自分だけのフィニッシュラインへ!
自分だけのフィニッシュラインへ!

今年も北海道オホーツク地方に短い夏の風物詩がやってきました。2002年に初出場して以来、今年が自身13回目となるサロマ湖100kmウルトラマラソン。13個目の完走メダルを目指す本大会は、過去12回とは、いろんな意味で違った大会になりました。

         
          サロマ湖100kmウルトラマラソン名物、白帆のオアシス

本大会へ向けた準備は3月初旬にスタートしました。サロマへ向けた準備!という意味では例年と変わらない時期のスタートでしたが、昨年まではフルマラソンのシーズンを終え、走り方をサロマ仕様へ(ウルトラ仕様へ)切り替えるという継続の中でのスタートでした。ところが今年は、約半年間のブランクを経て、ゼロからのスタートとなったのです。

      
          ランニング歴15年のベストレース!! 信越五岳110kmトレイルレース

昨年9月に開催された信越五岳110kmトレイルランニングレースは、生涯ベストレースと呼べるほどの内容でした。全てがうまくいき、想像をはるかに超える結果でゴールできたというのが、事の始まりです。その達成感があまりに強かったせいか、日々の生活の中で、徐々に走ることへの意欲が薄れ、習慣としていた日々のランニングから遠ざかり、競技としてではなく、ただイベント的にレースに参加するようになり、月間走行距離はそれまでの300km水準から激減し、月間50km程度にまで落ち込むと言う月日が約半年続いていました。

サロマへのエントリーは、このような状況の真っ只中でした。例年ならば心が沸き立つようなエントリー手続きが、サロマンブルーの優先出場権を行使してエントリーはしたものの、気持ちに変化はおきず、単なる事務手続きになっていました。サロマを走る自分の姿だけでなく、サロマへ向けて練習を再開する自分の姿すらイメージできませんでした。1月が終わり、2月に入っても気持ちに変化はおきません。このまま何も練習せずにスタートしたら、どんな結果になるのだろう?そんな事が脳裏をよぎっていました。

結局、何の切っ掛けも掴めないまま3月を迎えました。気温の上昇とともに外出しやすい気候になっていたので、天気の良いある日、少し走ってみよう・・・という気軽な気持ちからスタートしました。

しかし軽い気持ちとは裏腹に、重たい体・・・ 1km6分ペースですら、息があがるほど心肺機能は落ちこんでいました。練習をしなくてもレースで高いパフォーマンスを発揮できるランニング仲間は回りにたくさんいます。しかし私はそのタイプではないようです。ランニングを始めて15年、ランニングを日常の習慣として取り入れて長期休養することなくコンスタントに走り続けてきた、その積み重ねが土台になっていたのですが、その土台が跡形もなく崩れたように思えました。

わずか30分程度のJogにも関わらず翌日は筋肉痛に見舞われました。体重は昨年のサロマ出場時と比較して+5kgの72kgでした。例年ならば1年を通してベースの走力は出来ているので、あとは目標レースに向けて特化した山を築けば良いのですが、今年は土台から作り直さなければなりません。期間は4ヶ月。無理をしてペースを上げれば、どこかに故障が発生し休養を余儀なくされれば、走れる期間はさらに短くなってしまいます。走りこみをするための準備期間として、慎重なトレーニング計画がもとめられました。

       
      思うように動かない体を嘆き、トホホなため息を捨てるため江ノ島へ通った・・・

トレーニングは1日おきに平日5km30分のジョグ、週末どちらか1日10km程度のジョグをする事からスタートしました。最初の2週間、同じ練習を重ねてみて、問題がなかったので週末の練習を5kmづつ延長していきました。その結果3月末には20km程度の距離が踏めるようになりましたが、ペースが安定せず、ジョグにも関わらず走り終わったときの余裕度が殆どなかったように記憶しています。

4月に入りました。依然としてスイッチは入りません。スイッチが入らないというよりもサロマを走る自分の姿がイメージできませんでした。4月からの3ヶ月はもっとも重要な走りこみ期で、月間300km×3ヶ月を目標に掲げて毎年取り込んでいますが、もやもやした気持ちのままでは、走りこみに踏み切る事ができない!そう思えてきました。そんな状況の4月某日、今年一緒にサロマを走る仲間が集った決起集会で、思い切ったことを口にしてみました。

『もしも、リタイヤして連続完走が途切れたらサロマから引退する!』

思いつきで発した言葉でした。周りにいた仲間はいつもの戯言と聞き流していたかもしれません。しかし、いざ口にしてみたら、その言葉が魂を持ちました。

初めてサロマに出場したときからサロマンブルー達成を夢見て出場し続け、その夢が叶いました。次の志は、ウルトラマラソン創世記を支えてきた偉大な先輩達とともにブルーのゼッケンをつけて、次のステージへ突き進むというものでした。

それなのに、この体たらくぶり・・・ そんな中途半端な状態ならば、『完走できなかったら足を洗え!!』と自らが発した言葉に渇を入れられたような気分になったのです。

           
       常呂町スポーツセンターに飾られているサロマンブルー(10回完走者)の足型

           
           他の100kmマラソンには目もくれず、ただひたすらサロマへ!!

『リタイヤしたらサロマ引退!!』 この言葉は効きました。それ以来、度々この言葉を発して自分を鼓舞してきました。

『結果がどうであろうと、やれるだけの事をやって悔いのない形で終わるんだ』 1つの覚悟ができました。終わりは今年訪れるのかもしれないし、来年かもしれない。それは遠ければ遠いほど良いのですが、今年、その瞬間が訪れても、受け入れる覚悟が出来たのです。やれるだけのことをやって駄目だったら、そこまでだと。

それから大会までの2ヵ月半は、結果を気にせず、走れる時間を見つけて確実に距離を踏んできました。一度に走る距離は30kmに満たないことが多かったですが、1日に2度、3度と走り、ときに脚の具合がいまいちだと思えば歩くことで距離を稼ぎ、コツコツと走行距離を積み重ねてきました。走りこんでも走りこんでもペースが上がらず、1km5分の限界スピードから抜け出せず、焦りや苛立ちを感じた時期もありましたが、スピードが出ないのならば、1km5分のスペシャリストになってやろうと開き直り、それからは一切ペースを気にせずトータルの距離だけにこだわりました。その結果、4月295km、5月371km、例年ならば調整に入る6月も遠征出発直前まで走り314km踏むことができました。

          
          月間走行距離グラフ ※6月はサロマ100kmを含む

例年のように質を重視した練習は積めませんでしたが、距離だけは稼ぐことができました。もともと土台のない更地に山を築いているので高い山は築けませんが、それなりにまとまっていた気はします。

不安がないわけではありませんでした。いくら山を築いたとはいっても裾野の小さな山です。高尾山の山頂は、富士山の五合目にも劣るわけで、1km5分で走ることすら危うい状況では、例年よりレベルが低いのは明らかです。それでも、心は落ち着いていました。それは、たとえ完走できなくても、その結果を受け入れる覚悟ができていたからだと思います。

       
        大会前日の受付地点にて!! サムズアップ・チームサロマ2014の面々

大会前夜、FBにこんなことを書き込んでいました

『準備はほぼ整ったので、あとはサロマの女神に運命を委ねます(^-^;)
煮るなり焼くなり好きにしてください!
でも完走させてくれなかったら、もう二度と走らないからねー』


もはやこの時点で、サイコロは投げられていたのだと思います。いつものように準備を整えスタートの瞬間を待ちました。気持ちの高ぶりも、動揺も何もなく、心の中はとても静かでした。でも、仲間と一緒に大好きなサロマを走れるという喜び、それに、この土地にたくさんの仲間が集ってくれたという喜び、これらが背中を押してくれていたことは間違いないと思います。

       
          スタート直前、恒例の円陣を組んで気合をいれます!!

6月29日、日曜日AM5時 自身13回目となるサロマ湖100kmウルトラマラソンのスタートが切られました。天候曇り、気温高め。空を見上げると真上に雲が広がっていましたが、遠くの空は真っ青でした。予報通り、暑いサロマになりそうです。

           
          サロマンブルー&陸連登録の特権?を活かし前列へ

スタートまでわずか5秒という、絶好のポジションからスタートし最初の1kmを5分ほどで通過しました。練習では1km6分30秒程度から走り始め、体が暖まったところで、最速スピードが1km5分というパターンだったので、それに比べると暴走気味のスタートでしたが、体がキツいと感じる事はなかったので、そのまま様子を見ることにしました。これまでの経験から暑くなることは必至です。それならばすこし突っ込んでも良いから、好位置をキープしてレースを進め、その後訪れるトイレ待ちや、エイドの混雑によるロスを減らそうと言う狙いがありました。

          
          10km過ぎ、右手がサロマ湖。この時間帯はまだ穏やかな気温だった

10kmの通過は50分50秒でした。上々の滑り出しです。ここまでにいくつかの仮設トイレを通過しましたが待ち行列はありませんでした。このポジションならばいつでもトイレに入れそうです。畑の中の一本道を走り続けていると雲がまばらになり、青い空が広がりはじめました。

サロマを走るときには、まず完走を考えてスタートします。そのためのチェックポイントが私なりにあり、1つ目が40km地点を4時間で通過することです。これが達成できれば残りの60kmに9時間費やすことができます。1kmあたりのペースにすると9分です。これは半分歩いてでもクリアできるペースです。2つ目は70km地点を7時間で通過することです。これが達成できれば残り30kmに6時間を費やすことができます。1kmあたりのペースにすると12分です。これならば全て歩いてもクリアできるペースとなります。もしも2つ目がクリアできなければ80km地点を9時間で通過できることを目指します。残り20kmを4時間なのでペースは、やはり1km12分です。

1km9分で完走できる状態を第1段階で築き、次に1km12分で完走できる状態に持ち込むことで完走を決定づける。これが私なりの必勝パターンです。あとは、10km1時間以内のペースを何キロ地点まで維持できたかによってその年のゴールタイムの落としどころが決まります。

前半の畑、竜宮台往復、そしてまた畑と単調なコースが続く前半30kmは2時間40分程で通過しました。余程のロスがない限り、40km地点をターゲットタイムの4時間で通過できる手ごたえはつかめました。時刻にするとAM7時40分。太陽が完全に昇り、雲はいつの間にか消え去り、バケツの水を見ると自然に引き寄せられるような、そんな暑さを感じるようになってきました。ここから先、オホーツク国道に出てからは発汗量を抑えるようなペースを刻み、給水、給塩、給食を抜かりなくする事が失速回避のカギになってきます。

          
          竜宮台の折り返し、空から雲が消え肌を焦がすような太陽の光が・・・

サロマを毎年走っていると、30km過ぎのオホーツク国道に出て、ようやくスタートしたなぁという実感が湧きます。逆に言えばここまでの30kmはフォーメーションラップのような感じなのです。日ごろの練習では30kmも走ったら、もう終わりだゾと体が走ることを拒絶するので、この感覚の違いはとても不思議です。

        
        大会主催者のサービス。ゼッケンに付いているバーコードを自動で読み取り
        FBの自分のタイムラインに投稿してくれます。

それまで平らだったコースが国道に出ると緩やかなアップダウンを繰り返すようになります。景色が緩やかに変化していくので快走しているような気分に浸れます。

40km地点は3時間36分で通過しました。貯金は24分。出来すぎです。トラブルらしいトラブルはありませんでしたがトイレに3回立ち寄りました。大きいのが1回、小さいのが2回。小さいほうの回数が増えるのはあまり好ましくありません。気温が高く発汗量が多いのに小の回数が多いと言うのは、1回あたりの尿の量が少なく濃いからで、この状態が長く続くとミオグロビン尿という血のような尿が排出されます。これは脱水や筋ダメージの症状だそうなので、長く続くと腎障害や腎不全を起こすため、レースの続行を考えなければならなくなります。幸いなことにまだ尿の量も、色も異常ではなかったので安心していましたが、気象条件を考えると今後さらに注意が必要となります。

42.195kmの常設プレートが設置されている月見が浜には妻率いる?応援隊が毎年陣取って声を掛けてくれます。いつもは手を挙げて素通りするのですが、今年はコーラを一杯貰いました。妻の声援を受けるのはここが最初で最後なので、飲めるときに飲んでおこうと思い、立ち寄りました。

          
          42.195km付近のチームサロマ応援隊

42.195km(フルマラソン地点)の通過タイムは3時間48分38秒でした。サブフォーで通過できたので上出来です。

多くのランナーは次の目標を54km付近のレストステーションに定めるのでしょうが、私はこのレストステーションは、さほど重要視していません。今回はドロップバッグも預けませんでした。数多く存在するエイドの1つとしか考えていませんので、次の目標は70km地点をどれくらいのタイムで通過できるかと、どこまで10km1時間ペースを守れるかでした。

40km~50kmを57分54秒、50km~60kmを59分42秒。何とか60km地点までは1時間以内のペースをキープできました。次の10km(60km~70km)を1時間以内でクリアできればサブ10が近づいてきます。しかし60kmを通過してオホーツク国道から離れ、キムアネップへと向かう道へ入ったあたりで急激に暑さを感じるようになってきました。また同時に倦怠感が顕著になり、一人、一人と私を抜いていくランナーが増えてきました。時刻にすると11時くらいです。暑さ対策でこの日はアルティメイト・ディレクションのベストを着用し、空のボトルを装備して、エイドを離れる際、水を汲んで給水や掛け水に利用していましたが、それでも足りないと感じるほど、暑さが堪えてきました。例年ならば、ひんやりした風をサロマ湖が届けてくれるのですが、この日は熱く、重たく、湿った風が強く吹くばかりで逆に体力を奪われているような気すらしてきました。

           
          60km過ぎキムアネップ岬へと向かう道 注)ギブアップではないです

ペースが落ち、掛け水に費やす時間が増え、また60km~70kmの間は、白帆のオアシスを筆頭にスペシャルボトルエイドや、住吉家私設エイドなど魅力的なエイドが多いことも手伝って、1時間6分という最低ラップを刻んでしまいました。サブ10達成のシグナルは黄色信号になりました。それでも70km通過は6時間40分なので、完走への道筋はしっかりとついています。

           
          70km関門手前に旅人宿さろまにあんの応援

70km関門を超えて鶴雅リゾートへと向かう直線には毎年泣かされています。走っても走っても近づかない鶴雅リゾートのお汁粉ステーション。距離にして約4km、見えているだけに辛いポイントです。今年はそれに加えて、風がフォローだったため、体の表面で風を感じることができず、体感気温が一気に上昇して、体力が大きく削られているのを実感しました。鶴雅リゾートへ到着したときはフラフラでした。ソーメンをかき込み、頭から氷水をザブザブかぶり、ジュースを飲んで走り出そうとしましたが、一気に胃袋にものを詰め込んだせいか気分がすぐれません。。。しばらくガマンして走っていると、すぐれないという優しい表現ではなく、明らかな吐き気を催してきました。

           
          鶴雅リゾートのお汁粉&ソーメンエイド、もっとも具合の悪い場所でした

このまま走り続けるのは困難だと判断して歩きに切り替えると、今度は太ももの裏付近にピクピクと痙攣が発症しました。練習で歩いていたような速歩も厳しくなってきたので、とぼとぼと歩いて様子を見ることにしました。ゆっくり歩くことで太もも裏の痙攣は治まってきましたが、今度は猛烈な睡魔が襲ってきました。運動強度を落としたことで脳がたるんでしまったのか?緊張の糸が切れたのか・・・まっすぐ歩くのがままならないほどの睡魔でした。これはハンガーノックの症状です。エネルギー補給が足りていないのは薄々感じていたのですが、暑さのせいで食欲が湧かず、エイドでは、ジュースによるエネルギー補給しかしていませんでした。

給水量は足りているものの塩分不足によるナトリウム欠乏で体内のミネラルバランスが崩れて、消化器系がやられ、補給した物の吸収が悪くなり、脚の痙攣を併発。消化器がやられているので食欲は湧かず、さらにエネルギー不足に。負の連鎖です。

ならば、まずは塩分補給をしてミネラルバランスを整えて胃袋の回復を試みようという事で、ザックに入れてあった塩熱タブを5粒ほど口に含みました。通常は1~2粒で良いのですが、緊急事態なので多めに摂取しました。

これが思いのほか効きました!! 太もも裏の痙攣感は解消され、胃袋も徐々にすっきりとしてきたのです。この状態ならば何か入れても大丈夫ではないかと踏んで、えいようかんとパワージェルを食べてみました。特に不具合はないので、意を決し、ゆっくり走り出してみるとすんなりと走り出せました。さらに徐々にペースがあがっているのも実感できました。

70km-80kmは、このレース中、初めてウォーキングをした区間でしたが、結果的には1時間5分という最小限の落ち込みで抑えることができ、80km地点を7時間47分で通過したのでした。

           
          ワッカ原生花園の入り口。オホーツク海を見下ろす丘

残り20km、コースはサロマのメインステージとも言うべきワッカ原生花園へと突入します。例年通り、ゴール想定タイムにあたりをつける作業に入りました。仮にサブ10を目指すとすると、1km7分ペースでは達成出来ず、1km6分30秒ペースで達成です。これは走るペースではなくエイドでのロスタイムも加算しての事なので、実際に走るペースは1km6分程度を維持しなければなりません。

どうするか? 少し悩みました。
果敢に挑むか、尻尾を巻くか・・・ わずかな時間で出した結論は、挑む!でした。とりあえず90km地点まで引っ張って、出来る限り貯金を減らさないよう踏ん張り、残り10kmはそのときの状態とタイムで再考しようと。いつもの事ですが体はボロボロになっていました。『諸事情により大会終了』と言ってくれれば、喜んでやめていた事でしょう。

でもそんな都合の良い奇跡は起こりません。自分で始めたレースは自分で完結させなければならないのです。ワッカの花と眼下に広がるオホーツク海を心のよりどころに走り続けました。エイドでのロスを極力減らし、出せる限りの最速スピードで押していきました。湖口に掛かる橋を渡り、折り返して90km地点へ。通過タイムは8時間47分19秒でした。この10kmは、ほぼ1km6分で走りきれたようです。サブ10を決めにいった勝負の区間で、狙い通りに決めることができました。

           
          折り返し地点手前の湖口に架かる橋

これで残り10km1時間12分でいけば合格です。直近の10kmを押し通してきたことで体はさらに疲労していましたが、精神的ゆとりはそれを忘れさせてくれました。1km、また1kmゴールへ近づくと共に疲労の度合いと心のゆとりが同時に増して行きました。体はボロボロでも、心は錦、そんな心境でした。

           
          最終折り返し地点、残り11kmくらい

残り2km、再びハンガーノックの症状が現れ、頭がボーっとしてきましたが、最後のエイドでジュースをしっかりと飲み、氷水を頭から被って意識をはっきりとさせて、ゴールへと向かいました。歩いたり、走ったり、歩いたり、歩いたり・・・ 最後の2kmは殆ど歩きに近かったように思います。

           
          ゴールまで残り2km、ラストスパートする余力は皆無でした

ゴールゲートへ向かう最後の角を曲がるとMCのアナウンスが聞こえてきました。

『ゼッケンNo.53番 神奈川からお越しの金子さん!100km完走なんて朝飯前だぜ~♪ というメッセージを頂いておりますが、本当でしょうか?』

ごめんなさい、嘘です。フラフラでした。
でも、目一杯強がって拳を突き上げ、ゴールゲートをくぐる時は両手を広げゆっくりと歩いてゴールしました。自身にとって13回目のサロマ湖100kmウルトラマラソンが完結した瞬間です。

      
          
        
         ゴール!! 全てから開放される最高の瞬間です!!

ゴールした瞬間、『疲れた』という単純明快な言葉だけが頭の中を支配していました。レースもさることながら、スタートへ至るまでの過程も何もかも、全てをひっくるめて『疲れた』でした。走る習慣をなくし、再び走る習慣を取り戻すエネルギー、ゼロに近いモチベーションを奮い立たせるエネルギー、失った走力を取り戻すエネルギー、色んな事がこれまでに経験したことのないレベルで圧し掛かってきました。リタイヤすることを心のどこかで覚悟し、受け入れる準備をしてスタートしたことは今までに一度もありませんでした。それでもいざスタートしてみると、体はサロマのコースを覚えていてくれました。想定していた悪い結果と、想定外の良い結果。このふり幅は過去最高かもしれません。それくらい今回のサブ10は驚きでした。

    
          一緒に走った仲間たちと健闘をたたえあって!!

サロマンブルー且つ近3年連続完走という条件をクリアできたので、来年の優先出場権を手にする事ができました。連続完走は続いているので、来年もサロマを走ります。もはや『グランドブルーを目指す(20回完走)』なんて壮大な夢物語は語りません。連続完走が続いている間はずっと走り続けます。
勝ち逃げは絶対にしません!

初めてサロマに挑戦するとき、色々な本を読みました。上岡竜太郎の『マラソンは愛と勇気と練習量』に書かれていた『300km×3ヶ月でサロマは完走できる!』は今でも、上岡メソッドとして確固たる自信を持って取り組んでいる練習法です。そんな読み漁っていた本の中に夜久弘さんの著書『ウルトラマラソン-完走の幸せリタイヤの至福』と言う本がありました。その中に著者夜久弘さんのサロマベストレースは、最高タイムを出した年ではなく、リタイヤした年なんだという言う一節がありました。

     

『完走したどのレースよりも、もう1歩どころか半歩さえ進めなかった93年のレースこそぼくは完全燃焼を果たしていた。あのとき、ぼくはオフィシャル(公式)のゴールには行き着かなかったけれども、間違いなく自分自身のゴールテープを切っていた。』(著書より)

リタイヤの至福!もう1歩どころか半歩さえ進めないほど燃え尽きて、自分だけのゴールテープを切る!そんなベストレースを経験するまでは、サロマから足を洗う事はできません。誰にも見守られず、誰の祝福も受けることのない自分だけのゴール。その瞬間、どんな事が頭の中に思い浮かぶのだろう?と想像すると少しワクワクしてきます。
『リタイヤしたら引退』ではなく『至福の瞬間を味わうまで走る』 こう表現するとプラス志向に変わった気がしました。

 
   夜久弘さん、直筆のサイン。宝物です! Please come back again 89.

さらに夜久さんの著書ではこんなことも書かれていました。

『ぼくはウルトラマラソンにおいて完走するか否かにさほど重要な意味があるとは思っていない。また、そう発言もしてきた。けれどもこれには前提がある。スタートラインに立ったときには必ず完走する意志を持つことである。ときどき「行けるところまで行けばいい」と口にしているランナーに会うことがある。最初から完走の意思を持たないで走り出して、リタイアするのと、完走の意志を持ちながら途中で力尽きるのとでは比較にならないほどの差がある。これだけは肝に銘じてほしい。』

  

サロマの神様・夜久さん
私は、完走するという強い強い意思を持って来年もサロマのスタートへ戻ります。サロマンブルーを目指している志高き同士や、初完走を目指す勇士たちと一緒に。そして、いつか訪れるであろう、自分だけのフィニッシュライン!それにリタイヤの至福!その瞬間を胸に秘めて!

 
 やっぱり遠征は大勢いると楽しい♪ 釧路湿原の雄大な景色にVサイン

<終わり>


おまけ・・・
レース中に撮影したダイジェストムービー♪




完走メダルと記録証♪


 




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