フランスにおける仏車 その他
注:ほどんど何の役にも立たない駄文です。お時間のある方はどうぞ。

パリを初めて訪れたのは、1990年3月、社会人になる直前の所謂、卒業旅行の日程中でした。この旅行が私にとって初めての海外旅行で20日間ほどヨーロッパを回りました。日本を出るところから最初の3日間は、同じく初海外旅行の友人と共に行動し、二人とも旅に慣れてきたところで当初の予定通りロンドンで別れその後は単独で旅行を続けるというものでした。友人はしばらくロンドンに残ることにしていたのに対し、私はジュネーブへ行き、初めてヨーロッパ大陸の土を踏みました。

そしてスイスで何日か過ごしたあと、ジュネーブからTGVでパリに向かいました。英国・スイスと、英語の案内・標記がある国で過ごし、英国は当然としてもスイスでも英語の案内があるのだからヨーロッパならどこ行っても…と思ったのが大間違いで、パリ行きのTGVに乗った途端英語とは無縁の世界に入ってしまったことに気づきました。スイスの列車では、仏独と続いて必ず英語のアナウンスもあったのに(もっとも英語もほとんど聞きとれなかったんですが)TGVは仏語、以上!でした。また当時あったTGVのミールサービス(座席まで食事を届けてくれるTGVのサービスです。もともと限られた列車でしか行われていなかったようですが(食事時間を挟む長距離)最近あまり遭遇しないし時刻表の標記も目にしないのですが廃止になっちゃったのかな?)でも、メニューは仏語のみ。何か選ぶようになってたんですが全て適当に頼みました。

そんなこんなで物価は高いが観光立国だけあって観光客にとって居心地のよかったスイスにを後にした自分のパリの第一印象は…、標記は意味不明のフランス語のみで全然わからない、車がやたら多くて騒々しい…なのに日本人がやたら多い(自分もそれを増やしている一員なんですが)、と決して良いものではありませんでした。

ところが、その1年後何故かAXのオーナーになっていて、そしていろいろあって何故か2回目のヨーロッパ旅行を行うこととなりました。90年の翌年91年です。そうです、湾岸戦争が終わった直後でした。その年は、戦争のため海外旅行が敬遠されていて、実際には3月時点では戦争は終わっていたのですが、もういまさら計画を立てる人もいなかったようでガラガラの飛行機で、日本人のほとんどいないロンドン・パリを訪れました。

91年3月のパリは前年の「日本人がやたら多い」というのが嘘のようで、しかも「車がやたら多くて」の「車」は、AXオーナーとなった今、興味津々のフランス車の山、宝の山でした。パリに対する印象はがらっと変わり、以降、好きな街のひとつとなり機会がある度訪れるようになりました。(相変わらずフランス語は意味不明ですが…)

といいつつ、そうそう頻繁に訪れられたわけではなくその後は年に一度夏休みの僅か1週間というのがやっとでしたが、それでも90、91を含め96年まで最低パリに(年に^^;)一泊は、していたでしょうか…。

皆さんがフランス車として思い浮かべるクルマはそれぞれで、しかもそれが旧いほど尊ばれるのかもしれませんが(^^;)、自分にとっては、BX・205・シュペール5です。多分「もはや仏車じゃない」といわれ始めたころのクルマかもしれませんが、私がフランス車に興味を持ったころ、そして実際フランスに初めて行った頃がこれらの終焉のころでした。モデル末期…つまり街にはこれらのクルマが十分行き渡ったころでした。

街には、BX・205・5とともにAX・405・21・19などが中心的存在となり高級車として25やXM、605がBMWやMBに負けじと頑張っている…。クリオや306やZXが出始め、106やTWINGO、XANTIAがデビューし、街でもみるようになっていく…。CXや505もまだまだ普通に走ってる…。

そんななか街を、てくてく歩いていると、2CVは結構普通に見つけることができ、1回の旅行で1回か2回はDS(ID)の姿も見つけられる。しかも日本の動態保存車然としている姿ではなくそれなりの姿のDS(ID)…。

4はいろんな形態が見られ、4CVも一応見た。ジュヴァキャトルなんて古参を見てびっくり。

地方に行けば403のピックアップがまだ活躍していて、南東の海岸沿いではメアリがそれらしい使われ方をしている。ディアーヌは結構見れて、アミも8ならたまに見かける。504もまだまだ現役、304のカブリオレが瀟洒な、しかし十分使いこまれた姿を見せる。

104もLNも珍しくはない。ビサもフツウのから勇ましい音を立てるやつまでいろいろ。

GSは以外と見ないがGSAは結構綺麗な状態でまだ現役。何年間で1回しか見れなかったのは、SM。

ある年、ヘッドライトが白になっていてびっくり。同時に独特の夜の風情が無くなったなぁとちょっとがっかり。

これが、私がもっていたフランスにおけるフランス車の印象です。今でもそれほど大きな変化はないかも知れません。しかし税制の改正だかなんかで旧い車が減っているらしいです。実際急激に新しい車が増えている気がします。…気がするだけかもしれませんが。あれだけ繁栄をしていたちょっと前の世代、BX・205・5ですら以外と早く(それまでの古参達と比べ)代替わりしてしまっている印象でした。BX・205・(シュペール)5も決して珍しくはないのですが、めっきり減っています。まあどれもモデルが終了してから10年ほど経ってるので当たり前といえば当たり前かもしれませんが。

嬉しかったのは今回も、某地方都市で道に迷い込み一方通行と格闘しているときに路中しているDS(ID?)を見ることができたことでした。”一日一善”ならぬ”一訪仏一DS”です(^^;)。今回はパリでは見かけませんでしたが、パリでも隈なく歩いていれば出会えるかもしれませんね。でも、こういう状態ももう何年も続かないでしょう。

そして以外と見たのは607。リアが特徴的だから目に付いたのかもしれませんが、大きくて新しい車の割に良く見ました。一方C5はあまり見なかったかなぁ。

とにかくいままでと比べ新しい車の増え方が早いような気がしたのが今回の印象です。あまりゆっくり見てないからかもしれませんが。しかし、私が仏車に興味を持った今からほんの何年か前は”流石本国!”と言えるぐらいちょっと旧いのから新しいのまで満遍なく見れたのに対し、最近は新しい方に偏っているようです。

端的に言うと、「仏車見物という意味ではちょっと面白くなくなってきた」ってとこでしょうか。

変わったというものでは、TGVの色が全て銀と青になっていました。TGVオリジナルは1981年登場のオレンジと白でパリ・リヨン駅からリヨンそして南東コートダジュール方面およびスイス方面に行っていたのですが、1990年に登場したパリ・モンパルナス駅からルマン、ナント方面のアトランティック線用デビュー時から銀と青が登場しました。本来オレンジ白と銀青は最高速度もそして形も微妙に違っているのですが、数年前からオリジナルのオレンジ白の南東向け車輛も青銀に順次塗り替えられていたようです。1999年にはまだオレンジ白も見れたのですが、今や銀青のみになってしまいました。

銀青もスピードを連想させる色としてはいいかもしれませんが、やはりコートダジュール方面に行く華やかな列車にはオリジナルのオレンジが似合っていたと思います。ミストラル等TEE世代の方から見ればその光景自体風情が無いものと思われていたかもしれませんが私のパリ・リヨン駅の印象はオレンジのTGVがずらっと並んだ壮観な光景でした。これは中学生のころ雑誌で見て、そしてその光景を実際この目で見れたときにはちょっとした感動ものでした。しかしそれも過去の風景になってしまいました。

最初はオレンジの合間にポツ・ポツとアトランティック向け車輛が(助っ人で?)南東運用に入っていたのが、次第に銀青が増えデュプレックスという二階建TGVも銀青で登場しパリ・リヨン駅に姿を見せ南東オリジナル車輛まで銀青に塗装変更になり、いつしか駅で見る比率が逆転し、そして遂にオレンジは姿を消しました…。

最後はアルファにもクルマにも関係無い話題でしたね。失礼いたしました。

戻る