戻ってきました!サロマ湖100kmウルトラマラソンのイメージが… 照りつける太陽のもと、氷水をかぶりながら、水飛沫を滴らせて走る。
サロマンブルーに、オホーツクブルーに、スカイブルー。青、青、青、それに、エゾスカシユリのオレンジ色や、はまなすのピンク色がアクセントとなって華やかさを演出するワッカ原生花園。過酷な条件もなんのその? サロマは、こうじゃなくっちゃ!ってな感じのサロマ湖100kmウルトラマラソンが何年かぶりに戻ってきました。完走率が50%を割り込むという、苛酷な条件ではありましたが、私の中では、これぞサロマ!!です。

 大会直前、口蹄疫問題で中止の可能性も取り沙汰されていましたが、何とか開催に漕ぎつけたという状況の中、今回設定した個人的テーマは、”感謝”です。地元の方、それに、この大会に関わっている全ての方へ感謝の気持ちを込めて走る! 1日に何回『有難うございます』と伝えられるか? そんな思いを胸にスタートラインに立ちました。


2010サロマへの道のり
 2010年は、2月の東京マラソンでスタートし、その後、トレイルレースのデビュー戦となった青梅高水山トレイルレース(30km)、恒例の横浜駅伝(3km)、チャレンジ皇居50kmというステップを踏んで、ここを迎えました。結果の方は、ボチボチ・・・? チャレンジ皇居50kmでは、40kmを経過した後、血色尿が現れ、途中でリタイヤするというアクシデントもありましたが、例年通り5月の走行距離は300kmを超え、6月も大会までに200kmを消化。やり過ぎず、やらな過ぎずを心がけて、大きな問題の無い状態でスタートラインに立つ事ができました。

 2002年から参戦し始めたサロマ湖100kmウルトラマラソンも今年で9回目となります。今回完走すればサロマンブルーへリーチです。出来る事なら、ストレートで達成したい!その為には、ここで足踏みしているわけにはいかないので、記録は二の次。まずは完走!ですが、完走するためには前半の貯金が必要。前半戦をうまく乗り切り、後半へ繋げる事ができれば記録も?そんな思惑も微妙にあったりして…
しかし、前日の気温&翌日の天気予報を聞いたときに、記録への期待は、ほぼ100%消えました。

 今年、サロマへ同行したメンバーは12名(私を含めて13名)100kmの部8名、50kmの部4名、応援1名。毎年、毎年、よくもこれだけ集まるものです。リピーターが多いというのは、やはりサロマの魅力でしょうか。今年も全員完走を目標に掲げ、お互いの健闘を誓い合って集いました。

レース前日
 今年も、昨年同様、釧路から北海道INしました。レンタカー3台に分乗して一路、常呂町を目指します。最初の目的地はレストハウス常呂。ここで、ご当地メニューのオホーツク塩焼きそばを食べました。


道の駅『メルヘンの丘 めまんべつ』で休憩。 暑さでソフトクリームがあっという間に溶けました。

 次にゴール地点にある、サロマンブルーメンバーの足型参拝? 今年は参加メンバーの一人であるカープさんの足形が出来上がっているという事で、気合いを入れて見学しました。近い将来、自分の足型も! そんな妄想も膨らませていたりして…


オホーツク塩焼きそば(北見のご当地メニュー)    サロマンブルー足型プレートのご本人(カープさん)    常呂町民や有名人の手形モニュメント

今は目の前にあるゴールゲートですが、明日は?  
カープさんの足型。私も近い将来ここへ・・・      映画シムソンズ出演者の手形

 ゴール地点をあとにして、大会のコースを逆走する形で、スタート地点の受付会場へ移動します。ゼッケンを受け取り、応援FAXを探し、あとはホタテ焼きを…と思ったら、今年から、このサービスが無くなってしまったようで…(非常に残念。)


湧別町の受付会場『サロマ湖の100kmはドラマだ』          応援FAX

 その後、常宿にしている紋別プリンスホテルにチェックインし、翌年分の部屋を5室抑えて、夕食へ… 紋別は大きな店が少なく、大勢で押し掛けるとお店の人が困った顔をするので、紋別の魚介類を食べれるような店は諦めて、広さを優先して、無難に定食屋(レストランみうら)で食事をすることになりました。普通のしょうが焼定食を食べ、ビールは翌日まで我慢して、コンビニで朝食を購入し、ささっと風呂に入って、PM10時には就寝していました。


1日目の夕食処、レストランみうら

スタート前
 経験の浅かった頃は、色々と試行錯誤していました。出来るだけ沢山食べて、エネルギーを貯め込もうとか、何を食べたら最高の結果が…?とか。。。 でも、レース前にいくらエネルギーを貯め込んだところで、100kmのレースとなると貯蔵した分だけで走りきるのは無理。フルマラソンのように貯めたエネルギーをギリギリ持たせて走るという訳にはいかないのだ…という結論に達してからは、無理して食べない事にしました。

 無理して食べて胃や腸に負担を掛けるよりも、いつもと同じ程度食べておき、あとはレース中の給食で賄うくらいのほうが、無難だという自分なりの判断です。この”無難”という言葉こそ、ウルトラには、もっとも大事なんだというのが、いつしか自論となってきました。(おやじ臭っ?)
ということで、この日食べたのは、豆あんぱん、玉子かけご飯風おにぎり1個、しじみ味噌汁、コーヒー牛乳 以上。レース前の朝食にしては少なめかなぁという気もしますが、その代わりにパワージェル2個をユニフォーム背中のポケットに入れ、スタートしてから小腹が空いたら、食べるという事にしました。

 例年通り2時に起床して、お腹に入れるものを口から入れて、お腹から出すものを、お尻から出して、ユニフォームに着替えて… ホテル出発が3時15分。会場到着が4時。スタート会場では、スペシャルドリンクを預け、仲間と談笑し、スタート20分前になったら、荷物を預けて、全員集合して気合を入れます。『全員完走するぞー! オー!』 毎年同じように時が流れていきますが、この時間が何気に楽しいのです。


H口さん準備中・・・ サブ9目指すのか???     虎視眈々と狙っている赤い彗星H山さん       携帯で天気予報をチェック中???

昨年のリベンジを! S藤さん気合入ってます。    サムズアップ・チームサロマの100km参加メンバー      全員完走するぞー オー!!

スタート
 やっぱり気温は高めでした。ここ数年ではスタート時間の5時だと、肌寒く、アームウォーマーや手袋をはめたい衝動に駆られるのに、今年はノースリーブでも全然平気。生暖かいような感じでした。『これは暑くなりそうだ!』そう思い、暑さ対策を再確認することにしました。

 暑さの影響で一番怖いのが熱中症です。これを防ぐには積極的な水分補給が必要ですが、ただ水分だけ補給していたのでは、ミネラルバランスが崩れ、ナトリウム欠乏に陥り、胃の働きや筋肉に影響を及ぼします。これを回避する為には、適度の塩分摂取が必要です。サロマのエイドには梅干しが用意されているので、各エイドで、これを1粒づつ食べておけば恐らく大丈夫でしょう。

 念のため、異常な暑さになった場合にも対応できるよう、お守り代わりに、塩も持参することにしました。それから身体を外から冷やす事も大切です。体内にこもってしまった熱を外へ放出するために、冷水を首筋やひじの内側、ひざの裏側など血管が浮き出て見えるようなところにダイレクトに掛けるのが効果的です(と誰かが言っていました)

 それから胃が弱ってきてからでは、エネルギー補給が間に合わなくなるので、持参するエナジー系ジェル(パワージェル、カーボショッツ)は、前半から積極的に摂取することにしました。(目安としては、10km毎に1個のペース)エナジー系のジェルは、胃に負担が掛からず、吸収も速いので、こういうコンディションでは特に効果的です(と誰かが言っていました)

 そんな事を考えていたら、スタート時間が迫ってきました。ファンファーレが鳴り響き、いつも通りの、のんびりとした雰囲気で、2010年サロマ湖100kmウルトラマラソンの幕が開きました。


エリック・ワイナイナさん世界記録樹立なるか?    
スタートの瞬間を待つ選手たち              100kmの部スタート!!!

 スタートまでのロスは約2分程度でした。『行って来まーす』という挨拶で、スタートラインを越えて行きます。このスタートの瞬間は、微妙な感覚に陥いる事があります。スタートしたんだ!という高揚感と、これから来るであろう、”辛さ”が分かっている故に発生する沈鬱感。全く逆の感情が心の中に湧き起こるのです。でも、それは僅かな時間の事で、周りのランナーや、多くの観衆の中に身を置いている事を自覚すると、次第に高揚感に支配され、この場に居られる事の幸せを実感できます。今回のMyテーマである”感謝”を心に刻み、『有難うございます』という言葉を出来るだけ、明るく、元気良く、発して走り始めました。

 スタート会場付近を1周すると4kmほどで、一度スタート地点に戻ってきます。1km6分を軽く切るようなペースで足取りを確認しながら走り始めました。心配していた気温は、この時点では、さほど気にならず、むしろ身体を動かしやすい気象条件であったように思います。スタートを見送った観衆の前を再び通り過ぎ、長い旅路への本格的な出発となりました。


エリック・ワイナイナさんやはり先頭           好調宣言!! S下さん                正装?に身を包むカープさん

余裕の作り笑顔?                  4年連続完走を目指すY須賀さん        初出場初完走を目指すH瀬さん


 今年は口蹄疫の問題で、スタート地点から35km付近の国道へ出るまでは、交通規制がひかれており、応援車はこの区域に立ち入り事ができません。そのため、いつもなら観衆でにぎわう10km付近も閑散としていました。それでも周りには大勢のランナーがおり、さびしさなどは感じずに、いつもと同じようなペースで進んで行きました。

 10kmの通過タイムは、1時間00分52秒。スタートまでのロスタイムを差し引くと、58分程度で走れていたようです。完走と言う結果を睨んだとき、いつも目安にしているのは、40km地点を4時間以内で通過する事です。これが達成できれば、残りの60kmを9時間で走ればよいという事になり、1km9分ペースまで落とす事が可能です。そういう意味では、この通過タイムは上々でした。また、この時点では暑さは、それほど気になっていませんでした。

 10kmを過ぎて、右手にサロマ湖を望めるようになると、竜宮台の折り返しが目標となります。サロマ湖100kmウルトラマラソンには2か所の折り返し地点があり、最初の折り返しが竜宮台です。ここではすべてのランナーとすれ違う事ができるので、お互いの位置確認ができます。

 竜宮台が近づくと、竜宮太鼓の音が次第に大きくなってきます。折り返すまでに3名、折り返してから4名の仲間とすれ違いました。いつもの事ですがこのあたりに来ると、一度トイレに行きたくなるので、いつも利用しているトイレに駆け込み、最初の休憩をとりました。

 20kmの通過タイムは、1時間57分00秒でした。10km-20kmのラップは56分08秒ということで、若干ペースアップしたようです。スタートから2時間余りが経過し、少しお腹が空いてきたので、エイドの手前で最初のパワージェルを口にしました。味としては、かなり甘いのですが、ランニング中は味覚が少し鈍るようで、その甘さも気になりませんでした。 20km-30kmは畑や牧場の中を走る、平坦で単調なコースです。例年ですと、観客が所々に現れ、気を紛らわせてくれるのですが今年は車両進入禁止区域だったため、応援は殆どありませんでした。(ごく僅かに現れた観衆はどこから湧いて来たのだろ?)



 30kmの通過は、2時間55分21秒でした。20km-30kmのラップが58分21秒ということで依然として順調です。しかしながら陽が高くなり始めた為、日差しの強さを感じるようになってきました。この時点で時刻は7時55分。これから正午まで、気温が上昇していくことを想像すると、少し心配になってきました。

 35kmの手前で国道に出る頃には、暑さをはっきりと感じ始めました。こうなってくると、暑さ対策は欠かせなくなってきます。被り水をしっかりと行い、水分を多めに、塩分の摂取(梅干し)も欠かさずに1エイドで1個づつ食べるようになりました。国道の手前では久々に賑やかな応援を受ける事ができました。声をかけてくれた人の目を見て、『有難うございます』と伝える事で、心にゆとりが生まれる気がしました。

 40kmの通過は3時間56分04秒でした。30km-40kmのラップが1時間00分43秒ということで、1km6分を少し超えてしまいました。これは走るペースが遅くなったわけではなく、エイドでの作業が増えた為、ロスタイムが長くなった事が原因だと思われます。記録を狙っていくならば、このロスタイムを切り詰めていくというのが大事なのですが、過酷になるであろう気象条件下で、確実に完走を目指すのであれば、この作業を省く事はできません。それでも、40kmを4時間以内で通過する!という自分なりの目標設定はクリアできました。これで完走の確率はかなり高いものになった事を実感できました。

 『40kmを4時間以内で通過出来れば、残りの60kmに9時間掛けられる』これは、10kmを90分。1kmを9分ペースでOKと言う事になります。1km9分というのは、私にとっては、歩き半分、走り半分で叩きだせるペースなのです。1km7分というペースで4.5分間走ると、進む距離は642m。時速5kmの歩行ペースで4.5分歩くと375m進みます。642m+375m=1017mと言う事で、9分間で1017m進む事が出来ます。走る時間と歩く時間を半々にしても、大丈夫な安全圏な訳です。記録を狙うとなれば、10km1時間を切り続けなければなりませんが、完走がターゲットとなれば、この時点でかなりのアドバンテージを手にした事になります。

 (コースに戻り)、40kmを通過すると、これまでの平坦なコースではなく、緩やかなアップダウンが現れます。また景色も湖畔沿いになったり、岡がちな景色になったり、また街中になったりと変化に富んできます。9回目の出場ともなると、次に現れる景色が容易に想像できるので、今年の月見ガ浜はどうだろう?とか、計呂地の町は賑わっているかな?とか先の景色を思い浮かべながら走る事ができます。

 42.195kmのポイントは、月見ガ浜に存在します。常設のプレートが設置されているこのポイントは、応援ポイントとして、毎年賑わいます。我らがサムズアップの応援団長も、この地点に待ち構えていました。『調子はどう?』と聞かれ、『大きな問題はない!小さな問題は色々あるけど…』と答えました。『小さな問題って?』と聞かれたので、『1つ目は、左足甲の紐の締め付けがキツく感じ始めて痛い事。2つ目は、左足小指にマメが出来た事。最後に、この状態で残り60km近く走ること・・・』と笑って答えると、『大丈夫?』と心配そうな顔で聞くので、『大丈夫、いつもの事だから…』と言って走りだしました。


月見ガ浜の応援ポイント えっ通勤?          カープさん、快走!!                   H口さんも快走!!!

H山さん、素敵な笑顔です。             Y須賀さん、余裕のVサインです。          ごきげんブランニュの撮影隊

 35km付近から始まるオホーツク国道は、それまでの農道と違い、水はけを良くするため?路肩の傾斜がきつくなっています。左側走行なので、左足が低くなり、左足外側に重心が掛かりやすくなるのです。その為だと思うのですが、左足の甲が痛む事が良くあるのです。それが今回も発生しました。また同じような要因から?左足の小指にマメも出来てきました。どちらも初めての事ではなく、過去にも何度も起きているので、小さな問題として片付けています。前者は、我慢できないほど痛んだら、紐を緩める事で対応できるし、後者はマメが潰れなければ続行可能、潰れたら?その時考えます。

 50kmの通過は、4時間59分16秒でした。40km-50kmのラップが1時間3分12秒という事で、また微妙にペースが落ちました。これもエイドでのロスが原因だと思われます。時刻はAM10時。日差しの強さだけでなく、気温の高さ、蒸し暑さまで感じるようになり、5km毎の給水だけでは足りなく、のどの渇きが起こるようになりました。その為、コップ1杯だった給水が2杯、3杯と増え、また掛け水も首筋だけだったのが、腕、脚にまで行うようになり、必然的にエイド滞在時間が延びてきたのだと思います。

 幸いなことに胃の具合は、良好でした。50kmを5時間以内で通過した事で、残り50kmを8時間(10kmを1時間36分ペース)でOKとなり、時間的な余裕は沢山出来ました。しかしながら、胃や腸が弱ってしまえば、水分やエネルギーの補給が行えなくなり、熱中症(脱水症状)を起こしてしまえば、残りの距離がたとえ1kmだろうと終わってしまう可能性があります。ここから先は、胃や腸の状態を健全に保って、距離を進めていくことが必要でした。

 そう言った点では、食料の補給にも気をつけなければなりません。固形物は腹もちが良く、満腹感が得られるのですが、胃に対する負担は大きく、摂取した食べ物が消化されるまで、胃は働き続けなければなりません。それにより胃の機能が落ちれば、水分の吸収が悪くなり、胃液を薄め、それが消化速度を長引かせ、胃に食物が滞在する時間が増える事で、吐き気が起こる事もあります。

お腹が空いてくるので、固形物を食べたい気持ちはあるのですが、安全策を取り、手持ちのパワージェルやカーボショッツで我慢しました。サロマにある3か所のスペシャルエイド(30km、65km、80km)には、これらのエナジー系ジェルを2個づつ預けていました。



 50kmと60kmの間には、レストステーション(旧ホテル緑館)があります。ここではスタート時に預けた荷物を受け取る事ができます。選手の中には預けた荷物の中からシューズを取り出して履きかえたり、シャツを着替えたりする人も居るようですが、ここで長い時間を脚を休めてしまうと、身体が走行モードから休眠モードに変わり、その後の走行に影響が出てしまうので、ここでのロスは、出来る限り短くする事が良いようです。今年は敢えて荷物は預けませんでした。エイドに立ち寄り、アミノバイタルプロのスティックを3本ほど貰い、背中のポケットにしまって、あとは他のエイドと同じように、被り水と、給水、梅干し程度にとどめ、早々に出発しました。

 55kmのレストステーションを過ぎると3km〜4km、ダラダラとした長い上り坂が待ち構えています。この坂を、あまり頑張らず、のんびりと超えると、サロマ湖の湖面を見下ろす下り坂に入り、60km地点を迎えます。久々にみる青いサロマ湖とそこから吹きあがってくるそよ風は、一瞬、暑さを忘れさせてくれるような清涼感がありました。でも、それも束の間。湖面に近づくと、風は止み、路面から湧き立つような暑さに見舞われます。過去にも何度か晴天に恵まれた年はありました。それでもこれまでに経験した暑さは、北海道特有のカラッとした気候で、汗がさらっと渇くような清々しい状況だったと思うのですが、今年は、もぁっとするような湿気を含んでいるように感じました。汗や被り水した水気が、いつまで経っても乾きませんでした。

 60kmの通過は6時間11分02秒でした。50km-60kmのラップは1時間11分となり、1km7分ペースを超えてしまいました。エイドでのロスも増えていましたが、長い上り坂でペースが落ちたというのもあったと思います。また左足甲の痛みや、小指に出来たマメの痛み、それに疲労感も重なり、身体も思うように動かなくなってきていたのだと思います。記録を意識していたら、このペースダウンは相当堪えたと思います。しかしながら完走狙いに切り替えていたので、1km7分でも納得していました。残り40kmという現実と、この時点での疲労感や痛みに辛さを感じ始めてはいましたが、このあと訪れるであろう、ゾンビ状態に期待して、前へ進んで行きました。

 私の場合、100kmマラソンを走る時、まず最初に辛さを感じるのが30km付近です。30kmという、普段の練習で繰り返し行う距離を走破したことで、ある程度の疲労感に襲われます。この疲労感は、それほど酷くはないのですが、残り70kmという現実を直視すると、不安にかられて来るのです。『こんなところで疲れていて大丈夫だろうか?』と。。。 そして次に辛いのが60km付近です。このあたりでは、肉体的に相当ダメージを受けているので、疲れていて当然なのですが、そこからさらにフルマラソンに近い距離を走らないといけないという精神的ダメージも重なり、辛さは2倍に感じます。実際、痛みや疲労感を感じるのも、このあたりがピークなのではないかと。。。

 ではその先80km付近などでは、どうなのかと言うと、痛みや疲労感に長時間襲われているせいか、ある程度、その状態に慣れてしまい、どこが痛いのか、どこが疲れているのか良く分らなくなってきます。動きの鈍さは、明らかなので、ここから先、ペースを上げたり、下がりかけているペースを維持したりするには、強い意志が必要となりますが、身体の成り行きに任せて走り続ける分には、さほど苦にはなりません。この状態を、ゾンビ状態と言う人も居ます。素早くは動けないけど、ゾンビのようにフラフラといつまででも動き続けられるような???

 コースはサロマ湖畔からキムアネップ岬、魔女の森を通り抜け、白帆へと移ってきました。白帆のオアシス、斉藤商店では、いつもより絞り方の緩い、ビシャビシャで冷たいおしぼりを子供たちが配っていました。暑さを考えて、固く絞ったおしぼりよりも冷たい水気を多く含んだおしぼりの方が良いだろうという、斉藤商店のおばちゃんの配慮だと思います。

 寒い時には温かいおしぼりを、暑いときには冷たいおしぼりを。また飲み物の温度も、その日の状態に合わせて変えてくれたりして、選手にとっては本当にオアシスのようなエイドステーションです。エイドで忙しく動き回っている子供たちを見つめながら、『おばちゃん、いつまでも元気でいてね!』と心で呟き、白帆のオアシスを後にしました。

 70km地点には、7時間22分20秒で到達しました。60km-70kmも1時間11分掛かりました。この区間は、白帆のオアシスのほかに、ホタテ漁師の住吉さん宅の私設エイドもあり、少々長居したのが原因かもしれません。これらの私設エイドは、本当に愛情が籠っていて、離れがたくなってしまうのです。

 住吉さん宅のエイドステーション

 70km地点を過ぎると、次の目標スポットは、74km付近の鶴雅リゾートお汁粉エイドステーションです。ここまで頑なに固形物は口にせず、10km毎にジェルを口に含んで、繋いできましたが、その効果があってか、胃の具合は快調で、常に適度な空腹感を持って、ここまで来る事ができました。胃を、いつでも準備OK!のスタンバイ状態にキープしておけたのは、この暑さの中では、何よりも心強い事となりました。ここまで順調ならば、多少の固形物を食べても大丈夫との判断から、ここでは、お汁粉とホタテの出汁入りソーメンを頂きました。甘い小豆の味と、白玉。それに塩分を含んだソーメンは、久々の食事?と言う事もあり、美味しく頂けました。

 鶴雅リゾートを過ぎると、あとはワッカ原生花園を待つのみです。ところが、ここから先の5kmは非常に長く感じます。人間からゾンビに変わる変身ポイントなのかもしれません。このように、どうにもならないほど辛い時には、会話をするに限ります。近くを走っている選手でペースが同じくらいで、怖そうじゃない人を選んで声を掛けました。

 『どちらからお越しですか?』この一言で話が盛り上がります。ランナー同士なので共通の話題はたくさんあります。大抵の場合、声を掛けられた側も、この付近では走る事にうんざりしている事が多いので、会話は自然と弾むのです。ウルトラの場合、ペースが緩いので、会話は苦になりません。今回も北海道出身、大阪在住、初サロマの方に声を掛け、お話し相手になってもらいました。

 そして気がつけば80km地点。疲れている事も、足の痛みも忘れてランナー同士の交流を楽しみました。おしゃべり効果、絶大です。80km地点は8時間31分37秒で通過しました。70km-80kmのラップは1時間9分と言う事で、会話をしながらのランニング効果で?少しラップが回復しました。

 サロマ湖100kmウルトラマラソンで一番好きな場所は?と聞かれたら、このポイントを挙げると思います。80km地点を通過して、しばらく森の中の曲がり道をクネクネと走り、突然、目の前に開けるオホーツク海を見下ろすこのポイント。ここに達すると、なぜか毎年、涙目になります。何が琴線に触れているのかは分かりませんが、水色のオホーツク海と、一面に広がる原生花園。ピンク色のハマナスに、オレンジ色のエゾスカシユリ。目を瞑ってもイメージできるこの場所に到達すると、何かに包まれたような気分になります。ゾンビ状態になった瞬間かもしれません。



 60kmを過ぎて、足の甲の痛みは最悪でした。何度も靴の紐を緩め、紐をほどかなくても、脱ぎ履き出来るほどの緩い状態にしていたら、靴の中で足が動いたせいか、爪に痛みが発生しました。この痛み具合からして、爪が黒く変色している事は容易に想像できました。それに小指のマメが巨大化しているのも実感できました。隣の指と擦れる度に、ぷよぷよと皮が動くのが分かり、いつ破れるのか気を揉んでいるときもありました。でも、このポイントに達した時、これらの痛みや不安は、一気に吹き飛びました。ここまでくれば大丈夫。残り20kmを4時間30分。歩き続けても完走できるくらい時間に余裕はあります。それに竜宮台ですれ違ってから、離れ離れになっていた仲間たちとも再会できるこのコースは、気分を高揚させてくれるのです。

  
爪の付け根付近が腫れあがってしまった両足の親指

 ここまで数え切れないくらい発してきた『有難う』の言葉は、自分の気持ちを元気にしてくれました。『有難うございます』と伝えると、ある人は、『まだ余裕だね!』と答えてくれ、またある人は『素敵よ!』と言ってくれました。青梅高水山トレイルで、檄を飛ばしていたおじさんの言っていた『金払って参加してるんだから、つまらなそうな顔すんなぁー!!』という言葉が何度も頭をよぎり、応援のあるところでは、出来るだけ楽しそうに走ってきました。つまらない事をしているのではなく、楽しい事をしているのだという思いを持って走ってきたら、本当に楽しい気分になってきました。



今年のワッカ原生花園は、花が咲き乱れ、オホーツク海から吹き付ける風はとても気持ち良く、夢見心地のひとときでした。ワッカでは仲間たちとすれ違い、お互いの健闘を称えあいました。このエリアに入れば、完走は、ほぼ間違いありません。大きなトラブルに見舞われる事もなく、ワッカを駆け抜け、最後の直線に足を踏み入れました。沿道の応援は、『頑張れ!』から、『お帰りなさい』、『お疲れ様』、『おめでとう』に変わってきます。

 
 50kmの部に出場のA子さんと・・・        ワッカの代表的な花、エゾスカシユリ

 そして残り1kmとなりました。沿道からたくさんの声援を受け、それに応え、『有難う』を伝えながら走ります。最高の気分でした。前にも後ろにもランナーは見えず、最後の直線は独走となりました。沿道から贈られている拍手が全て自分に向けられているものだと思ったら、ちょっと照れくさい気分になってきましたが、声援に応えようと、手を挙げて頭を下げながら精いっぱいの感情を表現してみました。



ゴールテープを切る瞬間は、いつもよりゆっくりと、一度立ち止まってから通過しました。ゴールタイムは10時間48分21秒でした。昨年よりも20分ほど遅くなってしまいましたが、順位は393位(昨年)→248位(今年)ということで大幅にUPしていました。それだけ苛酷な条件だったという事でしょうか。

これで9年連続9回目の完走となりました。夢だったサロマンブルーが、いつしか目標となり、そして手の届くところまで近づいてきました。これからの1年は半生の締めくくりです。来年また、この地へ戻ってこれる事を願いながら、会場をあとにしました。
アフターレースのレポートはこちら

別のレポートを読むはこちら

2010年サロマ湖100kmウルトラマラソン  〜サロマンブルーへリーチ  Lake Saroma 100km Ultra Marathon

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