2013 信越五岳トレイルランニングレース110km

『今度、信越で100kmのトレイルレースが開催されるんですけど、ボランティアやりませんか? 第1回なので人数が足りないらしいんですよ』そんな誘い文句がこの大会に係る切っ掛けだった。宿泊費タダ、宿泊は斑尾高原ホテル、選手と一緒の前夜祭に参加できて、選手と同じ参加賞Tシャツが貰える!! さらに誘ってくれた女性は第1回大会のMC。これだけ条件が整えば断るわけにはいかないと言う事で、ボランティアとしての参加を即答した。そう最初はこんな軽いノリだったのだ。。。

 第1回大会は距離が100km。100kmもの山の中を走る猛者なんて国内に何人いるんだろう?なんて思っていたら知りあいだけで5~6名いてビックリした記憶がある。私自身、トレイルランニングはかなり前からやっていた。トレイルランニングという言葉を使っていたかどうかは良く覚えていない。『山を走る』そんな表現だったような気がする。箱根や丹沢その辺りを年に数回走っていたが、レースへの参加経験はなかった。と言うより参加するつもりなどハナからなかった。山の中の狭い道を競い合って走るなんて理解できなかったし、応援が少ないというのも魅力的ではなかった。練習や仲間数名と気分転換に走る程度で充分だと思っていた。


2011年信越五岳トレイルランニングレーススタート風景

 そんな気持ちを一変させてくれたのが信越五岳トレイルランニングレースだった。夜明け間際、まだ薄暗い斑尾高原で、ザックを背負い、熊鈴を打ち鳴らして、走り去っていく姿は、格好良く、勇ましく、まぶしく輝いて、見えた。日没後の鏡池第7エイド(87km地点)に現れる選手の多くは疲労困憊していたが、それでも次のエイドへ向かって突き進む姿はロードレースで後半フラフラになっている選手の姿とは大きく異なり、肉体的限界に近付いていながらも、まだ尚、逞しさがあふれ出ていた。この大会のボランティアが切掛で翌年、トレイルレースデビューを果たす事になる。選んだレースは斑尾フォレストトレイルズ50km。距離は信越五岳の半分だったが、私にはこれでも肉体的、精神的、どちらもギリギリの状態で、完走の達成感は充分過ぎるほど得られていた。コースも運営も参加している選手も全てが輝いていて、これ以上の質・量はもとめないつもりだった。この時点で自分にとってのトレイルレースの頂点は間違いなく斑尾フォレストトレイルズ50kmだったのだ。


2011年斑尾フォレストトレイルズ50kmゴール

 信越五岳には、その後も3年連続でボランティアとして参加した。トレイルレースの出場数は年々増えていったが、50kmを越えるレースに出場する事はなかった。信越五岳はサポートするレースで、走る側にはならないだろうと心に言い聞かせていた。それなのにボランティアをして目の前を走って行く選手の姿を4年間見続けていたら『いつかは自分も…』そんな気持ちが気付かないうちに少しずつ膨らんでいたのかもしれない。昨年のボランティアが終わった時、7Aでいつもお世話になっている班長さんに宣言した。『来年は選手として7Aに戻ってきます。』この言葉を発した瞬間、信越五岳へ向けて、最後のスイッチがONになった。この大会に関わった事で心に撒かれた種が3年掛かって芽ぶき、1年掛かって蕾になった。そしてようやく花を咲かせるチャンスが巡ってきた。チャンスは1回、ここで咲かす事ができずに蕾のまま地に落ちるようなら、2度とスタートラインを目指す事はない!! そう心に決めていた。


2012年信越五岳トレイル7A鏡池ボランティアメンバー(左から3番目が班長の西條さん)

 この大会には他の大会にはない特徴がいくつかある。1つはペーサー制度だ。選手が希望する場合は後半の残り45km弱をペーサーと一緒に走ることができる。ペーサーは直接的な走行補助行為(手を引く、体を押す、けん引など)以外のサポートは可能で、選手の安全面とパフォーマンスを引き上げるために効果的とされている。さらにコース上には認められた4ヶ所のポイント(第2、4、5、8エイドステーションに併設)に、選手の家族や友人が先回りして、選手に対して飲み物や食べ物、マッサージ等のサポートを提供することができるアシスタントポイントというのが設置されている。各ポイントには駐車スペース、イス・テーブルの設置スペース、テント等が準備してある。

 ペーサーとアシスタントの利用は即決した。ナイトトレイル初挑戦の私にとって、一緒に走ってくれるパートナーは欠かせないと思っていたし、ゴールした時の感動を分かち合える人は多いに越した事はない。ペーサーと専属アシスタントは必須だった。ペーサーにはホノルルマラソンで知り合い、気心の知れているペーニョさんを指名した。ペーサーには自分よりも走力・経験において上回っている人を選ぶ事が多いようだが、私はそれよりも性格、それに大会へ向けてのストーリー性を重視した。一緒に大会へ向けてテンションを上げて行ってくれる人、自分がレース中不調に陥り不機嫌になったとしても、やんわりと受け止め上手くコントロールしてくれそうな人、気を使わずに心を許せる人、何よりも一緒にいて不快な思いにならない人…そういった精神面を重視していくとピッタリはまるのはペーニョさんだった。彼ならば真っ暗な山道でも明るく軽快なトークで沈みがちな雰囲気を一蹴してくれる、そう信じていた。

 彼が私からペーサーを依頼され、それをどう受け止めたかは分からないが、1年以上もの間、私が出場するレースに積極的に付き合ってくれた。またこのレースへ向けての準備も率先して取り組んでくれた。大会が近付くと、私と同じようにテンションが上がっているのを感じる事ができた。行き当たりばったりでレースに出場するのも悪くはないが、ひとつひとつ階段を上がって行ってスタートラインを目指す!スタートするまでにいくつかのエピソードがあり、それを根っこに、スタートしてからまた新たなエピソードが生まれる。こういうスタイルはそうそうあるものではないが、もっとも私の好むスタイルだ。今回は二人三脚、いやアシスタント含めて三人四脚で、共感しあえると言うのは、とても好ましい。

 アシスタントは妻にお願いした。過去4年一緒にボランティアをしていたので、今回もボランティアとしての参加に未練はあったようだが、『今年1年は俺に付き合ってくれ』とお願いして、了承して貰った。当初は信越五岳の出場に対し、危険を伴うと言う事で否定的だった妻だが、1回だけだから、というお願いに渋々首を縦に振った。それでも大会が近付くと信越五岳中心のスケジュールにも、うまく順応してくれ、協力の度合いが増していった。ペーサー、アシスタントどちらも準備は万端だった。完走できるかどうかは自分の走力と、精神力と、適応力…これに尽きる。


2013年ロッキンベア黒姫トレイル(ペーサー1番左、アシスタント右から2番目)

 信越五岳出場を決意したのは先にも書いたとおり1年前だが、このレースへ向けての準備に入ったのは3月頃からだった。と言ってもこの時期は少しでもたくさんのトレイルを走っておこうと言う程度のもので、特別に何かをしたと言う訳では無かった。不測の事態は4月に起きた。大腸内視鏡検査でポリープが見つかり、その除去手術を4月末に受けた。このため4月下旬から5月中旬にかけてトレーニングを積む事ができなかった。しかし休み明けに出場した成木の森トレイルで前年の記録を上回る事ができていたので、大きな影響はなかったように思う。一方で練習不足となる事を懸念して取り組んだ減量作戦が実を結んだ。トータル5kg程度の減量に成功し、これにより、6月のきょなんヒルズ、戸隠トレイル、サロマと立て続けに好成績を収める事ができていた。体重が軽くなった事が、上り坂でそれまでよりも楽に進めるという実感を生んでいた。


 
しかしながら一方で戸隠トレイルでは、急な下り坂でザックの揺れに体幹がブレ、まっすぐに進めていないと言う欠点がみつかった。そこでこれを克服するために体幹トレーニングに取り組む事にした。青山コーチの本を参考に、毎日コツコツと腹筋を中心とした体幹トレーニングを行った。ついでに腕の筋力を鍛えるために腕立て伏せも合わせて行った。急な上り坂では太ももを腕で押して上る動作があり、上腕辺りが疲れる事があったからだ。効果は見た目に現れた。腹筋はうっすらと縦に割れ始め、上腕は小さな力コブが盛り上がるようになった。これが本番でどの程度、活きてくるのかは、分からないが出来る事はやっておきたかった。

 8月に入ると暑さを避けて芦ノ湖へ通い、高低差のそれほど多くないトレイルを選んで繰り返し走った。急坂を上る能力よりも、緩斜面を走り続ける能力を優先させた。信越五岳は比較的なだらかなトレイルが多く、急登はごく限られた区間でしか現れないからだ。距離は20km~25km。あまりハードな練習は積まなかった。走力をアップさせるのが目的ではなくトレイルに順応するのが目的だったからだ。サロマで培ってきたロングディスタンス走力をうまく使えれば完走できる!という自信は持っていた。


芦ノ湖でトレイル練習した際、必ず立ち寄って入浴する小田急箱根レイクホテル

 9月に入り大会まで2週間を切ってからは15km以上のランニングはやらない事にした。極端にスピードを上げるのも控えた。故障をさけるためだ。トレイルは近所の公園を10km程度走るのにとどめ、出来るだけ平凡なトレーニングに終始するよう心がけた。『万全でなくても良い、無難であれば…』そう思ったからだ。そして大会前日、早朝3時30分に目覚め、身体に異変が無い事を確認すると、願いは現地への無事の到着と大会の開催だけとなった。

 2013年9月15日、日曜日、夢にまで見た信越五岳のスタートラインが目の前に迫ってきた。前日は台風接近のため、大会開催可否が囁かれる事もあったが、天気は小康状態を保ち、あと数分後にスタートする事が確実となった。スタートゲートを前方に見つめその瞬間を待っていると、スタートできると言うだけで、何故かホッとした気分になってきた。もしかしたら、信越五岳のゴールラインを越えたいのではなく、このスタートラインに立ちたかったのではないか?そんな気分になるほど喜びを感じていた。壇上ではプロデューサーの石川弘樹氏が、選手の士気を奮い立たせるようなコメントを発していた。


スタート5分前。ちなみに、この大会はスタート15分前にならないと入場できない

 110kmという想像しがたいほど長い距離を目の前にしているのに周りの選手たちに緊張の色はない。私も同じだった。距離が長すぎて実感が湧かないからなのかもしれない。『前へ進む』ただそれだけを考えて、来るべきその瞬間を待った。

 午前5時30分、空が白くなり始めたその時、カウントダウンは始まり、ゼロになった瞬間チアホーンが鳴り響いた。4年間コース脇から見ていた景色が逆になり、声援を受けて走りだす側に変わった。選手の熊鈴に、沿道のサポーターが打ち鳴らすカウベルの音が入り混じって大会の雰囲気は一気に盛り上がった。この瞬間を夢見ていたのだ。110kmもの遠い道のりを進む選手たちに憧れをもち、その輪の中に入る事はないだろうと思っていた自分が、そこへ身を置いているのが不思議な気持ちで、少し照れくさかった。


この選手の輪の中に入るのが憧れだった・・・

 スタート直後、コースは斑尾高原スキー場のゲレンデを中腹まで上がり、十数分前にスタートした地点を見下ろしながら、ゲレンデを横切る。スタートを見送ってくれたサポーターやペーサーは選手を再度、見送る為に先回りしてゲレンデを登り、コース両側に陣取って大きな声援を贈る。選手はコース両側にできた壁の中をハイタッチしながら進んでいくのだが、これも夢に描いていた風景だった。こんなに嬉しい見送りは他にない。何度でも繰り返したい最高の瞬間だった。この最高のおもてなしを受けた後、暫くは自分の殻の中で葛藤が始まる。


斑尾高原スキー場ゲレンデ中腹、この大会でもっとも賑やかなところかもしれない

 100kmのロードレースは毎年、サロマ湖100kmウルトラマラソンに出場しているのでロードならば距離や時間に対するイメージは湧く。しかしこれがトレイルとなると全くイメージする事ができない。ロードとトレイルでは時間の流れ方が違うのだ。私の場合、ロードならば、大体1km6分で時は淡々と流れていく。しかしトレイルとなると1km5分を切る時もあれば、10分以上掛かる時もある。時が早く流れたり、ゆっくり流れたり変化するのだ。だからラップタイムもゴールタイムも予測できない。初出場のレースとなれば尚更だ。

 それでも目安と言うのは持っておきたい。12年間走り続けてきたサロマで10km単位の最も遅いラップは90分すなわち1km9分ペースだった。このペースで110kmのトレイルを走り続けたとして16時間30分。しかしトレイルレースではロードレースのようにエイドは多くないので、しっかり補給、補充を行わなければならないし、時には休憩も必要になってくる。そうなれば1km9分ペース+1時間程度のロスは見込まなければならないだろう。足し算すると17時間30分。これが自分が想定しうる最速タイム・プランAだ。次の目安としてはAM5時30分スタートでその日のうちにゴールするという希望的なフィニッシュタイム18時間30分(プランB)。これが叶わなければ、時間内完走(22時間)出来れば何時間でも良い(プランC)。それ以下のプランは考えたくなかった。

 ゲレンデを横切ったあと、2段階のゲレンデ直登がある。走る事はおろか、歩くのでさえ息が上がる急坂だ。焦らずロスの無いように1歩1歩確実に登る。ゲレンデを上り終えると極上の下りトレイルが待っている。クッションの効いたトレイルはゲレンデ直登の疲れを流してくれるようで心地よい。下り終えてまだらおの湯から大池の周りの平坦トレイルを進み暫くすると、10kmポイントが現れる。タイムは58分だった。体感的にはラクだったのでタイムの評価はしない事にした。これで良い、そう思う事にした。


ゲレンデ横断直後に現れた上りの急坂

 信越五岳のコースは30km過ぎに現れる袴岳山頂までは過去3回完走している斑尾フォレストトレイルズ50kmと同じだ。斑尾山の山頂付近を除けば、比較的走りやすい安全なコースだが、注意したいのは10km過ぎから始まる登りの林道だ。ロードを主としているランナーの立場からするとこの程度の斜度で歩いたり、ペースが落ちたりすると自分に負けた気がしてしまう。しかしここで息が上がるほど頑張れば、そのあとに現れる斑尾山山頂付近の急登で完全にスタミナを削ぎ落とされ、斑尾山から降りたところにある2A到着時にはひざがガクガク、太ももがプルプルなんて状態になりかねない。緩斜面の林道とはいえ少しでも呼吸が乱れたら、歩きを入れて呼吸を整える。それくらいの余裕を持たなければいけない。

 今回は作戦のひとつとしてデジカメと、スマホを持つ事にしていた。デジカメはダイジェストムービー(静止画&動画)を撮影するため。スマホは自分の現在位置をツイッターとメールで友人、ペーサー、アシスタントに知らせるためというのが表向きの目的なのだが、実はこの作業を行うと言う事でレースに入り込まないようにするという自分なりの目的があった。レース中にデジカメやスマホを取り出すという行為は面倒なものだ。時には撮影のため、文字入力の為に足を止めなければならない事もある。それでもこの作業を面倒がらずに確実に行う事で、タイムへのこだわりを和らげ、レースをじっくりと確実に進めると言う狙いがあったのだ。ロードレースだと、この人に離されたくないとか、この区間は何分で切り抜けたいとか、そういったこだわりが、好記録を生んだりもするのだが、未経験の110kmトレイルともなれば、ゴールする時に余力を残すぐらいのつもりでいかないと、次の1歩を踏み出すことすらできなくなってしまう危険性もある。だからタイムとか順位とか、そういった事への執着はできるだけ捨て去ろうと考えていた。

 10kmポイントを通過したあとグループが自然に出来ていた。人数は10名程。グループの前に選手の姿は見えず、後ろにも見えない。孤立という表現はおかしいが、このグループだけ孤立しているようだった。その中の一人の選手が口を開いた『なんかこのグループイイ感じですね』するとその前にいた選手が『いいですね。このままゴールまで行けたら講習会しているみたいですね』と言った。この会話を皮切りに選手同士の会話がしばし弾んだ。私は、昨年も出場したという選手にどれくらいでゴールしたか聞いてみると17時間くらいだったと言う。後半股ずれでペースダウンしながらも17時間台でゴール出来たという実績を聞き、ここまでのペースがプランAで進んでいる事を悟った。

 コースはダラダラと長い林道に入った。基本的にランニングのスタンスで進んでいたが、傾斜が少しキツイと思った時は、迷わずにウォーキングを取り入れた。数分ウォーキングしてからランニングに切り替えると、少しリフレッシュする気がした。トレイルにおいては、時折入れるウォーキングは意外と有効なのかもしれないと感じた。林道を上り終え、下りが始まると左手に野尻湖が見えてきた。ザックのサイドポケットからデジカメを取り出し1枚シャッターを切った。ついでに林道へ向けてもう1枚。すると横を追い抜いて行った選手が『綺麗な景色ですね』と声を掛けてくれた。私の他に撮影する選手はいなかった。ポジション的にそういう位置取りだったらしい。


野尻湖をバックに… 撮影:fujimaki photo

 18.5km地点に1Aは存在する。林道から登山道へ切り替わる地点だ。お腹に強い張りを感じたのでトイレの列に並んだ。トイレ待ちは2名。ロードレースなら焦るところだが、110km、17時間以上も動き続ければ、トイレへ行かずに済ますと言うのは至難の技だ。休憩だと思ってじっくり待った。待っている間にツイッターで『1A到着!ここから斑尾山頂へ向けてアタック』という投稿をした。用を済ませエイドでは塩熱タブ、パワーバー、ムサシ、チップスターを補給した。ここから斑尾山頂までは約2km。ほぼウォーキングとなる。じっと我慢の区間だ。

 スイッチバックの登りでは腰の後ろで両手を繋ぎ、肩の力を抜いてリラックスして登り、直登の急傾斜では股に手をあて腕を杖のように使って登る。山頂付近の岩場は両手、両足のうちの3点を着くよう心がけ、慎重かつスムーズによじ登った。斑尾山直前の大明神岳からは眼下に野尻湖、パノラマ状に妙高、黒姫、飯縄…とこの先進む山々が見渡せる。コース誘導スタッフにシャッターを切って貰った。


大明神岳山頂、コース誘導スタッフに撮影して貰う

 大明神岳から少し平行移動すると斑尾山頂が現れる。まったく眺望の開けていない地味な頂上だが、信越五岳(斑尾、妙高、黒姫、戸隠、飯縄)のなかでは唯一頂上を通る山だ。ここでも1枚。それから斑尾山を降りたところに存在する2A(アシスタントポイント)で待っているアシスタントとペーサーにメール『斑尾山山頂到着!』を入れた。

 山頂からは一気に下る。ゲレンデに出ると下りの斜度は強まり、止まろうにも止まれないくらい走らされる。ブレーキを掛け過ぎるのは良くないが、スピードに乗り過ぎてしまうのもダメージを増幅させる。私は急傾斜の下りが下手だ。どうしてもバタバタと着地してしまう。その結果太もも前面に張りが出る。ここに疲労が蓄積すると、下りのみならず、上りにも影響するので、出来るだけ少ないダメージで…と心がけたが上手くいかなかった。

 傾斜が緩くなり、やがて平坦になると、声援とカウベルの音が聞こえてきた。2A(23.9km)が近づいてきた。ロードレースとは違って選手はポツンポツンとまばらなので贈られる声援はダイレクトに自分に対してのものだと分かる。一人一人の声援に対して手を挙げて応えるのが、たまらなく気持ち良い。トレイルレースに参戦する前、『トレイルでは応援が少なそうで嫌だ!』というのを参戦しない理由の1つに挙げていたが間違いだった。声援が贈られる場所は限られているが、1つ1つの声援は、ロードとは比べ物にならないくらい熱く、直接、心に響いてくる。

 2Aではアシスタントとペーサーが待っていた。まずはエイドでコーラを3杯飲みほし、ぶどうをパクパクと4,5粒ほど食べた。これがたまらなく美味い。二人の元へ行き、ザックにエナジージェルを補充した。事前に2A到着は、『最速で3時間くらいかな? 』と伝えておいた。『これより速かったら飛ばし過ぎかも』とも伝えていた。到着時間は2時間54分。『良いペースですね』と言うペーサー、アシスタントは『少し飛ばし過ぎじゃない?』と心配していた。トイレロスがあっての、このタイムは少し速い気がするが、リラックスして走れていたので問題なし!!と判断する事にした。無理やりペースを落とすよりも、ここで出来た貯金を有効に使おうと考えた。


斑尾高原2Aアシスタントポイント到着

 2A~3Aの間には袴岳(1135m)という山が存在する。2Aからの標高差で300m程度。それほど大きな山ではないが斑尾フォレストトレイルズ50kmでは、この袴岳への行程でかなりダメージを受けている気がする。袴岳登山口までのコースはほぼ平坦な斑尾湿原トレイルで、小さなカーブを曲がりながら快適に走れるのだが、ここで調子に乗ってしまうと湿原トレイル後半に現れる、袴岳登山口へ向けた緩やかな上りを力でねじ伏せてしまおうと力んでしまう。この緩やかな上りを歩く為に貯金を作ったのだと割り切り、何のためらいもなく歩いた。

 軽快に走る斑尾湿原トレイル、テンポよく歩く袴岳登山口への緩やかな上り、そして上り下りを3回に分けて登って行く袴岳登山道、ここはランとウォークを小刻みに切り替えて登って行った。袴岳山頂手前の30kmポイント通過タイムは3時間52分だった。1km9分ペースを目安にしていたので上出来。と言うより出来過ぎだ。


袴岳山頂標高1135m、眺望はとくになし・・・

 山頂から暫くはスイッチバックで下っていく。加速、減速、ターンを繰り返す下りスイッチバックは苦手セクションの1つだ。上手なランナーはスピードを変化させずに下りて行くのだが、私は減速しないと曲がりきれないのでどうしてもターン手前でスピードを落としてしまう。そうなると曲がったあと加速しないと遅れてしまうので加速する。するとまた減速しないと…という悪循環に陥る。スピードに乗ったままカーブを曲がる技術を身につけなければならないのだろうが、どうも上手くいかない。

 スイッチバックが終わると斑尾フォレストトレイルズとの分岐に差し掛かりコースが分かれる。信越五岳は妙高高原兼俣へ7kmほどの下り林道を進む。これが長い!! 下りなのでスピードは出るが、路面が砂利だったり赤土だったり、かなり固いので距離が長いと嫌気がさしてくる。前にランナーがいないと、ついついペースが上がってしまいそうなエリアだが、『飛ばし過ぎ禁物』の言葉を心に刻み、前にいた十数人のグループの最後尾につけじっと我慢した。林道の終盤に差し掛かると、グループ内で脚にダメージを負ったランナーが現れ始め、失速する者が続出した。林道が終わりロードに出た時はいつの間にかグループの先頭に立っていた。少し調子に乗ってしまった感はあるが、それでも前半抑えていた事が功を奏し、足へのダメージは比較的少なくこの区間を切り抜けられたように思う。

 3Aは38.5km地点、関川沿いに存在する、このエイドはアシスタントポイントではないものの斑尾から妙高高原へ向かう道沿いにあるので応援隊がかなり多い。長い下り坂で膀胱が刺激されたせいか、尿意を催していたので、まずはトイレに駆け込んだ。またハイドレーションの残量を確認するとほぼ空だったので次のエイドまでの距離13kmを考慮して500mlほど補充した。一度に沢山の量を補充すればエイドでのロスは減らせるが、重い荷物を背負って走れば体力を奪われるので、エイドでのロスよりも、軽量化する事で走行性重視・体力温存を優先する事にした。

 エイドには選手として出場している知人の奥様がボランティアとして活動されていて、声を掛けてくださった。『金子さん頑張って!』知っている人に声を掛けて頂くと落ち着く。エイドではジャガイモに塩をつけエネルギーと塩分両方の補給をした。それからコーラ3杯、ムサシ2杯…あとは??? エイドの様子をデジカメに収め、ツイッターで3A通過の投稿を行い、次のエイドへ向けて出発した。ちなみに3Aの出発時刻は投稿時刻から10時14分であった事が推測される。スタートして4時間46分。1kmあたりのペースにすると7分25秒、快調だ。


3A:妙高高原兼俣(38.5km地点)

この辺りでふと思った事がある。4時間46分も走ってきて距離はまだ38.5km。残り71.5km。ロードと違い刻一刻と変わる景色、路面状況、気温、天気…フルマラソンの距離に達しても居ないのに随分と密度の濃い時間を過ごしてきた印象がある。それなのにまだ1/3しか終わっていない。これは距離で考えていたら、気が滅入ってしまう。ならばどうするか??? 一流ランナーは無の境地とかで突き進むのかもしれないが、彼らとは所詮スピードが違うので時間感覚が異なる。私のような雑念だらけのランナーがその域に達するのは無理だと思う。ならば??? そこで考えた。これを1つのレースだと思うからいけないのだと。

 エイドからエイドを1つのレースと考える。信越五岳は全部で8つのエイドがあるから全部で9区間すなわち9レース。9つのレースを1つずつクリアしていけば、いつかゴールにたどり着けるではないか。この感覚はエイド間の距離も違えば、コース形態も異なるトレイルだからこそ持てる感覚だと思う。5km毎にきっちりエイドが現れるロードで、こんな考え方をしたら皇居周回走に思えて、かえって辛い気分になりそうだ。

 3Aに到着したと言う事は3レースクリアした事になる。残り6レース!そう思うと少々辛いが、まずは次のゴール13km先の黒姫へ!! そう考えると気分が少し楽になった。この先残っているレースの距離と特徴は。。。

第4レース 13.0km ゴール黒姫高原
 前半は関川沿い平坦、中盤上り、後半極上トレイル・ロッキンベア前半の逆走

第5レース 15.1km ゴール笹ヶ峰高原乙見湖
 上り基調・ロッキンベア中盤の林道を逆走、笹ヶ峰高原クロカンコース

第6レース 14.4km ゴール大橋
 ペーサー合流後最初の区間、前半平坦、中盤やや急な上り、後半下り林道

第7レース 6.0km ゴール鏡池
 ほぼ平坦、戸隠神社参道と鏡池が見どころ 7Aはボランティア時代のホーム

第8レース 5.3km ゴール戸隠高原スキー場
 緩やかな上り基調の最短距離レース

第9レース 17.7km ゴール飯縄高原
 最長距離 瑪瑙山越えという最難関有 その先に真のゴールが!!

我ながら、なかなか面白い発想だ。

 3Aを出発すると、関川の土手を約5km進む、ほぼ平坦なコースとなる。日差しを遮るものがないので、晴れていたら飛ばし過ぎに注意する事!と経験者に指摘されていた場所だ。しかしこの日は曇り時々雨。日差しを心配する必要はなかった。ここまでの天候について振り返ってみると、スタート時は曇り、ポツポツとごく少ない雨粒も落ちていたようだが、気になる量ではなかった。スタートしてからは、小雨と曇りを断続的に繰り返していたが、雨量が少なく、走行に影響するような事はなかった。気温はやや高め、ランパンから汗が滴るときもあったほどだ(これは個人差があるのだろうが) 気温よりもむしろ湿度の高さを感じていた。それでも時折降る雨がヒートアップした身体を冷やしてくれ、有難く感じる時があった。この関川付近はまさにそうだった。ミストシャワーのような雨が火照った身体の表面を冷やしてくれてとても心地よかった。袴岳から続いた長い下りで多少疲労感はあったが、歩きたいと言う衝動は生まれず、淡々と走り続ける事ができた。前後のランナーとは数百メートルくらい離れていたが、何人かのランナーを抜く一方、抜かれる事は一度も無かったので、周りのペースより少し速かったのだと思う。

 左手に見える関川の水量はかなり多く、場所によっては急流・激流になっていた。そう言えば前日訪れた、斑尾高原の喫茶田舎のマスターが『最近良く雨が降っているからぬかるんでいるところ多いと思うよ。注意してね』と言っていた。山に降った雨は時間差があって染み出してくる。数日前の雨の影響で川の水量が増えているのかもしれない。ここまでのコースでは激しくぬかるんでいるところは無かったが、全体的にウェットだったので、時に注意して走行しなければならないところもあった。この先はどうなのだろう? そんな事を考えながら淡々と脚を動かし続けていた。

 関川のコース上にある40kmポイントは10時35分に通過した。スタートから5時間5分。平均ペースは7分37秒/km。想定を大きく上回っていた。リラックスして走っているのにペースが上々であるという状況は心に余裕を与える。関川の川の流れと、田園風景と山並みを交互に眺めながら走っていると、のどかな気分になってくる。依然として前後のランナーとは離れているので独り言をつぶやいても、歌を歌っても誰にも聞かれない。レースをしているという感覚は薄れていた。自らの脚を使って110kmの旅をしている。それを大勢のスタッフやサポーターが支えてくれる。なんて贅沢な遊びなのだろう… そんな風に考えられる心のゆとりが生まれてきた。


どこまでも続く・・・関川土手コース、前にも後ろにも選手の姿は見えず。。。

 関川のコースが終わりに近づくと杉の沢水辺の広場という応援奨励ポイントに到着する。ここには宴会隊という地元チームの私設エイドが設置されていた。私のペーサーとアシスタント二人が、ここで待ち構えていたので、ひと休みする事にした。エイドを覗くと、パイナップル、ブルーベリー、ナシなどたくさんのフルーツが用意されていた。中でも凍ったパイナップル、これは絶品だった!! スロージョグではあったが5km以上走り続け、熱がこもり始めた身体に冷たいフルーツが沁み込む。身体も意識もシャキッとしてきた。4A黒姫高原までは残り7km弱。高低図をみるとこのあとは暫く上りになる。ここでのサポートは有難かった。


関川沿い、杉の沢水辺の広場に設置された宴会隊私設エイド

 関川を離れると、一旦公道に出る。さらに進むとアスファルトの勾配が次第に急になり、やがて山道へと続く。『無理をしない』『体力温存』『迷ったら歩け』といった怠けたスローガンを心に刻みながらここまで来ているので、ここの上り坂も堂々と歩いた。前を行く選手は細かいピッチを刻んで走り続けている。それでも差は変わらない。

 この大会へ向けて取りくんだ事がある。それは上り坂をテンポ良く歩く練習だ。ジムのトレッドミルを利用した。斜度をMaxの15度に設定して時速6km~7kmで歩く。ひたすら歩く。足首が硬い私にはかなりキツイトレーニングだったが、このトレーニングを積む事で、重心の掛け方、効率的な歩幅、脚の切り返し…そんな要素が自然と身についた気がする。その効果が現れ、歩くかどうか悩むような斜度に来た時、走っている選手との差はそれほど変わらず、歩いている選手は抜く事が殆どだった。これまで挑戦した最長距離の斑尾フォレストトレイルズ50kmならば我慢して走り通す事ができた上り坂も、110kmとなれば、その我慢が致命傷になりかねないので、歩く区間を増やさなければならない。それならば走力を鍛えるだけでなく、歩行力も鍛えなければ、そんな狙いが功を奏していた。

 スイッチバックを繰り返しながら標高を徐々に上げていくと、なだらかなトレイルが現れた。見覚えのある林道、それに沢。『飛べ!』2か月前のロッキンベア黒姫トレイルの時に立て看板があった沢だった。その時は上り基調で走ったトレイルを、今回は逆に下り基調で走る。そう言えば履いているシューズは、ロッキンベア黒姫トレイルの時と同じ、モントレイルのバハダ・madaraoイエローだ。この日のレースに合わせて購入したシューズで黒姫トレイルでは履き心地をチェックしていた。その時の感触からして問題なし!と判断して使用している。ここまで特にトラブルは起きていない。しっかりと足を守ってくれていた。そのmadaraoイエローで極上のトレイルを快調に走った。フカフカとクッションが効いたトレイルを緩やかに下りながら、その心地よさに酔いしれた。脚を動かすと言う意識を持たなくても勝手に前へ進んでくれる。カーブでバランスさえ気をつければ、走りながらにして体力を回復してくれる。そんな感覚だ。距離にすると50km付近。4Aが近づいていた。


黒姫高原へ続くフカフカで走りやすいトレイル

 カウベルの音がだんだんと大きくなってくる。これはエイドが近い事を意味する。森の中のトレイルから抜け出すと突然開けた空き地にエイドが設置されていた。第1関門、黒姫高原第2駐車場の4A(51.5km)だ。極上トレイルに酔いしれて走っていたので、突然現れた印象がある。まずはコーラを1杯飲み干す。空になったコップに、置いてある別のコーラが入ったコップを自ら注いで、もう1杯。さらにもう1杯。次に同じコップにムサシを自分で注いで1杯。トレイルレースでは大抵コップは1人1個となっている。おかわりする時はそのコップに注いでもらうか、エイドスタッフの手を煩わせたく無い時は置いてあるコップから自分で移す。これがマナーだ。

 次にエネルギー補給。歩いているときにザックに収納したジェルやパワーバーなどをちょこちょこ食べてはいたが、まともな固形物はあまり口にしていないのでお腹が空いてきた。ジャガイモに塩をつけてひとかけら口にした。糖質と塩分補給を同時に行う。こちらのエイドには笹寿しがあったので、これも頂いた。糖質とお酢両方同時に摂取できる。これも効果的だ。さらにハイドレーションの残量をチェック。かなり減っていたので次のエイド(15km先)まで持つように500ml補充した。そして4A到着の連絡をメールでサポート隊に流し、エイドを離れた。4A通過は6時間43分。制限時間は10時間なので3時間以上の貯金が出来ていた。ここまでのペースは7分49秒/km まだまだ1km9分ペースを守っている。これで4つ目のレースが終了した。次のレースは15.1km。かなり重たいセクションになる。


第1関門&4A黒姫高原アシスタントポイント

 4Aを出発すると黒姫高原コスモス園内の坂を上る。満開のコスモスが風にゆれていた。観光名所の一角がコースになっているというのは粋な計らいだと思ったが、美しい景色に反して、コースは厳しく、目前の坂は走れるレベルでは無かった。それでもコスモスを眺めながら進むには歩きながらがちょうど良い。園内を出るといよいよヘビーなセクションの始まりだ。このあと5km以上林道の上り坂が続く。ここはロッキンベア黒姫トレイルで下ったコースだ。下り坂でも嫌気がさすほど長い林道だったのに、今日は上り続けなければならない。走ればかなりタイムを縮められそうだが、そのあとが怖い。まだ全体の半分にも達していないのだから。


黒姫高原コスモス園 撮影:fujimaki photo

 基本的には早歩きで進んだ。傾斜が緩くなった時は軽く走る。走っていて傾斜がきつくなったと感じたら我慢せずに歩く。それを繰り返した。とても長く感じた。右に左に緩やかなカーブを曲がるが、景色はさほど変わらない。途中少し飽きてきて、スマホでフェイスブックとツイッターを閲覧した。たくさんの応援コメントが入っていた。コメントは返せなかったが、力が湧いてきた。4Aを出て1時間ほどが経過してようやく林道のピークが見えてきた。傾斜が明らかに緩くなり、平坦に変わり、そして下る。まずは1つ目の障害をクリアした。

 林道をしばらく下り、森に入ると今度は崖のような下りが現れた。岩がちで苔が生え、それが湿っていて、いかにも滑りそうなところだった。とても走って下れる状況では無い。少なくとも私には手に負えない危険地帯だったので、歩くのもままならず、岩に掴まりながら慎重に下りた。前日のガイダンスで石川さんから、苔の生えている岩は表面に足を置くと滑りやすいので、エッジに足を置くようにというアドバイスがあったが、不安定なエッジに足を置くと言うのもなかなか勇気がいる。危ないと思った時は、両手、両足のうち3点を着く、いわゆる3点ポジションで慎重に下りた。冷や汗をかきながら、下り終えると今度は関川に掛かる吊り橋が現れた。定員2名の小さな吊り橋だった。高いところが苦手な私は慎重に渡った。4A~5Aの区間ではこの吊り橋が最も標高の低い位置になる。と言う事はここから先は上りと言う事だ。


関川に掛かる吊り橋・・・かなり揺れます

 いきなり難関が現れた。西野水力発電所の脇を行く登山道だ。水力発電を行っていると言う事は水を勢いよく落とすほどの急斜面が必要な訳で、そこに沿って上がるのだから当然斜度は厳しい。あとで等高線を確認したら最初の急斜面は距離250m程で標高100mも登っていた。傾斜40%、きつくて当然だ。急斜面を上りきったところでナンバーチェックが行われていた。次のエイド5Aはペーサーとの合流地点なのだが、携帯電波が全く入らないエリアなので、選手の通過情報を無線で知らせている。5Aに待機しているペーサーはここの情報を頼りにスタンバイを開始する訳だ。ここから5Aまでは5km。そして上りはまだ続く…


水力発電用のパイプ? ちょっとビビった!?

 ナンバーチェックポイントを過ぎ、森に入ったので、これで上りは終わりか?と思いこんでいたら、甘かった。それまでのような激登ではないものの、緩やかな上りが続いた。フレッシュな状態ならば走れそうな傾斜だったが、ここも無理せずに歩く。ただしテンポよく… 直前の激坂で太股の前側に軽い突っ張り感が現れていたので、脚が痙攣しないように塩分を補給する事にした。岩塩を砕いたような塩サプリを手のひらに取り、ガリガリと噛み砕いてから水で流しこんだ。

 森を抜けて道路を横断すると、突然視界が開けてきた。ここが陸上トレーニングで有名な笹ヶ峰高原らしい。広大な敷地にウッドチップが敷き詰められたクロスカントリーコースが設置されている。緩やかではあるが、傾斜があるので、軽快に走り抜けるという訳にはいかなかったが、ゆっくりと高原の景色を堪能しながら進む事ができた。景色がとても良く、風が爽やかで、次に来る時はここで合宿でもしたいなぁとそんな心境になった。そう言えばコース脇にいた牛はじっとこちらを見つめていたが、何を思っていたのだろう?


笹ヶ峰牧場 じーっと見つめる牛

 笹ヶ峰牧場を出ると、コース誘導係から5Aまで残り1kmという情報がもたらされた。ようやく5つ目のレースが終わる。最後は下りのトレイルをリラックスして下り、ペーサーとアシスタントが待つ5Aに駆け込んだ。第2関門の5A笹ヶ峰高原乙見湖(66.6km)は想像以上に賑わっていた。前日、下見をした時は閑散としていて、当日どういう雰囲気になるのか想像できなかったが、エイドに到着する随分手前から、熱い声援が飛び交っていた。英雄のように称えてくれるトレイルレースの応援を受けると気分は高揚する。身体は消耗していたが、気分は上々だった。


笹ヶ峰牧場 撮影:fujimaki photo

 5Aに到着すると、ペーサー、アシスタント、それに共に出場しているミズノッチのペーサー山田さんに出迎えられた。アシスタントエリアに準備されたディレクターチェアに腰を卸し、次のエイドに向けた準備に取り掛かった。まずはアシスタントが用意してくれたコーラをがぶ飲み。ザックから取り出したハイドレーションをペーサーに渡し、水の補充をしてきて貰い、その間に夜間走行用のライトをザックに積め込んだ。またザックに残っている補給食の量をチェックして追加した。次のエイド6Aまでは14.4km。この区間を乗り越えれば、次の区間は6km、その次は5.3kmと短いスパンでエイドが現れるので、気分的には楽になる。中盤から後半に掛けての正念場がこれから始まる第6レースだ。『ここさえ乗り切れば先は見通せる!』そんな心境だった。


5A到着楽しそうに笑っているけど、本当はキツくなりはじめている…


5A乙見湖アシスタントポイント

 椅子に座って一息ついていたら、このレースを何度も経験している山田さんから『あんまり休んでいると身体が動かなくなりますよ』とアドバイスをされた。ごもっとも…重い腰をあげ、エイドのまんじゅうとバナナを食べ、ペーサーとともにエイドを離れる事にした。5A通過時間は9時間7分31秒 4A~5Aの15.1kmに2時間24分掛かっていた。1kmあたり9分30秒ペース。それでも通算では66.6kmを9時間7分なので8分13秒/kmペースで来ている。第2関門の制限時間は12時間30分なので問題ない!


5A乙見湖アシスタントポイント出発!! ここからはタッグを組んで攻めます!!

 ここまで一人で進めてきたレースが、ここからはペアになる。私はペーサーに先行して貰い後ろからついて行くという形を取った。前に人がいた方が安心できる気がしたからだ。5Aを出発すると階段を上ってからトレイルに出る。5Aに待機していたペーサーはプロデューサーから『この後はしばらく走りやすいトレイルが続き、スピードを上げがちになるので注意するように』というアドバイスを聞かされていたらしい。その指示に従ったのかペーサーはゆったりとしたペースでトレイルを走り始めた。そのスピードは疲労度が増してきている私にとっては、無理せずに走れる心地よいペースだった。

 トレイルに入る直前、ペーサーへ自分の状態を伝えておいた。それはペーサーがペースメークしやすいようにするためだった。伝えた内容は、『大きな問題はないが、走れる場所は限られてきた。緩やかな下りと平坦なところ。上りは緩斜面でも歩きたいし、急な下りも出来れば歩きたい。』そんな内容だったように記憶している。ペーサーは最初、後ろを行く私を気に掛けながら走っていたが、慣れてくると振り返る事がなくなってきた。息遣いで察しているのか、熊鈴の音で察しているのか分からないが、絶妙なペースコントロールで、うまい具合に引っ張ってくれた。

 実はこの5A~6Aの記憶は薄い。コースに特徴がなかったのかもしれないが、ペーサーについていけばよいという状況がコースへの印象を薄くしていたのかもしれない。記憶の中では前半は気持ちの良いトレイルで、中盤に少し急な上りがあって、ぬかるみに足を落として、お気に入りのバハダ斑尾イエローが泥まみれになった。それからペーサーの熊鈴が早々に壊れて鳴らなくなり、コース終盤の下り林道がやたら長かった。そのくらいだ。あと下りが長かったせいか膀胱が刺激され、エイド直前では3番警報が発令された。股ずれが気になりだしたのもこの辺りだった気がする。
注)3番とはデパートの隠語で小便、4番が大便。注意報はヤバイで、警報は出るゾ!!

 なかなか終わりの見えない林道をようやく下り終え、もうすぐエイドかな?と思ったら突然遠くから『金子さーーーん!!』と大きな声が聞こえてきた。6Aボランティアのいさきちゃんだった。長かった第6レースがようやく終わろうとしていた。あまりの大声にテンションが上がり、ペースアップした気がする。6Aに駆け込むと、まずはトイレへまっしぐら!3番警報を解除してからエイドに戻った。何があるのかな?とテントに近づくと水にトマトがどっさり浸けられていた。これを1つ頂き塩を振ってガブリ!! 美味い!!長い時間、動き続けているので水分の少ない固形物は口が受け付けなくなってきている。水分をたっぷり含んだトマトは最高だった。さらにテーブルの上を物色するとリンゴがあった。スタッフに聞くとレモンリンゴだと言う。レモン水に漬けられたリンゴらしい。これも頂く。絶品だった。さらにレモンをコーラの入ったコップにポトリ。レモンコークの完成だ。そしてコーラのおかわりは2杯。補給は終わった。6A(81.0km)の通過時間は11時間23分49秒。ここまでのペースは8分26秒/km。ジリジリと落ちているが依然として9分は切っている。全てが順調に進み過ぎていて怖い。ここまでのペースに無理はなかったのだろうか? 果たしてこのまま行けるのだろうか? うまく行きすぎていて少し不安になった。


6A大橋到着!


トマトにコーラ、サイコーでした!!

 第7レースは6.0kmと短い。その上ほぼフラットで危険な個所はない。6Aを出発すると公道を約1.2km走り、ハイキングコースから戸隠神社奥社の参道へ出て、戸隠植物園散策路を通り、鏡池へと続く。鏡池7Aは過去4年連続でボランティアをした場所で、班長の西條さんにランナーとして行く!と宣言した場所だ。またここにはRun仲間のとよこさんもボランティアで働いている。この7Aを目指すと言うのが大きなモチベーションになった。

 走りやすい場所だった事もあり、このエリアは走り続けた。脚も快調に動いた。ペーサーとの会話はもっぱら、日没までに鏡池を見る事ができるか?だった。6A出発時刻は17時頃。日没が18時とすると1時間以内に到着出来れば鏡池を拝める。レース前ペーサーと『鏡池までライトをつけずにいけたら最高だね!』という話はしていた。その一方で『それを目指すとオーバーペースになって危険かも?』という話もしていた。ある程度の余裕を持ちつつ、最高のシナリオが進んでいると言う状況は、随分と気分をラクにしてくれた。


戸隠神社奥社の参道を走る!!

 戸隠神社の参道では走る姿をお互い撮影しあった。刻々と近づく鏡池にテンションは上がる一方だった。レース全体を通して最も快調だった区間は6A→7Aだったような気がする。日没が近づき、暗くなり始めた森を抜けると、突然視界が開け鏡池は現れた。まだ充分明るい。撮影した写真の時刻から判断すると時刻は17時39分。コース誘導の方にシャッターを切って貰った。


鏡池、なんとか日没までに間に合いました

 鏡池から長年ボランティアを務めた7Aへの道は何度も歩いた自分の庭だ。公道を渡ってキャンプ場に入り、坂を上って下る。いろんな思いが込み上げてきた。まずは班長の西條さんを探してご挨拶。『戻ってきましたよー!』『おー来たかぁ、あれ早いね!?』そんな感じだった。記念にと言う事で一緒の写真に入って貰った。とよこさんにもご挨拶。この時点で次のエイドまでライトなしで行くのは無理と判断してライト装着の準備をした。いよいよナイトトレイルの始まりだ。西條さんに『来年はボランティアで戻ってきます』と宣言してエイドを離れた。これで7つ目のレースが終わった。残すは2つだ。


7A鏡池エイドステーション、班長さんと記念撮影

 ナイトトレイル…これは信越五岳出場の上では、避けては通れない壁だ。トップ選手は11時間台でゴールするのでライトは使わないが、殆どのランナーは夜間走行を強いられる。山の中を夜走る。これにはかなり抵抗があった。信越五岳出場の上で、もっとも高いハードルと言っても過言ではない。ぶっつけ本番でのナイトトレイルでは何が起こるか分からないと言う事で、トレイルの師匠みほちさんに、鎌倉へナイトトレイルに連れて行って貰った事がある。彼女は年下でありながら経験豊富なランナーで、事ある毎にアドバイスをくれる。土曜の夜、港南台駅へ集合して鎌倉の山の中をペーサー含め3名で走った。途中にわか雨が降り出し、この日と同じようなコンディションになった。ライトの照らし方や、注意点など細かいアドバイスを受けた。その甲斐あって、大きなストレスを感じる事なく、夜の山へ立ち向かって行く事が出来たように思う。


ヘッドライトに反射するコース誘導板

 7A(87.0km)を出発すると急激に暗くなり始めた。エイドでライトの準備をしていなかったペアがコース脇でライトを装着していた。7A→8Aは緩やかに登るコースだが距離は5.3kmと最も短い。暗くなった事とぬかるみが多く出現した事で思うように走れなかったが、順調に前へ進んでいた。ただ気になる事が2つあった。1つは股ずれ。痛みが顕著に表れ始めていた。細かいストライドで走るのが少々辛い。それから両足の親指がジンジンと痛み始めた。これは黒姫あたりから感じ始めていたのだが、暗くなり、落ちている小枝に気付かなくなるとそれを何度もつま先で蹴飛ばすようになり、そのたびに激痛が走った。恐らく両足ともに親指の爪は紫色になっている事だろう。それでもここまで来たら、もう後へは引けない。前へ進み続けるだけだ。強い気持ちを持って8Aへ向かった。公道を渡り、戸隠高原スキー場方向へ進むと少しロードを走ってからトレイルに入る。6月の戸隠トレイルで一部分走った記憶がある。砂利の駐車場を横切ると8Aは目の前に迫ってきた。第8レース終了。残すはあと1つ。最難関の瑪瑙超え最終レースだ。

 8A(92.3km)はアシスタントポイントに指定されている。アシスタントは先回りして椅子を用意しておいてくれた。まずは戸隠ソバを一杯平らげ、椅子に腰かけながらコーラをがぶ飲み。それから股ずれの痛みが激しいのでワセリンを塗る為にトイレへ駆け込んだ。擦れた箇所が赤く腫れあがってはいたが、致命的なダメージではなかった。ワセリンをたっぷりと塗ってアシスタントエリアに戻り、最終レースへ向けての準備に取り掛かった。


8A戸隠高原スキー場 まずは戸隠ソバをいただく

 ゴールまでは残り17.7km、序盤に大きな山越えがあるので、ハイドレーションの水は多めに補充した。また8Aを出発するとゴールまでエネルギー補給できるエイドはないので、エナジージェルも多めに持った。それから山頂での冷えをケアして濡れたノースリーブのユニフォームから半そでのユニフォームに着替えた。携帯装備を再チェックして、やり残したことが無い事を確認してエイドを離れた。それほど長い時間滞在した訳ではないと思うのだが、動きを止めた事で身体は震えるほどに冷えていた。動き続けないと寒さで身体が冷え、動けなくなる。完走へ向けての最後の課題は『動き続ける事』だった。時刻は19時10分。スタートから13時間40分、平均ペースは8分53秒/km。疲労・ダメージのコントロール、そしてペース配分、モチベーションの維持、ここまではいずれも完璧だった。あとは難敵・瑪瑙山を越える為の力がどれだけ残っているかだ。


最後の難関LastBoss瑪瑙山へ向けて出発!
これ以降は真っ暗なのでゴールまで写真がありません・・・

 瑪瑙山山頂までのトレイルは戸隠マウンテントレイルで経験している。前半は走れるコースで、次第に斜度がきつくなり森の中で一度急登があり、ゲレンデに出てからさらに直登が待っている。高低差は450m程度。戸隠マウンテントレイルの時はスタート直後にこのエリアを通過したので、さほど苦にはならなかったが、ここまでに90km、13時間以上動いているとなると状況は大きく異なる。

 序盤のトレイルは雨の影響でひどくぬかるんでいた。走れる筈の傾斜が、ぬかるみに足を取られ思うように進めない。着地場所を間違えると溶けたチョコレート状の泥がシューズの中に侵入してきてしまう。バランスを崩しては立て直し、またバランスを崩しては立て直し、そんな事の繰り返しで思わずため息がもれた。ぬかるみを脱すると、今度は斜度が徐々にきつくなっていく。腰の後ろで手を繋いで歩く姿勢が、太ももの前に手を置くようになり、連続していた歩行動作が、一歩一歩途切れるようになってきた。頭上を見上げると、コース案内板が、遥か高い位置でヘッドライトの光に反射し、この先の険しさを警告しているように見えた。

 『坂を上る力が無くなってきた。脚があがらない。』思わず弱音を吐いた。ペーサーに弱音を吐いたのは最初かもしれない。するとペーサーは『90km以上走って来てますからね。凄いですよ。良く走ってきましたよ。俺なら無理だな・・・』と持ち上げておきながら、『あと少し頑張りましょう。もうすぐゲレンデに出ますよ! ここを越えればもう終わったも同然ですよ・・・』などとやんわり激励する。また合流してからずっとそうなのだが彼は、常に『ぬかるんでます。』とか『足場悪いです。』とか、逐一路面状況を報告してくれていた。お陰で足元に対する注意力はいくらか軽減されたし、沈黙が漂う事がなかったので、前向きに進む事ができていた。瑪瑙山の登りに入ってからは、私が遅れ、少しペーサーと離れ気味になる事もあったが、立ち止まって待つような事はせず、ギリギリの間隔を保って進み続けていた。離され過ぎてしまえば、諦めて声を掛け、ペーサーにブレーキを掛けるのだが、つかず離れず、ギリギリの位置でリードしていく。それは『遅れまい!』とする私の気持ちを見透かしているかのような絶妙なペースだった。

 ようやく森の中の急登を終え、ゲレンデに出たところで一息ついた。この先待っているもう一段階の壁へ向かって呼吸を整えるためだ。脚の疲労は当然の事として、それ以上に背中の疲労度が激しかった。直立した姿勢を取るのが辛く、背中を丸めるか、反らすか、しないといられないような状態だった。山頂の高さを目視しようとするが、暗くてよく分らない。幸いな事に8Aを出発した後、降り出した強い雨はゲレンデに出てみると上がり、薄い雲の向こう側に月が霞んで見えるほどに回復していた。雨は森のなかにいると木の葉が傘の替わりをしてくれるのでさほど感じない。森から出たところで雨が止む。天気は味方してくれているようだった。

 『来ましたねー!これを越えれば、もらったも同然ですよ♪』ペーサーの軽快口調が飛び出した。冷静に考えれば、まだ瑪瑙山の山頂には立っていない。仮に瑪瑙山の山頂に立ったとしても残りはまだ12km以上ある。とても『もらったも同然!』などとは思えないのだが、彼に言われると何となく、『あと少しだ!』という気になってくる。これこそが彼に期待していた資質だ。この天性の明るさ、周りをなごませる雰囲気に接していると、落ち込んだり、怒ったりしているのがバカらしくなってきてしまう。いつの間にか彼のペースになり、瑪瑙山最後の壁へ挑み始めていた。

 1つ目の壁で削られていた体力は2つ目の壁で底を尽いていた。何度も立ち止まりたい衝動に駆られるが、『いやぁキツイなぁ~』と笑いながら言うペーサーの一言でかき消されてしまう。『90km以上走って、よくこんな坂登ってるよなぁ~』などと言われると立ち止まる事に躊躇してしまうのだ。完全にペーサーのペースにはまっていた。山頂間近!の気配をいち早く察したのもペーサーだった。『この足場、覚えてますよ!もう山頂です。』また適当な事を言っているなぁと思ったら本当に山頂だった。ついにLast Bossを越えた!

 瑪瑙山山頂は思ったほど寒くは無かった。少し強めの風は心地よいほどであった。もっとも、それはここまでの上りで身体がヒートアップしていたからかもしれない。山頂のスタッフにゼッケンを提示してチェックして貰った。きっとここで待機し続けているスタッフは寒いに違いない。雨風にさらされながら何時間もここで作業すると言うのは大変な事だ。多くの方に支えられて走っている!いや走らせてもらっている!そう感じずにはいられなかった。

 ついに、このレースの最高到達点をクリアした。あとは下るだけだ。戸隠マウンテントレイルで下ったゲレンデ直下を再現しようとするが、パンパンに張った太股、それに完全に潰れている両足の親指、ヘッドライトを点灯しているものの、イマイチ良く分らないトレイルの立体感。これでは走るのは至難の業だ。小刻みな早歩きで下るのが精いっぱい。そんな安全走行で下っていると何組かの選手がかなりのスピードで追い抜いて行った。やはりこの舞台に立つ選手は、みんな凄い。猛者ばかりだ… 

 これでもかというほど、足の爪と太ももを痛めつけられ、ようやくゲレンデの麓に降りてきた。コース誘導の女性に残りの距離を聞くと11km以上あると言う。しかもこのあとは滑りやすい下りとの事。まだまだ障害は残されていた。瑪瑙山さえ超えてしまえばあとは楽勝!そんなイメージを持っていたので、ここからの悪路には苦しめられた。コース幅が狭く時折現れる沢や、片側の崖、常に路面はぬかるんでいて、なかなか距離を稼げない。そんな時、ずっと前に過ぎていると思っていた100km地点のプレートが現れた。瑪瑙山ゲレンデ麓から相当時間が経っていた印象だが、いくらも距離は進んでいなかったのだ。

 さらに障害は続く。“滑りやすい下り”が終わったと思ったら、今度は上り返しが待っていた。前日のコースガイダンスでは『瑪瑙山を下ったらちょっとした上り返しがあって…』と説明されていた箇所だ。ちょっとしたという表現は元気な時なら受け流せるが、ここまで疲労していると簡単には受け流せない。それでもペーサーは『いやぁ~キツイなぁ~』とまた甲高い声で笑いながら言い放ち、決して止まらせてはくれなかった。実際は1kmにも満たない上り坂なのだと思うが、この時は永遠に続くような気がした。それだけ疲弊していたのだと思う。それでも必ず終わりは訪れる。傾斜が緩くなると、上りきったと思われるところにコース誘導スタッフがいた。『ここからゴールまでひたすら下りです!』この言葉を待っていた…

 コース誘導スタッフにこの先の注意ポイントを尋ねてみた。返ってきた答えは『ひたすら滑りやすいです。気をつけてください』だった。どうやら、まだ楽はさせてくれないようだ。ところが実際進んでみると、たしかに滑りやすい個所はあるものの、コース幅がそれまでとは違い、広くなってきたので、コース取りに選択の余地が生まれた。蛇行しながらでも危険を回避すれば、ゆっくり走れる程度の状態ではある。長い時間歩きのリズムに浸っていたが、これを走りのリズムに切り替えたら脚が生き返った実感が湧いてきた。まだ終わっていない。走れる脚が残っていた。走りのリズムを少しずつ取り戻し、木の根や落ちている小枝、ぬかるみなどを回避しながらステップを踏んでいると、眼下に明るい光が見えてきた。それは102.4km地点に設置された給水所のテントだった。8Aからゴールまでの約18kmはエイドステーションはないが、簡易的な給水所が設置されるという情報は知っていた。ここを通過するとゴールまでは、ほぼ平坦な林道と言う情報も…

 レース前にイメージしていた事がひとつある。それは、ラスト7.6kmの林道は走り続けるのだ!というイメージだ。ここまではレースに入り込み過ぎないよう注意してきた。記録や順位が重要なのではなく、完走する事こそが最大の目標であるからだ。その制御は自分で言うのもなんだが、ほぼ完ぺきだったと思う。5A以降は『生かさぬように殺さぬように』という絶妙のペース配分をしてくれたペーサーの功績も大きい。残された道のりは、走れる林道だと思われる。ここで初めてゴールタイムを緻密に計算した。1km8分でいけば17時間を切れるのが判明した。歩かずに走り続ければ叩きだせるペースだ。ペーサーとの意見は一致した。給水所の力水を口に含み、よし行こう!とスイッチを入れて走りだした。

 最初の1kmは7分30秒だった。ペーサーがGPSウォッチで計測してくれた。『30秒貯金ができました!』脚の具合は悪くない。しっかりと動いている。このペースなら維持していけそうだ。ペーサーの背中とヘッドライトが照らし出す光の輪以外は何も見えない。ダブルトラックの林道をひたすらペーサーについて行く。ペーサーは路面状況を細かく報告しつつ、ぬかるみがあれば右に、そして左にコースを変えながら暗闇の中を突き進んだ。私はそれに黙ってついていく。一体感が生まれていた。『7分を切りました!』ペーサーが声をあげる。1kmのペースが6分台に突入した。前を行くランナーを一人一人追い抜いていった。抜く側も抜かれる側も笑顔を交わし合う。競いあっていると言う感情は無い。お互いがお互いのベストペースでゴールを目指している。ただそれだけだった。

 残り5kmを切った。ペースは徐々に上がって行った。1kmのペースが6分30秒になり、6分に迫り、6分を切った。『さすが!サロマンブルーの底力ですね!』この男、この期に及んでも選手を持ち上げる事を忘れない。そうやって持ちあげつつ、ジリジリとペースを引き上げているのは他ならぬ、この男なのだ。脚は動いていたが、呼吸がキツクなりはじめた。スピードを落としたい衝動に駆られるが、勢いづいた脚は心肺機能の悲鳴を無視して進んでしまう。呼吸が乱れ、ペーサーと会話をするのが少し辛くなってきた。もう17時間を切れるのは間違いない。それなのにペーサーは一向にスピードを緩めない。それどころか前にライトが見えるとそれを目標にペースアップしていく。ペーサーにブレーキを掛ければ良いのだが、その言葉が出てこない。ここまでレースに入り込まずに抑えてきた反動が現れたのかもしれないし、最初で最後と決めたレースだから全てを出しつくしたかったのかもしれない。“走り切ってこそランナー”忘れかけていたそんな意地も心のどこかで燃えていたのかもしれない。

 ナンバーを確認するスタッフが現れた。『16番です♪』ペーサーが応える。程なくして、会場のアナウンスが聞こえてきた。木々の合間からゴールステージを照らすライトが見え隠れする。110kmの旅がもうすぐ終わる。感極まる様なシーンを想像していたが、そうはならなかった。依然としてペーサーは突き進む。我はそれに追従する。その隊形は変わらなかった。残り1kmを告げるコース誘導スタッフの前を通り過ぎた。“頑張れ”が“お疲れ様”に変わり、“おめでとう”へと変わった。数百メートル前方にヘッドライトが3つ光っていた。ペーサーは『行きますか?』と問いかけてきたが、それを制した。残り距離から推測して、今から捕らえに掛かれば、ゴールが重なってしまう可能性がある。僅かな時間だが余韻に浸ろう、そして二人だけでゴールテープを切ろう、そう告げた。

 前を行くランナーがゴールしてから数十秒後、ゴール会場にナンバー16がコールされ、ゴールテープはピンと張りなおされた。野外ステージばりに装飾されたゴールエリアはグリーンのカーペットが敷き詰められ、きらきらと輝いて見える。これまでに出場したどのレースよりも、立派で迫力のあるゴールゲートだった。ペーサーの横に並び、その瞬間に備えた。力強く手を握り、突き上げ、歓喜の声をあげる。
『完走なんて、朝飯前だぜ~!!』





終わった。1つの夢が幕を閉じた。正式タイムは16時間47分13秒 男子総合97位。
ゴールの瞬間、涙は出て来なかったが、達成、満足、安堵・・・色んな感情が少しづつ心の中に渦巻いていた。これらを一言でまとめるとすれば『終わった!』の一言に集約されるような気がする。


信越五岳トレイルランニングレース110km 木製の完走盾

 このレースの位置づけは、参加者それぞれによって違うだろう。UTMF参加条件のポイントを獲得するために参加した人もいるだろうし、仲間の勢いに推されて思わずエントリーしてしまった人もいるだろう。毎年出場していてハズすわけにはいかなくなっている人もいるだろうし、人生最大の挑戦と意気込んだ人もいる筈だ。私にとっての信越五岳は、これ以上もこれ以下も比較対象になるレースがない特別な存在で、たった一度だけスタートラインに立つ事が目標で、たった一度だけゴールする事が夢だった。そんな特別の舞台で、なんのためらいもなくベストレースだ!と言い切れる最高の結果を残す事ができた。『結果に満足してしまったら、そこまでだ!』なんて言う人がいるが、それなら、そこまででイイ。


遠征最終日に立ち寄ったサンクゼールの丘 気持ちはこの日の天気のように、すがすがしかった

 レースが終わり1週間が経過した。傷めた爪も、筋肉痛も、腰痛も、何もかも消えていった。レース前のパフォーマンスを発揮するまでには至っていないが、練習量は戻ってきている。レース中、辛いなぁと思った事は幾度となくあった筈なのに、辛かった記憶は次々と消えていき、楽しかった思い出ばかりが残る。レースが終わり『信越五岳は最初で最後』そう言い放つと、『そんなに過酷だったんだね』と心配してくださる方がいるが、辛かったから、過酷だったから、最後にする訳ではなく、初めから一度きりと決めていたから、最初で最後なのだ。

 レース前日、レースの準備を進めながら、妻に宣言した。『明日リタイヤしようが、レースが中止になろうが、二度とスタートラインを目指す事はない。もしスタートする事ができなくても、もしゴールする事が出来なくても、それは自分にとってそういう巡り合わせのレースだったんだと思って完結する』と。このレースへ向けて、ペーサーやアシスタントと共に過ごしてきた日々は、とても尊いものだった。その日々のストーリーがあってこその信越五岳トレイルランニングレースだった。積み重ねてきた日々に後悔はなかった。だから、たとえ、どんな結果が訪れても、それはこのストーリーに用意されたエンディングとして、正面から受け止める覚悟ができていたのだと思う。

 幸いな事に結果は自分が想定していた最上級のプランA(17時間30分)を大きく超えるものだった。スタートから102.4kmまで自分をコントロールして、最後の7.6kmで爆発させる事が出来た。自画自賛とはこのことだが、人生一度くらい自画自賛してもいいだろう。反省点は見当たらない。レース中に歩いた事も、エイドでのロスも、全てはこのレースを最高のかたちで完結させるために必要な事だったのだと思う。何度も繰り返す事になるが、本当にいいレースだった。最高のレースだった。


サンクゼールレストランではホールスタッフとの雑談がこんな形に・・・

 
最後に、このストーリーに長い間付き合ってくれたペーサーのペーニョさん、それにアシスタントの妻に心から感謝する。それから色んなところで応援をしてくださった方々、練習につきあってくれた方々、アドバイスをくださった方々、全てが私の力になりました。大会を運営してくださった方々には、心から支えられました。私は走ったのではなく走らせていただいたのです。それに斑尾高原山の家のスタッフさん、喫茶田舎のマスター、お土産屋さんのおじさん…皆さんとお話しするのが楽しみでこの地を訪れています。いつも笑顔で迎えて頂きありがとうございます。斑尾高原は私にとってホームです。これからも年に何度か里帰りしますのでよろしくお願いします。



5年がかりの物語、完結しました!!
来年は7Aに戻ります。


信越五岳ダイジェストムービーはこちら
      

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