、保育園のお迎えで、育児ストレスがつのった一人のお母さんがささいなことで子どもを叱って泣かせた。その子どもの泣く姿をみて、お母さんも高ぶる自らの感情を抑えきれずに保育士たちの目の前で号泣し始めたということがあった。また、ある時は、お母さんがあまりにも無表情なので気になって話しかけたこともある。そのお母さんによれば、子どもが悪いことをしたときに怒らないと、あのお母さんは知らんふりをしていると思われるし、怒るとあんなに小さな子を怒らなくてもいいのに、と思われるのではと周囲の人の目が気になる。自分の子なのに、どうやって扱っていいのか途方にくれてしまう、ということであった。
家の中では普通に接しているが、外に出ると他人の目が気になる。母親に対して世間の目が厳しいのか、あるいは母親がそう感じているのかと思う。「仕事」と「育児」との板挟みで、つい子どもに対して当たり、自己嫌悪に陥っても、周囲の理解が得られずに孤立してしまう母親もいる。しかし、保育園にきているお母さんたちは相談できる保育士がいるが、家庭にいて乳幼児を抱えているお母さんの電話相談を受けると、本に書いてある通りに、忠実に育児をしようとして思い悩んでいるという状況がある。また、父親が子育て参加や相談に乗るといったこともあまりなく、一緒に育児をしているという様子も感じられない。3歳児神話や母性神話で言われているように、育児の負担は全て母親にかかっており、その重みを今の母親は強く感じている。もちろん家庭も大切だが、母親だけが頑張るのではなく、父親や地域、行政や会社など、社会が子どもを見守っていかなければお母さんがかわいそうだと思う。病後児の保育園も最近、町田市にできたのだが、「子育て・子育ち支援計画」の検討会の中では、病気の時ぐらいお母さんが見ればという意見もあった。母親はそういう言葉で、二重に苦しめられながら子育てをしている。外からの応援がぜひ必要だ。
●三輪 今の子どもたちの特性には、外との関わり合いをもつのが非常に下手、ということがある。表面的には流行に非常に敏感で、携帯電話も持つこと自体に意義があるようだ。持っていることでみんなと一緒になれる。一人ぼっちになるのを恐れているわりには、深い結び付きができない。精神的に傷つくことをこわがっている。ゆとりがなくなったり共感性がなくなった時、混乱してしまい、いわゆる「キレる」という状況になる。
また、子どもたちに対して、今の親は親の役割とともに「友達」としての役割を持たされている。ある時は、子どものレベルにまでおりて一緒に遊ばなくてはいけない。同じ親が、怒る役割と遊ぶ役割を両方は担えない。そうした矛盾をかかえているので、親はあいまいな態度にでてしまう。その結果、親が悪いという評価をうけるのだが、これは今の子どもの特性を親がカバーしているのである。ではどうしたらよいか。会場の参加者からも発言があったように、「地域」で育てる事が必要だ。以前は、近所にうるさい人が必ずいたものだが、今はそうしたコミュニティがない。都会ではそうしたコミュニティを望むのは難しいとは思うが、大人が子どもに関心をもつことは大事だ。そうして、今の親の二重の役割の中で、怒ると遊ぶ、どちらかに徹する事ができない部分をカバーしていく。難しい子育ての時代に入っている。小さな規模のコミュニティーの中で子どもたちを見守ることが、子どもたちが社会からはずれる、また引きこもるのを防ぐことができるひとつの方法ではないか。と考えている。
●吉田 皆さんの話を聞いて感激した。実際に子育てをしたり、職場での体験からの言葉はすばらしい。これからは、自分の店を子どもたちにとって「よりどころ」となるようなスペースにしていきたい。そのためには、子どもとルールを作り、守らせていきたい。挨拶を子どもにも店の従業員にもきちんとさせている。挨拶の「挨」は、一歩前に出て自分を押し出す、「拶」は心を開くという意味だ。そうすると相手も応えてくれる。
自然に関しては、自分はスカウティング教育を受けてきた。ボーイスカウトは本来は自然の中でどう生きるか、を教える。生きるには、自分の意志で生きていくのと生かされるという二面があるが、それを自然の中で学ばせる。今の子どもたちは自然との関わり合いが少ないので、かわいそうだと思う。コンビニにたむろして、人生を語ってほしい。自分は彼らの夢先案内人としての大人になりたい。
●小松 「17歳」の認めてほしいという声なき声は、今の核家族化の中のお母さんと似ている。昔は、街角でいろいろな人が子ども連れのお母さんを見かけると気軽に声をかけて子育ての苦労をねぎらったものだった。そこで、毎日を子育てに追われているお母さんが少し癒されると言う場面があった。現在は、地域での子どもをはさんでのコミュニケーションがない。17歳問題の時に、お母さんだけのせいになってしまうのが心配だ。家庭だとか学校だとか社会が問題だというのでなく、それぞれのポジションで支え合う地域をつくっていくのが第一歩だと思う。
●長田 小さな規模のコミュニティが必要だとあらためて感じる。このフォーラムのあともつながりを作っていきたい。

こどもを取巻く状況がとても悪くなっていてその中で、こどもと(主に)母親が必死
で生きているという様子が浮き彫りになりました。三輪さんの「こんな時代の中で大
半の子どもがそのまま問題なく大人になっていくことがむしろ不思議に感じる」とい
う言葉が非常に重くわたしの心にのしかかっています。小松さんの語る今の母親像
も、わたしが若いお母さんと接している時に感じることと通じるものがありました。
周りの目を意識しすぎる結果、わが子を抱え込んで追い込んでしまっています。これ
からは地域でこどもが安心できる居場所を作ったり、吉田さんのようにしっかりとこ
どもと向き合って叱る時は叱り、褒めるときは褒める大人にならなければと思いまし
た。大変実りの多い集会でした。これを機会にネットワークを広げ、皆さんと共にこ
どもが幸せに生きられる社会を作っていかなければと思いました。

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