冬季シベリア横断自転車ツーリング報告書 Page4

 

 

 

5.行動記録

 

「山と渓谷」9月号に掲載した紀行文をここに徐々に転載していきます。 ちょうど一年前の同じころに合わせて更新してゆきますので、ご期待ください。ここには旅のほんの一部しか紹介できませんが、より詳しい旅の話は現在「サイクルスポーツ」に 連載中ですので、そちらもぜひご覧ください。

「冬季シベリア単独自転車横断 

    248日間14927キロの旅」

シベリアには冬の間だけ存在する冬道ジムニックができあがる

深いタイガの森の中を、凍結した川の上を、どこまでも続いている幻の道

凍てつく荒野をたったひとりで駆け抜けた、サイクリストの物語

 

 

《カイラスよりシベリアへ》

ほとんどすべてが凍りついた世界。身も気も緊張するほどに引き締まる寒さ。大気は静止し、音ですら封じ込められている。

12月の西チベット。この時期、聖山カイラスを巡礼する者はほとんどいない。チベット仏教の小さな寺に修行僧が残っているにすぎない。宿坊に部屋を乞い、夜中目覚めて小用のために、寺の門から出てきた瞬間だった。

一切の静寂の中、時は止まっていた。月明かりに浮かぶカイラス北壁の、圧倒的な迫力に、押しつぶされそうだった。自分の内の世界から、叫び声が出てきそうだった。

絶対的な物を見てしまったのかもしれない。

神を見たようなものだったのかもしれない。

冬季西チベット高原の自転車での横断。どこまでも続く大雪原の向こう、地平線の彼方にヒマーラヤの白き峰峯が遠く連なる。毎夕繰り返されるあのダイナミックな日暮れは、その度に涙が出てくるほどの荘厳さだった。

ひとつの旅を終えたとき、それは次の旅への試練を背負い込むことになる。人間という生き物は、より高い世界へと挑まなければならないことになっているからだ。

だが、いったいどこへ行けばいいのか? 地図の空白などないといわれるこの時代に…。その時、脳裏に浮かぶルートがあった。そんな事は可能だろうか? 冬のシベリアを横断するなんて! 私の挑戦はまず、自分の思いつきを否定する事から始まる。

 

 

《 日本 》

そのチベットから6年が経った。その間は商社勤務で海外を渡り歩いた。とくに毎月のように訪れる中国では、その激変を目の当たりにしてきた。また、決して長くはないが、休暇を使って一年に一度は、四千b近い高度のあるところへ旅をした。しかしどこへ行っても、それは所詮、カイラスの後へ続く道でしかなかった。だがシベリアはそのスケールからして、なかなか足がかりが得られなかった。

私は小さな会社で取締役を勤めていたが、手腕の社長と中国進出に関して意見も合わず、所詮は平民出身の私は、暇を乞うてクビになった。いよいよチャンス到来というわけだ。カイラスで背負い込んでしまった運命を実行する時が来た。商社もただ、長い長い別の意味での遠征だったように、私は感じる。

 

 

《 アラスカ 》

自由の時間を手に入れた私だが、旧共産国で政治的にも勝手の知れないシベリアに行く前に、事情の分かる土地で極寒トレーニングをしておこうと考えた。2002年1月末から、厳冬のアラスカを自転車で走る。だが期待していた零下40度の寒波がやってこなかった。地球温暖化の影響もあるらしい。

オーロラの輝く下、犬ぞりのトレースを自転車で押し進んだりしているうちに、どうしてもマッキンリーに登りたくなった。なにしろ植村直己の魂の生きる山である。そこで「北極海から北米最高峰へ」とテーマを儲け、プルドーベイから山の麓まで自転車で走り、マッキンリーのウエストバットレスを登った。ルートは楽勝だったが、氷河のスケールは絶大で、5月でも寒さは零下30度以下になり、テントを囲むスノーウォールもことごとく崩れる暴風もあって、しかもホワイトアウトの氷河をGPSで進んだりするのは、シベリアへのトレーニングにはなっただろう。

 

 

《ヨーロッパ》

懸念していたロシアビザの問題も解決した。2002年8月末、モスクワに飛ぶ。さらに列車で北極海にあるムールマンスクへ。ヨーロッパ側から東へ向けて、シベリアを横断しようというわけだ。ただ一冬でやるにはあまりにも大きすぎる。横断というタイトルでは、世界で類を見ないスケールだ。イルクーツクまでは鉄道に沿って道があることもわかっている。いわばその先が本番だが、雪が積もり始める前に距離を稼がなければならない。でなければ春までに太平洋につけないだろう。

9月1日出発。北極圏はすでに肌寒い。森と湖の国カレリア共和国を南下。独立国家共同体ロシアでは、聞いた事もない国々を通過することになる。

サンクトペテルブルグ。ここが大西洋に通じるバルト海フィンランド湾に面する。大西洋と太平洋をつなぐラインをロシア連邦内に引くことが、シベリア横断の定義。モスクワ付近の10月2日には、早くも雪が降り始めた。

ヨーロッパとアジアを隔てるウラル山脈を越え、オムスク手前で本格的に雪が積もり、路面は圧雪凍結状態。タイヤもスパイクに交換する。それまで最高1日170`走って距離を稼いできたが、雪道では60`と極端に少なくなる。日照時間も短くなり、気温も下がってきた。いよいよ冬のシベリアという雰囲気になってきた。この辺りから、私の物語をもうちょっと詳しく始めようと思う。

 

 

《西シベリア低地帯》

タイガの中に切り開かれた一本の道。毎日毎日同じ景色、アップダウンすらない単調な日々。刺激がない旅は精神的に参ってしまうのでは? 懸念していた課題のひとつだ。

だがよくよく見てみると大自然は奥深い。天気によってタイガはいろいろな姿を見せてくれる。青空が広がると、樹氷と化した木々は眩しく、ダイアモンドダスト現象で大気そのものがキラキラと輝いている。降雪の後には、いたるところに純白のクリスマスツリーが出来上がる。

道路には車の往来もあるが、さほど気になるほど多くはない。そんな静寂の中、凍った路面にスパイクタイヤがザクザク刺さりながら走る音を聞くのは、何ともいえず心地よい。

登山哲学にバリエーションがあるように、自転車にもエクストリームの世界がある。同じ山でも季節によって、異なる世界があることをクライマーは知っている。

私は鳥取大学山岳部の出身。鳥取といえば大山。日本海に聳える独立峰は、豪雪の山岳地帯であり、冬の北壁は登攀の舞台となる。冬山を知ってしまうと、夏ではもの足りなくなる。私には夏の大山に登った記憶がない。冬季ツーリングも同じことだ。厳しいほどに、より美しく見えてくる世界がそこにある。

朝10時頃になって、ようやく朝日がタイガの彼方から昇りはじめる。太陽はさほど高く上ることはなく、いくばくもしないうちに夕方の雰囲気が漂ってくる。やがて夕陽が深い森を真っ赤に染めながら沈むと、空は淡いピンクから次第に紫へ、そして深い群青色に包まれてゆく。その時、満月が大きく昇り始め、タイガの森を神々しく照らし始めた。

日照時間が短いので、暗くなってからも走り続ける。それでもなかなか距離は伸びず、やっと1日40`ということもある。

シベリアといえば寒気団。一番気がかりなのはやはり寒さだ。アラスカだって寒いが、それですら日本同様、シベリアから寒波はやってくる。今までの経験では西チベットでキャンプ中に零下35度というのが最低。計画段階で、零下50度に耐えうることとしたのだが、どのような準備が必要か予測出来ない。だから零下30度で必要十分の装備に、余分に防寒具を持ってきただけにすぎない。だがそんな単純な事ではなかった。寒さに対する私の常識を、くつがえされることになる。

 

いよいよ佳境に入ってきましたが、この続きは追って掲載してゆきます。とりあえず目次のみ掲載。

より詳しい旅の様子は「サイクルスポーツ誌」で連載しています

 

《零下42度》 近日掲載予定!

《凍てつく夜》 

《イルクーツク》

《バイカル湖》

《シベリアのチベット仏教》

《再びバイカルへ》

《サハ共和国》

《極東シベリア山岳地帯》

《オホーツク海》