陽のあたる場所 1




・・・・はたけカカシだ。

眩い朝日の中をゆっくりと、眠たげな眼をした猫背の覆面男が歩いて行く。

いやはたけカカシはどうでもいい、と言っては語弊があるが、問題はその腕にぶら下がって一緒に歩いていく
若い女だ。僕は慌ててまわれ右をすると、自分の体ごと後ろの扉を塞ごうとした、その時、

「お待たせタカノ君。行こうか。」

資料室の中からひょっこりイルカ先生が出てきてしまった。

「あっ、ちょっ、ちょっと待って下さいっ!な・・・中に忘れ物が・・あの、中にっ」

「? 忘れ物・・・?」

あたふたと焦る僕の態度は完全に藪蛇で、ひょいと視線を上げたイルカ先生は僕の肩越しに悠々と歩いてい
く二人の姿を認めてしまった。

ああっ、あぁぁぁぁ・・・・

頭を抱えた僕をイルカ先生は面白そうに見やって、

「別嬪さんだったね。」

そう言うと肩を揺すってスタスタ先に行ってしまった。

「あ、タカノ君、忘れ物は?」

もういいです・・・。







不思議な二人だった。


僕がイルカ先生の部下となった時、もう彼女はベテランの域に入る教師だった。仕事熱心で博識で、何より子
供達を想い、真摯に向き合う姿を僕は心から尊敬していた。子供達も皆いつでも「大好きなイルカ先生」の気
を引きたがり、彼女の周りには明るい笑い声が絶えなかった。

だが彼女は一部の大人達から永く侮蔑の対象にされていた。

その原因の根本は、はたけカカシだ。

僕がアカデミーに赴任する何年も前、イルカ先生には同じ中忍の婚約者がいて、人も羨む仲だったそうだ。
しかしある日突然彼女はその許婚を捨て、カカシの手を取った。
そしてその後、それを苦にした男は自ら命を絶った。
それでも残った二人が幸せだというならまだ救いがあるかも知れない。だが、今も昔もカカシの艶聞が絶えた
ことはない。男の遺族からすればそれは許されざる事実だろうし、それ故様々な憶測が流れ勝手な想像が一
人歩きする。そんな下衆な視点から透かして見れば、立場を弁えず写輪眼に縋り付くふしだらな女教師、うみ
のイルカの出来上がりだ。

しかし僕は知っていた。彼女は基本的に大らかな性格で、物事に執着したり拘ったりということが殆どない。
自分のことを貶めている人間達にも、余り興味が湧かないようだった。
それはカカシが女連れで現れようと変わりなく、八百屋の野菜を眺めるが如くの視線をくれるだけだ。
そうして職員室の窓からプカリと煙草の煙を吐いて、それでオシマイ。
その背中に嫉妬や焦燥というネバついた感情が浮かんだことなど一度もなく、気にする様子もまるでない。

だから僕は流布している噂の類を、一切信じていなかった。




僕は、はたけカカシを好きではなかった。

確かに里を支える実力者なのだろうし、その天才的な才能と強さを誰もが褒め称えた。いつも顔の殆どを隠し
た変わった風体をしていたが、素顔はかなりの男前だという噂だった。それ故だらしない女癖の悪さも、その
圧倒的な力量と端麗な容姿の前では全て帳消しというわけだ。

だが僕にとっては、一見飄々としているようでどこか傲岸不遜な匂いが鼻につく、油断のならない一人の男で
しかなかった。


あんな男の、どこがいいんですかイルカ先生。


いや確かに僕は写輪眼持ってないし顔だって十人並みだし「雷切」なんて出せないし。


けれど、僕なら。
僕だったら、アナタをとことん甘やかして、死ぬ程大事にして、溶けるような幸せをあげるのに。


あの男には労りってものが全くなかった。
他の女達を故意に見せ付けたかと思えば、時に終業前のイルカ先生を引っさらう様に連れ帰る。その行動の
脈絡のなさは迷惑以外のなにものでもなく、それでいていつも周囲から咎められるのは彼女の方なのだ。


いい加減にしろよ、はたけカカシ。好きな女を困らせて喜ぶなんて子供のすることだろ。今時アカデミーの生徒
ですらしやしねえよ。あんたもいいトシした男だったら大人の愛ってモンを見せてみろよ。
内なる僕はいつでもヤツにビシっと言ってやれるのだが現実はそう上手くいかない。
以前イルカ先生と深夜まで残業していた時、カカシの殺気を被って失神しかけたことがあるのだ。
情けない話だが僕は中忍、ヤツは上忍。実力の差は如何ともしがたいものがある。なんとかタメを張れるのは
背丈くらいだ。


それでどうなる訳ではないけれど、せめて上忍試験を受けられる躰だったらなぁ。
現実逃避しながらひとり寂しく歩く帰り道は、僕の気持ちと同様に黄昏ていた。











夕闇の迫る商店街を歩いていると、前方に見慣れた後ろ姿があった。

イルカ先生。

少し重そうな買い物袋を下げて、高く括った黒髪が揺れている。

荷物を持ってあげよう、そう思って足を踏み出そうとしたその時、彼女の数歩後ろに銀髪の男がいるのに気が
付いた。カカシだ。完全に気配を消して後を付けてはいるものの、その様子は声を掛けるのを躊躇っているか
に見えた。やっぱり今朝のことを気にしているのか。
あんな男でも、どうやらまだ「遠慮」って感覚はまだ残っているらしい。なら最初からやらなきゃいいだろ、バカ
なヤツ。そう思っている間にカカシは音もなく彼女の横に立つと、そっと荷物に手を掛けた。驚いたようにイル
カ先生が立ち止まると、今度は空いている手を彼女の髪の中に差し入れた。
二人の視線が交叉すると、そこにはっきりと濃密な空気が立ちこめる。やがて黒い瞳が柔らかく細められる
と、カカシは明らかに肩の力を抜いて彼女の腰に手を廻し、共に歩き出した。


思わずその場にヘタリ込んだ僕は、ガックリと項垂れた。
なんなんだ、アレ。
あれで「ごめんなさい」のつもりなのか。その上それで許されてしまうのか。
荷物持ちして何でも許されるなら、僕なんか毎日お手伝いしますよ。
イルカ先生、あなたは甘過ぎです。
だからヤツがつけあがるんです。蹴りでもビンタでもくれてやればいいじゃないですか。あんな不実な男、何で
そんな簡単に許すんですか。あなたのその優しさの根拠って何ですか。


あぁ、僕もあなたのその優しさに縋れたら。子供のように、臆面もなく甘えることが出来たら。


あんな男の、どこがいいんですかイルカ先生。


そう直に聞ける程厚顔でもなく内面に踏み込む勇気もない僕の恋心は、日々泡のように生まれては弾けて消
える。性懲りもなくそれを繰り返しては、結局の所「そばにいられるだけで幸せ」といういじましい結論に辿り
着くのだ。

やっぱり顔か。いや、その前に写輪眼か。
「誠実さ」で勝負させて貰えるなら僕の完全勝利に間違いないのだが、カカシに全くその気が無いのは明白
だ。報われる可能性が限りなく低い前途を自覚しながらも、どうにも自分の想いだけは捨てられない。
まるで思春期の少女のような健気な思慕を胸に、僕は項垂れつつ再び立ち上がった。



前を行く二人の姿はとっくに人波にのまれ、もうどこにも見あたらない。
日の暮れかけた商店街にともる灯りが、まるで僕を嗤うかのように揺らめき、どこまでも続いている。
ポツポツと落ちてきた雨に空を仰ぐと、遠く西の雲の合間に稲光が見えた。夕立が来るのだろうか。こんな気
分の今、濡れて帰るのもお誂え向きだ。

僕は今朝彼女がやって見せた様に肩を揺すると、俯きながら歩き出した。






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